カリュー訪問② 鎚ぃ!
「本当に、本当にミカ様だあああー…!!」
「あはは、ホンモノですよー。皆さん元気でしたか」
「元気だ元気、ミカ様もお元気そうだなあ!」
かしこまった挨拶もそこそこに私との再会を喜んでくれたのは、シータイの避難所で私が配った山の民の民族衣装を、未だに身につけている面々だ。同志が用意した支援物資には衣服もあるはずなのに、せっかく私に貰ったからと着続けているらしい。
軽傷だった彼らは、一旦シータイへ避難した後、数日でカリューへと戻っている。
「ミカ様、忙しいだろうに、ありがとなあ」
「曲者が出たって聞いたよ、お怪我はない?」
「無傷ですから心配いりません。皆さんも大変だったでしょう? 復旧作業で根を詰めていませんか。せっかく助かったのに過労で倒れては元も子もありませんから」
「ガハハ、ミカ様には言われたくねえなあ、あんたこそちゃんと寝てんだろな」
「ふふ、まあまあ寝てますよ。護衛達に叱られますので」
「こっちも心配ご無用ですよ、ミカ様。イーリア様からもきちんと休めと、ミカ様の指示だってキツく言われてますからね」
皆笑顔だ。良かった。思わず涙ぐむ。
「全くあっちはうるさいねえ。ザコル様も困ってんだろ」
ザコルは屈強な男達に囲まれ、背中をバシバシ叩かれたり胴上げされたりともみくちゃにされていた。
城壁の上に集まった復旧作業中の人々や、見張りの衛士たちも諸手を挙げ、ザーコール!! ザーコール!! と叫んでいる。
「いいなあ皆、私も屋根破壊したり城壁破壊したりしたとこ見たかったな…あっ、すみません不謹慎な事を」
「いいさいいさ、ミカ様は相変わらずザコル様がお好きだねえ!」
目の前にいた女性がおおらかに笑う。
「あの瞬間を見たかったって言うのはミカ様だけじゃないよ、あの集会所にいた者達も、壁が崩れた瞬間に居合わせた者達も、まるで神様に見えたって何度も語るんだ」
「あの壁が壊れた時の音、本当に凄まじかったんだよ。その後水がスッと引いていって。ああ、助かったって…」
その時を思い出したのか、女性達も涙ぐみ始めた。
「ミカ」
聴き覚えのあるアルトボイスに、カリューの町民達がピタッと静かになった。そして道をあけるように脇に寄った。
「参りました、イーリア様」
カーテシーで頭を下げる。今日は動きやすいようピッタに借りたパンツスタイルなので、コートの端を軽く持ち上げた。
「相変わらず美しい礼だ。とても異世界からの客人とは思えぬ。昨日はそちらに戻れず、貴殿の案内をモリヤに任せてすまなかった」
イーリアも騎士風の礼をとって頭を下げる。
「いいえ、緊急の用があったと聞いております。こうして、イーリア様のご無事なお姿が見られて安堵いたしました」
本心だ。服に多少の汚れは見られるが、凛とした元気な姿に心底ホッとしてしまった。
「そのように熱っぽい視線を向けられては、すぐにでも私のものにしたくなるな」
「やめてください義母上」
もみくちゃにされてあちこちが乱れたザコルが私の肩を引き寄せる。本当に何でこの母子は私なんぞを取り合っているのか…。
「モリヤ、ご苦労だった」
「はい、奥様。道中で捕らえたネズミはお預けしてよろしいですかな」
「ああ。置いていけ」
「では、我々はシータイに戻らせていただきましょう。ミカ様。帰りの護衛はイーリア様の隊にお願いいたします」
「はい。ありがとうございました、モリヤさん」
モリヤは穏やかな笑顔を浮かべ、他の面々にも会釈をし、衛士達を連れて引き返していった。荷馬車と共についてきたシータイ町民達はここに残るようだ。
イーリアの後ろに、ザコルと同じダークブラウンの髪色をした男性が二人立っている。
一人は大柄で筋骨隆々、恐らくタイタよりも上背がある。隣の男性が普通体型なので、余計にその大きさが際立った。
「紹介しよう。四男のザッシュ、九男のザハリだ」
二人は黙ってイーリアと同じような騎士風の礼を取った。
「さあ時間は有限だ。我らが聖女を避難所の前までご案内申し上げろ」
黙っていたカリュー町民達がワッと動き出し、私達を囲んで門の中へといざなった。
◇ ◇ ◇
「へえ、この美しいお嬢さんがねえ、男性で、ザコル様の元同僚だってえ…?」
「この方も相当な実力者ですし、人に触られるのがお好きでないので。皆さんにもそうお伝え願えませんか」
中に入ってすぐ、コマの紹介をまずは妙齢の女性達にした。この年代の女性達は拡散能力が高いのできっとすぐに広めてくれる。
「おうお前ら、我らがコマさんに絶対触れるんじゃねえぞ、俺らが黙っちゃいねえからなあ」
あ、野次集団。ついてきてたのか。
「あいつらに守られる程落ちぶれちゃいねーっつの」
「ふふ、いいじゃないですか。コマさんのファンですよ」
「調子狂うぜ」
その国宝級の顔と実力を隠さないとどんどんファンが増えると思うのだが、それも一興かと黙っておく。
ザコルは相変わらず歩きながらもみくちゃにされているし、エビーとタイタも臨時救護所で手当をした元避難民達に次々と話しかけられている。
「皆大人気だねえ」
「ミカ殿、ご挨拶よろしいでしょうか」
そう声をかけてきたのは大柄な方、四男ザッシュだ。彼はもう一人、九男ザハリを伴い私の隣に並んだ。
微妙に距離を感じるが、一応『隣』の範疇だ。
…………似ている。
「似ている。あ、声に出てた。失礼いたしました。お願いします」
歩きながら頭を下げる。
「今日は時間もないと思うので、歩きながらで失礼す、します。おれは、オーレン・サカシータ子爵が四男、ザッシュ・サカシータ。第二夫人ザラミーアの子だ…です。あの、どうぞ、お見知り置きを…」
ザッシュはぎこちなく目線を外しながら自己紹介をし、ペコリと頭を下げた。そしてそのザッシュをのける勢いでずい、とザハリが横に並んでくる。こっちは近すぎる。ザッシュが向こうで「おい」と言ってザハリの首元を掴み、私から距離を取らせた。
「僕も同じくオーレン・サカシータ子爵が九男、ザハリ・サカシータと申します。ザコル兄様の双子の弟ですよ。ああ、噂には聞いておりましたが何と美しい。その黒真珠のように艶やかで豊かな髪、黒曜石のように煌めく瞳、磨き抜かれた象牙のように滑らかな肌。どこを取っても造らせた芸術そのもののよう! あのザコル兄様が連れて帰ったと聞いて僕はお会いできるのが楽しみで楽しみで」
そんなザハリこそ造り物のような完璧な笑顔を浮かべつつ、大袈裟な手振りで美辞麗句を並べ立てる。
「あ、ありがとうございます。私はミカ・ホッタと申します。異世界のニホンという国から召喚され」
「あの気難しい兄が同行を許すなんてどの様な女性かとそれに兄ばかりか民や義母までがあなたに夢中だ一体どんな手を」
「おいザハリ。黙れ。すまない、ミカ殿。この弟は少しばかり興奮していて…」
「い、いえ、ええと…。ザッシュ様、ザハリ様。この冬、こちらのサカシータ領でお世話になる予定ですので、どうぞ、よろしくお願いいたします」
「ああ、こちらこそ」
二人にはしっかり挨拶しようと考えてきたのだが、すっかりセリフが飛んでしまった。
事前に聞いていた通り、二人はザコルとよく似ていた。
同じ色の髪に、ザッシュは榛色一色の瞳。体格はザッシュの方がザコルやザハリより大柄だ。筋肉隆々で背も高い。
ザハリはザコルと同じ焦茶と榛色が交じった瞳だ。背の高さはザコルと変わらない。百七十センチちょっとという所だろうが、ザコルよりも少し華奢なようだ。冬服で厚着していると思うので正確な事は判らないが。
「いいじゃないかシュウ兄様、兄様だって気になっているでしょう」
「いいか、お前はこれ以上女人と喋るんじゃない」
「僕はそんなつもりないよ。女はもういらないし」
「どんな言い草だ、そういう話では…」
「ザハリ」
さっきからもみくちゃにされ続けて頭がボサボサになったザコルが、軽めの威圧を放ちながら現れた。
「ああ、僕のコリー。せっかく領に帰ってきたっていうのにちっとも可愛い僕に会いにきてくれないじゃないか」
圧に怯むどころか恍惚とした表情でザコルを迎えるザハリ。
「僕はミカの専属護衛だ。いくらお前が可愛くとも優先する理由はない」
わあ、可愛いって言った! タイタ以外にも言うんだ。やっぱり弟は可愛いんだなあ。ふふ。
「あなたにも可愛いと言った事はあるはずですが…」
「そうでしたっけ」
じわ、ザハリから不穏な気が立ち上った気がした。
「ミカ? 呼び捨て…? ただの護衛対象と言っていたのに…」
ただの護衛対象。ザハリはそう聞いているのか。
「ミカ、どうか誤解しないでください。ザハリ、あの時点ではそういう関係でなかっただけだ」
「そういう、関係…?」
…ぶわ。
びりびりびり。
その場の空気が圧縮されたように重くなり、鋭い眼光が顔に突き刺さるかのような感覚に襲われる。
「ミカさん!」
「ミカ殿お下がりください!」
カリュー町民に囲まれていたエビーとタイタが慌てて私の側に戻ってくる。
私は高鳴る心臓を手で押さえつつ、真っすぐにザハリを見据えた。
「こっ、この顔から放たれる殺気…ッ!! 肌が焼けるみたい!! 凄い凄い凄い!! 初めてー!!」
興奮でつい大声が出てしまったのは致し方ない。
「……は?」
……シィン。
「…あれ? どうしたの皆」
急に訪れた静寂に辺りを見回す。
エビーは呆れ返った顔、タイタは戸惑いの表情、ザッシュは奇異なものでも見る目。
カリューやシータイの民達までもが唖然としたまま立ち尽くしている。
はあ…。深い溜め息が斜め上から降ってくる。
「ミカは全く…。どういう神経をしているんですか」
「ええー、だって、ザコルは頼んでも殺気向けてくれないじゃないですか。私、殺気らしい殺気なんて直に浴びたのは初めてかも! あの曲者達のはちょっと違いましたし」
あの教会に向かう途中で襲ってきた最初の曲者達は、私に対しては殺気というより下心満載のよく分からない感情を向けてきていた。タイタに対しては殺気立っていたが。
「お前、マジで面白え女だよな。ああ、悪い意味で」
「悪い意味で!?」
国宝級に美しいお嬢さんっぽい人から悪い意味で面白いと言われてしまった。
エビーとタイタが真剣な表情に切り替えつつ、私とザハリの間に入る。ザコルは私の肩を引いてザハリから距離を取った。
「何の冗談か知らねえすけど、うちの姫に物騒な感情向けるんなら、俺らが黙っちゃねえすよ」
「我らテイラーの騎士は、決して氷姫様への害意を放置しない」
二人がチャキ、と剣の柄に手をかける。
「二人とも待って…」
「何の騒ぎだ」
先に行っていたと思われるイーリアが走って戻ってきた。
「…リア母様」
先程から私を睨みつけていたザハリが、舌打ちせんばかりの表情でイーリアに視線を移す。イーリアの眉も厳しく寄せられた。
「……うちのが不敬を働いたようだな。すまない、ミカ」
「イーリア様。何でもありません。ただのじゃれ合いですよ。私を喜ばせてくださっただけです」
「はあ? 誰が喜ばせたって…」
「ザハリ」
イーリアからもまた濃密な圧が…。怖いが、これもちょっと癖になりそうだ。
「ありがとうございますザハリ様。一度そのお顔から向けられてみたかったんですよ。念願叶いました。またどうぞよろしくお願いします」
せっかく立ち止まったので、しっかりとカーテシーでお辞儀した。
ザハリは本当にザコルによく似ている。ザコルがあまり似ていないと言っていたので二卵性双生児なのかと思ったが、これはどう見ても一卵性双生児だ。体格はやはりザコルの方が逞しいが、これは後天的な鍛錬の賜物だろう。
「さあ、行きましょう。時間が惜しいですしね」
私が歩き出すとザコルとエビタイも歩き出し、コマも何事も無かったように歩き出し、沈黙していた民達もそろそろと歩き始めた。
イーリアは見張りのつもりか、後ろを歩くザハリを目に入れつつ私の側を歩いている。
「ミカ、後で謝罪させる」
「不要です、イーリア様。お兄様がお好きなのだと自己紹介いただいただけですし」
はあ、とイーリアが溜め息をつく。
「ミカに感謝しろ、ザハリ。おいザッシュ、見張っていろと言っただろう」
「申し訳ない義母上。まさか、いきなり喧嘩を売るとは思いもよらず。ミカ殿、不快な思いをさせて申し訳なかった」
振り返るとザッシュが私に再び頭を下げた。
「お気になさらず。ふふ、ご自分に正直な所はお兄様そっくりですねえ」
「知ったような顔で僕らを語るな。どうやって兄に取り入ったか知らないがお前のようなどこの馬の骨とも分からない下賤な」
「ザハリ」
…ずん。
先程ザハリが放ったものなど児戯と嘲笑うかのごとき、重く強烈な殺気が私の隣から発せられた。
直接浴びたわけでもないのに体が萎縮しかける。レベルが違う…!
「ちょ、ちょっとザコル、また皆の足が止まっちゃいますから。私は別に」
「ミカは黙っていてください。あなたは人が良すぎるんです。ザハリ、いかに可愛いお前でもミカを侮辱する事は許さない。この人の存在がなければ、今のこの状況は一つもあり得ないんだ。僕を本気で怒らせたいのであれば相手になる」
「う…」
ザハリが呻くような声を出す。私はザコルの腕を引いた。
「やめてください。私は構わないので」
「コリーの馬鹿ぁぁ!!」
そう叫ぶ声が聴こえたかと思ったら、一陣の風が私達の脇をすり抜けて走り去っていった。
「あの阿呆め…」
お目付役であろうザッシュの呆然とした声が聴こえ、イーリアとザコルからは深い溜め息が漏れた。
◇ ◇ ◇
私達は今、避難所として整備された廃屋、もとい、旧カリュー町長屋敷の前にいる。たまたま数年前に街道沿いに新しく町長屋敷を建てた所で、古い建屋はまだ取り壊されずに残っていたのだという。
カリューの町長だという、シモノという壮年男性から挨拶を受けたのち、まずは煮沸が必要な作業の案内をしてもらった。
「よおーし、今日の分はこれで全部ですね。チャチャっとやっちゃいましょうか」
『おーっ!!』
まだ所々泥がついた大量の食器や調理器具などを前に、コートを脱いだ私は腕まくりをした。
「そちらのぬるま湯でゆすいだら、こちらのタライに入れてください」
『よしきたァ!!』
何やらテンションの高いゆすぎ係が何人も集まってくれたので、水を張ったタライはすぐに一見綺麗になった食器でいっぱいになった。そこに魔法を強めにかけて茹で上げて殺菌していく。
新しいタライを用意して水を張り、同じように食器がいっぱいになったら魔法をかけ、と、私はどんどん熱湯のタライを量産していった。
「火傷に気をつけて取り出してくださいね」
「ああ、大丈夫さ」
金鋏を片手に持った回収係が熱湯の中から食器を取り出し、桶などに入れて拭きに持って行く。
「魔法って本当に不思議なもんだねえ、あっという間なんだもの、こんな、ゆすぐ水さえ温かくしていただいて…。湯に手を入れる事自体いつぶりだろう。ああ、ありがたいねぇ…」
そう言って年配の女性が赤切れた手をさすっている。魔法でハンドクリームも用意できたらいいのにな…。
「この作業は一時間くらいで終わりたいですね。民家の洗浄に行った人達にも湯を届けたいし」
民家の片付けと洗浄には、私達についてきたシータイ町民達が手伝いに向かってくれている。
「ミカ、シータイから持ってきた大樽に水を入れ終わったそうです。近くなので魔法をかけに行ってやってください」
「えっ、この近くで汲んでるんですか」
「すぐそこに小川というか用水路があるんです。例の氾濫した川と水源は別です」
「用水路! 井戸から汲み上げなくていいのは楽ちんですね。そっか、この町ってあの川以外にも川が流れてるんだ…」
話を聞いてみれば、氾濫した川の他に、北側のアカイシ山脈に源泉のある小川、そして、先程の道中で休憩した湧き水を源泉とした小川も南側から町中に入ってきているらしい。
用水路としてしっかり整備もされていて、日々の暮らしはもちろん、農業や畜産業に活かされているという。
浸水すると井戸も汚れるので、中を洗浄したり一旦全て汲み上げたりと、安全を確保するまでに大変な手間がかかる。よって井戸はすぐには使えない。しかし水源違いの川が流れ込んでいるのなら、水の衛生については思った程深刻ではないようだ。
ちなみに食器の煮沸用にと用意してくれているこの水も、ザコルの言う用水路から汲んできているようだった。
「ここ、水の都じゃないですか。夏はさぞ涼しげでしょうね」
「ええミカ様、毎日子供達が水遊びして、畑で採れた瓜を冷やしたりして。ここ以上に水に恵まれた町なんてありませんよ」
「川が氾濫なんて、ここで何十年も暮らしてっが初めての事だなあ」
ザコルに案内されて用水路の近くまで行き、水が満たされた大樽に魔法をかけると、ザコルが大きな荷車にひょいひょいと乗せた。
「おれ達が運ぶ」
「シュウ兄様。お願いします」
ザッシュと屈強な男達が荷車を引き受け、それを浸水地区の方へと押していった。シュウ、というのはザッシュの愛称だろうか。ザッシュはそれからも何度か浸水地区とここの間を往復してくれた。
コマはというと、意外にもゆすぎ係を黙々と手伝っていた。
「ミカさーん、持ってきた林檎ジャムは現町長屋敷の倉庫に入れてきました。それからこっちの桶に氷ください」
「ミカ殿、この布類の煮沸もお願いいたします」
エビーとタイタが大きめの桶と布巾が山程入ったタライをそれぞれ抱えて走ってくる。
怪我人がいるとすればまず町長屋敷か避難所が怪しいだろうと、二人に様子を見に行かせたのだ。
「エビー、タイタ、どう?」
食器の煮沸作業現場から少し離れた所で氷を入れてやりながら報告を聞く。
「現町長屋敷の三階に隔離されてるのがいるみたいっす」
「旧屋敷、この避難所にも怪我を負っている方はいるようですが、動けぬほどではないと」
「そう」
マージに仄めかして言われた事は、昨夜エビーとタイタにも話した。私が無意識に力を垂れ流しているかもしれない事、たとえ私が能力を使って重傷者を治したとしてもイーリアが揉み消してくれるであろう事。
カリューで力を使うかもしれない事に当初エビーは眉を寄せたが、私が自分の能力を無闇に毒物扱いせず、前向きに捉えられるようになった気持ちの変化は喜んでくれた。しょうがねえな姐さんは、と言って笑い、無茶をしないことなどを条件に協力を約束してくれた。
タイタは、あなた様の決めた事であれば、とニコニコと笑うばかりだった。
無関係の町民達に気取られないよう、慎重に事を進めなければ。
「ミカ様、どうか、ザハリ様を許してやってくださいね。あの方はずっとザコル様のお帰りをお望みで」
ゆすぎ係をしていた若い女性がザコルをチラッと見つつ、申し訳なさそうに言った。
「ご心配には及びませんよ。何も怒ったりしていませんから。私ね、嬉しかったんです」
「え、ええ…あの、殺気を向けられるのがですか…あれは方便では…?」
どうか変態を見る目で見ないでほしい。確かに、あの顔からの殺気はご褒美でしかないが。
食器の回収係を手伝っているザコルからも微妙な視線を感じる。
「もちろんそれもですけれど。ザハリ様はお兄様が大好きでずっと待っていたんでしょう」
ザコルには帰りを待つ家族がいる。その事実がただただ嬉しかった。もちろんイーリアだって親の一人としてザコルを愛しているだろうが、ザハリはザコルを心の底から必要とし、ああして取り乱す程に待ち侘びていたのだろう。
「それなのに、いきなり現れた謎の女が大事なお兄様に付き纏ってるんですからね。怒らせて当然です。それに彼、わざわざ止めてくれる人が沢山いる場所で、敢えて正々堂々と喧嘩を売ってくれたんです。こんなの、本当にただのじゃれ合いでしょ?」
にこ、と笑ってみせると、ゆすぎ係の女性も少し安堵したように笑った。
「ミカは人が良すぎだというんです。弟の癇癪に付き合う必要などないのに」
「ザコルが全然里帰りしないから余計に拗らせたんじゃないですか?」
イーリアも『ザハリは寂しがっていた』と言っていたし。…その気持ちをハーレム作りで埋めていたとは考えたくないが。
「か、帰ってくるつもりが無かったわけでは…。ただ忙しかったり、上の許しが出なかったりしただけで…。それから、任務の関係で領内を通る際には、父や母達に軽く挨拶くらいはしていましたよ」
「つまり、領にいる兄弟には今回十年ぶりに会ったという事ですかね」
「まあ…そうですね…」
この双子達の心中など正確には知る由もないが、片割れの帰りを十年も待ち侘びる生活はしんどかったのではないだろうか。私に兄弟姉妹はいないが、家族に焦がれる気持ちくらいは解るつもりだ。
「どのみち、ザコルの言う『兄弟がミカに群がる』とかいうのはあり得ないって事でしょ。だから別に私は何でもいいんです」
「あり得ないなんて事は…」
正直、下心を持たれるよりは敵対される方が何倍もマシだ。これは私の精神的な問題なので、自惚れだとか失礼だとかいう話は一旦横に置いておく。
「ザハリ様は、女性に大変人気でいらっしゃるんですねえ」
そう話しかけると、若い女性はぱああと顔を輝かせた。
「え、ええ! ザハリ様は私たちの生きる糧! 希望! みんなの憧れなんです!」
ファン魂に火をつけたか、そこから彼女は延々とザハリの存在の尊さについて語ってくれた。
◇ ◇ ◇
「ザハリ様、思ってた以上に真面目にアイドルしてますね…」
「あいどる、とは何ですか」
「ええと、ファンがいて、そのファンのために公私を捧げる存在と言いますか…」
ザハリもザコルも、少年時代は天使のような可愛さだったと聞いている。
その頃からの古参ファンが今も多く領内にいて、ザハリも彼女達の期待を裏切らないよう、定期的に各町を訪問してはファンサービスを行っているようだ。被災中のカリューに彼が留まっている事は、さぞこの町のファン達を元気付けている事だろう。
結婚せずに何人もの女性と関係を持ち、私生児を複数拵えていてすら女性ファンが離れないというのは凄い。
芸能人のスキャンダルにうるさい現代日本ではあまり考えられない事だが、例えば浮気は男の甲斐性みたいな、一昔前の噺家や歌舞伎役者のような感覚なのかもしれない。
あの第二王子もそういう感覚だったんだろうか。ファンがいるのかどうかは知らないが。
「そういえば、サギラ領側から来た同志達はどちらにいるんでしょう。引き揚げたわけじゃないんですよね」
「…あの、茂みの辺りにいます。多分」
さわっ。一瞬、葉擦れの音がした。
「こちらはシータイの同志村程の大人数ではないはずなので、部下達は町の復旧作業より、物資の調達にあたっているんじゃないでしょうか」
さわさわ。その通り、と答えるように葉擦れ音が鳴った。
「ふっ、ふふふ…っ、この感じ、もう既に懐かしいですねえ。ミカです! お見知り置きを!」
さわさわさわ。さわさわさわ。
今日一日で顔を見るまで攻略するのは難しいかもしれないが、またカリューに来て、彼らにもザコルからファンサをお願いしよう。
「ミカ、コマ殿」
「イーリア様」
イーリアが側近達を連れて現れた。現町長屋敷に用があるのだという。コマはぬるま湯に手を突っ込んだまま黙ってぺこりとした。
「なかなか相手ができずすまない。ここはもう終わるだろうか」
「はいそろそろ。何かお仕事でも?」
「後でいいが、サギラ領側の門と、破壊された壁の修復作業に徹する者達にも顔を見せてやってほしい。そいつも連れてな」
イーリアは視線でザコルを指し示す。
「僕はオマケでしょう」
「何言ってるんですか。今度こそ坊ちゃんが本命ですよ。戦つ…いえ、必ず行きます!」
「今、戦鎚と言いかけませんでしたか」
推しが持った巨大戦鎚だ。見たくて当然ではないだろうか。できれば担いでいる所も見たい。
「ふ、あのひしゃげて使い物にならなくなった鎚か? 守衛のバンニが広場に置いていたぞ」
イーリアがニヤリとしながら告げる。
「ああ、彼には悪い事をしましたね…」
ザコルには意図が伝わっていないようだ。
「その広場、そのうち深緑の猟犬の像でも建てられるんじゃないですか」
「何の冗談です」
町民達にあんなに熱狂的に迎えられておいて、この坊ちゃんは何をとぼけているんだろう。
「今後この地が聖地となる事は確定だろうなって思っているだけですけど。ねえ?」
先程の茂みに目を向けると、さわさわ! と元気な音がした。
◇ ◇ ◇
最後のタライに魔法をかけ終わり、後の片付けはその場にいた手伝いの人々にお願いする。
カリューを発つ前に清拭などに使う湯を避難所のために用意しに来ると約束し、私とザコルはイーリアを追って現町長屋敷へと向かった。
その場にいた者達は、私がイーリアに何か用があるのだと思ってくれただろう。怪我人を慰問するとか、そういう話題すらも口にしないよう気をつけている。私が、わざわざ怪我人に会いに行ったとは決して思わせてはならない。
町長屋敷の前には、エビーとタイタ、そして何故かザッシュが待っていた。
「ザッシュ様、そ、それはもしや」
「な、何だ、聖女殿、どうかしたか…ですか」
視線を彷徨わせるザッシュは、飾り気のない大変重そうな鉄鎚を地面に置き、柄に手をかけて立っていた。
「鎚ぃ…!!」
さっきから鎚の事ばかり考えていたので、実物を目の前にしていささか興奮してしまった。
ザッシュが持っているのは土木作業用の鎚という事だが、それにしてもこんなに大きなカナヅチを目にするのは初めてだ。私じゃとても持ち上げられないだろう。
「……ザコル、この聖女殿は変わった趣味をお持ちのようだな。工事か荒事が好きなのか?」
「どちらかと言えば荒事が趣味かと。運動不足だと言うので修練させ始めたのは僕ですが、まさかここまでのめり込むとは」
ザコルが片手で頭を押さえる。そうだよ、師匠が私に仕込んだんですよ。
「何言ってんだ、そいつ、ウン百年前の暗部構成員やら武器やら毒やらにあれだけ詳しいんだぞ。元々素質しかねえんだよ」
「ええー、忍者に手裏剣にトリカブトなんて常識の範囲なのにー」
ザッシュが話に割り込んできたコマを見て、僅かに後ずさった。
その様子を見たコマは、私にチョイチョイと合図をし、自分はザコルの右隣に並ぶ。私も左隣に並び、何となくザコルの腕を取る。
「おいコマ、ミカ、何の真似」
「ザッシュ様、とおっしゃいましたか。わたくしコマと申します。お見知り置きを」
ぎゅむ、とザコルの右腕を取って、急に女声で話し出すコマ。
ザッシュは私とザコルとコマの顔を順繰りに見回した。
「…な、な、なぜ…なぜ…何で…」
…ワナワナと拳を振るわせ始めた。手を離れた鎚の柄が倒れ、ガラン、と地面を叩く。
「あの、シュウ兄様、こいつは」
「何で…何で…何で!! 何でだ!! ザコルお前だけはおれの仲間だと思っていたのに…!!」
「ですから」
「言い訳などいらない!! おれがトンネル掘りに明け暮れている間お前はさぞ王都で遊び暮らしたんだろう!!」
「誤解です。遊ぶどころか碌に一般人と喋った覚えもなく報酬もほとんど仕送りに」
「嘘だ!! 聖女殿のみならずそんな見たこともないような造作の美少女までこの辺境に連れ込みやがって!!」
ザッシュはまだコマが男性で元暗部だという話を聞いていないようだ。何やらさっきのザハリとはまた違う拗らせ方をしているようで、見ていて心苦しくなくなってきた。私はスルッとザコルの腕から手を離した。
「あの、ちょっと、やめません?」
「…そうだな。おい、金槌野郎。揶揄っただけだ。落ち着け、俺は男だぞ」
「嘘だああ!! 見え透いた嘘などつくなああ!!」
「シュウ兄様。本当に本当ですから落ち着いてください。こいつは僕の元同僚で」
「絶対に嘘だああそんな美少女が暗部なんぞにいるわけないだろうがああああ!!」
「コマさんと猟犬殿、戦ってみせでもしたら落ち着くんじゃないすか?」
エビーが呑気に提案する。
「そそそその美少女をザコルのような輩と戦わせるだと!? テイラーの騎士は鬼畜か!? おい、そこな美少女、守ってやるからこっちに」
「キメえこと言うな。さっき採った毒喰らわせんぞボケ」
「キモい!? 毒!?」
コマは煽ったくせに大概酷い。
「コマ、うちの家系に毒は一切効かない」
「ああん? そうだったなぁ……フン、上等だ。おい金槌。都会で遊びてえんなら俺様が連れてってやろうか」
「は、はああ!?」
タン、と地面を蹴ったコマがザッシュの眼前に迫る。そして上目遣いを喰らわせた。目に毒そうだ。思った通り、ザッシュはビシッと固まった。
「コマさん、見境無さすぎじゃないですか…」
ザッシュとは初対面だろう。悪い人ではなさそうだが、いきなり懐に入れるような事を言って大丈夫なんだろうか。
「ああ、それならば丁度いい。どのみちシュウ兄様にはジーク領へ行ってもらう事になるかもしれませんので。その時はコマに案内を頼めばいいでしょう」
「はあああ!? この美少女に、おれが、案内を頼む!?」
ザコルの発言に盛大に後ずさるザッシュ。感情の振れ幅が激しくて心配になってきた。
「ザコル、引き抜き反対なんじゃないんですか」
「覚えていませんかミカ、トンネルの件ですよ」
「トンネル……ああ、天城隧道ですか!」
「は、アマギ、ズイドー…?」
聞き慣れぬ単語に、ザッシュが思わず復唱する。『隧道』もちゃんと翻訳されてくれないんだよなあ。何でだろう。
「そっか、トンネルの専門家ってザッシュ様の事なんですね。それであの土木作業用の鎚! なるほどー」
アマギ山を超えて宿泊した深緑湖のホテルで、ジーク伯爵達と交わした約束。
私が酔っ払って天城越えを歌い出したのをきっかけに、アマギ山にトンネルを通してはという話に発展した。嘘みたいなきっかけだが、その場でザコルがサカシータ領にトンネル掘りの専門集団がいると紹介し、ジーク伯爵達がぜひ話を聴きたいと、サカシータ子爵に協力を要請する話になった。ザコルはジーク伯爵オンジ直筆の書状も預かっていたはずだ。
「…話が、見えないのだが」
混乱して逆に冷静になったか、ザッシュが怪訝な顔で姿勢を正した。
「単純な話ですよ。ミカがトンネルの歌を歌ったのでジーク伯がアマギ山にも通してはどうかとおっしゃったんです。恐らくシュウ兄様に話が行くと思いますから、コマと一緒にでも行ってください。よろしくお願いします」
簡潔かつ雑な説明だ。
こんなので分かる訳ないと思うのだが、ザッシュは『コマと一緒』というくだりに再び固まってしまった。
「シュウ兄様も、僕と同じで人見知りですから。色々言う割に、領外に出るのが怖くてたまらないんだと思います」
「人見知りっつか、女見知りじゃねえすかねえ。大丈夫すか、ザッシュ殿。俺らが来たら案内しろって言われてんすよね」
エビーがちょいちょいとつつくと、ザッシュがハッと我に返って頭をブンブンと振った。
「素晴らしい。ザッシュ殿は女性を深く敬う心をお持ちなのですね。流石は猟犬殿のお兄様だ。人生の先輩として尊敬申し上げます」
タイタがニコニコとして腰を低くすると、ザッシュは何やら感極まったような顔をしてタイタの後ろに引っ込んだ。
「タイちゃんは流石、魔性の紳士だね」
「ぶっふ…! 何なんすか魔性の紳士って」
あらゆる人をそのセーフティゾーンの虜にしていく紳士だ。
「私の心配なんかより、サカシータ兄弟でタイちゃんを取り合う心配をした方がいいんじゃないかな」
「うわー、洒落になんねえ。獲物が鎚じゃあ町が更地になっちまうよ」
「そ、そ、そこを右だッ、義母が、その部屋にいるッ」
タイタの後ろから指示が飛んでくる。ザッシュの方が縦にも横にも大きいのではみだしてはいるが。
静かな屋敷の廊下を歩き、言われた通りの部屋をノックすると、イーリアの側近がドアを静かに開けて招き入れてくれた。
応接室でソファもあるというのに、イーリアは一人、立ったまま私達を待っていたようだった。
「参りました、イーリア様」
「ようこそ、ミカ」
いつ見ても美しい起礼姿だ。
「そのザマは何だザッシュ。お前の叫び声がここまで聴こえたが?」
「も、申し訳ない義母上」
「ふ、ミカとコマ殿を前にして冷静でいられぬ気持ちは解るがな。そいつが妬ましかろう。私もだ」
「義母上まで何を言っているんです。コマがタチの悪い揶揄い方をしたんですよ」
「そのコマ殿はどうした」
「奴はザハリを探すと言って消えました」
「ふむ」
恐らくだが、治癒能力を使うかもしれない現場に居合わせないよう、気を遣ってくれたのだろう。
「この屋敷の者は、三日前に町長と最低限の使用人を残し、ほとんどを避難民の世話や物資調達などに遣っている。上階に滞在する者達の家族も流行病対策のために面会謝絶とした。今、残った最低限の使用人にもそれぞれ屋外の仕事を割り振らせた所だ。わが領の者達は何かあっても妙な勘繰りはせぬよう訓練されてはいるが、念のためだ」
つまり、この三日間、重症者の怪我の具合を知るものは最低限に絞られた。悪化したか回復したかも、その最低限の使用人と町長、患者本人にしか分からない。
ある時に急に回復したとしても、そのタイミングを外部の人間には絶対に悟られないように。
「ご配慮、感謝いたします」
「あなたに感謝されてはこちらの立つ瀬がない。…ミカ、後悔はないか。どうか、今一度あなた自身のために考えていただきたい」
イーリアは真剣な面持ちで私を見つめる。
「後悔なんてしません。私は私のために、私の意志でここまでやってきたんですから」
そもそも、私がカリューに行くと言い出さなければ、未だ苦しむ重傷者がいるとは知らされなかった事だろう。今もイーリアからは何一つ肝心な事は聞かされていない。
治癒の検証はするなと言ったのはイーリアだというのに、万が一私が我が儘を言ってもいいようにと最大限のお膳立てだけはしておいてくれた。しかし、そこまで手間をかけているのにも関わらず、私はこの怪我人のいる町長屋敷に来いとは一言も言われていない。つまり、私が積極的に怪我人の居場所を特定して足を運ばなければ、この話は無かった事になったはずだ。
そして私の行動などただ黙認してくれるだけでいいのに、こうして『考え直せ』と言ってくれる。
どこまでも誠実で人の良い、曲がらぬ心を持った至高の女神様。流石は、真面目でお人好しな彼のお母様だ。
「どうか『細かい事は気にするな』とおっしゃってくださいませんか。この護衛達がついてくれている限り、私の無事は必ず保証されています」
「心配いりません、義母上。最悪、全てを犠牲にしてでも守りますので」
ザコルの穏やかで自信に満ちた声。この猟犬の側を離れない限り、いや、離れようとしたって、きっと一瞬で追いつかれて無事以外許してもらえないだろう。
「ちょっとぉ、俺らは置き去りにしねえでくださいよ」
「お、俺も! 今度こそお役に立ってみせますから!」
エビーやタイタだって大概に過保護だ。他ならぬこの三人が私に好きにしろと言ってくれたのだ。
もう迷いはない。
「……分かった。聖女ミカよ、どうか、あなたのお心に縋る我々をお赦しいただきたい」
イーリアが跪き、私に手を差し出した。
「赦すだなんて、逆じゃありませんか」
私も両膝をつき、差し出された手を両手で包む。
「私が言い出した我が儘です。私はこれから少々ヤンチャしてしまうんですよ。イーリア様からあれ程止められたというのに。それを、イーリア様が寛大なお心で赦してくださるんです。いつもご迷惑をおかけしてばかりで心苦しいのですが…。今回もどうか、お見逃しいただけませんでしょうか」
精一杯の上目遣いでおねだりしてみる。女神には、そんな申し訳ない顔をしないでほしい。
「ふ、敵わないな…降参だ。いいか、無理だけはするな。これはあくまで『検証』だ。結果が伴わなくとも気負う必要はない」
「はい。分かりました。どんな結果でも正直にお伝えします。少しばかり、領民の方々をお借りいたしますね」
イーリアは微笑み、私の手を引きながら立ち上がった。
「義母上、おれは何も聞いていないのだが」
一人、話がちんぷんかんぷんだったらしいザッシュがおずおずと声を上げた。
「ザッシュ、お前はしばらくミカの手駒となれ」
「はあああああああ!?」
「ええええええええ!?」
ザッシュと私の声が被った。
「穴熊達も同様にミカの配下に置く。どうせ冬の間は土木の仕事も減る。丁度いいだろう」
冬の間は雪が降るからか…。どうやらザッシュと穴熊と呼ばれる人々は、領内の土木工事を引き受けているらしい。
「ミカ、四男の扱いは貴殿に任せる。少々不器用だが、私は義理堅さを買っている」
「イーリア様、それは…ええと、ザッシュ様の誠実なお人柄はこの短い間にも充分伝わっておりますが、ザッシュ様はこの町の再建を担われているのでは? 私などに付き合わせては…」
「その辺りも含め、ミカの判断に委ねよう。シータイに連れて行っても構わないし、しばらくは敢えてここに残し、カリューの再建を続けさせながら必要な指示をシータイに居ながら出してもいい。ザッシュに付き従う者達、穴熊と我々は呼んでいるが、その者らにやり取りを助けさせれば問題なかろう」
ああ、そうか。手駒とは表現しているが、イーリアは私に領内の土木関連業務に関わらせようというのか。
「…そういう事であれば。ザッシュ様に教えを請いつつ、私にできる事を模索しましょう」
正直土木に詳しいとは言えないが、日本で得た知識のいくらかは役に立つかもしれない。次の水害に備えた町づくりに多少でも貢献できれば御の字だ。
「再建を優先させる必要はないぞ。工事の人手は他にもあるし、どうせ我が領の者達は少しくらいの不便では滅多に死なぬ。あなたには調査もあるだろうからな、山も含めた土地勘のある者をと考えたまでだ」
「ありがとうございます、イーリア様。あの、ザッシュ様」
ザッシュの方を向く。といっても未だにタイタの陰に半分隠れたままだが。
「突然こんなおかしい女に、と思われるかもしれませんが、どうか、冬の間だけでもお付き合いいただけますか」
「…………義母の、命令は、絶対だ、です。ザコル、おれを威圧するのはやめろ」
チラッとザコルを見上げたら、バチっと目が合い、ニコォ…と恐ろしげな笑みを向けられた。
つづく




