逃亡しました
目の前の雪に魔法をかけてどんどんと道を伸ばしていく。靴底の滑り止めさえ用をなさないくらいツルツルで、真新しい、私だけの氷の道。
その上をスピードスケートよろしく腰を落とし、重心は前に、後ろ足で蹴って、蹴って、蹴りまくる。
木や藪のある所を抜ければ、物資の搬入や使用人の行き来に使われる広めの小道が現れる。もう私を阻むものはない。冷気を切り裂きながらひたすら滑走する。既に、魔法で道を作りながらそこそこのスピードを維持するくらいの要領は得ていた。
「めちゃくちゃ楽しい……っ」
つい歓声を上げそうになり、慌てて口をつぐんだ。行き先を先に悟られては台無しだ。簡単に捕まらない自信はあるが。
というのも、私が走る氷の道の両脇はすべて真新しい新雪で埋め尽くされている。追おうとしたところで雪に足を取られ、誰も私に追いつけないことだろう。
通った後の氷の道にちょくちょく落とし穴を作ったり、たまに道に枝を生やして分岐もどきを作るのも忘れない。
部屋の窓から外を眺めるたび、ここから氷の階段や滑り台を作って下に降りるのも楽しそうだな、なんて日々シミュレーションしていた甲斐があった。エビーに話せばきっと『ミカ坊はヤンチャすることしか考えてねーんすか』などとからかわれるに違いない。
キョエエエーッ!
けたたましい鳴き声とともに、大きな影が頭上に現れた。
「朱雀様!」
赤色の羽毛恐竜みたいな鳥型魔獣、朱雀。かつてオーレンが召喚した子だ。
このタイミングで現れてくれるとは。イチかバチか、ミイに『雪が止んだらすぐ遊ぼう、って伝えておいて』と頼んだのが功を奏したようだ。
朱雀は、人間が使う言語をあまり理解していない。他の人はもちろん、私が話しかけても、犬や馬などを相手にしているくらいの指示しか通らない。
だが、朱雀は決して知能が低いわけではない。ただ、音声によるやり取りで高度な意思疎通をしようという発想がないだけ、いわば価値観が違うだけのことだ。
ワンチャン、魔獣達が本来魔界で行っていたという、魔力のやり取りによる意思疎通? とかいう方法ならもっと込み入った話ができるのではと、こっそりミイに伝言を頼んでいた私である。
空は、濃い群青色から青灰色へと変わりつつある。晴れているのかと思いきやまだ薄雲が残っていたのか。
私は、朱雀のために氷で広めの足場を作った。
ばさり、舞い降りた朱雀の鮮やかな火色の羽は、夜明け前の青と混ざり合い、灰とも黒ともつかない曖昧な色に染まっていた。
◇ ◇ ◇
「ミリナ姉上!! タイタ!!」
僕は訓練場の一番近くの木から、大きく勢いをつけて飛び降りた。
訓練場の一部と、子爵邸玄関からこの訓練場への道のりは既に雪が踏み固められている。夜の番をしていた騎士達が未明のうちから整備に入っていた。
「あら、ザコル様?」
「どうしてこちらに。ミカ殿はどうなさったのですか」
ミカの監視をしていたはずの僕が現れたため、ミリナとタイタが揃って怪訝な顔をした。
「ミカは来ていませんか!?」
「ミカ様が?」
「ここへ、でしょうか」
二人は顔を見合わせる。
「来ていない? だったら、どこへ」
ひゅ、と焦燥感が胸をかすめる。
ミリナが僕の顔を心配そうにのぞき込んだ。
「まさか、ミカ様が部屋を抜け出されたのですか? ザコル様達だけでなく、廊下でも騎士が見張っていたでしょうに、一体どうして」
「それが、歯磨きをすると見せかけて、開けた窓から氷の道を作って外に逃亡しました」
『窓から!?』
ミリナとタイタが目を丸くする。
「なんと、そこまでなさるとは」
「申し訳ありません、僕の警戒が足りませんでした。それで、エビーもまだ来て」
キョエエエーッ!
『っ!?』
突如、どこかからけたたましい鳴き声が聴こえ、僕と目の前の二人が一斉に反応する。
「今のは、スザク?」
「ミリナ様がお呼びになられたのですよね」
タイタがミリナを振り返る。
「いいえ、おかしいわ。私、スザクは呼んでいないはずよ。今日はミリューとプテラだけの予定、で…………」
ミリナが浮かべたのは明らかな戸惑い。
「くそっ、嫌な予感しかしない!」
僕の舌打ちに、タイタが表情を引き締める。
「探しましょう。スザク殿の鳴き声はどちらの方角からでしょうか。建物や壁の反響で判りにくかったですが」
「気配はあっちよ、門の方にいる気がするわ!」
「ジーロ兄様! 壁伝いに回り込んでください!!」
承知した、と離れた場所で声が聴こえた。
ザクザクと雪を踏む音がし、数人の騎士がこちらへ駆け寄ってくる。一人は子爵邸警備隊隊長代理のオオノだ。
「皆様。どういたしましたか」
「聖女が邸敷地内で失踪しました」
「聖女様が、失踪……!?」
騎士達が血相を変える。
「それから『女王』が呼んでいないはずの魔獣が邸に現れました。そちらにはジーロ兄様が向かっています。君達は聖女の捜索に加わってください」
『はっ』
騎士達は一斉に敬礼した。
つづく




