カリュー訪問⑥ 例のあの人
「ミカ!!」
町長屋敷が見えてきた所で、私の姿を見つけて駆け寄る女神の姿が見えた。
「すまない本当にすまない、我が家の者からこのような輩を出すなんてああ何をどう詫びればいい」
その美しい声で謝罪の言葉を連ねながら私を抱き寄せ、頭部を丸ごとその豊満な胸にぎゅむと沈めた。
「ああ痛い思いはしていないだろうか貴殿の事だから怯んではいなくても心痛めているだろう即刻ザハリの首を刎ね上げて憂いを取り除き」
「義母上、ミカが窒息します」
「ぷは、んま、待って、待ってください…」
その柔らかくて心地の良すぎる地獄から何とか顔を離す。
ザコルが肩を引いてくれなければ危なかった…。いい匂いした…。
「コマ殿にあらましは聞いたぞ、どうしてザハリの同行を許したザッシュ!!」
女神が威圧を放つ。相変わらずエグい威力だ。
「義母上そしてミカ殿、申し訳」
「イーリア様! 私がお話を聞こうと言ったんです!」
当初、ザッシュは私から離れた場所でザハリを締め上げてくると言っていた。そこに私が口出ししたのだ。
そもそも、ザハリが先回りしてまで私達を待ち伏せていたのであって、接触はまぬかれ……あっ!!
コマの方をチラッと見る。ニヤリと返された。くそう、可愛い。
「と、とにかく、ザッシュ様は何も悪くありませんので。私の心情を慮ってくださるなら、ザハリ様の処遇について一つご提案をさせていただけませんか」
「ああ、首を刎ねるくらいでは生ぬるいものな、ゆっくりと半年程かけてありとあらゆる拷問を行った末市中引き回しに」
「違う違う違うそうじゃなーい!! タイタ起きて! タイタ!!」
いくら罪が重いとしても、親にそんな酷な命令をさせるのは後味が悪すぎる。
というか未だ正式に身分を得ていない渡り人なんて、法の庇護など受けてないも同然だ。そんなのに対して犯した傷害未遂くらいで、市中引き回しの刑とかいくら何でも重すぎる…!
「タイタお願いだから起きて!! 反省文読み上げるよ!?」
「…はっ、反省文!? 今何か恐ろしい言葉が聴こえたような…」
今の今まで心神がどこかに行っていた執行人が目を覚ます。
「ねえねえ、ほら、預かるんでしょ!?」
「そう、そうでした!! ザッシュ殿、先程はお預かりした何より大切な鎚に泥を」
「いや、どうせ土木用のものだ、そんなにやわにはできてない。それより足は」
「そうじゃなーい!! いや、そうだけどそうじゃない!! 洗脳班についてイーリア様にご説明して!!」
「は、承知いたしました」
タイタが話し出そうとしたが、すぐにイーリアに手で制される。
「待て、一度屋敷に入れ。あまり時間も無いが私もここを動けなかった訳について説明したい。ザッシュ、そいつを側近に渡せ」
ザッシュは肩の上のザハリを、イーリア付きの側近の一人に渡す。
「一度自害しかけている。処分が決まるまでは注意してくれ」
「は。終日見張りをつけさせます」
側近はザハリを軽々と持ち上げ、恭しく一礼した。
玄関に入る前に、屋敷の使用人が用意してくれた布やブラシで、靴についた泥を皆で落とす。浸水地域も歩いてきたので、久しぶりにブーツがズブズブに汚れてしまった。
それにしても傷害未遂に自害未遂か、つくづく大事になってしまった…。後からじわじわと落ち込んできている。これはまた眠れなくなるかもしれない。
「いいですかミカ。そもそもあれを十年、いや二十六年も見ぬふりした僕のせいです。もしお互い寝られなかったら夜通し語るのはどうですか」
「それはいいですね…。流石ザコル、さすざこ。ふふっ、語呂が悪い…」
「あ! 流石エビーのさすエビは俺だけにしてくださいよ! 流石ピッタのさすピタだってちょっとモヤってたんすから!」
「はいはい、さすエビは可愛いねえー」
頭を撫でるとまたザコルがキレそうなので、軽くエビーの肩をポンポンとする。
「夜通し語るなら俺も仲間に入れてくださいよね!」
「僕はミカと二人がいい」
「申し訳ねえんすけど、あんたら二人には物申したいことが山程あんすよ。大体よう、水害発生直後の混乱期ならともかく、理由もなく朝まで二人きりなんて許されるわけねえだろが。町長様と使用人達に殺されてえんすか?」
「ぐう…」
「ミカさんの信望者がどんどん結託し始めてますからねえ、これまで通り好き勝手できると思わねえ事すよ魔王殿」
「ぐううう…!」
エビーがザコルに厳しい。さっきの対応で思う事でもあったのか。
「悔しけりゃさあ…」
「もう、何キレてるのエビー。今回の事は完全に私の自業自得だよ。若干嵌められた感はあるけど…。だから怒るなら私だけにして」
「ミカさんはミカさんでサカシータ兄弟に甘過ぎじゃないすか!?」
「エビーの言う通りですミカは甘過ぎです!」
「ええー…ザコルまで何言ってるんですか…。私が誰を庇っていると…」
全くもう。思わず溜め息が漏れる。
「エビー、殿。貴殿の苛立ちは分かるぞ。おれも気が緩み過ぎだったと反省している。すまなかった…」
「えっ、いや、お兄様には何も思うとこなんてねえすよ! 平民相手にやめてください、エビーでいいすよ。俺だってもっと…」
「エビー、俺がまた心神喪失などするから怒らせて…」
「タイさんも違…っ」
「はいはいはいもう反省会やめよう!? あ、そうだ褒め合おう! ね!? お礼でも言い合おうよぉー…」
「あー泣くなよ姐さんはもぉー、俺が悪かったですってえ…」
ダメだ、私が落ち込むと何故か皆まで連鎖的に負の感情に陥る気がする。そんなに分かり易いだろうか。大人として社会人として不機嫌を表に出すなんて失格じゃ……ダメだ、また落ち込もうとしている。
「ミカどうした、今になって恐怖が蘇ったか? ああやはり私もついて回っていれば…」
イーリアまでが巻き込まれにやってきてしまった。
「違います違います! 皆が自分を責めて落ち込むから悲しくなっちゃって…。申し訳ありませんが皆さん、今からしばらく謝罪と叱責は禁止でお願いします。破ったらこのミカが泣きます」
今更だが、無意識に精神感応系の魔法でも使っているのではという疑念が生まれてきた。これ以上私に何か背負わせないで欲しいのだが。
「分かった。聞いたかお前達。謝罪と叱責は禁止だ。ミカを泣かせた者はもれなく斬り伏せる」
『はっ』
違うそうじゃない、その言葉を飲み込み、絶対に泣いてはいけない報告会へと向かう事となった。
◇ ◇ ◇
町長屋敷の中へとぞろぞろ入り、午前中にも一度入った応接室へと足を向ける。
側近の一人がトントン、とノックをすると、中からはぁーい、と返事があった。
「え」
「誰すか…?」
どよつく私達に構わず、側近の男性が扉を開く。恐る恐る入室すると…
「じゃんじゃじゃーん!」
中にいた人物が両手を上げたポーズを取って待っていた。
「堀田センパーイ、おっひさっしぶっりでぇーす!」
「な、な、な」
「どう? 驚きました? 今日はぁーカリューに堀田先輩が来るって聞いたんでぇ、サプライズしようかって思って昨日からこの町にいたんですけどー、メインストリートの方でずっと潜伏してたのに先輩全ッ然来なくてー、飽きたんでこっちで待ってましたぁー」
「な、な……中田ぁぁ…!!」
「はっ? ナ、ナカタ!? あっ、ミカ」
ズンズンズン、バシィッ!!
「痛ぁー、ひどーい体罰とかパワハラー」
「うるっさい! 昨日イーリア様がシータイに戻れなかったのはあんたのせいだね!? 女神様に何迷惑かけてんの!?」
「ちゃんとこの近辺の掃討には協力しましたよぉー。あー大変だったぁー。堀田先輩ガチで狙われ過ぎてて草なんですけどぉ」
「掃討!? 私のせいで!? それは、ありがとう!!」
「あは。キレながらお礼とか草。相変わらずですねぇ」
サカシータ領の軍服に身を包んだ小柄なその人物。
見覚えのある茶髪…は伸びて完全にプリンになっているが、この無駄に愛嬌のある顔に、私と同じくらい小柄なくせに出るところの出たけしからんボディ、合気道師範という武闘派のくせにこのわざとらしい内股ポーズ。
間違いない、日本で私を散々悩ませてきた営業の中田だ。
「何か堀田先輩、たくましくなってません? もっとヒョロガリでしたよね、血色良くなり過ぎじゃないですかぁー?」
「誰のせいでやつれてヒョロガリになってたと思ってんの!? あんたが何度言っても取ってくる低コスト大ボリューム短納期案件のせいでしょうがあ!!」
「イタタタパワハラ断固反対ぃぃー」
首を後ろから締め上げていたら、ふと戸惑った様子の皆の顔が目に入る。
す、と中田を離す。
「……お見苦しい所をお見せいたしました」
カーテシーで誤魔化す。絶対誤魔化せてないけど。
「わー、そのお辞儀メッチャ上手じゃないですかぁ? 流石は真面目先輩。ウチ、ソレ生理的にちょっと無理なんですよねえー。てか日本人なんで」
バシィッ!!
「痛ぁー」
「郷に入りては郷に従えという言葉を知らんのかこのギリギリZ世代が!」
「世代でくくるのモラハラなんですけどー。てかギリZ世代なんてほぼY世代じゃないですかぁ? あとぉー別に今は後輩でも何でもないんでぇ、偉そうに叱らないでくれますー?」
………………。
「……そうだね。うん、別に叱ってやんなくてもよかったわ。もう私が面倒見なくたっていいんだよね。さよなら中田」
「きゃー!! うそうそうそ!! やだぁ見捨てないでくださいよぉ堀田先輩なら私の事叱ってくれるって思ってここまで来たんですぅ! こっちの人達みぃーんな私にゲロ甘過ぎていい加減ダメになりそうなんですよぉぉぉー!!」
「縋り付かないでくださいますか中田さん」
「堀田先輩ってばぁー」
ズンズンズン、ベリィッ!!
ぎゅ。
ザコルが縋り付く中田を無理矢理引き剥がし、その太い腕で私を抱き込む。
「あっ、先輩大丈……って、あれ? ザハリ様? に、してはマッチョ過ぎ? 何か髪型も違……え、誰? てか殺気やばー」
「お前が、エイギョーのナカタか」
「あ、はい。そーですけど」
「ミカをあんなしなびた芋みたいになるまで追い込んだ…。まさか女だったとは」
「またしなびた芋って言いましたか」
「き、聞き間違いじゃないですか」
「ふーん」
中田はポン、と拳を打った。
「あ、もしかしてザコル様ですかぁ? ザハリ様の双子のお兄さんでぇ、最終兵器でぇ、人の心がなくて乱暴で手当たり次第女を食いまくって王都から追い出されたような奴だから絶対近づくなってザハリ様が言ってた、あのザコル様ー?」
………………
………………
………………シィン。
訪れたのは、耳鳴りがしそうな静寂でした。
◇ ◇ ◇
「…うっ、うっくく…くっ……ぶっふぁ…っ!! お、おん、女食いまくって王都追い出された…!? このヘタレ大魔王がぁ!? くくく…我慢できねえあははははは!」
静寂はエビーの大爆笑によって破られた。
「うるさいエビー! まさかザハリはそんな事を周りに吹き込んで…はっ、ミカ、信じないでくだ」
「おい、何だその醜聞は、ザコル、お前まさか」
「やはり王都で遊び暮らしていたかザコル!」
イーリアとザッシュがいきり立つ。
「イーリア様、ザッシュ様、嘘です。紛れもない嘘ですよ。もし事実ならテイラー伯が私を預けるはずありません」
「ミカ…!! 信じてくれると思っていました!!」
「何言ってるんですか、信じるもなにも私相手ですら何度も心神喪失した人が…ちょっ、そんなに強くすりすりしないでください。髪がくしゃくしゃに」
髪どころか頭皮を削り取る勢いだ。
それにさっきから強い力でぎゅうぎゅうに締め付けられているので地味に痛い。
中田はそんな私達の様子をじっと見て、へらりと笑った。
「へー、そっかぁ」
「何よ中田」
「んーん、別にぃ。堀田先輩もゲロ甘に甘やかされてるんだぁ、って思って。良かったダメ人間にされそうなのがウチだけじゃなくてぇ」
「黙れナカタ、ミカはダメ人間になどならない。むしろ甘やかされているのは僕だ」
「殺気やばー。最終兵器ってとこは本当なんでしょー?」
「やめて中田。ザコルは確かに最強だけどそんな人じゃ」
「分かってますよぉー。ザハリ様の言う事はあんま信用しちゃダメだって団ちょ…ロット様も言ってましたし、先輩がそう言うからにはフツーにいい人なんでしょー?」
六男、騎士団長ロット。中田が歩兵として同行していたと聞いている。何で歩兵…まあ、いいか。
「イーリア様、ご事情は理解しました。中田はとりあえずもう結構ですので、先程の続きをこのタイタからさせていただいてもよろしいですか」
タイタが黙ったまま進み出て一礼する。
「ああ。ミカはそちらのソファに。カズはどうする」
イーリアが中田の方へと顔を向ける。
「そうですねー、堀田先輩、私が聞いてもいい話ですかぁ?」
「いいと思うけど、多分途中でよく分からなくなると思う。時間が無いからあまり補足説明できないけど、それでも良ければ」
「分かりましたー。もう結構とか言われちゃったけどここで黙って聞いてまぁーす」
中田が深緑の猟犬ファンの集いに関してどこまで知識があるか分からないが、流石に執行人やら洗脳班やらの事までは知らないだろう。そこの所をいちいち説明していては日が暮れてしまう。
「では、カズは私の隣へおいで」
「……イーリア様ぁ、ちょっと私、甘やかされ過ぎて厳しくされたい気分なんですけどぉー」
「いいじゃないか。ミカはあの通りザコルが離さないから妬ましくて死にそうなんだ。私を助けると思って侍ってはくれないか」
「ええー…私堀田先輩の代わりですかぁ…? まあ、それはそれで厳しいか…」
中田が渋々といった感じでイーリアの隣に座る。私は何とかザコルの腕から抜け、その向かい側に座った。
「中田、本名は中田カズキでしょ? 適当に名乗ってるからこっちは本人かどうか分かんなかったじゃない」
「それは堀田先輩もでしょー。何ですかミカ・ホッターって。ハ○ポタかよって爆笑したんですけど」
「ウケた? 向こうの騎士団長さんの聞き間違いだったんだけどねー、面白いから放置しちゃって…あ、やば」
「ミカ?」
ニコォー。
この苗字詐称事件によって彼を怒らせてしまったんだった。
「最終兵器の微笑みやばー。ザハリ様の胡散臭いアイドルスマイルよりはマシですけどぉー」
「中田がこのニコォの良さ分かってくれるなんて意外。あげないよ?」
「要りませんよぉー、私、マッチョでももっと背の高い人が好みなんですよねぇー」
つくづく失礼な奴だ。確かにエビーやタイタやザッシュよりは低いかもしれないが、私や中田よりは全然高いのに。
大体、忍者なのだから背が高過ぎても不利だ。タイタだって大き過ぎると言われて八年前は暗部を追い返されていたじゃないか。
「ミカがいいと言うのなら僕の背丈など誰にどう思われても構いません。ミカ、髪を結び直しても?」
「あ、はい、どうぞ」
ザコルはソファの後ろに立ち、くしゃくしゃになった私の髪を解く。
そしてどこからか櫛を取り出して梳き始めた。
向かいのソファではイーリアが中田の手をすりすりと撫で、ついには頬擦りし始めた。
私と中田は互いに顔を見合わせ、何となく頷き合った。
「なるほど。同志に預ける、か。それがミカの願いであるならば従おう。だが、こちらからも護送と監視に兵を付けさせてもらうぞ。万が一取り逃がしでもしたら厄介な事になるのでな。いいか、タイタ殿」
「ええ、もちろんです。シータイに戻りましたらすぐに担当の者に報せを出します。手配の日程等決まりましたら再度ご相談いたします」
「ああ。しかし、もしそれで矯正できたとしても全くの無罪放免という訳にはいかない。矯正できないようであればその時は打首だ。ミカ、貴殿の慈悲には感謝するが、我々としてもそれ以上は譲歩できない」
「はい。それで構いません。この秘密結社がどうにもできないと言うなら仕方ありませんので。それに、わざとザコルの悪評を流していたという余罪も見つかってしまいましたしね。同じ顔で仲良くしている所は見たかったですが、引き合わせるほどにザコルを傷つけるのであれば、もう…」
つくづく余計なお節介だったと思う。待ち伏せされても相手にしなければ良かったのに。わざわざ向き合えなどと酷な事をさせてしまった。
「…十年前、双子の一人を王都に出してはと私や夫に進言したのはモリヤだった」
イーリアが独り言のように目を伏せて話し出す。
「モリヤが二十年以上前に引退して以後、領政に関わる口出しをしたのはあれが最初で最後だったと記憶している。そしてザハリを出すべきだと、モリヤははっきりそう言っていた」
「モリヤが、ザハリを…」
イーリアの静かな言葉に、ザコルも呟くように返す。
「思えば、あれはザハリの仕打ちを知っていたのだな。引退したあいつの立場ではザハリを糾弾する事まではできなかったのだろうが…。私はほとんど毎日のようにアカイシの国境守りに出払っていて、お前達の事を何一つ知らなかった。ザハリがお前より社交的で出来がいいのだと、当時は本気でそう思っていた。反対にザコルは…先程カズが言ったように、乱暴で人の心も常識もなく、問題を起こしてばかりだと人づてに聞いていた。恐らく、その噂にもザハリが関与しているのだろう。あいつはそうしてお前の周りから人を排除する事でお前を支配していた、そういう事か」
イーリアは私の後ろにいるザコルへと視線をやった。私の髪を編む手が一瞬止まる。
「人の心に疎く、常識が無いのは本当でしたよ義母上。僕の振る舞いにも確かに問題はあったのでしょう。僕がもっと周りにはっきり主張ができていたなら、ザハリとて叱ってもらえる機会を失わずに済んだはずだ。それに僕も、ザハリの事は、たまに癇癪は起こすものの僕の事をよく好いてくれる可愛い弟、と当時は信じきっていましたから」
そう言い終わると、再び髪を編む手が動き出す。
ザコルが、ザハリの異常さに気付いたのはいつの事なのだろう。『当時は信じきっていた』『昔から執着が異常だった』とはっきり表現しているという事は、今は弟から受けていた仕打ちを理解しているという事だ。
思えば、タイタがカニタにされたという仕打ち…人を苛つかせる天才だと陰で詰られたり、苦手な酒を無理矢理飲まされたり酒瓶で殴られたりといった一連の事を『自分がされてどうとも思わなかった事』と表現していた。
私は暗部でそれに近いイジメやパワハラにでも遭ったのかと思っていたが、もしかしたら、少年時代にザハリから自己肯定感を下げられるような事を言われたり、理不尽な事を『癇癪』としてぶつけられたりした事を指していたのかもしれない。それこそ、ザコルが自分に対して言っていた『捨て駒』に近い表現を繰り返しされていた可能性もある。
仕事とはいえ、ザハリに再会するのは怖くはなかったのだろうか。
「ザハリに対しては、理不尽だと思う部分と、眩しく羨ましく思う部分、今もそれらが同時に存在しています。会わない事で厄介事を避けたい気持ちもありましたが、会って自分との違いを突きつけられたくなかったのも本当です。ですが、仕事にそんな私事を持ち込む程落ちぶれたつもりはありません。ミカに対してどう出るかは予測できませんでしたが、側で守りさえすればいいと考えていた。とはいえ、ミカとの関係を直に告げたのはまずかったと反省しています。僕さえ冷静であったなら…」
「違いますよ、あれは私の発言に対してザハリ様がカマをかけてきてたんじゃないですか、しかもあの時に誤魔化されたらきっと私がヘソを曲げていたでしょうし、ザコルの立場じゃ完全に不可抗力でしょ。やっぱり、無理に向き合うように仕向けた私が悪かったと思うんですよね…」
「違います、僕がもっと早くにミカに打ち明けていたならこうも拗れずに」
「違う、おれだ。おれはザハリの仕打ちの詳細までは知らなかったが、お前達双子の間に何かあってザハリがお前に執着している事くらいは把握していた。義母にも見張れと言われていたし、さっさと挨拶だけさせて遠ざけようと考えていたが、結局何も言う事を聞かせられず…。それに過去、お前がした事だと聞かされて事後処理にあたったことだって、もしかしなくてもザハリが仕組んだことだったのだろう。お前はいつも黙っているだけだったが、気づいてやれなかったのはおれの落ち度で」
「いえシュウ兄様が謝るような事は何も」
「そうです、大体私が話を聞こうと言ったから」
「はいはいストーップ」
エビーが話を遮る。
「ミカさぁん、さっきから叱責も謝罪もミカさんが率先してやってますけど、これ解禁て事でいいんすよねえ。俺も謝り倒しましょうか?」
「エビーがそう言うのであれば俺も…」
「わー、待った待ったやめやめ禁止で! 引き続き叱責と謝罪は禁止で! あの、イーリア様、ザハリ様の事はしばらく秘密って事でいいですよね? 今後どうなるかは分からないけど、今ザハリ様が捕まったなんて聞いたらファンが悲しむでしょうし、子供達も…」
今朝、ザハリの魅力を語っていた町民の若い女性の笑顔が頭によぎる。
「ミカ、重ね重ね気遣い痛み入る。あなたには秘密にする義務などないんだ。だが、あなたの言う通り、領民の混乱を考えれば明かすのにも機会を伺った方がいいだろう。…ミカ。今回の事で我々サカシータ一族には不信感を持たせてしまった事だろうが、何卒…」
「謝罪は禁止です、イーリア様。そもそも私はお世話になっている身ですし、イーリア様やザッシュ様の事はただただ素直にお慕いさせていただきたいんです。どうか、今までの通りに接してくださいませんか。お願いいたします」
頭を下げようとするイーリアを止め、先に頭を下げる。
「全くミカは人の良い…」
「違いますよぉ、堀田先輩は気を遣われるのが居心地悪くて面倒なだけですよぉ」
中田が間の抜けた声でツッコミを挟む。
「ああカズ、そんな風に言ってはミカに失礼だろう? ミカは今し方恐ろしい思いをしたばかりなんだ」
イーリアが困り顔で中田に諭す。
「いえ、イーリア様、中田の言う通りです。もう少しやりようはあったかと反省はしておりますが、皆もしっかり護ってくれましたから。気遣われる程の事ではありません」
「ミカは自らザハリの喉元に短刀を突き付けていましたからね」
「ほう?」
「ああ、おれも驚いた。鍛えているとは聞いていたが、まさかあの奇襲に反応できるとは」
「…マジ? たくましくなり過ぎじゃね? ザハリ様だってそこそこ戦えましたよねぇ?」
私に忖度しない中田までがそう言うなら、ザハリはそれなりの腕だったのだろう。という事は、やはり彼は本気で向かってきた訳ではなかったのだ。
「カズは既に相当な使い手だが、ミカも元が素人であった事を思えば実に非凡だ。肝の強さも二人共通している。あなた達の民族は皆そうなのか、ミカ」
「いえ、自分で言うのも何ですが、私の図太さは少しおかしいと思います。中田の図々しさには及びませんが」
「ちょっとぉ人をサゲるのやめてもらえませんー? てゆーか何だかんだ言っても堀田先輩だってぇ、私の事結構気に入ってたでしょー?」
「全く気に入ってはいないけど、遠慮とかなしに気楽に付き合えたのは確かだね。全く気に入ってはいないけど」
大事な事なので二回言いました。
「そんな運命のバディーだった堀田先輩がいきなり失踪するもんだから私ぃ、社内で即ガチ孤立してしくしく泣いてたんですよぉー」
「へー、私が居なくなって少しでも思い知れたのなら何よりだよ。そんな訳ですからイーリア様、私の事はどうかお気になさらず」
イーリアは私と中田を交互に見て目を細める。
「分かった分かった。ふふ、お前達は実に仲が良いのだな。微笑ましい」
「いいえ、全くちっとも微塵も仲良くありません」
「堀田先輩はもーホント素直じゃないんだからぁー。…で、イーリア様はぁ、私そろそろガチに寝落ちしそうなんでー起き上がってもいいですかねー」
「寝たら運んでやるから安心しろカズ」
「そういう問題じゃないんですけどー」
先程から中田は強制的に横にされ、膝枕で頭や腰を撫でくり回されていた。
「…今、生まれて初めて中田の事ほんのちょびっとだけ尊敬してるよ。私だったら、女神にそんな事されたら語彙、認知機能が大幅に低下する自信ある」
「あはー、私ぃ、堀田先輩と違ってそっちの気はないんでー。てか堀田先輩の髪型もやばー」
そう言われて頭に手をやってみる。触った感じ、複雑に編み込まれ過ぎて何が何だか…。
「あの、ザコル。どうなってるかは判りませんけど、シンプルに結い直してくださいね?」
「何故です」
「寝る前に解くのが大変だからです」
「……分かりました」
ザコルが渋々、渾身の出来であろうヘアセットを解こうと紐に手をかける。
「お前、本当に暗部にいたのか? 髪結いにでも扮していたとか……いや、それにしても見事な造形だ」
ザッシュが私の髪を色んな方向から観察し、何やら感心していた。
つづく




