あなたの自由にしろと言った
「やっぱり、知らせてくれてありがとうございました、オーレン様。そーっと行けばいいかな、なんて思ってましたけど、私がこの格好で行ったら絶対に騒ぎになる。何も知らずに踏み込んで、傷つけることにならなくてよかったかも…って」
「ミカさん……」
「ミカ」
力を入れた私の拳を、ザコルが上から包むように握った。
「ミカ、あなたが相手に忖度する義理などないんですよ。まだ、相手がそうだと確定したわけでもありませんし、知りたいのなら誰も止めはしません。長老もあなたの自由にしろと言った。もし彼女に確信があったとすれば、きっとそういう意味だったはずだ」
「でも…っ、私、なんにも、なんにも覚えてない…! 顔見て、もし『そう』だったとしても何も思い出せないかもしれないんですよ!」
それが相手にとってどんなに残酷なことか、想像できないほど私は無情ではない。
「だって、きっと大事にしてくれたと思う、大事に育ててくれたと思う。記憶がなくても、残されたあの部屋や物を見たらそれくらい判る。いなくなったのも、本人のせいじゃないのかもしれない。でも、私が、私が『なかったこと』にしちゃったから、ばあちゃんもお母さんのもの全部隠して、処分して、私が私自身を責めないようにって…!! ばあちゃんだってきっと思い出したかったと思うのに、私のせいで、私が全部忘れたせいで……!!」
「落ち着いてください、ミカ」
声をあげて泣きそうになった私を、ザコルが引き寄せて胸にうずめる。うーっ、と声を彼の胸に吐き出す。
「どうか、何もかもを自分のせいにしないでください。向き合うも向き合わないも、あなたの自由だと言いたかっただけだ。と同時に、あなたに会って相手がどう感じるかだって、あなたが決めることじゃない。……と、弟のためにと言い訳して、その弟から逃げ続けていた僕は思うのです。僕は、あの弟のことを何一つ解っていなかった」
そうでしょう、と私を宥める声。よしよしと撫でる大きくな手。優しい。
私は、この愛しい人に、向き合うことを強制してしまったのに。
「ですが、そうですね。あなたが気まずいというなら、コマに行ってもらいましょう」
「へぇっ?」
思わぬ提案に変な声が出た。
「はあ? 何で俺が行くことになってんだこのクソ犬」
「お前が影武者だからだ。それに、どうせ長老とも旧知だろう。いいように説明してこい。報酬は払う」
「てめえ、金さえ払えば俺が何でも聞いてやると思うなよ。ガキの遣いじゃねえんだ」
「そうか。では姉上に頼もう。ミカのためだと言えばお一人でもミリューに乗って訪ねてくれるだろう」
「ミリナを人質にでも取ったつもりか? この領の奴らがアイツを一人で雪山に行かすわけねーだろ」
「いいや、それが姉上のご意志ならば誰も止められない。ミリューが乗せないからな。幸い、姉上はミカの『嫁』だ」
ぐ、とコマが黙る。
「これで、コマと姉上はしばらく山に行ってくれます」
「ちょっ、ちょちょちょ、何メチャクチャ言ってるんですか! 嫁って言葉を変な意味で使うのもやめてくださいよ! むしろ私がミリナ様の下僕なんですけど!」
一旦離れて抗議しようと胸を押したが、びくともしなかった。そして耳元でささやかれる。
「あなたは何も心配しなくていい。何にも向き合わなくていいし誰にも忖度しなくていい。ただ僕の胸の中で甘やかされていればいいんだ。永遠に」
ぎゅう。
あれっ、何でだ、何で変なスイッチ入ってるんだ。
「うちの父があまりにデリカシーのないことばかり告げてすみません。もう話さなくていいですからね」
ぎゅうう。
あれっ、この人もよくデリカシーが家出してなかったっけ。
「もう嫁もいらないですよね。最近は異性に身がすくむことも少なくなったでしょう。僕のミカは実に努力家で、常に自分の壁を越えようと頑張っている。もう頑張らなくていいのであとは楽にしてください」
ぎゅうううう。
「……ぃぐぇ」
肺が圧迫され、潰れたカエルのような声が喉の奥から出る。
「ザコル、ザコル! 僕が悪かったから離してくれ、ミカさんが潰れちゃうよ! 僕が悪かったからぁ!!」
「離せこのクソ犬が、てめえまだ拗らせてんのか!」
わーわーわー。
「おい離せこのクッソ変態魔王! 遠くから見てりゃまた…!!」
「お離しくださいザコル殿!! 最近は随分と大人しくなさっていたかと思えば…!」
わーわーわー。
「ミカ様! ミカ様! お気を確かに!! ザコル様!! 締め上げたいのなら代わりに僕を!!」
「………………!!」
「あんまオイタが過ぎると処しますよ猟犬殿」
『うぉううぉううぉう』
わーわーわーわーわーわー………………
「すみません、ミカが僕に甘えてくれたのでつい調子に乗ってしまいました」
ゲシゲシ。コマとエビーがザコルを蹴っている。びくともしてないけど。
「ミカ様お怪我はございませんか!?」
「うん、大丈夫だよペータくん。いつものことだしザコルも加減できるようになったし。助けにきてくれてありがとう」
「………………!!」
「ふふっ、メリーはまだ語彙失ってんの? そろそろ喋ってよ。寂しいからさ」
奥ゆかしすぎて普段絡みは少ないが、何かあると飛んできてくれる少年少女をいーこいーこと撫でる。
「なんか機密っぽいこと話してるっぽい時とか空気読むっぽい感じで遠くから見守ってましたけど、もーやめにしません?」
「それは流石に、と申したいところではありますが、全く名案だ、とも申し上げたいところです」
「うぉう」
サゴシとタイタと穴熊が忖度やめよーやと話している。
「で、その三角巾がツルギ王朝の姫の証? なんすか、実は」
「うん、そうみたい。ただのペナントだと思ってたのに」
「ペナント…? で、姐さんはそれ着けて山の民の里に行くと騒ぎになって知り合いの山の民が悪口叩かれるかもしれねーからやめよーかって言ってんすか? そんなん別にいーじゃねーすか」
「でも、でもさ……」
ちっちっち。エビーは人差し指を振ってみせる。
「あちらさんはお偉いさんばっかなんすよ。いくら下々が騒ごうが痛くも痒くもねえって。てか痒いくらいならそれ出して渡してねーって。思う存分ざわつかせてきたらいーんすよ」
エビーはそう言って、にかっと笑った。
「ま、俺らの姫に何を黙って着けさせてんだって話っすけどお。ったく、長老様までよお…」
「う、ううっ、エビー……」
「はいはい、姐さんはすーぐ泣くんだから。抱き締めていーこいーこしてやろーかいででででで」
肩をつかまれたエビーが悲鳴を上げる。
「ミカさん、君って、思ったよりもずっと『気にしい』なんだねえ…」
ゲシッ。
「だ、だって普段すごく堂々としてるし飄々としてるから」
ゲシッ。
「いいか木偶。気の弱え奴は自分以外は強えと思いがちだがな、強え奴になんの配慮もいらねえと思ったら大間違いだこのクッソ木偶の棒が!!」
ゲシゲシゲシゲシ
「わああんやめてよ小まぶっ」
ゲシィッ、コマは小鞠と呼ばれる前に、オーレンの顔に飛び蹴りを叩き込んだ。
「よし。ジーロ様にこっちから相談しに行こう。そうしよう」
「いいと思います。山の民の里に行く際はジーロ兄様にも同行してもらってはどうですか。きっと顔が利きますし、案内もできると思います」
「案内、か。そういえば、ザッシュお兄様が山の民が拝んでる像があって気になっている、って話してましたね。渡り人の遺したものかもしれないって…………でも」
ぽんぽん、俯きかけた私の頭をザコルが撫でる。
「とりあえず、ジーロ兄様に話を聞いて、それから行くかどうか判断するのも悪くないと思います」
「…そうですね」
過保護軍団を見渡せば皆、うんうん、と私を肯定するように頷いてくれた。
つづく




