無益な戦争ダメ! 絶対!
宣言通り、この辺境にも『朝刊』は届いた。
「いやー、タイムラグありましたねえ。もう昼過ぎっすよ」
「朝には届いてたはずだよ。ピッタが見たって言ってたし」
同志達はザコルに言い付けられた通り、訓練後も走り込みをしてから同志村に戻り、急ぎ新聞を持って町内を走り回っているらしい。
このタイムラグは、訓練されたオタクが推しの布教より、推しからの言い付けを優先した結果のようだ。
「この辺境に当日の新聞が出回るなんて事はまずありません。この時間に着いたとしても脅威のスピードですよ。さっき遠くで号外を叫ぶ声がしました。あれはドーシャですね」
「これ号外とかじゃないですよね…? 一応通常の朝刊扱いっていうか」
「そんなのノリでしょノリ。祭りと一緒すよ」
ただの朝刊が当日に届くのがおかしい程、ここは王都から遠く離れた場所なのだ。しかも水害後の混乱はまだ続いており、週遅れの新聞でさえこの町ではまだ一度も目にしていなかった。
ちなみに、ザコルの元には『取り置き』だと言って二百部くらい届けられたが、ザコルがそんなにいらないと五部程受け取って後はドーシャに返していた。
「私、この国で発刊されたばかりの新聞を手にするのはこれが初めてです。伯爵家で過去分の写しはいくつか見ましたけど…」
新聞にはあまりいい紙が使われていないそうで、年月による劣化が激しく保存が難しいとテイラー伯爵家の蔵書管理人から聞いている。伯爵家に保存されているのも、過去大事件が起きた時のものを手作業で丈夫な紙に写したものばかりだ。
「ドーシャの話通りなら、他の辺境領でも当日配布にこだわっているのでしょう。余程周到に準備したはずです。ここまで広く一斉に配布されては王家といえど回収は不可能でしょうね。義母の言うように、我々はファンの集いを甘く見ていたようだ」
自分のファン達だというのに、どこか他人事のように語るザコル。まあ、全国規模の新聞ジャックなんて、ファンの集いなどという平和そうな名称からは考えられない所業である。
「資金源はどうなってんすかねえ、タイさん」
「会員には貴族や裕福な商人も多いからな、これまで集いの活動で資金に困った事はあまりない。それに、オリヴァー会長が、というよりテイラー家が全面的に支援しているのであれば…」
「まあ、そうすね。セオドア様もノリノリでえげつない額投入してそうすわ」
エビーがさもありなん、という顔で頷く。
テイラー領は王都に近くにあって肥沃な土地に広大な麦畑を有し、幾つもの事業を営むオースト国内有数の豊かな領だ。東側は海と面してもおり、漁や貿易を担う港も管理している。
セオドアは貴族議会に出席する他は特に要職などには就いていないが、国内での発言力は強大だ。と、テイラー伯爵夫人サーラから聞いた。
セオドアはもしかしなくても、オリヴァーとタイタの活動を以前から知っていたのではないだろうか。だからタイタを氷姫護衛隊に入れて私達の様子を…いや、憶測はやめよう。話がややこしくなりそうだ。
「もう少しすれば、チッカなどからも野次馬が来るのでは。シータイに現れた聖女が『氷姫』だと知っているのは同志と邪教徒くらいでしょうが、僕が里帰りしている事くらいは噂で広がっているでしょうから。新聞を見れば当然ここに氷姫もいると考えるでしょう」
「有名人すもんね、猟犬殿は。なんか、この町にいると忘れそうになるんすけど」
「この町ではせいぜい、ミカが気に入っている犬くらいの扱いですからね僕は」
ザコルは自嘲気味に言った。
「ザコルったら、何言ってるんですか。坊ちゃんは避難民の皆さんにも大人気ですし、犬はないんじゃないですか。大体、町の外で陣取ってる大規模支援部隊はあなたのファン集団なんですけど?」
「その部隊の一部、女性スタッフ達は完全にミカのファン集団と化したようですが。…さあ、どうしますミカ。野次馬にたかられる前に本格的に山に籠りますか」
冗談めいた口ぶりだが、目が本気だ。
そうですねとでも言って頷いたら即刻アカイシ山脈にアタックする事になるだろう。
「そう訊かれましても、私にはどうするのが正解なのか判断がつきかねます。とりあえず、当面の間はここにいさせてもらえばいいのでは? 下手に移動しても迷惑になるような気がしますし…」
小さな窓から、屋敷の門前の様子を覗き見る。
「ミカ殿、高い所は平気でいらっしゃいますか。怖くはありませんか?」
「平気だよタイタ。こういう場所、割と好きなんだ」
「それはよかった」
ここは町長屋敷の屋根裏部屋だ。
町唯一の三階建ての建物なので、当然眺めはいい。窓からは、離れている門や同志村の様子もよく見えた。
屋根裏は普段は物置きとして使われているようだが、定期的に掃除されているようで埃っぽいというわけではない。日光でよく暖められた部屋はむしろ快適だ。しまわれていたラグとクッションをエビーが勝手に引っ張り出してきて広げてくれた。後でしまっておけば問題ないだろう。
そんな訳で、私達は身内しかいないのをいい事にゴロゴロと寛いでいた。
◇ ◇ ◇
今から二時間ほど前。
屋敷の庭に次々と新聞を持った町民がなだれ込んできて、この話は本当なのかとザコル共々詰め寄られ、女性陣には次々と抱き締められて揉みくちゃにされ、慌てて出てきたマージが後で会見を開くと言って一旦全員を帰し…。
と、それで終わるわけもなく、興奮した来訪者が絶えないために取り急ぎ屋敷の屋根裏部屋に匿われている所である。
今も町長屋敷の外は町民や避難民、隣領のパズータから手伝いに来た民までもが集まって騒然としていた。
正直、ここまでの騒ぎになるとは思っていなかった。早晩敵襲でもあるかくらいには考えていたが、外に集まってくるのは味方ばかりだ。私を渡り人と知ってなお、私自身を心配して駆けつけてくれる優しい味方ばかりだった。
手の中にある朝刊には、それはそれはドラマチックな筆致で、悲劇の氷姫とそれを守る深緑の猟犬の話が書かれている。見事な版画の挿絵まで添えられており、自分が美化されて描かれているという恥ずかしい事実さえなければ、額装して飾りたいくらい素敵な絵だった。
リネン室から屋根裏に通じる天井扉がノックされ、返事をするとメイドのメリーがヒョコと顔を出した。
「皆様失礼します。お食事をお持ちしました」
そう言ってピクニック用の大きなカゴを床に乗せる。もう一度降りたと思ったら今度はポットを持って上がってきた。
「このような場所で申し訳ありません。何か不足はございませんか」
「ううん、快適だよ。ご迷惑をお掛けして申し訳ないです」
「とんでもないです。むしろ町の者が取り乱して申し訳ありません」
「皆が心配して顔見にきてくれてるのは解ってるから。食事をありがとうねメリー」
メリーは一礼したのち、静かに天井扉を閉じた。トントンと梯子を降りる音がする。
カゴを開けると、人数分のカップとたくさんのサンドイッチが入っていた。
この町で出されるパンは小麦百パーセントの白パンではなく、何か色々な穀物が混ぜられた固い食感のパンだ。こちらではきっと庶民の味なのだろうが、日本ではむしろこういうパンの方が手に入りづらい。栄養価も高そうだし、食べ応えもあって個人的には白パンより好みだ。
「ほら、誰も、ミカを奇異の目で見る者などいないでしょう」
ザコルが雑にサンドイッチを口に放り込みながら言った。私もハムの挟まったサンドイッチをもくもくとよく噛んで食べる。
「そこはザコルの言う通りでしたね。むしろ、心から心配してくれる方ばかりで…。どうして皆、まだシータイに居着いて五日かそこらの変な女をこんなに大事にしてくれるんでしょうか。何だか不思議に思えてきちゃって…」
「そりゃ、あの外の人らに訊いてみりゃすぐ判る事すよ。絶対『こっちのセリフだ』って言うと思いますけどねえ」
「エビーの言う通りですとも。あなた様こそ、着いたその日から彼らの命を救うために奔走なさったのではないですか」
エビーも、タイタまでもが少し呆れまじりでそう言った。
ごくん、口に入っていたものを飲み下す。タイタが温かい薬草茶をカップに注いで差し出してくれたので受け取ってすする。
「そっか…。義理堅い人達なんだね。…でも、どうしよう。やっぱり戦争になっちゃうのかなぁ…」
あの優しい人達がこんなに怒るなんて。私を狙う王族なんぞは滅ぼせだの、邪教は殲滅しろだのと叫ぶ民も多かった。
夕方、イーリアが下流のカリューから戻った暁には、あの興奮したオーディエンス相手に会見を開く予定になっている。その際には、どれだけ彼らを鎮められるかが焦点となるだろう。
「ミカ、もし王弟が兵を差し向けるとすれば、どこから攻めてくるか気にしていましたよね。…最悪、自分の身を差し出せばいいなどと考えていませんか」
「それはそう……」
頷こうとしたが、ザコルの表情を伺ったら切羽詰まった顔をしていたので言葉が引っ込んだ。
「はあ…そういうとこすよミカさんは」
「ミカ殿、それはご本心なのですか?」
まだ頷いてもないのに、エビーとタイタも咎めるような声を上げる。
相手は私を目当てにやってくるのだから、トラブルの種そのものである私を差し出すという選択肢はあって当然だろう。
店…というか町に被害を出すくらいなら、氷一つくらいさっさと客に売り渡してしまえばいいのだ。氷はこの国で市場価値が高いらしいので、すぐに処分されるような事もないはず。
しかし民達は違う。王族の命令一つで簡単に命を奪われてしまう。いくら領民全体の戦闘力が高くとも、戦争になれば、何も壊れず誰も死なないという訳にはいかないだろう。そしてそれは、王弟が率いる兵の方だって同じだ。
差し出すにしても、目玉商品である氷をどこに陳列するかは重要だ。差し出す前に攻撃されては元も子もない。有事にはなるべくサッと引き渡せる距離にいる必要がある。だからこそ、いつ頃どこから攻めてくる可能性があるのかくらいは知っておきたかった。
「あの、別に卑屈な気持ちとか、自暴自棄でそうしようと思っているわけではないですよ。合理的に考えて、そんな選択肢もあるなと思っているだけです。いざとなったら私が一人で豚とやらを解体してくればいいんでしょ。もちろんしっかり練習して…っ!?」
ザコルが足を崩して座る私を素早く引き寄せ、ギュッと抱き締めた。突然の事にまた言葉が引っ込む。
「…何を勘違いしているか知りませんが、僕は、あなたをそんなつもりで鍛えたわけじゃありません」
「で、でも…っ、ここを本当の戦場にするわけには…」
ザコルの服を掴んで抗議の姿勢を取る。また私の話を聞かないつもりなのか。
「猟犬殿は山に潜伏させる気で鍛えてんすもんねえ。ミカさんがこの様子じゃあ、それもアリな気がしてきましたよ。マジで今から皆で山小屋建てますか、へへ」
「ちょっ、何言って」
エビーまで冗談みたいな事を言い出した。
私が行方を眩ませたりしたら、それこそシータイやカリューがどうなるか分からない。この状況で私一人が逃げ隠れるなんて一番あり得ない選択肢だ。
「ミカ殿、今度こそしっかりお護りさせてください。そうでなくては、お、お、俺が、一生眠れぬ夜を過ごす事になりますので!」
「一生って、タイタまで何言ってるの、差し出すって言ったって、囮作戦と同じようなものだから心配しないで」
「タイタ、自分を人質にするのはいい策ですね。ミカにはよく効きますよ」
「お褒めに預かり光栄です」
タイタが恭しく一礼する。
「ねえ、私の話も聴いてくだ…」
「あーあ、俺もいい加減活躍したいっすよお。ミカさんに強いとかカッコいいとか言われたいっす」
「殊勝な心掛けですね。君には特別メニューを組んであげましょう」
「だ、段階的にお願いします猟犬先生…」
ニコォ…と笑ったザコルに、エビーが引き攣った笑いでをしつつ頭を下げた。
「ねえ…っ、あの…っ」
「あなたを単身で敵陣に送り込んだりしたら、すっかりあなたの信者と化した町の者が暴動を起こすでしょうし、専属護衛たる僕は確実に私刑で殺されます。僕が死んでもいいんですか?」
「…っ、よ、よくない…っ、私はそんな事を言ってるんじゃ」
彼らに気に病んでほしいとも、周りに責められてほしいとも思っていない。私はただ、必要以上の犠牲を出したくないだけだ。そのためには、コマの言うように私がまずは一人で乗り込み、機会を伺うのが現実的な案だと思っただけなのに。
「そうやって、僕らにさえ頼らない方法を模索されるのは困るんですよ。僕らはあなたを護るために一緒にいるんですから。さあ、息を吐いて。焦らなくていいんです」
ザコルが息が早く浅くなってきた私の背中をゆっくりと撫でる。
「この領では安心して過ごしてくださいと、言ったでしょう。そもそも身の程知らずは向こうなんですよ。富のテイラーと武のサカシータを敵に回して無事に済む訳がない。しかし、この分では戦争にもならずに決着となる可能性も高いですけれどね。そうなったらシータイやカリューの者達の気を鎮める方が余程苦労しそうです」
「……戦争に、ならずに済む…?」
「そうです。大体、ミカがセオドア様に無益な戦争はやめてほしいとお願いしたんでしょう」
「えっ、私が?」
「そうです。出立前に、そう頼んでいたじゃないですか」
無益な戦争ダメ! 絶対!
確かにそう叫んだ記憶はある。セオドアが『あなたのためなら喜んで手を血に染める』などと言うから。
ああ、そうか、だからセオドア様は、同志達と結託して、世論を動かして…。
「う…っ、うぇっ、うえぇえー……」
「しまった、また泣かせた…」
テイラーが行ったのは、志のある記者に投資し、王弟の流した噂に対抗するという、いわば情報による攻撃だ。ヘイトスピーチとも言う。
イーリアは、王弟が兵を差し向けた場合、まずこの領に辿り着く事自体が難しいだろうと言っていた。それは、王都からここまでに王弟と関係が良好とは言えない領をいくつも通過する必要があり、どこも黙って通してくれるとは考えにくい、という意味合いだった。私は、それでも王族が強硬な姿勢を見せれば、どこもいち貴族である以上、その行動を完全に封じる事はできないだろうと思っていたのだが…。
テイラーがバックアップする朝刊記事によって、今まで一部の貴族にしか知られていなかった氷姫の境遇が広く一般に知られる所となる。
一方、私達は今、シータイに屯留して災害支援に尽力しているような形になっている。実質的には避難民とそう大差ない立場ではあるが、イーリアから直接仕事を割り振られており、同志達、つまり領外の人とも正式なやりとりがある。モナ領から支援のために来た人達とももちろん面識がある。
言い方は悪いしそんなつもりで支援に加わっていたわけではないが、
私達は平民からの好感度をかなり稼いでいる状態だった。
深緑の猟犬と氷姫は民の味方、というような噂が広まれば、王弟派はますますやりづらくなっていく事だろう。いくら平民相手とて数の上では王侯貴族を遥かに凌ぐ人数だ。王族を擁する彼らとて、自分達にとって治安が悪いと判っている場所に進んで行きたいはずはない。
まして、正義心で突っかかってくる民を片端から処分しながら進軍などしたら、ますます王弟の評判は悪くなる。領民を害されれば貴族側にも正義が生まれる。
私達とコトを構える事自体が不利で悪手、そういう状況を、今日からこの新聞が作るのだ。
ザコルの言葉を借りるならば、この『武のサカシータ』に兵を差し向けたとしても、犠牲を多く出すのは王家に仕える兵の方だったかもしれないが、セオドアは私がこの世界の人同士で血を流す事を喜ばないと、きちんと理解してくれていたのだろう。じっとチャンスを伺い、一番穏便な方法を取ってくれたと解釈すべきだ。
セオドアがいくら投資してくれたのかは定かではないが、私の、いつか伯爵家に恩を返そうという目標は、ますます果てしない目標になってしまったようだった。
この新聞記事が出回った事により、肩身が狭くなり活動しにくくなるのは王弟だけでない。ストレートに名称を書く事は避けたようだが『邪教』が氷姫を生贄にしようとしているとはっきり書いている。それに、第二王子の非常識な振る舞いにも言及している。王子という地位に群がる女性相手ならまだともかく、渡り人が神聖視されているのが本当であれば、それを飾り物として囲おうとしたという彼の立場も悪くなるだろう。
氷姫と猟犬の記事に埋められた一面をめくると、二面には某王子の爛れた女性遍歴や、某令嬢へのつきまとい行為、国から褒章を受けた英雄に向かって無能と罵った事なども記事となって載っていた。絶対にオリヴァーの差し金だ…。恐ろしい子…。
サカシータ領で水害が起きたことは載っていなかった。記事を刷った頃にはまだ水害自体が起きていなかったのかもしれないが、ここは隣国との国境にあたる要所なので、防衛上の観点から敢えて載せていないのかもしれない。
「なるほど。ミカ殿のご意向をセオドア様が汲み取られたという訳なのですね。流石は主様だ。我らが同志達を支援してくださった背景に、そのような意図が込められていたとは…」
「私も、ただザコルを庇いたいだけかと思ってたよ。本当にもう、こんな美化した挿絵まで載せちゃってさ…。私、伯爵家と同志達に何を返したらいいのか」
この朝刊はきっと一生の宝物になる。恥ずかしくてほとんど読み返せないが。
「別にあなたが何か返す必要はないでしょう。血が流れずに済んで助かるのはこの国の方なんです。ミカが民のために、あのテイラーを宥めてくれたという解釈もできますよ」
「いやいやいや…何でもかんでも私の功績みたいにしないでくださいよ。ていうか今まで冷静じゃなかったからよく解ってなかったし」
これ以上実態のない聖女列伝を増やされるのは正直ゴメンだ。事が落ち着いたら絶対に自分視点で自叙伝とやらを書こう。恥ずかしい上にまた誰かの力を頼る事になるかもしれないが、この朝刊のイメージを引き摺って生きていくよりはいい。
「へへっ、マジでうちの姫は大物なんすよ。でも、ミカさんの一番の偉業といえば、そこの一番血の気の多いサカシータ一族を無事辺境に引っ込ませた事ですけどねえ」
「ああ、確かにそうだな」
エビーの言葉に、神妙に頷くタイタ。
「血の気が多いのは否定しませんが、僕だって戦争になる事は望んでいませんよ」
ザコルは私を膝の間に入れて拘束したまま、私の顔を拭ったハンカチを丁寧にたたみ直している。腕は解いてくれたが離してくれるつもりはないらしい。別に逃げるつもりはないのだが。
「ザコルは私と同じで、単身乗り込んで王都や王宮を更地にしようと考える派ですもんねえ」
そっちが元祖だろうと、ちょっぴり嫌味を込めてそう見上げると目が合った。
「僕も、それが一番被害が少なく合理的かと思っていたんです」
おや。過去形か?
「ほー、今は違うんすか?」
「はい。僕がそれをすると、ミカの考えを肯定する事になってしまいますから。それに、僕が囚われたり処刑されたりするとミカの世話に支障をきたしますので。そうならない方法を考える事にします」
「…………マジか」
エビーが目を丸くしてザコルを凝視する。
「エビー、顔が近いです。…大体、ミカ以外にも、君達や同志達の世話も見ないといけなくなったでしょう。ですから…」
ガバッ、タイタが思わずといった様子で口を押さえた。
「お、俺達の事を考えてくださって…!?」
「やべ、俺ちょっと泣きそう…って、タイさんもう泣いてるし、へへへ、兄貴ぃ! 俺も愛してますぅ!!」
エビーがザコルにじゃれつき、タイタが正座で漢泣きをし始め…。
「くっつくな、鬱陶しい。愛しているなどとは言っていない」
ザコルが心底迷惑そうな顔でエビーを押しはがし、私は……。
「ミカ、ミカ。 どうしました、ミカ……」
ザコルが何度も私の名前を呼ぶ声を聴きながら、ふっと意識を手放した。
◇ ◇ ◇
僕は無防備に寝息を立てるミカをラグの上に横たえると、彼女の頭を膝に乗せてやり、その髪を撫でた。
「色々と限界だったんでしょうかねえ…」
エビーが気落ちしたように呟く。
「別に、ミカがこの国の行末など憂う必要などないのに」
「全く慈悲深いお方です」
ここまでミカを追い詰める一端を作ったのは確実に僕ら、いや、僕だ。
シシの前で、ミカの涙が落ちた林檎を食べたあの時。
ミカからは僕がエビーに食べかけの林檎を取られたように見えたかもしれないが、僕がただエビーが手を伸ばした時に抵抗しなかっただけだ。エビーがミカのために試したがる事は解っていたし、僕も僕以外の検証者がいれば手っ取り早いと考えていた。いくら彼女が検証のリスクを説いても、あくまで僕らの自己責任だろうと取り合わなかった。
彼女がどこまで僕らを大事に考えているか、その底なしの情の深さにまで思い至れなかったのだ。
ミカは、誰かのためならば簡単に捨て身になれる。僕らのためなら心も殺せるし、味方のためなら自分を丸ごと差し出せる。
雑に扱ってっと痛い目見んぞ、というコマの台詞が頭をよぎった。
「もしや、過去に何かあったんすかねえ。自分のせいで大事な人の人生を狂わせたりとか、そういう事が…」
「さあ。ミカが意図的にそういう人間を傷つけるとは考えにくいですが…」
ミカの大事な人、といえば話によく出てくる祖母だろうか。母親が失踪してから単身でミカを育て、脚を悪くしてからは逆にミカが世話していたという。
「人を傷つけるのを恐れられているといっても、ミカ殿は、大事な方の敵となる者には容赦なさいませんよ」
「それはタイさんこそでしょうが。尋問の度に血塗れでニッコニッコしちゃってさあ」
「笑顔でいる自覚はあまりないのだが…。しかし、ミカ殿の敵となる者にはそれ相応の報いが必要だろう?」
…全くどいつもこいつも。
僕は肩の留め具を外してマントを取り、ミカの上にかけた。結んでいた髪もほどいてやる。
「あの者達の尋問も進めなければ」
「風通しのいいとこでやりましょうよ。あの牢も掃除した方がいいっす」
確かに、あの牢では香のにおい移りが気になる。僕がミカから離れなければならないというのも問題だ。
「一度マージに相談しましょう。町の者に見つかると、情報を搾り取る前に私刑で殺されかねない」
外の暴徒も全く落ち着く様子を見せない。下手につつけば今にも王都へ進軍を始めそうだ。
「私刑…。この町の人らも大概っすよね」
「ミカの事で先走ったのは君も同じでしょう」
「あんただけには言われたくねーっす。誰かさんが小指とか折ったのが全ての始まりですんで!」
「僕は寝る」
僕は、ミカの頭を膝から持ち上げて左腕に移し、そのままミカの隣に横たわった。
「不貞腐れやがって、子供かっつの。ほら枕」
エビーがそう言いながら僕の頭にクッションを押し付けてくる。僕の世話までする必要はないのに。
「ふはっ…」
思わず笑いが込み上げてしまったら、エビーとタイタが目を丸くして覗き込んできたので、咳払いをして目を閉じた。
◇ ◇ ◇
ほんの少し肌寒さを感じながら目を開けると、ザコルの寝顔が目の前にあった。頭の下にある硬い枕は…ああ、腕か。
…腕?
「起きましたか。よく寝ていましたね」
「腕枕ぁ…?」
ザコルも目を開き、枕にしていない方の手で私の髪を撫でる。その髪を一房取って自分の口元につけた。
「ふぇ、心臓に悪い…」
思わず手で顔を覆う。顔にかかる髪を払われたと思ったら、額に生暖かい感触がした。
「口でなければいいんですよね。次はどこにしましょうか」
「また意識どっかいっちゃうからやめてぇ…」
「ちょいちょいちょい、俺らの存在忘れねえでくれます?」
「何ですか、邪魔しないでください」
エビーの声に、ガバ、と身を起こす。
「もおおおおお…!! そうだよここ屋根裏部屋じゃん! 今何時!?」
外は日の入り後の小焼け空だ。薄暗い部屋の片隅でタイタがランプに火を入れている。
「もう夕方過ぎてるじゃないですか! イーリア様は…」
「一時間程前に戻ったようですよ。メリーが伝えにきました。ミカがよく寝ていたので…」
「この混乱の最中に寝こけている! 怠慢! 恥ずかしい!」
「別にいいでしょう。ミカがまともに休んでいないのなんて、皆分かっていた事ですし」
「そんなのイーリア様もマージお姉様もピッタ達もメリー達だって一緒です!」
「ミカさんが寝ててくれたおかげで俺らもよく休めましたよぉ」
エビーが気の抜けた事を言いながらぐーっと伸びをする。
「ああそうだ…。三人とも、昨日は寝てないんだったねぇ…? タイタ!」
「はっ、何でしょう」
「いい? 私の護衛をする者は、平時は必ず一日辺り四時間以上の睡眠を取る事をルールとします。守らせなさい」
「御意」
「執行人が来る…!!」
エビーが縮み上がる同志達の真似をする。ふざけていられるのも今のうちだ。タイタは命令された事は必ず遵守してくれる。
「ミカ、髪が乱れています」
「え、あ、ほどいてくれたんですね。紐、貸してください」
「これから会見するんすよねえ、どこでやるんすかね」
「この屋敷の庭か、集会所でしょうか。集会所でも全員は入れないと思いますが…」
「ちょ、ザコル、紐貸してくださいよ!」
「動かないでください。そこのタライと手拭いで顔でも拭いていてください」
「えっ、あ、はい」
メリーが用意してくれたのだろうか。タライの水に魔法をかけて熱いお湯にする。お湯にしてから一部を氷にする。いい感じの温度になった湯に手拭いを浸して絞る。
顔を拭いて、温かい手拭いで手を温めながら待っていると、ザコルが「よし」と言って私の髪から手を離した。
「器用なもんすね…。何なんすか、変態なんすか?」
「昔、コマに仕込まれたので…」
鏡が無いのでよく分からないが、編み込みのあるハーフアップにされたようだ。意外なスキルすぎて何も言えない。
「ミカさんっていつも一つに結んでますけど、そうやって少し髪下ろしてるのも可愛いすねえ」
「ああ。いつでもお美しいが、その髪型も大変よくお似合いです」
「何なの、皆、私に変なフィルターでもかけて見てるんじゃないの? 渡り人フィルター?」
正直、日本で暮らしていた頃は綺麗だとか可愛いとか言われたのはお世辞くらいにしか無いので、こうして見た目を褒められる事には未だに慣れない。どうやらこの世界の人の目には良いように見えているらしいが…。
「僕が言うのも何ですが、ミカは格好にあまり頓着が無いんですよ。ニホンでは基本的に過労気味だったようですし、今までやつれているのが普通だったのでは。こちらに来てからは比較的きちんと睡眠と食事を取っていましたからね。綺麗になって当たり前です」
「本当にザコルにだけは言われたくないですね!?」
「この髪型は似合うだろうと思っていました」
私の突っ込みを完全にスルーし、うんうんと頷くザコル。よく分からないが何やら満足そうだ。
「もう、とりあえず下に降りましょう。降りていいんですよね?」
外の騒がしさは増しているような気もするが、イーリアが帰ってきているならさっさと顔を見せなければ。
天井扉から梯子を使ってリネン室に降り、そっと廊下に通じる扉を開ける。流石に、重傷人もいる三階の廊下に部外者などいない。ホッとして廊下に出て、二階の執務室を目指す事にした。
執務室をノックししてドアが開くと、イーリア、マージ、ピッタ達同志村女子チーム、カファが笑顔で迎えてくれた。
「お前らおっせーんだよ」
「コマさんは何でここでソーセージ頬張ってるんですか…」
「別に。一階で食ってると窓から町の奴らに滅茶苦茶見られるんでな」
コマは執務室の応接ソファにどっかりと座り、イーリアの目の前で堂々と食事していた。
イーリアは向かいの一人掛けソファに座り、周囲には同志村の女子を侍らせつつコマの食事風景を何やら満足そうに見ている。イーリアにじっと見られるのは気にならないのか…。
「ミカ、貴殿もここで食事を摂れ。護衛のお前達も軽く腹に入れておくといい」
マージが準備をと伝えると、部屋の隅に控えた使用人が礼をして部屋から出ていく。私も勧められて一人掛けソファに腰を降ろす。
「イーリア様、すっかりコマさんがお気に入りですね」
「ふふ、こんなに愛らしい生き物が他にいるか? お前達もそう思うだろう?」
そうでございますね、目の保養です、などと、同志村女子達がにこやかに同意する。ここはハーレムか?
「ふふ、ザコルを王都にやってこれ程良かったと思う日が来るとは。ミカ、その髪型はどうした。よく似合っているじゃないか」
「ご子息が結ってくれました」
『ご子息が!?』
バッ、と同志村陣がザコルを見やった。
「俺が仕込みました、子爵夫人」
コマが何でもないような感じで告げる。
「なるほど。コマ殿は変装の名手だろうからな。この朴念仁の愚息も学びが多かった事だろう」
「この下衆が僕に仕込んだ事といえば女装と肉壁くらいです、義母上」
「それと一般常識な。そこらに生えてる草は食うなとかな」
イーリアがピシ、と固まった気がする。
「別に人前でなければいいだろうが」
「よくねえわ。お前、姫に変なもん食わしてねえだろうな」
ゴゴゴ…。イーリアの笑顔が怖い…。
「まさか。ミカには一般的なベリーやニャーコの実くらいしか勧めていない」
「ニャーコって、ああ、アケビの事ですね。旅の初日に食べた。もう既に懐かしい気分です」
ザコルがニンジャボーイみたいに木に登って取ってくれた。まさかリアルニンジャだったとは。
「ミカさんの世界じゃ、あのニャーコの皮も揚げて食べるんでしたっけ」
「そうそう。苦いけどね、祖母によると栄養満点らしいんだよ」
祖母がよく天ぷらにしてくれた。子供の頃は苦過ぎて正直苦手だったけれど、今はあの苦味が少し恋しい。
「ミカ、今度見つけたら、試しに揚げてみましょう」
「そうですね。また来年の秋になったら探しに行きましょうか」
うっ…と声がした方を向くと、ピッタが涙ぐんでいた。
「ミカ様ぁ…来年も、再来年も、ずっとずっとこの世界にいてくださいねぇ…」
「ピッタ…」
つられるように同志村女子達が皆で泣き始める。
「そんな風に言ってくれてありがとう。大丈夫、多分いるから泣かないで。帰る方法も分からないしね」
帰る方法があるとすれば、あのフジの里の六人だってきっと試しただろう。それから百年。召喚の技術や知識はさらに失われつつある。帰ろうと思っても帰れる可能性はきっと低い。そう、私も解っている。
「いや、帰る方法はあるにはある。が、限りなく条件が厳しいはずだ」
『えっ』
イーリアの言葉に、皆が一斉に視線を寄せた。
「義母上、それは本当に…」
「もちろん、私もミカには帰ってほしくない。だが今言わぬは公平でないと思うので伝える。詳細は省くが、喚ぶにも還すにも、莫大な魔力及び生命力、またはそれに準ずる力を捧げる必要があるはずだ。それこそ、生贄となる者が必要なくらいには」
「えっ…で、では、私は、私はどうやって喚ばれたと…」
「分からない。が、私の知る正規の方法で喚んだとするならば、必ず生贄となった者がいたはずだ。現状、渡り人を喚んで無事で済む程の魔力を有した人間など、この世界にほとんど存在しないのだからな。それから、還すとなれば座標の設定も難しいはずだ。貴殿が生まれ育った世界の、ある時間軸と場所を詳細に指定する技術を果たして再現できるかどうか。そうでなければ同じ世界でも全く知らぬ場所や年代に飛ばされたり、最悪の場合、亜空間に飛ばされて一生出てこられなくなる可能性もある」
「で、でも、こちらの世界と私の世界では、時間軸はリンクしているのでは…!?」
少なくとも、あのフジの里の六人が大正時代の日本からこちらに喚ばれてから、こちらも丁度百年くらいが経過している。
「よく調べているようだな。確かに時間は概ね同じように流れているらしい。だが概ね、だ。ほんの少しのズレで、数年から十数年の差は出ると聞いている。ただ、これは私が故国でとある魔法陣技師に聞いた事だ。オーレンの見解はまた違うかもな」
「義母上は、父上とそのような話をした事はないのですか」
「ああ。サカシータ家に伝わる渡り人召喚術は、家長から次の家長にしか受け継がれない。無論、ただの夫人である私にこの話を夫に聞く権利はない。今のは、私が罪多きサイカ国人としてあなたに捧げる個人的な知見だ」
フジの里の六人を喚んだのもサイカ国の当時の王だ。今の話が本当なら、六人もの渡り人を喚ぶのにどれだけの犠牲を払ったというのだろう。イーリアが罪多きと言うのは、そういった歴史的背景を知る故なのかもしれない。
「……ありがとう、ございます。イーリア様。私を、喚ぶために、誰かが犠牲に…。そう」
ザコルが私の傍に腰を落とし、私の片手を取った。
「ミカ、喚んだ側の心配までする必要はありません。それに、帰る方法を探る事もやめなくていい」
焦茶と榛色の交じる瞳が真っ直ぐに私を見る。
「帰るも帰らないも、決める権利を持つのはミカだけですので」
「ザコルは、私が元の世界に帰ってしまっても、いいんですか」
私の手を握る力がギュッと強くなる。
「いいわけないでしょう。ですが、きちんと納得してここにいてほしい」
いつも、逃げるとか帰るとかそういう言葉に敏感に反応する彼から、そんな言葉が聞けたのは意外だった。
「………………」
片手を握るザコルの手に、ぱたりと涙が落ちる。
「あり、がと…」
何とかお礼の言葉を紡いだ私にザコルはハンカチを差し出し、立ち上がった。
「心配いりません。ミカがあちらに帰ると言うなら、僕は何としてでもついて行きますから」
「ふぉ!?」
思わず変な声が出て涙が引っ込む。
「そのために何人犠牲にしようと知った事ではありません。丁度、犠牲となるに都合の良い者達がここに載っているではありませんか」
ザコルはローテーブルの上に無造作に置かれた新聞を手に取った。
「ドーシャ」
「ファッ」
変な声の方を振り返ると、部屋の隅で壁に同化するかのように佇む黒子がいた。
「ヒッ!? ドーシャさん!? そんなとこにいたんですか!?」
「ミ、ミカ様…良い夜でございますね…」
黒子が片手を上げて喋った。
「驚かせて申し訳ありませんミカ様…。リーダー格の代表として呼んだのですが、猟犬様のお身内が多いために正気を保てる自信が無いと…。イーリア様には黒子を被る許可をいただいております」
カファが申し訳なさそうに頭を下げた。
「ふふ、ザコルが連れてくる者は面白い者ばかりだ。退屈せずに済んでいるぞ」
「寛大なお心に感謝申し上げます」
カファとピッタが腰を落とし、さらに深々と頭を下げる。
「君達はこの町の救世主なんです。こちらにへりくだる必要などないんだ、堂々としていろ」
ザコルが顔を上げるようにと二人に目配せをした。
「それで、ドーシャ」
「ひゃいっ」
「同志は、ラースラ教についてどれだけ掴んでいる?」
「わ、私めでは全容までは…。この記事を書いた彼ならばあるいは」
「記者はテイラーに匿われているという事でしたか。テイラーからは何も言ってきていませんか」
「テイラーというよりは、オリヴァー会長から私め宛てのお手紙ならば。たわいない内容ばかりですが…。この新聞頒布の件についてはこの辺境エリアを統括する同志からの指示でして」
エリアマネージャーがいるのか…。
「タイタ、この集いの指示系統はどうなっている。君がトップじゃないのか」
「お、俺は現在護衛任務中ですので、管理業務からは外れています。水害支援の要請はその辺境エリア統括者に手紙を出しました」
「その統括者はどこにいる」
「チッカです」
「呼べ」
「はっ」
「待て、明日以降でいい」
くるりと踵を返そうとしたタイタの首根っこを、ザコルがガッと掴んで止める。
「ドーシャ、そのオリヴァー様からの手紙を見せろ、いや見せてくれませんか。差し支えが無ければで構いませんので」
「かしこまりました! ここにあります!」
黒子が懐からバッと封筒の束を取り出した。
「何故持ち歩いている…」
「会長にも熱狂的なファンがおりますので! 直筆の手紙を盗もうとする不届き者を出さぬために私めが責任を持って預かっております! あのビスクドールのようにあどけなくも美しく整ったかんばせから発せられる腹黒発言に心酔する者が後を絶たず…!」
イーリアが目を爛々とさせた気がする。
「確かにオリヴァー様は可愛らしいのに口は悪いですね…。ああ、そういえば、僕の子供時代の武具を持ち帰る約束をしました。忘れないようにしなければ」
「ふふ、どうしてもついて行くって最後は泣いていましたもんねえ」
「おいザコル、お前の武具だと? あのボロをそのビスクドール殿に着けさせるつもりか」
イーリアがゆらりと立ち上がる。
「彼は僕のファンらしいので、ボロかどうかはどうでもいいのでは。喜んでいましたが」
「ミカ。土産として成り立つかどうか判断してやってくれ」
「はい、分かりました」
イーリアはザコルの言う事が信じきれない様子だが、あのオリヴァーならザコルが使った武具なんて状態を問わずきっと喜ぶだろう。むしろ持ち帰らなければ何を言い出すか分からない。私も忘れないように気をつけてあげよう。
「全く、この常識知らずの愚息の何に惹かれているというんだ。あの可愛らしいコマ殿の世話にもなりやがって。ずるいぞ、お前ばかり」
「義母上にはザラ母様がいるでしょう」
「もちろんザラミーアは私の最愛だとも。だがお前の周りにばかり美しく愛らしい者が集まっている状況自体が気に入らん。やはりミカは私に寄越せ」
「いつかは言い出すだろうと思っていました。嫌です。むしろミカだけは絶対に渡しません」
二人がバチバチと火花を散らし始める。
…何故だ。何故この母子は私なんぞを巡って争っているんだろう。
トントン、と扉がノックされ、マージが開けるとソーセージのボイルと野菜スープ、パン、牛乳を乗せたワゴンが入室してきた。
「まあまあ。空腹はイライラの素ですわ。まずは腹ごしらえと致しましょう。今日はこれからが本番ですわよ」
マージがにこやかに手を叩き、ザコル、エビー、タイタにも着席を促した。食べ終わったらしいコマは立ち上がり、マージに勧められて執務机の椅子にどっかりと座り、ホットミルクを受け取った。あの工作員は何故あんなにも堂々としているんだろう。
コマが一人で占領していた二人掛けソファが空いたので、私はそちらに移動してザコルと隣合わせで座る。
同志村陣とマージを立たせたままで申し訳ないので、なるべく急いで食事を摂る。しかしイーリアがにこやかにこちらを見ている手前、あまり急ぎすぎるのも行儀が悪いかとも思い、加減が難しい。
「義母上、あまりジロジロ見るとミカが食べづらいです」
「ミカは食べ姿も美しい。見ていて飽きない。コマ殿の意外な食べっぷりもいい。あのマグカップを両手で持っている様などまさに芸術ではないか。やはりお前はずるい。この十年、常にこの愛らしい生き物達が近くにいたのだろう」
「ミカと知り合ってからはまだ一年も経っていません」
「お前、その性分で王都に行くなどと言い出したのは、美しい者を漁るつもりだったのではあるまいな」
「どうしてそんな発想ができるんですか。僕はただザハリを行かせるのが心配で」
「お前を行かすよりは百倍マシだと思っていたがな、あの時は」
「ザハリでは余計に警邏隊を門前払いされていたと思いますよ。ザハリは僕などよりもずっと愛らしかったですし…。領内の女性達にもザハリの代わりに行ってくれと頼まれて」
「はあ? そんな話は聞いていないぞ」
「別に言う必要はないでしょう。僕もザハリの代わりに行けて本望でしたから」
「へえー、双子の弟君可愛さに王都行ったんすね…」
エビーがザコルとイーリアの言い合いを傍目に眺めながら呟いた。へえーへえー。私も心の中で頷く。
エビーの食器はもう全て空だ。ザコルもタイタも食べ終わっている。早い。
「おい、お前より百倍マシな弟は今どこにいる」
コマが人材発掘に乗り出した。私は大きなソーセージを切り分けて口に運び、必死で咀嚼しながら執務机の方を向く。忙しい。
「コマ、お前だけには絶対に」
「子爵夫人、俺もカリューへ同行してよろしいでしょうか」
「もちろんだ。うちの馬を貸そう」
イーリアがにこやかに返事をした。
「義母上! ザハリを引き抜かせるつもりですか!」
「いいじゃないか、どうせ九人もいるんだ。コマ殿が欲しいのであれば一人くらい」
「何を言っているんだ、その九人のうち何人が子を成せていると思っている! このままでは家が断絶しますよ!」
「ザハリの子なら既に市井に何人かいるぞ。どうしても他に後継がなくなった暁には、あの中から迎えようと考えている」
んぐ、パンが喉に詰まった。
「……今、何と」
ザコルが紅茶のカップとハンカチをこちら差し出し、咳き込む私の背中をさすってくれながら言った。
「だから、市井にいるザハリの子を引き取ればだな」
「ザハリは未婚のはずでしょう!? 僕の知らないうちに結婚を…!?」
「いや。女達の意向によって、ザハリは誰とも結婚しないらしい」
ザコルが頭を抱えてしまった。
紅茶でパンを飲み下したので、今度は私がザコルの背中をさする事になった。
「この十年で、一体何が…」
「お前が帰ってこないせいだろう。ザハリは寂しがっていたぞ」
イーリアはケロリとした様子で言う。
「僕のせい…。義母上はザハリの爛れた? 生活に何も思わないんですか」
「私としては後継ができれば何でもいいと考えていたが、人数が増えすぎて問題視し始めた所だ。今となってはザハリを王都にやらなくて本当に良かったと思っているぞ。領外にサカシータの血を引く子が散っては大問題だったからな。よく行ってくれた、ザコル」
「あ、ありがとう、ございます…?」
完全に混乱しているザコルの背中を必死でさすり続ける。
「コマ殿、ザハリを領外に出すのなら去勢は必須だ」
「必要なら俺が処置します」
「ヒュン…」
エビーが青い顔になった。タイタは貴重な話が聴けたとでも思っているのかニコニコしている。
カファと同志村女子はずっと沈黙している。ドーシャは完全に壁になりきっている。
マージがコマにお代わりはと聞き、くれ、とコマが答える。
大幅に脱線している上にこの空気。私は結局一言も発することはできなかった。
しばらくして、ザコルが抱えていた頭を上げた。
「あの、ザコル、大丈夫ですか。会見できます?」
私はやっと言葉を発した。
「大丈夫、大丈夫です。ミカをハーレムの一員になどさせませんから」
「いえ、そうではなく…」
ザコルはまだ混乱しているようだ。
「猟犬殿、テイラーの愛し子をそんなのの一員にしたらマジで戦争っすよ? 分かってますよね?」
「エビー、大丈夫だよ、私も自衛するし。ていうかテイラーの愛し子って何?」
「大丈夫でしょう、ザコル殿の魅力に叶う者などたとえご兄弟といえど存在いたしません。しかし双子の弟君がそのように奔放な方だったとは意外です」
テイラーチームで全く動揺していないのはタイタだけだ。貴族なら市井に愛人が複数いても普通だとでも思っているんだろうか。
「すみません、取り乱しました。まさか、市井に甥か姪が大勢いるなんて…はっ、まさかこの町にも…!?」
今朝お風呂に入れた子供達の顔を思い浮かべる。あからさまにザコル似の子はいなかったと思うが…。
「いや、シータイやカリューにはいない。水害のある少し前、中央に家を用意して全員集めさせたのでな」
イーリアの言葉に、ほ、と息をつく。
中央とは子爵邸のある領都の事だろうか。
まさかとは思うが、カリューみたいに『チューオー』が正式名称だったりするんだろうか。
「衣食住と教育などの面倒は見てやろうかと思ってな。以前お前が褒章を受けた際に寄越した下賜金を充てさせてもらったぞ。幸い母親達がまともなようでどの子もしっかり育っているようだ。私も今後の成長を楽しみにしている」
「それは何よりです…ぜひしっかり保障を…足りなければまた送りますので」
はああ、と深い溜息がザコルから漏れ出る。
「ザコル! 人前ですけど私を補給しますか!?」
「……します」
思い切って自分から手を広げてみたが抱き締められる事はなく、ザコルは何故か私のスープ皿とスプーンを手に取った。
「口を開けろ」
「な、何…っあむっ、んんー!?」
疑問を口にしようとしたらスプーンを突っ込まれた。
「それで、ザハリの事はいいんです。今日はどのように会見するつもりですか義母上。きちんとミカの意向も汲んでくださいよ。ミカは決して開戦を望んでいるわけではありません」
口に大きくカットされた根菜を入れられたので返事はできないが、コクコクと頷く。
「もちろん戦争を仕掛けようなどという気はないさ。こちらからはな。だが、あいつらを納得させるだけの餌はいるぞ」
餌…。戦闘を伴う何かという事だろうか。口を挟みたいが、ザコルが次の具をスプーンに乗せてスタンバっている。
「ザコル様。ここ二日程、早朝に同志の方々を鍛えていますでしょう?」
マージの言葉にザコルが眉間に皺を寄せる。
「…なるほど、タイミングが悪かったですね。まさかこんなに早くミカの出自が明かされるとは思っていませんでしたから」
「わ、私め共が訓練に参加させていただいている事に何か問題が…」
壁と同化していた黒子、もといドーシャが動いた。
「戦争の準備をしていると思われている、という事ですよドーシャ。今朝は人数も多かったですしね。その後に君達が張り切って新聞を配っていれば、そのように考えて士気を上げてしまう者もいるでしょう」
「士気は上がり切って暴動寸前だ。他の同志村の者達はどうしている」
イーリアはカファに話を向ける。
「同志村の各テントで明かりを消しての待機を命じています。町の女性達にそのように助言いただきましたので」
「賢明だな。巻き込みでもしたら申し訳が立たない。それに、この混乱では曲者が紛れ込んでも捕えきれない可能性がある。ここにいる者の身は我々が必ず守る。屋敷から出たら、私やザコルの側を離れるな」
「はい。ですがこちらが招いた事態でもありますから。若頭、今こそ私達を守ってくださいよ!」
「も、もちろんだカファ、修練の成果をとくと見よ!」
黒子が十手をシャキーンと出して構えてみせる。
「ドーシャ、ジッテは今日持ったばかりでしょう。練度の低い武器を振り回しても危険が増すだけです。今日は大人しく僕らに護られていろ。いいな」
「は、はひょう…」
黒子が十手を握りしめて乙女のポーズになった…。僕に護られていろ、は殺し文句だ。
ザコルは最後の具をスプーンに乗せて私の口に突っ込む。
「町外れの牢は襲撃されていないでしょうね、マージ」
「ええ。信頼の置ける『落ち着いた』者に警護を任せております」
私はザコルが持っている器を奪い、口の中の具ごと残りの汁を一気に飲み干す。
ハンカチで口元を拭って口を開く。
「あのっ、私が、皆にしっかり伝えればいいのでしょう? 私は大丈夫だからこっちから王家に手を出す必要は無いって…いや、そんなんじゃダメか、ええと、ええと」
考えろ、考えろ、私の言葉一つで戦争が始まってしまう。
「そうだ。現在まだ調査中です!! なので! 皆、明日も鍛錬を頑張りましょう!! 以上!!」
………………
シーン。
沈黙。
誰も話さずに考え込んでいる。
え、違う? 黙りこくる程のダメ発言? 白けちゃった?
不安になってキョロキョロと周りを伺っていたら、イーリアが顎にやった手を膝に戻し、背をソファに預けた。
「ふむ、そうだな。それしかない」
「そうですね。現状の調査状況を開示しつつ、開戦を完全否定せず。いいのではないでしょうか」
「さっすがうちの姫」
「ミカ殿の聡明さ、思慮深さには恐れ入るばかりです。…して、どういう事でしょうか」
がく、タイタの言葉に肩が落ちる。
しかし皆に意見を否定されなかった事にはホッとした。
「え、ええとね、素人考えを語るのは非常に恥ずかしいんだけど…。結局の所、誰が私を喚んだのかすら判っていないのが現状でしょう。王弟が本当に攻めてくるのかも分からないし、ラースラ教の動向や実態も謎のまま。本当の敵はまだ見えてもいないんだよ。だから『調査中』です。その上で、いつ戦いになってもいいように、準備だけして待つぞーっ! おーっ! で、今日の所は解散」
必殺、面倒な案件は先送り作戦。やるともやらないとも言わない。持ち帰りますとか、社内で確認中ですとか言いながら相手の気が収まるまで現状維持。
「興奮してる相手に落ち着けなんて言ったって聞かないからねえ…。やり過ごして、数日も経てば少しは落ち着いてくるでしょ」
決して誠意ある対応とは言えないが、今日明日で暴動が起きるよりはいい。
「なるほど! ありがとうございますミカ殿!」
同志村陣もなるほど、と頷いてくれた。
イーリアは満足そうにティーカップの薬草茶に口をつけている。
ただ、私にはその辺りの調査状況とやらを卒なく報告する自信は無いので、その辺りはザコル任せになるだろうが…。
「ついでに、曲者は生捕りでと念押ししましょう。せっかく来た者を片っ端から始末されては調査も進みません」
「血の気の多い奴らには特別メニューでも課すか」
「あ、そうだ、何かしたいという方には薪の用意でもしていただきませんか。籠城の備えも必要だーとか言って。それに橋の再建とか。物資の流れも整えないといけないぞーとか言って…」
…………
また沈黙。
「あの…調子に乗ってすみません」
「いや、すまない、実際に伝えた時の反応を考えていただけだ。いいぞ、どの道水害の始末がつかなければ開戦どころではない」
「僕もいいと思いますよ。カリューや橋などの復旧が最優先です」
「明後日、ミカさんカリューに行くんすよね。逆に士気上げちゃわねーすか?」
「うーん…確かに。あんまり煽るような事したくないんだけどなあ…。私はただ…」
膝の上で手をギュッと握る。
「ミカ、言い方はどうあれ、最終的には復旧に目を向けさせましょう。現状、王家や邪教より、この地ではこれからやってくる冬の方が大勢の命を奪います」
「……なるほど。分かりました」
顔を上げる。着地点は見えた。
今まで、町の人に言われた事。感謝された事。それらがカチ、カチ、とパズルのように組み上がる。
そうだ。『一人だって死なすもんか』って、皆に言わせたら私の『勝ち』なんだ。
つづく




