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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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眠いが、問題ない

 同志村女子とリラ達に囲まれて楽しく町長屋敷に向かっていたら、診療所の前に看護師の一人が立っていて、私を見るなり焦った様子で駆け寄ってきた。


「ミカ様、お帰りなさいませ、お待ちしておりました…!!」

「え、何ですか、どうかしました!?」


 こんな暗くなる時間帯に、エプロンを付けたままの看護師が私を待ち構えているなんて只事じゃない。


「今、避難民の赤ん坊の一人が発熱しているんです。母子が寝泊まりしていた宿には他の妊産婦もいますので、今晩は診療所の方で泊める事にしたのですが、高熱が続いておりまして…。お疲れの所申し訳ありませんが、もし良かったら、氷を…」

「いえ、ミカは…」

「分かりました! ピッタ達は先に町長屋敷に行っていて」

「はい、ミカ様。町長様にも伝えておきますね」

「よろしくね、ピッタ。リラとシリルくんもお出迎えありがとう」

「ミカ、あしたはいっしょにいられる?」

「うんリラ、町長屋敷で待ってるね。明日はお風呂できるか分からないけど、できなくっても一緒に勉強や投擲の練習はしよう」

「うん! みんなといっしょにいくね!」


 可愛い皆を見送る。私はそわそわとする看護師にいざなわれ、診療所の中に入る。


「ミカ、これ以上は」

「そうすよミカさん、無理はやめてください。コマさんにも言われたでしょーが」

「ミカ殿、大樽六十杯というのは俺にも多すぎると判ります。ですから」

「大丈夫、熱冷ましに使うくらいならちょびっとでしょ」

 後ろで心配する護衛達に軽く手を振りつつ歩みは止めない。


「阿呆め」

 後ろからコマの声が聴こえる。一緒に診療所に入ってきたようで、バタン、と扉が閉まる音もする。

「コマさん! あの、薬を…」

「町医者かリュウが対応してんだろ、薬はもう要らねえはずだ」

「そうですか…」


 コマは、魔力の気配やにおいのようなものを感じる事ができる。その彼が『もう使うな』と言うからには、相当危うい状態なのかもしれない。

 だが、普段の魔力量からいえば洗面タライ一杯くらいの氷なら誤差のはず。ここで赤ん坊のために氷くらい作ってやれなければ後で激しく後悔するに決まっている。どれだけ止められたとしたって…。


「ミカ。止めても無駄でしょうから。いいですか、タライ一杯、それで最後です」

「はい…! ありがとうございます、ザコル」


 コマをチラッと伺うと、フン、と鼻を鳴らして診療所を出ていってしまった。


 護衛達を置いて診察室に入ると、狭い診察用ベッドに蔓で編まれたクーファンが置かれ、その傍らでぐずる赤ん坊を抱く母親の姿があった。見るからに憔悴した顔を上げ、私の方を見る。以前宿を訪問した際、私に花を一輪渡してくれたあの若い母親だった。


「ミカ様…あの、あの…」

「遅くなってごめんなさい。今、氷を作りますからね」

 努めて笑顔を作る。

「は、はい。……ありがとうございます、も、申し訳、ありません」

「どうして謝るの。今日は大変でしたね。先生は?」

「それが、他にも避難民の子で発熱した子がいるとかで、往診に」

「そうなんですね。すみません、水をお願いします」

「はい、ここに」


 看護師が水の入った桶と洗面用のタライを持ってくる。

 今、この診療所には看護師一人とこの母子のみのようだ。他の看護師は往診に同行したのかもしれない。


 看護師が用意してくれた水を氷にし、タライに移していく。看護師がそれを革でできた水袋に水と共に詰め、手拭いを巻いてクーファンの中に敷く。母親が赤ん坊の頭をその氷枕の上に乗せ、毛布を小さな胸まで引き上げた。

 赤ん坊は力なくぐずり声を上げ続けている。母親は赤子が蹴飛ばそうとする毛布を手で押さえつつ、胸をトントンと叩く。


「発熱した子はあとどれくらいいるんですか。多いんですか」

 看護師に話を聞いてみる。

「いえ、一人です。ミワという女の子で」

「ミワちゃん、そう…。あの、申し訳ありませんが、この氷をミワちゃんにも届けてくれませんか。彼女には私がついていますから。いざとなったら外にコマさんもいるはずですし」


 ミワちゃん。昨日、一緒に字や投擲の練習をした子供の一人だ。それに今日カリューで彼女の叔母という女性にも会っている。

 タライにはまだまだ氷が残っていた。タライ一杯の範疇なら、ザコルとの約束を破る事もない。

 看護師はこくりと頷くと、もう一つ水袋を出してきて手早く氷を詰め、それでもまだ氷が残ったタライも持ってバタバタと診察室を出て行った。


 私は、机の上の器具や書物を勝手に脇に寄せ、ベッドから机にクーファンを移動させた。


「あ…」

 母親から力ない声が漏れる。

「しばらく私が見ておきますから、あなたは少しそのベッドで横になって。眠れなくても横になって目を閉じれば多少は休まるでしょ。さあさあ寝た寝た。毛布もかけないと許しませんからね。これは命令です」

 なるべく偉そうな感じでふんぞり返ってみる。

「…ふふ、ミカ様ったら…」

 憔悴した顔に、少しだけ笑みが浮かぶ。


 ランプの灯りしかなく、母子のために十分暖められた薄暗い診察室。母親は横になると、相当に疲れていたのか、ふー、と深く息を吐いて静かに目を閉じた。赤ん坊の方は、頭が冷やされて心地良いのか、ぐずるのをやめてキョロキョロと辺りを見回し始めた。


「ふぁ…っ」


 赤ん坊の蹴飛ばした毛布をかけ直していたら、私もついあくびをしてしまった。

 目元を拭った指先で赤ん坊の唇をなぞる。赤ん坊は乳とでも間違えたか、反射で私の指を少し食んだ。


「いい子だね」


 さて、寝返りの危険もあるだろうし、しっかりここで見張っていなければ。

 私はいつもシシが座っているであろう立派な椅子を引き寄せ、クーファンの傍らに腰を下ろした。


 ◇ ◇ ◇


「ミカ、ミカ」


 ザコルの声にふと顔を上げる。バッと身を起こしてクーファンを覗くと、赤ん坊は穏やかな寝息を立てて寝ていた。私も椅子に座ったまま眠り込んでしまっていたらしい。赤ん坊が転げ落ちたりしていなくて本当に良かった。


 目をこすると、涙がべっとりと手の甲についた。何か、恐ろしい夢を見ていたような気がするが、思い出せない。


「ミカ、〜〜〜、〜〜〜」


 ザコルが私の膝元にしゃがみ、私の顔を見上げている。眠っている母子を起こさないよう小声で話しているからか、私が寝起きだからなのか、何を言っているのかいまいち聞き取れない。彼は胸元のポケットからいつもの白いハンカチを出し、私の涙を拭いた。


 看護師が戻ってきたようで、診察室の扉から顔を覗かせている。彼女も母子のために静かに入ってきて、黙って一礼した。私も黙って頷き、席を立つ。後は彼女に任せておけば問題ないだろう。


 中途半端に居眠りをしたせいか脚が重い。私の顔に涙の痕跡を見たか、エビーとタイタが心配そうに顔を覗き込む。ここで騒ぐわけにもいかないので、無理矢理笑顔を作って人差し指を口に当て、シィ、とジェスチャーする。

 この仕草で伝わったのか、護衛の二人は無言でコクコクと頷き、静かに診療所の出口へと足を向ける。私もその背を追った。


 なるべく静かに出入り口の扉を閉める。ザコルが私の手を取って自分の腕に回させる。正直眠気が限界だったが、町長屋敷まで後少しだ。何とか足を前に出す。


「ミカ〜、〜〜〜?」


 エビーが何か言っているが、全然解らない。もう小声で話す必要はないのだから、はっきり喋ってくれればいいのに。


「心配してる? 氷はきっちりタライ一杯しか作ってないよ。大丈夫、ちょっと居眠りしちゃったせいでダルいだけだから。この涙は違うんだ、変な姿勢で寝たせいでうなされたみたいでさ。ふふ、あの暖かい部屋で座っちゃったのが良くなかったね」


 自分自身の眠気を振り払うように、笑って言い訳を並べた。あまり体調悪そうにしているのも心配をかけるからよくない。こうして喋ったり歩いたりしていればそのうち眠気も晴れるはずだ。


 私の言葉に、誰も返事をしてくれない。それどころか三人とも訝しげな顔をしている。そんなに変な事を言っただろうか。それとも私が余程酷い顔でもしているのだろうか。

 片手で自分の顔をペタペタと触ってみる。今は涙も出ていないようだし、手触りがおかしいという事もない。


「どうしたの? 皆…」

「ミカ、〜〜〜」

「ねえ、はっきり喋ってくださいよ。さっきから何を言っているのか」

「〜〜〜コマ〜」

 スッと暗闇からコマが現れる。

「ひゃ、び…っくりしたぁ…。心臓に悪いからいい加減普通にしてくださいよう」

「〜〜〜〜〜」

「え? コマさんも何言ってるんですか?」

「チッ、〜〜〜」

「舌打ちしか分からん…。何だこれ、まるで言葉が解らないみたいな…」



 言葉が、解らない?



 私は自分の肩掛けカバンに手をかける。中からタイタの反省文の写しを取り出し、エビーが持つランプに近づけてめくってみる。


 書かれた言葉の意味は解る。だが、いつものように同時翻訳されて頭に入ってくるようなあの妙な感覚がない。異国語をただ記憶頼みに読んでいるような、そんな感覚だ。


「そっか、これ」


 翻訳チートがオフになった。ただそれだけの事だったのだ。




 万年筆やレターセットなどの一式は町長屋敷に置いてきてしまったので、携行している文房具はかつてフジの里でもらった鉛筆一本だ。

 その鉛筆で反省文の裏に『翻訳不可』と書きつける。通じるといいが。


「〜〜〜、〜〜?」

「〜〜〜〜〜〜〜」

「〜〜〜!!」


 何やら護衛達の間で議論が始まってしまったが、ちっとも解らない。コマはまたいつの間にか姿を消している。ザコルに鉛筆と反省文の紙束を差し出すと、彼もその隅に何かを書きつける。


『体調は』

 簡潔な言葉。だが、彼の真摯な気持ちはしっかり伝わった。


「ええと『眠いが、問題ない』これでよし」

 口語や丁寧語に直していると時間がかかるので少々固い表現にはなるが、意味は通じるだろう。


 ザコルは私をサッと縦に抱き上げ、背中をポンポンとした。眠いと書いたので運んでくれるつもりなのだろう。


「優しい。好き」

 どうせ意味は解るまい。この際連呼してみようか。


「好き、大好き、カッコいい、尊い、推せる」

 ザコルの髪に頬をスリスリしていたら、ベリッと片手で剥がされた。


「〜〜〜〜〜、〜〜〜〜〜〜〜」

 どうせ解らないと思って、好き勝手言っているでしょう。そんな事を言っていそうな気がする。


「ふふふ、あ、そうだ」


 私はザコルの頭を机にして、反省文の裏に『屋敷に先行し、翻訳能力の喪失により、私との意思疎通が困難となった旨を連絡せよ』と書きつける。ザコルは微妙な顔をしたものの、大人しく机になってくれていた。


「タイタ、これ見て」

「〜〜〜」


 今のは絶対『御意に』だな。タイタが一礼し、先に駆けていく。

 それを見たエビーが、俺にも何か指示をとばかりに自分を指差してこっちを見てくる。


「じゃあねえ…。『踊れ』はい、エビー」

「〜〜〜〜〜〜〜…」


 意味わかんねえんすけど…ってとこかな。あ、踊ってくれるんだ。何踊りなんだろう。感謝の意を込めて手を叩いておく。


「ふふふ。『愉快』はい、エビー」


 その文字を見たエビーが私の手から紙と鉛筆を奪い、ランプをザコルに押し付けて何かを書きつける。


「えーと『何をおっしゃっているのですか愚かなるお姉様』…ブフッ…ふふ、ふふあははははは」


 文字にしてしまうと、翻訳チートを通すのに比べて口調やニュアンスを読み取るのが難しくなるらしい。

 これは私のオースト語力が未熟で経験が浅いからなのだろうが、何となく翻訳アプリに訳された下手な直訳を思い出す。エビーの不遜な顔には『何言ってやがるんすか馬鹿姉貴』と書いてあった。


 爆笑する私を見てザコルが溜息をつく。

 眉間に皺が寄っているので勝手に揉もうとしたら手を掴まれた。


「別に聴き取りができなくても全然困らないや。書く練習しておいて良かった。偉いぞ私」


 よく分からないが、せいぜい魔力がなくなり過ぎて翻訳チートに使っていた魔力を補えなくなった、といった所か。翻訳チートに魔力を消費していたらしい事は今初めて知ったが、これ以上魔法を使ったら本気で倒れるのだろう。この眠気やダルさもその前兆なのかもしれない。


 氷を作って、あくびの涙を拭った時点ではまだ、机の上にあったカルテなどは通常通りに読めていた気がする。きっとうなされて泣いたのがトドメだったのだろう。

 氷を作り過ぎた訳でもわざと涙を出した訳でもなく、ただの不可抗力だと言い訳しておきたい所だが、こんな薄暗い道で運ばれながらでは、そんな長文を文法通りに書く自信はない。そうだ、氷や湯を作らないのはもちろんだが、これ以上泣いたりしないようにも注意しないと。


「ええと『夢』『悪い』『泣く』『注意』よし。これだけでも、二人なら何となく分かってくれるよね」


 その紙をザコルに見せようとするとエビーがランプを近づけてくれる。

 後で誰かに見られても勘繰りにくいよう、単語の羅列にし、順番に指差した。二人とも頷いてくれる。運ばれながらなので乱れた字だが、こちらの言語はアルファベットに近い、シンプルな形の三十四文字を組み合わせて言葉を紡ぐスタイルなので、そうそう読み間違う事はないはずだ。


 そんな三十四文字に数字を加えただけの文字数で、よく日本語に近い敬語や慣用句の多様な言い回しに対応できていると思う。

 翻訳チートも優秀だが、言語として単語の数が圧倒的に多いのだ。文法も一辺倒ではない。書籍にあるような固い、丁寧な言い回しに使われる単語や表現については大方書けると思うが、口語でしか使わないような表現は綴り方が分からないものも多い。

 だが簡単な意思疎通に困る程ではないだろう。どうせ今晩ゆっくり休めば、少なくとも翻訳能力を賄うくらいの魔力は回復するはずだ。



 屋敷の前にはタイタとイーリアとマージが私を待ち構えていた。

 ザコルにジェスチャーで意志を伝えて降ろしてもらい、お辞儀をする。イーリアとマージが私の顔や肩に触れ心配そうに話しかけてくれているが、何一つ意味は解らない。


 反省文の紙束を掲げ、先程ザコルに書いてみせた『眠いが、問題ない』の部分を指し示すと、二人は少しだけ安堵したように胸を押さえた。


 使用人マダムにブーツを脱ぐようジェスチャーで指示されたので言う通りにする。代わりにペタンコバレエシューズを貸してもらい履き替えた。きっと泥だらけのブーツを手入れしてくれるつもりなのだろう。

 今日はできたら皆にお風呂を振る舞いたかったが、肝心の湯沸かし係がこのザマでは無理そうだ。


 一階の食堂に案内されると、心配そうな顔をした同志村女子達が迎えてくれた。

 先程と同じように『眠いが、問題ない』を指し示すと彼女達もホッと溜息を漏らす。彼女達は、その下に続く『踊れ』『愉快』『何をおっしゃっているのですか愚かなるお姉様』のくだりを見て笑っていた。エビーが彼女達に何やら愚痴を言っている。


「ふふ。あ、そうそう、『報告感謝する』はい、タイタ」

「〜〜〜、〜〜〜〜〜〜〜」


 いいえ、とんでもありませんって所だろうか。


 ピッタが真っさらな紙束と画板、そして新しい鉛筆を渡してくれる。子供達に配っていたのと同じものだろう。

 早速画板に紙をセットし『感謝する』と書きつける。ピッタはその画板を受け取り、『お疲れ様でございました』と書いて返してくれた。


「〜〜〜、〜〜〜」

 マージが穏やかな声で私達の背を押す。着席を促しているのだろう。

 イーリアが自分の隣の席を私に向かって指し示すので、それに従って着席した。温かいシチューとパン、チーズなどが運ばれてくる。疲れて冷えた身体に染み渡った。


「あの、コマさんはどこですか?」

 イーリアとは反対隣に座ったザコルに、つい普通に話しかけてしまった。だが、コマという個人名から言いたい事を察してくれたのだろう、私の手元にあった画板に返答を書きつけてくれる。


『コマは別室』

『何故』

 筆談で問い返すと、ザコルは懐から小さな紙を取り出し、皆から見えない角度で私に見せた。初めて見るが、恐らくコマの字だ。

『無意識下における譲渡、対象隔離』

 私が頷くと、ザコルはその紙を再び胸ポケットに突っ込んだ。


 仮に誰かにメモを見られてもいいようにか、少々迂遠な言葉選びだ。察する事しかできないが、私は無意識下で対象、すなわちコマに魔力を譲渡している、という事だろうか。

 そうか、それで今日の後半はずっと私に認識されないよう気配を絶っていたわけか。魔力が残り少なくなってきた私から余計な魔力を取ってしまわないように。相変わらず親切な事だ。

 今日は色々と聞いておきたかったし、私が思い至らずに失礼をしたかもしれないのでそれも謝りたかったのだが、仕方ない。回復したらまた話そう。


 考えがまとまったので、うんうんと頷く。その様子をザコルも黙って見ていて、私が納得したようだと判断したらしく彼も頷いている。


 給仕係をしているメイドのメリーが、カップに牛乳を注いで回っている。注がれた冷たい牛乳を見て、カップを何となく手で包む。


 カカンッ、鉛筆で画板を鳴らされる。ハッとして画板を見ると、『否』と書き殴られていた。


 流石だ。私がつい無意識に魔法を使おうとした事に気づいて咄嗟に書いたものらしい。コクコクと頷いておく。


『気をつけるように』

 打って変わって流麗な筆致で書きつけられる。

『ありがとう』

 感謝する、と書いても良かったが、口語の方の綴りを思い出せたので、それを丁寧に書いた。



 皆が食事をあらかた食べ終わった頃、エビーが側にやってきて紙を一枚差し出した。


『医師の手配をしました。食後、別室に案内します』

 彼らしく愛嬌のある、しかしはっきり読みやすい文字だ。

 少し考え、先程書いた『ありがとう』の文字を指して口をぱくぱくとしてみる。伝わるだろうか。


 意図を汲み取ったらしいエビーが頷く。

「セ、ン、タ、ス」

 ゆっくりと発音してくれる。


「せんたす?」

 私はもう一度『ありがとう』の文字を指して反復する。

「センタス」

 エビーも『ありがとう』を指でなぞりながら再び発音する。

「センタス、エビー」

 にこ、笑顔を作る。何故かエビーが泣きそうな顔をした。

 そして私から画板を受け取ってしゃがむと、何かを書き始める。


『下の妹が初めて私にありがとうと言った日を、思い出しました』

 口語表現なので所々解らない接続詞や文法もあるが、多分そんな意味で合っているだろう。


「ふふ、相変わらずの親目線だね。『親か』はい、エビー」

「ふは」

 エビーが眉を下げながら笑った。


「ミカ〜〜」

 今のは、ミカ様、かな。ピッタ達女子陣が皆で書き込んでいた紙を渡してくる。


『早くお元気に』『またお話聞かせてください』『ご無事で何よりです』

『ご入用の物があればご相談を』『ゆっくりお休みください』


 可愛らしい文字が並んでいる。卒業式で後輩達から渡された色紙を思い出す。

「ピッタ、ユーカ、カモミ、ルーシ、ティス。セ、センタス…」

 せっかくなので覚えたてのオースト語を使ってみる。

「ミカ〜〜〜〜〜!!」

「〜〜〜!!」


 五人が私に抱きついてくる。きっと励ましの言葉だ。順番に皆の肩や頭を撫でる。

 心配してくれてセンタスだよ。


「ミカ」

 マージも私の肩を叩き、紙を渡してくる。

『今日は個室を用意しました。ゆっくりお過ごしになって』

 と綺麗な筆致で書かれている。今日は色々あって一人の時間も欲しかったので、その配慮が嬉しかった。


「ミカ」

 今度はイーリアだ。先程からペンを握り、何か長文を書いている様子だった。装飾は少ないが質の良さそうな便箋を手渡される。


『本日は、貴殿の多大なる貢献により、カリューの復興が大いに前進した。貴殿の献身と慈愛に最大の感謝を。厚意に甘えるあまり、御身に無理を強いてしまった事をここに謝罪する。不便があれば遠慮なく申し付けて欲しい。それから、貴殿の伴侶となる者の名誉は私が責任を持ち、回復に努めると約束する。どうか心穏やかに過ごされよ。サカシータ子爵が第一夫人 イーリア・サカシータ』


 仰々しくも誠意に溢れた文面。美麗かつ力強い、女帝の名に相応しい筆致。

 鉛筆で返事をするのが居た堪れなくなる程の立派な手紙だが、少し時間をもらい、真っさらな紙にせめて丁寧にと文を紡ぐ。


『お心遣いに感謝を。充分に手を尽くしていただいており不便などはありません。こうして心の籠ったお手紙をいただけた事、大変嬉しく思います。ご家族の問題に立ち入る形となってしまい、こちらこそ申し訳ございません。本日はご子息ならびに領の皆様とご交流の機会をいただきまして、誠にありがとうございました。ミカ・ホッタ』


 イーリアはそれをしばらく眺め、感心したように頷いた。そして私の画板の方へ一言『素晴らしい』と書いてくれた。


 自分の名前の綴りはホノルに訊いて覚えておいて良かった。綴りといっても当て字に近いものだが。それから手紙の書き方を記した実用書も読んでいて良かった。テイラー伯爵家の潤沢な蔵書に大感謝。


『大したもの。僕には書けない』

 イーリアの褒め言葉の下にザコルが書きつける。

 この程度、書けないなんて事はあるまい。職業柄、報告書の類は山程書いているだろうし、手紙だって様式に則ってしまえばそう難しくないのでは。


『あなたの文は簡潔で理解が容易。報告に最適』

『手紙としては短か過ぎる、感情が不在とも』


「ふ、ふふっ。感情が不在」

 何となく想像ができた。事実を淡々と述べたり、箇条書きにする事なんかは得意なんだろう。それができるなら仕事の上では支障なさそうだ。

 しかし貴族には色んな付き合いというものがあるんだろう。確かにそういうのは苦手そうだ。それなら。


『そのうち、手紙のやり取りをしませんか。鍛錬として』

 お互いの勉強になって一石二鳥だろう。

『いいですね。鍛錬ならば』

 ザコルも乗ってきた。


 ずい、エビーが向かいの席に移動して身を乗り出し、紙を広げる。

『戯れ合い禁止』

 でかでかと書かれたその文字に思わず笑ってしまう。


 なあーにいちゃついてんすかあ、って事だね。




「〜〜〜ミカ〜〜、〜〜〜〜〜!」


 食事の席を解散し、さあシシ先生が来る前に別室に移動しようかというタイミングで、タイタが何やらかしこまって紙束を差し出してきた。夕食を最速で食べ終わってから今の今まで集中して書き続けていたらしい。


「えっ…また紙束…んんっ、まあいいか」

 受け取って目を通す。今日の私の言動と、その活躍に対する賛辞が素晴らしい美筆で書き連ねられていた。全二十枚。


「長っ、なっがい…。ふふ、ふふふ、あははははは! 何これー!!」

「〜〜、〜〜〜〜!?」

「ああ、ごめんごめん、センタス、タイタ」


 また俺は間違いましたかとでも言っているのか、慌て始めたタイタに手を振ってお礼を言う。


「口語の勉強にもなりそうだし、これはありがたいよ。自分の台詞を見返すのはちょっと拷問だけど…」


 画板の方に『ありがとう。家宝にする。写しも作る』と書いて見せると、タイタは余計にアワアワとし、紙束を回収しようと手を彷徨わせ始めた。


「ダメダメ、これは返さないよ。しまっちゃうもんねー」


 他の皆から貰った手紙や、筆談でやり取りした紙などと共に肩掛けカバンにしまう。しかし流石に荷物として重くなり過ぎだ。後で小さく写すなりして整理しなければ。



 旅に出てから文章を読む機会が減っていたが、今日は思わぬ形でたくさんの言葉に触れる事ができた。

 しばらくはこの心の籠った言葉達を読み返し、心を温める事にしよう。



つづく

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