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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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カリュー訪問⑦ しばしの別れ

「ミカ様、本当にありがとうございます。これだけのお湯と氷があれば…!」

「いえいえ、こんな事しかできず」


 屋外での作業から戻ってきた町長屋敷の使用人二人に、避難所の時と同じようなお礼を言われる。

 ここは町長屋敷の浴室だ。私は、樽やタライに桶に鍋など、あらゆる容れ物に貯められた水に片っ端から魔法をかけた。


 私が治癒を行なうかもしれない、ということで看護の人員を最低限にまで削られていたため、今この屋敷で患者の世話ができるのはこの二人しかいない。彼らはお湯や氷が水に戻らないうちにと慌ただしく運び出し始めた。きっと患者のために使うつもりなのだろう。

 清拭で使うお湯はともかく、発熱は既に収まっているので氷はきっと無駄になるだろうが、私はそんな事は知らないはずなので、敢えて作ってみせ『発熱者や調理にでも』と伝えておいた。

 彼らはこれから患者が完治していることに気づく。理由は後から説明があるだろう。


「氷姫とか呼ばれてるのにお湯沸かせるとか草ー。いーなあ、お風呂入りたい放題じゃないですかー」


 中田は、私が魔法を使う所を見たいと言ってついて来ていた。

 浴室を出て一緒に玄関に向かう。廊下には私達二人だけだ。恐らく皆が気を遣って二人にしてくれたのだろう。


「そうなのよ、お風呂入りたさすぎて念じてみたらお湯になったわけなのよ。それまで氷しか作れないと思ってたからびっくりだったわ。シータイの町長さんや同志村の子達に相談したら即席の入浴施設作ってくれてね、避難民向けに入浴サービス始めたんだー」

「さっすが先輩、異世界来ても仕事してんのウケる。ウチも入りに行っていいですかー?」

「いいけど、ちゃんとイーリア様にお伺いして計画的に来てよね。ていうかさ、何で中田は狙われてないの?」


 私は『狙われ過ぎてて草』だというのに。


「あーね、ウチもよく分かんないんですけど、多分、ウチが男だってデマ流してくれてるせいだと思うんですよねー」


 確かに、ザコルも中田が男だと思い込んでいたようだが。

 王弟や邪教が中田の存在を掴んでいるかどうかは分からないが、男だと思われていると狙われないとはどういう事だ。邪教は魔獣の番にしようとしていたから女を狙うのはまだ解るが、王弟が箔付けのために囲いたいとすれば、別に性別なんてどうでもいい気がするのだが。妃にできないまでも、パレードやパーティで見せびらかす事くらいは男だとしてもできるだろう。

 だとすれば、やっぱり王弟も『女』であることにこだわっているということか…。


「…ふーん、じゃあ、中田がそのままシータイに来るのはまずいんじゃない? 領外の人も結構いるし、私が中田って呼んでたら渡り人で女だって知れ渡っちゃうかもだし」


 正確な事は判らないが、何か考えがあって性別を隠しているのならバレないように行動した方がいい。


「じゃあー、何か変装でもして偽名名乗っとけばいいって事ですかねー。あ、そうそう、ウチ、お湯沸かすとかそういう魔法は使えませんけど、滅茶苦茶走っても全然疲れないしある程度は寝なくても平気になっちゃってー、筋肉も強化できるしぃ、怪我とかもしなくなったんですよぉー。オーレン様が『身体強化』だって言うんで多分そうみたいです。あ、風邪とかは普通にひきますけど」


 中田は魔法能力としての身体強化を授かったようだ。そういう発現の仕方もあるのか。


「そうなんだ、中田は武闘派だからぴったりだねえ。寝なくていいとか羨ましいわ。私はこの通り水魔法使いって感じだよ」


 治癒能力の事はいくら同郷相手でも軽々しく伝えない方がいいだろう。中田の状況を詳しく聞けてもいないうちに余計な秘密を背負わせるのは、彼女にとってもリスクになり得る。


「水魔法、ねえ…。堀田先輩、ウチ実はゲームとか結構する人なんですよぉ。パズルゲーとかホラーとか乙女ゲーとか、ファンタジー系のRPGとかソシャゲとかまあ何でもやるんですけど」


「へえ、中田ってゲーマーだったんだ。意外って言ったら失礼かな。私はゲームはやらないけど、ゲームの描写があるラノベは色んなのバンバン読んでたから何となく分かるよ。…もしかして中田は、魔法の系統とかにも詳しいって、そう言いたいんだね?」


「そーです。怪我しないって言ったらぁ、最初に『そういう力』があるかどうか結構深刻めに訊かれたんですよぉ。無いって分かったらホッとされちゃって。ほんとこの領の人達ってウチにゲロ甘なんですよねぇー」


 なるほど、中田はここでちゃんと大事にされているようだ。本人も思った程無茶はしていなさそうで安心した。


 恐らく中田は、水魔法使いならば治癒魔法も使えるのでは、と言いたいのだろう。私と二人きりでも油断せず言葉を選んでいるあたり、中田も軽々しくおおやけにしてはならない力だとしっかり理解しているようだ。


「実はね、私の能力の全容はまだよく判ってないんだよ。氷の魔法士じゃなくて水温の魔法士だって気づいたのも最近だしね。心配してくれたんだよね、ありがとう中田」


 嘘は言っていない。実際、全容は掴みきれていないし。


「いーえ。先輩があんまり狙われすぎてるんでぇ。ちょっと勘繰っちゃいましたぁー」


 私を狙っている連中は、私が氷を作れる氷姫、という以上の事は知らないはずだ。

 何せ私本人ですら涙の治癒効果について気づいたのはつい数日前の事だし、自己治癒能力だって初めて人に打ち明けたのはこの旅が始まってから。よって、能力が理由で狙われているとは考えにくい、はずだ。


「一つだけ訊いていいかな。中田はいつこっちに喚ばれたの?」

「分かんないですけどー、先輩の二ヶ月後くらいじゃないですかぁ。先輩って春頃には来てたんですよね? ウチがこっちに来た時はもうフツーに夏だったんで。サカシータは夏でも涼しいらしいから最初は春か秋かと思っちゃいましたけどぉ」


 サカシータ領の気候は日本で言えば東北か北海道辺りに相当するはず。温暖化や異常気象がなければ、真夏とはいえ涼しくも感じただろう。


「日本では、先輩が失踪しちゃってプチ騒ぎになって、カワイソーなウチは孤独に耐えてたんですけどぉ、一ヶ月くらいで耐えらんなくなって、課長の顔に辞表叩きつけてやった帰り、ガード下でヤケ酒してたら急に地面に吸い込まれて…気づいたら山の中? みたいな。ウロウロしてたらカリューの門前に出たんでぇ、ノリで『たのもー!!』って言ったら普通に入れてくれましたぁ。なんで、カリューの人達は結構顔見知りなんですよねぇ」


 ……そういえばエビーが、子爵邸の城門の前でタノモウ!って合言葉を叫ぶと、十人がかりで上げるような重い門が開いて、あらゆるテストに合格した者だけが新兵として鍛えて貰えるという噂があるとか何とか言っていた気がする。


「そっか、新兵志願者だと思われたんだね…」

「そうですよぉよく分かりますねー先輩。シモノ町長がしばらくこの町長屋敷にいていいって言ってくれてぇ、ヒンナばーちゃんがウチの面倒みてくれてぇ。超居心地よかったから一生ここに住もうかと思ってたのに、中央に行く馬車があるからってどーぞどーぞっつって乗せられちゃってぇ。連れてかれた子爵邸で体力テストみたいなのに参加させられたんで本気でやったら、見事合格! みたいなぁ。ウチって異世界でも超有能ぉ〜!」


 異世界でも中田は中田であるらしい。この妙なポジティブさと図々しさは健在のようだ。

 庇護欲をそそるこの外見の活かしどころも熟知している。町長シモノも、あの人の良さそうなメイド長ヒンナもすっかり絆されてしまったのだろう。

 そして合気道の有段者だった事と、身体強化を授かった事が幸いし、戦闘力という面でもすっかりサカシータ一族から気に入られてしまったと。


「うんうん、流石は営業の中田だね。まだ色々と聞きたい事はあるけど、今日の所は時間がないからまたね。知り合いに会えて嬉しかったよ」

「ウチもですー。…あのぉ、堀田先輩。一回だけ、ハグしてもいいですか」

「いいよ」


 両手を広げると、中田が勢いよく飛び込んできた。私も彼女を抱き締め返す。


「カリューの人達、助けてくれてありがとー先輩。ウチ、何にもできなくて…」

「助けたのはザコルだし、私もやりたくてやってる事だから気にしないで。そっちも色々大変だったでしょ。偉かったね、中田」

「それは先輩の方じゃないですか。あんなヒョロガリだったのに今日まで無事なのちょー偉いです。あの新聞も半分くらいは本当なんですよねー?」

「まあ、半分くらいはね。でも楽しんでるよ」

「ウチも堀田先輩に聞きたい事山程あるんでぇ、今度お酒でも飲みながら話しましょーよ」

「あー…ザコルがお酒許してくれたらね」

「あは、ガッツリ束縛されてんの草」


 私とザコルの関係にはさして興味がないのか、中田はそれ以上突っ込む事もせず、しばらく私の肩の辺りに顔を擦り付けるようにしていた。


 異世界に一人放り出されてから初めて、心細い、という感覚を思い出した気がした。


 ◇ ◇ ◇


 ベリィッ。


「あーん、もっと堀田先輩補給しときたかったのにぃー」

「これ以上お前にくれてやるミカなどない」


 中田を引っ付けたまま屋敷の玄関を出たら、外で待っていたザコルに即引っぺがされた。

 玄関の外にはクリナもいた。私がこれ以上歩かなくていいようにと、誰かが屋敷の前までクリナを連れてきてくれたんだろう。


「こっちの人でウチに冷たくしてくれんのマジ新鮮ー。ザコル様もまた絡んでくださいねぇー」

「僕はお前の顔など見たくもない」

「塩過ぎていっそ好感ー」


 ザコルは中田への塩対応を全く崩さず、私を小脇に抱え、後ろにシャッと跳んで距離を取った。そしてそのままクリナの上に飛び乗る。

 当然私はザコルが動くたびに遠心力や慣性の法則に振り回され、最終的にブンッ、ストンとザコルの前に座らされた。


 中田は苦笑というか半笑いでクリナの側まで寄ってきた。


「先輩の扱い雑過ぎて草超えて森なんですけど。動きが完全に野生だし。あの男の娘ちゃんが心配する気持ち解るかもー」

「男の娘ちゃん…ああ、コマさんね。彼親切だけどさ…」

 ぬっ、と中田の後ろからコマが現れる。

「ひぃ出た!!」

「へっ、姫もちったあ俺への理解が進んだか」


 心臓が飛び出るかと思った。今の今まで気付けなかったなんて。


「もーコマさんは…。いつからいたんですか、完全に気配断つのやめてくださいよ。さっきだって、部屋の中に絶対いるって解ってるのに認識できないってものすっごい恐怖だったんですからね? 後で色々質問させてくださいよ」

「気が向いたらな」

 彼はフン、と鼻を鳴らして踵を返し、門の方向へとテケテケと走っていってしまった。


「…あの子ぉ、ウチのことジロジロ見まくって『お前は姫と違って伸びしろがねえな』とか言ってきたんですけどどう思いますぅー? どっかの野生人が爆弾みたいな殺気が放った時なんかさっさと窓から飛び出してっちゃってぇ。どんだけ堀田先輩のこと気に入ってるんですかねぇー? どう思います野生のザコル様ー」

「僕を野生のサルのように呼ぶな」


 ザコルはクリナの腹を蹴り、自領側の門の方向へと歩かせ始める。中田もその横をトテトテと早足でついてくる。


 門の手前には、サギラ領側と同じように放牧や訓練、戦時などに使われる広場があり、町長屋敷の敷地とも直結している。その広場の脇を通る形で馬車道が門まで続いており、クリナはゆったりとその道をなぞった。行きはザハリが殺気を放って揉めた道だ。

 馬車道からは広場の隅までよく見渡す事ができた。シータイの町民がその一画で野営準備をしているようだった。


 どう知ったかは判らないが、コマは中田がこの町にいる事を事前に掴んでいたのだろう。それで私達よりも先に町長屋敷へ入って接触を計ったという事か。もう一人の渡り人に会いたがっていたし、また何かを見定めるつもりだったのだろう。


「コマさん、私に限らず人に稽古つけるのが好きみたいでねえー。しかも凄くいい先生なんだよ。伸びしろが無いって逆に褒め言葉じゃない? 人づてに聞いただけだけど、中田はここで話題になるくらい強いんでしょ?」


 国境の防衛について行ったり、曲者の掃討を手伝ったり。新兵に紛れていたとは聞いていたが、他ならぬこのサカシータ領で戦力として数えてもらえるという事は、相当なレベルのはずだ。


「ウチ、これでも合気道はガチよりのガチだったんでー。養父の道場継ぐつもりで鍛えてましたからぁ。てか、ウチが継ぐ前に潰れちゃったんですけど。合気道と身体強化合わせたら結構チートですよ」

「チートきたー!! 俺TUEEE系主人公!? さしずめ『合気道ギャルは異世界最強です〜身体強化無双列伝〜』って感じ!?」

「早口過ぎて何言ってんのか分かんなーい」


 チート設定いいな。私の話があるとしたら多分『嫌がらせ目的で召喚されたようですが私は魔獣じゃありません!? 〜かき氷とお風呂は世界を救います〜』とかだもんな。ほっこり系って癒されるけど読んでてちょっと眠くなる時あるんだよね。


「ミカの話がほっこり系? などとはとても…」

「堀田先輩の武器は短刀だって聞きましたぁー。合気道ってよく体術ばっかりって思われてますけど、刀とか杖とか武器使った稽古もするんですよぉ。短刀での攻撃を想定した稽古もあってぇ。教えてあげましょーか」

「おい出しゃばるなナカ…」

「えっ、いいの!? よろしくお願いします中田先生!」

「さっすが先輩、学びに貪欲ぅー。てかウチみたいなのにも躊躇なく頭下げちゃうとこ堀田先輩らしーですよねぇー。そういうとこフツーに好きぃー」


 中田が鎧にかけた私のブーツを指先でツツーと撫でる。


 今までピリピリ張り詰めている程度だった空気が、ぶわっと密度を上げる。クリナも驚いたのか、ひと啼きして脚を止めた。


「知ったような顔でミカを語るな!! 離れろ!! 僕をザハリの二の舞にさせる気か!?」

「はいはい、どうどうどう」


 腰に回った腕をさすって宥める。中田がニヤーと口角を上げながら上目使いをよこしてくる。

 こいつ、わざと煽ってるな…。


「ふふふー、ザコル様も手合わせしてくださいよぉ。体術と暗器の達人なんでしょー、きっといい勝負になりますよぉー」

「僕は相手が渡り人だろうと一切容赦などしないぞ」

「こっちこそですよぉー。ウチと本気でヤッてくれる人いないんでー嬉しいなー」


 バチバチバチ。この世の最終兵器と異世界から来たチートギャルが視線を絡ませ合う。


「むむ。私が欲しいものを中田があっさりと…。師匠もそんな挑発に乗っちゃってさ。いいもん、シータイ帰ったら滅茶苦茶鍛錬するもん。ふーんだ」


「あ、先輩かわいー。先輩って恋愛ってか男にキョーミあったんですねー。どーせ女にしかキョーミないかと思って、粉かけそうな男は陰でウチが全員潰しておいてあげたのにぃ。異世界で野生人と付き合ってんの草超えて森超えてアマゾンなんですけどぉ」


「草超えて森超えてアマゾンって何…。最近の若い子にはついていけんよお姉さんは。ていうか私の交友関係を勝手に狭めないでくれる?」


「万が一寿退社でもされたら困るじゃないですかウチが。あは。いたっ、何今の、ドングリー?」


 つくづく非常識な奴だ。ドングリくらいで済ませてやろうという私はつくづく寛大だ。

 スルリ、急にザコルが馬を降りた。そしてスッと中田に手を差し出す。


「今、初めてナカタを尊重すべき人間と認識しました。これからよろしくお願いします」

「手のひら返しやばー。まあいいですけど。こちらこそよろしくお願いします野生の人」


 ガシィ。道の真ん中で固い握手が交わされる。


「もー!! 何中田と結託してるんですか!? そいつ私が仕事辞めたら困るからって勝手してただけですよ! もう、もう、もう」


 ブンブンブン、パシパシパシ。


「くっ、ドングリ全部取られる…!! 中田にまで…!!」

「あは、先輩かわいー」

「同感です」

「何その生温かい目ぇぇー!!」


 ブンブンブン、パシパシ、ビシッ。


「いてっ、ちょ、今俺が後ろに来たからってわざと避けやがりました!? このクソ野生人、何ギャルと仲良くなってんすか!」


 この世界には『ギャル』に相当する単語が存在しているらしい。翻訳チートが普通に訳している。語感が気になる所だ。


「あ、うちのギャル男従者兼護衛騎士、エビーだよ、中田」

 話しづらいので私もクリナから降りる。

「へえー、エビー君ですかぁ。そのくすみカラーの金髪イカしてますねぇー。雰囲気イケメンて感じー。最近ロット様の光のイケメンぶりに馴れすぎてこういう感じの男子一周回って新鮮ー」

「いや、褒めてんすかそれ、何となくすげぇ失礼な事言われてる気がするんすけどお…」


 雰囲気イケメンだのと言われたエビーが渋い顔になる。ロットはあの女神イーリアの実子だろう、そんなサラブレッドとは比べてやらないでほしい。


「中田、うちの子に酷い事言わないでくれる。エビーはちゃんとイケメンだよ。いつもおちゃらけてるけど、真剣な顔した時なんかすごーくカッコいいんだからね」

「ね、姐さぁん…!! 俺ぁ姐さんに一生ついていくっす!! もー、姐さんかわいそーに、あの頭おかしい人達にいじめられたんすよねえ、俺があいつらから守ってあげますからねえ」


 エビーがすすすと私の前にきて庇うように立った。


「…へーえ?」

 中田が先程私から受け取ったドングリを手のひらで転がし始める。


「ねー、いいんですかぁ野生のお兄さん、あんな事言っちゃってますけどぉ。シメちゃった方がいいんじゃないですかー?」

「ナカタとは実に意見が合う。僕もそろそろ頃合いかと思っていました。セオドア様が選んだ従者だからと目こぼししてやっていたものを」


 ザコルもドングリを宙に投げてパシっと掴んだ。


「ふはは、俺もやられっぱなしじゃねーんすよ!」

 そう言うと、エビーはどこから持ってきたのか、木の板のようなものを取り出してサッと前に出す。

「そんなヤワな板を盾にしたつもりか?」


 ブンッ、パカァン!


「は…!?」

「わー、凄い。ドングリで板って割れるんだ」

「の、呑気な事言ってる場合じゃねえすよ姐さん!! 危ないんでちょっとあっち行っててください!!」

「次はお前の頭を割るぞエビー」

「ヒィッ!!」

「あは、ドングリって意外と使えるー」

「ヒィィィ!!」


 ヒュンッヒュンッと風切り音を立てながらドングリがあり得ない速さで飛ぶ。

 それを紙一重で避けるエビーにも感心だ。


「何すかあのギャル!! 魔王並みのドングリ砲打ってくるんすけど!?」

「ウチはチートもあるんでぇ。一時的にあちこちの筋肉強化して打ってるだけぇー」


 ヒュッ、ヒュン、バジュッ。地面に直撃したドングリが爆散する。

 エビーがたまらず道から逸れて広場の方へと駆け出し、猟犬と合気道ギャルもそれを余裕の足取りで追う。


「魔法で得たものとはいえ、そこまでの力をその精度で使いこなすのは難しいでしょう。僕とて、この膂力と繊細なコントロールを両立させるのにはそれなりの鍛錬を必要としたものです。流石、コマに伸びしろがないとまで言わせるだけある」

「お褒めいただき光栄ですよ野生の人ぉ。てか、チートもないのにその筋力やばー。どんだけ鍛錬したらそうなるワケー? 堀田先輩が惚れ込むだけあるぅー」


 私は別にザコルの筋肉に惚れた訳ではないのだが。惚れるとすれば、そんな厳しい鍛錬を自らに課せる精神力や、力を驕らない姿勢だろう。


 風切り音と破裂音とエビーの悲鳴が飛び交い、野営の準備をしていたシータイ町民も何だ何だと集まってきて見物を始めた。私は自分の残弾ドングリを巾着ごとエビーに投げて渡し、クリナを引いて少し離れた場所で見守る事にした。


「ミカ殿」

「あ、タイタ。カリューの町長さんと話はついた? 絵師を呼ぶ件でしょ?」


 タイタは門の近くでずっとカリューの町長シモノと話していた。遠目にしか見えなかったが、サギラ領から来た同志二人も同席していたようだ。


「はい。領政に関わる事ですので失礼や不備がないようにと、エビーや同志の彼らにもサポートしてもらいました。城壁の描写に関してはやはり持ち出しは禁止になるとの事でしたが、描いたものを町で保管し、訪れた同志が閲覧できるようはからってくださることになりました。集会所に関しては持ち出しも許可をいただきましたので、写しを作って同志を対象に頒布してはどうかと。その際には寄付を募り、町の復興に役立てていただくことを検討しております」


「わー、それすごくいいね、こんな短時間でそこまで考えてたなんて。執行人タイタはやっぱり凄く頼りになるねえ。護衛としてのタイタも最近はとっても気を利かせてくれるようになったし。有能な騎士をつけてもらえて、私は本当に恵まれてるよ」


「お、お褒めいただきありがとうございます。護衛に関しては、俺なりに考えたのですが、母が仕込んでくれた婚約者へのエスコート術を活用すればいいのではと思い至りまして…。も、もちろん、普段は俺から直接手をお取りするような事はございませんが」


 なるほど。私の扱いが前にも増して丁寧になったなとは思っていた。何ならザコルやザッシュなどに対しても執事よろしく侍っている気もするが。


「色々と考えて工夫してくれているんだね。いつも本当にありがとう」

「お礼をいただくには及びません。ミカ殿が母の仕込みを褒めてくださったので、それで思い至っただけなのです」


 ニコニコ。ニコニコ。

 ヒュンッ、パシィッ。


「は、ドングリ…」

「ちょーっとぉ、そこの赤毛のお兄さん、何先輩と微笑みあってんのぉー?」


 ぱあああ、タイタの顔が輝き出す。彼は受け取ったドングリをギュッと握りしめた。


「ドングリを投げていただくのはこれが初めてです…! ナカタ殿、俺もエビーに加勢してよろしいでしょうか!」

 投げつけてくる相手は猟犬でなくてもいいのか…。

「タイさぁん!! 俺の味方してくれるって信じてましたあ」

 エビーが諸手を挙げて歓迎する。

「タイタ!? 何で君が」

「ザコル殿! 遠慮は無用です! 稽古と思って投げつけてください!!」


 タイタはエビーの側に駆け寄ると、懐からドングリがみちみちに詰まった袋を取り出した。ザコルに献上した袋以外にもまだ持っていたらしい。


「いきます!!」


 タイタが勢いよく投げたドングリは、明後日の方向へと飛んでいった。


「あれ…?」

「タイタ、力みすぎです。君は力はいいのですから、まずは思い切り投げる事より当てる事を考えて投げてください」

「はっ、わ、分かりました!」

「ほら、相手をしっかり見てフォームを崩さず。もう一度」

「はい!」


 そろそろ出発だと言うのに、あのドングリ師匠は何をやっているんだか。


「普通に相手の指導までしてんのウケるー。お人好しが暴走しちゃうとこ先輩にそっくりぃー。エビ君は脇ガラ空きだよー? ほらほらぁー」

「ヒィィ!!」


 中田は構わずエビーを攻撃し続ける。


「ねー、反撃してくれないとつまんなーい」

「くっそ可愛い顔しやがってあのギャル!!」


 エビーも何とか反撃しているが、内股ポーズの中田に全て受け取られている。楽しそうだ。


 私の実力ではあの壮絶なドングリ合戦に参戦するのはまだ難しいだろう。せっかくの楽しい時間に水を差しても申し訳ない。


「ふーんだ、帰ったら滅茶苦茶鍛錬するもんねー」

「何をいじけている、ミカ殿」

「ザッシュお兄様。…ふふっ、距離」


 声の方を振り向くと、私との間に置かれた鉄鎚を挟んで三メートルくらい離れた所にザッシュが立っていた。


「し、仕方ないだろう、これくらいが精一杯だ。あなただって…」

「お兄様、中田の事は平気そうじゃないですか?」


 ザッシュは町に中田が来ているのは知っていたのかもしれないが、対面したり、同じ部屋にいても動揺したそぶりはなかった。


「カズ殿は…。少々失礼な言い方になるかもしれないが、正直、男も女もないただの強者という認識だ」

「なるほど確かに。ザコルと張れそうな実力者はそうそういませんもんね。でも中田、あんなに可愛いのに」


 愛嬌のある大きなタレ目に、形のいい鼻、小動物を思わせる可愛らしい口元。そして小柄でナイスバディ。男性にウケそうな要素てんこ盛りだ。

 私から見ても、メイク無しでもあんなに盛れてるギャルはそうそういないと思う。


「見た目だけはな。コマ殿もそういう類のようだが」

「コマさんは実力を隠すのがお上手ですからねえ」


 彼の本気はまだ見たことがない。それを言ったらザコルの本気だってそうだが。


「全く、常軌を逸した者ばかりだ」

「ほんとですよねえ」

「人事のように言うがあなたもだぞ、ミカ殿」

「ええっ、私がですか、まさか。今もあのドングリ合戦にはまだまだ入れないなと思っていじけてた所ですよ。その鎚だってきっと持ち上げられないし…」

「これか? いや、ミカ殿の常軌を逸した所は戦いにおける実力だけではないと思うが…。まあいい、この鎚が気になるなら持ってみるか?」


 そう言って、ザッシュは逆さまに置いていた鉄鎚の柄をこちらに傾けてきた。


「いいんですか!? 鎚ぃ! ふふ。やったぁ……んぐ、おっも!! ぐ、ぐぐう」

「おお、持ち上がるじゃないか。足の上に落とすなよ」


 体感、四、五十キログラムといったところか。


「はは、丁度ミカ殿一人分といった重さだろう」

「こっ、こんなものを担いだまま一日一緒に歩き回っていたなんてっ。お兄様だって充分常軌を逸してるじゃないですかぁっ…」

「何を言う、あの弟が持った鎚はこれの二倍以上あったぞ。守衛のバンニが使っていたものだが、あいつには新しい鎚を用意してやらないといけないな。鉄が大量に要るから材料が揃うかどうか…」


 …サカシータ領、ハンパないって。


「あのひしゃげた鎚を溶かそうと言ったら、集いの奴らが半狂乱で妨害を…」

 私はずしん、と鉄鎚を地面に置いた。

「あの巨大鎚でどうやって戦うんですか?」

「あんなのは威嚇目的だ。あれを持って担いでいるだけで大抵の者は怯む。機動性に欠けるので実戦には向かない。あの弟ならば使いこなせるかもしれんがな」

「実に軽々と雑に持ち上げてましたもんねえ。水満タンの大樽も『よっ』とか言って持ち上げちゃうし…。人としての常軌を逸しすぎてて好きです。あ、聴こえちゃった。人前で好きとかカッコいいとか言うと照れて怒るんですよねえ。ふふふ」


 ザコルが眉を寄せてこちらを見ている。余所見をしているというのに、飛んできたドングリはパシパシと受け取っている。


「もし本気で暴れられたら、一族内でも鎮められるかどうか分からんあいつを、そんな風に言って振り回す女性はあなただけだろうな。よく怯まないものだ」


「……彼にはもちろんサカシータ一族として恵まれた素質はあったのでしょうけど、あの力のほとんどは自分で課した厳しい鍛錬によって得たものでしょう。決して、未熟な精神にいきなり宿ったものではないはず。あの力を持っても驕らず、どんな相手も侮らない姿勢は、尊敬こそすれ怯むなんて失礼でしょう? 少なくとも私には格好よく見えます」


 あ、ザコルがドングリを明後日の方向に飛ばしている。


「……ああそうか、すまない、今のは確かにあなたにも弟にも失礼だった。そう言ってくれるあなたの側は、あの弟にとって居心地がいいだろうな。家族でもあいつを真に理解してやる事ができず、長らく不憫な思いをさせてしまった。あのどうしようもない、乱暴で残忍な面を持つという噂さえ真に受けて…」


 ザッシュが俯く。


「ねえお兄様。ザコルは、あなたの弟君は親切で優しい人ですよ。不器用すぎて相手に伝わってない事も多いようですが、たとえ伝わっていなくても気にしないくらいのお人好しです。…それは、イーリア様や、ザッシュ様と長年過ごして培われた精神なんだろうなと、今日一日を一緒に過ごした私は思いました」


 乱暴で残忍な面があるという噂を認識しながらも態度を変えず、心配し、成長を喜んでさえいた彼らの愛情深さは、確かにザコルの中にも息づいていると思う。似ているなと、家族だなと思う所もたくさんある。あくまで部外者の視点に過ぎないが…。


 領内での前評判が良くない事は薄々気付いていた。

 あまり認めたくなかったが、モリヤ以外ではザコルに『おかえり』と言ってくれる人も見た事がなかったし、女性の中にはあからさまに怖がっている者も多い。私にわざわざそれを伝えるような人はいないが、ザコルの言っていた『ミカが気に入っている犬くらいの扱い』という表現は今更ながら合点がいく。それくらい、多くの領民はザコルに冷ややかとまではいかないが、警戒、もしくは無関心を貫く者が多かった。


 だが、今回シータイで過ごす内に、その人となりを理解してくれる人は着実に増えている。

 今思えばマージが着飾った私をザコルにエスコートさせたのも、半分はザコルの印象をよくするためだったのだろう。

 字や投擲を習った子供達はザコルの優しさを忘れないはず。カリューでは地元を救った英雄だし、山の民もザコルに深く感謝している。きっと彼はこれから報われていくのだ。


 私は、俯いて黙り込んでしまったザッシュを伺い見た。


「あの、知ったような事を言ってしまって申し訳ありません…。以前ね、私が彼にトンネルの話をした時に、やけに工法やなんかに詳しそうだなと思っていたんです。ザッシュ様とお会いして納得してしまって。笑い方も似ていますし、きっと、ご兄弟の中でも一緒に過ごす事が多かったんだろうと」


 ザッシュが顔を上げ、私の方を見る。


「…笑い方? おれとあいつが似て…? いや、あいつが、笑う…?」


「…? ええ、笑いますよね? たまにですが。あ、魔王の微笑みじゃない方ですよ。ふはははーって爆笑してる時なんかそっくりですよ。イーリア様も同じような笑い方するでしょう? やっぱり家族なんだなあって」


「お、弟を…!」


 ザッシュが不意に動き出し、鎚の柄を握る私の手を大きな両手でガッと掴んだ。


「ひ、ザッシュ、さま……」

「弟を、弟を愛してくれて、ありがとう、ミカ殿…!」


 一瞬体が縮こまりそうになったが、涙するザッシュを見てすぐに緊張は和らいでいった。先程自分自身が言った事が頭によぎる。長年、弟の事を心に留めてきたこの愛情深い人を、尊敬こそすれ怯むなんて失礼だ。


 ビヂィィン!!

「あだっ」


 急に金属製の柄に何かが強く当たったような感覚があり、同時に電流のような衝撃が走った。

 咄嗟に手を離そうとしたがザッシュの手に包まれていてそれもできず、衝撃に当てられた手のひらがジーンと痛む。

 遅れてザッシュが手を離し、私と距離が近かった事に気付いたのか後方に飛び退った。またも鉄槌の柄が倒れてガランと音がする。


「だ、大丈夫かミカ殿、急に手を、す、す、すまない…!! い、今のは何だ!?」

「あー…多分、ドングリですねえ。この柄を狙ったみたいで」

「ミカ」

「ひい!! 気配消さないでくださいよ!! もー、手が痺れました…」

「それはすみません。見せてください」


 私の後ろに突如現れたザコルが、後ろから私を抱き込むようにして手を検分してくる。

 とはいえ、少し赤くなったくらいで別に怪我などはしていない。飛び散ったドングリの破片はコートやブーツなどあちこちにくっついているが。


「兄様」

「す、すまない、ザコル…」

 ザコルの睨みに、眉を下げるザッシュ。


「ちょっとザコル、どうせ今の会話聴いてたんでしょ、あなたのために泣いてくださったのであって」

「ミカに触れるのはまた別問題です。怖かったでしょう、ミカ」

「大丈夫、です。今はまだ会ったばかりなのでどうしても緊張してしまいますけど、私、きっとザッシュお兄様の事は平気になると思いますから」


「それは、今は平気ではないという事だろうが! 我慢するな! ちゃんと言え! おれは感情が昂ると前が見えなくなる事があるんだ! 昔、それで女人を怖がらせた事が幾度かあって…だから…!」


 離れた所から必死に言い募るザッシュ。


「そうだったんですか。なるほど、さっきの『よく怯まない』というのは、ご自分の過去を重ねてもいらしたんですね。失礼しました。でも、それならやっぱりお兄様は優しいです」

「や、優しくなどない! 現に怖がらせてしまっているだろうが!」

「怖かった訳じゃありません、どうしても緊張してしまうだけで…あ、でも一瞬でしたよ、お兄様の涙を見たらすぐ和らぎましたし、それこそ怯む理由もありませんので。ふふ、今日は二度も男性を泣かせてしまいました。私ったら罪な女ですねえ」

「僕は泣いていません」

「ザコルの事だなんて言ってないのに」


 ぐ、とザコルが言葉を飲み込む。


「せーんぱいっ」

「わっ」

 ぎゅむ、といつの間にか中田が私の胸に飛び込んでいた。

「もー、中田まで。びっくりするから気配絶ってくるのやめてよねー」

 ただの社畜仲間だったはずなのに、この戦闘スキルの差は何だ。


「ナカタ、ミカが減るじゃないですか」

「いーじゃん少しくらいー。認めてあげるんですからぁー。現状ウチより強そーなのザコル様だけだしー」

「そうでしょうか。ナカタとはいい勝負だと思いますが」

「経験値の差で負けちゃうかもぉ。あと暗器とかまだ見てないし。まさか手裏剣とかじゃないでしょぉー?」

「まさかの似たようなやつだよ、中田」


 クナイ風の投げナイフだ。


「えー? やっぱシノビって、この人達の先祖忍者なんですかぁー?」

「多分ね」

「やば、ウケる」


 中田はサカシータ子爵オーレンと面識があるようなのに、先祖に関する話はあまりしていないようだ。中田自身、そこまで興味がなくて深掘りしていないだけかもしれない。


「ナカタもニンジャやシュリケンを知っているのか…。ミカの言う通り異世界、ニホンでは常識なのか…?」

「知ってるけど私は別に詳しくないですよぉ。先輩はブンガクショージョで雑学王だから変な事いっぱい知ってますけどぉ」


 エビーとタイタも、形が無事なドングリを拾い集めながら広場から引き揚げてくる。


「モテモテっすねえミカさん。前も後ろも最終兵器どもにギュムギュムされちゃって」

「いい汗をかきました。ドングリ投げは実に優れた訓練法だ。これから毎日投げ込み、研鑽を積んでいきたいと思います」

「あは、赤毛の人マジメすぎー。でも楽しかったぁ。ドングリ見つけたらウチも拾っとくからー、またやろーよみんなぁ」

「俺次はギャルチームがいいっす」

「えー、エビ君よわっちぃからいらなーい」

「くっそこのギャル…!!」


 中田が、黙って突っ立っていたザッシュの方をチラッと振り返り見る。


「ザッシュ様はウチのチーム入ってくださいよねぇー」

「お、おれか…? おれはお前達のように若くはないぞ」

「関係ないでしょー。どうせみんないい大人なんですからぁー」


 ぎゅ、中田の頭を抱き締めて撫でる。ザッシュ様に気を遣ってくれたんだね、偉い偉い。


「あはー、先輩なんかやさしー」

「中田もザッシュ様も、またみんなで遊ぼうね。ドングリもいいけど、雪合戦もしたいな」

「それいいー! メチャクチャ本気でやりましょーよぉ」


 中田の顔がぱあああ、と輝く。


「この世界、娯楽とかあんま無いから戦うくらいしか楽しみなかったけどぉ、先輩が来てくれたからほんとうれしー。今度シータイの方にも遊びに行くんでぇー」

「うんうん、シータイにはしばらくはいると思うからね。中田はちゃんとイーリア様達に迷惑かけないようにするんだよ。オーレン様やロット様にも会ったらよろしくね」

「もー、そーいうお小言で締めないでくださいよぉー、オカンなんだからー」

「誰がオカンだ。あー、そうそう、私は中田を締め上げるためにザコルについてはるばるここまで来たんだよ。ザコル一人に任せておくと墓標が立ちそうだったから。感謝してよね」

「やばー。冗談になってなさすぎて竹生えるー」

「何で竹…? もー若い子の言葉は分からんよお姉さんには」

「ばばくさっ。やっぱオカンだし」

「…ふっ、あははは」


 酷い言い様だが思わず笑ってしまった。悔しいが中田の言う通りだ。私は彼女を何だかんだ言って気に入っている。

 こうして何でも遠慮なくズケズケ言い合える存在は、この世界では特に貴重だ。最近は皆もある程度は私に気安く接してくれるようになったが、やはり一線引かれていると感じる事の方が多い。


「ミカさん、そろそろ行きましょう。イーリア様達の準備も済んだみたいすから」

「本当だね。あれ、山の民もいる…?」


 門の方を見ると、イーリアとそれを囲む小隊の側に、見覚えのある深い紫紺のローブ集団が見える。


「ああ、今日も薪用にと木材の切り出しに来ていたからな。ミカ殿の護衛がてら、共にシータイへ戻るつもりだろう」

 ザッシュが説明してくれた。


「彼らがここまで奉仕してくれているのはお前達がいてこそだ、ザコル、ミカ殿。今後、そんなお前達に何かを我慢させるような事があってはならないので一つ言っておくが、おれは頭も固くて細やかな気遣いができる方じゃない。おれのためを思うなら、何でもストレートに言え。我慢するな。いいな」


「はいシュウ兄様」

「分かりましたお兄様」

「よし、それでいい!」


 その清々しい返事に、ますますテイラーにいるハコネを思い出した。



「ラーマ様、カリューにいらしていたんですね」

 山の民の商隊リーダー、ラーマ。後ろに控えるはその隊に所属する主だった男衆だ。


「はい。ご挨拶が遅れ申し訳ありません。しかしこのラーマに様付けは不要です、聖女ミカ様」

「ふふ、このミカにも聖女や様はいらないんですけどねえ。ではラーマさん、薪の調達状況はいかがですか?」


「節約すればギリギリ、といった所でしょうか。もう少し備えがある方が安心かと。しかしあまりアカイシ側の木を採ってしまっては土砂崩れや雪崩が心配になりますから。明日は切り出す場所を変えようかと検討している所です」


「もうそんなに調達ができているんですね。あの、ツルギ山の集落の方は冬の備えなど済んでいるんですか?」


「ご心配には及びません。チッカで大量に納品したばかりで、今年の冬は潤沢な資金がありますから。それに集落の方にも人はおりますし、近隣の集落からも応援が望めます。人手は足りておりますよ」


「それを聞いて安心しました。リラがもう少しで帰る事になると話していました。寂しくなりますね」


「この薪の調達が済みましたら一度女衆と一部の荷馬車などを集落に帰そうと考えております。雪が積もりますと荷馬車を帰すのが難しくなりますから。男衆と若い女衆の数人は残し、引き続き雑用やミカ様の護衛として役立てていただくつもりです」


「そうですか。私の護衛まで…。ご厚意に甘え続ける形になり恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

「いいえミカ様。我々が勝手にしている事です。どうか御身を守らせていただく御許可を」

「そんな許可だなんて」

「仰々しー。もういーじゃないですかぁ。黙って守らせとけばー」


 バシィッ。


「痛ぁー」

「中田ァ、そんなわけにいかないでしょーが、本当は全山の民、全サカシータ領民、全同志に頭下げて回りたいくらいなんだよ! 中田にもだよ! 叩いてすみません! よろしくお願いします!」

「ホント真面目すぎですよぉ。私だって勝手に動くしぃ、放っといていいのにー」

「そんなわけにいかないでしょ…」


 中田も私の預かり知らぬ所で曲者の掃討やらをしてくれるつもりだろう。中田だって渡り人だというのに、私ばかりが守られていて申し訳ない気持ちになる。


「ミカは本当に気にしなくていいんです。山の民は恩を返したいだけでしょう」

「その通りです、ザコル様」

 ラーマが恭しく一礼する。


「それにナカタの実力ならば心配いりません。生半可な者では拐う事は疎か、かすり傷一つつける事もできないでしょう。彼女がこちらの門や国境近辺にいてくれるのは実に心強い」

 ザコルは何やらうんうんと頷いている。

「師匠は何なんですか、すっかり中田と意気投合しちゃってさー」

「ミカを護ろうという心意気は信頼できますので」


 つい二時間くらい前に会ったばかりだというのに、このドングリ師匠は中田の何を解ったつもりでいるのだろうか。


「野生の人もちゃーんと『ウチの堀田先輩』を守ってくださいよねぇー。もしアレならスグにそのポジ代わってあげるんでー」

「ええもちろん『僕のミカ』ですので。それに僕以上の兵器は国内に存在しないらしいので安心してください」


 中田が差し出した拳に、ザコルも拳をぐっと合わせる。

 もはや意気投合というより、互いの実力を認め合ったライバルみたいな雰囲気だ。ちょっと一緒にドングリ投げたってだけなのに。くそう妬ましい…。


「存在しない『らしい』って…。あんた以上の兵器なんざ国内はおろか国外にだってぜってえ存在しねえよ。野犬殿は今頃何言ってんすか? ずっと最強だの最終兵器だのって腫れ物扱いされてんのにさあ…」


 エビーが呆れた顔でザコルの横に並ぶ。

 そういうエビーは遠慮したり腫れ物扱いしたりしないんだよな、ふふ。


「僕はただ、するべき鍛錬を続けてきただけの、数いる武人の一人に過ぎませんので。今もそういった自覚はありません」

「名言ですね。心の猟犬ノートに書き留めます」


 タイタはザコルの斜め後ろに立ち、胸に手を当てて姿勢を正す。まるで神か聖人にでも仕えるような佇まいだ。


「かっ、書き留めないでください。その心の猟犬ノートとは何ですか? 即刻焼却でもして…」

「こうして行動を共にさせて頂いてから、随分と心の猟犬ノートも埋まってきました。そろそろ一冊の本にしてもいい頃合いです」

「本!? 意味が分かりません! 変なものを形に残そうとしないでください。聞いていますかタイタ!」


 以前、私の名言なるものも書き留めていたようだが、それこそ上書きなり削除なりしてくれている事を祈ろう。

 タイタのズバ抜けた記憶力の前では無駄な足掻きかもしれないが…。


「ははっ。お前が周りに恵まれていて何よりだ、ザコル」

 人に囲まれるザコルを見て、ザッシュが満足そうに頷いている。


「また数日後に会おう、弟よ」

「はい、シュウ兄様。ミカとシータイでお待ちしています」


 ◇ ◇ ◇


 ザッシュに中田、カリュー町長のシモノ、野営準備をしていたシータイ町民に、駆けつけてくれたカリュー町民、見張りの兵士たち。多くの人達に見送られ、再びカリューの門をくぐる。


「またすぐ会えるって分かってますけど、寂しいですねえ…。今日も濃ゆい一日でした」

「ミカ、大丈夫ですか。今日はかなり魔力を消費したはずですが」

「特に体調変化は感じないですよ。どれくらいお湯を作ったかは覚えていませんけど」


 最初に沸かしたのは早朝のブートキャンプで…ええと…


「そうですね、まず、シータイでの早朝訓練で清拭用に大樽六杯、道中に湧き水で氷を少々、カリューでは煮沸のために洗濯用タライにして約三十杯、予洗い用の湯についてはすみません数えていませんでした。浸水地域へと運び出した大樽二十四杯、小さい樽八杯、ついでに号泣二回、浸水地域で温め直した樽は九箇所…大樽に換算して五杯程度でしょう、町民が持っていた桶三つ、避難所では大樽が四杯と小樽四杯に洗濯用タライが八つ、桶や洗面用の小さなタライは十以上ありましたね。それから町長屋敷では同席していないので分かりませんが、きっと患者の清拭を賄えるだけの湯を作りましたよね。今日一日、湯だけの合計としては大樽にして五十五から、六十杯程になるかと。湯を沸かせるようになってからでは最も多い量の魔力を消費しています」


「…す、凄い…! 全部覚えていてくれたんですか…!?」

「はい。僕はミカの調査係ですので」


 あまりにスラスラと答えるので圧倒されてしまった。諜報活動を長年していたらこういうスキルが身につくものなのだろうか。コマがタイタの記憶力を欲しがる意味がよく解る。


「ええと、大樽の最高容量は二百リットルくらいだろうから、六十杯なら全部で一万二千リットルで、すなわち…さ、最大で十二トン!? ええええー!?」

「リットル、トン、とは何の単位ですか」

「ああ、リットルは液体量の単位で、トンは重さの単位です。一トンで、ええと、馬二頭分くらいの重さですかねえ。大樽なら水満タンで五杯分くらいかと。ああ、回りくどい計算しちゃったかも」


 単純に六十を五で割ればよかった。というか、私は出掛ける前から一トン以上のお湯を沸かしていたのか。


「ミカ殿は算術にも長けていらっしゃるのですね。教養の高さには驚くばかりです」

「い、いや、日本では四則演算は全国民が習うんだよタイタ…。それにしても十二トンか…」


 トン単位となると何やら物凄く多いように感じる。


「それで体調は?」

「特に不調はないんですが、歩き回ったし色々あって疲れてはいると思います。沸かしたお湯の量が思ったより多くてびっくりしました。でも多分大丈夫だと思います、多分」


 ふいにクリナの横に小さな影が現れる。


「姫、今日はもう使うな」

「ひゃう!! 今日コマさん気配消し過ぎじゃないですか!? …わ、分かりました、使いません。コマさん、馬はどうしたんですか」

「山の民にやった」

「コマさーん、俺の馬に乗せましょーか」

 エビーがひらひらと手を振る。

「いらねえ。どうせ走った方が速い」

 そう言うと、コマはシャッと茂みの方へと入って消えてしまった。


「山の民の馬が一頭脚に怪我を負ったため、手当をしてカリューに置いてきたようです」

「なるほどそれで譲っちゃったんだ。親切ー」


 親切じゃねえ! 茂みの奥から声が聴こえる。

 風は冷たいが、西日が肌を僅かに温める。真っ暗になる前には何とかシータイに辿り着くだろう。


 ◇ ◇ ◇


 見覚えのある道や、同志村、放牧場が見えてくる。もうまもなくシータイへと入る門が見えるはずだ。


「あ、モリヤさんと…」


 門の前に人影が揺れて見える。日が沈んでしばらく経つのでかなり薄暗くなっており、鎧や剣のシルエットが特徴的なモリヤ以外は判別がつきにくい。


『ミカ様ぁーおかえりなさーい』

「あ、ピッタ達だ!! リラとシリルくんもいますよ!」


 近づくと、声や背格好ですぐに判った。可愛らしい子達のお出迎えだ。カファと数人の同志村男性スタッフもいる。その他にも馬丁や衛士など、出迎えのための人員が揃っていた。


「同志達もいますね、門の上に」

 見上げると確かに黒っぽい人影が九つ。一応、今朝も会っているというのにあの距離は何だろう。


 先を行っていたイーリアと側近、小隊が先に挨拶をして町へと入っていく。

 私達も門の手前で馬を降り、馬丁の少年にそれぞれ引き渡した。クリナは、すり、と鼻先を私の頬にすり付けてから去っていった。もしかしたら、私の体調などを気遣ってくれたのかもしれない。本当に賢い馬だ。



「お帰りなさい、坊っちゃん。ミカ様」

「ただいま戻りました、モリヤ」


 ザコルを見つめるモリヤの優しい眼差しに泣きそうになってしまう。

 私は何とか笑顔を取り繕い、ただいま戻りましたと、皆に向かってお辞儀を返した。



つづく

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