叱る人間は多いほどいいってことで
「到着早々素晴らしいものを見ましたな」
「推しの嫉妬と拗ねと束縛からしか得られない栄養素がここにある…!」
「うるさいぞお前達、鍛錬は怠ってないだろうな」
雪玉が飛んで「うひょおおおご褒美いいいい」という同志達の声が薮から聴こえる。
どこから見ていたのか、声と気配からしてセージとドーシャはいる。ジョーとワットもいるだろうか。
アロマ商会会頭セージはユーカとカモミを、アーユル商会若頭のドーシャはピッタを、ダットン商会会頭のワットはルーシを、ピラ商会会頭のジョーはティスをそれぞれ迎えに来ているはずである。
ちなみに、ドーシャはピッタの兄、ジョーはティスの兄でもある。それ以外の若くて頼り甲斐のある独身商会リーダーと女子スタッフ達の間にフラグらしきものの存在は一切感知できたことがない。リーダー達が猟犬殿に首ったけすぎるせいだと思う。つくづくうちの彼ピは罪な存在である。
「野次三人衆も同志も、 ダイヤモンドダスト見たっつうのに全っ然通常運転だな……。俺ら、初めて見た時はあんなに動揺しちまったのによお」
「思うに、ミカ殿という存在を完全に神と信じて疑っていないせいではないだろうか」
「なるほど。『公式』っすもんね」
何がなるほどなのかとツッコみたい。あと私は野次三人衆の『公式』ではない。
「何をのんびりしているのですか。身体を冷やされないうちにさっさと屋内へその聖女を運びなされ」
主治医の指示で、ザコルがさっと私を抱き上げガッチリホールドする。抵抗する間もなかった。
「魔力にはまだまだ余裕がありそうだ、浴室に水は用意されているのでしょうな?」
「はい。樽に井戸水か雪が詰められて置いてあります。使用人用の湯船のない洗い場にも穴熊が湯船を増設しましたから、湯は好きなだけ沸かせます」
「よろしい。さあ急いで」
ドナドナされて来たばかりなのに元気な主治医である。年寄りをいたわれとか言ってたのに。やはり、医者とは体力というかスタミナがものをいう職業なのだろう。
「ミカ様、お訊ねしますが、朝から今までにどの程度魔法を使いましたか」
「ええと今日は、起きてすぐにフラッペ作って、鍛錬始める前にメイドちゃん達が仕事で使ってる洗い桶やタライを片っっっ端から温めました」
片っ端、という言葉に力を込めてみたものの、シシがジト目を解くことはなかった。
「桶やタライ、まさかそれっきりで? あなた様の魔力量や回復力を考えたら、その程度では消費しきれないと分かっているでしょうに!」
「え、えっと、いつもはもう少し早くお風呂沸かすんですが、今日はちょっと時間が押してまして」
「だったら出迎えなどなおさら後回しにすればよかったのです! いい加減にご自分の体調を優先させる癖をつけていただかなくては! 無茶をして医者にかかるより、かからぬよう普段から養生することが肝心で」
くどくどくどくど。移動中もずっと怒られている私である。
「シシ殿。よろしければ、ミカ殿のご体調管理に関しまして、我々にできることをご教授いただけませんか」
「魔力の管理という意味であれば、側付きにできることなど一つしかない。朝から晩まで、この方がどの程度魔法を使っているかつぶさに観察し、把握しておくこと。それに尽きます。それでも測れない時は本人に訊くしかありませんが、曖昧な返答をするようなら尋問にかけでも必ず吐かせなさい。君は確か尋問が得意だったはずでしょう、タイタ君」
「しかと心得ました」
尋問魔王の一番弟子、一級尋問官候補が胸に手を当ててにっこりと一礼する。本気っぽい。正直に言わないと本気で尋問されるっぽい。シシはその反応に溜飲を下げたのか、コホン、と咳払いをして説教を一旦切り上げた。
少しホッとしていたら、ザコルが口を開いた。
「シシの言う通り、魔力過多に関してはまだまだ認識が甘かったですね。周りも魔力枯渇の方に敏感になりがちでしたし」
「っすね兄貴。魔力過多ならその辺の雪とかで適当に解消してくれりゃいいんすけど、姐さん、敢えてギリギリまで貯めてますからねえ」
ぎくう。
一度引き下がったシシが再び眉を寄せた。
「敢えて、ですと? まさかまた無茶な検証実験を?」
「いんや、検証とかじゃねえすよ。でもうちの姫は、助けた魔獣の調子が悪くなってもまたアレができるようにとか、本調子じゃねえ魔獣達にいつでも魔力やれるようにとか、また瀕死の魔獣が来ても助けられるようにとか、そーいうことナチュラルに考えちゃうタイプの人なんで」
……そう、もし『その時』に魔力が足りなくて助けられなかったら。
あの時は、たまたま魔力が満タンだったからよかった。少々やりすぎはしたものの、魔力が足りなかったら治療も中途半端なところで終わっていたことだろう。
あれ以来、日中は魔力をなるべく貯めておかなければという気持ちが芽生えてしまったのは否定しない。魔力過多による不調も、原因が分かっていればある程度は耐えられる。
私のした処置は、彼らの身体に蓄積した呪いのような『凝り』を完全に消し去ることではない。あくまで大量の魔力を浴びせかけ、要因となる凝りを薄めて流しただけの『力技』だ。
ミイやミリューは『たぶん大丈夫』と言っていたが、そんな洗剤を誤飲した後に大量に水を飲ませるみたいな処置だけで、解毒だか解呪だかが完了するとはやはり思えない。っていうかたぶんて何だたぶんて。
闇の力や凝りを完全に消し去れる『浄化』の使い手であるジーロも治療に加わることにはなっているが、彼の魔力量からいってあの数の魔獣達を一度に治療することは不可能だ。まだ魔法能力を発現させたばかりで、一度は昏倒もしている彼自身の体調も見ながら慎重に進めなくてはならない。彼には地下遺構の浄化というミッションもあるしな…。
「……………………」
黙り込んだ私に主治医の視線が突き刺さる。
「あれからまだ三日だもんな、心配する気持ちも一応解るんすよ」
「ああ、我らの姫様は、お優しさゆえにご自分を犠牲になさる。魔獣のジョジー殿のお言葉を借りるならば、お優しさゆえに『簡単に自分を溶かしてしまう』性分のお方なのです。だからこそ尋問してでも聞き出せというシシ殿のお言葉には、こちらの覚悟こそが足りなかったのだとただ痛感するばかりでございます」
尋問官は何かの覚悟を決めたらしい。
「ま、叱る人間は多いほどいいってことで。ほーんと、いいとこに来てくれましたよお、先生」
「嫌味か!?」
くわっ。無理やり荷台に詰め込まれてここまできたシシが目を剥いた。
「…コホン。ミカ様。先ほども申し上げましたが、あなた様はまずご自分の体調を優先させる癖をつけていただきたい! より多くを救うことも大事だろうが、あなた様が倒れられては結局何の救いにもならないのですから」
「はい。次は必ず気をつけます」
「ほう? 初めて真剣な顔をなさいましたな」
ジト。
「ずっと真剣に聴いてますよ。救えないことも怖いですが、さっきみたいに魔法が暴走する方がずっと怖いので…………よかった、誰も怪我しなくて、本当に……っ」
「ミカ様……」
ポンポン、ザコルが私の背中を宥めるように叩く。一番魔力過多を甘く見ていたのは私自身だ。
「ミカ、朝の鍛錬の前後などで、まとまった量の湯か氷を用意する習慣をつけてはどうですか。シータイでの鍛錬イベントの時は、毎回樽を運び込んで参加者のために湯を用意していたでしょう」
シータイには入浴小屋という公衆浴場の存在もあった。感染症など二次災害の予防のためにも避難民を中心に入浴を推奨していたため、夕方に一度といわず一日に何度も湯を沸かしに行く必要があった。寝込みでもしない限り、魔力過多に陥る可能性は非常に低い環境だった。
「でもよう兄貴、この気温じゃ外で湯使うのも危ねえすよ、参加者の顔が凍っちまう」
「ふ。君も雪国の暮らしに随分と慣れましたねエビー。例えばの話です。あれに代わるような習慣があればミカも続けやすいと考えたのですが」
「習慣か、確かにそーすね。朝こなしちまうのは賛成っす。夕方風呂沸かすとかだと、今日みたいに何か起きた時に後回しにされがちだもんな」
「樽を使ってくれると管理もしやすいです」
「へへっ、それもそーすね」
その辺の雪を適当に凍らせて溶かしてを繰り返しておけ、と言えば済むものを、護衛達もシシも、私の『せっかくなら有益なことに魔法を使いたい』というエゴを尊重してくれるつもりのようである。というか、今風呂場に連れて行かれようとしているのもその一環か。やさしいな…。
子爵邸内の風呂という風呂を沸かし、その日起こしていた頭痛は完全に晴れた。
つづく




