うーむ、これが母性か
本日の鍛錬は、カズ師範による合気道レッスンがあった。
この世界、女性は、というか特に貴族の女性は裸足をさらしてはならぬというルールが存在するが、合気道師範という肩書きを背負った彼女が自身の信念を曲げるなどあり得ない。つまりいくら寒くとも道場では絶対に裸足だ。華奢で小柄な女性ながら、佇まいには風格が漂う。彼女が構えた瞬間、その場の空気がピリッと引き締まった。
「もうもうもう、うちのカズったらカッコいいわあ!」
きゅーん、とばかりにロットが自分の頬を両手で押さえる。
「ええ、やはりアイキドーをするナカタは素晴らしいですね」
ザコルの目もキラキラだ。正直嫉妬も感じるがこれは仕方ない。私も努力はしているが、まだまだ付け焼き刃の域を出ないことは自分でもよく解っている。後輩の彼女が長年積み重ねてきたものに張り合おうということすら烏滸がましい、そう思い知らされる姿だった。
場所も道場だし雰囲気ピッタリだとそういう意味で気分が上が…っているのはオーレンと私だけだったが、もとより男女の垣根なく人気の講座である。大勢の人が道場で所狭しと広がり、真剣な表情で技を繰り出す様は圧巻であった。
「今日の鍛錬はここまでぇ! 合気道は礼に始まり礼に終わりまぁす。一緒に鍛錬した人と道場にお礼言うよぉ。ありがとうございましたッ!」
『ありがとうございました!!』
少々間の抜けた説明とは裏腹に、礼の姿勢と声の張りはやはり『師範』のそれであった。
「せんぱぁい、惚れました? 惚れました?」
「うんうん、もーほんとカッコよかったよ師範」
べり。
「ミカ様、今日はお約束ですからね、一緒にエプロン作りましょうね」
「ふへへそうですねミリナ様」
べり。
「氷姫様! 私との約束はいつ果たされるんですか!? 衣装のピックアップは済んでるんですけど! 細かいサイズ計らせてください! まずは腰回りと胸の」
「ひゃ、あんっ、マヨ様、ちょっ」
べり。
「行く? 行っちゃう?」
「駆除されに?」
「ふふふふふふ」
「なにやってんだよかーちゃんたちは。せーじょさまはだきついたほうがよろこぶからはやくいけよ」
「息子が理解ありすぎてつら」
『ミカ様ぁ〜!』
『あっ、先越された!』
商会女子とララルルが同時に押し寄せてきた。
順番に抱きついてくる彼女達を、順番にベリベリとはがすザコル。握手会を仕切る黒服の人だろうか。
「……僕はここで一体なにをしているんだ…?」
「ははは、精が出るなザコル」
「しぇーがでゆ!」
リコを肩車したジーロがザコルを笑いにきた。
「俺達も並ぶかリコ」
「なやぶか!」
「あはは、おいでリコ」
ジーロの肩から、私の腕にリコが降りてくる。力強い動きをする彼女の身体は想像していたよりずっとやわらかい。しっとりとした重みに、じわりと愛しさが込み上げる。
「ぎゅー」
「ぎぅー」
二歳児は短い両手を私の首に回し、ひしと私にしがみついた。あったかくって幸せだ。この気持ちが母性か。
「はがさんのか?」
「はがせるわけないでしょう!」
「ははは、お前はやさしいなあ」
イライラしたように言うザコルに、ジーロはまた笑った。
「うちのがすまんな、ザコル」
輪に加わってきたのは、マヨの首根っこをつかんだサンドだった。
「サンド兄様はそれをしっかり縛っておいてください」
「ついに『それ』呼ばわりですかコリー坊ちゃん!」
「マヨ義姉上。次は容赦しませんからね?」
じろ。
「ザコルも私の腰や脇をぺたぺた無遠慮に触ったことありますよね?」
「そっ、それは」
じと。
「リコ、次は誰に肩車してもらう?」
「えび!」
「お、ご指名すか。どーぞどーぞリコ様」
エビーはかがんで私に肩を近づける。リコは私の腕からエビーの肩へと器用に移っていった。
「さあ、ザコルの番ですよ。ほら、おいで」
私が両手を広げると、ザコルはウッとうめいてたじろいだ。じわりと赤らむ頬や耳を見ただけで、ほわほわとした多幸感が込み上げる。うーむ、これが母性か。
鍛錬はお開きになり、仕事のある使用人や騎士達は持ち場に戻っていった。今は、タイタからダンスの講義を受けるイリヤとゴーシを微笑ましく見物するギャラリーだけが残っている。
マンドリンみたいな楽器を持ってバックミュージックを演奏し始めたのは、なんと子爵邸警備隊隊長ビットであった。彼もまた母性か父性か知らないが、いかにも幸せそうな顔で坊ちゃん達を見つめていた。
「公式聖女様」
「あら、マネジさん」
うやうやしく一礼した深緑ポンチョの人を振り返る。今日もザコルそっくりだ。
「どうやらうちの会員がご迷惑をおかけした様子です。大変恐縮ではございますが、ご都合のよろしい時に謝罪と事情説明の機会をいただけますでしょうか」
「堅い…」
思わず口をついて出てしまった。
「もっ、申し訳ございません!」
「いえ、待ち伏せ土下座はどうかと思いますが、マネジさんはもう少し気安くしてくださって結構ですよ。だって『同志』じゃないですか、私達」
「おっ、畏れ多うございます」
…マネジも、私のことは内心そこまで畏れていない気がするのだが。大方ローリとカルダに仲立ちを頼まれたのだろう。午後のエプロン作りの後に声をかけると私は約束した。
つづく




