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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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痴話喧嘩じゃありません

「あ、この猟犬マーク。これ、ハンカチに刺繍してあげましょうか」


 ザコルの団服の裾を少し掴む。猟犬をモチーフにしたマークが深緑色の糸でさりげなく刺繍されている。

 ザコルは答えず、プイと顔を背ける。


「後で林檎のシャーベット作リましょうか」

「…………」

「蜂蜜ももらってきましょうか」

「…………」

「肩を揉みましょうか」

「…………」

「耳食みますか」

「…………」


 全くこっちを向いてくれない。耳を食んでいいと言えば流石に振り向いてくれるかと思ったのに。


「珍しいですね、猟犬様がミカ様を無視なさるなんて」

 コソッとピッタがエビーに話しかける。聴こえている。

「これは完全に拗ねちゃいましたねえ」

「聴こえているぞエビー」

 おっとー、とエビーがおどけたように両手を上げる。

 エビーのコソコソ話には返事してくれるのに。皆が、いや、私が無視したり調子に乗ったりしたからか。

 ザコルだって、叱ってほしいとか意味の分からない事を言って私の話を遮るくせに…。


「ミカ殿、俺の後ろにお隠れになりますか」

 タイタの言葉に、はっとして顔を押さえるが、涙は出ていなかった。

「どうお考えかは分かりかねますが、何となくお泣きになりたいのかと」

「心配してくれてありがとうタイタ。大丈夫だよ。さあ、今日のイベントは終了ですって宣言しないとね。午前のうちに入浴支援の方に行けそうで良かったよ」


 長引いたら入浴を午後にずらそうと屋敷の使用人やカファと話していたので、思ったより早く終われそうでホッとした。これで午後はエビーとタイタに休憩時間をやれるだろう。素直に休憩だけするつもりはなさそうだが、お互い様だ。


 ザコルとはちゃんと話し合いができるんだろうか。


 コマに聞いた話や、これからの魔力との付き合い方、ザコルが心配している私の過去の話など、二人で話しておきたい事がたくさんあるのに。



 終了宣言は私が自分でしようと思っていたのだが、ザコルが無言でズンズンとりんご箱の壇へと進んでいってしまった。私はそれを早足で追いかける。エビーとタイタとピッタは、少しだけ離れてついてくる。


 ザコルは壇にかけられた階段梯子を無視してスタッと飛び乗り、真ん中に仁王立ちした。


「注目しろ」


 相変わらず、怒鳴っている訳でもないのによく通る声だ。放牧場にいた者達が一斉に振り向く。


「今日の訓練はこれまでとする。やり足りない者は残っても構わないが、放牧の時間になったら場所を空けろ。明日も同じ場所、同じ時間に訓練を行う。希望者は集まれ」


 おおーっ!! やる気に満ち溢れた男達が拳を上げて答える。

 ザコルは、樽に抱きついていたカファの方に目を向けた。


「この後、避難民向けの入浴支援を町長屋敷の庭で行う。ここにいる避難民の中でも希望する者は町長屋敷に行け。ただし人数が多ければ体力に不安のある者を優先とする。明日は入浴支援は行わないが、明後日からは再開する予定だ。詳しい事はカファか町長屋敷の使用人に聞け。以上だ」


 そう言い放つとくるりと向きを変え、ドスドスと壇上を歩いてストンと飛び降りる。


「ザコル、お風呂の事までアナウンスしてくれてありがとうございます」

「……別に、僕が伝えた方が落ち着いて話を聞くでしょうから」

 返事はしてくれたが、顔はそっぽを向いたままだ。

「意訳するとですねえ…」

「エビー、余計な事を言うな」

「へいへい」


 ザコルは私について来いとでも言いたげな視線だけチラッと寄越し、くるりと向きを変えるとスタスタと町に向かって歩き出した。



 入浴支援に集まった避難民はそれなりの人数だったが、避難民同士で話し合い、より体の弱そうな人間を速やかに選抜して先を譲ってくれたので、揉める事は一切なかった。

 こういうの何て言うんだっけ。民度が高いって言うのか。あまり好きでない表現だが、それ以外にしっくりくる言葉が見つからない。何となく、断水時でも横入りする事なく給水車に並んだり、サッカー観戦後に自分達の席を掃除したりする某民族の気質を思い出す。もちろん某民族の中にも色々な人がいるのだが。


 今朝訓練に参加していた者達は、樽の湯を使わせてもらえたからと遠慮したようだ。というかまだほとんどが放牧場周辺から戻ってきていない。同志達と一緒に走り込みでもしているのだろう。


 今回選ばれたのは、女性や、腰痛や膝痛などの軽度の持病を持つ人、そして彼らいわく『非戦闘員』の人が中心だ。水害の後で塞ぎ込んでいたという人もいる。周りが声を掛けて何とか連れ出したらしい。


 同志達によって寝袋や簡易ストーブ、敷物などが避難所に持ち込まれたので、最初に比べればかなり環境は良くなったはずだが、それでも相変わらず農作業小屋や空き家で寝起きするのは過酷だろう。

 入浴が少しでも気分転換になればいいと思う。





 屋敷の使用人、同志村スタッフ、町の人達がワイワイとテントの内外で入浴の世話に勤しんでいる。


 私はというと、ザコルと一緒に例の大樽&魔法パフォーマンスに出席したのちは、相変わらずピッタによって用意されたラグの上でのびのびしていた。たまに呼ばれて魔法をかけ直しに行くだけ。

 ザコルはタイタを連れて屋敷の地下牢に行ってしまったので、今はエビーと二人だ。


「ミカさん、俺、あんま自分の字に自信ないんすよねぇ…いいんすかねぇ、俺の字がお手本で」


 エビーは昨日のザコルのように子供達から画板責めに遭っていた。

 子供達は今日入浴しない予定だが、私が昨日一緒に勉強しようと言ったので自主的に集まってくれたようだ。学ぶ意欲が高いというのは素晴らしい。


 濁流から生還し、この町にやってきたシリル少年が小さい子達を引率してきてくれたので、幼児達は私達が預かり、せっかくなのでシリルは入浴の列に並ばせた。


「私よりはいいでしょ」

 私は編み棒を動かしながらエビーに答える。

「ミカさんの字は本に載ってる字そのままなんである意味スゲー綺麗なんすよ。俺は読めりゃいいって感じだからさぁ」

「エビーの字は読みやすくていい字だと思うよ。私の字はどうしても人間ぽくない感じするからさ」

「へへ、人間辞めてる一族とお似合いじゃないすかぁ?」

「ちょっとふざけ過ぎて怒らせちゃったけどねぇ?」


 おっと、編み目を外しそうだった。輪編み用のワイヤー付の編み棒が無いので、とりあえず編み棒を四本使って何とか輪編みらしい事をしている。かさばるし、棒は何度も抜けかけるし、編みにくいことこの上ない。帽子を編むなら編み棒よりかぎ針の方が手軽だっただろうか。


「さっきのは、ふざけたからっていうか…。まあ、猟犬殿が自分で言った方がいいすよね。ミカさんに甘やかされてる自覚はあるんでしょうし」

「それ一体何なの。私は別に甘やかしてなんかいないよ。どっちかといえば過保護なのはザコルでしょ」

「あの人は過保護っつうか心が狭いだけ…」

「エビー」

「ヒッ!」


 エビーが飛び上がり、子供達も一斉に振り向く。私も思わず編みかけを下に落としてしまって慌てて取り上げる。編み目が外れていなくてホッとした。


「ザコル、気配を完全に絶ったところからの殺気は皆がびっくりするからなるべくやめてください」

「それは失礼しました」

 無表情のまま、他人行儀に敬語で謝るザコル。いや、敬語なのはいつもの事だが…。


「ザコルさま! びっくりした! もっかいやって!」

「来ると分かっていたら驚かないでしょう。今は少し血生臭いと思いますから引っ付かないで…」

「みんなでぶらさがるやつやって!」

「ですから僕は少々汚れていると…あっ、ちょっと、武器をしまっているから後ろは危ないと言ったでしょう。全く。君達はサカシータの戦士なのですから、文字もいいですが投擲の練習でもしたらどうですか」

「とーてきー?」

「投擲です。敵に武器を投げつける攻撃方法です。あ、すみません、山の民の子供もいましたね」

「リラもやりたい! どうすればいいですか!?」

 リラに続き、他の山の民の子達もハイハイ! と手を挙げる。

「分かりました。では、石では危ないですから、この木の実を集めてください」


 そう言ってザコルが拾い上げたのは、いわゆる大きめのドングリで、私達がラグを寄せていた楓の木の隣に生えている木から落ちたものだった。

 樹の種類は知らないが、実と同じように葉っぱも大き…あ、これ、もしかして柏餅の?

 秋を過ぎて緑を失い、カラカラに乾燥している状態では確証は持てないが、何となく柏の葉のような気がする。柏のどんぐりって大きいんだなあ。


「これ!?」

 リラがいち早く拾って高く掲げる。

「それです。僕が合図するまでに、一番多く集めた者から指導する事にしましょう」


 わっ、子供達が画板を放り出し、我先にとドングリを拾い集め始める。

 その間にザコルは空の小樽を探して持ってきてひっくり返し、その上に枝を紐で束ねた物を立てて置く。的のつもりのようだ。


「そこまで。木の実をラグに広げて数えてください」

「いーち、にーい、さーん、よーんごー…うん?」


 幼稚園児くらいの子が多いので、うまく数えられない子ばかりだ。エビーと私が数える手伝いをする。皆、指を折って必死に数えている。


「さあ、両の手指の数より多く集めた者は?」

 子供達が考え込みつつパラパラと手を挙げる。


「いいでしょう。前に出なさい」

 ザコルが前に出た子の手にあるドングリを確認し、一番多く集めていた町民の男の子をさらに前に出す。


「よくやりましたねガット。では君には皆のお手本にもなってもらいます」

「うん、は、はい! わかった! です!!」

「よい心掛けです。教わる時の返事は『はい』が正解です」


 ザコルは簡単に的の説明をし、投げるフォームなどを実演してみせる。ガットは何度か指導されながら、その動きを何とか真似してみせた。


「いいですね。最初は的に当たらなくても届かなくても構いません。ですが、できるだけあの的から目を離さずにいてください。あれは敵です」

「てき…!!」

「皆、よく見ていてください」


 ザコルは子供達が目で追いやすいようにか、ゆったり大きめに振りかぶって木の実を投げた、とほぼ同時に的であった枝の束がパァンと弾けた。

 紐が千切れたのか小枝はバラバラに飛び散り、ドングリ自体も威力に負けて粉砕したらしく跡形も……って、あれ、本当にドングリだったよね?


「どんだけだよ」

「わぁぁ…!!」

 引くエビーに、引くどころか目を輝かせる子供達。


「このように、修練を積めば木の実一つでも敵にダメージを負わせる事は可能です。まずはこの木の実を君達の武器として投げ込みなさい」


 そう言ってスタスタと台である樽に近づき、新しい枝の束を的として置いた。

 そして的の正面にいるガットを丸で囲み、その少し後ろを先頭に、的に対し横一列に並ぶよう指示する。


「一人三投。投げる者はこの丸に入って投げる。投げ終わったら列の最後に並びなさい。他の者の投げ方もよく見ておくように」

『はい!』


 そうか、他の子の投げる様子をよく観察できるように横一列なのか。縦に並ぶと、前の子が邪魔でよく見えないもんね。なるほど。


 ガットを始めとして、子供達がドングリを投げ始める。全員目が本気だ。こうしてサカシータの戦闘員が育まれていくのか…。


「いやー、ほんと世話好きすよね。猟犬先生は」

「使える者は多いに越したことはありませんから」

 思わずザコルの方を見る。エビーも同じように彼を見つめていた。

「まさかあの幼児達を戦力にする気すか…?」

「まさか。しかし今は戦力にならなくとも、投げ込んで三年もすれば立派な戦力になります。修練は裏切りません」


 当たった! と喜ぶ声が聴こえる。リラだ。ガットが悔しそうにしつつも次は当てると意気巻いている。


「もちろん読み書き計算なども大切ですよ。さっさと習得して報告書作成や暗号解読の練習も始めなければ」

「暗号…。サカシータの人達ってみんなそんな感じなんすか?」

「武人ならば嗜みの範疇でしょう。前衛でも後衛でも、最低限の素養は必要です」

 暗号解読は最低限の素養なのか…。


「とはいえ、子供でも己を高める事にここまで貪欲になれるのは、他領では珍しいのかもしれませんね。サカシータの気質といえばそうなのでしょう」

「ザコルは平民でも女性でも小さな子でも割と平等に接しますよね。それもサカシータの気質ですか」


 この世界には身分制度もあるし、女性は早く嫁いで子を産むもの、家事をするものというある種の男女格差もありそうだ。虐待めいた差別現場なんかはいまだ見ていないが…。


「そのあたり、サカシータの気質というか、僕自身の境遇によるものかもしれません。まず、僕は将来的に平民になるのだと思って育ちました。しかもあの女帝や実母を見て育ったんですよ。女性を侮って良い事など一つもないと知っているだけです。子供も一緒です。今は弱くとも己を高めようという者に敬意を払うのは当然でしょう」


 彼の目線の先には、小さな体を懸命に使ってドングリを投げ込む子供達の姿があった。


「素敵な考えですね。推せます」

「茶化さないでください」

 ザコルはプイと横を向く。茶化してなんかないのに。


「この世界の平民育ちの俺から見ても、ザコル殿やタイさんみたいに誰にでも態度を変えない貴族出身者は珍しいと思いますよ。イーリア様やテイラー家の方々も俺ら平民を大事にしてくれますけど、平民は権力でもって守るものっていう、いい意味での貴族的な意識は感じますもん」


 エビーは、こっちに飛んできたドングリを子供達の方に投げ返しながら言う。


「僕は民の上に立つ予定などありませんから。それに誰にでも同じという訳でもありません。タイタはまた違うかもしれませんが」

「そういえばタイタはどうしたんですか?」

「血まみれだったので、あそこで風呂の列に並ばされています」

「あ、本当だ」


 列の前後の人は、血まみれのタイタを見ても何も思わないのか普通に談笑している。流石はサカシータ領民だ。

 救護所で傷の手当てに尽力したタイタ自身の人徳もあるだろう。


「己を高めようという人を敬う、なるほどね、ミカさんが推される訳だ」

「ちょっと、やめてよねエビー。私は本来、推す側の人間なんだから」

 健気に頑張るあどけない娘を演じ切ろうと決めた所だが、やはり気恥ずかしい気持ちは拭えない。

 ザコルはそんな私を見、ふ、と息をつく。


「ミカも同志も、どうして僕なんかを推すんですか。ここでは所詮、ミカの飼い犬でしかないのに」

「またそんな事言って。ザコルは英雄なんでしょ? 今日も大樽パフォーマンスは盛況でしたし、シリルくん達からもたくさんお礼言われてるじゃないですか」

「そうですね、カリューの者や山の民はまだマシな扱いをしてくれますね」

「……?」


 やはり、シータイ町民にはよく思われていないと感じているんだろうか。

 確かに野次は飛ばされていたが、別に全員から言われたわけでもないのに。意外に傷ついていたりするのかもしれない。


「うーん、やっぱりそんな事ないと思いますけど、それなら私がちゃんと皆にザコルが凄いって伝えてあげますからね」

「それが甘やかしているというんです。別に僕は凄くありません」

「何言ってるんですか、凄いとしか言い様がないでしょ。私は推しを普及させたいだけですから」

「ミカは推しをやたらに普及? させたがりますが、僕は普及だなんてとても……いえ」


 また目を逸らされる。


「……あの、迷惑でしたか? 調子に乗ってごめんなさい…」

「違っ…」


「猟犬殿ぉ、この変な姫は妙なとこで鈍感すからねぇ、ちゃんと言わないと解んないすよぉ」

「うるさいエビー。ミカ、そんな顔をしないで…」


 カン、コン。

 高い位置にある的には届かなくても、台座がわりの空樽にはドングリを当てられる子が増えたようで、さっきからいい音が響いている。


 ザコルは先頭の子供に歩み寄り、フォームの崩れを指摘して直させる。後列の子供達もそれを真剣に見ていた。

 さっきのライフル銃もかくやというドングリ砲を見たら真剣になる気持ちも解る。私もちょっとやってみたくなってきた。


「俺もやろっかなぁ」

 先を越されてしまった。

 エビーが散らばったドングリを拾おうとして的に近付くと、ザコルがスッと指差した。

「動く的が来ました。総員構え」

「え」

「撃て!」

 ザコルの号令に、先頭の子も、並んでいた子達も一斉に構えて投げ始める。

「ちょ、ちょちょちょ! いてっ! やめっ! いてっ! 洒落になんねえ! 痛ぇって!」

 エビーが逃げ惑うのでそれを追うようにドングリが飛び交う。


「くそっ」

 樽の後ろに逃げ込んだエビーが顔を少しだけ出し、ザコルめがけてドングリを投げる。ザコルは顔の前に来たドングリをパシッと受け取り、樽に向かって投げ返した。

 ドングリはエビーが顔を出していた樽の側面を掠めただけで砕け散った。


「ひいいい!! くそぉ!!」

 悲鳴を上げながらもドングリを再び投げ返すエビー。


 それはザコルの心臓辺りに飛んできて、ザコルにパシッと受け取られた。それをまたザコルが投げ返す。子供達の弾幕も全く勢いを失わない。


「エビー、弓が出来るだけあって投擲の才能もありそうですね。ミカと一緒に暗器を使ってみますか」

「やります! ぜひやりますから止めてくださいよぉ!」


 その後も何度か投げたり撃たれかけたりしつつ、弾幕は子供達の手持ちドングリが尽きた所で止んだ。


「もー、何だってんだ…」

 エビーは拾い集めたドングリをこちらに持ってきて先頭の子の傍らに積む。

「エビーにいちゃん、すごいね! ちゃんとぜんぶザコルさまにあたってたよ!」

「へへ、全部受け取られてちゃ世話ねえけどな、お前らもよくも当ててくれたなあ。滅茶苦茶痛かったじゃねえかあ」

 エビーが大袈裟に痛がってあちこちをさする。

「次は貫通させましょう」

「怖っ!! 死因がドングリとかマジ洒落になんねえ!」

「ふふ、死因がドングリ」

 思わず笑ってしまった。ザコルがこちらを振り返り、安堵したように息をついた。



 コマの帽子がとりあえず形になったものの、出来に納得がいかなくて解いてやり直してそれが三回目に達した頃、カファとピッタ、それに屋敷メイドのメリーが軽食を持ってやってきた。


「ミカ様、今日は開始が少し遅くなりましたし、人数も多いので、このまま昼を跨いで入浴支援を続けてはどうかと考えているのですが、ミカ様のご予定はいかがでしょうか」

「うん、私は全然構わないよ。ここで編み物してるから。皆の休憩は大丈夫?」

「交代で昼食を摂らせていますのでご心配には及びません。町の人には午後から仕事という方もいますが、先程放牧場から戻ってきた男性方が手伝いに入るとおっしゃってくれているので」


 ザコルとエビーも投擲指導を切り上げてこちらに寄ってきた。


「俺も昼から手伝いに入りますよ。猟犬殿が戻ってきましたしね」

「あの子供達はどこで昼食を摂るつもりでしょうか」

 ザコルが子供達に声をかけようとする。


「あ、俺がつれていきます!」

 お風呂が終わったらしいシリルが駆けてきた。


「皆さん、俺までお風呂に入れてくれて、ありがとうございました」

 カファやピッタ、そして私の方を見て丁寧にお辞儀をするシリル。私もラグの上で立ち上がった。

「入ってもらえて良かったよ。気持ち良かった?」


「気持ち良かった! あんな大きなお風呂、見るのもはじめてだったからびっくりして! あんな大きな箱に入ったお湯を一気に沸かせるなんてすごいよお姉さん…じゃなかった、ミカ様!」


 シリルが興奮したようにキラキラとした目で見てくる。眩しい。


「お姉さんでもミカでもいいのに」

「リラはともかく、俺がミカ様を呼び捨てなんてしたら父さんと母さんにぶっ飛ばされちゃうよ。で、リラ達は何してんの?」

「とーてきやってる!」

「とーてき?」


 未だに樽の上の的めがけて投げ込んでいる子供達が、シリルに手の中のドングリを見せる。


「シリルにいちゃん、このドングリをこうやってなげて、あの『てき』にあてるんだよ!」

「ザコルさまがおしえてくれたの」

「ザコルさま! あのすごいのもういっかいやって!」

「分かりました。僕が投げたら今日はおしまいですよ」

 はーい、と子供達がお返事する。


 ザコルは先程と同じように大きく振りかぶってドングリを投げ、的とドングリを派手に粉砕させた。


「うわあああ!? すげえぇー!! 何今の!? ドングリ? 本当にドングリ!? 俺、こんなすっげえ人に命助けてもらったの…!?」

 シリルはさらに目を輝かせて大興奮している。


「す、すっ、凄過ぎて凄いしか言葉が浮かびません!! 何ですか今の!? 人間? 本当に人間ですか!? 私、こんな凄いお人を目指そうとしてたんですか…!?」

「ひええええ…」

 カファとピッタは腰を抜かしそうになっている。

 そして何とも思わないのか微笑みを一つも崩さないメリー。却って怖い。


「おれ、ぜったいにザコルさまみたいになりたい!」

「ぼくも!」

「わたしも!!」

 決意を固くするサカシータ&山の民子供連合軍。

「リラもなるー!」

「リラずっるい!! 俺もやりたかったよ!! 後で投げ方教えろよ」

「ふふん、いーよ。おそわるときのへんじは『はい』がせーかいだからね、おにいちゃん」

「はいはい」

 ふんぞりかえる妹に苦笑する兄。微笑ましい。あ、エビーとピッタが緩みきった顔で見てる。


「ザコルさま、あしたもきていい?」

「明日、僕達は訓練の後にカリューへ行ってきます。明日の明日ならばここにいると思いますよ」

「ザコルさまとミカさま、カリューへいくの…?」

 おずおずと話しかけてきたのは、カリューから来た避難民の子達だ。

 私は咄嗟に笑顔を取り繕った。

「そうだよ。お片付けが手伝えたらいいなと思ってね」

「あの、ミカさま、ぼくのおうちをみてきてくれない?」

「ともだちにおてがみわたしてほしいの」

「おとうさんをさがして、わたしはげんきだよっておしえてあげてほしい」

「…っ」


 言葉に詰まってしまった。

 果たしてこの子達の友達や父親は無事なのだろうか。子供達の目は不安と期待に揺れている。

 どうしよう、避難者や怪我人があの数では、当然死傷者も大勢……


「……ミカ、カリューでは今の所死者は出ていません」

「えっ!?」


 ザコルが私の横まで来てそう告げたので、思わず大きな声が出てしまった。そんな事がありうるのだろうか。


「怪我が酷く回復していない者はいるでしょうが、まだ死者は出ていないはずです」

「そ、そうなんですか!? 本当に!? かなりの被害だったんじゃないんですか!?」


「救助の目処がついた時点で、あちらの町長に命じて戸籍を元に全員点呼させたんです。見つからなかった者は、僕がこちらの避難所の名簿で確認し、あちらに連絡しています。ミカが名簿を用意させたそうですね、確認が楽で助かりました」


 確かにあの日、ザコルは朝からカリューへ救助に向かった後、一度様子見と称してシータイの集会所に戻ってきていた。


「…っ、ザコル…」

 私は思わずザコルの胸の辺りの生地を掴んだ。


「何でもかんでも僕が救ったわけではありませんよ。被災した彼ら自身も最善を尽くしました。…それから、まだ、と言いました。重傷の者はいますから、予断を許さない状況ではあるはずです。ですが義母からはまだ、誰かが死んだとは聞いていません」


 ザコルが私の髪を撫でる。

「何故、泣くんです」

「だって、だって、覚悟してたから…それに…!」

「伝えていなくてすみません。うっかりしていました」


 嘘だ。涙は出るのに頭はしっかり回る。うっかりなんて絶対に嘘。


 まだ誰も死んでいなくとも、予断を許さない状態の重傷者がいると聞けば、私は危険も顧みずすぐにカリューに行こうとしたかもしれない。

 涙の治癒効果を知っても知らなくてもきっと同じだ。私は医者ではないが、衛生や養生の知識ならば人より少しだけ多く持っている。今でこそ思うが、あの時の私はずっと冷静でなかった。


 現地では浸水や倒壊などの危険もあるだろうが、もしも私が邪教徒や王弟の手の者に尾行されたまま無理矢理カリューに行っていたとしたら、私自身や護衛達を危険に晒すだけでなく、被災中の人々にまでとんでもない迷惑をかけたはずだ。

 これまでの捕物は、ここシータイだったからこそできた。今ならそれも実感として理解できる。


 そして、もしも重傷者の話を聞いた上でカリューに行かない判断をした場合、重傷者が亡くなった時に私は自分を責めたはず。たとえ自分のせいではないと、頭では解っていても…。


 だからこそ、ザコルは今日まで私に話さなかった。そうすれば、話せないくらい酷い、行ったところで私では役に立てない、手が回らないくらい怪我人も多い、などと私が勝手に解釈し、勝手に納得するから。

 多分、いや、きっとそうだ。


「ありがとう…」

「どうしてお礼など。僕は、僕の都合でうっかり黙っていただけです。怒ったっていいんですよ」

「ううん、ううん。あなたは…」


 ザコルがただうっかり黙っているなんてあり得ない。黙っているのは彼の得意技らしいが、必要があれば伝える努力もできる人だ。

 それに、カリューの人々を直接救ったのは彼だ。感謝以外の言葉なんてそれこそあり得ない。


 手を緩め、ザコルの服を離す。

 渡されたハンカチで涙を拭き、子供達に向き直った。


「…えへ、お待たせ。必ず伝えるし、様子を見てくるよ。伝えたい人の名前や家の場所を教えて」

 子供達から紙の切れ端をもらい、聞いた事をメモする。

 子供から聞いた事なので正確かは分からない。後で大人の避難民達にも確認しよう。メモを大事に折ってカバンにしまう。


 私がまた泣いている事を気取ったか、テント周辺の人々がちらちらとこちらを見ている。心配させてしまっただろうか。私が笑顔で手をヒラヒラと振ると、人々も控えめに振って返してくれた。カファが察したようにフォローに向かってくれる。


「ミカ、だいじょうぶ?」

「ありがとう、リラ。大丈夫。カリューの人達が皆生きてるって聞いて、嬉しくて泣いちゃったの。まだ怪我で苦しんでる人もいるみたいだから、必ず、力になってくるよ」


 この感じでは、重傷者の数は思った程多くない。傷の程度は分からないが、最悪、治癒能力を使ってでも救ってみせる。今の私ならバレないように上手くやるくらいの冷静さはある。どうか間に合ってほしい。


 リラに続き、子供達が次々とハグをしてくれた。私が泣いたから慰めようとしてくれているのだろう。


 ◇ ◇ ◇


「ザコルさま、ちゃんとミカをまもってね」

「必ず」


 リラの言葉にザコルが頷く。

 年長者であるシリルに先導され、子供達はそれぞれの保護者の元へと帰っていった。


「す、すびばぜ…っ、猟犬様もミカ様も…っ、それから子供達も…っ、みっ、みんな優しくて、強くて…っ」

 私はラグの上で、まだぐすぐすと泣いているピッタの背中をさする。 

「他はともかく、僕はうっかりしていただけです」

 ザコルもラグに座り、しれっとした顔でホットドッグを頬張っている。

「嘘だあ」

「嘘じゃありません。嘘は嫌いなので」


 すーんと無表情を貫くザコル。嫌いな嘘をついてまでうっかりだと言い張るつもりらしい。

 ピッタはまだ嗚咽が止まらない。


「こうして泣いてくれるピッタこそ優しいよ」

「いや、ミカさんも今泣いたばかりじゃないすか」

「ほんどでずよおお…!」

 エビーの突っ込みにピッタが泣きながら同意した。


「私はね、ザコルの思いやりに感動したんだよ。直に救ったのもザコルだし」

「その人にカリューへ行けっつったのはミカさんでしょうが。それこそ泣きそうっつうか、心細そうっつうか、ホント辛そうな顔して見送ってましたよねえ。俺ぁいっそ腹立たしかったすよ」


 泣きそうだったのバレてた。誤魔化せたと思ってたのに。というか何をチクっているんだこの従者は。

 横を見なくても分かる。ザコルにじっと見られている…。


「な、何でもないですよ、無理を承知でお願いしたから、心苦しかっただけで」

 私は恐る恐る振り向いてギョッとした。

「……ザコル? どうしてあなたが泣きそうになってるんですか」

「ち、違…っ」

 ザコルが顔をそむける。


「ザコル、あなたは何も気にしないでいいんですからね? あれは私の我が儘なんですから。あなたは私の、みんなのヒーローなんですよ! この町の皆はきっとまだよく分かってないんです。だから、その活躍をきちんと知ってもらいましょうね」

「……っ、ミカは! 僕を、僕をこれ以上甘やかしてどうするつもりなんですか!! 僕は…っ、僕はどうして、あなたの辛い気持ちを解っていないんですか…!!」

「ザコル、私は大丈夫で」

「また『大丈夫』と…っ、…くそっ」


 ザコルが言葉に詰まって頭をガシガシと掻き、立ち上がった。

 そして私の手首を取ってグイッと引っ張る。


「あ」

「来い、こうなったらとことん話し合って…」


 ズザァァァアアッ


 突然ラグの前にスライディングしてきたのは、風呂上がりでホカホカとしたタイタだった。洗濯済みの綺麗な軍服も貸してもらえたようだ。


「ご無体は看過できません!! というかミカ殿から距離をお取りください!! 浄化!! 浄化が必要です!!」

「…僕は、ミカに触れないと浄化できませんので」

「とりあえず風呂に入ってください!! 風呂に!! 清水には穢れを払う効果があります!!」

「ああ、それはいいね。やっぱ何か血生臭いし」

 パッ、とザコルに手を離される。気にしいだなあ…。


「……覚えておけよ」

 フンッ、と盛大に鼻を鳴らして風呂の列に向かうザコル。

 捨て台詞が悪役すぎる。彼はこちらを振り返ることなく、ズンズンと大股で歩いて行った。




「へへっ、魔王もカタナシだな」

「魔王が聴いてるよエビー」


 私が指し示した先には何かの気を放ってくるザコルがいた。列の前後の人も流石に引いている。


「あの、ミカ様がこの町で民のために尽くすのは、全て猟犬様のため、ということなんでしょうか?」


「ううん。もちろん、全てじゃないよ。そりゃ最初は、彼の地元だしっていう気持ちもあったよ。でも、今はザコルのためだけじゃない、私個人としても皆の事をちゃんと大事に思ってるし、ずっと幸せでいてほしいよ。もちろん同志や部下の皆にもね」


 ピッタの頭をふわふわと撫でる。ピッタがまた泣きそうな顔になってしまった。


「ミカ殿、あなた様のザコル殿への想いの深さにはただただ感服するばかりです」

「タイちゃんには言われたくないかなあ」


 自邸に乗り込んできた曲者に惚れ込んで幾年月、いつか彼の力になるためと、国を転覆させかねない規模の秘密結社を作り上げた人物だけには言われたくない。


「今のうちにさっきの不機嫌を説明してやるとですねえ、魔王殿は怖いんすよ」

「何が?」

 エビーが訳知り顔で内緒話の体勢を取る。

「そりゃ、今まで、自分だけを頼りにしてた女の子が、どんどん信者っつうか、仲良い人増やしてるのが…ヒッ!」

 突然飛んできたドングリがエビーの髪を掠め、背後の藪に突き刺さる。

 内緒話意味ない…。

「しかも元々、超がつく人見知りで大真面目で人心に疎いあの人の方はさ、今のこの状況、ミカさん無しじゃあり得なかったはずでしょ…ヒイイィッ!」

 エビーが咄嗟に身を低くすると同時に、ドングリがあり得ないスピードでいくつも飛んでくる。

「よっ、要はっヒッ! まっ、周りにミカさん取られそうな気がしてっ、イライラしてるだけっつうかヒェッ⁉︎ ただの嫉妬だからミカさんは心配しなくていいあああぁぁ!! お、お、俺は厠に行きますッ」


 ドングリの集中砲火に見舞われたエビーはホットドッグを口に詰め込み、身を低くしつつ全速力で建物の方に駆け出した。

 ザコルはあれだけのドングリをどこに隠し持っていたんだろう。


「そう、君の意見はよく解ったよエビー」

 いなくなったエビーに向かって相槌を打つ。なるほど、嫉妬、嫉妬かぁ…。…やばい、顔が熱くなってきた。


「エビー様って大概ですよね…。猟犬様は皆が思う以上にお優しくて繊細な方なのに、あんな風にいじったりしてひどいです」

 この子、ザコルの味方を…!

 嬉しくて頬がゆるむ。元々赤くなっている上に、相当だらしない顔になっていることだろう。


「ピッタ殿、エビーはいつだってミカ殿のためだけを思って行動しています。俺はそんなエビーのことも尊敬しているのです」

「タイタ様は何なんですか? 猟犬様のファンなんですよね?」

 誇らしげに胸を張るタイタを、心底不可解そうな顔で見上げるピッタ。


「俺は猟犬殿を生きがいとし、かの方の生き様を人生の目標として掲げております。しかし今の俺はミカ殿を第一に護るべく選ばれた騎士の一人。護衛として、ミカ殿の健やかなる生活の害となりそうなものは全て排除しなければ」

「猟犬様はその、害だと?」

「普段の冷静沈着なあの方ならばともかく、あれ程までにいかがわしく狂気に満ちた尋問の後のザコル殿はとてもとてもミカ殿に近づけられるものでは…ッ」

 R指定なんだよね。


「はあ、皆、斜め上な方向に過保護なんだよ…」

「過保護…。それはどなたも、ミカ様にだけは言われたくないとおっしゃるのでは」

「はは、その通りかもしれませんね。このお方は俺のような者さえ可愛がって下さるのですから」

「私達みたいなのにだって優しすぎですよ!」

 二人がうんうんと頷く。

 タイタもピッタも、少しずつ私に遠慮しなくなってきているのが嬉しい。

「タイタを可愛がってるのはコマさん含め全員でしょ。こないだ四人してバチバチに取り合ったからね」

「タイタ様をですか!?」

「そうだよピッタ。うちの姫ポジは私じゃなくてタイタだからね」

「や、や、やめてください…!! あの時の事を思い出すだけで心神喪失してしまいます…!!」

 あわあわとするタイタ。可愛い。

「ザコルに愛を囁かれちゃったもんねえ」

「ややややめやめめめ」

 バグり始めた。可愛がりすぎたか。


「皆さーん! 私も混ぜていただけませんかぁー」

 カファがホットドッグを持って走ってくる。様子を見にきてくれたのかもしれない。

「執行人殿! 後で我々もドングリ投擲に挑戦してみませんか!」

「そっ、それはいいですねカファ殿!! ぜひやりましょう!!」

 あ、執行人復活。

「ああ、先程のエビーへの雨矢のごとき攻撃は素晴らしかった…。玄人は道具を選ばないというのはこういう事なのだ。俺もあのドングリ、身に受けたかった…」

「やめなよ、死因がドングリになるよ。でも私もやりたい。食べ終わったら皆でやろ」

 ピッタがクスクスと笑いながら白湯をグラスに注いでカファに渡した。


 ◇ ◇ ◇


「ほらほら、ザコル様が悪いんだろ、早く謝っちまえ」

「夫婦喧嘩なんてな、大体男が悪いって事になってんだよ」

「夫婦喧嘩じゃありません」

「夫婦喧嘩じゃなきゃ痴話喧嘩だろ。一緒だ一緒」

「痴話喧嘩でもありません」


 風呂上がりのザコルに、同じように風呂上がりの避難民が数人ついてきて背中をバシバシと叩いている。


 私達はというと、ザコルが子供達のために用意した的めがけてドングリをひたすら投げ込んでいた。最初は見ていただけのピッタも加わり、今も三回連続で当たったと飛び上がって喜んでいる。


「おかえりなさい、ザコル」

「あなた達は一体何をしているんです…」

「何って、ドングリ砲の練習ですが。ちょっと見ててくださいよ」


 私は大きく振りかぶり、ザコルが子供達に見せていたフォームをしっかり真似てドングリを投げる。

 パシ、トサ、と音を立てて枝の束が倒れた。

 ザコルのように粉砕させるのは無理だが、的に当てて倒す事くらいは五発中三発くらいの確率でできるようになった。


「ほう、ちゃんと当てているじゃないですか」

「ふふ、まだ外す事も多いですけどね」

「振りかぶるなら、もう少し片足にしっかり体重を乗せて…」


 自然とレクチャーを始めてしまうザコル。ツッコみたい気持ちを抑えつつ、アドバイスは真剣に聞く。実戦なら小石とか、もっと硬い物を投げれば立派な攻撃手段になるだろう。


 ミカは スキル:投石(投ドングリ)を覚えた!

 テッテレーッ!


「ザコル様、変な事教えて何満足そうにしてんだ。ミカ様に謝んだろ」

「ぐ…」

 呆れ顔でザコルの背中をぐいぐい押す避難民のおっちゃん達。

「ねえ、何を謝るんですか、別にザコルは何も悪くないでしょう?」

 がし。急に目が据わったザコルに肩を掴まれる。

「…ミカ、僕に物申したい事はないんですか」

「う、うーん、だから、話しておきたい事はたくさんありますけど、物申すことなんて別に…」

「いいや、あるはずです。ほら、思い出してください!」

「だから何なんですか。今は何もありませんて」

 そんなに肩を揺さぶられても無いものは無い。

「ミカが叱ってくれないと僕がただ退化するだけになるでしょうが! ほら、早く何でもいいから物申してください!!」

「首がっ、イカれ…っ、やめ…」


 がし。タイタが私の背後からザコルの手に両手を置いて止めてくれた。


「ザコル殿。あまり無茶を申されては。ミカ殿がお困りですよ」

 私は首をガクンと上に倒れさせていたので、タイタのニコォ…とした笑顔を下から覗く格好になった。ひゅん…。


「はい、すみません」

 スッと手を引っ込めるザコル。

「もう、しょうがない人ですね」

「はい、すみません」

「私が丈夫だからって、力加減を誤るのは程々にしてくださいよ」

「はい、すみません」

「あと、別に退化してませんから安心してください。あなたはいつでも最強です」

「いえ、そんな事は」

「ドングリをあんな風に投げられる人類が他にいると思わないでください。それに、ザコルこそ私に物申したい事があるんじゃないですか。別に怒ったり否定したりませんから聞かせてください」

「いえ……」

「もう、どうしてシュンとしてるんですかねえ」

 俯くザコルの頭をヨシヨシと撫でる。


「サカシータ一族の二つ名持ちが全く情けねえなあ」

 おっちゃん達が苦笑する。

「ザコル様がいなきゃあ、カリューの人口は半分に減ってたんだからな、自信持てよお」

「えっ、はっ、半分……!?」

「半分は言い過ぎです」

「おー、三分の一に減ってたの間違いか?」

「もっと言い過ぎです」


 カリューの人口は正確には知らないが、こちらに来ていた避難民の数だけでもピーク時で三百人以上はいたはずだから…。


「ミカ様は知らねえのか。まあ、この朴念仁は自分の話なんざちっともしてなさそうだしなぁ」

「あの朝はな、ほとんどが屋根や木の上に登って何とかしのいでたような住民を、担いで跳んでの大活躍だったんだぞ。うちの家族も何とか夜は越したが、もう寒くて寒くて限界だった」

「それにな、朝方、最初の避難所だった集会所に水がどっと来てなぁ…。ザコル様が屋根破壊してくんなきゃ、あそこは全滅だった」

「はは、シータイの奴に何度説明しても『集会所が丸ごと沈むなんて嘘だろ』って信じやしねえんだ」



 ざあっ…。血の気が引くのが解る。



「…ああ……間に合って、間に合って良かった…!」

「ミカ…っ」

 膝から崩れ落ちそうになり、ザコルが咄嗟に支えてくれた。


「ミカ様、信じてくれるんか?」

「いやあ、ありゃ想像つかねえだろ」

「そうですよ、話を聞いたくらいで想像がつくとは…。実際に見た僕でさえ、あの現場はあまりにも非現実的すぎて、説明が難しいと思ったくらいで…」


 私は首を横に振る。


「ちゃんと想像ついてますよ! 私の国は、水害大国だって言ったじゃないですか! 屋根や木の上で一晩過ごすことになったり、水がきて建物の中にいた人が、って何度もニュースで見てるし…! そういう目に遭った人は思い出すのも辛いはずで、明日は我が身っていうか全然他人事じゃないし…っ、もう、もう!! 救ったならどうして話してくれないんですかこの最終兵器魔王!! うえぇ、うわぁぁー…」

「それでどうしてまた泣くんですか…」


 カリューの詳しい被害状況は、ザコルは話さないし、辛い思いをしたかもしれない避難民にはとても聞けないしでほぼノータッチだった。今日こそイーリアに訊こうと思っていたが、イーリアにさえなんだかんだで話を濁されていたような気がする。


 結局みんな、私を動揺させないように口を噤んでいたのだろう。

 怖がらせたり悲しませたりしないように、間違っても、正義感に燃えて飛び出して行ったりなどしないように。


「…そうでしたね。ミカの頭には水害に関する知識が詰まっているんでした」

 ザコルは私を抱き寄せ、背中をさするように撫でた。


「あなたは、あの濁流を見た時点でそこまでの惨事を予見していたんですね。だからこそ僕を行かせることにこだわった」

 一度泣き始めたら泣き止めなくなってしまって、着替えたばかりであろうザコルの団服を濡らす。

「こんなに不安にさせていたのなら、いっそ話しておけば良かったです。上手に説明できる自信がなかったとはいえ、僕の怠慢ですね…」


 後悔のにじむ声。


「ミカ様、俺らん事そんなに心配してくれてたんだなぁ…」

「俺らのために、今まで聞くに聞けねえでいたんだな、優しいなあ」

 おっちゃん達まで咽び泣き始めた。


「その最終兵器をもったいぶらず寄越してくれたのもそうだが、水浸しの俺らを回収するために馬車を動かせって山の民に指示したのもミカ様なんだろ。俺ぁ、命からがら這い出てきたとこを最初の馬車に乗っけてもらったんだ。シータイに着いたらすぐ世話してもらえて、暖かい部屋があって…今まで生きてきて、あんなにありがてえと思った事はねえよ。あの時の避難所も、救護所も、替えの服も、今日の風呂も全部、ミカ様が準備してくだすったんだろう」


「ああ、そうだな、ザコル様が半分、ミカ様がもう半分、カリューの人間を救ってくだすったんだよなあ…」



 他の避難民達が湯気を立たせながら様子を見に集まってくる。

 それを窓から見ていたらしい屋敷内の怪我人達まで出てきて、あっという間に人だかりができた。


 最終的に、集団で大号泣し始めた所でマージが屋敷から慌てて出てきて「これは一体どういう状況ですの」と困惑しながら皆を宥め始め、しばらくして何とか全員を解散させるに至った。



 ◇ ◇ ◇


「ピッタ、大丈夫? タイタも、カファもまだ泣いてるの。それからいつ戻ってきてたのエビー」

 騒ぎになった上、仕切り役であるカファまでが号泣して使い物にならなくなったため、本日の入浴支援は終了する事になった。


 完全に集団ヒステリーのような状況だったが、とりあえず並んでいた人までは入浴できたようなのでまあ良しだ。片付けは一時間後に再開という事になり、騒ぎの中心にいた私達は休憩と称して屋敷一階にある一室へと収容されていた。


「ミカさぁん…俺ら、俺ら、手当とか色々頑張って良かったすねぇー…」

「エビー、昨日から泣きすぎじゃない? そんなに泣く子じゃなかったでしょう」

「姉貴のがうつったんだよおおお…!」

「もう、しょうがない弟だねぇ…」

 ずっと号泣しているエビーの金髪に手を伸ばそうとする。その手は横から取り上げられた。

「ダメです。この手は僕のものなので」

「心が狭いぃぃ!」

「うるさいです。何とでも言ってください」


 ぎゅむ、ザコルが後ろから私を抱き込む。

「ミカはすぐ人だかりを作る」

「いや、さっきのは半分坊っちゃんが作ったんでしょ」

 人前だし、離れようと身をよじるが全く動かない。


「僕はそんなものを作るような事はしていません」

「ザコルがしてなきゃ誰がしたって言うんですか。人担いだまま跳んだり、屋根を素手で破壊できる人類が他にいますか」

「それくらいは…」

『いませんから!』

 その場にいた全員の声が揃った。

 流石にびっくりしたのかザコルの腕から力が抜けた。その隙に身を離してシュタッと距離を取る。


「ザコル。私はね、先にシリル達を助ける場面を目撃してるんですよ」

「それがどうかしましたか」


「いいですか、山の民が総出で切り出した背の高い木を一人で引きずってきたかと思ったら、一人でこうやってブゥンと持ち上げて川にビタァァン! ですよ。みんな、信じられる?」


 うわー…

 誰かからドン引いた声が漏れた。


「山の民の皆さんは私も魔法を使って助けたみたいに言ってくれるけど、全然違うんだよ。私は確かにその木の根本が濁流に流されないように凍らせて、川底から氷を伸ばして幹を水面からちょっとだけ浮かすとこまでしました。でも! その不安定な幹を迷う事なく全力疾走して、そこから十何メートルもジャンプするなんて! 人間離れしてるのは知ってたけど! まさかあれ程だなんて!」


 私は身振り手振り、あの時の状況を必死に説明した。


「朝方、ザコルが戻ってきてくれて泣くほど嬉しかった。でもそれと同時に、この非常時に私がこの最終兵器を独占してていいものかって、元気ないちファンとしてはほんっとぉーに焦ってたんですよ。しかも、数人でも救えればいいと思ってたのに、まさか何百人かそれ以上に救ってくるなんて。もうほんっとカッコ良すぎて泣ける…!! あの時、寂しくても送り出して本当に良かった!!」


「そ、そろそろやめませんか…」


「やめません。何と言われてもあなたはヒーロー、間違いない。あの、いいですか。今後も救えそうな人は積極的に救ってくれませんか。皆やザコルのためっていうのが一番ですけど! どうか私へのファンサだとも思って!!」


 ザコルに詰め寄ると、どうどう、とばかりに両手で制された。


「わ、分かりましたから。ミカがそう言うなら。ですが、あなたの安全が最優先なのは変わりませんからね。あの時は、そこの護衛二人と、身元のはっきりした山の民がいたから預けられると判断したんです」

「それでいいです。軍規違反になるというなら今後は黙ってやりましょう!」

「それはダメです。ちゃんと報告しないのならやりません」

「この真面目くんめ…」


 ザコルがまた私の背後にスッと回り込んでサッと腰に手を回す。再び動けなくなった。


「あの、さっきから何でベタベタ触っ…」

 髪に頬を擦り付けられる。

「ミカに人前では触るなと言われたので控えていましたが、触っても触らなくても責める者はいますし、僕が損するだけのような気がするので好きに触る事にしました」

「な、なな、なん…」

「最初からこうすれば良かった。ずっと持っていれば誰にも触られずに済む」

 すーりすりすり。耳元で話さないでほしい。力が抜ける。


「口下手変態魔王の調子が戻ってきたみたいで良かったすねえ」

「な、何も良くない…っ、このままじゃ心神喪失する…っ」

 首をブンブンと横に振り、腰に回された手を外そうと四苦八苦する。


「ミカ様、私共はそろそろ…」

「そうねカファ、では失礼いたしますミカ様」

「俺らも行きましょうか」

「そうだなエビー。報告書を書かねば。お二人はごゆるりとお過ごしください」


「ちょっ、ちょっとみんな! この状況で置いていかないでよお!!」

 ぞろぞろと部屋を出ていく皆の背中に手を伸ばしたが空を切り、扉は無情にもバタンと閉められた。



つづく

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