あとは生き餌です
「ヤバいですね氷姫様。雪上をあのスピードで走りながら和やかにおしゃべりできるなんて」
「ええ、ヤバいっしょうちの姫。あのー、的はいつも適当に置いてるんすけど、あんなもんでいいすかね、マヨ様」
「あ、はい。そんなもんで。用意ありがとうございますエビーさん」
マヨは持参したマイ弓におもむろに矢をつがえ、シュパッと放った。トス、矢は見事的の真ん中に命中した。
「おー、流石っすね!」
パチパチパチ。
「ふっふっふ、伊達にイーリア隊の弓兵やってませんので! エビーさんも女帝のしごきについていけるだなんて流石です」
「やー、いつもザコルの兄貴の鬼畜人外メニューやってるんで…」
今日の男性陣のしごき、もとい基礎鍛錬はイーリアの指揮で行われていた。見回りなどの当番がある者以外は全員出てきたらしい騎士達に加え、庭師、馬番などの使用人男性の姿もあった。
「ふう、イーリア様のご指導で体を動かすのは久しぶりでございますね」
「いい動きだったぞタイタ殿。あれからも随分と向上したのではないか」
「もったいなきお言葉。イーリア様、ザコル殿のご指導の賜物でございます」
イーリアは、息子であるジーロ、サンド、ロット、ザコルには別のメニューを課している。そっちはもう鬼畜人外という枠を越え、スーパーサカシータ人が天界とか宇宙でやる修行みたいな……自分でも何を言っているのか分からないのだが、もうそんな感じだった。
宇宙的修行を始めるにあたり、まず彼女は大樽を八つ持って来させ、中に氷をみっちりと張れるかと私に訊いてきた。中は空だったので、男性達に頼んで中に雪を詰めてもらい、溶かして凍らせる作戦でいくことにした。雪を溶かすと嵩が減るので、三回か四回くらいその作業を繰り返してついに大樽スレスレいっぱいにまで氷を張った。
樽は無事、一般人には軽々動かせない重さとなった。
息子達はその大樽を持たされ、持ったままスクワットしたりダンベルのように上げ下げするように命じられたりし……
「おいジーロ、サンド! そんな樽二つくらい持ってみせろ! 一つで満足するな!」
「母上よ。そんな真似をしたらいくら俺達でも体を痛めるぞ。ザコルじゃあるまいし」
「そーだそーだ、三十路過ぎに無理を言うな」
ぶーぶー!
不満が噴出している。
水(氷)を満タンに入れれば二百キロ以上にもなる大樽を一つ持ち上げているだけでもおかしいのだが、それを二つ持てと言うのがかの女帝である。
「大体、重いものを持たせておけばいいという発想が雑なのだ。ザコルが考えた体操を真剣にやっていた方がマシだぞ」
ブツブツ。寝癖仙人な次男は母の大雑把さが気になるようだ。
…あの細やかさが自身の身なりには一切発揮されない、というのも不思議な話である。体毛が金髪だと一見判りにくいが、髭も微妙に伸びている気がする。さては剃ってないな。
「ザコル、アンタいくつ持てるわけ。試してみなさいよ。ほら乗せるわよそーれっ」
ポーイ。わったた、とばかりにザコルが樽で樽を受け取る。彼の持つ樽は、だるま落としのごとく四段重ねになっていた。
「今のよく受け取ったわね、アンタ曲芸師もやれるんじゃないの」
「ロット兄様、雑に投げないでくれますか。樽が重みで壊れます」
大樽を四つも重ねて持って平然としている方もしている方だが、樽をその高さまでポイポイ投げる方も投げる方である。
「義母上。樽をいくつも持つと雪に足が沈むのですが」
一度踏みしめられたはずの雪に、ザコルは足首まで突っ込んでいた。
「すご…」
考えてみれば、雪の下は当然未舗装だし、ロードローラーなどで固めたわけでもない。人の足で固めた雪や土は、硬そうに見えても柔らかいものらしい、と変なところに感心してしまった。
「くっ、ははは! 四つも持つヤツがあるか!」
「ザコルの文句はどこかズレていて癒されるまであるなあ」
「…楽しそうですね、義母上、ジーロ兄様」
笑われてムッとしているザコルだ。
「実に微笑ましい光景でございますね、ミカ殿」
「あ、うん。ザコルの癒されポイントを理解してくれるお兄ちゃんがいて嬉しいなあ」
「あの光景を『微笑ましい』とか思ってる時点で、俺らも大分ズレてきてんだけどな…」
呆れまじり、苦笑まじりのエビーである。
私はマヨと一緒に弓を打ち込む。
「ヤッバイですね氷姫様! 何その命中度! 私でもそんな何十本もど真ん中に打ち込み続けるなんてできないですよ!」
「ありがとうございます。集中しすぎて周りが見えなくなっちゃうので、そこは改善したいんですが…」
「じゃあ、おしゃべりしながら打ち込む練習しましょうか」
「おしゃべりしながら! なるほど!」
シュパ、ストッ。
「今日は動く的も用意してますよ」
シュパ、ストッ。
「わあ早速ですか、ありがとうございます!」
シュパ、ストッ。
「振り子式のオーソドックスなものと、あとは生き餌です」
シュパ、ストッ。
「生き餌…?」
シュパ、ストッ。
「今日シメる予定の鶏です」
シュパ、ストッ。
「にわ…」
シュパ、ストッ。
「旦那様に鶏肉を仕入れてくるよう頼まれたので、ちょうどいいかと思って」
シュパ、ストッ。
シュパ、ストッ。
シュパ、ストッ…………
コケェェェーッ、コケッ、コケエエエエーッ!!
「いけっ、そこだあ!!」
シュパ、ストッ。
ゴゲェェエエエエーーーーッ
「あ、外した」
「さっすが氷姫様!! 容赦なく首狙ってくるッ!! そこに痺れる憧れるぅ!!」
ワイワイ、二人で大騒ぎしていたらギャラリーが集まってきた。
「ははは、マヨは完全に猫が剥がれているなあ」
「マヨは私の隊で弓を引いていた頃からちっとも変わらんな。相変わらず面白い女だ」
「あいつ、やっぱり俺より変か…?」
「お前が変なのはあの変な女を妻にしたところだぞサンド」
「なっ、なんだとジロ兄!!」
「なあに、今更気づいたわけサン兄。でもあのマヨ姉を大事にできるのはサン兄だけよ、ね?」
「変ななぐさめはいらん!!」
「午後はついにヤキトリを焼くのですか。楽しみですね姉上」
「ふふっ、そうですわね、ザコル様」
「イリヤ、だいじょうぶか? おまえおぼっちゃんだから血とか…」
「ヤキトリ! ミカさまがんばってください! ヤキトリ! おにく! あまーいおにく‼︎」
「あ、ぜんぜんだいじょうぶっぽい」
「おにく! おにく!」
「リコもたのしみだね! いっしょにおうえんしよう!」
「ほう、鍛錬に生きた鶏とは。これもエコと言えるのではないでしょうか!」
「えー鶏ちゃんカワイソーなだけじゃね?」
「流石容赦ねーぜ姉貴」
「今日の鍛錬も我らが公式聖女様のレベルアップが見込めそうだ!」
「より天界に近づきますな!」
「飛ぶ鳥も落とす勢いとはまさにこのこと!」
キュールルー……
どこかから鳥の声がする。
「あ、あの鳥」
もしかしてミリューの声かなと思っていたが、普通に鳥の声だったことを今確認した。
「あら? 何あの鳥。私、見たことないです。ジーロ様、見たことあります?」
マヨが目を細める。
「ああ。以前は見なかったが、最近たまに見る。元々ここらには棲んでいない種類だ」
「ふーん…」
私は空に矢を向けた。
「ミカ、飛ぶ鳥を落とすつもりですか?」
「当たったら面白いかなと思いまして。鶏は仕留めちゃいましたし」
え、と皆が鶏を振り返る。
「とっ、飛ぶ鳥を本当に落とすのは全く困難な所業ですぞ!?」
「矢っ、矢がっ、下に落ちてきては危ないのでどうか! 公式聖女様!」
「あ、そっか。それは確かに危ないですね」
私は弓を下げた。
「……ローリさん。カルダさん。随分と慌ててますねえ」
ニヤリ。
「そ、そんなことはござりませぬ!」
「矢がっ、矢が落ちてきては本当に危ないので!」
「そうですね。危ないのはよくないです」
にこ。
『……ヒェ』
カリー公爵領出身のサカシータ騎士、ローリとカルダが小さく悲鳴を上げた。
「…なるほどな、この調子で人の肝を掴んでいるわけか」
ボソ…。
「何か言いましたかジーロ様」
「いいや。空に矢を向けるのは本当に危ないぞ。せめて下に誰もいないことを確認してからでなければ」
「はい。気をつけますね」
鶏の加工もあるので、私は今日の鍛錬をそこで切り上げた。
つづく




