辺境エリア統括者殿
屋敷の庭の入り口に立ってみると、父親達と同志達はまだドングリ合戦を続けており、シリルと男性部下達は審判や応援に回っており、子供達は皆すやすやとラグの上で昼寝を続けており、母親達と同志村女子達はキャッキャと会話に花を咲かせていた。
「へえええ、ザコル様もやるじゃないの」
ビタッ。ザコルが足を停める。
「ご自分は安い作業服で王都をうろつくようなお方だっていうのに、初めて誰かに何かを買いたくなっただなんて」
「そんなの、殺し文句じゃないの」
きゃー、と母親達が胸に手を当てる。
「ミカ様は服代払ってもらってたなんて知らなかったんでしょう。あの子、ちょっと雑に扱われてそうだったし、ザコル様もいっつも仏頂面だから心配してたけどさ。何だか安心しちまったよ」
「あの素朴なブレスレットも大切そうにしてるものね。二人の思い出の品ってところかしら。ああ、いじらしいっ」
「猟犬様は不器用なお方ですけど、ちゃんとミカ様を大事になさってますよ。大事にっていうかいっそ過保護で独占欲丸出しって感じですね。私がベタベタしただけでも睨まれますし!」
どっ。ピッタの言葉に母親達が一斉に笑い出す。
「女にまで嫉妬してるなんて重症じゃない!」
「過保護といえば、あの子が泣いてたり牛乳つけてたりするとマメに顔拭いてるとこ見かけるね。子供達の面倒も嫌がらずに見てくださるしさ、意外に世話好きなお人なんだよねえ」
「お世話といえば、ミカ様のスプーンとお皿を奪い取って食べさせてた事もありましたね。ミカ様も流石に戸惑ってましたけど」
「髪結んでやって手ずから食べさせてもやってんの!? そりゃあオカンなんて呼びたくもなるわね!」
あはは、うふふふ、くすくすくす。
「これ以上忙しくするなとしょっちゅうミカ様に怒っていらっしゃるし」
「ミカ様が他の男性に触れようものならすぐに手が出ますし」
「そりゃそうさ、何たって『僕のミカ』だもの!」
あっはっはっはー。
ちら、隣のザコルを見上げる。何か凄い形相をしている。
「行きましょうか?」
「……僕に、あの輪に近づけと…?」
「じゃあ私は加わってこよっかなー」
ブレスレットを撫でながら一歩踏み出そうとすると、肩をガッと掴まれた。
「ミカが行くなら僕も行かなければならないでしょうが! どんな顔であそこに居ればいいんですか!?」
「ザコルが嫌ならここで見ていても構いませんけど。私は嬉しいだけなので平気です」
「も、もう僕を調子付かせるような真似は…!」
「だから調子に乗っていいって言ってるでしょ。もう誰も咎めませんし。事実、あなたは私の」
バタン!
大きな音がして振り返ると、庭の入り口あたりで見知らぬ男性が地面に倒れていた。
深緑色のローブに、焦茶のくせ毛。突っ伏しているので顔は分からない。屋敷の使用人達に咎められず一人でここまで入って来ているという事は、おそらく曲者の類ではないのだろう。
しかしこの深緑色のローブ…。もしかして…。
「へ、辺境エリア統括者殿!? しっかり! マネジ殿!」
タイタが慌てたように駆け寄る。
彼こそは深緑の猟犬ファンの集い北の辺境エリア統括者、マネジ。その人だった。
◇ ◇ ◇
「ど、どうも、マネジと、申します。お、お恥ずかしい…、推し、いや御身を、生で見るなんて刺激が…す、すみま」
そう何とか絞り出したマネジは、ぎこちなく頭を下げ。ニチャア…と不器用な笑顔を浮かべた。
ここは庭のラグの上だ。心神喪失した彼をタイタとエビーが運んできた後、程なくして目を覚ました。
そして何故かザコルとマネジは赤いラグの上、正座で対峙している。まるで大正時代のお見合いのようだ。マネジはキョロキョロと目線を彷徨わせ、額から流れる汗もひどく、手は太もも上で服を掴んだまま震えている。
……大丈夫なんだろうか。いや、だいじょばないんだろうな。
「いえ、こうして会話ができているだけで充分ですよ」
対する猟犬殿は随分と同志の扱いに慣れたもので、特に気にする素振りもない。
「知っているでしょうが、僕はサカシータ子爵オーレンが八男、ザコル・サカシータ。今日はわざわざ呼び付けるような真似をしてすみません。水害支援のための呼びかけは君が行ってくれたそうですね。改めてお礼を言いましょう。この領のために尽力してくれた事、感謝しています。マネジ」
「お、お、推しが……僕の名を呼……!?」
マネジはまるで宇宙の神秘でも見たかのような顔で天を仰ぎ、そのまま後ろに倒れ込みそうになる。タイタがサッとそれを支えた。
「お気を確かにマネジ殿! 私めの黒子頭巾をお貸ししましょうか!」
同志村代表、ドーシャも同席してくれている。先程までここにいた母親達と同志村女子達は片付けを始め、未だにドングリ投げで遊んでいる父親達にも声をかけに行った。
「…彼もやはり同志か。まともに会話するにはもう少し時間か工夫が必要そうですね。彼は今夜どこに泊まるつもりでしょうか」
長期戦を見込んで宿の確保をするつもりのようだ。面倒見がいいったら…。
「ご心配なく猟犬様! 責任を持って我がアーユル商会のテントで預かりますゆえ!」
その質問にはドーシャが応えた。
「ありがとうドーシャ。マネジ、君も忙しいでしょうに申し訳ないですね。滞在と移動にかかった金は全て僕に請求を。タイタ」
「はい。そのように」
猟犬専属執事が目礼する。
「め、めめめめめめめめっそうもございません!! こうして推しに会っておきながら推しに金を払っていただくなど!! むしろ払わせていただきたいほどで!! 課金を、課金の許可を!! どうか!!」
そう言って取り乱すマネジもまた同志、鍛えているのが一目瞭然だ。何しろ体の厚みが違う。
背はザコルと同じくらいで、百七十センチちょっとという所か。焦茶のくせ毛に、伸びた前髪からのぞくのは綺麗な金眼、肌は日焼けなのか少々浅黒い。その鍛えた体躯で勢いよく土下座するので迫力がある。
ザコルはコホン、と小さく咳払いをした。
「子供達が起きてしまうので少し声を落としてください。僕が話を聞きたくて呼ばせたのですから、君に払われては面子が立ちません。…マネジ、僕の気持ちを受け取ってくれますか」
ザコルが真剣な面持ちでマネジの顔を覗き込む。まるで、愛でも乞うかのように…。
「………………神よ…」
マネジが両手を組み合わせ、再び天を仰いだ。さながら、雨乞いが叶い天に感謝する敬虔なる農夫のようだ。
私はちょいちょい、とザコルの服をつまむ。
「何ですかミカ」
「あの、ザコル。今の一撃はトドメっていうか…」
「何の事です」
「ほら。もう彼動けませんよ」
「え」
マネジは目を見開き祈りの体勢のまま、完全に停止していた。
◇ ◇ ◇
「いやはや、猟犬様は罪なお方だ」
「あのように刺激的なセリフを真正面から打ち込まれては再起不能ですぞ」
「人聞きの悪い。僕はただ普通の事を言っただけです」
猟犬様との会話に大分慣れた同志達が手伝ってくれ、屋敷一階の一室にマネジを運び込む。ローブやブーツなどを脱がしてベッドに横たえた。
「ベッドの用意をありがとうございます」
「いいえ、私共の仕事ですから。ザコル坊ちゃまは気兼ねなくお命じくださって結構なんですよ」
使用人マダムの一人がザコルからの労いにスッと頭を下げる。
「坊っちゃま、そろそろ髪が伸び始めたのでは…」
「ミカが切ってくれる事になっていますので!」
シャーッと風呂を嫌がる猫のように毛を逆立て、私の後ろに回るザコル。
「ほほ、相変わらずでございますねえ。ミカ様、もし散髪なさるなら道具などをお貸ししますからお申し付けくださいませ」
「ふふ。ありがとうございます」
使用人マダムは別室に飲み物を用意しますからと告げて退室していった。
「もしや、私め共の分まで飲み物を用意くださるのでしょうか…」
「そうだと思いますよ。せっかくですから皆さん、猟犬様ともっと交流なさっては?」
同志達が顔を見合わせて拳を握る。嬉しそうだ。皆よくぞここまで打ち解けてくれたものだ。
「ミカ、魔法を使わないといけませんよ。どうしますか」
「ああ、そうですねえ…。皆の飲み物でも温めましょうか?」
例えば風呂を沸かすとなれば使用人達の仕事を増やしてしまう。どのみちいきなりは無理だ。そうなればせいぜい飲み食いするものに魔法をかけるしか…。
「俺が! 林檎を剥きます!」
しばらく黙っていたエビーが急に敬礼をし、叫ぶようにそう言った。
「そうですか。では傷物の林檎があるか訊いてきなさい」
「はっ!!」
背を反らせて返事をし、駆け足で部屋を出ていくエビー。
「はて、エビー殿はどうなさったのだ」
「あの陽キャ特有の軽さが失われておりますぞ」
どよどよする同志達。
「エビーは今罰を受けているんです。自ら言った言葉の責任を取っている所ですよ」
フン、と腕を組んだザコルが鼻を鳴らす。
「罰…。果たしてこれが罰などと言えるでしょうか? ザコル殿に命令を下していただける上、明日は特別メニューを組んでいただけるなんて。これではただのご褒美でしか」
タイタが珍しく不満げな様子でぶつぶつ言っている。ザコルが怪訝な顔で振り返った。
「…タイタ、やはり君には被虐趣味が…?」
「い、いえ! た、ただ…あなた様の弟分として思う事があるといいますか、特別扱いをしていただけるエビーが羨ま…っ、も、申し訳ありません! 出過ぎた事を」
タイタが勢いよく頭を下げる。
ふむ。
「ザコル。タイタはもっと構ってほしいと言ってますよ」
「ミ、ミカ殿…!」
タイタがあわあわと両手を彷徨わせる。
「……なるほど? ……構う…」
未だよく解っていなさそうな表情を浮かべつつ、ザコルはしばらくして顔を上げた。
「では、僕と付き合ってください。タイタ」
「は……」
タイタが両手を浮かせたまま動きを止める。
「そうです。僕には君が必要だ」
ザコルは宙に浮いたタイタの手に自分の手を重ね、手のひらをするりと撫でた。タイタがビクッとする。
「我ながらいい案です。明日エビーに特別メニューを課している間、僕と剣を合わせるのに付き合ってください。今日の事で鍛錬不足を痛感しましたから、今一度、長剣を使った技や型などをおさらいしておきたいんです。この剣ダコの示す通り、基本に忠実な君の剣筋は実に美しく模範的だ。ぜひ参考に……タイタ?」
ザコルが下から顔を覗き込む。そっか、タイタの身長だといつでもザコルの上目遣いが拝めるんだ、いいな…。
ドーシャが完全に停止したタイタを指でつつき、反応が無いとみて首を振った。
「……つくづく罪なお方だ」
「またも再起不能者が」
「運営側が二人も撃沈してしまいましたな」
合掌。
「い、今のも僕のせいですか!?」
「まあそうですね」
「そうですな」
「その通り」
私も含め、皆してうんうんと頷いたらザコルが絶句してしまった。
セージや他の同志達が協力してタイタをソファに横たえると、リュウがそっとマネジとタイタの手首を取って診察し始めた。
「みゃ、脈は早い…ですが、心音と呼吸に異常は、ないかと。二人とも気を失ってる、だ、だけ、です」
いつものテンパった喋りからすると、幾分か落ち着いた声音で診察結果を教えてくれる。そう言えば、猟犬様と医療に関する事ならまともに会話ができると以前タイタが言っていた。
「さあ、先に行っていましょうか皆さん。タイタが前に本格的に心神喪失した時は確か三時間以上起きませんでしたし…」
私は皆に移動を促す。
「ではマネジ殿の方が先に起きるやもしれませんな。置き手紙を残しましょう」
そう言うと、セージが懐からメモ帳を取り出してサラサラと書き付け、ビリッと破きマネジの枕元に置いた。
思わぬ形で開かれた同志とザコルの親睦会は、大いに盛り上がった。過去の任務の話やカリューでの出来事など、ザコルも次々飛んでくる質問に丁寧に答えている。
私はというと、エビーが高速で剥き続ける林檎をカットして芯を取り除くなどし、ある程度溜まったらどんどんジャムにしていた。皆にシャーベットとして振る舞ったり、借りた瓶を煮沸して詰めたりして、一時間もする頃には瓜のようなサイズの大瓶十本以上が満タンになった。
トントン、控えめなノックの後に入ってきたのは、使用人に先導されたマネジだった。
「……申し訳ありません! 一度ならず二度までも御前で醜態を…!!」
マネジは部屋に入るなり土下座を始めた。さっきは気にしなかったが、これはいわゆるジャパニーズ土下座スタイルだ。まさか彼も祖先や育った環境に日本人が関係しているのだろうか。同じ辺境エリアの人だし、ありえない事ではないがそれにしても偶然が重なりすぎではないだろうか。
「謝罪はいいです、マネジ。どうやら僕の言葉選びが悪かったようですので。顔を上げてくれませんか」
「そ、そそそそのような慈悲を…! と、徳が高過ぎる…!!」
マネジは感動したようにまた祈りのポーズをした。
「徳…? いえ、単に僕が君達同志の生態に慣れてきただけの事です」
ザコルは淡々と言って手を伸ばす。
「マネジさん、私も自己紹介よろしいですか?」
躊躇いつつザコルの手を取り立ち上がったものの、自分の手を見つめたまま固まりかけたマネジに声をかける。
「はっ、また持っていかれそうに…! こ、ここ、こちらこそご挨拶が遅れまして…」
「いえいえ、着くなり何度も心神喪失させられて大変でしたね。私はミカ・ホッタ。異世界の日本という国から来たお気楽な渡り人です。ザコル様に一目惚れして以来ずっと付きまとっております」
ぶっふ…! げふっ、げふんげふん、と吹き出したらしいエビーが咳払いで誤魔化している。
「何ですか、ミカのその自己紹介は」
「大体合ってると思いますけど」
ははは、と他の同志達は微笑ましいものでも見たかのように笑っている。
「ミカの冗談は間に受けないでください、マネジ。そもそも僕が主にミカの世話や調査を命じられたのですから」
マネジはザコルと私の顔を交互に見比べ、さらに背後にいた同志達の穏やかな顔を見て気を落ち着けるように息をついた。そして顔を上げる。
「と、取り乱しまして、申し訳ありません。改めまして、僕は、深緑の猟犬ファンの集い、北の辺境エリア統括者としての任を会長オリヴァー様より賜っております、マネジでございます。この度は川の氾濫によって貴領が多くの被害に見舞われました事、隣領の者として深く胸を傷めております。ザコル様とミカ様のご無事をお喜び申し上げますとともに、一日も早い貴領の復興とお二方の本願成就のため、微力ながらお手伝いさせていただきたく、ここに馳せ参じました。どうぞお見知り置きを」
そう言うとマネジは深く跪礼した。
「堅いですね」
「えっ!?」
「自分が貴族にでも成った気分です」
「いや、坊ちゃんは紛れもなく貴族でしょうよ…」
エビーが堪え切れずに突っ込んだ。
「お、お気に障りましたでしょうか」
「いえ、そんな事はありません。丁寧にありがとうございますマネジ。最近自分が貴族出身だという事を忘れかけていまして…。君も商人、いや、もしや何かの職人ですか。その様子では貴族の相手もするんでしょう」
ザコルは再び手を伸ばしてマネジを立たせた。
「は、はい。我が家は鍛治を営む工房でして、いくつかの貴族家からも贔屓にしていただいております」
確かにマネジは腰が低いし、挨拶も仰々しい。推しだからという以前に、貴族に対して畏れがあったと思えば納得だ。貴族にも色々いるんだろうが、ザコルのように平民でも平等に接するような貴族はきっと珍しいのだ。
「なるほど。その筋肉のつき方は職業柄でしたか。鍛錬をしているとしても、その腕や胸周りに偏る筋肉には説明がつかないと思っていたんです。工房の名を聞いても?」
「ムツ工房と申します」
「ムツ工房! 君はあのムツ工房の人間だったんですね。親方のミツジには僕もお世話になっています。まさか同志の一員が職人としてあそこにいたとは。工房があるのはマーライでしょう。君はチッカにいたと聞きましたが」
マーライとは、ジーク領の中でもモナ領寄りにある工芸が盛んな都市だ。金属製品や陶芸品が有名だと書物で読んだ。
「い、今は繁忙期ではありませんし、親方…いえ父も、あなた様を応援するためならぜひ行ってこいと送り出してくれましたので。僕はチッカにて、数人の同志と共に物資の調達に当たっておりました」
「そうか、君はミツジの息子だったんですね。やはり頭を下げるのは僕の方だ。君の活躍を知れて良かった。ミツジにもお礼をしなければ」
ザコルは先程取ったマネジの手をひっくり返し、手のひらを撫で始めた。
「ありがとう、マネジ。あの良質な武器を生み出すこの手を僕達のために差し出してくれて。この固いタコは鉄を打つ際のものですか。素晴らしい、努力を惜しまない者の手だ。ミツジは紛れもない名工だが、その息子である君の仕事ぶりもぜひ見たいですね」
「ザコル、ザコル。その辺にしてあげてください」
「何ですかミカ。僕は今この手を愛でるのに忙しいんですが」
「マネジさんが泡を…」
「えっ」
「マ、マネジ殿ッ! お気を確かにーッ!!」
膝から崩れ落ちたマネジを同志が数人で支え、部屋にあったソファに横たえて介抱する羽目になったのは言うまでもない。
◇ ◇ ◇
マネジをベッドのあった元の部屋に移し、同志達との親睦会は解散にした。一時間も喋っていたので皆満足そうにして同志村や持ち場に戻っていった。今夜はグッズの打ち合わせを部下も交えて行うようだ。企画がまとまったら一度確認に来ると言っていた。
マネジとタイタが二人眠る部屋で、私達はそれぞれ自分のすべき事をする。
エビーはローテーブルを使って報告書を書き始めた。私も同じテーブルの一画で手紙を書いたり編み物をしたりして過ごしている。ザコルは午前中の怪獣大戦争で使用した武器を床に並べ、手入れをしたり、使えなくなったものを避けたりなどし始めた。
「兄貴、俺、反省中の身ですけど、一言いいすか」
「…何でしょうか」
エビーとザコルが目を合わせずに会話を始める。
「ちょっと距離感おかしくなってません? あんた、初対面の人の手とかさわさわして褒めちぎるようなキャラじゃねえだろ」
「…そうですね、反省しています」
「感情豊かになったのも皆と打ち解けたのも、あんたにしちゃすげー進歩だと思いますけど…。同志相手にゃスキンシップはちょっと早過ぎんじゃないすか?」
「…全くもってその通りです」
「逆に私にはあんまり触らなくなりましたよねー。寂しいなあー」
「…そ、そんな事…いえ、すみません。僕の心の問題なので少し待っ…」
「ふふ、大丈夫ですよ。今日はたくさんお友達ができましたね。私も嬉しいです」
「……ミカは、どこまで計算づくなんですか」
「嫌ですねえ、計算なんて何もしてませんよ」
「嘘だ」
「嘘すね」
「嘘じゃありませんよう」
はあ、とザコルに溜め息をつかれる。
「…食えない女だ」
「またまたー。コマさんみたいな事言ってー」
例えば、子供達と打ち解ければいずれ親世代とも仲良くなれるだろうと考えなかった訳ではない。が、交流が実現したのはたまたまだ。大体、ザコルがあそこまで子供の面倒を見られるとは私も思っていなかった。
後はちょこちょこ、ザコルがいかに甲斐甲斐しく面白い人かを地道に布教し続けていたくらいか。
しかし結局の所、領への貢献を大々的に話したのはイーリアだし、ザコル自身の変化によるものが一番大きいだろう。
「いつから僕は、自分が外堀を埋める側だと錯覚していた…?」
エビーが後ろにいたザコルを振り返り、肩をポンと叩く。
モヤ…。心の奥底で澱みが広がる。
「外堀? 何言ってるんですか。こっちはせいぜい、ザコルが度を越した変態だって思われないよう、頑張ってフォローしてきたくらいですよ。ねえ、エビー」
「へへっ、フォローねえ。ほんとタチ悪いんだからよ、姐さんは」
「でももう、そんな必要もなさそうですね。今なら少しくらい調子に乗っても皆ザコルの味方ですよ。ほら、補給でもします?」
私が視線だけ投げると、ザコルがゆら、と立ち上がった。
「…くそ、どうせ僕が何もできないと思っているんだろう…!!」
「きゃー、ちょっと待って! 編み目が飛んじゃうからー!」
「……また乗せられてんじゃねえか…」
私は編みかけの靴下をローテーブルにサッと置いて、こっちに伸びてきた手を逆に捕まえる。ビクッと強張る感触がした。
私はその手を掴んだまま立ち上がる。ザコルが後ずさろうとするのでサッと寄る。
「マネジさんにもタイタにも熱烈な告白してましたねえ…」
「そんなつもりは…」
「気持ちを受け取ってくださいだの、付き合ってくださいだの、素晴らしい手だの。私には変とか変とか変とかばっかりなのに」
「そればかりでは…!」
私がさらに寄ろうとすると後ろに下がるので、徐々に壁に近づいていく。
「へえ、変以外に何か言ってましたっけ?」
「え、ええと、そうだ、生真面目さや、根性を、尊敬、しているとか」
とん、ザコルが壁に背をつける。
「そうですね、尊敬。言ってもらえてとっても嬉しかったです。…確か、中田にも第一王子殿下にも言ってましたよねえ」
「…っ!?」
威圧。
意識して使うのは二度目だが、上手にできたようだ。ザコルにはきちんと伝わっているようだし。
「それで、外堀でしたかね」
「ち、違っ、ただ、僕が自分の希望を無理に通してしまったのではと気にしていただけで…」
「そうですか。奇遇ですね。私もずっとそうです。私のために色々してくれているのでしょうから、だからせめて、あなたが責められないようにしないと、と思って…」
私はただでさえこの世界に喚ばれて来たばかりで、自立もままならない、そして見た目だけは無駄に幼く、頼りなげな女だ。
旅の途中でも何度かザコルが人攫いを疑われたように、私達の事を何も知らない人は勝手に私だけを『可哀想』にしてしまう。
だから、私は……
「…私って本当に自分勝手ですよね、二人の言う通り、タチが悪いです。意地悪はやめましょう」
手を離して一歩引く。
「え」
「あ…っ、ミカさん、すいません、もしかして嫌な言い方に聴こえたかもしれませんけど、俺らそんなつもりじゃ」
エビーが立ち上がって話に割り込もうとするが返事はしない。
「ザコル。心の問題とやらが解決するまで、エスコートも世話も要りません」
「は? そ、そんな訳にいく…」
「護衛だけに集中してください。別に転んだりしませんしね。大丈夫ですよ」
「ぼ、僕は大丈夫じゃない…!!」
「無理しなくていいと言っています」
にこ、笑ったつもりだった。
「…だっ、駄目だ! 駄目だ駄目だ駄目だ!! そんな顔をするな、何を勘違いしている!?」
「勘違い? そんなのはしていません。ザコルの気持ちは解っていますよ。それに信じています」
「僕の何を解ったつもりなんだ! 僕はただ単純に…っ」
「単純に?」
「た、単純に…っ、ああもう…どうして…!」
ザコルが頭を抱えて蹲ってしまった。
そんなに追い詰められた感じを出されると、やはり私ばかりが悪いような気がしてくる。
「…ザコル? ねえ、私、本当に勘違いなんて」
肩に手を伸ばしかけ、触っていいものかと思い直して引っ込める。
やっぱり、私の存在が彼を…。
扉が視界に入る。
隣の部屋は確か空いていたはず。彼の耳なら、私の衣擦れの音だけでも生存確認くらいできるだろう。
「……追い詰めてしまってごめんなさい」
私は蹲る彼からスッと距離を取った。
「ミカさん?」
ザコルが顔を上げる前に、素早く扉を開けて廊下に出る。
ミカ! ミカさん! と叫ぶ声が聞こえ、ザコルとエビーが扉に駆け寄る気配がした。
私はそれに構わず急いで隣の部屋の扉を開けて中に入る。
内鍵を回し、扉にもたれてズルッとその場に座り込んだ。
「はあ、しょうもな…」
しょうもないのは自分だ。ザコルが引いていたのは分かっていたはず。こんな子供じみた逃避なんかして何の意味があるだろう。
ドンドン、扉を叩かれる。
「ミカ、鍵を開けてください! 僕が悪かったんです、ちゃんと話を、いえ、そうじゃない! 早く開けてください! そこには」
「…幼稚な事してごめんなさい。少しだけ、一人にしてください。私の心の問題ですから」
「…っ、違う! 鍵を開けないなら扉から離れろ! いいから言う通りに」
ガチャガチャ、ノブが乱暴に動かされる。鍵ごと壊してしまうつもりだろうか。
そんなに離れるのが嫌ならどうして私を拒絶するんだろう。まあ大方、私の計算高さに引いたか、それとももうあの行為を『検証』としてされるのが嫌だったか。…まあ、それはそうか。
私はただ照れ隠しで『検証』を言い訳にしたつもりだったけれど、彼からすればしつこく『実験台』になれと迫られているのと同じだ。魔力を蓄える事自体に怖気付く彼じゃない事くらい解っている。でも、恋人の立場として考えたらやっぱり複雑に感じたかもしれない。
変で、タチの悪い、食えない女。面倒で、重たくて、しつこくて、可愛いだけのキスもできない、厄介な女。
ひとしきり自分を罵り、私は立ち上がった。
自分の欠点も難点も最初から解っている事だ。こんな所でいじけていてはこの立派なドアがスクラップになってしまう。
ザコルはそんな変な女を受け入れると言ってくれたのだし、私を大事に思っている事を信じてほしいと言っていたのだから、私としては彼の心の準備とやらが整うのを信じて待つしかないだろう。それでもし彼の中である結論に達してしまったとしても、それはもう仕方のない事だ。仕方のない事をどうこう言う気はない。
それが彼の幸せのためならば、私は…。
その瞬間、首筋に何かがチクっと刺さったような感覚があってバッと横を見る。
「あれ、何で…」
私の意識はそこで途絶えた。
つづく




