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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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優しさと毒物

 翌朝。


「何つうか、そのカズ・ナカタって人も真面目? っすよねえ、一応周りに渡り人だって認識されてるんでしょ、何で国境守りの騎士団にいち兵士として同行してんすかね。しかも歩兵。なんで?」


 エビーが疑問を垂れ流している。


「そんな事、私も分からないよ。ただ中田も仕事中毒だったからねえ…。もし本人なら、何かしていないと落ち着かないのかも。なまじコミュ力が高いからバンバン面倒な仕事引き受けてきて…。本当に困った奴だったよ」

「ミカさんに奴呼ばわりされるなんて相当すね」

「ミカはどうしてそんな奴と共に仕事をしていたんです」

「いくら奴が受けた仕事でも、受けたからにはやるしかないじゃないですか。会社や部署の信用問題になりますし。でもそんな残業確定の仕事を、新人や家族のいる社員に振るわけにいかないでしょ。契約の子達も犠牲にしたくなかったし…。私は独身で正社員でしたからね。まあ、別に損ばかりではなかったですよ。働き方はともかく、残業代だけは一応出る会社でしたから。お陰で奨学金も無事に繰上げで返済完了できましたし。保証人だった叔母に迷惑をかける事にならなくて本当に良かったです」

「何が良かったのか全然分かんないすけど、異世界でもミカさんはミカさんなんすね」

 エビーに微妙な顔をされた。

「あんなに干から…いえ、あんなにやつれておきながら、尚も前向きであるミカの精神力は素直に感心しますよ」

「また干からびた芋って言いかけましたね」

「い、言ってません」


 タイタは先んじて厩舎に声をかけに行ってくれている。ザコルとエビーは私の身支度を待ちながら、テント内の幕越しでお喋りに付き合ってくれていた。コマはまだ寝ている。


 自分で温めた白湯を啜りながら、私は髪をポニーテールに結い上げた。猟犬ブートキャンプ二日目、今日も張り切って鍛錬しよう。

 今日で水害発生から六日目、テイラーを発ってから十七日目だ。


 ◇ ◇ ◇


 昨夜は町長屋敷から同志村に引き上げた後、軽く清拭をし、まだ眠れそうもなかったのでアメリアへの手紙を書いた。


 大まかな出来事は同志やエビーの報告書にも書かれていると思うので省く。

 治癒能力の事について書こうかと思ったが、万が一この手紙がアメリア以外の手に渡った時を考え、結局やめにした。代わりにお湯が沸かせるようになった事については詳細に書き、同志や町の人々と一緒に風呂を作っている話や、りんごバターやシャーベットを作った話などを書いた。きっと楽しく読んでもらえるはずだ。


 エビーやタイタにはとても感謝していると、同志やその部下達にも大変助けられていると、イーリアやマージにとても可愛がってもらっていると書き、色々と迷った挙句、恐らく護衛上の事由があってザコルとの婚約話が出たと一言添えた。

 少々動揺しながら書いたので文字がヘニョヘニョになったが、平常心で書き直せる自信も無かったのでそのまま封筒に入れた。昨日、救護所で若い母親にもらった花を押し花にしていたので、それも同封する。


 私が寝るまで寝ないという宣言通り、ザコルはテントの幕の向こうでジッと座って待っているようだった。ランプの灯りを消さない限り寝てはくれないだろう。タイタが調達してきてくれた編み棒も試してみたかったがやめておいた。

 封をした手紙を枕元に置き、ザコルに一声かけてランプの火を消す。寝袋の中には厚い毛布が敷かれていた。きっと同志村女子の一人が差し入れてくれたのだろう。

 夜は冷え込んだが毛布のお陰で足元まで暖かかった。

 私は何も考えないようにと、いつか森の中で見た満点の星空を思い浮かべながら目を閉じた。


 ◇ ◇ ◇


 まだ日の出前の薄明かりを歩いていると、放牧場に近づくにつれ賑やかな声が聴こえてきた。

「増えていますね…」

「何が…って、あ、本当だ、増えてる!?」


 放牧場をランニングする同志チームの後を、町民や避難民の男性達が追いかけるように走っている。

 昨日ザコルの鍛錬メニューを完遂できなかったリュウを含む三人は指示通り放牧場の中心に待機していたが、屈強な男性達と一緒に柔軟を始めていた。あれはりんご箱職人の男達だ。よく見ると部下代表カファまでいる。


 放牧場の端では同志村女子チームが並んでお喋りしている。その後ろには町民・避難民の女性達まで並び、世間話をしながら私を待っているようだった。

「増えてる!!」

 大事な事なので二回言った。

 ザコルはそう気にした風もなく、厩舎から戻ってきたタイタと、エビーを伴って放牧場の中央へと行ってしまった。


「おはようございまーす! ミカ様ー!!」

 ピッタを始めとした同志村女子達が大きく手を振っている。私も大きく手を振って彼女らに駆け寄った。

「おはよう、みんな。何で増えてるの…?」

 ピッタ達の後ろに控える女性達を見ながら言えば、ピッタが事情を説明しようと私の側に寄ってきた。

「あのですね、私達、昨日それぞれの持ち場で鍛錬の話をしたんです。皆さん放牧場で何が行われていたのか気にしていらっしゃいましたので…」

『ミカ様!!』

「わっ」

「えっ、何、何ですか」

 ピッタは押しのけられ、集会所などでよく見知った顔が私をぐるりと取り囲んだ。

「ピッタちゃん達に聞いたよ! ミカ様のその抜群のスタイルはザコル様が考えた体操で作られたんですってねえ!」

「どれ見せてくださいよ」

「ひいいい何言ってるんですかああ…恥ずかしいからやめてください! 別に抜群とかじゃないし!」

 女性達は縮こまる私に構う事なく全身をペタペタと検分した。


「ああ、これはよく見りゃ納得だ。この背筋と腹筋、大腿筋、そして胸筋! 上手に育ててるねえ。これならドレスにも映えるだろうよ。あの無愛想なザコル様にこんな美意識があったなんてねえ」

「王都で目を肥やしたのかしら」

「本当に無駄の一切ない美しい体だこと」

「その体操とやら、私達にも教えてくださいよミカ様。参考にしたいわあ!」


 気づけば、私はいつの間にか女性集団の前に一人立たされていた。

「…………えっ?」

 この、大勢の前で体操しろと…?


「あら、ミカ様ったら緊張してんのかい。あんなに勇ましく町長に啖呵切って指示飛ばしてたお人がさ」

「イーリア様にも臆せず話す度胸がおありなのに」

 あっはっは、と女性達が快活に笑う。

「ミカ様、ミカ様、大丈夫ですか、私達も一緒に前で体操します…?」

「ピッタぁぁ…みんなぁぁぁお願いぃぃ…!!」

 助け舟を出してくれた女子達に思わず縋る。


 他ならぬこの領で、好き好んで鍛錬に参加しにくる人なんて絶対に一般人じゃない。そんな玄人集団の前で、ド素人が体操の手本をするだなんて何の拷問だろうか。

 同志村女子一同には心から感謝しつつ、私達は昨日もした体操を大所帯で始める事になった。



 領民に追いかけ回された同志達がほうほうの体で走り込みを終え、ザコルが昨日の鍛錬メニューの指導を開始する。猛々しい掛け声と共に例の片手逆立ち腕立てが一斉に行われている。これはもうただただ本気の軍事訓練では…。

 領民の男性達は当たり前のようにメニューをこなしている。その内、ついて来られない同志に激励混じりの指導もし始めた。


「凄いねあっちは…。大丈夫かね同志は…」

「ある意味、猟犬様への緊張が紛れていいんじゃないでしょうか。町の皆さんとは世間話くらいできていますし」

「あ、カファが倒れた、ねえピッタ、彼はこっちのチームに入れてあげようか?」

「そんな、男性で一人だけミカ様のチームになんて入ったら町の皆さんに殺されちゃいますよ」


 カファはドーシャの部下にすぎず、ファンの集いの会員でも何でもない。

 体力的には正真正銘の一般人であるカファがあの常識外れなメニューに挑むのは無茶だ。いや、彼はもしや自分を変えたいのだろうか。それなら水を差す事は野暮だ。


「ミカ様、この体操、甘く見てたけど結構効くねえ、毎日してたのかい」

 避難所を仕切っていたシータイ町民の女性が汗を垂らしながら訊いてくる。

「ええ、夏の間はずっと。雨の日は部屋でやっていました。今日はこの後走り込みもします」

「旅に出る前、ザコル様にしごかれてたなんて噂で聞いたけど本当だったのねえ、ミカ様は魔法士様でしょうに…」

「体を鍛えてもらうようになってから魔法の精度も上がったように思いますよ。血行が良くなったのか冷えたりする事もなくなりましたし。今まで運動とは無縁でしたが、体を動かすって気持ちがいいですね!」

 おおーっと領民女性達が拍手をくれた。

「流石はミカ様。並の女とは根性が違うわ」

「あのサカシータ一族の二つ名持ちと一緒になろうってんだもの。それくらいやってやろうって女じゃないと務まんないよ」

「相当な度胸がおありだわ、この領の女でも怖気付くもの。弟君のザハリ様なら、まだ…」

 サカシータ一族、というかザコルか、サカシータ領の女性さえ怖気付くとはどういう…。


 ザコル自身も、手加減できる自信がないとか、自分と触れ合うのはこういう事だみたいなものだとか言っていた事はある。あれは思い詰める私の気を逸らす方便だったかもしれないが…。

 実際に何度も締め上げられかけている事を思えば、もう少し真面目に対策した方がいいのかもしれない。


「……えっと、滅茶苦茶にされないように、もっと鍛錬頑張ります」

「その意気だよ! ミカ様ならきっと大丈夫!」


 サカシータの女達が明るくバシバシと背を叩いて励ましてくれる一方で、同志村女子達は若干引き気味になった。


「ミカ様? へんた…いえ、猟犬様とお付き合いするのはそれ程の覚悟が必要なんですか?」

「ミカ様のお体が心配なのですが。お考え直しを…」

 今の会話だけ聴いていたら、私が女子達の立場でもそう言ったかもしれない。

「それでもまあ、私には彼しかいないからね…」

 そう呟けば、すぐ隣にいたピッタが、ひゃーと声を上げた。

「あ、いや、でもでも、基本的にはとっても優しいよ。怪我したり、疲れてたりすると過保護なくらい心配してくれるし。休まないと怒られちゃうくらいでさ。休めとかザコルにだけは言われたくないんだけど…」

「ミカ様がお休みになった方がいいというのはきっとどなたでも言いますよ」

 女子達が呆れ顔になった。

「ねえ、頑張れだなんて言っちゃったけどさ、ミカ様、ちゃんと寝てるのかい?」

「ずっとまともに休んでなんかないでしょう、今日くらいこの後ゆっくりなさったら…」

 民の皆も過保護だ。皆だって毎日忙しく働いているだろうに。


「ありがとうございます。今日はお風呂を沸かす予定なので、その後はまたゆっくりさせてもらいますよ」

「ああ、そうだ、老人と子供達を入れてくれるんだってねえ、下流や山の民の子達だけじゃなくて、何だかうちの子達まで誘ってもらったみたいだけど、大丈夫? もし大変なら遠慮させるから言ってちょうだい」

「すみません、うちの子が誘いたいと言い出したようで…」


 そうか、この人達、ママ友グループだったのね。


「子供達なら一度に何人も入れると思いますし、問題ないと思います。子供達もその方がきっと楽しいでしょう。湯船で溺れたりしないよう、しっかり注意を払って入れますからね。同志村の皆も、今日は忙しいかもしれないけどよろしくね」


 同志村女子達の方に視線を移せば、母親達も頭を下げた。

 彼女達はブンブンと首を振った。


「全然、私達なんて役得ばっかりなので気にしないでください! 昨日は一番風呂をいただいてしまいましたし、魔法も間近で見られて感動しました!」

「ありがとう、私も堂々と魔法を使えて嬉しいんだ。皆でワイワイするのも楽しいもんだね。昨日なんてザコルが水満タンの大樽をヒョイっと持ち上げて湯船にザバー、なんてするから男性陣も大盛り上がりで」

 まあ、さすが! と領民の女性達が声を上げる。

「あれには本当にびっくりしました!! あの大樽があんな高さに持ち上がる所なんて見た事ありません…!」

「そうだよねえピッタ、私もびっくりだったよ。今日もやってくれるかなあ。ふふ、彼って本当に凄いんだよねえ、この後の手合わせも楽しみで、ふふ、戦ってるとこはもうホントに、ふふ」


 人前でカッコいいなどと言うとまた怒られるかと思って言葉を濁してみたが、完全に挙動不審な感じになった。


「まあ、ミカ様はあの方が本当にお好きなのねえ」

 ズシャ。

 何かが潰れたような音がした。


 振り向くと、髪や顔に土をつけた人がツカツカと歩いてくる所だった。

 彼は、私を含む女性達の前で、すうはあと息を整えると、

「しゅ、集中できないので! 僕の噂話はしないでください!」

 と、勢いよく言った。


 耳が赤い、目が合わない、女性がいっぱいいるから緊張してるのかな、可愛い。

「はいはいもうしてませんから。ほら、頭に草が乗ってますよ」

 髪についた土と草を払ってやると、一層気まずそうな顔になった。

「かわい」

「やめ…っ、か、可愛い可愛いとうるさいんですよ! 一体この僕の何を見て…っ違う、僕の話は禁止です! いいですね!」

 くるっと向きを変えて、男達の方へとズンズン戻っていく。可愛い。

 一度こちらを振り返って何か物言いたげにしたが、苦々しい顔をしながらプイッとあちらを向いた。可愛い。


「ふふふ」

 私も体操に戻る。

「…ふふっ、楽しそうねえ、ミカ様」

 一緒に体操する皆も可笑しそうにくすくすと笑っている。

「ええ、とても楽しいですとても」

「もう、可愛いのはミカ様ですよ。そんなにニコニコなさって」 

 彼には気持ちの悪い笑い方だと言われているが、それを言うとまた女子達が怒りそうなのでやめておいた。



 体操を終えて走り込みに入る。

 一般人である女子達には放牧場二周以上を目標に自分達のペースで走るよう指示し、領民の女性達は実力が分からないので、とりあえぜ私は自分のペースで十周走りますから、とだけ伝えておいた。皆目を丸くしていたが、よしきた、そうこなくっちゃ、とやる気になってくれたので、今日は遠慮しなくても良さそうだなと思った。


 走り始めると、昨日のようにコマがやってきて並走を始めた。町長屋敷で借りてきたのか、昨日とは違う服装だ。丈の短い黒のワイドパンツに、ハイネックのニット。もしかしなくとも、私がよくしている服装に寄せているんだろうか。

 いざとなれば俺が囮になる、その言葉が急に現実味を帯びてきた。


「コマさん。おはようございます」

「へっ、今日は大軍勢じゃねえか。昨日よりペース上がってんぞ、大丈夫か」

「前はもっと早かったですし。無理はしてませんよ」

「俺も最後まで一緒に走ってやる。それから手合わせだ」

「はい。よろしくお願いします」


 後ろの女性達は急に現れたコマに驚きつつも、ペースを乱さずついてくる。

 七周くらいした所で彼女らは離脱していき、私は残り三周をコマと二人で走った。


「最後一周、競争でもします?」

「俺を舐めてんのか?」

「負けませんよ」

「ふん、上等だ。本気で走ってみろ」


 全力で走り始めた私達に気づいて、女達が声援を送り始める。

 しかし流石は現役の工作員で男性、つけられた数メートルの差が全く埋まらない。

「ミカさああーん!! 頑張ってくださーい!!」

「ミカ殿ー!! コマ殿ー!! 後一周ですー!!」

 エビーとタイタも声掛けを始めたので同志や領民の男性達も声を上げ始める。まるで運動会のようだ。

 先を走るコマが振り返ってニヤリとする。

「くううう!! 負けないいい」

 力を振り絞ってさらに速度を上げる。

 最後まで走り切れるか微妙な速度だが、出し惜しみしている場合ではない。

「やべ」

 コマが余裕の顔を引っ込めて前に向き直る。


 結局、差は一メートルくらいまでは縮まったが負けてしまった。

 ゴールに走り込んで倒れそうになると、ザコルが受け止めてくれた。

「何を無茶してるんですか。惜しかったですね」

「…はあ、はあ、ぷはあ……ありがとう、ございまふ…」

 コマもしばらく歩いて息を整え、地面に座り込んだ。

「ミカ殿、コマ殿、お二人とも素晴らしい戦いでした!」

「ミカさん大健闘でしたよお! そんで危なかったすねえ、コマさん」

「うるせえ金髪、俺はいい歳なんだぞ」

 ピッタが手拭いと水を持ってきて私とコマに渡してくれた。


 しばらく休憩した後にコマと護身術や短刀の手解きを受け始めると、昨日と同じように同志村女子たちは黙って観戦を始め、その近くで領民の女性達まで座って、物珍しそうにこちらを見つめた。


「何か大勢に見られてると緊張しますね」

「お前は緊張してるって動きじゃねえんだわ。今のだって昨日教えたばっかだぞ…」

「むしろ昨日習ったばかりだからまだ忘れてないだけですよ。おさらいから始めてくれてありがとうございます」

「だから、何で昨日の今日で練度上がってんだって話だ。だが、まだまだだ。驕んなよ」

「はい。もちろん」

「今のは踏み込みが甘え。もっと体重のせろ」

「はい!」


 キイン、ギッ、シュッ、ガッ、ギイン

 私の短刀とコマのダガーがぶつかり合う音が続く。


「今日はこれくらいにしとくか」

「ありがとうございました」

 コマが切り上げたので、私は腰を曲げて一礼する。その様子を見ていた領民の女性達が不思議そうに言う。

「ミカ様は…うちの領の団に入ってた事がおありなのかねえ」

「でも、まさか」

「そんな訳ないってのは分かっちゃいるんだけどさ、あの礼の仕方、教わる時の姿勢も、あまり他所では見ない所作だから…」

「ザコル様のしごきを受けられたからでは? どう見ても素人の動きじゃありませんし」

 しまった、この腰を曲げる礼の仕方はこの世界では珍しいのか。

 すっかり武道を習っているような気分になっていた。


 確認はまだ取れていないが、サカシータ一族の先祖はおそらく当時の日本からやってきた忍者だ。もっとも、後の時代の忍者像やその他もろもろも反映されている気がするので、近代の日本人の関与も疑われるが…。

 ザコルは『セイザ(正座)』も知っていた事だし、日本式の礼の仕方が風習として残っていても何らおかしくはない。まあ、何か言われたら全部ザコルに習ったことにしよう。


「コマ様と言ったかしらね、彼女…いえ彼? はザコル様の元同僚なんでしょう? 流石の腕ねえ。初見じゃ、あの見た目に騙されてしまいそうよ」

「私達ともやってくれないかしらねえ」

 コマがクルッと女性達の方を振り返る。

「おい、お前らに囲まれたら俺が無事で済まねえだろが。見た目で騙してんのはそっちだろ娘共」

「きゃあ、娘だって。あんたに言われちゃ嫌味にしか聴こえないよお!」

「何言ってんだ、俺からすりゃお前らなんざ全員小娘だ」

「嬉しい事言ってくれるじゃない……って、あんた、いくつなんだい?」

「ふん、さあな。俺は先に診療所行ってんぞ。赤毛にはまた時間作るって伝えとけ」

 ニヤリと笑って颯爽と去っていくコマ。え、私もコマさんの年齢知りたいんですけど…。


 ここにいる女性達は皆既婚で子持ちのようだが、この世界の結婚年齢の低さから考えれば私と大差ないかもしれない。実際に見た感じが若々しいので、何人かは同世代か、もしかしたら全員歳下…? いや、深く考えるのはやめよう。



「ミカ。あちらで同志達に武器を試させますが、あなたも見てみますか」

「あ、はい! 見ます見ます!」

 ザコルが誘いに来てくれた。


 同志村女子と領民の女性達に男性達に混ざってくると伝えると、同志村女子達は昨日と同じように朝食を用意してくると立ち上がり、領民の女性達は仕事や避難民の世話などがあるからと言って町に戻っていった。

 領民の男性達も、女性陣と同じように仕事へ向かっていったらしい。


 ザコルが用意した武器は、長剣に短剣、十手のようなもの、槍、薙刀、棍棒、弓など、様々だった。

 何が向いているか分からないので、町長屋敷にあったものから借りたと話した。


「とりあえず、基本的なものだけです。希望はありますか」

「わ、私め、投擲がしてみたいです!」

 ドーシャが手を上げて言った。

 おお…ザコルに自分から意見を言えるようになったなんて。進展したなあ…。

「投擲はかなりやり込まないとモノになりません。基本的な事は教えられますが、後は自分で練度を高めるしかありませんよ」

「そ、それでも憧れておりまして…!」

「隠密めいた事がしたいのであれば、このジッテもお薦めです。捕物に向いています」

 そう言って、ザコルは金属製の十手のようなものを取り上げた。


 いや、ようなもの、などではない。まごうことなく十手だ。


「ジ、ジッテ? 初めて見る物ですが…」

「この、鉤の部分で刃を受けたりするんですよね。警棒みたいに突いたり打ったりもする武器です」

 私が手振りを交えてそう言えば、ザコルが驚きを通り越して呆れたみたいな顔をした。

「ミカはどうしてそう武器に詳しいんですか…。ジッテなんて、それこそサカシータ領ぐらいでしか普及していませんが?」

「実はこれ、私の生まれ故郷にもあった武器なんですよ」

 忍者というよりは、江戸の町で『御用だ御用だ』と言いながら振り回しているイメージが強いが。

「ふむ、そうですか…。そのあたりの話はまた詳しく聞きましょう」

「今、サカシータ領にしかない武器とおっしゃいましたか!」

 別の同志が声を上げた。

「そうですね。僕が知る限りでは、他領や他国で見た事はありません。これは刃が無いので生捕りには丁度いいんですよ。ジッテ術と呼んでいますが、打突などの攻撃や防御だけでなく、手の延長のように使って関節を決めたり、投げたりする技も含まれます。応用の効きやすい武器という事ですね。タイタ、打ち込んできてください」

「はっ」


 タイタが剣をザコルに向かって振り下ろす。

 ザコルはそれをサッと避けて十手の鉤の部分に剣を引っ掛けて下方に押さえ、滑らせるように前に移動したかと思うと、タイタの手首を掴み、十手を軸にしてぐるんとタイタを縦に回転させた。そしてドサ、と地面にタイタの背がつく。


「え…」

 剣を振り下ろしたと思ったらあっさりと投げられ、タイタも呆然としている。


「とまあ、こんな感じで使います」

 おおおおおー!! 同志達から拍手が沸き起こる。へえー、十手ってそんな風にも使うんだー。


「私はそのジッテというのを使ってみたく思います!」

「私めにもぜひお教えください! そんな技を見せられては滾る心を抑えられそうにありません!!」

「気に入ってもらえて何よりです。刃が無い分、普段も持ち歩きやすいと思いますよ」


 今の実演で皆、十手にしっかり興味が湧いたようだ。

 昨日は刃物を持ってビビっていた同志もいたので、刃のない捕物専用の武器は受け入れやすかったのかもしれない。もしかして、ザコルもそれを見越して薦めたんだろうか。


「では、順番にジッテを試してみましょうか。ちなみに木製の物も存在します。軽くて手入れも楽ですよ」

 かくして、同志軍団は十手を得て、同心軍団になった。

 同心とは、江戸の警察みたいな人達だ。



 同心…いや、同志達とタイタまでもが十手の手解きを受けている間、私は弓を手にとって見ていた。


 思ったよりも軽くて短い。

 日本の弓道で使う和弓とは違い、アーチェリーで使うような洋弓と呼ばれるものなのだろう。弓の長さは百二十センチくらいか。引くのに力はいるようだが、少し引っ張ってみた感じでは思った程キツくはない。これで威力が出るのかと心配になるくらいだ。


「ミカさん、的用意するんで、引いてみます?」

「エビーが教えてくれるの? 本当に?」

 私が鍛えたり、武器を持つのには否定的だったエビーが、私に武器を持つよう誘う日が来るなんて。

「いやー…。さっきの走り込みとか短刀の稽古とか見てるとさ、ミカさん本気で強くなりてえんだなって、なんか応援したくなっちまったっつーか…。それに、あんまり他領の工作員に任せとくのもどうかなあなんて。俺、弓はちょっと得意な方すよ。どうすか」

「ありがとう。嬉しい。よろしくお願いします」

 そう言って腰を折る。あ、またやってしまった、ジャパニーズお辞儀スタイル。

「その礼の仕方、さっき町の人もやってたんすよね。サカシータ流って感じか。ミカさんはザコル殿に教わったんすか?」

「いや、そうじゃないんだけどねー…。また話すよ。とにかくね、武術を習う時はこのお辞儀で相手に敬意を示すんです」

「ミカさんに頭下げられるなんて恐れ多いすよぉ。あっちに的、置いてきますね」


 エビーは小走りで木の板の的を持って行き、適当な低木に立てかけた。


「距離はこんなもんかな。ミカさん右利きすよね。左手にこのグローブつけてください。慣れたらつけなくてもイイんすけど、手を矢で擦るかもしれないんで」

「はい。つけました」

 グローブの次は、ゴツめの指輪みたいなのを差し出された。

「これ、サムリングっていいます。右の親指につけてください。このリングの平たいとこに弦を引っ掛けて、その親指と矢を人差し指と中指でホールドするみたいにします。弓につがえる時は、ミカさんから見て、弓の左側に矢尻が来るように当ててください」


 言われた通りに矢をつがえ、次の指示を待つ。


「足を肩幅に開いて、しっかり立ちます。的に対して真横を向いて立ってくださいね。姿勢は、腰から背骨を真っ直ぐを意識して。ちょっと引いてみてください…そうです。右手が顎んとこまでくるといいんすけど…ああ、ちゃんと引けてますね。流石っす」


 左手をしっかり伸ばし、弦を持った右手を自分の顎まで引くと結構な負荷だった。このまま維持するのは難しそうだ。


「当然すけど、矢はこう、弓形を描いて飛んでくんで、その辺計算して弓を上げないといけません。とりあえず放ってみましょうか。どうぞ」


 ゴーが出たので、的の少し上を狙ったつもりで矢を放ったが、的に当たる前に地面に当たって滑っていった。


「分かった。もっと上だね。それから指をパッと離さないとブレるね」

「その通り。ブレさせないためには筋力も重要すね。腕の筋肉はもちろん、胸筋も大事すよ。ミカさんは胸の辺り底上げされてるらしいすから丁度いいすね。へへ」

「……セクハラかな?」

「めーっそうもございません!!」


 もう一度矢をつがえ、腕と共に胸筋を開くようにして引く。つい腰を反ってしまいそうになるが、腰と背骨は真っ直ぐを意識しろと言われたので気をつける。

 さっき放った感じでは、もう少し右、そして大分上、力を込めて腕のブレを止める。指をパッと離した。

 トスッ。

 矢は的のすぐ上、的を立てかけた低木の幹に突き刺さった。

「あーっ、惜しい」

「もう一度」

 深呼吸をして、さっきと同じように一つ一つの動作を慎重にしながら矢をつがえて引く。

「あ、当たった! 当たりましたねミカさん!」

「真ん中狙ったのになあ。もう一度」

「あ、今のは風に流されましたね」

「なるほど、風ね。分かった。もう一度」

 風の向き。強さ。角度。集中する。手のブレを抑える。

「お、今のかなりいいすね」

「もう一度」

「おーっ、ほぼ中心すよ!」

「まだ中心じゃないね。もう一度」

「あ、的が風でズレて」

「そうだよね、獲物が静止してるわけないもんね。もう一度」

「ど真ん中! お見事!」

「やっと当たったね。もう一度」

「当たりましたけど?」

「何度やっても当たるようにならないと。もう一度」

「あの」

「もう一度」

「そろそろ」

「もう一度」

「もう一度」

「もう一度」

 ……………………



 ◇ ◇ ◇



「ミカ。今日の所は一旦やめましょう。続きは明日です」

「えーっ」

 ザコルがミカを止めにくる。ミカはやっと弓を下ろして振り向いた。


「やっとほぼ中心近くに入るようになった所なんですよ。まだミスも多いし、もう少し…」

「はいはい。あなたならハマるだろうと思っていましたよ。やりすぎは禁物です。上腕や肩に筋肉がつきすぎてしまいますし」

「そうか、それはいけませんね。矢を片付けてきます」

 ミカはあっさりと納得し、食い下がるのもやめた。


 あれは、本気で強くなりたいっていうか、凝り性なだけなのかもな…。

 矢を拾い始めたミカと、さもありなん、という顔で片付けを手伝うザコルの様子を眺めながら俺は思った。


「エビー、俺は何をお教えしたらいいだろう。何かお力になりたいのだが」

「そうすねえ、タイさんの短剣術も見たいとか言ってましたし、コマさんの指南が一通り済んだら手合わせしてあげればいいんじゃないすかね」

「はは、ミカ殿に刃を向けるのは勇気がいりそうだ…」

「そんな事言ってると本気でタマ取られるかもしれないすよ。あー、俺、弓も鍛錬し直そ。うかうかしてっと抜かれそうだわ」


 朝食の用意ができたとピッタが走って伝えに来た。

 俺は、ジッテとやらを夢中で振り回している同志達に声をかけようと、ミカが使った弓と、散らばった矢を数本持って立ち上がった。


 ◇ ◇ ◇


「エビー、あのメニュー完遂できたんだね! 昨日の今日で凄い、おめでとう」

「あざーっす。いやー、最後の方はもう無理かと思いましたよおー」


 放牧場の端でラグを広げ、同志村の部下達が用意してくれたホットドックをみんなで頬張っている。朝からピクニックみたいで楽しい。

 今日は同志達も一応全員がメニューをクリアできたようだ。領民の男性達が進んで指導に回ってくれたお陰もあるのだろう。


「弓の指導もありがとうね、エビー」

「いえいえ。そういやザコル殿は、他の奴がミカさんを指導するのには割と寛容なんすね」

 エビーがザコルに話を向ける。

「まさか。僕が全て教えたいに決まっているでしょう。しかし、例えばコマはミカと体格が近いですからね。教えを受けられる機会を邪魔すべきではないかと。弓も、君がそれなりに扱える事は知っていましたし」

 エビーは目をぱちくりとした。

「よく知ってましたね、目の前で使った事なんてないすよね?」


「テイラーで騎士団の訓練に参加する際は、参加する騎士の得手不得手をまとめた資料を事前にハコネからもらい、頭に入れてから臨んでいました。苦手な所を指導してやった方が効率もいいでしょうから。エビーが剣より弓の方が得意だと知ったのはその時です」


「………っ」

 エビーはしばらく目を丸くして、そして感極まったようにギュッと胸を押さえた。


「猟犬殿…っ、思ってたより、いや、ちゃんと俺らんこと考えて指南してくれてたんすね…!? 鍛錬の時ずーっと仏頂面だったし、ハコネ団長に言われて仕方なく連れてこられてんのかと思ってました…!」

「僕を一体何だと思っているんです。そう話した事もない集団に混じって表情をどうこうする余裕があるわけないでしょう」

 つまり、緊張はしていたが、団員の指南はやぶさかではなかったという事だ。

「へへ、猟犬殿って可愛いすねえ」

「君まで何を言っている、離せ、鬱陶しい」


 隣でじゃれつくエビーを仏頂面であしらいながら、振る舞われたホットドッグを頬張る。はい可愛い。


「俺は、伯爵邸で指南してくださった事はしっかり覚えております。俺が苦手とする変化のある動きを交え、死角になりやすく油断しがちな所を丁寧に指摘してくださいました。自分でも応用が効かない所が弱点だとは自覚しておりましたので、この方は初めて見る相手でさえ、こうして弱点を見抜かれるのかと尊敬を新たにしておりました」

「買い被り過ぎですよ、タイタ、初対面で分かる事は僕だって知れています。人数も多かったですしね。その中でもタイタは流石でした。次の機会には指摘した部分をカバーできるよう努力してきているのが分かりましたから。エビーも見習ってください」

「はいすんません先生」



 興味がないように見えて、騎士達の顔や能力をしっかり把握している。自分にできる範囲で力にもなろうとしていた。それがたとえ相手に認知されていなくても、感謝されなくても。


 彼がかつて公爵領で戦争を止めた話を思い出す。あの時は要するに、斥候として状況を調査するだけが彼の任務だったはずなのに、原住民側に紛れて民に被害を出していた敵兵をその場で放置する事ができず、結果として一人で制圧する羽目になったという話だった。


 口癖のように言っていた王都を燃やしてやる発言も、きっと自分が罪を被ってでも重要人物を始末すれば、皆のためになるとでも思っているのだろう。そういえば最近あまり言わなくなった。


 川でシリル達が流されそうになっていると聞いた時も迷わず荷物を捨てて走ったし、私が下流へ行ってほしいと頼んだ時もそうだ。任務放棄になるからと突っぱねる事もできたはずなのに、結局は私の願いと下流の人の命を優先している。


 今回も、同志達の態度に戸惑いながらも、何とか恩に報いようと考えているようだ。私達の思いつきで始めたような鍛錬イベントも誰より真剣に取り組んでくれている。同志達だけでなく、エビーやタイタ、私の指導まで当然のように請け負って。


 きっと誰より、お人好しで情に厚く、自分に厳しく他人には甘いのだ。

 きっと誰より、殺伐とした世界を生きてきたはずなのに。


 急に抱き締めたくなってしまって思わず自分の膝を抱えた。

「ミカ、何をソワソワとしているんです。厠ですか」

 厠…!?

「もー何なんですか!! デリカシーが家出しちゃってるんですか!?」

「な、何ですか、僕がまた何かしましたか」

「もう知りません」

 私は思い切りそっぽを向いた。どうせ人前でベタベタするのは禁止だ。

「なぁーにいちゃいちゃしてんすか。ほら、あっち見て。厩舎の人がクリナ達引いてきてくれてますよ」

「本当!?」

 エビーの言う通り、放牧場へ続く道に馬が三頭見える。

 私は手に持ったホットドッグの欠片を急いで食べ終えた。

「クリナー!!」

「あっ、ミカ、待ってください」


 放牧場に入る馬達を走って迎えに行く。クリナはブルルン、と返事をするように鼻を鳴らした。

 厩舎から馬を引いてきた馬丁の少年にお礼を言い、クリナに駆け寄った。

「クリナ、久しぶり。会いに行けなくてごめんねえ」

 その温かくて艶のある首筋に手を沿わせる。

「元気だった? あの凄い雨の中、私をここまで乗せてくれてありがとうね。ねえ、ザコルったら酷いんだよ。…え、知ってるって? ふふ、あははは」

 クリナが返事をするみたいに再び鼻を鳴らしたので笑ってしまった。

「またクリナに僕の悪口を吹き込んでいるんですか」

 遅れて来たザコルが文句を言う。

「ザコルが酷いとしか言ってませんよ。クリナは知ってるって言ってますけど」

「は? ミカ、もしや馬の言葉まで…」

「ふふ、冗談ですよ。でも、この子ってこっちの言葉解ってるみたいな反応する事ありますよね。本当に賢い子」

 クリナの首筋や鼻を撫でてやると、頷くように首を縦に振った。

「ほらね。もう時間がありませんけど、一周だけ乗ってもいいですか?」

 ちゃんと鞍もつけてくれてある。これで乗らずに行くのも申し訳ない。

「…そうですね、分かりました」

 ザコルも一緒に乗ってくれるようで、鎧に足を掛けて跨った。昨日町長屋敷で回収してきた深緑色のマントが翻る。

 そして私をチョイと後ろ向かせて脇に手を入れ、持ち上げた。

「そうか、これも怒られる要因の一つだったな…」

 ストンと私を鞍に乗せてから呟く。あまりに雑な淑女の扱いに、馬丁の少年が目を丸くしている。

「今頃遅いですよ。脇に手を入れられる時、実は声出さないように我慢してるんですからね。くすぐったいんです」

「なるほど…。それで、僕のデリカシーがどこに行ったのかという話でしたか」

「さあ、どこに行ったんですかねえ」

「何が嫌なのかちゃんと説明してください。苦労するのはミカですよ」

 追いかけてきたエビーとタイタに、一周だけしてきます、と伝えると、ザコルはクリナに並足歩行を促した。



「いいんです。ザコルはそれで。そのままでいてください」

「何を言っているんです。誤魔化さないでください」

「ええー…。この話終わりましょうよー」

「嫌です。ちゃんと叱ってください」

 どうして叱られる側に主導権があると思っているんだろうか。

 正直、気恥ずかしいのであまり言いたくないのだが…。


「…もう、別に大した事じゃないですよ。ザコルって、周りが思うよりずっと親切で世話好きじゃないですか」

「は? そんな事は…」

「たとえ相手が知らなくても、感謝されなかったとしても、迷いなく人のために動けるでしょう?」

「いえ、僕はやりたいようにしているだけで…」

「そういう所、凄いなあって、好きだなあって思ってソワソワしてたんです」

「………………」

「ああ、抱き締めたいなあ、なんて思ってたら『厠ですか』ですよ。昨日だって、愛しいなあと思ってふふふーって笑ってたら『気持ち悪い笑い』ですし? 別にいいんですけど? どうせ私は変な女ですしね?」

「………………」


 無言だ。きっと微妙な顔か苦々しい顔でもしているに違いない。

 後ろを見ようとしたら、振り返り切る前に反対側を向かれてしまった。あ、耳が赤い…。


「見ないでください」

 片手で顔を押さえられる。手のひらが温かい。

 大人しく前に向き直ると、髪に頬を擦り付けられた。

「ミカ」

 耳元で呼ばれて心臓が跳ねる。

「僕は叱ってほしいと言ったはずですが」

「ちゃ、ちゃんと聞いてました? もう一度言いましょうか」

「いえ、いいです。僕の身がもちませんので。ミカ、あの、大丈夫ですか」

「何がですか」

「眠れていないでしょう」

 バレてる。

 やっぱり、そうだよね…。分かってるよね…。

「心配をかけてごめんなさい…。気になってザコルも眠れませんよね」

「謝らないでください。ミカ、何か思い詰めているなら…」

「いえ、大丈夫ですよ。ただ、気持ちの整理がついていないだけだと思います。多分、時間が経てば落ち着きますから」

「僕が信用なりませんか」

「そうではないです。眠れないのはきっと、一時的な事だと思うので」


 この優しい人をこれ以上心配させるわけにはいかない。彼は正しく、そして私のためを思ってくれている。


「大丈夫、大丈夫です。少しだけ、ギュッとしてくれませんか。それで、安心できると思います」

 ザコルは小さく息を吐き、手綱を持ったまま私を後ろから抱きすくめた。

 服越しに温もりが伝わってくる。

「僕のためを思うのなら、気持ちを抑え込まないでください。あなたが眠れないなんて相当な事のはずだ」

「少し疲れているだけですよ。知恵熱の代わり、みたいなものです」


 ◇ ◇ ◇


 本当は怖い。

 自分の力が。

 皆の優しさが。

 軽率にザコルを実験台にした、自分の浅はかさが。


 涙のついた林檎を、エビーがあっさりと口にしてしまった。

 何もなかったのは、ただの結果論だ。

 能力の全容も判らぬうちに優しい彼らにリスクを負わせたのは、私のミス。

 私が皆の前で自分の体を毒だ危険だなどと言ったせいで、余計な心配をさせたから。

 私がまだ自分の力を恐れていると知ったら、また衝動的な検証に走らせてしまうかもしれない。

 それだけは、絶対に避けたい。


 彼らが体を張って無害を証明した治癒能力や水魔法についてはなるべく活用すべきだ。

 しかし、未知なる力については、やはりもっと慎重になるべきなのだ。

 これ以上、誰かにリスクを負わせてはならない。

 イーリアやエビーだって言っていたではないか。軽く考えすぎだと。今なら私もそう思う。


 世界中で召喚を禁止された存在。

 争い事の種になり、否応なく周りを巻き込んでいく存在。


 考えれば考える程、私は間違いなくこの世界にとっての『毒物』としか思えないのだ。



つづく

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