神の名は
「ジーロ、様……!? あの、浮浪者……じゃなかった、山と完全に同化して人であることもお忘れだった、ジーロ様!?」
こんなリアクション芸を見るのも本日何回目だろう。ちなみに、風呂上がりのジーロを前にして顎を外しそうになっているのは料理長である。
「ああ、いかにも俺はジーロだ。お前、騎士団を引退したと思ったらこんなところで飯炊きをしていたのか」
「へえ、第一ではお世話になりやしたジーロ隊長」
「はは、野営で世話になったのはこちらだ。今日も美味い飯を期待しているぞ」
「おまかせを」
どうやら料理長は元第一歩兵隊所属の料理担当騎士だったらしい。
「料理長よ。こいつも随分と男前になったろう。見ろ、この頑強な岩を連想させる頬と顎の張り。全く理想の美男子だ!」
フフーン、とジーロの隣で得意そうにしているのは彼の生みの母親、イーリアである。
「母上は俺が父上に似てきたからそう言うのだろうが」
「違っ」
くすくす、と微笑ましそうにしているのはマージだ。
「それにしても見違えましたわジーロ坊っちゃま。こうしてお顔を拝見したのは久しぶりですが、坊ちゃまは旦那様とイーリア様お二人の面影をお持ちでしたのね。このマージ、思わず胸をときめかせてしまいました」
「そなたもますます美しいなマージ。しかしまだまだ少女のように初々しくもある」
「まあまあ、坊っちゃまったら。お上手ですこと」
一見褒めているように見えるが、数歳上くらいでは熟女好きのジーロの守備範囲には入らないらしいことは判った。
その証拠にといっては何だが、メイド長を始めベテランメイドの面々にまみえた時の瞳の輝きといったらなかった。
マージもそうだが、この屋敷のベテランメイドにはかつて子爵邸で坊っちゃま達の世話を担っていた者がいる。メイド長もその一人だ。
「ジーロ坊っちゃま。髪を梳かすついでにお髭を剃って差し上げますから、こちらへどうぞ」
「おお、アデリ。まさか貴女からそのような魅惑的な誘いをいただけるとはな」
「お髭を剃るだけにございますよ。アデリには夫も子もおりますからね」
メイド長の名がアデリだというのは初めて知った。
「もう子育ては終わったろう、そろそろ俺の懐に飛び込んできてもいいのだぞ」
「はいはい、相変わらず年寄りのメイドがお好きでございますねえ。見た目は整いましたけれど、内面は三歳頃からちっともお変わりないわ」
「そう子供扱いするなアデリ。全く、母子揃ってつれないな。しかしこの団服! デリーがわざわざ俺のためにと直してくれたのだ。他の仕事を放って! いよいよ俺に気持ちが傾いてきたのかもしれん!」
「まあ、母がお直しを? あの歳でまだまだ針仕事ができるだなんて。坊っちゃまのお役に立てて母も喜びましたでしょうねえ」
メイド長の母親が子爵邸に長年勤める老年のメイドであることも初めて知った。確か、ヌマの町長屋敷にいた従僕の一人がシータイのメイド長の甥を名乗っていた。優秀な使用人を輩出する一族なのかもしれない。
「あの、本当にジーロ様ご本人で……?」
「まだ疑っていたのかラーマ」
ははは、とシータイの町長屋敷の廊下に笑い声が満ちる。そのうち「遅れてすんません!!」とうちの護衛騎士がもう一人に伴われながら走ってきた。
「エビー、大丈夫? 頭とか痛くない?」
「大丈夫っす……ご迷惑おかけしてすみません」
「イーリア様がお楽しそうだったからいいよ。個人的に、お酒の接待ができるのも才能だと思ってるからさ」
「ミカさん……でも、タイさんにも迷惑かけちまって」
「介抱のことか? 気にするな、カニタ殿が度々開いていた酒宴の後始末で慣れている。それに、お前が俺の介抱をしてくれた回数の方が多いだろう」
カニタとは、タイタの純粋さにつけ込み陰でイジメを行っていたテイラー騎士である。私を王弟に売ろうとしていた罪で投獄済みだ。そんなカニタはタイタが下戸なのを知っていながら酒の席に座ることを強要し、飲めないことを嘲り、無理矢理飲ませようともし、さらには酔っ払いの介抱までさせていたらしい。
ちなみに。タイタは猟犬殿が尊すぎてしょっちゅう心神喪失しているので、エビーの方が介抱回数が多いというのは事実である。
「タイさん……っ、つかテイラー帰ったらクソカニタ以外のイビリ残党炙り出してヤッとくんで任せてください!」
「エビー、お前がそこまでしなくとも」
「ハコネ兄さんに釘刺しまくったしアメリアにも詳細チクっといたからもう処分されてると思うよ」
「えっ」
「姐さんさすがっす!!」
はは、と大らかに笑うのはジーロだ。
「いい上司に同僚だなあ、エビーよ。護衛としては失態かもしれんが、それはそれとして母が世話になっている。また一緒に飲んでやってくれ」
エビーはぐっと何かを飲み込んだ。
「……っ、ただの酒の飲み過ぎで寝すごした俺にみんな優しすぎるんすけどお……!! 誰か、誰か叱ってっ、兄貴っ、兄貴いいいい」
「うっとうしいですね。君はできた弟分ですよ」
「なんで褒めるんすか嫌がらせすか!?」
「掴みかからないでください」
「はは、エビーもミカ殿やザコル殿に考えが似てきたな」
バシッ。
「痛っ」
「エビーよ、あれしきの酒で寝過ごすとはだらしないぞ!」
「女帝閣下……!! 申し訳ありませんでした!!」
背中を叩いてきたイーリアにガバッと頭を下げるエビー。ちょっと嬉しそうだな……。
「何を偉そうにしている。母上とて今朝は遅かったのだろうが」
「わっ、私は酒以外にもだな」
「さて、髪も冷えてきたし部屋に入らせてもらおう」
「ええ、ええ。イーリア様はあちらでごゆっくり朝食を」
「お前ら最後まで聴け!」
ジーロとメイド長の仕切りで、廊下の会は強制お開きになった。
「何ぞ困っていることはないか異界娘よ」
メイド長に髭を剃らせ、八つ下の弟には髪を手入れさせているジーロが椅子にふんぞり返ったまま訊いてくる。
「ふふっ、今日も王様みたいですねジーロ様。困ったことは今のところ特にないですよ。お気遣いありがとうございます……。あ、ラーマさんが、山の民の皆さんが崇めているっていう像について色々教えてくれたんですよ」
「ほう? 何か気づくことはあったか」
「ええと、山神様とはまた別の神様だそうですね。お祀りすることで、聖域に隠れ住まう人々をあらゆる穢れから護ってくれるご利益があるとか……」
何となく、修験道とか、摩利支天信仰に近いものを感じた。像は石像、また女性神であるらしく、優美な衣装を身にまとった様子が見事に彫刻されているそうだ。山の民は染織を生業の一つにしている。その女性神もきっと布の里らしい意匠なのだろう。
「神の名は」
「それは聞けませんでした」
その神の名は人の身では決して口にしてはならない、という堅い掟があるらしく、酔っ払っていたラーマもそれ以上は言えないと首を横に振った。
「なんだ、貴殿なら聞き出せるかと思ったのだが」
ツルギ山の信仰について研究しているジーロはぜひとも聞き出してほしかったらしい。
「ジーロ様も知らないんですね。でも、口にしてはならない掟があるって言うんじゃとても吐かせられませんよ。もし可能なら実物を近くで拝見させていただきたいですが、そっちも無理強いはしないつもりです」
「なぜだ。せっかくなら貴殿が売りに売った多大なる恩を盾に交渉すればいいものを。俺も近くで見たいぞ」
「そんな多大なる量の恩を売った覚えはないです。あと、地元の方の言葉を無視して山中で祀られたものに手を出すと何かが起きる、というのは定石ですので……」
いにしえの何かが動き出したり、封じられし厄災的なものが解き放たれたり。何せろくな事は起きないのが物語のセオリーだ。
「さあ、できましたよジーロ兄様」
「うむ」
ゆるくウェーブした金髪が編まれ、ジーロの肩に一つのおさげが乗る。剃り終えた顎を手拭いで拭かれると、ジーロ王は立ち上がった。
つづく
間に合いました。




