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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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34/566

完成度が高い

「よおし、収穫もあった事だし、今日は解散だ! 町外から来ている者達はさっさと帰れ! 明日も早朝からここで訓練を行うぞ! 希望者はこの放牧場に集まるがいい!!」


 うおおおおおおおおおお!!


 群集はもうひと歓声を上げた。

 そして町民や避難民が素直に町に戻り始めると、町外から来た者達もぼちぼちと解散し始めた。

 そういえば今、女帝自ら猟犬ブートキャンプの勧誘をしていたような…。


「義母上、あまり人数を集められても面倒を見きれないのですが」

「私も参加しよう。ミカの実力も気になるしな」

「私、武器を持ってたった二日ですよ、イーリア様にお見せする程の腕では」

「コマ殿から筋がいいと聞いている。彼のお眼鏡に叶う者などそうはいまい」


 コートの裾をちょいちょいと引っ張られて振り返る。噂をすればコマだ。

「姫、ちょっと来い」

 そのまま裾を引っ張られて山の民ウォールの中に入れられる。

「俺と外套を交換しろ」

「へ、どうして」

「早くしろ」


 有無を言わさぬ様子に、肩掛け鞄をザコルに預けて素直にコートを脱いで渡す。

 コマから渡された山の民のローブをかぶると、ザコルが素早く私の髪を解いて結び直し始めた。


「え、え? 何、何何何?」


 コマの方は自分でポニーテールを解きシンプルなハーフアップに結い直す。逆に私はポニーテールにされてしまった。


「よし、赤毛、金髪。俺について来い。姫は真っ直ぐ屋敷に戻れよ」

「え、えええ?」

 もはやオロオロするしかない。

 それにしてもハーフアップのコマ滅茶苦茶可愛いな。思考がとっ散らかる。

「なるほど、了解す」

「な、何を、俺達はミカ殿のお側を離れるわけには」

「コマさんが稽古つけてくれるんすよ。実地で」

「実地…?」

「そういう訳だ。行くぞ」

 オロオロするばかりの私を置いて、彼らはタイタを引きずって山の民ウォールから離脱していった。



 コマとエビーとタイタの三人は、山の民ウォールから出た所で小芝居を始める。


「ミカさん、ザコル殿はイーリア様とまだお話があるそうなんで、俺らは先にテント戻ってましょうよ」

「うん、そうだね。先に休んでよっか。今日は皆お疲れだもんね」

 うーん、と腕を上げて伸びをするコマ。

「コ、いや、ミミ、ミカど、の? え?」

「タイタも緊張したでしょ。あ、先に井戸に寄ってもいい? 顔とか拭きたくてさ。見てよこの冷や汗。ふふ」

「緊張してるようには見えなかったすけどねえ。でも集まった人達が解ってくれて良かったすね」


 くる、と私みたいなコマと護衛二人が踵を返して放牧場から出ていく。

 本物の方の私は、山の民ウォールの隙間から覗くようにその後ろ姿を見送った。


「か…っ、完成度が高い…っ」

「流石だ。目の色を見なければミカだと疑う事もないだろうな」

 イーリアが満足そうに頷く。


 コマとテイラー騎士コンビの三人はいないが、屋敷からこちらに来た時と同じフォーメーションで歩き出す。


「うーん。私もちょっとは擬態しとこうかな。…コホン。おい猟犬。屋敷に戻ったらカードゲームでもしようぜ!」

「コマ、僕とはゲームなぞ金輪際しないと言っていただろう」

「ええー」

 出鼻を挫かれた。

「ふふ、コマ様。屋敷に戻ったらまたホットミルクを淹れましょうね」

「マー…ちょ、町長っ、ふん、よ、よろしくだぜ!」

 後ろを歩くマージと使用人マダムが笑いを噛み殺す。

「コマ様、私達も一緒に戻りますから。美容の秘訣をお教えください」

「お前ら若えからいいだろ、わた、お、俺がそんな事気にして生きてるように見えんのか!」

「ふ…っ、うふふふ、コマ様はちゃんとしていそうですよ」

「ミカ様は意外と無頓着そうですよね…っふふ」

 女子に無頓着なのバレてる。


「意外も何も、見るからに無頓着でしょう。ブーツを履いたまま寝かけたり、人前で号泣して鼻水垂らしてたり、顔に牛乳つけてたり…」

「ちょ」

「寝着のまま廊下に出ようとしたり、高級宿のラウンジで酔っ払って歌い出したり、そのくせカーテシーと言葉遣いだけは高位貴族令嬢並みの練度というタチの悪さ…」

「ちょちょちょ」


「猟犬様の方にも色々とご苦労があるんですね。さっきのやりとりに普段のお二人の関係性が見えました」

「よく考えたら分かる事でしたね。あのミカ様が猟犬様の好きにばかりされているわけないわ」

 女子達が頷き合う。


「僕の心労が解ってもらえて何よりです」

 女子達の反応に満足そうな猟犬を横目に見る。


「…ふーん、良かったな。今日くらい優しくしてやろうかと思ってたのによぉ」

 集中して声のトーンを下げる。

「…罵られるくらいが丁度いいと言っただろう。だが仕事をこれ以上増やすのはやめろ。真剣に監禁を検討するぞ」

「はん、あの女にできることなんざ知れてんだろ。風呂の準備に、ジャム作りだったか。焼石に水くらいにはなるかもな。だが、必死に何かやってりゃヤル気になる奴もいんだろ? 健気であどけねえ娘、この冬の間だけでも演じきってやるさ」

 ニヤリとザコルを見上げる。

「……タチが悪い」

 ザコルが片手で眉間の皺を揉み始めた。

「皺なら俺様が揉んでやろうか? 猟犬の坊ちゃんよお」

「調子に乗るなこの『もどき』が!!」

 ザコルがキレた。すーん。全然怖くないもーん。


「す、すごいです! 今のは完全に…」

「それ以上言うんじゃねえ。さっさと屋敷に戻るぞ。次は患者共を静めて回んなきゃなんねえからな。続け、女子共!」

「つっ、ついて行きますミ…コマ様!」


 ザコルの隣を離れ、同志村陣の先頭に出よう…として、カファとドーシャの様子がスルーできずに並んだ。

「…おい、その黒子はどうした」

 苦笑するカファに手を引かれた黒子は、まるでゾンビのようにゆらゆらと歩いている。

「猟犬様の演説が始まってすぐ黒子を被って心身を防御していたのですが、演説が終わる辺りで無事昇天しまして…」


 そうだ、壇上から見えた同志も残らず心神がどこかに出張していた。きちんと同志村から部下達が回収にやってきたようだが、危ないからテントで待機していろと言われたのに相変わらずだ。


「いやあ、テイラー家への侮辱に放った圧も格好良かったですが、やはり『僕のミカ』がとどめでしたね。若頭じゃないですが、私ものぼせ上がりそうでした!」

「カファ…君は冷静でいてください。僕の事は変態だとでも思ってくれて構いませんから。実際ただの唐変木で…」

「ご謙遜を! あの荒々しい男達相手に一歩も引かず! 堂々たる『俺の女』宣言! そこに痺れる憧れるッ!!」

 カファは元がコミュ強なので、明るいオタクになりそうだ。

「あいつらは身内みたいなものだからあんな態度が取れたんです。お願いですからこれからもまともに話のできる君でいてください」


 ザコルはカファを狂信者にしたくないらしく、真剣に懇願している。心配しなくともドーシャのようにはならないと思う。

 元々カファは、部下代表として私達相手でも臆さず堂々と接してくれている。そして、リーダーであるドーシャにもあまり遠慮がない。というのも、他の商会では各々のリーダーである同志に気を遣い、あまりザコルに馴れ馴れしくしないよう線引きしている感じがするのだ。


 そりゃそうだよね、自分とこの社長が心酔しすぎて喋れてないのに、それを差し置いて親しくなんかできないよね…。


 よって、カファは同志村でザコルとまともに喋れる唯一の男性スタッフだった。




 町長屋敷まで送ってくれた山の民集団は、再び玄関の前でザッと膝を付き、お二人が必要とする時にはまた必ずお力になりましょう、と口上を述べて闇に溶けて行った。あ、ローブを返すのを忘れてしまった。また次に会った時に返す事にしよう。


 騒がしい群衆が去ったはずの町長屋敷だが、全く静かになっていなかった。今まで屋敷の外の喧騒が激しくて気にならなかっただけで、二階に収容された軽傷患者達はまだ新聞片手に大騒ぎしていた。


 イーリアが湯浴みをすると言うので張り切って魔法で湯を沸かし、メリーに言って牛乳を出してもらってそれも沸かした。

 同志村女子にも協力してもらい、各部屋にホットミルクを配りながらザコルと説明して回る。大騒ぎはしているものの、先程の暴動寸前の群衆と違い、いくらかすんなりと話を聞いてもらう事ができた。どうにもならなかったら後でイーリアに一喝してもらわなければと思っていたので、私達だけでなんとか納得してもらえたのは良かった。



「残念ながら若頭、私の目では全く猟犬様の動きが追えませんで、何だか分からないうちに人が倒れて続々と捕まったとしか…」

「お、思い出せカファッ! 最後にそんな捕物劇があるなら心神喪失なんぞしている場合じゃなかった…ッ!!」


 私達と同志村女子達は、メリーの案内で一階の広めの一室に入った。大きなテーブルに全員が座れるだけ椅子が用意されており、部屋の奥では我に返ったらしいドーシャがカファに言い募っている所だった。


「ミカ様の演説に割って入られて、お二人で口喧嘩を始められたのも面白かったですよ。喧嘩する程仲が良いってこういう…」

「一言一句書き起こしてくれカファァァァ」

「泣かないでくださいよ若頭。一言一句だなんて私にゃ無理ですよ。タイタ殿にお願いしたらいいと思いますけど」

「しっ、執行人殿は恐ろしいお方なんだぞ! そんなお願い事などすると考えただけで心の臓が潰れる…ッ」

「若頭にはそう聞いてましたけど、彼、紳士で優しそうなお方じゃないですか。類い稀な記憶力があるって聞きましたよ」


 ドーシャは一度軽微な規律違反を起こして死にそうな顔をしていたとピッタが言っていたので、きっとタイタの恐ろしい一面を見てしまった事があるのだろう。


 そんなドーシャとカファの様子を呆れたように薄目で見るピッタ。


「恥ずかしくないんですかねえ…。私は部下としても妹としても非常に恥ずかしいんですけど」

「ふふ、演説中、やけに静かだなあとは思ってたんだよね。ねえ、群衆に他の同志が混じってたの気づいてた?」

「えっ、うちの筋肉…じゃなかったリーダーもいました⁉︎」

「うん、多分全員かな。私が話し出す頃には全員心神がどっか行ってたみたいだけど」

 ザコルに限って、堂々とした演説姿なんて滅多に拝めないレアシーンだったことだろう。心身喪失もやむなしだ。 

「えええー…。今度こそ危険だから絶対テントから出るなって念押しされたという話だったのに…」

「もう本当に恥ずかしいわ」


 この女子達は私経由でザコルとも話すようになったので、今更各自の筋肉…いや、リーダーに遠慮する事はあまりない。

 ピッタも含めて五人。部下全体の人数に対して少ないようだが、同志村の女性スタッフはこれで全員だ。


「ドーシャ」

「ファヒョウッ」


 背後からザコルに声をかけられ、黒子が飛び上がった。

「毎度毎度、その変な掛け声は何なんですか。あまりカファに迷惑をかけないように。聞いていますかドーシャ」

「フファファヒョッフォファッ」


「猟犬様。お気遣いありがとうございます。私これでも、この若頭の相手は楽しんでおりますよ」

 完全にバグった黒子の代わりにカファが答える。


「今回だって元の仕事放っぽり出して支援部隊に参加するなんて思い切った事、この若頭とじゃなきゃできなかったでしょう。不謹慎かもしれませんが、こんなに貴重な経験、普通に仕事してたら絶対にできませんでしたから。若頭についてきて良かったと思ってます!」

「カ、カファァアアア」

 黒子がまたしても涙声になった。


「もう聞いてくださいよ。この若頭ったらね、エリア統括者殿からの手紙握り締めて帰って来たかと思ったら、説明もロクにしないまま物資かき集め始めて、ピッタと私に野営の荷物をまとめろと言い残して飛び出て行っちゃうし、道中、荷馬車の御者席でうるさいくらいに大興奮してたのに、この領に入った途端若頭も他のリーダーも皆使い物にならなくなっちゃって。仕方なく門の目前で部下だけで集まって緊急会議を開いたらですよ、たまたま道案内がてら先頭を走ってただけのうちの商会が代表という事にされてしまって! こんな零細商会の何の役職もない私がどうしてこんな大商隊の代表としてご挨拶する事になってしまったのやらと、しかも噂の猟犬様と一番最初に話すのが果たして私でいいのか!? とドキドキしておりましたら、たまたまいらっしゃったというイーリア子爵夫人様とまでお話させていただく事になったではありませんか。いっやあ、緊張しましたよ! 猟犬様もイーリア様もオーラが全然違うんですから! 貴族の方ってどうしてこう皆さんお綺麗なんですかね!? いやはや、人生って本当に何があるか分からなくて面白いですね!!」


 とにかく明るいカファの様子に、ザコルが眉間の皺を揉みだした。

「……とんだ苦労をかけましたね、カファ…」

「いいえ! とんでもないです! むしろ刺激的な日々をありがとうございます!」


 ザコルに労われるカファの横で黒子が小さくなっている…。

 カファは割と本心から楽しく語っているようだが、実際は本当の本当に大変だったのだろう。ただただ彼の強メンタルに支えられて今の同志村があるという事はよく判った。


「ねえピッタ、前から思ってたけど、お宅のカファは凄いね。有能だし、順応力高いし」

 ピッタは苦笑気味にお礼を言った。

「我がアーユル商会はカファがいないと成り立たちません。今物資調達のために出払っていますが、御者兼配達担当のヴァンという者も入れて四人だけの商会なのです。私も含め、皆幼馴染なんですよ」

 ピッタが苦笑しながら教えてくれる。

「幼馴染! いいね、普段はチッカで乳製品を取り扱ってるんでしょ、モナ領生まれなんだよね?」

「はい、そうです。山麓の町で一緒に育ちました」

「山麓の町! 私達一泊したんだよ。登山者で賑わってていい町だよねえ」

「あ、ありがとうございます! 確かにいい町ですが、要人をお泊めできるような宿なんてありましたか? 現在うちの粗末なテントにお泊めしておいて何ですが…」

「あのテントは立派だよ、貸してくれてありがとうね。山麓の町ではエビーが可愛いペンション一軒貸し切ってくれたんだよ」

「ペンション…もしや、大きめのレストランの近くにある…」

「そうそう」

「カ、カファ! カファの実家の宿じゃない!?」

 ピッタが驚いてカファに今の話を説明する。


「なんと! 今度帰ったら兄に聞いてみないと!」

「あの若いご夫婦、カファのお兄さん夫婦だったかもしれないんだね。とっても親切にしてもらったよー。朝食のスープが絶品でね。出立際に、携帯食がわりにってクッキーを用意してくれてね」

「義姉はクッキーを焼くのが趣味なんですよ! 間違いなくうちの宿ですね! 何て奇遇な。エビー様にお礼申し上げなければ」

 クッキーは屋台の事を教えてくれた山の民の女の子達にあげてしまったが。あの時の山の民の子達は、きっとリラ達の集落とはまた違う集落出身の子なんだろう。クッキー、一枚くらい自分で食べたら良かったな、そうしたら今感想が言えたのに。


「奴にお礼など要りませんよ。エビーはあの町で僕達を待ち伏せていましたから、少なくとも一泊以上は一人で貸し切って優雅に過ごしていたはずです」

「ふふ、昼間はきっと私達を探し回ってたんでしょうから、いいじゃないですか」


 タイタとカニタはチッカであの広大なスイートルーム二部屋を男二人で貸し切っていたはずだし…

 む、タイタはともかく、カニタは許せんな。


「ミカ、皆にも牛乳を温めてやってくれませんか」

「イーリア様達をお待ちしなくていいんですか?」

 イーリアは入浴のため、マージはイーリアのお世話をするため、一緒に浴室に入っているはずだ。

「どうせまだかかりますよ。皆も体が冷えたでしょうし、そうだ、皆には特別に蜂蜜を出してもらうのはどうでしょう」

 なるほど、要するにザコルが飲みたいんだな。

「可愛すぎる」

「ちょっ、言葉に出さないでください。今朝も言いましたが僕のどこを見たら可愛いなどという言葉が出るんですか」

「え、そうですねえ、例えば」

「説明しなくていいです。メリー、牛乳と蜂蜜を用意してください。カップも人数分お願いします」

「かしこまりました」

 メリーが一礼して部屋を出て行く。


 くすくすと笑う女子達に、ニマニマとするカファ、何やら微振動している黒子に椅子を勧め、私達もようやく腰を落ち着ける事ができた。



 ワゴンの上で、鍋に入った牛乳に魔法をかける。ホカ、と湯気が立って、温めたミルクの独特な香りが漂う。

 マグカップを温めていたお湯をボウルにあけ、鍋から牛乳を注いでいく。


「ミカ、湯沸かしの魔法も随分とコントロールが効くようになったじゃないですか」

「そうでしょう、今のは沸騰一歩手前を目指しました。ザコルは蜂蜜たっぷりですよね」

 甕からスプーンで蜂蜜を思いっきりすくう。

「そ、そんなに!? 使い過ぎじゃないですか」

 席に座ったザコルが目を見開いた。かわ…。

「坊ちゃんなんだから特別でいいでしょ」

「坊ちゃんだからこそ遠慮してるんです」

「ふ…っふふっ、坊ちゃんだからこそね、分かりますよ、お客様が優先なんですね」

「そうです」

 あの真面目くさった顔。また笑ってしまう。


 思いっきりすくった蜂蜜を半分程度にまで落とし、垂れる蜜をくるくると絡めて止め、マグカップにとぷんと入れる。

「はい坊ちゃん」

「ありがとうございます」

 マグを差し出せば、ザコルがマグを手にし、スプーンの柄をつまんでくるくるとかき混ぜ始めた。


「ミカ様、後は私が…」

 ピッタがワゴンの持ち手に手をかけた。

「待って、まだ蜂蜜くるくるしたい! 皆の分も入れていい?」

「そんな、私達の分まで貴重な蜂蜜を使う事は…」

「坊ちゃんが遠慮しちゃうからさ。ご馳走になってあげてよ。ね、坊ちゃん」

「そういうことです。皆に振る舞わねば、僕がただ蜂蜜牛乳を飲みたかっただけのようになるじゃないですか」

「その通りなのでは?」

 ザコルが黙ってマグカップに口をつける。貴族の令息らしく、啜る音は立てない。

「アメリアにスパルタで仕込まれたマナー講習が活きてますねえ。とてもその辺の草を根ごと食べてる人には見えません」

 皆のマグカップにも蜂蜜を絡ませたスプーンをとぷとぷと入れ、配るのだけピッタにお願いした。

「今は、草は余程の状況でなければ食べません。僕は一応貴族の子息ではありますが、裏社会で育った期間が長いので茶会のマナーなどには疎いんです」

「そうですか。同じように裏社会で育ってそうなコマさんはそういうの完璧にできそうですけど」


 自分の分のマグカップをザコルの隣の席に置いて座る。

 元々この部屋は食堂だったらしく、いかにも貴族邸にありそうな長いテーブルに、両端に一脚ずつ、左右六脚ずつ椅子が置かれている。ザコルは上座と思われる奥の席から数えて三番目辺りに座っているので、イーリア達が来たとしても私の位置はここら辺で間違いないはずだ。

 同志村陣の面々はさらに下座を選んで適当に着席している。


「あいつは諜報専門なので、潜入のためにそうした技も極めているんです」

「ザコルに仕込もうとして失敗したような事言ってましたよね」

「ぼ、僕に、嘘と演技は向きませんから! ……いや、しかし、無駄と思わず、少しくらいは身につけておくべきでした」

「アメリアに怒られましたもんね」

「うぐ…その通りです。アメリアお嬢様に言われた通り、あなたと同席する機会があるかもしれませんから」


 眉間に皺を寄せかけたものの、すぐに、すん、と澄ました顔に戻って蜂蜜牛乳を上品に啜る。


「ミカの、素養は大事、いつ必要になるか分からないからという言葉は、今更ながら心に刺さる」

 もっと勉強しときゃよかったなあ、みたいな気持ちは異世界でも共通なのか。若い時に学ぶ機会があって初めて言える事かもしれないが。

「大人になって解る事ってありますよね。私は自国の歴史関連の書籍をもっと深く読んでおけばよかったと思っています」

 忍者が活躍した年代の歴史書をもっと読んでいたら、今頃何かの役に立ったかもしれないのに。

「これ以上にですか…? ミカは元の世界でも本の虫だったんでしょう?」


 私も自分のマグカップのスプーンをくるくると回す。実は猫舌なので、もう少しだけ冷めてくれるのを待っている。こういうのは魔法で冷ますより、じっくり待つ方が楽しみが増す気がした。


「はい、読書はライフワークでした。でも、あっちの世界は良くも悪くも本の数が桁違いなんです。大量生産できる体制が整っているので誰でも気軽に買えますしね。例えばですが、物語の一ジャンルだけでも一生かけて読み切れる量じゃなかったりします。そうなると同じような物語ばかり延々と読み続ける事も可能ですから、いくら本の虫でも、どうしても興味のある方向に知識が偏ってしまうんですよ」


 ザコルがむむ、と首を捻る。


「なる、ほど…、誰もが多くの書に触れられる世界ですか。想像がつきません。やはり、ミカのいた世界はこちらよりも数段進んだ文明が栄えているようですね」


「技術的には進んでいたと言えます。ですが、あっちにはこっちみたいな魔法や魔法陣はありません。それに、進んでいるからといって、誰にとっても生きやすい世界というわけじゃないのかと。現に、こういう剣と魔法のある世界に転生して強く楽しく生きるみたいな物語が流行っていました」


「転生…? ミカのように召喚されるのとは違うんですか」


「召喚モノも流行ってましたけど、転生とは生まれ変わりの事です。例えば、私が元の世界で死んだとして、それまで生きた記憶を持ったままこちらの子として産まれるみたいな、そういう物語上の設定ですね。皆、全く違う人間に生まれ変わってやり直せたらと、一度は思うものなのかもしれないです」


「ミカは、どうなんですか。生まれ変わりたいと?」


「私ですか。うーん、今絶賛第二の人生歩んでる所みたいな状況ですが…。私って、目の前の事でいっぱいになりがちなので、それを放っぽり出してまで生まれ変わりたいとは思わないタイプかもしれません。大体『死んでる場合じゃない』みたいな状況が多くて…」


「死んでる場合じゃない、か。ふ…っ、確かに」

 笑った。

 私の事、トラブルメーカーか何かだと思ってるね? その通りなんだけど!


「ええ。蜂蜜牛乳を嬉しそうにかき混ぜてる人が可愛すぎて死んでる場合じゃないんですよ」

 コホン。ザコルがわざとらしく咳払いをして仏頂面に戻る。

「ミカが僕を甘やかすから」

「用意しろと言ったのは坊っちゃんでしょ」


 ふ、ふふ、くくく、と控えめな笑い声が聴こえて横を見ると、同志村の面々が同じようにスプーンをくるくるしながらこちらを伺っていた。黒子は停止している。ザコルが笑ったのを直視でもしたか。


「蜂蜜牛乳が冷める前に起こしてあげないとね。ドーシャさん、ドーシャさん、この後もきっと見所ありますよ、寝てる場合じゃないです」

「……ッハア!! また持って行かれておりました!! はっ、これはまさか私めの分ですか? ミカ様が御自ら魔法をおかけになられた牛乳…!! ありがたく頂戴いたします!!」

 黒子がやっと黒子をめくったのものの、その下のドーシャの余裕のない顔に皆で笑った。



 お風呂上がりのイーリアとマージが食堂に入ってきて同じように蜂蜜牛乳を飲み出した頃、にわかに廊下が騒がしくなったのち、トントンと食堂のドアがノックされた。


「奥様。コマ様、タイタ様、エビー様がお戻りですが、少々血を浴びておられるうようですので浴室にご案内してよろしいでしょうか」

「ええ。もちろんよ」

「では、私も行きます」

 私は入浴準備に取りかかるため、席を立った。

「ミカ、もしお疲れなら湯は使用人に用意させますが」

「いえ、まだまだ大丈夫ですよマージお姉様。丁度飲み終わった所ですし、行ってきます」

 扉へ向かおうとすると、ザコルも一緒についてきた。

「屋敷の中ですし、ザコルは休んでいてもいいんですよ」

「いえ、三人の様子も気になりますから」


 ドアの前でイーリアを始めとした皆に一礼して廊下に出ると、少々血を浴びているという三人にはすぐ会う事ができた。


「血まみれじゃん…。どこが少々なの、これ」

「へへ…」

 エビーとタイタが後頭を掻きながら笑って会釈した。

「せっかくの『客』なんでな、存分にお付き合いいただいただけだ。少々いたぶり過ぎたかもな。安心しろ、止血はしてやった」

 コマが何でもないような感じで言った。そういうコマはそれ程浴びていないようだが。

「すまねえ、袖と裾汚しちまった」

「あ、いえ」

「すぐに洗えば取れるでしょう、おまかせを」

 コマが私にコートを脱いで差し出したので受け取ったら、そのまま使用人マダムによって取り上げられてしまった。

「いつも洗濯していただいてすみません。ありがとうございます。お風呂、すぐ沸かし直しますね。冷えたでしょう」

 高原の街で買った深緑色のコートは、厚手ではあるがこの北の地では秋物扱いだ。寒かった事だろう。

「俺は後でいいぞ」

「いいえコマ殿。稽古をつけていただいた身で、貴殿より先に湯をいただくなどできません」

「そうすよ、コマさんが先に入ってください」


 お互い遠慮しているのか押し問答が始まった。

 私はとりあえず湯を沸かすかと浴室に入る。既に使用人達によってイーリアの残り湯は抜かれ、新しく水を湯船に流し込んでいる所だった。例によって三分一まで溜まった所で手をかざす。足し湯用の甕の方にも同じように念じておいた。


「ミカ様、ご協力ありがとうございます」

「皆さんこそ、日に何度もお風呂の用意をさせてしまって申し訳ないです。それにうちの護衛ですし」

「いいえ、これも職務でございますから。それに、朝の入浴はまるでお祭りのようで私達も楽しかったですよ。お気になさらず」

 使用人マダムの一人がそう言えば、手伝っていた年若い従僕やメイドも行儀良く一礼する。

「明日はなるべく早く来て井戸水の汲み上げを手伝いますね」

「ご心配には及びません。実は、今朝も町の者が何人も来て手伝ってくれたんです。私達は入浴の介助だけで済みましたわ」

「そうなんですか…」


 よくよく話を聞くと、今朝入浴した子のうち、町の子供達の父親達が中心となって、仕事前に水汲みを手伝いに来てくれたという事だった。

 私の思いつきのために、知らないところで色んな人達が動いてくれている。先に知っていたなら今日の演説でお礼を言ったのになと少し残念に思った。


「明日はきっと放牧場が大賑わいでしょうからね、ザコル様もミカ様もきっと離してもらえませんよ。お風呂が遅れても気になさらないでくださいませ。終わらないようであれば午後に延期いたしましょう」

「そうですね、カファにもそのように言っておきます」


 確かに、女帝自ら勧誘してしまっては、今日の集会と同じくらいの大人数が集まる事も想定しないといけないかもしれない。


 廊下に戻るとまだ誰が最初に入るかで押し問答していた。

「お言葉に甘えさせてもらったら? エビーとタイタ、先に入ってきなよ」


 コマが後でいいと言うのなら、何か遠慮とは違う理由があるのかもしれない。

 護衛二人を浴室に送り出すと、浴室の準備をしていた使用人達も下がっていった。

 コートの袖と裾を除けば、返り血などほとんど浴びていない様子のコマを食堂に案内しようとする。


「待て」

 コマが私の服を引っ張った。やはり何か話があるのだ。


「場所を変えましょうか?」

 近くにあったリネン室のドアを勝手に開けて入る。ザコルが壁にかかっていたランプに火を入れてくれた。


「お前、何か気になる事はねえのか」

「何がですか。コマさん達が捕まえた者達の内訳ですか?」


 コマは私の代わりに囮になって、騒ぎに乗じてやってきた曲者を捕まえに行ったのではないのか。そう解釈していたのだが。


「いや、それはほぼ想像通りだ。思ったより人数が多かったが」

「ちなみに…」

「全部で五組、五人、三人、六人、四人、九人……総勢二十七名の団体様だ。全員邪教徒だったな」

「それは…多いですね? すごいです。牢に収まりきるんでしょうか」


「ここは関所町ですよ。曲者を留め置くための施設は他にもあります」

 ザコルが答えてくれる。

「それならいいんですが。あまり増えると管理が大変そうですね」

 正真正銘の穀潰しになるのでは…。


「そんな事はどうでもいい。姫、お前気づいてるんだろ」

「何にでしょう」

「とぼけんな」

「とぼけてはいませんが」

 本当にとぼけているつもりはないのだが、コマは引く様子がない。


「もしかして、コマさんが冷た…いや『冷えてる』って事ですか?」


 外で外套を交換した時の違和感。気づかなかった事にしていたのだが。

 今の今までコマが着ていたはずの山の民のローブは、まるで『誰も着ていなかったように冷えて』いた。


「まあ、そうだ」


 私が何となく手を差し出すと、コマは猫のような動きで、自らの頬を私の手に擦り寄せてきた。

 かわ…いや、冷たい。外気で冷えているとか、そんなレベルではない程に。


「死んでる…訳じゃないんですよね?」

「死んではねえ。恐らく、そういう種族じゃあねえんだ」

「私が知らなくてもいい事は無理に話さなくてもいいんですよ。隠しているなら尚更。ちゃんと黙ってますから」


 コマが、人との物理的な接触を避けるのは、当初、何かトラウマでもあるのかと考えていた。しかし、ザコルに引っ付いたり、私には護身術をさらってくれたり、決して触る事自体に抵抗があるわけではない様子だった。


 コマは私の手に頬を擦り付けたまま、じっとこちらを見つめている。知っておけという事だろうか。


「体温が、無いんですか」

「全く無いわけじゃねえが、お前らみたいな血は通ってねえ。代わりに魔力に近いもんが巡ってんだよ」


 血の代わりに魔力が。魔力は生命力のようなもの。しかし、人間はその魔力が少なく産まれついたとしても、体の活動を止めることはない。そのはずだ。しかしコマは魔力だけでその生命を維持している…? としたら…。


「分かりました。素肌に触れさえしなければ分かりませんよね。配慮します。それから、あのお香。もう、コマさんに調べてもらうわけにはいきません。牢での移り香、実は相当ヤバかったんじゃないですか」

「俺には、この化け犬一族程じゃねえが、毒耐性や呪い耐性もある。あの程度のもんじゃ死ぬこたねえ。加護ってやつさ」

「加護…」


 この世界に来てからは初めて聞く単語だ。意味は分かる。


「詳しくは分かりませんが、精霊とか、神とか。そういう者達に愛されているという事ですね。流石はコマさん。只者じゃないとは思ってました」


 この国宝級の可愛さにも何か理由があるのだろう。こちらから深掘りするつもりはないが。やはりここは異世界なのだ。


「…お前、本当に何も知らずに俺を庇ってやがったのか」

「前々から思ってましたけど、コマさん私を買い被りすぎじゃないですか? …んー、庇ってたっていうのは、お触り厳禁って触れ回ってた件ですよね。別に深い意味は無いですよ。私も人との接触を避けていた時期があるので、コマさんの身の躱し方や距離の取り方に既視感があっただけです。まあ、私のはただの男性恐怖症ですが」


「男性恐怖症!?」

 私達を黙って見守っていたザコルが、思わずといった様子で口を挟んだ。


「大丈夫です。今はある程度克服していますよ。昔、信頼していた大人に下心を持ってせまられた経験があって。ザコルと同じです。私の場合は教師でしたけどね」


 ザコルは王都にある床屋の店主だったと言っていた。こんなに強い彼でも、慣れない土地できっと油断したのだろう。

「何故今まで黙っていたんですか! 分かっていたら…」

「まあまあ、私の話はいいんですよ。未遂でしたし、現状困っていませんから」

 言い募ろうとするザコルを手で制し、コマに向き直る。


「コマさん、何か私に求める事はありますか」

「そうだな、さっさと帽子を作れ。それから、俺に湯や氷を振るまえ。お前の魔力は『美味い』からな」

「帽子、魔力が美味い…」


 コマは人並み外れて可愛らしい。それゆえに人から無遠慮に触られてしまう事もあるのだろう。もう町の人々には紹介し尽くしたし、今更帽子をかぶっても怪しまれまい。明日中には何でもいいから必ず作って渡そう。


 そして、シシが言っていた通りなら、私が作った氷や湯には私の治癒能力の欠片が含まれている。魔力のみで生きているコマには何か普通の人以上に効果があるのかもしれない。そういえば、牢から出てきた後は先に風呂をと言っていた。やっぱりあの移り香、何かしらダメージがあったんじゃないのか。


「それから……いや、いい。それだけだ」

 コマがスッと私から距離を取る。

「何ですか、言ってくださ……ああ、シシ先生は、私の魔力はいつも溢れんばかりに見えると言っていました。もしかして、私の近くにいるか、触るかするとコマさんのためになりますか?」

「余計な気を回すんじゃねえ。今、お前が男性恐怖症だっつったんだろが」

「私、これでも下心には敏感ですよ。その気が無い事くらい…」

「何度も言ってんがな、何で俺なんざに全幅の信頼を寄せてんだこの阿呆が。寄せる程、俺の事知らねえだろ」

「知りませんけど、コマさんがザコルの味方だろうと思うからですよ。そういうのは直感を信じるタイプなので」

「はん、俺はジークの手駒だぞ。それ以上でもそれ以下でもねえ」


 ザコルをチラッと見たら、どこか余裕の無さそうな顔で瞳を揺らしていた。さっきの男性恐怖症の話を気にしているのか。

 ザコルはきっと知っていたんだろう。コマに体温がほとんど無い事も、魔力に触れたがる事も。コマが私に寄ろうとする度に『下衆』と言って睨みを効かせていたのは、もしやこのためだろうか。


「では、協力する代わりに、少しだけ質問しても?」

 ザコルから目線を外し、コマに向き直る。

「ああ、答えられる事なら答えてやる」

 コマは腕を組み、部屋の壁に寄りかかる。

「コマさんは、魔力を見たり感じたりという事ができるんですよね」

「あの町医者のごとく色で流れを見るなんて繊細な真似はできねえ。ただ、魔力のにおいや、気配みたいなもんは分かる」

「ザコルは、魔力が高い方ですか」

「ああ、人よりはな。祖先に渡り人のいる奴は大体魔力が人より高え。この領は、そういう奴が多そうだな」

 なるほど、渡り人に縁深い土地だとザコルも言っていた。

「ザコルから、別の魔力のにおいがしていませんか」

「……やっぱりな。お前ら一線…」

「越えていない」

 食い気味にザコルが否定する。


「あの、ええと、魔力って、一線越えると混ざるようなものなんですか? シシ先生は見たことがないと…」

「魔力の高え奴と、魔力を引き受けられる器を持った奴同士なら稀にあると聞いた事がある。この馬鹿犬は姫に比べりゃ大した魔力持ちじゃねえが、器だけはそれ相応なんだろ」

「器…」


 今、きっとこの世界でもほとんどの人が知らないような事を聞いているんだろう。


「何でそんな事知ってんだって顔だな。俺はただ、長く生きてるだけだ」

「失われた知識ってことか…。コマさん、さてはエルフとか妖精とかなんですね。それならこの可愛さ美しさ。納得です」

「いや、種族は自分でもよく知らねえんだ。森に落っこちてんのを人間に拾われた。あれからもう…」

 コマが大きな目を伏せる。


「じゃあ、最後の質問です。私は、近くにいればいいですか、それとも触れた方がいいですか」

「お前からは常に魔力が漏れてっからな。近くに寄るくらいで充分だ」

 私が常に魔力を垂れ流している事が判明した。


「よし、じゃあ、お風呂行きましょうか。あの二人もそろそろ上がってくる頃でしょ」

「よし、じゃねえんだよ。結局俺の事ほとんど聞いてねえだろ。犬の事ばっかかよ」

「別にいいって言ったでしょ。私の方も隠し事満載ですし。まあ大方察しはついてるでしょうけど。じゃあ、またこうして質問に答えてくれる機会を作ってくれたら嬉しいです」

「いいか姫、もう二度と言わねえから耳の穴かっぽじってよく聞け」

 コマが壁から身を起こす。


「……ありがとな」

「ふふ、こちらこそ、いつも親切にしてくださってありがとうございます。明日も手合わせしてくださいね」

「ふん、親切じゃねーっての。単なる暇つぶしだ」



 ランプの火を落とし、リネン室のドアをカチャ、と開ける。

 エビーとタイタはまだ出てきていないようだ。内緒話を勘繰られなくて済みそうでホッとした。脱衣所から物音がし、しばらくドアの前にいると着替えた二人が出てきた。


「エビー二等兵ッただいま帰還いたしましたッ」

「ブッ…!! あっはは、それ、もしかしてこの領の…!?」


 エビーがふざけて敬礼したので笑ってしまった。

 エビーとタイタは、冬の軍服らしい格好、四角くて耳当てのある帽子に、裾の長いコートを羽織り、厚手の騎士団服のようなものを中に着込んでいた。全体的にサンド色に近いカーキ色で、北の地で戦う軍兵そのものといった格好だ。


「貸してもらったんすよ。ね、タイさんの方見てくださいよ! 滅茶苦茶似合ってません?」

「いや、俺の事など。だが、サカシータ領の戦闘服を貸していただけるとはな。俺は、この地にきて、本当に良かった…ッ」


 上背があってガタイのいいタイタには、この軍服、というかサカシータ騎士団の団服が驚く程馴染んでいる。

 嬉しそうだ。憧れのサカシータ領だもんね。


「確かによく似合ってるね。いかにも北方の兵士って感じ。エビーだって似合ってるよ。二人ともカッコいい!」

 手を叩いて褒める。

「へへー。カッコいいいただきました!」

「お褒めいただきありがとうございます、ミカ殿」


 二人とも秋物の私服といった格好だったので、ずっと寒そうだと思っていたのだ。そういう意味でも服を貸してもらえて良かったと思う。


 お風呂の用意をするために再び浴室に入る。あれだけ返り血があれば、浴室もそれなりに汚れた事だろう。

 案の定、既に使用人達が湯を抜き、洗い場の床を擦って掃除をしていた。やはり入浴の準備は使用人の仕事の中でも重労働だと思う。再び湯船と足し湯用の甕に水が張るのを待って、魔法をかける。


「コマさん、すぐ用意してもらえますからね」

「ああ、脱衣所で待たせてもらう。お前ら先に行ってろ」

「温かい蜂蜜牛乳の用意がありますから来てくださいよ」

「分かった分かった。さっさと行け」


 何となくあのような話の後でコマを一人にするのは心配になったが、使用人の目もある。どこかに行ってしまうという事はないだろう。

 浴室、脱衣所を通って廊下に出ると、さっきまでふざけていたエビーが神妙な顔になってこちらを覗き込んだ。


「あの、ミカさん。コマさんと何か話してました? もしかして、俺らが戦ってきたの、気にしてたり…」

「ああ、そんなんじゃないよ。聞いたよ、総勢二十七名の団体様だったんだってねえ。すごいね。お疲れ様!」


 私がコマに捕物の成果を聞いただけだと思ったのだろう、エビーがホッとした顔になった。


「あのね、この心情の差を説明するのは難しいんだけどさ、二人が騎士、というかプロとして普通に戦う事にまでぐだぐだ言うつもりはないよ。本来の仕事と関係ない、しかも結果が見えない検証に関しては私も責任持てないから不安になっちゃうんだと思う。って、すごい自分勝手な事言ってるかもしれないけど、二人やコマさんが強いこともよく知ってるから大丈夫。ねえ、コマさんの完成度すごかったねえ! 私がいるかと思ったよ!」


「ま、全くです! 頭では解ってはいるはずなのに、何度ミカ殿だと空目した事か…! 『俺だぞ、いちいち守ろうとすんじゃねえ』と叱られてしまいました!」

 タイタが興奮したように言う。情景が目に浮かぶようだ。

「流石っすよねえ、元暗部。今度ミカさん同士で会話してみてほしいすよ」

「自分と喋るなんて脳が混乱するだろうねー。ねえねえ、私もコマさんのフリ頑張ってしてたんだよ」

「えー、見たかったすよ、やってくださいよ」

「はん、見せ物じゃねえんだよ。調子に乗ってんじゃねえぞ阿呆共が」

「似てる!! 思った以上に似てる!! 何なんすか!!」

「うるせえ。俺だって集中すりゃこれくらいできんだよ」

 これで私もラップバトルに出場できるかもしれない。


 食堂に向かって、廊下をチンタラといった速度で進んでいる。ちらとザコルを見上げる。


「ねえ、ちょっと話してきてもいいかな」

「どうぞどうぞ」

 エビーとタイタが手を差し出して某ナントカ倶楽部のように言った。


 黙りこくっているザコルの手を引っ張り、少しだけ二人から離れる。と言っても、せいぜい数メートル先の廊下の角を曲がった程度の事だが。


「態度に出すぎです」

「……ああ、すみません…」

 顔を覗き込んだが、目を逸らされてしまった。

「何考えてます? 怒ってますか?」

「…自分でもよく判りません。ですが、ミカに対しては怒ってなどいません」


「私の過去の事は、私が言わなかっただけですよ。以前から免疫が無い、とは伝えていましたし、その程度の配慮で十分でしたから」

 彼の両手を取って握る。まだこちらを見てくれない。


「……僕を、僕の振る舞いを、怖いと思った事は?」


 呟くように言ったザコルの顔は、先程と同じように焦点の揺れた、どこか余裕の無い表情だった。


 怖がっているのは、きっとザコルの方なのだ。

 私も、ザコルの散髪のトラウマの話を聞いて真っ先に感じたのは恐怖だった。知らないうちに大事な人を傷つけていたらという、恐怖。


「怖いなんて、一度も思ったことないです。ザコルの事は平気なんです。驚きましたよ。初対面で、ああこの人は平気だって思えたのは、トラウマを抱えて以来初めてだったんです」

 ザコルの目線がやっとこちらを向いた。


 彼の手を離し、ギュッと胴体に抱きつく。ぎこちない動きながら背中に手が添えられた。


「そうか…。だから、僕なんですね」

「誤解しないでください。別に、トラウマを感じなかったからって好きになったんじゃないですよ。色々あったし、出会った頃よりも今の方が何倍も好きです。まあ、現状ここまで触れ合えるのはザコルしかいませんけど」

 顔を見上げる。

「僕のミカ、なんですよね。違いました?」

 む、とザコルの眉間に皺が寄る。

 あ、と声をあげる間もなくぎゅうと抱き締められた。

「んぎ、んぐう…!!」

 私の声にならない悲鳴を聞きつけ、エビーとタイタが慌てて止めにやってきた。



 ◇ ◇ ◇


「そうか。二十七人。お手柄だったな。取り逃がしはあるか?」

「三人程手負いで逃しましたが、そちらの自警団が捕まえたようです。他も応急処置だけして自警団に引き渡しました」

 コマが蜂蜜牛乳をくるくると混ぜながらイーリアに報告する。

「コマ殿は薬師でもあったな。それだけの大人数の処置を一人で?」

「いえ、テイラーの騎士にも手伝わせました」

「ああ、二人には被災者の手当てでも世話になったのだったな」

 エビーとタイタもマグカップを片手にペコリと会釈する。


「もうそろそろ牢がいっぱいになりますわ。これ以上出るようなら簀巻きにでもして外に置く他ありませんわね」

 マージがおっとりと片手を頬に当てて物騒な事を言う。


 先の集会でテイラーを非難する野次を飛ばしたり、群衆に紛れて人質を取ろうと画策していたのは、王弟派の貴族が寄越した者達だろうとイーリアは語った。同志村のスタッフを狙ったのも、新聞に反感を持つ側の差金だろうと。

 正確な人数は分からないが、邪教徒と合わせれば総勢五十人近くになっただろう。


「ミカ」

「はい、イーリア様」

「あなたの素晴らしい演説に、感謝を」

「お礼をいただくには及びません。結局、好き勝手なことを言っただけでしたから」


 先程ザコルにも言った通り、必死な私を見て皆が元気になれるのなら、私はこれからも走り回っていればいいのだ。


「自分を人質に取るとは。本当にタチが悪い」

 隣に座ったザコルがジトリとした目線を投げてくる。

 人質、確かに。『皆の生活に影響を及ぼすようなら、私が王弟を始末してくる』というのは、サカシータ領民への脅しとも取れるだろう。

 女帝イーリアから死守を命じられた渡り人を単独で飛び出させないためには、誰一人として命を落としたり、平穏な生活を失ってはならない。そういうことだ。


「私の護衛が大変だって分かってもらえて良かったでしょ」

 はあ、と溜息をつかれる。

「単独で討ちに行くだなんて、絶対に許しませんからね。それに、必要な休息は取ってもらいます」

「分かっています。三人にも休んでもらわないといけませんから」

 今日明日でというのは無理だが、そのうちにテイラーチームが四人とも一日ゆっくりできる日を作ろう。


「ドーシャ、カファ、そして麗しき乙女達。今日はここへ泊まれ。同志村にいた女性はこれで全員だな?」

「は、はい。女性スタッフはこちらで全員であります!」

 ドーシャがきちんと黒子頭巾を取ったまま気丈に答えた。少しは慣れたのか、先程いい場面を見逃したのが相当悔しかったのか。


「同志村の方は自警団が引き続き巡回を続けますから安心なさってね。ミカと護衛様方もこちらへお泊まりください。テントに必要な物があるのであれば取りに行かせますわ」

「あ、では毛糸と編み棒を…」

「もう遅いです。明日にしてください」

「ええー」

 それ以外の必要最低限の荷物はこの肩掛け鞄の中にある。

「早く帽子作りたいのに…」

「全く何であなたがコマなんかの帽子を…」

 ぶつぶつと隣から文句が聴こえてくる。


「お部屋は今準備させていますわ。全員が個室でなくて申し訳無いのですけれど…」

 え、もしかして同志村女子、皆で相部屋とか…? いいなぁ楽しそう…。

「希望があるならさっさと言わないと、ミカだけ個室を用意されますよ」

「は、はいはいはい!! もし女子部屋があるならご一緒した…い…いや、ダメでしょ、私なんかいたら気を遣わせるだけですよ。あ、何でもありま」

「ミカ様、もしや私達と一緒に寝てくださるんですか!?」

「いいの!?」

 ピッタの言葉に、上げかけて下ろした腰をまた上げる。


「あら。ふふ、ではミカのベッドはそちらに用意させますわね」

 マージが使用人に目配せすると、一礼して出ていった。


「いいんすか猟犬殿、今日は眠れるまで手を握ってあげますとか言ってませんでした?」

 エビーがザコルに絡む。

「ミカが安心して寝られるなら何でも構いません」

「優しぃ。好きぃ」

「声に出すんじゃない」

 手のひらで顔を押さえつけられる。この手があったかいんだよなあ。ふふふ。


 皆、声にこそ出さないが、どことなくぬるーい空気が流れた。…調子に乗り過ぎた。


「さあ、本日の収穫祭はこれまでだ。明日は明朝の訓練が済み次第、手分けして尋問を行うぞ」

 イーリアがパンパンと手を叩く。


「ミカは明日もここでお風呂を沸かされますわよね。ザコル様、あなた様がご自分で尋問したい者があれば屋敷の地下牢に移動させますわ。そうすればミカからあまり離れずに済みますでしょう」

「助かります、マージ。最悪その辺りの藪で尋問しようかと思っていたんです」

「まあ。領民はともかく同志村の方々もいらっしゃるのですからね。お行儀よくなさいませ」

 領民はともかくなんだ。いいな、私もマージお姉様に叱られたい。



 女子部屋はキャッキャウフフと賑やかでまさに癒しの園だった。勧めてくれたザコルには感謝しなければ。

 彼女らは、同志の関係者として狙われかけた事はやはり不安だったようで、この屋敷に泊めてもらえて良かったと口々に言っていた。

 そりゃそうだよね、曲者に拐われかけても人生何があるか分からなくて面白いなどと言う一般人は私くらいのものだろう。カファ辺りも言いそうだが。


「ミカ様と猟犬様のやりとりが微笑ましくって癒されます」

「本当よね。あんな風に対等で、お互いを認め合ってもいて。憧れてしまうわ」

「ただの変態だなんて失礼なことを。ミカ様、申し訳ありませんでした」

「ううん、私達も散々変態呼ばわりしてるからね。デリカシーは常に家出中だし、昨日は私が皆を焚き付けたようなものだし」

「いいえ! 干からびた芋呼ばわりには断固抗議すべしでした!」

「ふふ、実際、召喚された当時は干からびた芋みたいだったんだよ。仕事のしすぎで」

「ミカ様のいらした世界はどんな場所だったのかしら」

「文明が進んでいるのでしょう?」


 屋敷で貸してもらったお揃いの寝まきでガールズトークを楽しむ。

 聞かれるままに日本の事についてあれやこれやと語っていたら、あっという間に時間が過ぎた。


 トントン、と扉をノックされ、開けると使用人マダムの一人だった。

「ザコル様が、早くお休みになられるようにとおっしゃっておりますよ」


 おお、女性に伝言を頼むなんて事ができたのか。家出中のデリカシーが一時帰宅したのかもしれない。しかし、この部屋の女子トークを全部聴いているとバラしたも同然なのは分かっているんだろうか。


「ですって、皆。明日も早いし、もう寝ようか」

 今、十時か十一時くらいだろうか。そう声をかけると女子達ははーい、と返事をし、ランプの火を落とすとそれぞれのベッドに入ってすぐ寝息を立て始めた。


「皆お疲れだね。…ごめんね」

 巻き込んでしまって。

「ミカ様ぁ…明日も色んな話しましょうねえ…」

「ピッタ」

 寝たと思っていたピッタが話し出したので驚いたが、またすぐに寝息が聴こえ始めた。


「……ありがとう」


 窓から見える、月にしては少し小さい気もする二つの明るい天体と、星座が一つも分からない満点の星空を見上げる。今日も安定の異世界だ。


「おやすみなさい、ザコル」

 きっとどこかで聴いているだろう人に向けて呟く。布団を口元までしっかり上げて目を閉じた。



つづく

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