今夜も北へ祈りを捧げよう
「おい『本物』が帰ってきたぞー!」
と、叫びながら食堂に飛び込んできたのは、幼児ガットの父、バットだった。
「おはようございますバットさん。本物ってもしや、本物より本物っぽい本物のことですか」
「ああ、本物のようで本物じゃない、かなり本物っぽい本物だ」
羊っぽい編みぐるみと同じく某ラー油みたいな呼び方されてるな……。
「今、馬上でイチャつきながらこっちに向かってんぜ。やっぱあの人は別格だな、特にザコル様の『邪魔すんな有象無象』の圧の再現度が半端ねえ」
「邪魔すんな有象無象……」
ぶふぉっ、一緒に朝ごはんを食べていた面々が一斉に吹いた。
「バット、僕は常にそんな圧を出しているわけでは」
「無自覚ならなおやべえよ……ん? そちらのキラッキラした金髪の、いかにも高貴そうなお方は誰ですかい。また変な王子でも送り込まれてきたんか」
「変な王子……」
あからさまに警戒をにじませたバットに、高貴なお方はフッ、と不敵に口角を上げてみせた。
「やっぱりか、野郎……」
「あれは王子ではありません。ジーロ兄様ですよ」
「ジーロ、にい、さま……? あの、山と同化してもはや薮か生きモンかも分かんなくなってたジーロ隊長が、よりによってこの煌びやかなお貴族様に変身ってか? はっ、まさか」
バットは鼻で笑った。彼もシータイ配属となる前は騎士としてどこかの隊に所属していたようなので、仙人モードのジーロを見たことがあるのだろう。
信じてもらえなかったザコルは、自分で弁明もせずニヤニヤしている兄をにらんだ。
「兄様。人である以前に生物であるかどうかも疑われていますよ」
「光栄なことだ。俺も大樹のような存在でありたい、そう思ったことがある」
「大樹ではなく薮です」
「弁えなさいバット。こちらはサカシータ子爵オーレン様がご次男、ジーロ様に間違いありませんわ」
見かねた町長マージが目をすがめる。バットはマージの睨みにビビったのか、あの金髪キラキラの貴公子は本当にジーロらしい、とすんなり納得した。ザコルの方は納得いかなさそうな顔をしている。かわ……。
「ジーロ様、申し訳ありやせん。また別の勘違い王子が乗り込んできたってんなら、キッチリ脅しつけとかなきゃなんねえと思いまして」
「ははは、シータイの人間は畏れも遠慮もなくていっそ清々しいな」
ジーロは大らかに笑う。
「バット、高貴な方々を侮るのはおやめなさい。我が町にいらっしゃる貴人が特別寛大なお心をお持ちなだけで、本来ならば首を飛ばされてもおかしくないのよ」
「そーいう町長様だって、王子を犬扱いしてたじゃねえですか」
「まあ。王族どころか成人としての心得さえ持ち合わせぬものを、どうして人扱いしなければならないの」
しれっと小首をかしげるマージに、バットがジト目になり、ジーロはますます笑った。
「ふふ、サモンくんは元気にやってますかねえ」
「あれがしょげる所など想像がつきませんが、心配にはなりますね」
「この間、サモン殿から文が届いたって喜んでたじゃねーすか兄貴」
「ええ。それがまた、非常に心配になる内容で」
「ザコル殿、差し支えなければお見せいただけませんか」
「構いませんよ。内容的には差し支えるようなことは何もありませんので。おそらく誰かが彼について、余計なことを書かせぬようにしたんでしょう」
がさ、とザコルは懐からテイラー家の紋章入り封筒を取り出す。そして中身を開いて向かいに座ったタイタに手渡した。
「拝読させていただきます」
そう言ったタイタの横に自分の椅子を近づけ、エビーもその文面をのぞき込んだ。
『……………………』
そして二人して真顔になった。
親愛なるザコル・サカシータ上
ああ、寂しい、寂しい、寂しい!
あの賑やかな日々を思い出しては胸が張り裂けそうだ。
最近はとみに思う。
魔獣殿に乗ってサカシータ領へ渡ったことは
我が人生で最も輝かしい決断であり、最大の幸運だったと!
様々な苦難もあったが
ザコル殿が分けてくれた煮林檎の温かさを
あなたが説いて聞かせてくれた言葉を
私は生涯忘れず、胸に抱き続けることだろう。
美しく澄んだ、深緑の煌めきを持った君よ。
あなたへの想いを直接ささやけぬこの身が恨めしい。
この血が高貴でなければすぐにでもこの道を引き返すものを。
だが私は、あなたに恥じない王子になると決めたのだ。
今夜も北へ祈りを捧げよう。
愛を込めて。
あなたのサモンより
「僕は、この文に何と返したらいいのでしょうか……」
眉間を揉み出したザコルに、エビーがたまらずブッファと吹き出した。
「ふふっ、あんだけ黒水晶黒水晶言ってたのに、私のこと一言も書いてないのウケるでしょ」
「やめ……っ、っく、くくく……っ。何せ、父上、母上、ザコルサカシータ上、すからねえ。親と同列の存在にはそうそう勝てねえすわ」
「誰だろね、この手紙検閲したの」
「これ、手紙っつうか詩? だろ。余分なこと書いてなきゃいいっつうもんでも」
「まさかサモン殿は『第二夫人』となられるおつもりで……?」
これまた非常に複雑な表情をしたタイタに、私とエビーが再び吹き出しそうになったところで、ぽん、とタイタの肩に手が置かれた。
「好敵手登場、ってところかい。執行人殿」
ふぐふふふぐふふふふ。
独特な笑い声の主は、言わずもがな『別格』のあの人だった。
つづく




