みんな、右往左往していて愛しいでしょう?
「……まあいい。そういうことにしておいてやるか」
「ありがとうございますお母様!」
私は思わずイーリアに飛びついた。おっと、とイーリアは私を危なげなく受け止めた。
「ふへ、やっぱりイーリア様はお優しいです」
「全く仕方のない娘だ」
いーこいーこ。
べり。
「何をするザコル」
「ミカを甘やかすのは僕の役目です」
「お前、鳥の死骸などいつ投げ込んできた」
「数年前でしょうか、忘れました。石も投げ込みますか?」
「…くはっ。あんなもの、投げ込んだところで大した殺傷力にもならん。投げ込むならシータイやカリューで山のように積まれている粗悪な鉄の塊にでもしておけ。増える一方だしな」
イタズラがあっという間に殺傷目的になった……。
「ミカはその鉄で川に堰を作りたいらしいです」
「堰だと? はあ、次から次へと、その小さな頭で一体いくつのことを同時に考えている?」
ちょん、イーリアは指先で私の額を優しく小突いた。
「堰を作るのはオーレン様かザッシュ様ですよ。私は専門外ですので」
推定元ゼネコン社員かトンネル狂にお任せである。
「オーレンといえば、急に初対面の人間や女子を恐れなくなったな。あなたの計らいか?」
「いえ、それはちょっとよく分からないです。どうしてですか、オーレン様」
「え」
気配を消しながらさりげなく近づいてきていたオーレンの方を振り向く。イーリアに詰め寄られた私達を心配してくれたのだろう。
「い、いや、別に、僕は相手が怖かったわけじゃないんだ、ただ嫌われるのが怖かっただけで」
あわあわあわ。
「同じことだろうが」
「同じじゃないよ! これは僕の気の持ちようなんだから!」
くわっ。
「ほう、で、どういう心境の変化があったというんだ。ミカにも臆していたくせに、しばらく見ぬ間に随分と気安く話すようになったようだな。全く腹立たしい」
うんうん。ザコルがイーリアに同調して頷いている。
「ミカさんは正真正銘ザコルのことを好いてくれてるからね! 僕なんて居たってただの壁みたいなものさ! 壁は嫌われないから大丈夫なんだ!」
どーん。
……壁は嫌われないから大丈夫。哲学だろうか。推しのいる空間の壁になりたいというのはよく聞くし共感もできるが、壁になれば嫌われないから大丈夫、というのは初めて聞いた。
「私、オーレン様を壁だと思っているわけでは」
「では、麗しき商会の乙女達に、執務メイドの娘達は。昨日はともにヤキトリとやらを楽しんだらしいな全く腹立たしい!」
プンスカプン!
「何回『腹立たしい』って言うんだ」
「答えになってないぞ女見知り!」
「君も大概ひどいなあ。いやね、女の子達に関しては、全員ミカさんの『嫁』だと思ったら急に平気になったんだよ。それだけさ」
…………………………。
「えっ、私の、ヨメ、だから平気…?」
すぐに理解できない私をよそに、イーリアはフン、と鼻で笑った。
「なるほど。ようやく自意識過剰を自覚したか」
「傷口をえぐるのはよしてくれよ。でも、リアの言う通りだ。僕は全く自意識過剰だった。誰もかれも、僕に礼は尽くしてくれるが眼中には少しも入れていやしない。嫌われる以前の問題だったよ、ははは」
モヤァ…。
「あの、そんな言い方はしないでほしいです。ピッタ達はみんな、あのアカイシの番犬様にお会いできるなんてって緊張もしてたし、光栄だって言ってましたよ。それに、執務メイドさん達が『旦那様が直接お声を!』って喜んでたのも聴こえてないんですか?」
「ミカの言う通りです。あまりに卑下すると彼女達に失礼ですよ父上」
「だめっ!! それ以上言わないで!! 頭では解ってるんだ、でも! 少しでも期待されていると思った瞬間嫌われるのが怖くなっちゃうんだよ!! だからみんなミカさんの嫁で、僕は有象無象ってことにしておいてくれ!!」
…………………………。
しばし沈黙が流れた。
「有象無象、になりたい気持ちは理解できます」
ぽつり。
「本当かい!?」
共感を示したザコルにオーレンが目を輝かせた。
「はい。ミカという強い光の側にいると一生不審者でいられるんです。みんな僕を怖がりません」
「君なら解ってくれると思ってたよ流石は僕の息子だ…!!」
「飛び付かないでください」
うん、うん。とさっきから頷いているのは天井に貼り付いている人達か。
あっちは推しの自然体を眺めていたいだけで不審者や有象無象になりたいわけでは……いや、モブにはなりたいのか? ますますよく解らなくなってきた。
「安心しろ。私もうちの夫や息子のことは、この歳になってもイマイチ理解できん」
「声に出てましたか、申し訳ありません」
「構わんさ。理解はできんが、欲とプライドにまみれた実家のクソどもに比べれば百倍、いや千倍マシだ。その気になれば辺り一帯を更地にできる力を持ちながら、嫌われるのが怖いだの有象無象になりたいだの不審者になりたいだのと、全く女々しいことばかり言って毎日頭を悩ませている。息子どもはともかく、あのオーレンまでもやる気にさせたあなたの手腕には驚くばかりだ」
「いえ、オーレン様はお怒りになっているだけですよ。ご家族を虚仮にされたことに」
逆に、どうやって止めようかと冷や汗をかいたのは一昨日のことである。
「それから、お喜びでもあると思います。息子さん達がお母様達のために『花』を用意しようとしているんですから。私、母親に関する記憶がないのでよく分からないのですが、母親というのは、母の日のプレゼントやサプライズの計画を知っちゃっても、気づかないフリで夫や子を見守ってくれるものなんですよね?」
…………………………。
きょと、と目を見開いていたイーリアだが、しばらくして「くはっ」と吹き出した。
「あなたは物事をうやむやにさせる天才だな!」
ぐりぐりぐり。
「リア様ったら、そんなに撫でたらコリーが編んだレースが破れてしまいますわ」
「ザラ。どうやら、私達は知らないふりで『花』を待たねばならんようだ」
「ええ、ええ。私はずっと知らないふりで待っていますよ。みんな、右往左往していて愛しいでしょう?」
ふふっ、と静観していた第二夫人は微笑った。
つづく




