戦① 私って結構な危険人物なんだよ
私の意識が戻ったのは、おそらく意識が途絶えてから一時間も経っていない頃だろう。
部屋にいた頃、太陽光は黄みがかってきた所だった。大分夕暮れ色には近づいたがまだまだ明るい。町民と同志村のスタッフ達は夕飯の準備などで忙しい時間帯だ。
どうやら私は、何者かに担がれて外を移動しているらしかった。
シーツか何かをかけて隠されてはされているものの、私自身には猿轡のみで目隠しも手足の拘束もされていない。随分とこの犯人は慌てているようだ。突発的な犯行だろうか。私の頭は犯人の背中側にあるので残念ながら顔は見えない。体格や骨ばった感じから言って男性だ。
足音はもう一つ聴こえる。どうやら先導者がいるようだった。
おそらく二人とも私が意識を取り戻したのに気づいていない。体が肩で二つ折りにされているので腹の辺りは痛くて苦しい上、男性に密着していると思うと身体が強張りそうになる。しかし、なるべく脱力して気づかれないようにしないと。意識するな、ここは正念場だ。
今の私は手ぶらだ。短刀は部屋に置いてきてしまった。身につけたもので武器になりそうなものは…。目の前にぶら下がった自分の手首に目がいく。それ以外は…午前中に投げていたドングリがポケットに数個入っているくらいか。
ここはどこだ。藪や木の間を進んでいるようだが、おそらくは町のどこかだ。森ほど辺りが暗くない。
この二人、よくザコルや他の使用人を振り切って屋敷の外にまで出られたな。まさかあの部屋に隠し通路でもあったんだろうか?
◇ ◇ ◇
僕は、向こう側に誰の気配もなくなった扉を蹴破る。無論、ミカの姿は無かった。
「エビー、タイタを叩き起こせ! お前は義母に連絡しろ」
「はい坊っちゃま」
騒ぎに気づいて駆けつけた使用人の女の一人が踵を返す。
「タイさん、タイさん! ミカさんが! 起きてください!!」
隣の部屋でエビーの大声と共にガタッと大きな物音がした。タイタが起きたのだろう。
僕はミカがいなくなった部屋をざっと見回す。一人用の客間兼、使用人の仮眠などにも使われる部屋だろう。
ずっと隣の部屋に人の気配があると思っていた。使用人が休憩しているだけの可能性もあったが、それにしては気配を殺している感じがした。間違いなく、僕達を監視していたのだ。
簡素なベッドと物書き用の椅子と机、クローゼットがある。窓は開いていない。クローゼットの扉の隙間から少しの風を感じて開けてみると、案の定、そこから違う空間へと繋がっていた。僕達が最初にいた部屋からすると隣の隣の部屋のクローゼットの中に通じている。
恐らくこの部屋は元々二間続きの部屋で、普段は双方からクローゼットを置くことで仕切っていたのだろう。クローゼットはどちらも背面を抜いて出入りできるように細工されている。僕はそのクローゼットの穴から穴へ、そして続き間の部屋へと移動した。
続き間の部屋の窓は僅かに開き、隙間風がカーテンを揺らしていた。それ以外のおかしい点はすぐには見つけられない。
「何だここ、繋がってんのか!?」
すぐにエビーが先程のクローゼットの穴から続き間へ入ってくる。タイタも続いて入ってくる。上背のある二人には少々窮屈そうだ。実行したのは比較的小柄な人物か。
「僕はあの窓から出て痕跡を探しつつ追う。エビー、この部屋に残って他に通路や隠れ場所がないか調べろ。その後は任せる」
「了解」
あの開いた窓が一番怪しいが、陽動の可能性もある。二手に分かれた方がいい。
「タイタ、マージを探せ。ミカの失踪を報せろ。報せた時の反応、言動も含め全て記憶しておけ」
「はっ!」
僕はカーテンを払い、窓を開けて外へと飛び降りた。
ここは一階。窓の外は低木が植えられ、低木の向こうには道に面した塀がある。そう高い塀でもないし、町長屋敷の門戸は住民に開かれている。信用のある者なら出入りは可能だ。庭を手入れした時についたであろうものも含め、足跡は複数残っている。
部屋から部屋に移動した時に立てたらしい物音、窓の開く音、何者かが外をコソコソと移動していった音などは扉を蹴破った前後で耳に入れている。
一つは軽い一人分の足音、玄関の方へと移動した。もう一つは二人分の足音で、屋敷の玄関とは反対側に進んで行った。
冷静になれ。僕はあらゆる感情を自分の中から消した。そして音の向かった方へと走り出した。
◇ ◇ ◇
犯人二人は無言で駆けていく。私を担いでいる彼はもう随分と息が切れているようだ。何となく足取りにも癖がある。片足を庇っている気がする。元から負傷しているのかもしれない。
どの方面へ行こうとしているかが何となく判った。相変わらず地面しか見えないが、どこかの道に出たのだ。
この時間帯の光源の位置、この道幅。既視感がある。タイタと二人でいる所を襲撃されたあの小道だ。目的地は教会か、それともその後ろに広がる森か。
私は迷った。今ならこの男を凍らせでもすれば無力化できる。もう一人の先導者も多分何とかなる。もしもこの先で例の香が焚かれた部屋などに入れられたりすれば詰んでしまうかもしれない。でも……ああそうだ、こうしよう。
「……っつう!! うがあああっ!!」
私を担いでいた男が片脚に何かを受けたように飛び跳ね、私を担いだまま前へドッカリと倒れ込んだ。当然私も投げ出される。
「っ!?」
先導者が驚いて振り返る気配がする。
遠隔攻撃でもされたと考えたか、先導者がジャッと地面を踏み込み、シュンッと刃物を抜く音がする。私の身体はかけられていたシーツに巻き込まれ、顔も覆われてしまったので何も見えない。
「う、くそ…っ、ぐうぅ…!!」
男は呻いている。まだ立ち上がる事もできないようだ。
「何、どこから…」
先導していたのはやはり女性だ。布の向こうにある影から察するに、彼女は私を背に庇いつつ、辺りを警戒し続けているようだ。
私は投げ出された際に強打する羽目になった臀部の痛みと身体の強張りがあらかた引くのを待って、猿轡を自分で外した。
油断すると先程まで知らない男に触れられていた事実が頭を掠める。忘れろ、手の震えを無理やり握り込んで自分に喝を入れる。
私は自分にかかっていた布をゆっくりと剥ぎ、身を起こした。
「ミカ様…! もう目を覚まされて…!?」
私に使われた薬が何だったのかは知らないが、彼女が想定するよりは効きが悪かったらしい。
「痛い思いをさせる事となり、大変申し訳ありません。頭は打っていらっしゃいませんよね。ご安心くださいミカ様。今、あなた様をお助けするために安全な場所までお連れする所だったんです。今しがたどこからか攻撃を受けたようですので、まだ伏せていていただけますか。必ずお守りします」
そう言って女性は短剣を構えつつ、辺りをキョロキョロと警戒し続けている。
「……ああ、この人、あの全身打撲で三階にいた彼だったんだね。せっかく良くなってきた所だろうに、また怪我させて悪いね」
「え…っ!?」
女性が振り返った。私は男性の顔を確認できたので立ち上がり、ポンポンとスカートをはたく。
私を担いでいたのは、屋敷で療養していた重傷患者の一人だった。氷とベリーミルクフラッペを振る舞って以来、怪我は快方に向かったと聞いていた彼だ。
「あのね、知ってたかな。私って結構な危険人物なんだよ。なんせ水気のあるものには魔法が使えるからね」
水気のあるもの、と聞いて思い至ったのか、彼女は驚愕と僅かな怯えを顔に走らせる。そして呻く男と私を見比べた。
水気のあるものとはすなわち人体である。
「ああでも心配しないで。凍結だと患部が壊死しちゃって治らなくなりそうだからさ、沸騰にしたよ。ふくらはぎの皮膚近くに流れる血を狙って沸騰させてみたんだ。火傷みたいになってるんじゃないかな。跡は残るだろうけれど治るとは思うよ。多分ね」
湯沸かし魔法の精度が上がってきた所でよかった。最初の頃みたいな瞬間湯沸かし器状態だったら、下手をすれば全身丸茹でになって即死させていたかもしれない。足首まである療養服の下がどうなっているかは判らないが、左脚のふくらはぎ当たりからは血が滲み出てきている。
「衣服が貼り付かないようにした方がいいかもね。後で痛い思いするよ」
そう言うと男は慌てたようにパンツの裾をめくり上げ、ベロンと皮膚の剥がれたふくらはぎを露出させた。そして私から距離を取るように何とか脚を引きずって立ち上がる。
「…っ、惨い事を…」
それを見た女性が口に手を当て、そう呟く。
「人に麻酔か何か打って連れ去るのは惨くないのかな? ねえ、メリー」
そう呼びかけると彼女はグッと言葉を飲み込んだ。
そう、先導役は屋敷メイドのメリー。あの部屋で私に何かの針を刺したのもメリーだった。私が逃げ込んだ隣の部屋でじっと気配を殺して潜んでいたらしい。ザコルのあの慌てようも納得だ。彼は誰かが潜んでいると気づいていたのだ。
「…お可哀想なミカ様。あなた様は騙されているんです。よりによってあんな、あんな悪魔に! 今はまだ本性を現していないのかもしれませんが、いつミカ様が滅茶苦茶にされてしまうかと心配で心配で…! 今夜こそ危ないかもしれないんです! あの悪魔を御せるのはかの方しかいませんわ!! だから、だからミカ様には一刻も早くその危険から離れていただこうと」
「ふ、ふふっ、ふふふ…っ」
思わず笑いが込み上げる。メリーが言葉を飲み、当惑した表情になる。
「あはははははっ、メリー、本当に私の事誤解してるよ! 私に当てがわれる世話係が、何を基準に選ばれたのか知ってる? 『腕っぷし』だよ。ザコルの前は、テイラーの騎士団長様が私の着替えや食事を持ってきてたんだからねえ」
「そ、そんな! ミカ様のようなか弱い女性のお世話を、武装した男性が!? なんて非常識な!!」
「正確には、伯爵様が不在の時に私がひょっこり現れちゃって、使用人達が混乱して騎士団長に頼んだって感じだろうけどね。でも妥当だと思うよ。さっきも言ったよね。私って結構な危険人物なんだよ。いや、悪魔は私の方、というべきかな」
そう言って私が手をかざす真似をすると、メリーは明らかに後ずさった。
「確かに今の護衛兼世話係は人並外れて強いけどね、私が本気になったらどんな膂力の人だって無力化できるんだよ。だからね、私を勝手に可哀想にしないでくれるかな。彼に付きまとってるのはむしろ私の方なんだからさ」
そう言って目に力を入れると、メリーはグッと短剣を握る手に力を込めて睨み返してきた。流石はサカシータの戦士、威圧なんかじゃ退かないか。
「…そんな、脅すような事をわざとおっしゃらなくても。ミカ様がどんなにお優しい方か、私、知っておりますから。あなた様はずっと民のためだけにお力を使っていらしたもの。どれだけの人間があなた様に感謝しているか! おっしゃる通り危険な人物だとすれば、こんなにたくさんの人間に慕われるわけないもの…っ!」
メリーは感極まってきたのか、涙目になりながらも必死で訴える。
「あの悪魔を庇っておいでなんでしょう!? でも、すぐにミカ様にもお分かりいただけます。だって、あの方が嘘をおっしゃるわけない。どんなに子供や平民相手に寛大なふりをしたって、どんなに奥様が心配ないとおっしゃったって! いつ狂った本性を見せるか判りません!! 私はあなた様をお助けしたい! どうか、どうか解って!! 私と一緒に安全な場所まで逃げてくださいませ!!」
「私は彼がいない場所に興味はない。メリー、今なら庇ってあげられるよ」
「どうして解ってくださらないの…!?」
なおも言い募ろうとするメリーに、背後から手が伸びる。私は左手に握り込んでいたものをノーモーションで投げた。
「つっ!? 何だ!?」
「えっ!?」
地面を蹴り、サッと距離を詰めた私は、後ろを振り返ろうとしたメリーを片手で強く押し除けた。
「きゃ…っ」
そして、ドングリが当たった片目を押さえる男の鼻の下めがけ、ブレスレットを絡ませた拳を思い切り叩き込んだ。
「あぎゃッ!!」
何かが軋むような鈍い感覚。ぬるっと生温かいものが拳につく。正直言って気持ち悪い。
「ぶっ、この…っ!!」
口内の血を吐き捨て、反撃しようとする男にピタっと左手をかざす。男は動きを止め、ゴクっと喉を鳴らした。
「つー、いたた…」
私が右手を振るとパラパラッとビーズが飛んだ。ブレスレットの紐が切れてしまったんだろう。人に魔法を使ったのも初めてだが、人をグーで殴ったのも初めてだ。思った以上にこちらの拳が痛む。でもすぐ治ると思えば怖くはない。
「ミ、ミカ様……!! どうして…!? なんて無茶を」
体勢を立て直したメリーが私の拳を検分しようとするので手で制す。
「ちょっとー、メリーを人質に取るのはやめてよねお兄さん。今すぐにでも四肢を全て凍結させてあげようか。それとも内臓をじわじわ沸騰させるのがいい?」
「ぐ、くそ…! 氷姫…っ、いや、化け物がいい気になりやがって…!!」
男は鼻血を垂れ流しながらも私を罵る。
「ふふ、化け物かあ。彼とお揃いなんて嬉しいな。ねえ。あなたは別に、私自身を救いたいとか、そんなんじゃなさそうだね?」
男は答えない。
「そうなのジミー!? あなた、私と想いは一緒だと…!」
「ふん、お前のような浅慮な小娘と同じにするな! 俺はもっと高い理想のために…っ」
喋りかけて、すぐにまた黙る。迂闊に全てをペラペラと喋る程、浅慮ではないらしい。
「そんな…私、私…! じゃあ、あなたの仲間って何なの…!? ミカ様をどうするつもりだったの!!」
「落ち着いてメリー」
メリーがジミーと呼ばれた青年に縋ろうとするので右手で押さえる。
この子はきっと純粋な想いだけでここまで私を連れてきたのだ。何故彼女がそれ程までに私を慕ってくれているかは判らないが、メリーはまだ若い。おそらくは十六か十七歳、むしろ幼いとも言っていい。一時の正義心に突き動かされ、判断を間違う事だってある。『かの方』とやらにその正義心を刺激され、唆された後、この青年が信用に足るとみて協力を仰いだのだろう。
「お兄さん、水害の被害者のふりして瀕死の身であの屋敷に紛れ込んだってことだよね。凄いじゃん。ここへきてそんなに根性のある曲者なんて初めて見たなあ。前にこの道で襲ってきた奴らなんて、今思うとホント小物だったんだね。まあ、あの卑猥で下らない教えを掲げるような邪教の末端信者じゃ、そんなものか」
「貴様…っ、ぐ…」
男がギリっと歯を食いしばる。
「へえ。なるほど、こんな安い挑発に反応するなんて。やっぱり君も邪教の信者? 流石、浅慮だねえ」
男の顔がみるみる間に赤くなる。血が上ったか。
「動かないでね。その藪にいる人達も」
「藪ですって?」
メリーはぶら下げていた腕をサッと持ち上げ、短剣を再び胸の前に持ってくる。動揺していたようだが切り替えられたようだ。
「メリー、もう一本短剣とか持ってない? 貸して」
「えっ、こ、これでよろしければ」
そう言ってメリーは自分の短剣を私に差し出し、自分はスカートのポケットに手を突っ込んで少し小さめのダガーを取り出した。予備の武器なんだろう。
「ふふっ、おかしいの。普通に貸してくれたね」
「この者と、あの藪に潜む者達がミカ様の敵なのは間違いないようですので…」
メリーはとりあえず、かの方やら悪魔やらの話は置いておく事にしたようだ。
「あの藪の中からするにおいには、魔法を封じる作用があるからさ」
小声で言ったが、目の前の男には聴かれている。分かりやすく目が泳ぐ。切り札のつもりだったんだろう。まだ私にあの香の効果が知られていないと思っているなんて。全く浅慮な事だ。
「まあ、こんな風通しのいい場所で効くかどうかは分からないけど一応ね」
「…なるほど。シシ先生が調べていらっしゃるのはあれでしたか」
メリーはふう、と息を吐く。
「ミカ様、私をお信じくださるのでしょうか」
「今なら庇ってあげられるって言ったでしょ。代わりに、これが終わったら私の話もちゃんと聞いてよね」
「…はい。私は今から、あなた様のお言葉しか信じません」
極端だ。
思い込みが激しいというか、意外に猪突猛進タイプというか。でも、怪我人の世話にも全力投球だったし、元々一途でのめり込みやすい性格なのだろう。しかし世話になっているマージの言葉くらいは最初から信じて差し上げてほしい。
私は藪に勇ましく突っ込んでいくメリーをどう庇おうかと思案しつつ、とりあえず目の前の男は物理で沈めた。
藪の掃除が終わったメリーが服についた葉などを払いながら出てきた。彼女にも少し香のにおいが移ったようだが、これくらいの移り香なら近づいても問題ないのは判っている。
「ミカ様が武術の鍛錬をなさっていたとは新聞でも読みましたが、ここまでの腕とは存じ上げませんでした」
私は結局、私を担いでいた彼の他、藪から飛び出てきた男を一人沈めていた。魔法は使っていない。
正直、真正面から向かってきた男性相手にここまですんなり勝てるとは私自身も思っていなかった。しかしザコルやコマのスピードを思えば全く話にならないレベルだったし、武器の扱いも素人同然に見えた。元々非戦闘員の信者なのかもしれない。驕んじゃねえぞ、というコマの声が聴こえた気がした。
「メリーは屋敷で仕事してるから、放牧場での訓練を見た事ないんだね。私の師はあの最終兵器とコマさんだからね、こんな素人の薬漬け共よりはやれるだろうと思ってるよ」
例のにおいをぷんぷんさせながら倒れる男達を見遣る。彼らは藪の中で直に香を焚いてパタパタもしていた。蚊取り線香を想像して微妙な気持ちになる。私は害虫か。
燻っていた香は、枯れ葉などに燃え移ったりしないようメリーに踏み消してもらった。
「…あの悪魔…いえ、ザコル様はミカ様に何をさせているんですか…。有り得ないわ」
「ふふ、私も楽しんでるし、それくらいの体力は必要だとも思ってるからねえ。でもまあ役にも立ったでしょ。…メリー。昨日はね、私は間違いなく『かの方』に襲われた。その場で護衛が防いだし、私も短刀を突き立てて自衛したから未遂に終わったけどね。全部、本当の事なんだよ」
そう言うと、メリーは黙って下を向いてしまった。やはり『かの方』はザハリか。もしかして昨夜あたり、牢で彼と接触したのかもしれない。
メリーはしばらくして顔を上げ、私を真っ直ぐに見た。そして跪いて首を垂れる。
「……言い訳はいたしません。勝手にお連れして危険に晒したのみならず、他ならぬミカ様にこの身を庇っていただくなんて…。一番有り得ないのは、ザコル様ではなく私です。これ以上の情けは必要ございません。屋敷に無事お送りした後は、私の処分はいかようにもなさってくださいませ」
「そうだね、私が決めてあげる。ですから、この子の事で口出しは無用です、ザコル」
背後から腕が伸びてきて私を抱きすくめる。
「…っ!?」
メリーが言葉を失うのは何度目か。
気配は完全に絶たれていた。それでも何となく彼が来たのが判ったのは何故だろう。
「ミカ。僕をどう鎮める気でいるんですか」
「そうですね、私のことはザコルが決めてください。このメリーよりも有り得ないのは、私です」
「…………違う。僕だ。僕が悪い」
「私が浅慮で我が儘だったんです。性懲りも無く幼稚な事をして」
「それをさせたのは僕だ!! 何度も傷つけた!! 性懲りも無く!!」
ゆら、ザコルから殺気が立ち上る。
「殺す」
「ダメです。私なら殴っていいですけど」
「ミカ様!? 何をおっしゃっているんですか!?」
「何で僕がミカを殴るんですか…」
「ほら! ザコル様でさえこうおっしゃっていますよ!!」
「ええー、何ですか二人して。いい案だと思ったのに」
私なら瀕死くらいで止めてくれれば多分死なないし。ザコルのためなら痛みくらいは我慢できる。
「ザコル様、殺すならばどうぞ殺してくださいませ!! どうか、どうか! ミカ様ももうお止めにならないで! もし私がミカ様をお護りする立場だったら到底抑えられるとは思いません!! 何を今更と思われるでしょうが、どうか私を殺してお鎮めください…!!」
メリーがダガーを投げ出して地面にひれ伏す。
ザコルは私を離して息をついた。少しは冷静になってくれただろうか。
「お前一人が死んだくらいで鎮まるとでも思っているのか? 武器を拾え」
「は…、武器を…? いえ、この後に及んで抵抗する気などございません。どうぞなぶり殺しに」
「腕はそこそこだが気配察知と集中力に難があるな。掃除は終わっていないぞ」
「え…」
そう言われてメリーは改めて周りを窺い、慌ててダガーを拾い上げる。
空気が圧縮されていくような、ピリピリと肌を刺してくるこの独特な感覚。間違いなく敵意だ。しかもこの量。放っておいたら囲まれる。
「全員殺す」
「あれらはザコルの『客』なんでしょ。尋問しなくていいんですか」
「……絞りがいのありそうな者はミカが既に仕留めたようですし」
ザコルはチラッと足元に目をやった。
まあ、確かに。瀕死の身で敵地に潜伏するという、大胆かつ頑張り屋さんな彼からは色々な話が聞ける事だろう。
「嫌ですか」
「え? 嫌? 何が? …うーん、調べるのはザコルですし、私が嫌とか関係ないような…」
そう伝えたら、何故か戸惑ったような顔をされた。何だろう、止めた方が良かったんだろうか。
ザコルがはあ、と息をつく。
「…血まみれでも、僕を抱き締めてくれますか」
「もちろん!」
反射で飛びつきそうになって踏みとどまる。でも、そっか、抱き締めていいんだ。ふへへ。
日が完全に落ちて薄暗くなってきた中で、ザコルがもう一度こちらを振り向き、ほのかに笑ったのが見えた。
◇ ◇ ◇
ザコルが私を背に庇いつつ、向かってくる敵を千切っては投げ、千切っては投げる。ひとたび何かを投げたかと思えば、数人が一度に倒れる。
愛用の短剣は午前中の戦いので結局ダメになったらしい。なので投擲を除けばほぼ素手で戦っている。だというのに相変わらず惚れ惚れするような強さだ。無駄な動きが一つもない。私というお荷物を後ろに抱えているとは思えない余裕ぶりだ。ちなみに私を戦わせる気はもうないらしい。ちぇ。
メリーも容赦ない。彼女は私達よりも少し前に出てダガーで素早く刺突を繰り返し、バタバタと敵を倒していく。どんどんと屍が量産されていく。
「数が多い。黒幕がいますね」
「黒幕…ザハリ様ではなく?」
「あいつにできたのは、せいぜいが目の前に来た自分の信者を焚き付ける事くらいでしょう。メリー、お前をザハリの牢に通した者がいるだろう」
「わ、私は自分の意思で牢に…っ…いえ、確かに。今思えばやけに上手く忍び込めました。つくづく自分の浅慮さが嫌になります」
「お前の懺悔などどうでもいい。誰だ」
「牢の鍵を預かっているのは」
ヒュンッ、何かが飛んできてメリーがそれを紙一重で避ける。
ザコルが飛んできた方向に投擲ナイフを投げ込む。カサササ、と藪の中を何者かが移動する音がする。
「コソコソと。特等席で観戦でもしているつもりか? …………やっと来たか」
後ろから私の名を呼ぶ声がする。
エビーとタイタ、それに…。
「メリー!! あなたって子は…!!」
護衛二人と一緒に駆けてきたのはどうやら女性の集団だ。
先頭で松明を持つのは…ミワの母親だ。あの特徴的な髪型、間違いない。あの母子は揃ってお団子ヘアなのだ。
ミワの母親は全力で駆けてきて、ザコルとメリーの間にズザーッと滑り込んだ。松明の火の粉が派手に飛び散る。
「ザコル様、不敬は承知の上でございます! どうかこの子に今しばらくの猶予をやってくださいませんか…!! この子は幼少の頃から姉妹揃って弟君のお気に入りで、長年刷り込みに遭ってきた哀れな子なのです! それにこの子の姉は弟君の…」
「あなたはミワの母親、名はタキでしたか。今、そのメリーと一緒に清掃活動に勤しんでいた所です。あなた達も手伝ってください」
「へっ?」
息を切らしながら気の抜けたような声を出すタキ。
そうこうしている内に矢か何かが飛んでくる。タキは後ろを向いたまま短剣でそれを叩き落とした。
凄い、これが元戦闘メイドとやらの実力か。動揺していても身体が勝手に動くんだ。かっこいい…!
「ザコル様、かなりの人数が教会とその後ろに。馬も見えます。一個小隊か、いえ、それ以上かと」
メリーが教会方向に目を向けたままそう言った。
「夜目が利くじゃないか。そのまま集中を切らすな」
「はい!」
今日は月が出ていない。あちらも明かりを最小限にしているようで、私の視力では全容などほとんど見えない。
エビーとタイタが抜剣して並ぶ。
「ミカさん、怪我はないすか」
「うん。無傷だよ。二人とも来てくれてありがとう」
魔法を人体に使ったのと拳をいわしたのはしばらく黙っておこう。余計な心配をさせるだけだ。
「…俺は、また反省文を…っ」
「残念、反省文文化はもう撲滅されました。じゃあさ、誰に見せても困らない内容のお手本作ってよ。手習いに使うからさ」
「そ、そんな事でよろしいのなら」
二人の背中をポンポンと叩く。
「お祭りはこれからみたいだからね。よろしく頼むよお二人さん」
「了解す」
「御意に」
エビーとタイタからすればまだ言いたい事はあるのだろうが、とりあえずは目の前の敵に目を向ける。
「マージと女帝は」
「町長殿は今、ご自分で警邏隊や屋敷の方々を率いて出ておられます」
「町長様も女帝もバチクソにキレてるらしいっすよ」
「そうか…」
ザコルからゲンナリした声が漏れる。自分が怒られるとでも思っているのだろうか。
私の前に、大きく手を広げた女性達が壁を作る。
あまり話した事のない面々だなと思ったら、十年前、ザハリの代わりに王都へ行ってほしいとザコルに頼んだと見られる女性達だった。
「私達は、目を覚ましたのです。恥ずかしながら、奥様やタキに説かれ、他ならぬザコル様にさえ庇われ、ようやくかの方への想いを断ち切る覚悟ができました。信用に足らないのは重々承知の上でございます。しかしどうか、私達に身辺をお任せくださいませんか」
「この命に換えましても! 姫をお守りする事で忠義を証明してみせます!」
彼女達の立場を考えたら今の状況は死活問題なのだろう。
ザハリはどうも洗脳が上手いらしい。いくら領内での評判が散々だったとはいえ、ザコルの身分は貴族。そんな彼に対し、平民の女性が自分の欲のために物申しにいくなんてどう考えても非常識だったはず。あのモリヤでさえザハリに直接物申すのは控えていた事からもよく分かる。しかし、そんな異常な行動を人にさせる何かがザハリにはあるのだろう。
そして、たまたまザコルが身分を気にせず意見を受け入れられる性格だったから難を逃れただけで、本来ならば全員がその場で不敬罪に問われてしまってもおかしくなかった。もしもザハリが指示か誘導をしたとすれば、かの方とやらは自分を慕ってくれる彼女らさえも捨て駒にする気だったことになる。
「彼女達にお願いしてもいいでしょうか、ザコル」
ザコルがこれから報われていく分、彼女達は長年のツケを精算していかなければならない。とはいえ私が勝手に採用を決めるわけにはいかない。オカンの意見も聞かなければ。
「誰がオカンですか。…まあ、いいでしょう。せいぜい盾になる事だ。ミカは油断しないように」
「はい。皆、よろしくお願いします。私は近距離ならば割と戦えますが、飛び道具を警戒していただけるのはありがたいです」
そう言って私はメリーに借りた短剣を構える。
油断するなというのは、万が一彼女らが私を襲うような事があっても対応できるよう気を張っておけという意味だろう。そんな刺を含む言葉を気にした様子もなく、彼女達は私とザコルに対して大袈裟にお礼を言った。そしてすぐに緊迫した様子で武器を構え、四方に注意を巡らせた。
前線はメリーとタキが既に切り込んでいる。そこに元ザハリファンと見られる女性達の一部も加わった。何故ザハリに関与した彼女らが揃ってここに来たのかは判らない。私とその盾となった集団は後方にいるので、ザコル、エビー、タイタの三人はその近くで戦っている。何となく、ザコル一人をあの小隊に突っ込ませれば最短で勝敗がつきそうな気もするが、私という足枷があってはどうにもできない。
「ご心配要りません。イーリア様が動いてくださっております。そろそろでしょう」
盾女…タテジョの一人がそう言うが早いか、前方から聴こえる掛け声に悲鳴が混じり始める。そして何度か聴いた事のあるお馴染みの雄叫びも右手の方角から聴こえてきた。恐らく、放牧場で一緒に鍛錬した領の男性達だ。
「左右から挟まれれば、そのうちこちらに構う余裕などなくなります」
「ここから左手には、西の森前の放牧場があります。一部はそこへ誘導するおつもりではないでしょうか。そちらではきっと奥様、いえマージ町長が待ち構えているでしょう」
「こうなれば一匹たりとも逃しませんわ」
タテジョ集団から高揚した覇気のようなものがビシバシと伝わってくる。
初めて味わう戦争の空気感。目の前で人が斬られ、血が撒き散らされる。怒号と悲鳴、呻き声。どこから飛んでくるか判らない矢や飛礫。私がまた自己判断でうっかりザコルの側を離れたりするからこんな事になって…。
いや、違う。今更自分を責めても仕方がない。俯くな。覚悟を決めろ。
氷姫という駒を取られるのはきっと皆にとっても悲劇だ。
悲劇になる理由ははっきり分からないが、とにかく不都合な事が起きるのは確かだ。そうマージお姉様も言っていたから間違いない。私はお姉様を信じている。
それに、今回の氷姫誘拐はいくつかある策の一つに過ぎないはず。恐らく今夜、町に攻め入る事は決定していたのだ。そうでなくてはおかしい。コマさえ生け取りにされるようなこの町に、こんな大軍勢を気まぐれに引き入れる事などできるはずがない。
メリーとあの全身打撲の青年は、ザハリや『黒幕』による誘導によって、おそらく衝動的に誘拐騒ぎを起こした。それがたまたま運良く成功しただけで、他にも私をザコルから引き離す算段はあったのではないだろううか。
何もかも憶測だが、どうにかして私をザコルから引き離して奪い、軍勢を盾に逃げ切るつもりでいたのかもしれない。
いつから今日この時間と決めて襲撃準備を始めたのだろう。…もしかしなくても一昨日の夜から昨日の午前あたりか。モリヤとイーリアが同時にシータイを離れた隙を狙い、準備を進めたか…?
きっとそうだ。イーリアは曲者退治と中田へのフォローで一昨日から不在だった。中田いわく、カリュー周辺で『狙われ過ぎてて草』という程湧いていたらしい曲者達も、この襲撃のための陽動だった可能性がある。
仮に陽動でなかったとしても、イーリアとその側近・小隊が不在という事で、急遽モリヤとシータイの衛士達が私達のカリュー行きに同行するのは一昨日の夜には決定していたはずなのだ。『黒幕』が機会を見定め、決心したとすればきっとこのタイミングだ。
私達と比較的よく交流していた町民達……水害直後に避難所や救護所などに詰めていた町民達や、ある意味で打ち解けつつあった野次集団なども私達と一緒にカリューへ発った。山の民の男達もカリューで薪の調達をしている。昨日は一日、シータイ町内や町として守っている領境は通常に比べてかなり手薄だったと言えるだろう。
そして昨夜、捕獲対象で危険人物たる私は魔力が枯渇寸前までいき、しばらくは魔法を使わず休むと公言していた。さらには今朝、まさかの魔獣襲来だ。そしてあろうことか魔獣はザコルについた。あのミリューがいたら相手は勝ち目がないどころか、何の作戦も意味を為さず瞬殺となる可能性がある。彼女がコマと共に町を離れた事には『黒幕』もさぞ安堵した事だろう。
それでも、何故昨日の夜のうちに決行しなかったのかという疑問は残る。ザコルが私につきっきりでチャンスが無かったとか。準備が間に合わなかったとかそんな所だろうか。ザハリにメリーを焚き付けさせる時間も必要だったのかもしれない。
とにかく、敵にとっては今日しかなかった理由があるはず。明日以降はいつミリューが帰ってくるかも判らないし、コマだって脅威だ。コマはザコルと違って自由に動ける分、異変があれば即対応できるし、それだけの実力もある。そんな元暗部のトップランナー二人と魔獣を敵に回しては、分が悪い所じゃない。
私は喧騒の中、短剣の柄を握り直した。日暮れ後で冷えてきた上、連れ去られた時の格好のままなので正直寒い。手の感覚がなくならないよう、時々体を動かして誤魔化している。しかし、ただ護られているだけだと手持ち無沙汰だ。考え事は捗るが。
そういえば、メリーは私が素人男性の一人や二人を沈められる程度の実力があるとは知らなかったようだ。だからこそ私に手足の拘束など必要ないと考えていたのだろう。屋敷にいては確かに、私の実力を直接見て知る機会はない。
もしかすると、私の実力を知らないのは『黒幕』にも言えることではないだろうか。実力が正確に解っていたら、メリーにも『ミカ様はなかなかの実力者でいらっしゃるようだ』と雑談程度にでも伝えておけば済んだのだから。
……ああ、そうだ。『黒幕』は私の実力を知らないかもしれないのか。
「ふむ」
「ミカ! 今また余計な策を思いついたでしょう。僕が義母に殺される可能性を上げないでください!」
敵の一人をまるでドングリを投げるかのようにぶん投げ、十人くらいを巻き込み事故させた最終兵器がサッと近くに寄ってきた。
人間ボーリングだろうか。相変わらず隠密や斥候職の戦い方じゃない。服部半蔵っていうか武蔵坊弁慶だ。
「策なんて。何となく黒幕がどういう立場か分かった気がしただけです。大体、策なんか弄しなくたって、私を誰かに任せてザコルが特攻すれば一瞬で片がつくんじゃないですか」
「それも却下ですよ。もう絶対に離しませんからね」
きゅん。危ない、心神がどこかに行く所だった。
彼は自分のマントを外して私に投げて寄越してくる。羽織れという事か。私には少し大きいので、少し折ってから肩に掛け、前を結んだ。ぬくぬく。
「ねえ、今度こそ同志達は近づけてませんよね?」
「さあ。僕はすぐに飛び出して追ってきたので知りません」
「さあ、って…」
「彼らも少しは学んでいるでしょう。流石に、本物の戦に首を突っ込める程短慮で…は……」
そう言葉を切り、ザコルは一瞬だけ後ろを振り向いた。
「……僕も、まだまだですね。どうやら視野が狭くなっていたようです」
「えっ」
「さあ、集中しましょう。構っていてはこちらの油断につながります」
…やはり観に来てしまったのか。いつからだ?
魔法で人を害した瞬間を見られたかも、という考えが一瞬よぎって、すぐにあり得ないと否定する。彼らとて拉致現場に居合わせていたら、加勢なり通報なりしてくれたはず。
それにしても、少しでも訓練された彼らだけならまだいいが、ここへ来たばかりのマネジまでは参加していない事を祈ろう。
つづく




