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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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招かれざる客③ 黙らっしゃい坊や

 最初に作った氷の牢の一部を溶かして出入り口を作ると、寒さに震える王子と側近二人がトボトボと出てきた。


「殿下、申し上げます。このイアン・サカシータが王子暗殺を目論んでいた事が判明いたしましたので、ここに捕縛いたしました」


 ザコルが縄でぐるぐる巻きにして猿轡を噛ませたずぶ濡れのイアンを指して言う。安定の棒読みだ。

 ちなみにイアンを捕らえていた氷山はザコルが手刀で叩き割り、あっという間に中身を拘束した。


 屋敷の庭に真っ二つの巨大な氷塊が庭に転がっている。

 入浴用のテントを潰さなくてよかったが、ドングリ投げ用の樽は下敷きになってしまった。新しい樽と的を用意してやらないと子供達が悲しむだろう。


「なっ、そ、そんなバカな、というかあの氷の塊は何だ…!? さっきお前が飛んでぶつかって、物凄い音がしたような…」


 スリガラス状の氷の牢からでは状況がよく分からなかったのだろう、改めて現場の異常さに王子が引いている。


「はい。あれは僕が割りました。それで、ミカとあの魔獣ミリューは、ええと、殿下方を守るため、いち早く氷の防壁の中に避難させたようです。危ない所でした」

 そうでーす。私もにっこり一礼しておく。

「そう、か。お前達、よ、よく…やった…?」


 状況が全く読み込めていない王子が疑問符を浮かべながらも私達を労う。単純というか素直だ。


 ミリューの側にはコマがつき、少し離れたところで見守ってくれている。

 このトンチキ王子に関しては私達が相手するから手出ししなくていいよ、と話したらきちんと解ってくれた。王子の五万倍くらい話が解る。


「王子殿下、わたくしはこの町の町長ですわ。お寒かったでしょう、肩にお掛けくださいませ」


 マージが大きめのブランケットを三枚持ってきて王子達に手渡す。

 にっこりと微笑んだマージお姉様に見惚れる王子。


「…フッ、こんな田舎にも身の振り方をよく弁えた者はいるらしいな。そなたもこの高貴なる私の慈悲に預かりたいか? しかし気高き私の愛はそうそう軽いものでは」

「まあ。困った坊やですこと」

「坊や!?」


 王子は確か十九歳のお坊ちゃんなので、マージから見れば子供も同然だろう。何なら私から見ても坊やだ。


「殿下、少しお話よろしいでしょうか」

「何かな、ミカ」

 腹立たしいニヤケ顔だ。

「申し訳ありませんが呼び捨ては控えていただけますか。私、ザコル様とお付き合いさせていただいておりますので」


 配偶者、婚約者、それに準ずる相手のいる人間を、家族以外の異性が軽々しく呼び捨てしてはなりません。令嬢マナーブック基礎編より。


「な、なな何だと!? あの暗部出身の粗忽者と渡り人で聖女と称えられるあなたが!? 何故だ!? よもや力で脅されているのか!? おぞましい、私が王族としての権力を使って必ずやあなたを救い出し」

「黙らっしゃい坊や」

「坊や!?」


 坊やと言ったら坊やだ。


「いいでしょうか。殿下は少しご自分の置かれた状況をお考えください。領民の皆さん、とりわけシータイやカリューの方々は、水害の大変な時期を一緒に乗り越えたよしみで、ありがたい事にテイラーから来た私達を大ッ変、大事にしてくださっているんですよ」


「? それがどうした」

 はてな、という顔をされる。


「ええと…先日発行されて話題になった新聞はお読みになってますよね?」

「フフン、新聞だと。そんな俗物、他ならぬ私が手にするものか。どうせ私への妬み嫉みが書かれているのだろう。嘆かわしい…。生まれながらの血と才ゆえに人の恨みを買う…。ああ、高貴な身とはかくも孤独なものなのか」


 つまり新聞は読んでないと。

 あの同志達のテンションを見る限り、国中で騒ぎを起こすことには成功しているだろうに…。件の記事に自分がどう書かれているのか全く気にしていないとは、いっそ大物のような気もしてきた。


「妬み嫉みですか。某令嬢に付きまとって困惑させているとか、渡り人にちょっかいをかけて撃退されただのという話がそれに該当するんでしょうかね。どうぞ」


 カバンから新聞を一部取り出して差し出せば、彼は意外にも素直に受け取った。そして恐る恐る紙面を開く。


「…な、なな!? な、なな…ななな!?」

 一面と二面を流し読みした王子が『な』以外の言葉を失った。


「先日、その新聞のせいで暴動が起きかけました」

「暴動!?」

「ええ。サカシータ子爵第一夫人イーリア様と当事者の一人でもあるザコル様が止めてくださらねば、町を挙げて王都に攻め入る所でしたよ。屈強な男衆が王弟と第二王子はなぶり殺しだと大騒ぎで」

「な、なぶり殺し!? 民は王族を敬うものだろう!?」

「嘘だと思うならそれで結構ですが、私は御身のためにご忠告申し上げているだけです。そういう事なので、不用意に王子だなどとは名乗らない方がよろしいかと。殿下をお護りする側付きの方々も頼りなさそうですし…」


 灰色ローブ二人に目をやるとムッとした顔で睨んでくる。一応護衛としてのプライドはあるらしい。さっきは怯え切ってあろうことか王子に縋っていたのに。


「お二方、後で私の護衛騎士と手合わせでもします? テイラーの精鋭なんですが」


 目を細めたらシュッと王子の後ろに隠れた。コントかな。


「お、お前達! どうしてそんなに頼りないのだ!」


 それは同感だ。護衛としても従者としても、正直王族につけられるようなレベルには見えない。うちのエビーとタイタの方が百万倍優秀だ。やはり私は恵まれている。


「あの二人は、ミカが自分で育成している面もあるかと…」

「育成してるのは猟犬先生でしょ。私からも多少の要望は出しましたけれど、元々優秀な子達で…いや、護衛従者自慢は置いといて。殿下、イアン様は残念ながらただの実行犯です。彼はどうやら、王弟殿下に王子をここに置き去り、聖女だけを連れてこいと命じられていたようです。つまり黒幕は王弟殿下で」


「お、叔父上が私にそのような事するはずはない…! こ、今回だって父上が不在だから魔獣は動かせないはずなのに、私が黒水晶に会いたいと言ったから、無理をして許可状を取ってきてくださって、イアンに命じてくださって、それで、それで…」


「…それで、このように敵だらけの場所に少人数で送り込まれたと?」

「……うううう!! 聞きたくない、聞きたくない!」


 先程渡した新聞を握りしめ、子供のように唸ってうずくまってしまった。実際、この王子は中身が少し幼いのかもしれない。


「殿下。私は渡り人だからなのかあちらの魔獣ミリューの言葉が判りますし、ザコル様もミリューとは戦友だそうです。ミリューを説得し、ザコル様に騎乗してもらえば、殿下方を王都まで再び送れるとは思います。正直、王族であるあなたを囲ったり害したりすれば後々面倒な事になるのは私達の方なので、今すぐにでも王都に帰して差し上げたいと思っているんですが」


「ま、まま待ってくれ! く、黒水晶、いや聖女殿!」

 灰色ローブの二人がうずくまった王子の前に立った。


「今の話では、王都に戻ったとしてもまた違う人間がこの方のお命を狙う可能性が高いということだろう!? あ、あなた方が有利になるような事なら何でもするから! どうか、どうかこの方を見捨てないでくれ!」

 見捨てるも何も、一瞬たりとも味方であった事実はないのだが。

「私達側付きが頼りないのは重々承知している! だが、陛下も王妃殿下も王都を出られ、王弟殿下まで敵となられた以上、もはや私達くらいしかこの方をお護りできないということだ。こんな、頼りにならない落ちこぼれでも、寛大な御心で拾って下さった殿下には、な、何とか報いたい…!」

 なんだ、臣下らしい事も言えるじゃないか灰色一号。

「我々だって、王弟殿下が元から恐ろしいお方なのは承知していた。だがサーマル様…殿下が心から信じ切っていらっしゃるから…異を唱えるのは憚れて」

 憚った結果、主人もろとも危険な目に遭っていてはどうしようもないぞ灰色二号。


「王子殿下。僕からもよろしいでしょうか」

「…………」

 ザコルが話しかけたが王子は無言のままだ。ザコルはスッと跪いて目線を王子に合わせる。


「不敬は承知ですが、僕も、王弟殿下にはいい印象がありません。『英雄』のつとめだと言われ都合よく戦争の旗頭にされかけたり、それが通らないとなれば悪評を立てられ、昨今は渡り人を拐わしただの、暴行を働いただのと因縁ばかり付けられています。しかしあの方も身の振り方を間違えられましたね。僕自身の事ならばどう扱ってくれようと相手にするつもりはないが、他ならぬこのミカに手を出そうというのですから。余程命が惜しくないと見える」


 王子が恐る恐るといった感じで顔を上げ、ヒッ、と短い悲鳴を上げる。魔王の微笑みを直視してしまったようだ。灰色ローブ二人もペタンと尻餅をついて後ずさっている。王子に報いるんじゃなかったのか…。


「僕はテイラー家の犬であり、今はミカを護る番犬です。ミカに迷惑がかかったり危険が迫るようなら何者であっても排除します。まあ、僕から逃げられたとしても、この町からは無事に出してもらえないとは思いますがね」

「お、おお脅しか!? わ、わわ私は王子だぞ、この国には二人しかいない王子だ。一人は行方不明で、私が後継となるしかない、貴重な直系で」

「王を誰が継ぐかなど僕には関係ない。ただ大恩ある主家と姫に報いるのみだ」


 ぶわ。


「ひ…っ、そ、そんな顔をしたって、く、くく屈したりしな…」


 ふむ、これぞ正しい威圧の使い方だ。この王子に威圧を感知するセンサーがあるかは微妙だが、気の毒なくらいに萎縮はしている。


「殿下、ザコル様は、私の身さえ危うくならない内は、あなたを生かしてもいいと言っていますよ」

「へ…?」

 私の言葉に間抜けな声を出す王子。


「ザコル、いいんですよね? イーリア様にもご意見を伺わないといけないでしょうが」

「はい。…まあ、義母に委ねると即刻首を刎ねられるでしょうが」

「ひぃっ、た、たたたた助けてくれ! ザコル・サカシータ! お前は私を生かすつもりなんだろう!?」

 王子がザコルの服を掴む。

「縋り付かないでいただけますか。害がなければ生かしてもいいと言っているだけです」

「何でも、何でも言う通りにするから! ミカ…ホッター嬢や、お前の言う通りに!」

「その言葉、偽りはありませんね?」

「ない!」

「分かりました。ではとりあえず、義母に面通しだけしてください。近くまで来ています」

「へ」


 王子から再び間抜けな声が出た。同時に、屋敷から使用人マダムの一人が庭に出てきて、マージに声をかけた。


「失礼致します、イーリア様が放牧場にいた者達全てを引き連れて外にいらっしゃっておりますが」

「あらあら。それは大軍勢ね。この坊やでは一瞬で踏み潰されてしまうかも…」

 マージはおっとりと首を傾げ、ちら、と王子を見る。

「玄関にご案内いたしましょうか。ご自分でご覧になった方がご納得いだだけますわ」

「ひいいいいいい」

 王子は全力で首を横に振った。

「ふふ、冗談ですわ。イーリア様とテイラーの護衛方だけお通しして」

「かしこまりました」

 使用人マダムはスッと一礼し、庭を出ていった。


◇ ◇ ◇


「これはこれは第二王子サーマル殿下ではないか。このように廃れた田舎に何の御用向きかな」


 ゴゴゴゴゴ…と効果音でも出しそうな勢いでイーリアが特大の威圧を放つ。


『ひいいいいいいいいいいいい』


 オレンジ頭の王子と従者からはもはや悲鳴しか出てこない。やはり威圧感知機能は搭載されたのかもしれない。全く話にならないので、ザコルとマージが事の次第をイーリアに説明している。


「ミカさん、ご無事で何よりです。いや、もうほんと、今度こそマジでもう…はあああー……」

「本当に、よくぞご無事で。お側にいることが叶わず申し訳ありませんでした。お辛い思いはなさっておりませんでしょうか」


 私の姿を確認したエビーとタイタは、その場に崩れ落ちん勢いで無事を喜んでくれた。


「二人とも心配かけたね。あの子が力になってくれたんだよ。紹介するね、ミリューだよ。ミリュー、こちらはエビーとタイタ。私の護衛騎士なの」


 タイタがミリューの正面に一歩出て一礼した。

「お初にお目にかかります、ミリュー殿。俺はタイタ。ミカ殿の身辺をお護りする者です。以後お見知り置きを」

 キュルル。

「あ、初めまして。俺はエビーって言います。ミカさんの護衛と従者やってます。よろしく、ミリュー、さん?」

 キュルウ。

「好きに呼んでいいって言ってるよ。うん、そうそう」


 キュルル、キュルウ。

 護衛がいるなんて人間みたい、だって。


「ふふ、さっきから訂正しなくてごめんね、私は魔獣じゃなくて一応人間なんだよ。でも異世界から召喚された渡り人だから、ミリューと境遇の近い立場には違いないよ」

 キュルキュル…!

 魔界から来た同族だと思ったのに、と文句を言っている。

「もーごめんって。また私の話もちゃんとするから」


「ミカさん、その子、どこからどう見ても魔獣すよね…。なんか普通に会話してません?」

「そうなの。何か私、この子の言葉が解るみたいでね。私、魔獣の子には初めて会うからさー、本当にびっくりしちゃったよ」

「ええ、びっくりっすねえ…。俺はこの魔獣さんより、ミカさんの順応性の高さにびっくりっすけど」


 エビーに何とも言えない顔をされる。


「そうかな。私はこの通り意思疎通できるからさ、人と接するのと大差ないっていうか…。それにこんなに可愛いんだよ! おめめくりくりだよ!? まるで遠い海からきたあの子みたい!! 会えて嬉しいよミリュー」


 あの首長竜程には首は長くないし、翼もどちらかと言えばプテラノドンっぽく、手足はティラノサウルスみたいな感じだが、大きくつぶらな瞳とすべすべとした青灰色の肌なんかはまさにあの小説に出てきた小さなプレシオサウルスそのものだ。あの主人公の少年みたいに観察絵日記でもつけようかな。


 キュルル、キュルルルウ。


「仲間、嬉しい。そう、私の事も仲間にしてくれるの。ありがとう。可愛い。ふふふ…」


 ミリューの顔に頬擦りする。すべすべしていてとても触り心地がいい。


「いやいやいや、おかしいっしょどう考えても。敵側だった魔獣と通じて寝返らせるとかどんだけだよ。何なんすか、肝が据わりすぎじゃねえすか!?」

「ミリューは最初から味方だったもん。ねー」

 キュー。


「流石はミカ殿。器の大きさが常人とは違う。ミリュー殿とは共闘もなさったと聞きました。あの氷塊がその名残りでしょうか」

「そう。ミリューが水を出して、私が凍らせたの。手刀で叩き割ったのはザコルだけど。あっ、魔力はミリューが補助してくれたし、今も彼女が『元気を分けて』くれてるから心配いらないからね。ねえミリュー。ミリューはこれから、私達のお友達として一緒にいてくれるのかな」


 キュルキュル。


「ザコル、主人、そっか、ミリューはザコルに従うつもりなんだね。ああ、私? 私はさっきも言った通り人間だからさ、それにザコルに召喚された訳でも彼の部下というわけでもないから。ザコルは護衛で…それに何だろ、どうやって表現すれば伝わる? 大事な人、って言って分かるかな」


 キュル!


「喜んでくれるの、ありがとうミリュー。あはは、そんなに振ったら飛んでっちゃうよ」


 私を鼻先に乗せ、ブンブンと上下させるミリュー。


「ミリュー、ミカをあまり雑に扱わないように」


 キュルー。

 ザコルの言葉に、ミリューが素直に私を地面に降ろす。


「雑ねえ…。それ、猟犬殿が言います?」

 エビーのツッコミにザコルがコホンと咳払いをする。ザコルの横にはイーリアが並んでいた。


「ミカ、体調は、怪我などもないか」

「はい、イーリア様。問題ありません。こちらの彼女、ミリューが魔力を分けてくれておりますのでむしろ絶好調です」

「そうか、全く肝を冷やした…。ミリューと言ったか。あなたには感謝せねばな。私はイーリア。イアンとザコルの母親だ」


 キュルル、キュルル…。

「ミカ、彼女は何と言っている?」

「息子さんをずぶ濡れにしてすみませんと」


 そう告げられたイーリアは一瞬目を瞬いた。そしてすぐに困ったように笑った。


「ははっ、いいんだ。こちらこそ愚息が迷惑をかけたな。我がサカシータ領にようこそミリュー。必要な物があればミカを通して私やザコルに伝えてくれ。できる限りだが手配しよう。ミカも通訳を頼む」


 キュキュ、キュルウ。

「ありがとうと言っています。通訳係、承りました」


「ミリュー、あなたはミリナがどうしているか知っているか? 息災だろうか」

 キュル、ルル。

「ミリナ様とは、イアン様の奥様ですね。ミリューは最近会えていないような事を言っています」


 ミリューの名は妻ミリナがつけたとイアンが言っていた。ミリューもミリナは友達で仲間だと言っている。


「そうか。ミリナからは度々『息子の力が強過ぎて悩みが尽きない』といった内容の手紙が来ていてな。迎えをやるから一度この領に母子共々静養にでも来るかと書いて送ったのだが、それ以降何度送っても返答がないので心配していたんだ。…夫たるバカ息子があの様子ではな」


 イーリアはぐったりと地面に投げ出されたイアンを振り返る。


「イアン様は先程、まるで正反対の事をおっしゃっていました」


 イアンが話していた、幼い息子を寄越せと手紙で迫られてミリアが参っているなどという話を一通り報告する。イーリアは溜め息をつき、眉間の皺を揉み出した。ザコルそっくり…。


「あの馬鹿めが何をいい加減な事を…。ミカには身内の恥ばかり聞かせて申し訳ないが、直近のミリナからの手紙にはイアンの浮気癖、浪費癖に関しての悩みも書かれていてな…。領への仕送りはザコルの十分の一も寄越さなかった上、それすらも数年前に途絶えているが、ミリナと孫の生活が心配で催促せずにいたものを…」


 イアンめ、妻子のためなんかじゃなく、最初から自分が王都の派手な暮らしを手放したくないだけだったのか。イーリアの話が本当ならとんだモラハラ夫だ。職場の昼休みに度々開かれていた、お姉様方による赤裸々な世間話が頭によぎる。


 役職を得て王宮に出仕している立場は、日本で言えば省庁務めの官僚みたいなものだろう。恐らく、それなりに高収入でなくては示しのつかないポストだ。…逆に、その兄の十倍以上仕送りしていたというザコルの稼ぎも気になる。どうせ物凄い数の任務をロクに休みもせずこなした結果だろうが。


「義母上、イアン兄様は『妻は護衛を侍らせて引きこもっている』と話していましたが、もしも意図的に外界との接触を制限されているのであれば助けが必要かと」

「ああ、その通りだな。本当に私の手紙を気に病んでいるくらいならばいいが…おい、王都まで走れる者を見繕え。サンドに手紙を書く」


 イーリアの側近が一礼して庭を出ていく。


 サカシータ家三男、サンド。彼に関しては長男イアンの補佐として共に王宮へ出仕しているというくらいしか知らない。以前、ザコルが上京して暗部に入った時に三男に様子を見に行かせた、とイーリアが話していた。サンドの事は信頼しているのかもしれない。


「ミカ、あなたも既に身内のようなものです。自由に質問していいんですよ。義母上、ミカが三兄の事はどう思っているのかと気にしています」

「えっ、そんな、私は別に…」

「ああ、すまないミカ。私は普段から言葉が足りないとザラミーアや夫にもよく言われるんだ。サンドの事だったな。あいつは一言で言えば『要領のいい調子者』といった所か。同い年のザッシュとは性格が合わずよく衝突していたが、こちらが頼んだ事は一応果たすし、悪い奴ではないと私は思っている。妻との仲は良好なようだが、子はいない」


 悪い奴ではない、要領のいい調子者…。親が同じでも、性格って全く違うものになるんだなあ…。

 あの実直なザッシュとは仲が良くないのか。どんな人なんだろう。


「サンド兄様といえば、半年に一度ふらりと訪ねてきて、消息確認と称して僕の顔を見るだけ見てすぐに立ち去るんです。今年はまだ会っていませんが、サンド兄様が現れる度、今年もいつの間にやら半分過ぎたのか…と妙に虚しい気持ちになったものです」


 …笑っていい所だろうか。あ、エビーが後ろで吹いてる。ずるい。


「とりあえずはあいつにミリナの様子を見に行くように言おう。サンドの妻であるマヨは世話好きで正義感の強い女だ。サンドはともかく、マヨが関われば悪いようにはなるまい」


 キュルル、ルル。

「イーリア様。ミリューがサンド様に手紙を届けてもいいと言っています。ミリナ様とご子息を迎えに行きたいとも」


「ならば、俺がミリューに同行して事情を話します、子爵夫人。三男殿にも面識がありますし」

 急に気配を現したコマが手を挙げる。


「ミリューとコマ殿が? それは助かるが…。これは完全に我が家の問題だぞ。あなた方に見返りはあるのか」

「ええ、王都に忘れ物もあるんで。なあ? ミリュー」


 コマがニヤリとしてミリュー見上げる。

 キュルル! ルールル!

 ミリューも元気に返事した。ははあ、なるほどね。


「何です、ミリューは何と言っているんですか、ミカ」

 キュキュ!

「ザコルには内緒だって言ってます」

「そういうこった。俺様とミリューの仲を邪魔すんな駄犬」

 ザコルが眉を寄せる。

「いや、ミリューは僕に従うような事を言っていませんでしたか…? 別に縛り付けるつもりはありませんが、問題なさそうですか、ミカ」

「はい。多分。騒ぎにはなると思いますが、問題はないんじゃないでしょうか」

「騒ぎに…。充分問題なのでは。コマ、あまりミリューに無茶をさせるな」

「うるせえ、犬のくせに主人ヅラしてんじゃねえ」

「…………」


 全く解せぬといった顔をするザコルに、慰めのつもりかミリューが鼻を擦り寄せる。


 イーリアはサンドへの手紙を用意すると言って一旦屋敷の中へと入っていった。


「へへ、猟犬ハーレムの人数増えてじゃねーすか。ミリューちゃん、女の子なんすよね?」

 エビーがザコルに懐くミリューの様子を眺めてニヤニヤしている。


 キュル、キュルルル…。

「そう、この子も女子だよ。さっき王子とイアン様がザコルにナメた態度取ったせいでミリューの逆鱗に触れてるから、エビーは気をつけてね」

「何で俺だけ名指しで注意してくんすか!?」

「この時期、水浸しになると後始末が大変だろうからさ」

 そういえば王子はどこへ行った。

「殿下は、あの派手すぎる服を召し替えるために連れていかれました。脱いだ服は後で換金なり好きにしていいそうです」


 滞在費のつもりだろうか。じゃあ、足がつきにくいようにパーツ分解してユーカとカモミ辺りに査定してもらったらいいかも。アロマ商会は手芸用品を手広く扱っている。町のためにも高く売れるといいなあ。


「ふふふ、王子様の偽名も考えてあげないといけませんねえ。髪色オレンジだから、ミカンとか夕焼けとか…。ふふっ、エビーとタイタの間に入ったらグラデーション完成するよね。じゃあ魚介類かなあ。あ、そうだ。サーマルだからサーモン。ぶふうっ、鮭! あははは」

「何一人で爆笑してんすか…。てか何で魚介…?」

 そりゃ、海老と鯛とくりゃ魚介だよ。

「サーモン…? サーモン、サモン、いいのでは。呼びやすいです」


 サモン。ザコルがカッコいい感じに縮めてしまった。まあいい。彼は今日からサモン。鮭王子だ。


「てか、ミリューちゃんはともかく、サモンとやらの面倒までお二人が見んすか? 何で?」

「怒らないでよエビー。ザコルと私の言う事は聞くって言質とったからね。王子に何かあるとザコルのせいにされちゃいそうだし…」


 私だって気は進まないが、この町で放置なんてしたら即トラブルになりかねない。その方が面倒臭いに決まっている。


「ほーん、そうすか。言っときますけど、俺は姐さんしか守んねえかんな」

「俺も、かの第二王子殿下には敵意以外の感情を抱いた事がありませんので…」

「へっ、猿轡でもかまして庭に吊るしときゃいーだろ。投擲の的くらいにはなる」

 キュル…、キュルキュル…。

 生ゴミ、汚泥、腐った海…。


「皆してそんな事言って」

 誰もトンチキ王子に優しくない。アホだが素直でちょっと可愛い所もあるのに。あ、何か魔王から圧混じりの視線を感じる。可愛いくないです、可愛いなんて思ってません、すみません。


 可愛いと言えば、さっきからコマは帽子を目深に被ってその可愛い顔を隠している。確かにあの色ボケ王子に見られたらうるさそうなので賢明な判断だ。


「ザコル様、ミカ。少しよろしいでしょうか」

「何でしょう、マージ」

 振り返れば、マージと執事のおじいさんがいてスッと一礼した。

「彼らはわたくしが預かってもいいかしら」

「えっ、マージお姉様が? 王子殿下達の話ですよね?」

「ええ。鮭の身のような髪色の、サモン様でしたか。彼とその従者、お三方の話ですわ」


 マージまで鮭王子呼ばわりし始めた。普通に翻訳されているという事は、この世界、身近に『鮭』がいるって事なんだ。機会があればぜひ焼き鮭にして食べたい。燻製もいいな。


「この場にいた屋敷の者はもう彼の素性を理解しておりますし、その上で秘密も守れます。屋敷から出さなければ問題は起きないかと。お三方とも従僕見習いにでも扮させようかと考えておりますのよ」

 にこ、マージがおっとり微笑む。

「で、ですが、ただでさえお忙しいマージお姉様のお手を煩わせては」

「わたくしはいいのよ、むしろとっても楽しみなの。彼ら、今のままでは確実にミカや護衛方の足を引っ張る事になりますわ。あの口も頭も軽そうな坊やは特にね」


 確かに、あの王子の前では治癒能力や魔力移譲の話は一切できないし、バレたりしたら後が面倒だ。何しろ秘密の保持などに関しては何一つ信用できそうにない。


「まともなご挨拶と、ちょっとしたお約束くらいはできるよう躾けておきますから。ご安心くださいませ」


 ほほほ…。穏やかに笑うマージ。彼女からこれ程あからさまな圧を感じるのは初めてだ。


「終わったな、王子」

 コマがボソッと呟いた。



つづく

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