あ、見つかった
どこだ異界娘ー、とジーロの声が子爵邸を囲む壁に反響して届く。
朱雀の鳴き声で居場所がバレたか。
「やば。捕まっちゃう。朱雀様、私を乗せてくれませんか?」
はて、と朱雀は首を傾げる。あら、と私も首を傾げた。
「文章になっちゃうとダメかあ…。でも、あまり命令形の言葉は使いたくないんだよな」
魔獣が言葉を解する、知的な存在であることは今や皆が知っていることだ。しかし、待てとか伏せとか飛べとか、朱雀に限ってはそんな言葉の方が通じやすい。一応それも解ってはいる。
だが、私としてはこの朱雀に敬意を払いたいというか、最低でも意見を伺うくらいはしたかった。それは、単に元の世界の神の名を冠しているからとか、自分も魔獣枠だし、みたいな何となくの理由ではない。
朱雀はただ思考を言語化していないだけで、知能が低いわけじゃない、と、私は考えている。でなければ、確固たる意志を持って人に尽くすことなどできないと思うからだ。
現在進行で世話をしてくれているミリナだけでなく、召喚主であるオーレンや、仕事仲間であったザコルのことも朱雀は尊重している。かといって誰にでも従うということもない。
少なくとも、共に過ごした時間や恩を忘れないだけの記憶力と、再会を喜ぶ情緒は持ち合わせているはずなのだ。
今日も『雪が止んだらすぐ遊ぼう』という約束を律儀に守り、私に会いにきてくれた。
「外に出てて良かったかも。部屋まで迎えに来てくれてたらきっともっと大騒ぎだったでしょうね。私も正直、こんなにすぐ会いにきてくれるとは思わなかったです。おかげで計画狂っちゃった、いい意味で。ふふっ」
キョエ。
朱雀はまた首を傾げた。この生き物は何を考えてるんだろうな、多分、朱雀の方も私を見てそう思っているのだろう。
もしかしなくとも、人と同じように、あるいはそれ以上に深い思考を持っているかもしれない存在。そう表現すると、なんだか宇宙とか神の領域にある人智を超えた思念体みたいだ。
しかし言葉で通じ合えない以上、今この瞬間、目の前の存在が『神』でないとどうして証明できる?
ああなんてロマン、流石は異世界、これぞ異世界だ。
私は試しに『空を飛びたいな』と願いを込め、私は魔力を少しだけ彼、もしくは彼女、に差し出してみることにした。何せ話せないと雌雄の判別さえもつかない。それ以前に雌雄があるかどうかも判らない。そのあたりは今度、他の魔獣に訊いておくとしよう。
魔力を差し出された朱雀は、なぜか大きなくちばしで私の頭をはむはむと食んできた。痛くはないのでされるがままにしていると、急に、言語化できない、何か感情や意志の塊のようなものが頭になだれ込んできた。
「わ……」
うきうきとして、ふわふわとして、何かを期待している。私はそんな朱雀の気持ちを『理解』した。
「いいね、ってことですね。確かに受け取りました」
朱雀は自然と伏せの体勢を取ってくれた。私も遠慮なくその背によじ登る。
てっぺんにまたがった瞬間、朱雀は羽ばたいて夜明け前の空に飛び上がった。
ビュオ、私を乗せた朱雀は風の塊の中に突っ込んでいく。氷上で冷気を切り裂いていたくらいじゃ全く敵わない、段違いで、圧倒的な風圧が容赦なく身体を翻弄する。
「あはは、笑っちゃうくらい寒い!」
私は、こわばりそうな頬を無理矢理吊り上げた。
今着ているのはシータイ町長マージが用意してくれた雪国迷彩仕様の戦闘服だ。防寒性能はバッチリなはずだが、それでもものすごい勢いで体温が削られていく。今、気温はマイナス何度、いや何十度だろうか。生半可な数値でないことだけしか判らない。
上空に飛び上がれば、自然と子爵邸内の人の動きが見えた。
「あ、見つかった」
訓練場で数人がこちらを指差して何か言っている。
一人はザコルだ。もうここにいるということは、窓の外に仕掛けた落とし穴にはハマらなかったんだろうか。流石だな。
一緒にいるのは、サカシータ騎士のオオノと、ミリナと、そしてタイタか。
「やっぱりね。隣に気配がないなと思ってたんだよねえ」
タイタはテイラー代表ってとこか。吹雪が明け次第、私が寝込んでいるうちにツルギ山へ出発する気だったようだ。
「意地でもついていってやる、っていう意思は示せたよね」
意見を聞いてもらえなくなったら家出。実に子供じみた手段ではあるが、私の保護と監視が仕事である護衛達は対策を余儀なくされる。というか私の問題なのだから、少なくとも私を説得してからにしてほしい。それくらいは一応、我が儘に当たらないはずだ。
「朱雀様、付き合ってくれてありがとうございます。一人でも門の上によじ登って朝日とともに仁王立ちしてやる予定だったんですけど、朱雀様のおかげで強烈なインパクト残せそうですよ」
キョエエエエ!
朱雀が叫び、その声が山々に反響する。空の端が朱に染まってきた。
「あはは、私も叫ぶ! キョエーッ!!」
イタズラ成功、と魔力にも込めながら私は笑った。
◇ ◇ ◇
その日、何人が魔獣に乗る聖女と朝日を同時に見ただろう。
俺は氷の穴にハマりながら空を見上げていた。
「エビー様! こんなところに!」
足に板のようなもの着けたペータが雪の中を何とかといったていで歩いてくる。
「おー、少年。訓練場に行く途中で氷の道見つけたからこっちのが早いかと思って辿ってみたらよお、罠だらけだったぜ。へへっ」
「笑っている場合じゃないですよ! もがいたりしないでくださいね!? それ以上埋まったら窒息もあり得ますから!」
「マジか、確かに動くと沈みそうだけどよ。兄貴大丈夫だったんかな……」
窓から出ていきなり落とし穴にハメられていたが、上に引き上げてやった方がよかっただろうか。
「まあ『雪国』の人だし自分で何とかしてっか」
「ザコル様はジーロ様がお助けになったそうです。力任せにもがいて頭まで埋まる寸前だったらしくて、危なかったと」
「マジかよ、冷静欠きすぎだろあの人」
伝説の工作員が何してんだ。しかも雪国出身者が雪に殺されかけるとか。
「ミカ様は新雪がここまで危険なものだとご存知なかったのでしょうね」
「それはまあ、そうだろな。雪にハマったくらいで人が死ぬたぁ思わねえだろ」
ペータは俺の周りを少しずつ踏みしめて固めている。割れた薄い氷がパキパキと音をたて、ギュギュと雪に埋まっていく。
「この氷の道、落とし穴と行き止まりだらけでメチャクチャあぶねーぞ。乗って遊んだりしねえよう、みんなに伝えとかねーと」
「はい、エビー様を助けたらすぐにでも報せに行きます。それにしても、罠を作りながら逃走なさるとは。つくづく規格外のお方ですね」
「まあ、それがミカさんだ。簡単には出し抜かせちゃくれねーよな」
キョエエエ、という魔獣の声に混じってミカの甲高い叫び声も聴こえる。
「ったくよお、楽しそうにしやがって。朝から何やってんだよ俺達」
「っ、はは、本当にそうですよね…っ、もうっ、力が入りませんよ!」
ペータは雪を踏みながら笑い出した。
後から駆けつけたサカシータ騎士達も加わり、俺はようやく雪地獄から引き上げられた。
つづく




