柔らかい穴
カラン、カラン。タイムアップを告げる鐘の音だ。
「はあーっ、やった、逃げ切った……!!」
私は思わず雪の上に身を投げ出した。
その横に、ずしゃあ、とスライディングしてきたのはエビーだ。
「くそおおお……!! あと一歩だったってのに!!」
わっ、観客から声が上がる。しっかりしやがれエビー! と野次も上がる。どうやら賭け事の対象にされていたらしい。
『きゃあああミカ様カッコいいですううう!!』
ララと同志村女子と若いメイド達からの黄色い声援にはひらひらと手を振ってみせる。いつの世、どこの世でも女子からの応援は心の糧である。
「ミカさますごい! ほんとーに、だれにもつかまりませんでした!」
「せーじょさまヤッベー!!」
「それでこそ我らが公式聖女様ですぞぉぉ!!」
「強い、強すぎますミカ様……!!」
既に敗者となったチームメンバーからも祝福の拍手をもらった。料理長はなぜか号泣している。
「見事でした、ミカ。まさか初手で僕と穴熊達の下に『新雪』を再現するとは思いませんでしたよ」
「ザコル……」
私は、スタート地点から一歩も動けずに終わった最終兵器とドワーフ二人の方を見やった。
「出れなぃ」
「そろそろ、しぬ」
ぐふぉっ、ぐふぉっ。
代表で参加していた二人の穴熊を他の穴熊達が笑っている。
「ずるくてすみません。ちょっと体力が限界だったので、先に押さえさせてもらいました」
「手段を選ばないところに非常に好感が持てます」
「ふふっ。ザコルなら褒めてくれると思いましたよ」
うちの師匠は合理を愛する人なのだ。
「全く、首まで雪にハマったまま瞳輝かせてんなよ、ザコル様は」
「はは、猟犬様らしいですね!」
「俺らが言うのもなんだがマジで脳筋だよな」
「おら、みんなで引き抜くぞー」
そーれ。かんじき風の履き物を足につけた町民や同志村男性スタッフ達が集まり、柔らかくなった雪からザコルと穴熊達を救出し始めた。みんなどこか楽しそうに笑っている。私も身を起こして服についた雪を払った。
「おい姐さんよう、俺と少年少女だけ『新雪』に落とさなかったんはどういう了見だコラ」
「そうです! 僕達相手ならお疲れでも余裕だと!?」
「せっかく手加減いただいたのに好機を逃しまして申し訳ございません神よ……!」
舐めてんのかと憤るエビーとペータに、なぜか土下座するメリーだ。
「いや、別に舐めてたとか手加減したとかじゃないよ。新雪の再現って初めてやったんだけど意外に難しくてね、全員分はとても作れなかっただけ」
「ホントかよ」
「ホントだって」
実際、一瞬での『新雪再現』はかなり集中力の要る作業だった。まず対象の足元の雪を一定の深さまで溶かし、それに空気を含ませながら再凍結、という二つの作業をゼロコンマイチ秒くらいで行うのだ。目で見えない場所を正確に想像する必要もあり、とてもではないが広範囲への展開はできなかった。
なので仕方なく、あくまでも優先順位として、まずはスノーモービルもかくやという機動力を持った人々の足元を最初に狙っただけのことである。
ちなみに。ぶっつけ本番にも関わらずイメトレのおかげもあって上手くいってしまったが、失敗すれば『みぞれ沼』になったり、中途半端な深さになったりする恐れも多分にあった。
「ちゃんと新雪になってよかったよ。失敗して『深すぎるみぞれ沼』とかになったら大惨事だったからねえ」
『………………』
一度足を突っ込んだ『みぞれ沼』の冷たさを思い出したのか、エビーとペータが微妙な顔で黙った。
「いいないいなー。俺もあの新雪落とし穴、入ってみたーい」
「……おっ、俺もそう思っていたのですサゴシ殿! ご共感いただけるとは!」
「いやー解りますよ、柔らかい穴とかほんとそそりますよね」
最近仲良しの変態と真面目くんが盛り上がっている。いや、ほんと何言ってるんだろうな、あの子達は。話が噛み合っているようで噛み合ってないし。
ミイミイ! キイキイ! きゅうきゅう! くうんくうん!
観客に混じっていた小中型魔獣達が駆けてきて、私の周りを取り囲んだ。
「……ええー。私、本当に体力限界なんだけど」
つんつん。指でつつかれて振り返ると、金髪碧眼の美少年がこちらを見上げていた。相変わらず気配がないのよな……。無意識だろうが。
「ミカさまミカさま、まじゅうのみんな、なんて言ってますか? 僕、みんなのおせわをするようにって、母さまにたのまれたんです!」
えっへん。少年は胸を張った。
昨夜からついに母親と離れて泊まることになったイリヤだが、落ち込んだりはしていないようだ。
「そうなんだ、それは責任重大だねえ、イリヤくん」
「いまは僕が母さまの『みょうだい』ですから、がんばります! それで、みんななにを言ってるんですか?」
「ああ、魔獣達も追いかけっこしたいんだって。でも、私も疲れちゃったからさ、もう少し後にしてくれないかなって」
「あとって、どれくらいあとですか?」
「そうだねえ、三十分くらい休めばまた走れると思う。だからみんな、それまでは穴熊さん達と一緒に鍛錬しててよ。出立の日も近づいてるんだしさ」
そう言うと、魔獣達は仕方ないとばかりに穴熊達の方へと駆けていった。
「ミカさま、ありがとうございます」
「あ、朱雀様の参戦はナシにしてくれるとありがたいな。勝負にならないからさ。世話係名代のイリヤくん、朱雀様への指示の仕方は教わってる?」
「はい! 母さまがね、スザクがかならずわかるコトバをここに書いてくれました」
イリヤはそう言うと、懐から小さな手帳を取り出した。手帳には、朱雀でも理解できそうな簡単かつシンプルな言葉が辞書のように並んでいた。ミリナの字だ。
「わあ、私も見たいなそれ」
「いいですよ! 母さまも、スザクとなかよしの人になら見せてもいいわよって言ってました!」
「ふふ、ありがとう」
私は個人的に、朱雀にはなるべく命令形となる言葉を使わず、なるべく魔力を介して対等な会話したいと思っている。いや、そう思っていたのだが、そんな悠長なことを言っている場合か、みたいな場面に何回も遭遇して思い知った。先人達がどうして『礼』を省いたのかを。
正直、朱雀自身も人間がどういう手段でコンタクトしてくるのかにさほど興味はないようだし、私もあまり固く考えなくていいのかも、とちょっと思い始めている。もちろん余裕がある時は丁寧なコミュニケーションを心がけていくつもりだが。
「さあ、休憩がてらゆっくり散歩でもしてこようかな。メリー、メリー?」
シュバ。
「お呼びでしょうか」
「うん、この放牧場の周りをぷらぷらしようと思うからさ。メリー、一緒に来てよ」
「……えっ、私一人でございますか。ザコル様や、他の護衛様方は」
「男性陣はこれから猟犬ブートキャンプでしょ。同志達もアップ始めちゃってるし」
深緑の猟犬ファンの集いは、久しぶりにザコルの鬼畜人外指導を受けられるとあって目がキラキラしている。それ以外からも俺も俺もと参加希望者が集まりつつあった。
私は戸惑う影一人を護衛に連れ、雪踏みの済んだ通用道をさっさと歩きだした。
つづく




