泣いてはいけない二十四時
「ザコルもエビーもずっとピリピリしちゃってさー。いい加減落ち着いてよねー」
「命狙われかけた本人は何でそんなに落ち着いてんすかねえ…」
「ミカはいい加減に寝てください」
「ザコル殿、明日の午後、辺境エリア統括者がこちらにやってくると先触れがあったようです。着き次第、御前に案内してもよろしいでしょうか」
「ええ。お願いします。タイタ」
仲良し四人組でいると話が止まらないので、無理にでも切り上げて部屋に向かう事にした私達だ。
「誰が仲良し四人組だ…」
私の独り言を拾ったザコルが眉間を揉む。
「ねえ、兄貴、ほんと大丈夫すか。ちゃんと頼ってくださいよ。嫌味でも何でもねえすからね」
「エビーは僕の事を何だと思っているんですか」
ほら仲良しじゃないか。どうして私でなくザコルが心配されているのかは気になるが。
「困ったらすぐ起こしてくださいよ。絶対すよ」
「エビー、お二人が困っておられるぞ。お二人なら心配ない。尋問直後でもない事だし」
「二人ともマジで困ったら呼べよ、絶対我慢とか遠慮とかすんなよ!」
なおも言い募ろうとするエビーをタイタが引きずり、彼らに当てがわれた部屋へと入っていく。私に充てられた個室の向かいだ。
ザコルの荷物もそちらにあるという事で、ザコルも一旦男部屋へと入っていった。
清拭と歯磨きと着替えを済ませ、ベッドに腰を下ろした所で、トントンと扉が叩かれる。
「やっと静かになった…。エビーは一体何がしたいのか…」
そうぶつぶつと呟きながら入ってきたザコル。
彼は一晩中私を見張っているつもりらしいが、一応寝支度はしたようで、綿のシンプルな上下にガウンを羽織っている。
「ザコルの部屋着姿って初めて見ました」
「そうかもしれませんね、基本的に二人の時は騎士団服のまま寝ていましたから。あなたの寝着姿は何度か見てしまっています……が、ミカ、やけに厚着では? 寝にくくありませんか」
首元までしっかりボタンで止められるワンピースの寝巻きに、大きめのセーターとカーディガンを重ね着し、ワンピースの下には綿のワイドパンツ、ゆるめのハイソックスを履き、さらに足首まである厚手のガウンまで羽織らされ、前をぴっちりととめられた重装備の私を見て、ザコルは怪訝な表情になった。
「使用人マダムに全部着るように言われまして…。心配いらないと言ったんですが」
どうやら貞操の心配をされているようだった。
露出がほとんどないので温かいが、布団に入るなら少なくともガウンとカーディガンとセーターは脱ぎたい。このままでは寝返りも打てないし、寝苦しさで却ってうなされそうだ。
「はあ、一度は僕達二人をあの狭い仮眠室に押し込めたくせに、今更とは思わないんでしょうか」
ザコルはまた眉間に手をやった。
「あの時の屋敷は戦場さながらでしたし、私が誰か認識してる人も少なかったですからね。前に、ザコルが私達の関係を勘繰って同室にしたんだろうなんて言うから、気になってメリーにそれとなく訊いてみたら、他の仮眠室も男女ごちゃ混ぜの雑魚寝状態だったって言ってましたよ。皆色々と麻痺してたんじゃないでしょうか」
「……ミカはあの時、僕という厄介者を押し付けられた、という見方もできますよ」
ザコルが気まずそうに目を逸らす。ふむ。
あの時点でザコルの評判が良くなかったのなら、同室で寝たくないという人はいたかもしれない。
「なるほど。それは思い至りませんでした。逆に、あの混乱した屋敷で、私を一人で寝かせるのが危ないと判断した可能性なら考えましたけど」
悲しい事に、避難所では性被害などに気をつけないといけないらしいと聞いた事がある。
患者も使用人も皆混乱していたあの状況では、いわゆる『非戦闘員』の私は圧倒的弱者だった。あの時点で私自身が信頼し、側に置いて寝られた人間はザコル以外にいなかったし、屋敷の方で改めて警備を見直すなんて余裕もなかっただろう。マージもそれくらいは解っていて仕方なく私達のベッドを並べたのではないだろうか。
「いいように捉え過ぎでは。ですがまあ、あの混乱した状況でミカを一人で寝かせる選択肢は確かに無かった」
「そういう事にしときましょうよ。もしも私や私の持ち物に何かあったとして、それを領民のせいにされたりしても困ったでしょうし。責任取れないから『私をザコルに押し付けた』んでしょう。大体あの時の町長はまだドーランさんだったじゃないですか。マージお姉様や使用人の責任のように言っては気の毒です」
あの事なかれ主義で浅ましいドーランならば『領主子息と伯爵家縁者を同時に預かるなど面倒な、今更個室も用意できないし、護衛と言っているのだから同室で構わないだろう、それで何かあったってテイラーの責任だ』くらいは言いそうだ。
「ふ、確かに奴の言いそうな事だ。想像ができる」
ザコルが吹き出す。
「ああ、そういえばドーランさん! 彼カリューに行ったんじゃなかったですっけ、どこにいたんですかね!?」
「さあ。カリューの町の中では気配を感じませんでした。薪用の木材調達にでも出ていたんじゃないですか。大方、ミカに何か失礼な事でも言う前に遠ざけられたんでしょう。ザハリもそうしておいて欲しかったです」
「もしかして私がザハリ様に会いたがってしまったからですかね…。イーリア様も、ズバッと断ってくれていいのに」
「恐らくコマがどうにかすると思っていたんじゃないですか。引き抜くつもりならそれでいいと」
コマについて、気になっていた事がある。
「…ねえザコル、今回、ザハリ様はコマさんに『始末』されたんでしょうか」
「それは…」
ザコルが言葉を切り、少し考えるようにしてから口を開く。
「まあ、そうとも言えるでしょうね。できれば会わせたくなかったんですが…。今回は『始末』までいかずとも、僕に牽制させたかったのだと思いますよ」
「ザコルに、牽制させる?」
「そうです。ザハリには明確な害意があった。それは、氷を守れと密命を受けているコマにとっても不利益だったんでしょう。ですが、ザハリが執心しているのは僕だ。僕がはっきり拒絶したり、力で捩じ伏せるなどして改心させられればあるいはと考えたかもしれません。まさかミカ本人に捩じ伏せられるとはコマも思っていなかったでしょうが」
捩じ伏せたというのは大袈裟だろう。あくまで短刀を抜くのが間に合っただけで、まともに戦ったりなどしたら捩じ伏せられたのはこちらの方だ。
「…コマさんは、ザコルがこの領であまりいい思いをしてこなかった事、知っていましたか?」
「事さらに悪く言った覚えはありませんが、弟はどうにも執着しすぎるきらいがあるので会うのは避けている、くらいの話は過去にしたかもしれません」
「そっか、コマさんは、最初からザハリ様をどうにかする気だったかもしれない、という事ですね」
私を護るためであり、きっとザコルのためでもあった。本人に訊けば否定するに違いないが。
ザコルもコマも、優しさが分かりにくいのだ。
「邪教や王弟派からの曲者以外で僕の任務に差し障りを作るとすれば、領内ではザハリとその息のかかった者達を置いて他にありませんでしたからね。何度も僕を挑発して弟をどうにかしろと圧力をかけていたでしょう」
ザコルは椅子を引っ張ってきて、ベッドの脇に腰を落ち着けた。
「ふーむ、コマさん自身が手を下したら、最悪領同士の問題になっちゃうかもしれませんもんね。そういう事だったんですねえ」
「ミカ、ですからあなたが気にする必要はありません。というより、あの侮辱の言葉の数々だけでも処罰に相当しますから。止められなかった僕としても、ただ不甲斐ないという思いが残りました。ミカは気にしていないと言いますが、あなたは本来、あんな言葉を向けられていいはずのない人です。エビーが苛立つのも仕方ないかと…」
肩を落とすザコルの前髪をサラッと撫でる。弟の発した言葉とはいえ、ザコルが気にする必要なんてないのに。
「何となく、ザハリ様は自棄になっているようにも見えましたよ」
「…何とも言えませんが、義母は事が起こる前から既にザハリの仕打ちか害意について把握していて、真実を語らねば処分するなどの圧力をかけていた可能性があります。そうでなくては、シュウ兄様を目付にし、僕達の身辺を護らせていた事に説明がつきません。兄は今日まで詳しい理由を知らされていなかったようですが、あの兄は自分の目で見た事しか信じないタイプですから」
「双子の様子を見て自分で判断しろと。そういう事ですね」
「そうです」
私はベッドから腰を浮かす。
「お膝に入ってもいいですか」
「は、お、お膝に…?」
想定していない言葉だったのか、ザコルが虚を突かれたような顔で復唱する。
「ダメですか?」
「いえ、構いませんが、そ、それなら僕がそちらに座ります」
モコモコで動きにくいガウンとカーディガンは脱ぐ。ベッドに腰を下ろしたザコルの膝上に横座りし、キュッと首に抱きついた。
「どうしましたか」
「泣きたくなってしまったので、泣く前に甘えています」
「そうですか」
ザコルも私の背にぎこちなく手を回した。
「ザコルの代わりに泣きたかったな…」
目の周りがじんわり熱くなる。ダメだ。
「あの、ミカ、何か楽しい話でも」
「ふふっ、楽しい話。ザコルからそんな言葉が飛び出すなんて」
「……所詮僕は面白みのない人間ですよ」
そうだ。彼は何やら、二人の時は私を楽しませられていないのではと気にしているようだった。
「何言ってるんですか、私はいつも面白くて楽しいですよ。どこの世界に姫を椅子ごと持ち上げて拐ったり、大真面目にドングリ投げつけるヒーローがいるんですか。ふふ。…大好きですよ、どんなあなたも」
「ぼっ、僕を泣かせようとしているんですか。やめてください、もらい泣きするのはあなたなんですから!」
「ザコルったら、いつからそんなに涙脆くなっちゃんたんですか? 二人で号泣なんかしたらエビーに大説教されるでしょうねえ、ふふっ…」
冗談めかして笑おうとしたが、どうしても目の周りの熱が取れない。
今日の治癒の時の情景まで思い出される。初めて見た、ザコルの泣き顔。ああ、これはマズいかもしれない。
「ミカ?」
言葉を紡げなくなった私を心配し、ザコルが声をかける。
もう少しで涙が…という時に、トントン、控えめな音で扉が叩かれる。
ザコルが私を膝から下ろし、腰を上げた。
「何の用です、エビー」
ザコルがそう言いながら扉を開けると、エビーがお盆を持ち、少し気まずそうにしながら入ってくる。お盆の上にはホカホカと湯気をたてるマグが二つあった。ホットミルクのようだ。
「静かになったと思ったら、そんなものを用意しに行っていたんですか?」
「こ、これは厠行ったついでに…っ、…あの、もしや二人して泣いてんじゃねえかって…。心配しすぎでしたかね、すんません…」
一応まだ泣くまではいっていない私を見て、エビーがペコ、と頭を下げる。
「ふ、ふふ…っ。あはは、勘良すぎでしょ! 流石はエビー、さすエビだよ。今まさに二人で大号泣しちゃうとこだった」
「ぼ、僕は泣きそうになんて」
ランプの灯りでははっきりとは見えないが、ザコルの瞳が若干光っているように見える。エビーがその顔をサッと覗き込む。
「あ! やっぱり泣いてんじゃねえすか! 危ねえ!!」
「泣いてません」
ザコルがプイッと顔を背ける。
「あはは、子供みたい。ザコルはもう面白いんだから、ふふ、ふふっ。ふ…ふぅ、う…」
「姐さん!?」
「ミ、ミカ! 泣かないでください!!」
ザコルが慌てて私の元に駆け寄ってくる。
「だってぇ…エビーが優しいからぁ…」
「わー!! 俺のせいすか!? よよ余計な事してすんません!! どど、どうします!? 踊りましょうか!? ほら姐さん!!」
「お前は盆を持ったまま踊るな、落ち着け、タイタでも呼んでこい。四人で話していればまだマシな空気になるだろう」
「そ、そうすね!? タイさん、タイさーん!!」
エビーがお盆を持ったまま向かいの部屋の方向へ踵を返す。
「どうしたエビー!!」
呼び声に気付いたタイタが剣を片手にバァンと出てきて、ついでに同じ階に控えていたらしい使用人マダムや従僕達まで出てきてしまい、あわや大事へと発展しかける事となった。
◇ ◇ ◇
「全く、お前達は姫一人の心も慰められんのか」
大事になりかけた所でイーリアとマージが出てきて場を収めてくれた。
二人は私の翻訳能力が戻った事をいたく喜んでくれ、使用人達には、私達がそれを理由に騒いだようだと良い感じに説明までしてくれた。
そしてマージは執務の残りがあると言って退出し、私が『泣いてはいけない二十四時』をしていると察したイーリアはここに残ると言い出して今に至る。
「イーリア様にまでご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありません」
「ああ、私の可愛いミカ、あなたが気にする事じゃない。この唐変木どもに任せた私を責めておくれ。今夜はゆっくり語らおうじゃないか」
ベッドの上で、くつろいだ服装の女神が私を抱き締めスリスリと頬を寄せてくる。これは違った意味でマズい。
「…たった今、解決策を思いついたので皆出ていってくれませんか」
腕を組んでイーリアを睨むザコル。
「おーおー、無理矢理寝かしつけようって魂胆だろ兄貴。むしろさっさとそうしときゃ良かったんだろが、どうせ昨日の事引きずってヘタレモードになってたんでしょうけどお」
「うるさいエビー。僕は至って平常通りです」
「久しぶりの馬上だったってのに、行きも帰りもやけに大人しいなって思ってたんすよねえー…あだっ、何すんだこのヘタレ!!」
ドングリがエビーの額にめり込んでいる。
「エビーはやはりお二人をよく見ている、流石だな」
私達を二人にするのが早かったと反省しているタイタ。
「タイタは何も悪くありません」
タイタにはとにかく甘い兄貴。
「そうすよ、大体俺がトドメ刺しにきたみたいなもんですし…いや、ホントすんませんでした…」
キレたり落ち込んだりと忙しいチャラ男。
「うるさいぞお前達、黙ってセイザしていろ」
女神の喝が入る。
うちの可愛い護衛三人は、女神の命令により揃って床に正座させられていた。何も悪くないのに不憫だ。
「イーリア様、私も正座してよろしいですか。得意なんですよ」
私がすると言い出せば解いてくれるかもしれない。
「何故あなたがそんな苦行をしなければならない。私などアレをする度に脚が痺れて歩行困難になるのだぞ」
イーリアは異国から嫁いできた身だ。この地に伝わる正座という習慣には未だに慣れないのだろう。
「ふふ、イーリア様の長いおみ足には向かない座り方かもしれませんねえ。私は生粋の日本人ですので、むしろ馴染みがあります」
「ますます何故だ、あのカズも鍛錬の前に律儀にアレをして頭を下げるのだ。たまたまニホンではああいった座り方が流行っているのか?」
「いいえ、恐らくですが、私も中田も、サカシータ一族とは祖先を同じくしているだけかと思いますよ」
「は? それは私も初耳なのだが!?」
せっかくなのでイーリアにも忍者の話をする。長い夜には丁度いいネタ話だ。
「なるほどな、それにしてもあなたの知識の深さには改めて脱帽だ。数百年前の暗部構成員の実態にまで詳しいとは」
「お褒めいただき光栄です。しかし私程度では詳しいなどとはとてもとても」
相変わらず私の知識への期待値が高すぎる。
どれも雑学程度で、期待される程の専門知識はないとご理解いただきたい。
「カズがあれほど武術に通じ、ミカに素質や度胸があるのもシノビを輩した民族の末裔というならば全て納得だ」
どうしよう、イーリアが『日本人は全員ニンジャ』みたいな事を言い出してしまった。
「日本人が皆武術に長けている訳ではありませんよ。私は素人からザコル様に鍛えてもらっただけですし、中田は特例中の特例です。あの子はチャンポランに見えて合気道は真剣に極めていたようですから、私以上に武道の心得には詳しく、そして厳しいんでしょうね。日本のああいった武道の稽古場では流派等に関係なく、ほとんどが正座して礼をしてから厳かに鍛錬を始めるようです。中田もそれを守り続けているのかと」
ウンウンと頷く声がしたので誰かと思えば、妙に誇らしげな様子で腕を組んだザコルだった。
「流石はナカタだ。鍛錬への意識の高さは見習うべきものがある。アイキドーという武術に関してもぜひ話を聞きたいですね」
「ふーん」
「え」
何に驚いたのかザコルが硬直した。エビーが肘でドスっとつつく。
「ああミカ、あの気の利かぬ愚息はあと三日ほどセイザさせようか。興味深い話をありがとう。ぜひ我が夫にも聴かせてやってほしい。きっと驚くだろう」
「ご先祖に対して分かったような事をと、お気を悪くなさったりしませんでしょうか」
「そのような事ある訳がない。ミカの知識にケチをつけるのであれば我が夫であろうとも首を絞め上げてくれよう」
「絞めないでくださいお願いします」
まだ見ぬ子爵様が絞め殺されない事を祈る。
「イーリア様、話は変わりますが、ドーラン様はどうされているんですか。マージお姉様が心配なさっていましたよね、もし私に気遣って遠ざけているようでしたら、私は構いませんのでシータイに戻して差し上げてくれませんか」
「何と慈悲深い。ミカのお人好しは筋金入りだな。あのような者には勿体無い。捨て置け」
「いえ、マージお姉様が寂しがっているのではと思ったのです。彼自身が望んでいるならいくらでもカリューを支援なされば良いでしょうけれど」
「奴には賦役を課しているだけだ、心配いらない。もしもカリューで穀潰しになるようならこちらに戻すが」
賦役とは。権力者の命によって農民などが公共工事などに投じられる事で、労働力による納税手段である。
「ミカに失礼な言葉を吐いたのも言語道断だが、水害に献身する町民を見捨てて逃げ出すなど、仮にも関所を守る町の長としてあり得ぬことだ。あんな者でもマージの夫ゆえな。首を刎ねられないだけ重畳とマージも理解しているだろう」
「そ、そうですか。出過ぎた事を言って申し訳ありません。勉強になります」
ガバ、とイーリアが私を勢いよく抱き寄せる。
「ああ、なんと聡く愛い娘だろう! カズの奔放さにも心掴まれるが、ミカの聡明さ賢明さはこの世界全てを探したとしても全く得難い」
いや、今の流れのどこに褒められる要素があっただろうか。むしろ頓珍漢な申し出をしただけでは。
セオドアの美辞麗句も凄まじかったがイーリアも相当だ。流石は女帝というべきか。
「先程の手紙への返答も素晴らしかった。とてもこちらの言語を学んで一年も経たぬ人間が書いたとは思えないような文だったぞ。相手を気遣いつつも無駄な言葉が一つとしてない。祖国の腐れ貴族どもに読ませてやりたいくらいだ」
「お褒めいただき光栄ですが、過分なお言葉かと。テイラー邸にあった手紙の書き方についての指南書が優れていただけに過ぎません。それに、貴族の皆様がお使いになるような装飾的な表現や、親しい方に宛てるような柔らかい表現はまだ使いこなせていないだけですから。あの立派なお手紙に拙い字で返答するのは心苦しかったです」
「あなたの字は充分に美しいとも。それに私の手紙などただ堅苦しいだけだ」
「いいえ、誠実で威厳のある、イーリア様のお人柄がよく分かるお手紙でした。宝物にさせていただきます」
可愛い事を、とさらにスリスリとされる。ザコルの視線が突き刺さる。
イーリアもわざとやっているような気がする。
「イーリア様、このミカのお願いを聞いていただけますか?」
「ああ何なりと。あなたのためなら菓子でもドレスでも王冠でも、何でももぎ取って来てここに並べよう」
「お菓子とドレスに国の覇権を並べないでください。そろそろうちの可愛い護衛達の正座を解いてくださいませんか。今夜は特に冷えますし、固い床に正座は辛いでしょうから」
「そうだな。ミカの事は私が責任持って朝までもてなそう。ではお前達、自室に戻れ」
「そんな訳にいきますか!」
ザコルが勢いよく立ち上がる。
凄い、結構長いこと正座してたのに痺れてないんだろうか。
「いい加減にミカを離してください。シシはこの僕に朝まで見張れと言ったんですよ!」
「そのお前が力不足だからこうなったのだろうが、ミカを泣かせた罪で拘束を命じてもいいが?」
「物心ついてから投獄されるような罪は犯していない! …はずです!」
「そうかそうか、拘束後にじっくり釈明しろ」
「くっ、この…! 返してください! 僕のミカですよ!」
「お前のものは私のもの。よってこの娘は私のミカだ」
とんでもないジャイ○ン理論が飛び出した。
「どんな横暴だ…全く。ほら、ミカ。僕のお膝に入りたいのでしょう。どうぞこちらへ」
ザコルが再び正座し、自分の太ももをぺちぺちと叩く。
思わず飛びつきたい衝動に駆られるがここは我慢だ。
「ザコルは可愛い弟分達でもお膝に入れたらどうですか」
「ミカはまた何を怒って…」
「あ、あの、ザコル殿」
タイタがコソコソとザコルの耳に顔を寄せる。
「あなた様がナカタ殿をお褒めになった事が原因では…。母には、婚約者の前で他の女性を褒めるなど言語道断と教わりましたが」
「そ、そうかタイタ、なるほど……い、いや、いくら可愛い君の意見でも納得いきません。ミカは僕の前でも他の人間を容赦なく褒めちぎって労わるのに…!! 今もああして義母を平気で侍らせて。大体ナカタはミカの守護者でしょうが。僕は志を同じくする者として彼女を尊敬しているのであって」
「へーえ、尊敬までしてるんですか」
「え」
またザコルが硬直する。
「中田を守護というか世話をしてきたのは私の方なんですが? しなびた芋の様になりながら。ねえ? 師匠」
イーリアが無言で私を胸に埋めようとしてくるので格好はつかないが、この際なので言いたい事を言う。
「このタイミングでシショーはやめてください。それに僕は、ナカタの行動も少しは理解できます。自分の仕事に付き合わせる事で四六時中ミカを独占…いや、見守りたかったのでしょう。そのせいでミカがしなび…いやっ、衰弱するまでになった事は問題だと思いますが」
しなびた芋トラップには辛うじて引っ掛からなかったか。
「まあ、中田もかなり闇の深い子ですからねえ…。かくいう私も、今日こそキツく言ってやろうと思いつつ毎回失敗するんですよね。あの子はもう、見た目がとびきり可愛いからズルいっていうか、本人もそれを解ってやってるから一層タチが悪いっていうか」
「ふふ、ミカもなかなかの好き者よな」
「…っ」
女帝が私の腰を撫で上げる。変な声が出そうだからそろそろやめてほしい。
「ほーん、あのギャルが言ってた、ミカさんは『そっちの気』があるってのはマジでそういう意味だったんすか。ほおーん…」
セクハラ従者がこちらに何とも言えない視線を寄越してくる。こっち見んな。
「何を今更。ミカはずっと女性相手にいやらしい目を向けているでしょうが」
「いやらしい目」
思わずぶふっと吹き出しそうになって堪える。言い方よ。
「そういや兄貴は女相手でもいちいち嫉妬してますもんね」
「別に嫉妬なんかしてません。ただどうかと思っているだけです。以前からアメリアお嬢様を勝手に嫁などと呼んでいますし、ピッタ達にも若い女子成分を吸うだのと言って近づきますし、ホノルの笑顔が恋しいだの、マージに叱られたいだの、その義母相手には何度心神喪失しかけた事か!!」
「根に持ってんなぁ…」
「僕なんて思い知らせてやろうと何かする度に返り討ちに遭わされるのに! 全く納得いかない…っ」
「それは自業自得だろ」
「返り討ちとは何でしょう?」
「何だろねタイタ。エビーが勝手に言ってるんだよ」
「俺は見たまんまを言ってんすよお」
はて、どれの事を言ってるんだろう。
もしや髪にスリスリしたり、匂いを嗅いだり、耳を食んでみたりした件だろうか。
「どれも先にザコルが先に仕掛けてきた事ばかりだよ」
「確信犯で返り討ちにしてんじゃねーかよ」
「もう全員黙れっ!!」
「ふっ、くく、ふは、ははははは!」
イーリアが私を離して大笑いし始めた。ツボに入ったらしくお腹を抱えて笑い転げている。
「義母上、仮にも子爵夫人でしょう。いい加減にしてください」
「ふう、ひー…はあ、お前に言われたくないわ。しかしザコルよ、お前こんなに面白い奴だったのか。全く、よく喋る様になって」
むくりとイーリアが起き上がり、その目尻に浮かんだ涙を拭う。
「エビー殿。このヘタレの愚息はそちらで本当に上手くやっているのか?」
「ええまあ、よく喋るようになったのはミカさんが現れてからすけどね」
むう、とザコルの口元が歪む。相変わらず正直で雄弁な顔だ。
「本人はどう思ってるか知らねえすけど、伯爵邸の人間は割とこの人に理解あるんすよ。使用人も、お節介な第二騎士団長も、テイラー伯爵家の皆さんも。今思うと、兄貴もあまり気負ってる感じじゃなかったすよね」
「…まあ、暗部や王宮に比べれば、居心地ははるかに良かったです」
コホン、ザコルが咳払いをする。
「主様には随分と甘やかされていると思います。逆に、オリヴァー様には嫌われているのかと思っていましたが、それは誤解と分かりました。ハコネのお節介は嫌いではありません。使用人達も、僕を心配してくれていたようですし。奥様とアメリアお嬢様は、この僕相手でも容赦なく叱ってくださるので、本音を隠されるよりは付き合いやすいと思っています」
「ふふっ、アメリアには本当によく怒られてましたよねえ」
「どうせまた羨ましいだとか言うんでしょう」
「当たり前でしょう、十七歳の金髪碧眼超ド級美少女に叱ってもらえるなんてご褒美でしかないじゃないですか」
「確かに。それはけしからんな。話に聞くビスクドール殿の姉君だろう」
年齢不詳の金髪碧眼超ド級美女が同意してくれる。
「今思うと、私なんかより先にアメリアとそういう関係になっていなかったのが不思議です」
「は!? どういう意味ですか!」
「どうって、そのままの意味ですよ。だって、ザコルはあの邸を自由に出入りする事を許された唯一の現役貴族令息ですよね。アメリアも悪く思っていなさそうだったし、もしそういう事になったとしてもセオドア様達も止めなかったんじゃないですか。救国の英雄様がお望みってことなら王族でもそうそう文句言えないだろうし。伯爵位はオリヴァーが継ぐとしても、確かセオドア様は男爵位もお持ちでしたから婿入りも可能と言えば可能…」
ちなみに、誰が何の爵位をいくつ持っているかなどは貴族年鑑に詳しく掲載されています。
「め、め、めめめめめ滅多な事を言わないでください!! 年齢的にもスペック的にも釣り合わないばかりかあんな触れただけで捻り潰しそうなお嬢様だけは怖すぎて絶対に絶対に無理です!!」
ブンブンと首がもげそうになるほど横に振るザコル。
「ふーん、同年代で庶民スペックで丈夫そうな私は別に怖くないと」
「い、いや、ミカとて初めは儚すぎて触れるのも無理だと思っていたんですが…、そう、魔法を毎日毎日めげもせず試し、徹底的にやり込む姿をずっと側で見ていましたから。その根性と集中力は実に素晴らしいです。これならば生活を整えて鍛えてやればかなり強くなるのではと思いまして。実際ここまで仕上がってくれて僕は大変誇らしく」
「そっかあ…。私ってやっぱり、ザコルのザコルによるザコルのための理想の体に育てられてたんですねえ…」
イーリアの陰にそそそと隠れる。
「ほう?」
イーリアがザコルに顔を向ける。
「ち、違」
「あー、胸部やら腰周りやら脚のラインやら語ってましたもんねえ。ホントえっろいわあ」
「黙ってろエビー! それはアメリアお嬢様の指示で」
「やはりミカ殿は素晴らしい、猟犬殿に惚れ込みその隣に相応しくあれるよう血を吐くような努力をなさったという、新聞の記述はあながち間違いではなかったと」
「黙ってろ執行人!」
ザコルに罵倒されて、タイタがやけに嬉しそうなのは気のせいか。
「ミカ、その、僕の趣味のために鍛えたかのような表現は慎んでくれませんか。別にそんなつもりで修練を勧めたわけじゃありませんから!」
「えー、でも、弱いままだったら相手にもしてくれなかったって事じゃ…」
「そんな事は…っ、いえ。もう意地の悪い問い方はやめてください。強くなってくれた事は確かに嬉しいですが、僕はミカのその生真面目さや努力を惜しまない気概を尊敬しているのであって、体の強さばかりを気に入っているわけではありません。見た目の事はもっとどうでもいいです!」
プイ、と顔を背けられる。いじりすぎてしまったか。
イーリアの背後から出てベッドを降り、ザコルの前で床に正座する。
「失礼な事を言ってごめんなさい。ザコルが鍛えてくれたおかげで体の調子もよくなりましたし、鍛えていなければこうしてここまでの旅を楽しむこともできませんでしたから。師匠にはとても感謝しています」
そう言って三つ指立ててお辞儀する。
「それから、可愛い女子も美女も確かに大好きですけれど、不安にさせていたならごめんなさい。あまりベタベタしないように気をつけますね」
「うっ…。そ、それは、ミカは、元々男性が得意でないのですし、勢いで責めるような事を言ってこちらこそすみません。…ですが! あの義母は特に度を過ぎる事がありますから、嫌な事があれば我慢せずに言っていいんですからね。どうせあれはミカが嫌がったとしても喜ぶタイプの変態です!」
ザコルはイーリアをビシィと指差した。
「おい、さっきも言ったがお前には言われたくないぞ。儚かったミカを自分好みに肉体改造した変態愚息め」
「それは誤解だと何度も言っているでしょうがこの変態義母め!」
イーリアはまるで響いていないような顔で、私ににこりと微笑みかけた。
「さあ戻っておいでミカ」
「そうはさせません」
イーリアが手を伸ばしてきたものの、タッチの差でザコルが私の腕を掴み、イーリアから遠ざける。チッ、とイーリアが舌打ちする。
ふふっ、と笑みをこぼせば、ザコルはホッとしたように息をついた。
「ザコル、中身を気に入っていると言ってくれてありがとうございます。でも、あなたが喜んでくれるのなら私、いくらでも自分を鍛えますからね」
「…っ、ミカが、そう言うなら。正直今くらいで十分かとも思いますが、いくらでも付き合いましょう」
「嬉しいです! じゃあ、明日は久しぶりに二人で走りませんか」
「いいですね、なら…」
がし、エビーがザコルの肩に手を置く。
「おい丸め込まれてんぞ兄貴。明日は休ませんだろが」
「は…っ!! 危ない、今どうして僕は応じてしまった…?」
ち、気づいたか。
「下げに下げられてから甘い事言われたんでテンション上がっちまったんすよ。ったくこの姫は…」
「止めないでよねエビー。私はさっさと中田に追いつかないといけないんだよ。でないとザコルのライバル枠が取り返せないでしょ」
「僕の、ライバル枠、とは…?」
ザコルが宇宙でも見たような顔になる。
「そ、そのお気持ちは解る気がします!」
タイタが身を乗り出してきた。
「ザコル殿が戦闘能力や鍛錬にかける志を手放しで褒めるだなんて、同世代では前代未聞ですし、俺も何故か無性に悔しい気持ちが湧くのです! たとえ身の程知らずと言われても、俺もそのライバル枠とやらを目指したい…!!」
「ちょいちょい、ミカさんやタイさんまで最終兵器になるつもりすか、今度こそ国が転覆…」
「タイちゃん、一緒に目指そうね最終兵器! 今日からタイちゃんも私のライバルだよ!」
「はは、望むところですミカ殿!」
タイタとガシィ! と握手を交わす。ザコルの手よりさらに大きくて剣ダコのある、実に騎士らしい手だ。
そしてすぐに、べり、とはがされた。
「ミカさん、寝れそーですか?」
その後も楽しくおしゃべりしていたものの、少しうとうとしたのをエビーに見られてしまったようだ。
「うん…たぶん。ありがと」
じゃあそろそろ、と言って正座から立ち上がろうとしてエビーが倒れた。
「あ、脚が…いうこときかねえ…!? 何だこれ!?」
つん。
「やめ…!」
つんつん。
「脚に触んな姉貴! やめろって! ひゃ」
「痺れてるだろうなって思ってたんだよねえ」
「さっきまで感覚失くなってて、それがちょっと解けたかってとこだったから立てると思った…っのにっ…やめっ! やめろって!」
「タイちゃんは大丈夫?」
「お、俺も丁度感覚が失くなっているところで…はは」
「こうやって腰を少し浮かしてね、両足の指を曲げて、座ったまま足先だけ背伸びみたいな形作ってみて。それ以上立ち上がらなくていいから、そのまましばらくしてると比較的早く動けるようになるよ」
「なるほど、こうですね!」
「何で俺には先に教えてくんねーんすか!? やめっ、やめろってんだろクソ姉貴!」
「このように、背筋を伸ばして体重を前方にかけるように座っていれば痺れにくいです」
「兄貴も座る前に教えてくれよ!」
へー、そうなんだ。感心しつつ、ザコルの姿勢を見て真似てみる。
まさか異世界に来て正座のコツを教わるとは思わなかった。今度長時間正座する事があったら試してみよう。
「ザコルは朝まで正座してた事もありましたもんね、起きたらまだ枕元にいるんだもん、びっくりしました」
「ああ、あの火酒のせいでミカが倒れた時ですね。僕の不注意も過分にありましたから、反省のために…」
「色んな事がありましたねえ…。でも楽しかった。また二人旅もできるといいですね」
「そうですね」
「…妬ましい。ミカと二人旅だなどと。よくもあのテイラーが許したものだ」
イーリアがザコルが唸る時と同じ様な顔をして睨んでいる。つくづく思うが、血の繋がりが無いとは思えないくらい感情表現がそっくりだ。
「監視は付く予定だったんすけどねぇ…魔の森に突っ込んで味方ともども振り切られちまって。聞いてくださいよ女帝様ぁ」
「許す。存分に語れ」
エビーが床に転がったまま、ザコルへの恨み言をイーリアに告げ口し始める。
長くなりそうなので、ザコルの後ろに回って肩を揉み…っ、固すぎる…! ので、仕方なくさすってマッサージをする。
さすさすさす、さすさすさす。
「またそれですか。懲りませんねミカは…っ、ふっ、くく…ははは」
その瞬間、イーリアが驚いたようにこちらを見た。そして、柔らかく微笑む。どこか泣きそうにも見える微笑だった。
彼女はしばらく慈しむように、その視線に気づかず笑い続けるザコルを見つめていた。
つづく
今回もぐだぐだ回です




