だからどうか、支えてね
ちらちら、空から細かな雪が降ってくる。
肌に触れたら結晶の形を見る間もなく溶けてしまうであろう、そんな儚い儚い雪。粉雪だ。
「雪の舞はもうしないんですか、ミカ」
「そうですねえ……」
もう、雪を見るたびに何も考えずはしゃいでいたのは過去の私だ。綺麗だなと思うより早く、大降りにならないかという懸念が先に頭をかすめる。
圧倒的な質量ですべてを飲み込む雪を前に、人間が勝てる方法などいくらもない。いくら不死身じみたチートを持っていても同じだ。愛しの最終兵器様だって、新雪に溺れたら文字通り息の根を止められてしまう。
私も、私ひとりくらいなら魔法で氷で足場を作って沈み込まないようにするとか、頭上に雪があれば溶かして空気の通り道を確保するくらいはできるだろう。
だがもしも目の前で大雪崩が起きて、大量の人が埋もれることになったら? 全員を救い切るだけの魔力がこの身に残っていなかったら?
見渡す限り白く、ぶ厚く大地を覆う雪。化け物とも呼ばれかねない力にも限界はある。
「私の無知で、ザコルとエビーを危ない目に合わせてしまいましたから」
「は? まだそんなん気にしてたんすか、雪に溺れかけたのは俺らのウッカリってヤツすよ。つか新雪のヤバさとか知らんかった俺はともかく『雪国』出身の兄貴はどんだけウッカリなんすかねえ」
からかうエビーに、ザコルは素直にうなずいた。
「ええ、我ながら冷静を欠いたなと思います。ただ、ミカならいずれ雪くらい支配下に置けそうですよね」
「支配下て。できませんよこんな量の積雪じゃ。みんなを守りきれないもん」
「てことは、単独なら全然ヨユーでサバイバルできる自信あるってことすか。やっぱ水温の魔法士てチートっすね」
「いやいやいや、単独って、私一人で助かったって意味ないでしょ」
やはり大自然には勝てない。
雪を制することもできないが、例えば水のない砂漠だったら詰んだも同然だ。できるとしたら、空気中の水蒸気を集めて飲み水を作るくらいだろうか。ダイヤモンドダストと原理が近いので気をつけないとすぐに魔力を使い果たしそうだ。とてもではないが複数人の飲み水確保まではいかないだろう。
「……姐さん、一人になってもちゃんと助かってくださいよ」
「なんで?」
「なんでって、そんな………」
「一人になるくらいなら、魔力使い切ってでもこの世界の誰かを生かして死ぬよ。その方がエコでしょ」
……………………。
急に訪れた沈黙に、会話していたはずのエビーを見上げる。彼は、さっきリュウを心配して外に出ていた看護師と同じ、絶望を絵に描いたような顔をして私を見ていた。
「姐さん、まだそんなこと」
「ミカ」
咎めるような、低い声。
「? ザコルは何怒ってるんですか?」
「怒ってなんかいません」
「怒ってますよ。 私、何か変なこと言いましたか?」
きゅ、ザコルは何かを堪えるように唇を引き結んだ。そして私に小さく頭を下げた。
「……ごめん、なさい」
「どうして謝るんですか」
「僕は、あなたの『くびき』でなければならないのに」
くびき。
「くびきって、よく私を指して使われる言葉ですよね。ザコルのくびきに、って」
「それはそう、ですね。僕は何も進歩していなくて、今も足踏みしている。それでも、ミカというくびきがなくなったら発狂して何をするか分かりません」
「それは私も一緒です。でも私達本当に色々ありましたから、ザコルが私のこと大事に思ってくれているのもよく解っています。だから私、我が儘言わずにちゃんと待てますよ」
「ミカ……」
「と、いうわけなので。お人形と寝るくらいは許してほしいです」
「人形」
ひく、彼は顔を引きつらせたのち、はああ、と深く息を吐いた。
「人形、か……。そんなことを言わせて本当にすみません……」
「ふふっ。最近まで忘れてたんですけど、心細いとか、寂しいとか、そういう感情って自覚するとつらいものなんですね。死にたくなるくらい」
「死ぬだとか言わないでください。以前のように苛烈なことを言って脅された方がマシだ」
「えっ、いいんですか脅しても」
「……勘弁してください」
これまで、散々ザコルには我が儘をぶつけさせてもらってきた。自分が男女のことにまだ疎いことも自覚している。立場的に、それを軽々しく望んで困るのは、自分より彼だということも。
だから嫌味の一つで我慢くらい引き受けてあげる。そう思って、我ながら傲慢だなと失笑する。
「はあ、姐さんは寂しがりすねえ。寂しくて死にたいとかウサギかよ」
「私に優しくして寂しがりにしたのは君達でしょ。責任取ってよね。一人にしたら何するか分かんないよ? ふふっ」
きっともう、日本に還されたとしても、一人きりで会社とアパートを往復するだけの生活には戻れない。帰る実家も、帰りを待つ家族もなく、ただ会えない……いや、会わせてもらえない祖母の幸せだけを祈ってATMに紙切れを突っ込んでいた、あの生活には。
今もしも祖母が元気だったなら、訊きたいことは山ほどある。祖母や母と折り合いの悪かった叔母だって、私が知らない重要なことを知っていたかもしれない。物心つく前に蒸発した父親のことも探し出して『調理』してやればよかった。
どうしてもっと、記憶から消えた母のことを貪欲に訊かなかったんだろう、調べなかったんだろう。
……分かっている。祖母が頑なに教えてくれなかったなんて言い訳だ。自分の傷を広げる勇気がなかっただけ。その気になれば、業者を雇ってでも調べることはできたはずなのだから。
近いうちに向き合わないといけないことを考えると心が重い。頼れるような身内なんかいない。でも、家族のように手を差し伸べてくれる人は確かにいる。
「……だからどうか、支えてね」
ポツリと呟いたつもりだったが、ザコルとエビーが私の手を左右から同時に取った。
「それはもちろんです!」
「あたりめーだろ、頼まれなくたって支えてやりますよ」
図々しくも願った私に、ザコルもエビーも真剣にうなずいてくれた。
ふと見ると門が目の前まで迫っていた。
門番の衛士の若い子がこちらに気づいて驚いたように隣の衛士に声をかける。二人のうち片方はどこかへ走った。モリヤか、他の先輩衛士などを呼びに行ったのだろう。
何の先触れもなくやってきた私達に、残った衛士は一礼した。私は代表として彼に話しかける。
「やあやあ、モリヤさんに会いにきたよ」
「そうでございましたか。ただ今呼びに行かせておりますが、町の周りを巡回中のはずですので、少々お時間が」
「ありがとう。ここで待たせてもらおうか」
そう言ってお偉いさんのごとく鷹揚に手を振ってみせると、衛士の彼は笑った。
ぎし、と車輪の音がして門の外に目をやると、何度も見たことのある荷馬車がそこにいた。
荷馬車の陰から何人かが出てきてひざまずき、揃いの紫ローブが風にはためく。
……なんというかデジャヴで、しかも嫌な予感が。
「お迎えに上がりました。我らが聖女よ」
「…………へっ」
紫ローブからかけられた予想しなかった言葉に、私は間抜けな声を出すしかできなかった。
つづく




