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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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招かれざる客② 同族

 魔獣が背負った鞍から、まずは真っ白なローブを羽織った長身の人物が降り立った。


 そして地味な灰色のローブ姿の男性二人が降り、どこから出したのか台のようなものを設置する。魔獣がキュルル、と鳴いた。

 そして朱がかったブロンド、いわゆるオレンジ色っぽい髪色で煌びやかな衣装に身を包んだ人物に、灰色ローブの一人が手を差し伸べ、鞍から台の上へと丁重に降ろす。


「マージ、王族です。皆も腰を低くして顔を上げぬよう」

 ザコルが声を落として言う。


「はいザコル様。皆、聞こえましたわね」

 マージと使用人達が腰と頭を下げ、オレンジ頭の人とは目が合わないようにする。

 窓に貼り付いていた怪我人も今は姿が見えない。使用人によって逃がされているか、大人しくするよう指示されているのだろう。


 ザコル自身も起礼の姿勢を取り、目線を下げる。私も一応、ザコルの後ろでスカートをつまみ上げて中腰になり、顔を伏せた。


「ああ、ようやく会えた。ご機嫌よう、麗しの黒水晶の君。どうぞ顔をあげてくれ。あなたとは後でゆっくり話がしたい。…ザコル・サカシータ、お前も面を上げろ」


 オースト国第二王子、サーマル・オースト。伯爵邸で撃退…いや、ちょーっとおしゃべりして以来だ。まさか魔獣に乗っていきなりここへ乗り込んでくるとは。


 …いや、命が惜しくないんだろうか。見たところお供も三人しかいないようだが。


「今日はお前の兄も連れてきてやった。久しぶりの再会だろう。イアン・サカシータ、弟に声をかけてやれ」

 何故ここに来たのかの説明もせず、サーマルは後ろにいた白ローブの男性に目配せする。

「恐れ入ります殿下。ザコル、久しいな」

「イアン兄様…。お久しぶりです」


 ああ、あの人こっちの身内だったのか。イアンといえば、ザコルの長兄だ。第一夫人の実子だけあってイーリアの面影がある。

 彼は王宮魔法陣技師として務めていたはず。歳は三十六か三十七、確か既婚者で子供もいる。

 金髪にブラウンの瞳、長身で引き締まってはいるが鍛えているのが分かる体つき。中田風に言うなら『光のイケメン』そのものだ。

 何なら手前にいる王子さえも霞んでいる。王子も一応イケメンなのだろうが、体格とオーラで完全に負けている。



「ザコル・サカシータ。お前には一言言ってやらないと気が済まない。お前、深緑の猟犬とかいう二つ名をもっているらしいな。父上から褒賞までも受け取っているとか。何故それを私に黙っていた!? よりによってアメリアの前で!! 私に恥をかかせたかったか!?」


 声を荒らげる王子。そこはむしろ、知らなくてすみませんって言うところじゃないのか。


「申し訳ありません殿下。僕がテイラー伯爵家に身を寄せているのは他ならぬ王家の許しを得ての事でしたので、王族のお一人であれば当然ご存知かと。少なくとも側仕えの方はご存知だったのでは?」


 王子と側近二人が同時に顔を歪める。要約すると、お前ら全員アホなのか? だ。ナイスカウンター。


「それに、恐れ多くも褒章をいただく名誉にはあずかりましたが、個人的には殊更に誇る程の手柄ではないと考えております。殿下にとってもお耳汚しかと」


 現実問題、国外で城壁をぶち抜きまくってきた事に比べればどんな手柄も霞むだろう。斥候というよりはどう考えても重戦士のそれだが。


「た、確かに私には興味のない事だが? 誇る程ではないとは不敬な。王家が授ける褒章の価値を理解していないのか!? まあしかし、お前は仮にも貴族の末端にいながら暗部などという卑しい場所で長年這いつくばっていたそうだからな、多少の非常識さには目を瞑ってやろう。私は寛大で柔軟で気高い男だ」

「恐れ入ります、殿下」


 何か王子が私の方をチラチラ見てくる。以前『寛大で柔軟で気高いお心をお持ちですね』などと言ったのは私だが。こっち見んな。ザコルがそれとなく、私を隠すように立ち位置を変えてくれる。

 このアホの子、まさか魔獣に乗ってザコルに文句を言いにきたんだろうか。その魔獣はさっきからずっとキュルル、キュルウ、と可愛らしい声で鳴いている。私が目線をやると、魔獣もこちらを向いた。


「それで、黒水晶の君。あなたにはとんだ誤解をさせてしまったようなので、私自らその誤解を解きにやってきたというわけだ」


 私は何を誤解したんだろう。ちっとも思い当たる節がない。


「このように廃れた田舎にまで連れて来られた挙句、災害にまで巻き込まれたと聞いたぞ。儚く可憐なあなたにはさぞ辛かった事だろう。しかしそれもこれも私が至らなかったせいだ。あなたはもっと素直になっていいのだよ。このような意地を張らずとも私はあなたの全てを受け入れるつもりだ。あなたが望むのならば他の女は全て手放してやってもいい。あのアメリアとてあなたが相手ならば納得し身を引く事だろう。それに」


 ちょっと何言ってるか解んない王子より、魔獣ちゃんの声に集中する。


 キュルル…

「へー、そうなんだ。私はミカだよ」

「ミカ? 先程からどちらを向いているんです」

 ザコルが私の不自然な返答に振り返る。


「ああ、もしや私に名前で呼んで欲しいと? 可愛らしい事だ。コホン。では、ミカと呼ばせていただこうか」

 王子は安定のポジティブ勘違い野郎だ。そこには何の誤解もなさそうで安心した。

「うん、うん。そうなの。ふうん、いいね、私は構わないよ。どうぞ」

「私の事もサーマル、いやサミーと呼んでくれても構わな」


 その瞬間、魔獣が口元を光らせたかと思ったら、その口先に大きな水の球を発生させる。


「な、なっ、何だ!? 水…!? あ、ああ、なるほど! その不遜な男を懲らしめようというのか、獣にしては殊勝な」

 その水球は空中で形を変え、王子と側近の周りをくるくると円を描き始めた。

「ななな何故こちらを囲う!? おいイアン・サカシータ!! やめさせろ!! 私は王子だぞ!!」

「で、殿下っ、お助けっ、ひ、ひゃあああああ」


 動揺した三人が一箇所に固まる。呼ばれたイアンは表情も崩さず、その様子を外からただ傍観している。

 水流はやがて大きな水の筒のようになった。


 魔獣がキュル、と鳴く。

「はいはーい」

「ミカ何を、まさか魔法を? いけません!」

 私が手をかざすポーズを取ったので、ザコルが慌てて止めようとする。

「大丈夫です。あの子が魔力を補助してくれるみたいなので。えい!」


 パキィィン…

 私が念じると、大きな水の筒は完全に凍結した。




 氷の筒の中で、オレンジ頭と灰色ローブが右往左往している。水流を凍らせたので気泡も入っていてさほど透明度は高くない。スリガラスくらいといった感じだ。

 彼らの叫び声がうるさかったのか、魔獣が筒の上部も全て水を張り巡らせたので、お望み通り凍らせて天井も作ってあげた。…これは、酸素がなくなる前には出してあげないといけないな。


 サカシータ家長男、イアンは、そんな氷柱を一瞥したのち、スタスタとこちらにやってきた。


「お初にお目にかかります。私はイアン・サカシータ。オーレン・サカシータ子爵が長男にして、王宮魔法陣技師の役を戴く者。以後お見知り置きを。氷姫、いえ、シータイの聖女よ」


 優雅に一礼する。緻密な金の刺繍が入った白いローブが陽光に当たって眩しい。暗色で実用性を極めたザコルの服装とは対照的で、何というか派手だ。そしてシータイの聖女とは…。まさかまた新しい二つ名が世に出回っているのだろうか。勘弁して欲しい。


 イアンは、私が王子を閉じ込めた件について言及する気はないらしい。私も王子を守らなくて良かったんですかなどと野暮な事を訊くつもりはない。


「ご丁寧にありがとうございます、イアン様。私はミカ・ホッタ。異世界のニホンという国から召喚され、この世界に参りました。テイラー伯爵家の庇護を受ける身ではございますが、訳あってこの冬はサカシータ領でお世話になる予定です。どうぞよろしくお願いいたします」

 カーテシーで優雅に一礼、決まった。

「なるほど。殿下のおっしゃる通り、その煌めく黒髪と黒い瞳は磨き抜かれた黒水晶そのもの。実に美しく気品に満ちたお方だ」

 イアンはイーリア譲りの美しい顔でにっこりと微笑んだ。


 ザコルが私の手を引き、再び自分の後方へと下がらせる。


「イアン兄様にも聞きたい事はありますが、まずはミカです。まさかあの魔獣と会話していますか」

「はい。ですが、イアン様にも解っていらっしゃるのでは? あの子のご主人様なのですよね」

「いや、私も会話までは。流石は渡り人、魔獣の言葉でさえも解するとは」


 渡り人と違って魔獣自身は翻訳チートを持たないのか。道理で魔獣ちゃんが私の反応に驚くわけだ。


「ミリュー、可愛らしいお名前ですね」

 キュルル、魔獣のミリューが嬉しそうに鳴く。

「そうだ、私の妻がつけた名前だ。驚いたな、本当にあれと会話しているのか」

 ミリューがイアンの側に顔を近づけると、イアンは鼻先を撫でた。


「彼女の言葉を要約しますと『あのオレンジ頭の態度が許せなかった』だそうですよ。それで『あなたもご主人様を貶されて悔しいはず。凍らせて』と誘ってくれたので、つい加担してしまいました」


 魔獣ミリューの言葉は文法がしっかりしていないというか、単語の羅列のように聴こえる。敬語の概念も無いようなのでざっくりと意訳して伝えた。

 ちなみに彼女、私の事は同じ魔獣仲間か何かだとでも思っているらしい。


「ミリュー、ぼ、僕はミカのご主人様では…ええと…」

 ザコルがミリューに向かってゴニョゴニョと訂正している。

「ミリューは凄いね。私の能力も見て判っちゃったんだ」

 キュル、キュルル。


 ミリューには治癒能力がある事もバレている。そしてさっきからミリュー自身の魔力によって、私に『元気を分けて』くれている。

 私が魔力を垂れ流している時、コマを始めとして、周りの皆はこんな感じで元気をもらっているんだろうか。ワイファイやテザリング機能みたいだ。


「イアン様、もしも後でミリューが罰せられるような事があれば、私の責任にしてくださいね」

「いや、ミリューが本気になれば王宮など一瞬で水浸しだ。こいつは仲間意識が強い。他の魔獣を傷つければ当然逆鱗に触れるし、人間でも主人とその仲間と認めた者でなければ指示に従う事もない。主人である私以外の人間がこいつを罰する事などできやしないんだよ。殿下も、空中で振り落とされなかっただけマシとお考えになるべきだな」


 はは、とイアンが爽やかに笑う。しかし目が一つも笑っていない。王子は空中でなにやらかしたんだよ…。


「正直に言おう。私は、王弟殿下から暗にここで王子と聖女を交換してくるようにと言われている。王子殿下はあくまで、麗しの黒水晶の君を助けに行くのだと純粋なお心でここにやってきたがな。その黒水晶と引き換えに、ご自身が置き去りにされようとは考えもしていないだろう」

「…イアン兄様、どうして王弟殿下の命になど従っているのです。魔獣の出動は王かその代理と認められた方の許可なくしてはあり得ないはずでしょう」

「その通りだ。だが、王弟殿下がその許可証をどういう訳かお持ちになったのだ。鑑定にもかけたがご本人の筆跡で間違いない。そうなれば私は職務として動くしかない。全く面倒な事だ」


 氷の壁は分厚く、王子達には外の音など碌に聴こえていないだろうが、イアンは随分とあけすけだ。聴こえても構わないという事だろうか。


「ああ、不安にさせたかな、聖女殿。誤解のないよう言っておくが、私にはそちらを害したり、意に沿わない事をしようという気はない。そんな事をすれば仲間意識の高いこいつを怒らせかねない。あなたと引き合わせたのはある意味失敗だったな、はは」


 私が黙っているのを警戒と取ったのか、イアンはまた上辺だけの笑顔を浮かべた。それにしても、ミリューに魔獣仲間扱いされているのは本当だが、イアンにまでそう扱われるのは何というか心外である。


 キュルル、ルル、ルル…。

 仲間、一緒、ずっと。


 もちろん、彼女が仲間と言ってくれるのは嬉しい。にこ、と笑いかけたら、ミリューも目を細めた。


「イアン兄様、義姉上と甥は無事なのですか」

「ああ別に、家族を人質に取られているなんて事はない。妻は護衛を侍らせて家に引きこもっているさ。可哀想に、将来の跡取りたる幼い息子をサカシータ領に寄越せと、母から何度も手紙が届くので参ってしまったようだ。あの母には、子と別れたくない普通の母親の気持ちなど一欠片も理解できはしないのだろうな。ザコル、お前ならよく解るだろう、あの母の非情さが」


 違う、そう喉から出かかって飲み込む。

 イーリアは厳しい人だろうが、決して非情な人ではない。貴族的というか、家のためなら個を犠牲にするような一面はあるかもしれないが。

 もしもイアンの話が本当なら幼い子を寄越せと言われた母親には同情する。しかしだからと言ってイーリアを一方的に責めるのは納得がいかない。イーリアの行動にもきちんと理由があるはず。


「僕には、義母は嫁いだ家のルールに従っているだけに見えます。それに、僕がこの領でさえ孤立して育ったのは兄様も知っているでしょう。サカシータの血をひく子供が、普通の子供の中で問題を起こさずに育つのは難しいのではないですか」


 ザコルが孤立していたのはザコルのせいだけではないだろう。しかし…。

 確かに、幼い頃から突出して力が強ければ必ず問題は起きる。我が子達はどいつもこいつも強すぎる、イーリアも語っていた事だ。小さなうちは特に自制もききにくく苦労するのだろう。


「我が家の教育方針に口を挟まないでもらいたいな。大体、あの母に任せてはどう育てられるか分かったものじゃない。お前とて孤立状態で放置された上、成人した途端に無情にも領を追い出されたクチだろう。しかも王都に投げ出されて行き場に困り、よりによって暗部なんかに足を突っ込んでも知らぬふり。まるで邪魔者扱いじゃないか。私ならばそんな仕打ちは継子だとしてもできないな。これほどの力と才能に恵まれたお前ならば尚更だ。手元に置いて、惨めな思いなど二度とさせないだろう。大体お前、未だに仕送りをせびられているらしいな。ふっ、その血筋では家を継げる訳でもあるまいに。いつまで継子の人生を縛り付けるつもりかと、私からあの母に言ってやろうか」


 …何だ、この違和感。

 イーリアの様子を見る限り、ザッシュやザコルを継子、すなわち第二夫人の子だからと差別している感じはしない。血はつながらなくともお互いに遠慮なく言葉を交わし、心配も信頼もしている姿は、むしろ私が思う理想的な家族の姿そのものだ。

 実家への仕送りだって、ザコル自身が足りなければまた送るなどとも言っていたし、無理矢理取り上げられたような雰囲気は感じられない。

 イアンはイーリアの第一子だろう、母親の気質くらい理解しているはずなのにどうしてそんな言い方をする。自分がイーリアとうまくいっていないからか?


 …違うな。どうやらイアンは意図的にイーリアを貶め、ザコルを丸め込もうとしている。そうだ。


 弟の境遇に同情し味方に引き入れれば私共々連れ帰れるとでも思っているのか。それとも私の事はどうでもよく、ただ英雄としてのザコルを味方にでもつけたいのか。あるいは他に…………


「いえ、兄様が間に入る必要はありません。今の所、仕送り以外に金の使い道もそう思いつきませんので」


 思案に暮れている間にザコル本人がピシャッと言い返す。

 ついでに、高価そうな金糸刺繍の派手ローブや装飾品へとあからさまにジロジロ視線をやる。ナイス嫌味!


「…残念だ。同じく家の都合で王都に遣られたお前なら私の気持ちも理解できようかと思ったのだがな。とにかく、私はもう時代遅れな考えに支配されるのは御免なんだ。爵位くらいは継いでやってもいいが、私も妻子も、こんな山と雪しかないような田舎で親の言いなりになって暮らすなど考えられない。領主代行でも立ててやれば充分だろう」


 これが現代日本の一般的な家庭の話ならばイアンの言い分も少しは解る。だが、ここはただでさえ国防の要所で、サカシータ家には当主のみに継承される知識や技術もあると聞いている。山の民との間にも何かしらの盟約が存在しそうだし、とても片手間に治められるような地位とは思えないが…。


「イアン兄様がこの田舎を好かない事はわかりました。それはそれとして、家や領のために出稼ぎに行ったのは僕の意思です。暗部に入ったのは成り行きもありますが、定給制の警邏隊よりも、任務をこなすだけ報酬をもらえる暗部の方が僕としてもメリットが大きかった。親達はそんな僕の働き方に口を挟まなかっただけの事かと。…まあ、この話は終わりにしましょう。それで、これからどうするのですか、兄様」


「ああ。私はミリューと共に妻子の待つ王都へと戻る。その氷塊の中身は如何様にでもしろ。英雄殿」


 イアンはそう言うとサッとザコルから距離を置き、ミリューの鞍へと手をかけ飛び乗った。

 はあ、とザコルが溜め息をついて眉間の皺を揉む。片手に隠している投擲用ナイフの柄をキュッと握りしめるのが後ろから見えた。


「飛べ。…どうした、早くしろミリュー」

 イアンは猟犬か黒水晶を持ち帰る件については諦めたらしい。しかし王子は予定通りここに捨て置くつもりのようだ。

 王族誘拐、王族監禁、王族殺害、どんな罪状をでっち上げるつもりか知らないが、丸ごと腹違いの弟と故郷の人々に押し付け、自分は心置きなく快適な王都暮らしに戻る。

 やはり、この人はザコルの敵だ。今度こそ間違えない。


 キュル…キュル…。


「そうだね、ミリュー。あなたのご主人様は『仲間』を裏切るつもりみたい。そう、悲しいね、残念だけど」

「はっ、裏切るだと? ミリューにおかしな事を吹き込まないでくれるか聖女殿。何もしないさ、私からはな。さあ飛べと言ったぞミリュー」

 イアンがミリューに付けられた手綱を引く。だがミリューは動かない。

「…何だ? お前の『仲間』の聖女には何もしていないだろうが。さあ飛べ。命令だ!」


 イアンの声色に焦りが滲み始める。

 もしやこの人、本気でミリューが私を『仲間』として守ろうとしているとでも勘違いしているのか?


「あなたは本当にミリューの『主人』なのですか、イアン様」

 彼女がどこまで人の会話を理解しているのかさえも知らないのだろうか。

「当たり前だ。先程から何を訳のわからない事を。さあ、飛べ! 空中ならあの化け物とてそうそう手出しは」


 キュル。


 化け物、という言葉に反応したミリューが短く鳴き、目をキュッと細める。瞬間、ミリューが再び口先に水球を発生させ始める。


「おい、一体何をしている! 私は飛べと言っているんだ、分かっているんだろうな。私が召喚主だと忘れたか? 召喚してすぐ力の違いを教えてやったはずだ。お前はただ私の言う通りに…」


 ゴオッ。ミリューの操る水球がイアンに真横から衝突する。

 このミリュー、口先以外にも水球は発生させられるらしい。口先の水球は恐らく目眩しだった。


「ブッ、ぐはっ、カッ、カハ…ッ、くそっ、まさかこの私に水を向けるなど…!!」


 意表を突かれたか、鞍から落とされ、地面に叩きつけられたイアンに追い討ちとばかりに水流が迫る。


「やめろ!! こんな事をしてどうなると…チッ、もう一度判らせる必要があるようだな」


 水流は再び円を描き、剣に手をかけたイアンの周りに分厚い水の壁を作る。イアンはその水の壁に怯まず剣を抜き、その剣圧で壁を両断した。

 彼がミリューに迫ろうとした瞬間、ギィン!! と鋭い金切り音が鳴り、イアンが剣を取り落とす。


「クソッ」

 綺麗な顔を歪めたイアンが剣を拾い上げる前に、私は先程と同じように念じた。その瞬間、人が跳んでも出られない高さまで一瞬のうちに氷の筒が出来る。

 ミリューは念入りにその上や周りに水を張り、私はその都度凍らせ、共に巨大な氷の牢を作り上げた。


 イアンはその牢の内側で何やら叫び、剣を振り回しているようだ。相手はサカシータ一族のサラブレッド、こんな氷山のような牢とて、そう長持ちはしないかもしれない。ヒビでも入れば再び凍らせるのみだが。


 ひんやりとした冷気の漂う庭。再び訪れた静寂に、はあ、とザコルの溜め息だけが響いた。



 ◇ ◇ ◇



 ミリューは私の方へと寄ってきて、お腹あたりに頭をすり寄せてくる。色々とショックだったのかな、よしよし。

 とはいえミリューの頭部だけでも大人一人分の体積はありそうで、こちらが簡単に押されてしまう。というか鼻先に乗せられて足が地面から浮いた。さながら某ネコ型バスの鼻に乗った少女のようだ。


「あはは、ミリュー、うちの子になる? うちのご主人様はきっとあのイアン様よりも強いよ。だよね、知ってるよね」


 イアンは何か勘違いしていたようだが、ミリューは初対面の私を仲間として守ろうとしていた訳じゃない。

 彼女は、ずっとザコルを指して『仲間』と言っていた。

 そして、このままイアンの命に従って王子をザコルに押し付ける事が、どういう事態を招くかをきちんと理解している。

 彼女は話せないが、目の前でされた会話の意味もよく理解しているようだし、おそらく王宮で囲われてきた経験から、王族に手出しした人間がどう扱われるか予め知っているのだ。


 だからこそ『同族』と認識した私に協力を求めてきた。共に『仲間の敵』を懲らしめよう、と。


「ミリューと僕は初対面ではありません。第一王子殿下の要請で共闘した事が何度かありますので。あの兄は王命に従って初動の指示を下すのみで『暗部なんか』の任務についてきた事はありませんが」

「そうだったんですね。ミリューが助けてくれてありがとうと言っていますよ」


 イアンの剣に勢いよくぶつかったのはザコルの投擲用ナイフだった。ドングリですら手が痺れる程の衝撃だったのだ、イアンはさぞ手を痛めた事だろう。


「いえ、ミリュー。あなたには過去の戦でも世話になっていますから、お互い様です。この庭へは僕の匂いを辿ってきましたね。相変わらず鼻がよく利く」

 そう言ってザコルはミリューの鼻先を撫でる。ミリューも褒められて嬉しそうだ。


「どうしてミリューはザコルの味方をしたの? イアン様だって一応『主人』だったんでしょう?』

 キュキュー、キュルル。

「ああ、そっか、そうだよね、単純にザコルの方が強くて優しいからってこと。それは間違いないわ」


 以前、ザコルから『魔獣召喚にはその場で喚んだ魔獣を屈服させられるだけの腕っぷしが必要だ』と聞いていたのを思い出す。その言葉通りならば、一連の召喚術には相手を強制的に隷属させるような術は含まれないのだろう。

 ならば、召喚者以上に強い者が現れたり、魔獣自身の心変わりがあれば召喚者といえど裏切られて当然という事だ。


「ミカもミリューも怪我や不調はありませんね? …おい、コマ、見ているだろう。手伝え」

 ザコルが声をかけると、屋敷の二階窓からひらりと人影が舞い降りてきた。

「わーいコマさんだー!! 今日も最高に可愛いー!!」

「うるせえ、当たり前の事いちいち言ってんじゃねえ。久方ぶりだな、ミリュー」


 キュルル、キュルウ。


「そっかあ、コマさんとも仲良しなんだねえ」

 コマが話していた空飛ぶ魔獣とはきっとミリューの事だ。


「へっ、姫、お前やっぱり魔獣枠なんじゃねえか。こいつが同族扱いするなんて相当だぞ」

「じゃあ、もう魔獣って事でもいいですよ。どのみちこの世のものじゃないですしね」

「そういう言い方はやめてくださいミカ。…ミリュー、本当にいいんですね?」


 キュル。

 ミリューがイアンを完全に見放した瞬間だった。



つづく

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