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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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だから、僕は大丈夫なんです

 案内された三階の一室で待機していると、トントン、とノックする音があり、玄関に迎えに出ていたエビーと共に町医者のシシが入室してきた。


 シシが黙って一礼したので、私も立ってカーテシーで返す。

 シシが着席してから、あらかじめ用意していた文を見せる。


『遅い時間に感謝いたします。発熱した子供の加減はいかがですか』


 診療所にいた赤ん坊の方はおそらく大丈夫だろう。

 うたた寝の後に見た時は随分と顔色も良くなっていたし、呼吸も落ち着いていた。あくび程度の少量の涙が効いたかどうかは定かでないが、予断を許さぬ状況は脱したように見えた。今、私が聞きたいのはミワという女の子の方だ。結局、氷を託す事しかできなかった。


 シシはその文章を見て、ふむと頷き、私の画板を取って返答を書きつける。


『氷を届けさせてくださり、感謝いたします。氷を口に含ませたら喜んでいました。おそらく、容体は回復に向かうはず。後でまた様子を見に行くつもりです』


 医者という生き物は、余程確信がないと回復するとは口にしないらしい。責任が持てないからだ。だが、私は少々特殊な立場にある。ただ私を落ち着かせるだけのために言っていて欲しくない言葉だ。


『方便ではありません』

 疑う気持ちを見抜かれたか、シシがそう書き加えてニコリとした。

『良かった』

 そう書きつけ、ホッと胸を撫で下ろす。今夜のうちに熱が下がるよう祈ろう。


『あなたの体調を知りたい』

 その言葉に、これもあらかじめ用意していた文面を見せる。


『眠く、怠さはありますが、体調が特別に悪いという程ではありません。今日は大樽にして五十五から六十杯、湯沸かししました。診療所で氷を作った後、少しうたた寝をした際に悪夢にうなされたようで、知らぬ間にかなり泣いてしまったようです。おそらく、それが決定打かと考えています』


 シシは私の許可を得て、下瞼をめくったり首のリンパを触診するなどし、おおむね体調に異変がない事を確認した。


『魔力の輝きは弱々しく、今にも消えそうな程にしか残ってはいないように見えるが、その他の体の機能は問題ない。これ以上魔法を行使せず、ひとまずは朝までゆっくり過ごす事。明日もなるべく休むべき』


 シシはまるでカルテでも書くようにスラスラと綴り、サッと私の前に差し出した。


『感謝いたします。先生が魔力を切らした時は、いかがでしたか』

『三日、意識が回復せず。起きた時は、親の方が憔悴していました』


 三日か…。それは長い。今私がそうなったら大騒ぎになって、多方面に多大なご迷惑をおかけするに違いない。氷結や湯沸かしに関しては、物理的に水を遠ざけていさえすれば確実に発動を防げるだろうが…。


『うなされて泣く、心配。対策はありますか。寝ない方が』

 ザコルが隣から腕を伸ばし、私の手から鉛筆を取る。

『僕が朝まで見ている。泣いたら起こす。安心し寝ろ』

『それがいい』

 反論しようとしたら、シシまでサッと賛同の言葉を書きつけてくる。むむむ。


 シシはさらに続けてペンを走らせ、ザコルの方を手の平で指し示した。


『少し、彼と話をしても』

 私でなく、ザコルと話があるから直接言葉を交わしていいかと許可を求められている。コク、と頷く。



「〜〜〜〜、〜〜〜〜〜…」

「〜〜〜…」

 目の前で堂々と内緒話されているのは不思議な気分だ。


 シシもザコルも私の事をチラチラと見ているし、当然ながら私に関する事だろう。

 二人が私を悪いようにしない事くらいは分かっているので、無理に問いただすような事をするつもりはないが、何となく落ち着かない気持ちにはなってくる。


 後ろのエビーやタイタを振り返ったら、にこ、と微笑まれてしまった。内緒話の許可を出したのは私だ。この二人に訊くのも卑怯か。

 まあいい。教えてくれなかったら後日、魔力が回復して話せるようになってから聞き出そう。


 不意に、ザコルが私の方を向いた。そしてグッと私の頭を掴む。あ、嫌な予感。

 力で抵抗できる訳もなく、無理矢理口づけられた。


「んむむ、んむむむー!?」


 数秒してシシがバッと身を乗り出してザコルの肩を叩く。ザコルもパッと口を離した。


「これ以上は。ザコル様ご自身の魔力が移りかけました」

「そうですか。ミカの魔力が残り少ないとそういう事もあるのですね」


「もう、何するんですかぁ…」

 ザコルとシシが同時に私の方を向く。


「ミカ様」

「ミカ、言葉が解りますか」

「えっ? あ、わ、解る、解ります! え…?」

 私は思わず自分の口に手をやる。


「僕の中に残っていたミカの魔力を返しました。そう大した量ではないと思いますが」

「ああ、そっか、そうなんだ! 凄いです! ありがとうございます!!」

「いえ、元はと言えばあなたの魔力ですよ」

 ザコルがほのかに笑い、私の頭を掴んでいた手で頬をスリ…と撫でてくれる。温かい。


 つまり、魔力が戻され、補填された事により、翻訳チートが無事稼働し始めたのだ。


 きちんと残量などは把握していなかったが、ザコルは私の魔力をまだ持っていたという事だ。シシは魔力を色として見られる能力者なので、ザコルの様子も見て可能性に気づいていたのだろう。

 …何気に今、初めて魔力移譲という現象がシシの証言以外で証明されたように思う。


「はー、ミカさん、良かったですよお…。過去の奇行にも感謝っすねえ」

「本当に。シシ殿のおっしゃる通りになりましたね!」

 後ろの二人も安堵し、喜んでいる様子だ。奇行に感謝とは引っ掛かるが…。


「皆、心配させてごめんなさい、私があそこでうたた寝なんてしたばっかりに」

「疲れていたんでしょう、不可抗力です。ミカは悪くない」

 ぐう優しぃ…。さっきまた無理矢理されたけどぉ…。

 独り言を感知されたか、ぐい、撫でていた手で頬を押され、近かった距離が離される。


「ミカ様、ようございました。他に違和感や疑問はございませんかな。どんな小さな事でもお話しください」


 私はシシの方に向き直る。


「ありがとうございます先生。…そうですね。今回の魔力切れとは直接関係あるかは判りませんが、私、無意識に人や空間に魔力を流しているという事はあり得ますでしょうか。どうにもこの町の怪我人達が、元気になるのが早いような気がして…」


 少しストレートに訊いてみた。

 シシはもう治癒能力について判っているだろうし、今後のためにもはっきりさせておきたい。


 シシは深く頷いた。


「いつもの、魔力が溢れた状態のミカ様であれば、そうでしょうな。もちろん一般の人間に魔力の色などが直接移っていくような事はありませんが、ミカ様の近くにいる者が『元気をもらっている』状態なのは確かだ。決して精神的な比喩などではない。…申し訳ありません、黙っていた事を謝罪いたします。あなた様のご意志より、領民の益を優先したと取られても仕方のない事でした」


 シシが頭を下げる。


「いえ、先生が黙っていてくださって却って助かったと思っています。先日診ていただいた時は私も気が動転していましたから。あの時点で広範囲に影響を与えていると知ったら、最悪、町を飛び出していたかもしれません。そうなれば私の身こそ危うかった。どうか頭をお上げください」


「そうおっしゃっていただけるのなら…」


 彼の真意は他にもあるかもしれないが、私自身が、魔力が引き起こす奇跡の副作用のようなものを心配し、怯えていたのはシシも察していたはず。

 今だってその心配が完全に晴れたわけではないが、コマやザコルの『深刻に捉えなくていい』という言葉を信じる事に決めた今は、彼の言葉も冷静に受け止められる。タイミングって大事だ。


 ザコルに移してしまった魔力もこれでほとんど返ってきたようだし、自由に移譲がし合えると判った今は、必要以上に恐れる事もないだろう。

 ただ、自分が魔力切れの時には、彼の元来の魔力まで吸い取りかねない事が先程判明している。

 今後、どれだけザコルに魔力を移しているかや、自分の残存魔力などはそれなりに把握しておく必要がある。ついうっかりでザコルを倒れさせては元も子もない。


「よく考えると、近くにいるだけで『元気をあげられる』ってなかなかの反則技ですね。私が得するばかりになっちゃいそう」

「は? 今度こそ何を言っているんですか。逆でしょう。周りの者こそが得するばかりだ」

「いいえ、一見そう見えるかもしれませんが。私の近くにいると必ず元気になれるとしたら、私に対して無条件で好印象を持ってしまうかもしれないって事でしょう。それは回り回って、皆が私の意のままになりかねない、という事になりませんか」

「いや、まあ、確かにそういう見方もできなくは…」


 だが、しかし…とザコルがぶつぶつ言っている。


 実際、そういった系統の能力で無条件に愛される系ヒロインや聖女はラノベの中にはいくらも存在する。そういう主人公の事は別にどうとも思わないのだが、自分自身の事となると話は変わる。正直そんな無自覚チート一本でチヤホヤされるような自分は『解釈違い』なのだ。それに何となく人間不信にもなりそうでもある。


 しかしそういう星の下に生まれてしまったのなら仕方ない。よし、せいぜい自分に厳しくしてバランスを取る事にしよう。



「…ミカさんよう、今、また何か自分に余計な縛りやら試練やらを課そうとか考えてません…? いや、絶対考えましたよね?」

「エビーったら、そんな事考えてないよ。良くしてくれる皆に恥ずかしくないよう頑張ろって思いを新たにしただけ」

「いや何でだよ、逆だろ…!? あんたに世界を愛してもらえるように頑張んなきゃなんねえのはこっちなんですけど!?」

「エビーは充分よく頑張ってくれてるよ。皆にも充分良くしてもらって、何ならしてもらい過ぎてるくらいだよ」



 そんな皆に甘え過ぎないよう、自分を律して努力するのは当たり前だ。というかそれくらいしか私にできる事がない。


「ミカ様は実に思慮深く、そして高潔でいらっしゃる。聖女の名に相応しい人格者であられますな」

 シシが落ち着いた声でそんなことを言う。

「い、いえそんな事は全くありません。皆が優しいだけですから先生」


 そんな風に褒められると逆に気を張っている自分が恥ずかしくなって来た。

 そうか、これはそれを見越した忠告なのかもしれない。聖女などと呼ばれたのを真に受け調子に乗るな若造がという大人視点からの諫言か。きっとそうだ。流石は名医、諭し方もスマートだ。


「考え過ぎる所が玉に瑕のようですなあ…」

「え、何かおっしゃいましたか」

「いえ、何も」

 しまった、考え込んでいてちゃんと聴いていなかった。集中しよう。


「そうだ、もう一つ質問が。先生、その魔力の垂れ流しによって私の気分が皆に伝染するような事ってあります? どうにも、私が落ち込んだり謝ったりすると、皆まで落ち込んで謝り始めるもので…」


 ガタ、珍しく物音を立ててザコルがこちらを向いた。ローテーブルに脚をぶつけたらしい。


「ミカ、今度の今度こそ言わせてもらいます。それは絶対に魔力のせいなんかじゃありません。ミカがお人好しすぎるから皆が自分を省みて申し訳なくなるだけです!」

「ええー、何度も言いますけど、私、全然お人好しなんかじゃありませんよ。いい性格してますし…結構凶暴ですし…」


 充分好き勝手にやっているつもりだ。助言を聞かない事だって多いし。人をやり込める時なんか自分でも性格悪いなと思う。


「いーや。確かにいい性格っつうか容赦ねえなと思う時もありますけど、あんたは紛れもなくお人好しっすよ。そりゃあもう代わりに怒ってやりたくなるくらいには」

「ザコル殿とエビーの言う通りです。そんなお人の好いミカ殿に謝られると、こう、堪らない気持ちになるのは致し方ありません」


 エビーやタイタまで同調してくる。


「ええー…何なの皆…。やっぱり私に操られてない? 大丈夫?」

「操られてなんかねえわ! 見くびんなよ姐さん。今日だって言いたい事山程あんすからねえ、寝られねえなら大人しく叱られやがれこの馬鹿姉貴め!!」

「本当!? 叱ってくれるのエビー」

「えっ、い、今のは勢いっつうか、そんなキラキラした目で見られると…」


 エビーが後ずさる。


「エビー、期待していいんでしょうね。君がこのミカをまともに叱れるというならぜひ応援します。ちなみに僕は自分を棚に上げてミカの落ち度をつつく自信が全くありません」

「兄貴は開き直んなよ!」

「嬉しいな、今日は私も反省したい事ばっかりで。翻訳オフ状態になっちゃったから反省会は諦めてたんだけど。この際だからたくさん叱ってよ、エビー」

「いやっ、ただ俺は痩せ我慢とか、何言われても許そうとするのとか、そういうのをやめろって言いたいだけで…っ」

「その通りです。もっと言ってやってくださいエビー」

「兄貴は自分で物申せよおお!!」


 コホン。シシの咳払いにハッとする。


「…あ、えっと、すみません、先生」


「いえ、若いとは素晴らしい事ですな。先程の答えですが、私としては可能性は低いと考えております。ですが、私の力では人の心までは覗けませんから、絶対という事は言えません。ただ、もしもミカ様の気持ちに人々が引っ張られているとすれば、例えばあの新聞報道の後の暴動未遂は起きなかったはず。そうではありませんか」


「確かに…!! 流石は先生! 夜になっても全然収まりませんでしたもんね!!」


 私は戦争なんてまっぴらゴメンだったが、民衆は完全に王家と全面対決する気でいた。もし私の気分が伝染していたならああまで大事にならなかったはずだ。


「あの時の演説は私も放牧場の隅で聴かせていただいておりましたが、お見事でしたよ。ミカ様自ら常軌を逸した考えを示される事で、民たちの昂りを削いでしまうとは。さりげなくザコル様に同情が集まるようにも仕向けておられましたな」


「ふふ、それこそ買い被りすぎですよ、先生。何しろ私、変な女ですから」


 ジト…。横から視線を感じる。


「その変な女にまんまと乗せられて止めに入らされた僕は何も言えません。ただ、タチが悪いとしか…。それに皆勘違いしている。ミカは全て本気ですよ」

「まさか。全部は本気じゃないですよ」

「はは、そうでしょうとも。ザコル様もなかなかの心配性ですな」

 シシは微笑ましそうな顔で頷いている。


「そうですよ、全く過保護なんだから。この町の中でできそうな事や水害の記録なんかはしっかりやりますけど、例えば狩りや枝拾いは行けたら行くって感じですよ。時間のロスも多そうですしね。ああでも明日どうせ魔法使わずに休むなら午後から森の方へ行ってみてもいいですか? 午前中の鍛錬ではしっかり弓をおさらいしなきゃ! 枝拾いだけでもいいけど何か獲れるといいなあ。ああそうそう、もちろん王宮まで行って豚を仕留めるってのも本気じゃないですよ。あっちから来るなら話は別ですけど。そう考えるとやっぱり鍛錬は必要ですね、やっぱり、私自身が曲者の掃討に参加できるくらいの方が皆も安心でしょう? まさかあの子があんなチートキャラになってるなんて。先輩として負けていられません。次は私もあのドングリ合戦に絶対参戦してやりますから!」


 このままだと中田に全部持って行かれてしまう。ザコルの理解者が増えたのはいいが、ライバル枠は何とかして取り戻したい。このままでは妬ましくてどうにかなりそうだ。


「土木関連はザッシュお兄様に教えを請えそうなので楽しみです。水害に強い街づくりに少しでも貢献できれば御の字ですよね。今の内に知っている事をしっかり整理しておかないと。早速後で書き出してみようかな。サカシータ子爵様にはいつお会いできるんでしょうか。持ち場を離れられないようであればこちらからアカイシ山脈に出向きましょうか。非常事態で渡り人の調査どころではなかったですが、セオドア様と約束した以上、必要最低限の情報は持ち帰らないといけませんよね。後世のためにもせめて本の一冊や二冊くらいは残したいです。シータイとカリューははなるべく往復して『元気をあげる』機会を増やして、氷やお湯の提供はもちろんですし、どうにかして除雪にも協力したい所です。魔法の出力を上げたら雪の状態から一瞬で蒸気に変える事くらいできそうな気がしません? そうすれば再凍結や洪水の心配もないでしょう! それからんむがっ! んんんむうー!?」


 ザコルの手によって口を塞がれてしまった。語りたい事はまだまだあるのに何をする。


「……いいですかミカ。どうして明日は休めと言われているか解りますか」

「ん、んむ…?」

「体調と魔力の調子は直結するからですよ。鍛錬に狩りに枝拾いなんて以ての外です。それに、今日よく判ったでしょう、湯なら大樽六十杯、それが目安で限度なんです」


 ニコォ…。魔王が微笑う。

 静かに、しかし空気がドッと押し寄せるような感覚。これぞ魔王の圧。殺気とは違うがこれはこれで癖になる。


「ミカが言葉を失って、僕も皆もどれだけ焦ったと思っているんです。あなたからは全く危機感が感じられませんでしたが」


 だって、直に会話はできなくても筆談はできるし、全然困らないなと。やっぱり素養は身を助けるよねー。


「それで、雪を一瞬で蒸気に変える、でしたか。そんな魔法を新たに作り出して、一体どうするつもりなんでしょうね」


「んむ、むむむう、んむむ!」

 そりゃまあ、除雪できたら皆助かるだろうし、試してみる価値はあるかと!


「ミカはかつてこの領を『雪国』と称していましたが、その割に雪を舐めていませんか。この辺りでは真冬ともなると一晩で大樽六十杯なんて比にならないくらい積もるんですよ」


「んむー? んむんむ、んむむう」

 へええ、凄い、そんなに降るんだ。不謹慎だけどやっぱり楽しみだなあ。


 ゴゴゴゴゴゴゴ…。

 ザコルから発せられる圧が強まる。


「…いいですか。そんな途方もない量の雪を前にして、そんないかにも魔力を食いそうな魔法を使って、ついうっかりで広範囲の除雪なんか試みてみろ、今度こそ間違いなく昏倒するぞこのクソ姫が!!」


「……っ」

 キーン…。近くで大声出すから耳が…。


「シシ」

「は、ザコル様」

 真剣な眼差しをしたシシが、胸に手を当てて魔王の言葉を待つ。


「魔法禁止、休養中とお前の字で大きく書いた紙か布を用意しろ。署名入りでだ。ミカの背に数日の間貼り付けておく」

「承知いたしました」

「んんんー!?」


 シシが頷き一礼した。

 私なら魔力回復に数日もいらないと思うのに。お風呂や林檎ジャム作りが滞るじゃないか。


「んん! んむむ!!」

「暴れないでくれますか。先程もついうっかりで牛乳を温めようとしましたよね。魔力が完全に回復するまではこの僕が四六時中監視してあげましょう。どのみち居眠りでもしてまたうなされたりしないよう見張らないといけませんから。明日は一日、この屋敷の敷地から出しません」

「んんんんー!?」

 早朝訓練はどうするつもりなんだ。

「タイタ」

「はっ」

「明日、僕の代わりに同志達の訓練を仕切れ。後でメニューを紙に書いて渡す」

「承知いたしました」

 執行人もスッと一礼する。

「んむ…っ!!」

「エビー」

「はい魔王殿」

「カファと屋敷の使用人に明日と明後日の入浴支援は中止、それ以降も未定だと伝えておけ」

「んむう!?」

「承知っす」

 エビーは軽い調子で敬礼した。

「シシ、明日の午後ミカの再診をお願いします。時間は任せます」

「では午後の診察が始まる前にこちらへ伺いましょう。ザコル様、今夜はくれぐれもその献身が過ぎる聖女様から目を離さぬようお願いいたします。念の為、文房具や裁縫道具なども遠ざけておかれるのが良いでしょう」

「んーんんんー!!」

「エビー」

「はーい。使用人のお姉さん方に言って荷物からあらかた抜いといてもらいましょうねえ」

「んむううう…!?」


 そこまでするかと反論する機会も与えられないまま、勝手に話が決まってしまった。


 ◇ ◇ ◇


 私の口を押さえたまま解散の流れとなり、シシが帰り支度を始めた。帰りの挨拶くらいはさせてもらえるんだろうか。


「シシ。ミワの往診に行くのでしたね。カリューにいるミワの叔母が心配していたと伝えてください。叔母は元気そうだったとも」


 ザコルがそう声をかけると、シシが虚を突かれたような顔をした。


「…ザコル様、やはり変わられましたな。いや、元来あなたはそういうお人だったのか…」

「何ですか、シシ」

「いえ。ミカ様の護衛も大変そうだなと思ったまでですよ。懐かしいですな、その澄んだ若葉のような魔力。お人好しの聖女様にはお似合いだ」

「それは、どうも……」


 訝しげな顔をするザコルに、微笑ましげな笑顔を取り戻したシシ。


「んん」

 ふふ。


「何を笑っているんですミカ。今日はもうさっさと寝てもらいますからね。エビーの説教も明日聞いてください」

「んんーんんん…」

 ええー、残念…。

「そうすね、お人好しの魔王殿もやっと物申す気になってくれたんで。先生のお墨付きも出ましたし、せいぜい枕元でお小言くらってください」

「僕はお人好しなんかじゃありません」

「何すかねえ、俺、魔王にも説教しなきゃなんねえんすか? 俺は兄貴の扱いにだって今すぐ文句つけて回りたい気分なんすけど」

「エビーがそう言うなら俺もぜひ同行しよう」

「お、執行人殿が本気になったら怖いっすよお」


 ああそっか、エビーはザコルが自分の扱いを甘んじて受け入れている事にも苛立ってたんだ。


 今日は、ザコルが領内で冷遇されていた本当の原因が判明した。

 ザコルはずっとザハリを警戒していたが、実は庇ってもいたのだろう。カリューで英雄になった今、ザハリの言う事が妄言だと声を上げれば、ザコルの方を信じる人だっていただろうに。

 ザコルはそれを敢えてしなかった。ザコル本人に確認すれば、必ず否定するんだろうが…。


「エビー、タイタ。君達は僕にずっと良くしてくれているでしょう。僕には、それで充分なんですよ」

「…っ」

 一瞬、エビーが言葉を詰まらせる。

「も、もおお急にデレんじゃねえよこの変態兄貴! すぐドングリ投げつけてくるくせにさあ!」

「贅沢を言うなエビー。俺がどれだけそのドングリを切望していたか!」


「君達は、先程からドングリ合戦に参戦するとか、ドングリを投げつけるとか、ドングリを切望するとか一体何の話を…」


 基本的に、余計な事をツッコんでこないシシがついに堪えきれなくなったらしい。


「昨日ミワを始めとした子供達に投擲を教えたんです。その際、庭に落ちていたドングリを使わせたんですよ。タイタ、この袋はミワにやってもいいですか」


 ザコルが懐から布袋を取り出す。タイタから献上されたドングリ袋だ。中田を交えたドングリ合戦で大分使い込んでしまったのか、中身は半分以下になっている。


「それならば俺のドングリもそちらに足しましょう」

「んー!!」


 タイタも自分の懐からドングリ袋を出したので、私も自分のドングリ巾着をカバンから外して掲げる。

 三人分の残弾を合わせたので、ザコルが持っていた布袋は再びドングリでみっちりと膨らんだ。


「シシ、見舞いの品です。ミワに渡してください。良くなったらまた字や投擲の練習をしましょうと伝えてくれますか」

「はは、全く、君達ももういい大人でしょうが、皆して何を持ち歩いているんだか…」


 シシが呆れ顔の半笑いでドングリ袋を受け取り、往診鞄にしまった。


「子供の世話までなさっていたとは驚きですよ、ザコル様」

「ただの成り行きです」

「とか言って、一緒に風呂まで入りましたもんねえ。あいつら明日も来るんすよね。すっかり懐いちまって」

「皆、将来はザコル殿のようになるとはしゃいでいましたね。常人ではあり得ぬ程に鍛え上げられた筋肉を見て、俺達も男児達と一緒に目を丸くしてしまいました」

「目を丸くしてたのは筋肉だけじゃねーすけどねえ…」

「んん?」

「あ、いや何でもねーっす。ほら、そろそろ離してあげてくださいよ兄貴」


 エビーの言葉に、ザコルがやっと頬ごと掴んでいた手をどけてくれる。


「ぷは、幼児君達は何に驚いてたって…」

「あー、先生、帰りに使用人のお姉さんに紙か布用意してもらうんで、一筆書いてってくださいねえ」


 あ、話逸らされた。何なんだ一体…。


「ええ、必ず。町長と使用人達にもザコル様が張り付いて見守る旨を伝えておきましょう」


 シシ先生まで真剣な顔で頷いちゃって。


「いや、どれだけ信用ないんですか私。そこまで言われなくたって明日は一日魔法使わない気でいましたよ」


 また小さな子が熱を出したなんて事が無ければだが。あ、魔王がこっち見た。


「どうせ、ミカには僕の気持ちなんて解らないでしょう。ミカに何を言っても通じなくなって、ミカの方も何を言っているのかさっぱり解らなくなって、当然独り言も解らなくなって…! 僕は本当の本当に焦ったんですからね!?」

「ええー、その割には冷静だったじゃないですか」


 私が『翻訳不可』と書いて見せた後、まず何をおいても『体調は』と書いてくれた事。

 小さな事かもしれないが、あの短い走り書きの中に彼らしい機転とまっすぐな優しさが詰まっていて、あの一言が書かれた紙は一生捨てられそうにないと思ってしまった。


「何が冷静なものか! 危うくセオドア様にもあなたの祖母君にもナカタにだって顔向けできなくなる所だったでしょうがこの察しの悪い僕が筆談のみで気持ちなんて理解できるわけないのにミカは人を揶揄って遊んでさえいるし一体どんな肝の据わり方をしていたらこの非常時にそんなに楽しそうにしていられるんだって」


「ふふ。『楽しそう』って私の気持ち、ちゃんと分かってるじゃないですか」

「笑い事じゃありません!! 僕はちっとも楽しくない!!」


 がくがくがく。


「かっ、肩を揺さぶら、ないでっ、ザ、ザコルの言う通り。私は皆との筆談とっても楽しかったですよ。色んな発見がありましたし、この機に口語の綴りや文法の勉強も捗りそうですし」

「この後に及んでまた勉強する気ですか!?」

「その勉強のおかげで今回困らずに済んだんじゃないですか。ザコルも手紙のやり取り付き合ってくれるんですよね。鍛錬として」

「う、ぐっ、鍛錬として、なら…」


「兄貴」

 エビーがザコルの肩に手を置く。


「いい加減その鍛錬っていう単語に惑わされないでくださいよ。ミカさんに勉強なんか許したらそれこそ寝なくなりますよ。大丈夫すか、やっぱり俺も一緒にいましょうか? 兄貴だけじゃ姐さんにまたやり込められちまうんじゃ…」

「エビー、流石に僕を子供扱いしすぎでは…」

「そうだよ、やり込められるって何よ。人聞きの悪い事言わないでよね。心配いらないから、エビーとタイタはゆっくり休んで。見守り人数が増えたらとても寝ていられないし」

 はあ、とエビーは溜め息をついた。

「まあ今日はどうせこれ以上いちゃつけやしねえだろうから別にいいんすけどぉ…。うちの可愛い兄貴をこれ以上追い詰めないでくださいよねえ」

「エビーったら。何なの、いつの間にザコルの側についちゃったの」

「嫌ですねえ。俺なんかが兄貴についたって姉貴には勝てませんよお」


 エビーはそう言うと、出入り口の方へ向かい、扉を開けた。

 帰り支度の済んだシシが一礼し、エビーに伴われて部屋を出ていった。


 ◇ ◇ ◇


「エビーは、僕とミカを二人きりにさせるのに反対だったのでは…?」

 ザコルが訝しげな表情のまま、エビーとシシが去った扉を見つめている。


「多分、エビー自身は反対していないんだと思いますよ。元々『兄貴』のことは信用しているみたいですし」


「…あの、ザコル殿。発言をよろしいでしょうか」

 タイタがソファに座るザコルの側に跪く。


「タイタ、僕に発言の許可など必要ありませんよ」

 その言葉にタイタは黙ったまま一礼で返す。


「エビーはあなた様をずっと気にかけておりますよ。特に町民の態度には前々から納得できていなかったようで、昨日のミカ殿ファンの集いでも、集まった町民や避難民に対して、いかにザコル殿がミカ殿のために考えているかとか、ミカ殿に振り回されてお気の毒だとか、この俺にさえよく分かる程、あなた様を庇っておりましたから」


「エビーが、僕を庇う…。そうですか」


 私に振り回されてお気の毒だと思われているザコルが目を伏せる。


「我々猟犬ファンの集いの立場からすると、あなた様に対して反発する勢力がいたり、その素晴らしさに理解を示さない女性がいたりする光景はある意味で見慣れていたもので、恥ずかしながら何とも感じてはいなかったと言いますか、むしろ全く普段通りに振る舞われる猟犬殿には誇りを感じていたくらいなのですが…」


 不遇慣れしとる…。


「しかし、ミカ殿もおっしゃっていたように、ここはあなた様の生まれ故郷で、あなた様は『坊っちゃん』だ。故郷に錦を飾った英雄でもある。いくらあなた様ご自身が遠慮なさろうとも、本来ここまで邪険に扱われていい訳がなかった。一般的な感覚を持ったエビーやミカ殿がその態度に疑問を感じるのは、ごくごく自然な事だったのでしょう。ミカ殿もずっと、ザコル殿の印象を良くなさろうとしていましたね」


 タイタはそう言って私の方に目線をくれた。


「…まあね。私も何か変だなと思ってたんだ。私を立ててくれているにしたって、ちょっと厳しい人が多いかなって。あの、ザコル。エビーは今日、ずっとザコルの味方だったんですよ。だからあんなにイライラしてたんですよね、そう、きっと、私に対しても…。やっぱり、今日の事は私が全部悪かったと思うんです」


 ザコルにザハリと対峙するよう勝手に仕向けたり、一方的にザッシュへ謝罪を強いたり。ザコルの意思を確認せず、兄弟仲に土足で介入してしまった。

 一人っ子で家族の少なかった私は、兄弟の絆みたいなものに対してどこか幻想を抱いていたのだろう。姉妹のいるエビーからすれば、全く頓珍漢な事をしているようにさえ見えたのかもしれない。


「ミカ、そんな事はありません、僕が」

「いいえ、ザコルは何も悪くない。私、きっと何も解ってなかったんです。…本当にごめんなさい、ザコル」


「謝るのはこちらです。僕はただただ逃げていただけだ。それに、ザハリの更生に賭けてくれた事にはむしろお礼を言わなければなりません。あなたの寛大な処置に感謝していますよ、ミカ」


 私の背中に温かい手のひらが当てられる。

 ああ、どうしてこの人はこんなに優しいんだろう。私なんかよりもずっとずっとお人好しじゃないか。


「どんな輩に育とうとも、ザハリは血を分けた弟ですから」


 そう言ってザコルは言葉を切ると、今度はタイタへと向き直る。


「…決して、君達二人のように出来た弟分ではありませんがね」

「弟、分……」


 言われた言葉の意味を徐々に理解したタイタが、じわりと瞳を潤ませる。


「…おっ、弟分だなどと、勿体無い、お言葉です…!」

「だから、僕は大丈夫なんです。ザハリを預かると言ってくれた君にも心からの感謝を、タイタ」

 ザコルは胸ポケットから白いハンカチを出し、タイタに差し出した。


 ◇ ◇ ◇


「ザコル様も不憫なお方だ」

「先生もそー思います?」


 診察のために当てがわれた三階の部屋を出て階段を降り、いい加減ザコルの聴力が及ばないだろうというくらいの所まで来てやっとシシが口を開いた。


「カリューで、弟君に会いましたかな」

「ええ、とんでもねえ奴でした」

「君はあけすけですね。私と同じ平民だというのに」


 シシがこちらを横目に見て笑う。


「へへ、そうすね、俺は平民ですけどザコル殿の同僚なんすよ。あの人がどんなに貴族らしくなくて、不器用で真っすぐな人かって事は良く知ってます。それをこの領の人が知らねえってのはちょっとよく解んねえすけどお…」


 俺も横目で視線を返してやる。


「あの人、俺らに家族の悪口なんて一言も言った事ねえんすよ。そのザコルの兄貴がバチクソに本気の殺気飛ばしたんで、ああ、こいつは弟とかそういうんじゃなく『敵』なんだなって思っただけすよ」


 ミカの圧力に負けて相手にする事にしたようだが、それでなければまともに会話するつもりも無かったようにも見えた。可愛い弟だとか言っていた割には、仕事やミカ以上に優先する相手じゃなかったって事なんだろう。


 俺は正直、油断していたと思う。セオドアがあの二人にサカシータ行きを命じ、ザコルもミカに『強者ばかりだから安心して過ごせ』だなんて言っていたから、この領の人間は少なくともミカには好意的なのだろうと勘違いしていた。

 未だに姿を現さないサカシータ子爵本人も、騎士団長である六男だかも、その他の兄弟だって。誰も彼も味方とは限らない、そう考えて対応するのが良さそうだ。


「ザハリ様ご本人は敵のつもりはないのでしょうがね。どうにも兄君の事となると視野の狭くなるお人のようだ。一部の領民がザコル様に対して良くないイメージを抱いているのは、彼とその信望者のせいでしょうな」


「良くないイメージとか持ってんのは先生もでしょ?」


 この町医者はどうだ。何となくずっと、ザコルやミカを値踏みしているような気がするのは俺だけか。


 診察の態度にも引っ掛かりがある。この医者はミカに対してどこか親身じゃない。医者として患者に平等にあるだけかと思っていたが、訊かれた事以上の事はほとんど話さないし、かなり重要な事を黙っていさえした。

 ミカはそれにあらかじめ気づいていたようなのにも関わらずまた甘っちょろい事を言って許していたが…。本当に、お人好しも大概にしろよと思う。


「良くない、とまで言われては語弊がありますな。ですがかの方へ先入観があった事は認めましょう。噂を信じる方ではありませんが、個人的な印象として、あまり人に興味がおありでないご様子だったと記憶していましたので」


 あくまで十六歳までのザコルを見ての『先入観』だと言いたいようだ。俺だってつい最近までザコルを誤解していた部分もあるし、そのの言い分も解らなくはない。


「一つ、あの献身と慈愛の過ぎる聖女様とザコル様にお伝え願えますか。質問は上手くするようにと。私は医者として、また平民として、命には背けませんからな」


 確かに、シシからすればザコルやミカは身分が上になる。

 必要な事は命令してでも訊けってか? よりによってあのお人好しで、相手の身分なんて関係なく誰も彼もを尊重するようなあの二人に。

 そういう不可抗力でもなきゃ正直になれないような理由や圧力でもあんのかよ。


「ええ、伝えときます。まさかとは思いますけど、うちの姫や兄貴を実験台にするような事はよしてくださいよねえ」


 これ以上値踏みなんてさせねえからな。


「もちろんですよ。ただ、私も見たことのない症例ばかりで、どうしても手探りになってしまう事だけはご承知置きいただきたい」


「それも伝えときましょーかね」

「ええ。よろしくお願いいたします」


 シシはザコルの要望通り、使用人が用意した布に大きく『魔法禁止 休養中』と書いてサインをし、俺に渡した。玄関に向かおうかというタイミングでメイドのメリーが現れたので案内を代わり、俺は三階の部屋へと戻る事にした。



 ◇ ◇ ◇


「だそーですよお」


 布を片手に戻ってきたエビーは、しれっとしてそう言った。ミカがみるみる間に渋い顔になる。


「エビー…よりによってシシ先生に喧嘩売るなんて…。大体、実験台にされてるなんて思ってないよ私は」

「シシは先入観があると言っていましたか…」


 僕は今まで、シシとは会って話した覚えもなく、彼固有の能力についてもまるで知らなかった。僕としては先入観どころか初対面に近い感覚だ。義母の信頼は得ているようなのであまり警戒していなかったが…。


 エビーは、シシが昔の噂や印象から僕を警戒していると思っている。

 しかし僕はむしろ、僕の本来の魔力の色などを彼が知っている事の方が意外で、そういう意味での引っ掛かりはあった。しかしそれも僕が一応は領主の息子であり、この領においては目立つ存在だったからだろうと勝手に納得していた。


 …何か、気になる事がありますか、ザコル。

「…僕は、最近までシシの存在を知りませんでした。個人的な印象として先入観を持たれている、と言うのが逆に不思議なんです」


 ミカの独り言に対し小声で返すと、彼女はふむ、と頷いた。そして、タイタと共に白湯が入ったマグなどをワゴンに片付けているエビーを振り返る。タイタは喧嘩腰のエビーを心配しているのか、チラチラと顔色を窺っているようだ。


「エビー? 言いたい事があるなら今言って。今回、ザコルの気持ちを一番蔑ろにしたのは私だよ。シシ先生じゃない」


「俺は別に喧嘩なんて売ってねーすよ。それにミカさんが悪かったなんて一つも思ってねえし。言いたい事は、そーすねえ、変に気を遣うのやめろとか、正気じゃねえ相手に挑もうとすんのやめろとか、自ら矢面に立ちに行くなとか、失礼な事言われてんのにスルーすんなとか。あんた、マジでお人好し過ぎんだよ。あの医者がどっか親身じゃねえのも分かってんでしょうが。ずっと値踏みしてやがるしよう」


「彼が私達に一線引いてるっていうか、こっちに踏み込んでこないのは今更でしょ。代わりに彼は私の能力を当てにする事もしないし、守秘義務も果たしてくれてるんだから充分誠実だよ。大体、魔力が見えるって先に明かしてくれたのは先生でしょ」


 僕は彼を知らなかったが、シシの能力はシータイでは周知されているようなので、魔力の多いミカに対してそれを黙っている方が後々『不誠実』と判断される可能性も高かったと思う。

 シシとしては自分の能力をそう重大な秘密と捉えていないのだろう。先に明かす事でこちらの興味を引いた可能性もあるが……


「へっ、それだって何か目的があって近づいてんのかもしれねーすよ。うちの姫に失礼する奴なんてみんな敵だ」

「極端な事言わないでよ、こっちは余所者なんだから。警戒されるのだってある程度は仕方ないでしょ」


 ミカの言う通り、今日のエビーはずっと苛立っている。臨戦体勢といった方が正しいか。

 ミカはミカで、シシの怪しさは認めつつも、これ以上エビーを暴走させて関係を悪くするのは得策でないとでも考えているのだろう。


「エビー、ミカに失礼する奴は全員敵という考えは個人的に嫌いじゃありませんが、シシは上手く質問しろとも言っているんでしょう。何か事情があるにしろ、敵という程ではありません。せいぜいこちらが上手に使う事です。診察料も払っていますし、知的好奇心を満たした分くらいは働いてくれます」


「ほーん、坊っちゃんも寛大ですねえ。自ら実験台になるおつもりすか。それにあっちは身分笠に着て命令しろっつってんすよ? 普通に失礼っしょ」


「割り切っているだけです。シシの能力はこれからも必要になりますから。これ以上の詮索は不要かと」


 利用すべき価値のある人間に、身分も敵味方も、何を隠しているかも関係ない。条件次第でこちらに協力する気があるならそれで充分だ。お互いにこれ以上首を突っ込んでも特に益はない。


 エビーはふん、と鼻を鳴らすとワゴンを廊下に押し出した。



「ザコル、診察料ってどうやって払ってるんですか?」

「マージに預けています。シシは町長からの要請で動いている事になっていますので」


 ふむふむ、とミカが少し考え込み、数秒して考えがまとまったのか顔を上げた。


「ねえ、この後はすぐ寝るって約束するから、あとほんの少しだけ皆と話す時間をくれませんか?」

「ミカ…」


 つい責めるような口調になってしまう。護衛相手に余計な気など回さず、さっさと休めばいいものを。


「解ってます。その布つけて数日過ごせばいいんでしょ。今日話しておかないとまたなあなあになっちゃいますから。お願い」


 …ザコルが何だかんだ私に甘いのを知っていて、こういうお願いをする私は卑怯なのかもしれないな。


 独り言。くそ、そうやって僕の選択肢を狭める…。


「…卑怯などと、思っていませんから。後少しだけですよ」


 ミカには何度嘘をつき、いや、嘘をつかされている事だろう。そういう計算高い所さえ好ましく思う僕は重症だ。


「ありがとうございます。エビーとタイタもそっちに座って」


 ミカが対面に二台ある一人掛けソファを指す。二人ともそれぞれ腰掛け、ミカの言葉を待った。


「結論から言うと、私、訳あって男性恐怖症だったんだ」

「だ、男性恐怖症!?」

 タイタがガタ、と立ち上がる。


「待って、先に言っておくけど、もうかなり克服してるの。今日みたいに、まだよく知らない男性に急に密着されたりするとびっくりしちゃう時もあるんだけど…。エビーやタイタはよっぽど平気だよ。もし何かあって私を運んだり庇ったりするような事態になったとしても、躊躇しなくていいからね」


 どうどう、とミカがタイタに着席を促す。


「そ、そんな。男性に免疫が無いとは伺っておりましたが、もしや何か心の傷を負われた事があると、そういう事でしょうか」

「一応ね。でも未遂だよ。子供の頃の事だしね」


 ミカは、昨日僕に説明したような過去の出来事を簡潔に話した。


「今更こんな話されても困るよね…。でも、ああいう事があったから、説明しないのも不誠実かと思って」


「だーから、そうやって気い遣うなって言ってんだよ姐さん。いつでも何でも話してくれよ。逆に辛けりゃ話さなくたっていいんだ、俺らが気を付けられるように命じてくれたらそれでいいんだからさ」


「そうだね、護ってもらう意識が足りなかったと思う。これからは弱点になりそうな事はきちんと話すから」


 ミカはこの世界に召喚されるまで身辺に護衛を置いた経験などないだろう。庶民だったと言うのだから当然だ。その割によく立場を理解し振る舞っている方だと思う。ザッシュもその点は評価していたし、エビーも過去同じようにミカを褒めていた。


「ミ、ミカ殿、こ、これまで何か怖い思いをなさった事はありませんでしたか。曲者に襲われた時はもちろん、例えば、俺が距離を置かれたら凹むなどという話を間に受けて近くに寄り過ぎた時など…」


 タイタが青ざめつつそう言うと、タイタにそれを吹き込んでけしかけたエビーまで青ざめる。フン、今更遅い。


「ね、姐さん…アレはホント、すんませんでした…」

 エビーが頭を下げると、タイタも律儀に頭を下げる。


「…ふっ、ふふ」

 ミカが可笑しそうに笑う。

「何を笑っているんです。アレだって笑い事じゃなかったでしょうが」

 つい睨みつけてしまう。いつもそうやって甘やかすから図に乗るんだ。


「アレね。本当に近かったよねえ。思い出したら笑えてきちゃって。私自身は気にしてないからいいよ。さっきも言ったけど、君達二人だったらちょっとやそっと密着したくらいじゃ腰抜かしたりしないから。二人とよく話すようになってから実はまだ日は浅いけどさ、こんなに濃い時間を一緒に過ごして、気持ちもぶつけ合ってもきた仲じゃない。私も、二人を本当の弟みたいに思いたいって言ったら、迷惑かな…?」


 エビーがムッと顔をしかめる。

「何だよ、迷惑なわけねーだろ姉貴」

 僕は迷惑だが?


「お、俺にはやはり勿体無いお言葉ですが…。お二人にそのように言っていただけた事は、この俺の生涯の誉れです」

「相変わらずタイタは大袈裟だねえ。でも、ありがとう、良かった。そうそう、エビーには逆に妹か子供みたいに思われてる気もしてたんだけど。ね? エビーお兄ちゃん?」


 ミカが小首を傾げてエビーに上目遣いをする。カッと頭に血が上るのが自分でも分かる。


「ぐっ、その首の角度やめてもらえません!? 頭で解ってても絆されそうになるでしょーが!」

「ええー…エビーにもこれ効いちゃうんだ…」

「自分でやっといて俺に引くなよ! そんでタイさんは流れ弾に当たんないでください! 兄貴は殺気飛ばしてくんな! もー!!」

「末の弟は今日、何か怒ってばっかだねえ」

「姉貴のせいだろが! くそっ、もうあんたらには一切遠慮してやんねーからな!! 大体姉貴はなあ…」


 ミカのせいだという言葉には大いに同感だ。しかし、結局エビーの説教、もとい不満を、うんうんと満足そうに聴いている所を見るに、結局は踊らされている気もしてしまう。そうまでしてエビーの説教を聴きたかったのか、それともただエビーの鬱憤を晴らしてやりたかったのか…。


「あ、そうそう。二人の事は平気だって言ったけど、逆に言うと、ザコルと君達二人以外の男性に抱かれたりするとフリーズしちゃう可能性あるから。よろしくねー」

「いやそれ、軽く言ってっけど責任重大じゃないすか! そういうのすよ、話しといてほしいのはさあ…」

「なるほど、そういう事になるのですね。つい距離を取った方がと考えてしまいましたが、むしろ、今まで以上にお側を離れぬよう気をつけるべき、か…」


 エビーとタイタが二人で頷きあう。

 つい、僕が護るからいいと口を挟みたくなるが今は我慢だ。ミカのためにもこの二人には側にいてもらわなければならない。


「まあ、ちょっと顔見知りに囲まれたり軽く触れたりするくらいは大丈夫だから、普段は今まで通りに振る舞ってくれて大丈夫だよ。敵だと思えば男とか関係なく反撃できるし。ザッシュお兄様もそのうち慣れて平気になると思う。コマさんもある程度は平気かな。…お兄様には今日、本当に悪い事しちゃった…」


「シュウ兄様に気遣いは不要です。むしろ気遣えば気遣う程勘違いしますので」

「もう、またそんな事言って! 普通に失礼でしょ。『弟を愛してくれてありがとう』って漢泣きするような方に!」

「男なんて皆単純です」


 子供のようだとは自覚しているが、つい顔をそむけてしまう。


「だそうすよ、一番絆されちまった本人が言ってんすから信憑性あるんじゃないす…いでっ!? まだドングリ持ってんすか!? 一体どこに隠してんだよ!!」

「教えません。暗器は隠してこそなので」

「勉強になります! もしやこの袖のあたりに?」

「いえ。ドングリは投げ合った時に上着のポケットに入れたのが残っていただけです」

 ポケットに手を突っ込み、数個になったドングリを取り出す。

 がく、とエビーが肩を落とした。

「なんだよもう、もっともらしい事言いやがって」

「ハッタリも大事ですよ。それに袖の方は麻酔の針を仕込んでいますから。そちらの方がいいですか」

「良くねえわ!」


 タイタがチラチラと腕に視線を寄越すので、袖をまくり、アームカバーに仕込んだ針を少しだけ出して見せる。

「こ、こんな仕組みになっていたとは…! ほ、他には…」

「他は脛と靴底くらいでしょうか」

 靴底の仕掛けをいじってみせると、タイタが顔を輝かせる。

 エビーと違って、タイタは実に可愛げがある。


「そんなポンポン手の内明かしちゃっていいんすか深緑の猟犬殿ぉ」

「別に君達には敢えて隠してないでしょう。それに、こんなものは所詮『綺麗に殺る』ための道具でしかない。その気になれば、指一本、ドングリ一つでも刈り取れますので」


 ひい、とエビーがタイタの袖を掴む。


 ミカの弟を名乗るなら、その軟弱な根性を何とかしてみせろ。

 僕はそう言う代わりに目を眇めてやった。



つづく

ミカ「眠いが、問題ない」

ザコル「問題ないわけないだろこのクソ姫!」

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