粋なことを、いやエコなことを考えるもんだ
陽が山に落ちかけ、夕暮れ色に染まる雪景色を目に入れつつ、きちんと踏みしめられた雪道を歩いて正門に向かう。
西の空は晴れているが、山あいの天候の変わりやすさ、読みにくさはこの二ヶ月で随分と思い知った。
「……でも、西にあるサギラ領の天気が判ればある程度は」
「ミカ、天気について何か懸念でも?」
隣を歩くザコルが私の顔をのぞき込む。
「あ、いえ。気象予測について考えていました。この世界が地球と同じような惑星なら、天気は西から変わるはず…と思いましたが、偏西風の影響があるのは日本とか、一部地域ならではの条件かもしれません。ただ、雲の動きを観察して、その風上にあたる地域の天気をリアルタイムで観測できれば、数時間から十数時間後の天気はざっくり予測できるかもしれないなと」
穴熊に調査に行ってもらった際には、各地域の天気を聞いてみるのも面白いかもしれない。
「明日の天候など、まさに神のみぞ知る領域ですよ。ミカは本格的に神を目指すつもりですか」
「まさか。それを言ったら神の領域に一番近いのは彼らでしょう」
私は、まだ壁に群がって修理している人々の方を見遣る。
「次に近いのは、雲より速く走れそうなザコルですね」
例えばゲリラ豪雨がくるぞ叫びながらと、ゲリラ豪雨のエリアを突き抜けて風下に向かって走る。理論上は可能な方法である。
しかも、単に足の速い一般人であれば風下地域への道が整備されていることなどが条件となるが、ザコルは違う。どんな山岳地帯や未開の森だろうとも直線で突っ切れる彼ならば、神がかった気象予測も充分可能だろう。
ガヤガヤ、キャラバンの周りにはたくさんの人がいた。中身の検めや手続き、やってきた客人を案内するため、騎士や使用人達が大勢出動している。
離れたところでそれを見守るオーレンを見つけたので、声をかけてみることにした。
「気象予測だって?」
オーレンが瞳を瞬かせる。
「ほら『彼ら』がいれば理論上可能じゃないですか。試したことはないのかなと思いまして」
「あー、そうだね。結論から言えば、試したことはあるよ」
「あるのですか?」
意外そうに言ったのはザコルだ。
「まあね、人命に関わることだから。領内という極めて狭い範囲にはなるが、実験は何度かしたことがある。ただ、山あいの天気というのはそう簡単には読みきれないものでね。山の上と下ではもちろん、平野部でもほんの少しの条件の差で全く違う天気になることもザラだ。我が領はね、局所的な天候不順がとにかく多いんだ。それを予測しきるには衛星でも飛ばさない限り無理かもしれない、いや、もしかしたら衛星を飛ばしても無理かもしれない、ということが判っただけだった」
えいせい…。ザコルはつぶやいたものの、突っ込むことはせずに一歩下がった。この世界には存在し得ないものということは察したのだろう。
「それ以外にもね、北の城壁に詰めている騎士達の日報から、天気に関する記載だけを抜き出して表にまとめて、僕なりに分析してみたりもしたんだ。だけど、そこまでしても、山裾に長年住んでいる年寄りの予言以上の予測はできなかったよ」
はは、と困ったように笑ってみせるオーレンだ。
「日報のデータは何百年分もあるから、なるべく活かさないともったいないと思ってね。百年、二百年と記録をさかのぼってみると、今とは若干気候も変動しているようだ。過去の火山の噴火や地震なんかの記録もあった。ただ二百年以上前にもなると資料の劣化が激しくて、古語による記録も断片的にしか読めなくて……」
季節や場所ごとに現れやすい気象現象や大まかな風向きなんかは分かるから訊いてくれ。とオーレンは胸を叩いてみせた。
「今回の水害、予測できなかったのは悔しいよ。ツルギ山の方で雨が続いていたのは把握していたのに。ジーロが詳しく調査していると思うけれど、先に起きていた土砂崩れによって水が堰き止められ、一時的にダムのように溜まってしまったのが決壊して、一気に水と土砂があふれたんだろうと僕は考えているよ。こうなっては君の提案通り、砂防堰堤を作った方がいいと思う。山の民達も地道に植樹したり森の手入れを頑張ってくれてるんだけどねえ、前時代に失われた森はまだ完全には戻ってないからさあ。山の地形をいじることになったらどこまで彼らが許してくれるか…」
「オーレン様、砂防ダムには詳しくないんじゃなかったんですか?」
「どういう働きをするものかは知っているよ。でも仕組みうんぬんにまで詳しいわけじゃない。君は元の世界で実物を見たことがあるかい?」
「いいえ。社会の教科書にあった写真くらいでしか」
実は小学校の社会科見学で行く機会があったらしいが、不登校だった私は行き損ねていた。
「僕もそうなんだよね。どの程度の強度が必要かも判らないし。土砂を受け止めるんだから、山を掘削して基礎からしっかりと造った方がいいのかなとも思うんだけどさあ、そこまでの大工事になったらさすがに山の民が怒るよねえ。あとそもそもだけれど、そんなにたくさんの鉄筋やセメントが用意できるとは思えない。それを使わない、こっちの世界でも実現可能な砂防ダムっていうのにイマイチ見当がつかなくてさあ…」
私は、以前ザッシュにもした、三代前のオースト王が行った治水工事の話をすることにした。川の流れに対して石垣的なものを築いたり、丸太を組み合わせて作るといった原始的なものだ。
「へええ、丸太に石積み、そんなことでいいんだ」
「強度という面ではコンクリートの構造物に及ばないのではと思いますが、この時に作られた石積みの堰堤はまだ機能しているらしいのでご参考までに。テイラー邸にその辺りが詳しく書かれたかの王の伝記がありまして、ザッシュ様に閲覧許可をくださるようにとセオドア様に届けは出してあります」
じっ。オーレンが私の顔をのぞき込む。
「……君って何なの、どうしてこっちの人間より歴史に詳しいの? というか手回しが良すぎない?」
「何度でも言いますが、テイラー邸の蔵書が粒揃いだったんです。それからまさかこんなに早くテイラー家に行かれるとは私も思ってなくて、慌てて文を出しましたよ。同志に託したのでかなり前に届いているとは思いますが」
本当に最近まで日本人をしていたのか、という疑惑の目をかわす。本当なので仕方ない。
「ええと、イーリア様からザッシュ様と穴熊さん達を手駒にと言われた時は、領内の土木事業に私を絡めたいのかなと勝手に解釈していましたので、何とか灌漑施設なり防災施設なりの有益な知識を頭から捻り出そうとしたんです。その時にテイラー邸で読んだ過去の治水工事例を思い出しまして。私も、こっちの世界で鉄筋コンクリート製の堰ができるとは思いませんでしたから」
「できはするさ。だが、材料の問題がね」
「セメントはともかく、鉄は曲者がせっせと運び込んでいますから、シータイに行けば山ほどありますよ」
ぱちくり。瞳を瞬かせたオーレンは「ふはっ」と吹き出す。
「山ほどか。それで足りるってんなら鉄筋コンクリート製の堰堤にチャレンジしてもいいなあ。曲者が持ち込んだ武器で堰を作ろうだなんて、君も粋なことを、いやエコなことを考えるもんだ。次は鉄を打つための燃料問題だなあ…。これ以上無茶な伐採はできないぞ」
「土砂崩れで、樹もかなり倒れたとラーマさんが言ってましたもんね」
ラーマとは山の民の神官で、ツルギ山の樹々の手入れもしている御仁である。たまたま濁流で山の民の父子を助けた後から行動を共にすることになり、カリューからの避難民を彼らの荷馬車で運んでもらったりもした。
ちなみに、私を巫女か何かに祀りあげよう会の手先である。世話にはなったが要注意人物だ。
「領として、何年か、いや何十年でもかけて取り組むべき事業になる。燃料といえば、炭も安定して作れるようにしていきたいんだ。焼き鳥のためにもね!」
「それはぜひ、炭火しか勝たんですからね!」
やっきとり、すっみっび、と私とオーレンが盛り上がっていたら、突如膝がカクンと曲がった。
がく、私とオーレンは同時に雪上へと膝をつく。
「うっ、なっ、何が」
「ザコル、膝カックンするだなんてひどいじゃないか!」
「僕は何もしていません」
ケッ、という吐き捨てるような声に顔を上げれば、夕暮れの光に映えるダークブラウンの髪に、美しいエメラルドの瞳が目に飛び込んできた。
「相変わらず調子こきやがって。いつまでガキのつもりだボケ」
カップケーキみたいな美少女から放たれる、聴き慣れた低音ボイス。
胸を貫く毒舌に、じわりと目に熱が集まるのを止められなくなった。
つづく




