先客がいるようです
護衛達を風呂に入れ、ついでに私も着替えがてら入浴小屋で湯を浴び、男湯女湯ともに差し湯をたっぷり用意して、冷めないうちに使ってと使用人に伝え、そしていざ執務室へ!と町長屋敷の二階へ上がる。
そして扉の前で立ち止まった。
「……中、騒がしいですね」
「そうですね。先客がいるようです」
扉の向こうから聴こえてくるのは子供の、それも男児の声。それから複数の女性の声もする。
「続きは屋敷でやれって兄貴に言われたからって律儀にやってんすね」
「そうみたいだねえ」
ちゃんとご飯は食べたのかな。空腹だとカッカしやすくなるので心配だ。
「元騎士団長ではなさそうなモリヤも中にいるようですね」
「さっき天井裏からのぞいたんですけどちゃんといましたよ。てか超カオスでしたー」
「カオスですか。はは、この執務室ではよくあることです」
「タイさんがそんな皮肉言うの珍しーすね」
「皮肉? 事実を言ったまでだぞ」
タイタの言う通り、この執務室がしょっちゅうカオスに陥っているのはただの事実だ。というか私達が関わるせいでしょっちゅうカオスに陥らせている気がする。
トントン。お取り込み中だったら申し訳ないなと思いつつ、扉を軽くノックする。かちゃ、とそっと扉を開けたのはこの部屋の主で、町長マージ本人だった。
「あっ、せーじょさまたちだ! おかえりなさい!」
食べかけの何かを持ったままこちらを向いたのはソファに座ったゴーシだ。明るい声にホッとする。
「ああ坊ちゃん、膝にこぼしてますよ」
「あ、すみません、じぶんでやりますっ」
「いい、いい。座っていてください」
ゴーシがこぼしたくずを甲斐甲斐しく拾ってやっているのはこの町の守衛であった。
守衛は「そうだ」と何かに気づいたように懐に手を入れた。ほんの一瞬、ザコル以外の護衛が緊張を走らせる。そんな若者達の反応をよそに、老年の守衛は油紙に包まれたものを大事そうに取り出した。
「この携帯食も味見してみますか。モリヤのお気に入りなんですよ」
「わ、ベリーが入ってる! おれ、ベリーだいすきです!」
「蜂蜜と、ナッツも使ってますからね。喉につかえないように気をつけてくださいよ」
「いただきまーす!」
にこにこにこにこ。
守衛と、ついでに町長マージが完全に孫や曾孫を見る顔になっている……。
そんな光景に、私の隣に立ったザコルは僅かに眉を下げた。
「僕にもよく菓子をくれましたね、『守衛のモリヤ』」
「はは……ザコル坊ちゃんにはついにバレちまいましたね」
モリヤは苦笑しながら後頭を掻いた。ゴーシは不思議そうな顔でモリヤとザコルの顔を交互に見る。
「あなたは」
「私は『モリヤ』ですよ、坊ちゃん。それ以外の名は忘れちまいました。人生のほとんどを兄の影として生きてきたせいでしょうなあ……」
守衛のモリヤは、そう言って目を伏せる。その様子を見て、ザコルは小さく頷いた。
「分かりました。では、これからもモリヤと呼びましょう。モリヤ、『元騎士団長のモリヤ』は今どこに?」
「兄もこの町におりますよ。あなた様と手合わせしたのは兄ですから」
「そうですか。以前、ミカ本人が囮になって曲者を掃討した時に助太刀してくれたのも『元騎士団長』の方なんでしょうね。それ以来、門の近くで会うのは『元騎士団長』の方が多かったと思います。しかし、僕達が最初にサカシータ入りした時、関所で僕達を迎えたのはあなたですね」
目の前のモリヤは少し驚いたように目を見開いた。
「ええ、ええ。その通りです! よくお分かりで! たとえ事情を知っていても、私どもを完璧に見分けられる者は少ないってのに」
「あの時は食糧の差し入れをありがとうございました。何となくですが、僕に食べ物をくれるモリヤは大体ここにいるモリヤな気がするんですよね……」
「ははっ、それも正解です! あの兄は頑固でね、主の大事なご子息に己の懐で温めたものなんざやれるかと言って譲らんのですよ。ああ、なんてもったいない。オーレン様のお子はどなたもおかわいらしくて、菓子をやればみんな喜んで食べてくれたってのに!」
「そうですね、我が家はまともな菓子が出てくる家ではなかったので……。あなたのくれる菓子は貴重でした」
「そいつはよかった、兄の目を盗んで手に入れちゃあ、コソコソお渡ししていた甲斐があったってもんです」
「……ふはっ、モリヤも、なかなかのイタズラ好きだったのですね」
ザコルの笑顔に守衛のモリヤ、いや、『影のモリヤ』は目を細める。ザコルは、幼い時から表情に乏しい子だったらしい。その子が表情豊かになったと喜んでいたのはきっと、兄弟共通なのだろう。
「私としてはかわいがっているだけのつもりだったんですが、兄には呆れられておりましたよ。ザコル坊ちゃんみたいにお優しい兄様ではないので」
「僕は流されていただけです。弟を、いえ。僕らのどちらかを王都にやれと進言したのはどちらですか?」
「そりゃ、私ら兄弟の総意ってやつです。こればっかりは進言申し上げなきゃならんと、珍しく意見が一致したんですよ。どっちかの害になるような関係を放っておいちゃ、どっちのためにもならんと思いましてね……」
ゴーシがかたわらに座った守衛を見上げる。守衛もそんな少年の顔をしみじみと見る。守衛には、少年があの日の双子と重なって見えているのだろう。
「シータイで産まれてくれたなら、毎日でも菓子をやったのになあ……」
「おれ、かーちゃんのメシしかくわねーって、決めてたんです。でも、かーちゃんがもらえるもんはもらっとけ、って言うんだ」
「そりゃありがたい。やりたくてたまんねえ奴にも慈悲をくださるたあ、さすがは主の娘になるお方、器が違う。なあ、お前達」
守衛は部屋に控えた女性達に目をやった。
「……私達、ザハリ様とララの仲を応援したこと。それだけは後悔しない、したくなかったんです」
「正しい選択をしたと信じたかったの」
「嫌がってたのに押し付けてごめんなさい、ゴーシちゃん」
「もういーよ。おれ、言いたいこと言ったもん。ていうか、ぜんぶ、あのバカ父がおかしーんだ」
もぐもぐ。ゴーシはモリヤにもらった携帯食を頬張りながらしゃべる。
「あいつ、この町にいるんだろ。でも、せーじょさまが『いきじごく』やってくれてるっていうからさ、ジャマはしねーよ。つか、アイツのことはもうどーでもいいんだ」
もぐもぐ。
「おれのこともいい。おれはかーちゃんがうんでくれて、ラッキーだったから」
「違うわよゴーシ。あんたを授かってラッキーだったのは、私よ」
口を挟んだのは、それまで黙って座っていたララだった。
つづく




