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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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束の間の平穏

 二時間くらいは眠れたと思う。手段はともかく、ザコルのおかげだ。


 昨夜は夜中に何度も目を覚ましてしまい、よく休めたとは決して言えない。朝の訓練に加え、入浴の試運転が終わった頃には寝不足による頭痛で限界だった。

 ザコルやエビーには疲れを勘付かれただろうが、せっかく手伝ってくれている同志村スタッフや、りんご箱職人、屋敷の人々の前でそんな素振りを見せるわけにはいかない。

 ザコルに聴かせる独り言にも一層注意しないと。これ以上余計な心配をかけたくない。


 今日は半日、意図的に独り言を封印して過ごす事ができた。ザコルに聴かれて特に不便はしていなかったとはいえ、いつまでも思考を垂れ流しのようでは良くないと思っていた。しかしまた全停止しては彼を不安にさせるだろうから、適度にコントロールできるよう気を付けていこう。


 今、空は少し黄みをおびたところだ。午後三時くらいだろうか。

 タイタが用意してくれた物をテントにしまい、私は護衛三人を伴って町に戻る事にした。コマも診療所に置いたままだし、ザコルは町長屋敷にマントを回収しに行くと言っていた。私の服も昨日洗濯に持って行かれたままだ。乾いているといいが。


 山の民の古着の余り…既にほどいて生地にしたものも確か町長屋敷に置いたままのはず。あれで乳児の下着を追加で縫う約束もしている。

 本格的な入浴支援は明日からだが、やれる事はたくさんある。


「患者さん達に氷も配らなくちゃね。今日はアイスミルクくらいしかできないと思うけど。早く元気になってもらわなくちゃ」

「奴らならもう元気ですよ。今朝も窓から落ちそうになっていたでしょう」

「ふふ、確かに」


 ザコルへの声援を割れんばかりの声量で送っていた。

 ウチの坊ちゃんはすげえんだぞ、そう聴こえた気がした。


 私はザコルの左腕に手を回す。日本ならただのイチャついたカップルにしか見えないだろうが、こちらの世界では男性が女性に対してするエスコートは自然な行為だ。私も少しは慣れたと思うが、これで知り合いばかりの町を歩くのはまだソワソワとしてしまう。

 そう、もう、この町は知り合いだらけなのだ。


「ミカー!!」

 山の民の子供達だ。リラを先頭に、皆で町の小道を駆けてくる。よく見るとシータイや下流の町の子も混じっている。


「こんにちは、きょうはあのスカートはいてないの? チッカでえらんだ、あれ」

「昨日洗濯に持ってかれちゃったからね。今から町長屋敷へ受取りに行くんだよ」

 持って行かせたのは使用人マダムだ。きっと丁重に扱ってくれているだろう。

「きのうのふく、おひめさまみたいだった! あのふく、おばあちゃんがおったぬのをつかってるっていってたよ」

 あのふく、とは、マージのワンピースの事だろう。イーリアが生地を山の民に特注したと言っていた。それを織ったのはリラとシリルのおばあちゃんだったんだ。布を一目見て自分の織ったものだと気づくなんて、きっと思い入れのある作品だったんだろう。

「とっても綺麗な布地だったね、色も素敵だし、キラキラ光沢もあって。刺繍も素晴らしかった」

「リラも、あんなししゅうができるようになりたいの」

「私も。あれを見たら憧れる気持ち分かるよ」

「ミカもししゅうするの?」

「少しならできるよ、でもあんな精緻なのはもっと練習しないと無理かな」

「ミカも? リラも、まだかんたんなのしかできないんだ…」

「そんなことない、リラはすごいよ、いつもほめられてるもの」

 リラより少し年上の女の子がリラに声をかける。

「ていうか皆、もう針と糸が使えるだけでも凄いよ、きっと私より上手だね。作品も見てみたいな」

 そう言えば、山の民の女子達は照れたような笑顔になった。


「ミカ、あのね、もうすぐやまにかえるかもしれないの。みずもおちついたから、そろそろいいんじゃないかって」

 雨が上がってからもう四日だ。

 確かに、土砂崩れが再発する恐れも少なくなってきた頃かもしれない。


「でも、わたしかえりたくない。ミカとあえなくなっちゃうし、ともだちもできたし…」

 リラは、シータイの子や、下流から来た子達の方を振り返る。

「おまえら、またチッカにぬのうりにいくんだろ。ぜったいにここにもよって、あそんでいけよな」

「サカシータのやつはみんな、やまのたみをまもるしめいがあるんだ。だからずっとともだちだよ」

「きっときっとつよくなって、ツルギやままであいにいくからね!」

 シータイや下流の町の子達が口々に言って慰める。

「ふゆはしんぱいだから、おとながようすみにいくっていってたよ。てがみかくね」

「でも、わたし、まだ、もじが…」

「おれもそんなにかけねーし」

「えをいっぱいかこう!」

「あとでれんしゅうしよ、ひみつのあんごーとかきめよーよ」

「ひみつのあんごー!! それいい!!」

「どーしのおにーさんが、かみとえんぴつたくさんくれたもんね」


 子供達が手紙に何を描こうかと盛り上がり始め、私は同志村で子供達用にと紙と文房具を頼んだ事を思い出した。

「そっか、カファがちゃんと手配してくれてたんだね。お礼を言わなきゃ」


 必需品を調達した後できる限りで手配すると言っていたが、下流からの避難民の子達だけでなく、地元の子達や山の民の子達にも配れる程沢山積んできてくれたようだ。

 その温かい気配りを思うと、何故か涙がにじんできた。




 子供達に別れを告げ、私達は診療所へと向かった。診療所の前には人だかりができている。

 もしや何かあったのかと駆け寄ったら、皆楽しそうに談笑していてホッと息をついた。


「こんにちは皆さん、どうしたんですか」

「あらミカ様こんにちは。ここにとびきり綺麗な子が来てるって聞いてね」

「あんなに可愛いのに男の子らしいじゃないか。口が悪くて驚いたよ」

 なんだ、コマを一目見たい人達だったか。


「朝は騙されたなぁ。美少女二人も侍らせてよう、ザコル様をとっちめてやる所だったぜ」

 ザコルを見上げたら若干青ざめて眉間に皺を寄せている。

 そのザコルの背中を、おじさん達が揶揄うようにバシバシと叩いた。


「騙しちゃってすみません。まさかあんなに上手くいくとは。コマさんはどっからどう見ても美少女にしか見えませんけど、私だって少女とかいう年齢じゃないのに」

「何言ってんのさ、ミカ様は正真正銘少女だろ」

「だから本当に少女じゃないんですってば! ほら! 大人でしょ!?」

 そう言って大して無い胸を張ってみたり、耳から落ちた後れ毛を払ってみたりして大人アピールをする。

「可愛いねえ、背伸びしちゃって」

 がーん、どうしよう、全然相手にしてもらえない。


「ザコル様、良かったなぁ、こんなに若ぇご令嬢に来てもらえるなんて。歳はちっと離れすぎかもしれねえが、ミカ様は若ぇ割にしっかりした方だから丁度いいだろ」

「だから離れてなんか…」

「こんなにあどけない娘が気丈に走り回ってるの見たらさ、うちらも避難民の人ら一人だって死なすもんかって思えたよねぇ」

「この診療所も戦場みてえにてんやわんやだったが、限界まで走った甲斐があったってもんよ。荷馬車から降ろした怪我人をここに運んで、それから町長屋敷や民家に、担架持って何十往復した事か」


 あの夜、私はほぼ臨時救護所か集会所にいたので診療所の様子はあまり見てはいないが、診療所の中だけでなく、怪我人を運ぶ人達もまた寝ずに駆け回ってくれたのだろう。

 みんな偉すぎる。また涙がにじんできた。

「ふふ、ミカ様は感動屋だねえ、こんな事でいちいち泣いてたら身がもたないだろ」

 そっとザコルがハンカチを差し出してくれたので、目元を押さえてふへへと笑って見せた。


「それにしても、あいつら元気になりやがったよなぁ、ちっと回復早すぎじゃねえか」

「ミカ様がお可愛いから張り切ってんのさ、きっと」

「あー…。元気になりすぎて変な気起こさねえように釘刺しに行くか」

「そうだな、林檎と何か暇つぶしになるもんでも持ってってやろう。収穫手伝ってくれた奴もいるし」


 そういえば、町長屋敷にいた怪我人は男性が多かった。怪我人には女性もいたはずだが。

 目の前の女性に訊いたら、何人かは民家でお世話しているそうだ。後で氷を届けて回った方がいいかな。



「氷を配るのは義務化しなくていいんですよ、これ以上やらねばならない事を増やしてどうするんです」

「ええー、私、今は別に大して忙しくないですよ。同志との中継ぎだって、もうほとんどカファが直に町の人達とコミュニケーション取ってくれちゃってますし…」

 せっかく氷やお湯に栄養剤くらいの効き目があると判ったのだから、積極的に配らねばもったいない。

「氷はすぐ溶けるからあなたが直接出向かなくてはいけないでしょう」

 そう、そこだ。私が何人もいたらいいのに。そうしたら…………

 うんうん、そうだ、それだ。


「は? また訳の判らない事を…」

「ちょっと、ミカさんの独り言と内緒話すんのやめてくださいよザコル殿」

 黙って会話を聴いていたエビーが口を挟む。

「内緒にする程の話じゃありません。ミカが何人もいれば怪我人がいる民家全てに氷を配って回れるのにだとか、そうしたらジーク領と王都にも一人ずつ遣って薬の勉強と豚の解体をさせるのにだとか…」

「それは画期的な発想ですね。流石はミカ殿だ」

 タイタがボケにボケで重ねてくる。エビーは「ロクでもねえな…」と呟いた。

「忍者といえば分身の術だからね!」

「ニンジャ…? ミカさん、お願いですから分身の魔法とか編み出すのやめてくださいよ。護衛とツッコミ役が何人いても足りねえよ」

 分身の魔法かあ。

 そんな魔法が本当に実在して、後からでも習得できるのであれば…。

「無いです。無いですから。分身に限らず、違う魔法を後から習得するような手立てなんて聞いた事もありませんから!」

「前例の無いこと起こそうとすんのマジでやめてくださいよ!?」

 冗談なのに、ザコルとエビーは必死になって止めてくる。



 私達が診療所のドアを押すと、中にいた看護師がコマに声をかけに行ってくれる。患者はこの時間帯はいないようだ。

「早えんだよお前ら」

 しばらくして、コマが相変わらずの調子で診察室から出てきた。


「何か成果はあるか、コマ」

「ねえよ。香の方はまだ、何でできてんのかも分かってねえ。ただ、燃やす前のもん嗅いでも効果はねえようだ」

 続いてシシも診察室から出てくる、

「こんにちは皆様方。残念ながら彼の言う通りで…。明日は自宅にある薬学書も持ってくるとしましょう。そろそろ診察の時間だ」

「続きは明日だな、おいリュウ! 聴こえてっか? お前も明日訓練の後ここに集合だぞ」

「…はひ…!」

 コマが診察室の中に向かって声をかけると、息が漏れただけのような返事が中から聴こえてきた。

「あら、珍しいんじゃないですか。コマさんがちゃんと名前で呼ぶなんて」

「銀髪って呼びにくいだろが。他に特徴がねえから仕方なく呼んでんだよ」

 ふん。コマがプイと向こうを向く。ツンデレムーヴにしか見えない。

 つまりリュウの事が気に入ったんだろう。


「コマさん、一緒に町長屋敷に来てくれませんか。夕飯まではまだ時間がありますし、もし林檎があれば試したい事があるんですよ」

「何か作んのか、よし、味見させろ」

 パッとこっちを向いて、入口近くにいた私達の方に寄ってきた。いや可愛いかよ…。

「へへっ、可愛いすねコマさん。甘いもん好きなんすか」

「てめえが可愛いとか言うな、気持ち悪いんだよ。こちとら頭使って疲れてんだボケ」

「そりゃお疲れ様っす。頭でも揉みましょうか」

「やめろ触んじゃねえ」

 塩対応にめげる事もなく果敢に絡んでいくチャラ男。そういう所は流石はエビー、さすエビである。

「こらこら、お触り厳禁だよ。さあ行きましょう」

 適当に間に入り、シシと看護師に挨拶をして診療所を出る。



 診療所を出て歩いていたら、持ち場から引き上げてきたらしい同志村女子スタッフの一人に会った。


「ミカ様! 護衛の皆様もお疲れ様です。仮眠は取られましたか?」

「うん、ちゃんと寝てきたよ。明日の入浴者への伝達、問題なさそうかな」

「ええ、ご指示通り、子供達とご老人、救護所にいる母子と妊婦の方々にお伝えさせていただきました。皆さん喜んでいらっしゃいましたよ。あの、それで…。子供達なのですが、下流の避難民の子が、シータイと山の民のお友達とも入りたいと言うので、つい誘ってもいいと言ってしまいました。勝手をして申し訳ありません」

「へえー、いいじゃん、大勢の友達と入ったらきっといい思い出になるよ。子供達の意見を尊重してくれてありがとう。明日は頑張らなくちゃね!」


 明日は子供達がいっぱい来るのか。大勢の子供の世話なんてした事はないが、子供がわちゃわちゃしている所を見るのは好きなので楽しみだ。


「ああ良かった、そう言っていただけて安心しました! ですが、ミカ様の体調に変化があれば即中止にいたしますから。遠慮なくおっしゃってくださいませ」

「解ってるよ。倒れたりなんかしたらお説教されちゃう。ちゃんと気をつけます」

「マジですからね、ぶっ倒れたらマジで三日くらい働くの禁止にするんで!」

 エビーが真面目な顔でそう言いつけてくるので「ふふ、エビー様ったら」と女子が可愛らしく笑う。

「えええー、三日も休んでたら耐えきれなくなって逃げ出すよー」

「…その時は、僕が四六時中監視してあげましょう。三日でも一週間でも一ヶ月でも」

 ニコォ、とザコルが笑ってこちらを見たので思わずビクッとする。


 同志村女子がすすすと静かに寄ってきて、私の肩を持ってザコルからそっと引き剥がした。

「…………もし、ミカ様がお休みされるなら、退屈なさらないように私がお話し相手になりますから。必ず私か他の女性スタッフでも構いませんので呼ぶようにしてくださいね。ミカ様が助けを呼べないようであればどなたかに伝言か窓から文を…」

「だ、大丈夫だよ。すぐこんな事言うけど、本当に監禁とかされた事はないから。本当だって、大丈夫だから」

 疑いの目を引っ込めない女子を何とか宥めて離してもらい、町長屋敷に行くからと言って別れる。



「何ですぐ変態発言するんですか? 一般女子にあの冗談は通じませんよ」

「別に冗談ではないので構いません」

 プイ。

「もう、またそっぽ向いて。ねえ、今度は何に怒ってるんですか。私、何かしました?」

「…………ですから、ミカが、逃げ出すなんて言うから……」

 ごにょごにょ。

「ああ、なんだ。それこそ冗談ですよ。そんな関係各位に大迷惑な事、私が本気ですると思ってるんですか?」

 む、とザコルがさらに眉間に皺を寄せる。逃げるつもりなどないと弁明したつもりなのに、何が不満なのか。

「周りへの迷惑などどうでもいいんです」


 …いや、どうでもよくは、ないのではないだろうか。私が行方不明になったら最悪領と領の問題にも発展する。


 はー、とザコルが溜め息をつく。

「…………もう、二人旅に戻りたい…」

 二人旅に、戻りたい…?

 ああ、そっか。よく分かんないけど、私ともっと二人きりになりたいって事かな。

 ふふっ、かわっ、可愛い。可愛い事ごにょごにょ言ってるんだ。

「ちが…っ、ひ、独り言がうるさいです!」

 いかんいかん、思考がダダ漏れてしまった。


「独り言経由でいちゃつくのやめてもらえません…?」

 またエビーが突っ込んでくる。ザコルが可愛いのがいけない。

「ミカ、どうかしましたか」

 ザコルが不意に足を止める。気がついたらザコルの腕をパシパシ叩いていた。

「ああ、ごめんなさい。何となく叩きたくなっちゃって…。そうでしたね、手を叩いたら停めてくださいの合図でした」

 腕をさする。腕をさするのは、ごめんなさい、仲直りしましょう、の合図だ。

 ザコルも無言で私の手を撫で返してきた。いいですよ、こちらこそすみません、の合図。

「ふふふ……あー!!」

「急に叫ばないでください。耳が…」

「クリナに会いに行こうと思ってたのに…!!」

 さっきの合図は、馬上で意思疎通を図るために決めた事だった。

「分かりました。では、明日はクリナも放牧場に出してもらいましょう。心配しなくとも、きちんと世話されてる思いますよ」

「じゃ、キントとワグリも一緒に出してもらいましょーか」

「では俺が後で厩舎に声をかけておきましょう。少し走らせられるといいですね」

 キントとワグリはエビーとタイタが乗っていた馬だ。


 栗、金団、和栗…。何だろう、三頭とも栗毛だからかな。


「乗馬もおさらいしてくださいね、師匠」

「はい。そうしましょう」

 乗馬もしなければ感覚を忘れてしまいそうだ。何かあった時にまごついているようでは話にならない。

「姫、お前馬にも乗れんのか。薙刀も使ってみるか」

 ぷらぷらと後方を歩いていたコマがサッと私の横にやってきた。

「お前は引っ込んでろコマ」

「えっ、薙刀なんてあるんですか。そういえばコマさんって自分の荷物どうしてるんです? いつも手ぶらですけど…」

「一部は没収されたからな、あの屋敷のどこかにあんだろ。それ以外は森に隠してある。別に薙刀や槍くらい一通り揃ってんだろ、この町なら」

「そうですね、ペンの種類はなくても武器の種類はありそうですよね、この町なら」

 きっと武器屋とかもあるんだろう。見てみたいな。

「おい、これ以上無茶はさせるな。武器屋はもちろんありますが、薙刀はまだ早い。まずは短い獲物から少しずつ」

「何言ってやがる、こいつの可能性は計り知れねえんだ。やれそうな武器はとりあえず全部持たせてみりゃいい」

「早いと言っている。ミカはまだ鍛え始めて半年だぞ」

 元暗部の人達が私の教育方針を巡って言い争い始めてしまった。ザコルもそこそこ無茶をさせる方だと思っていたが、コマに比べればまだ慎重な方だったらしい。


「ストップストップ! 早いも何もねえよ、うちの姫を何に仕立てやがるつもりだこの工作員どもが。第一、こんな軽い体で馬上で長え獲物振ったら危ないでしょうが! 百歩譲って弓からすよ! 弓なら俺が…」

「エビー、弓はオーケーなの?」

 エビーが参戦してきたので思わず突っ込んでしまった。

「はっ、そうだ、弓もおかしい!! …でもなあ、あの短刀捌き見ちゃうとなあ、何か期待する気持ちも少しは解るっていうか…」

 腕を組んで唸るエビー。しっかり毒されてきているようで何よりだ。

「エビー、君ははミカを止める役…」

「俺にも解るぞエビー。ミカ殿、レイピアなどいかがでしょう。きっと凛々しく素敵なお姿が見られるに違いない」

「だから、長い獲物は早すぎると…」

「レイピアって細身の剣だね、女騎士とかが持ってそうなやつ」

「ミカは何でそんな武器に詳し…」

「その通りです。ああ、財産没収前なら王都の家に意匠の素晴らしい一振りがありましたからぜひお譲りしたのに」

「その剣なら多分殿下が…」

「レイピアも基本は刺突だ。短剣とは間合いの取り方が違うがな。短刀に慣れたら挑戦しろ」

「はいコマ教官殿!」

 びし、敬礼。

「…っ、黙れ黙れ黙れ!! ミカの! シショーは! 僕だ!! これ以上僕を無視すると連れ去りますからねミカ!!」

 無視され続けたザコルがキレた。

「ふふふ、連れ去ったっていいですよ、たまには…わぶっ」

 急に横抱きにされ、危うく舌を噛みそうになる。

「猟犬殿まさか…あああああ!! どこ行くんすかあああ!! 待ちやがれこの変態ぃぃ!!」



 結果的に町長屋敷には一瞬で着いた。

 途中で何事かと追ってきた町民には私の体調不良等ではないと説明する羽目になった。





「いいすか。安易に許可とか出さないでください。ミカさんしか制御できないんすからねその猛犬は」

「はい、すみません」

「ミカが僕を構わないからいけないんです」

「ふふ、また拗ねてる」

「子供かっつうの! 姐さんも甘やかすんじゃねえ!」


 人前でベタベタ触るのは禁止にしちゃったしな。人見知りな上に元々口数の少ないザコルは会話に入ってきづらいし、もしかしたら寂しかったのかもしれない。


「全く、この二十六歳児は…」

「苦労してんな金髪。この阿保犬シツケんのは骨が折れんぞ」

「うお、コマさんが俺に優しい…! 何すか、コマさんも苦労したんすか」

「ああ、思い出すだけでうんざりだ」


 ここは屋敷の一室、昨夜食事の際に通された部屋だ。

 みんなのおしゃべりを小耳に挟みつつ、これから始める作業のため、厨房で借りてきた道具を一通り点検し、机に並べていく。


「コマ、お前にまともな指導や躾とやらをされた覚えなどないぞ。女装しろだの男を引っ掛けろだのと…」

 ぶっふぉ、とエビーが吹き出す。

「ふん、気がついたらその辺の毒草引っこ抜いて根ごとムシャついてたお前に、最低限の一般常識を叩き込んでやったのは誰だ」

「根ごと…!! どんだけ野生児なんすか!! 暗部めっちゃおもしれーな」

 エビーは腹を抱えて笑い出した。タイタはいい話でも聞いたような顔で頷いている。

「…別に、人前で毒草か普通の草かを選り分けて食べる必要があるとは知らなかっただけです」

「いや、普通の人は、人前や毒じゃなくても草を引っこ抜いて根ごと食べねえんすよ。てかそれって、潜伏とかしてる時の話すよね? 普段は食べませんよね?」

 プイと向こうを向いた。うん、野生のザコルだもんね。しょうがないしょうがない。


「コマさんはザコルの教育係でもあったんですね」

「正確には俺と王子が面倒見てやった。当時上層部だった奴らは半年もしねえ内に匙投げやがった。連携があまりにもできねえんで、俺と組む以外はほぼ単独任務だった」

「ああ、何だ、一人で屋敷に乗り込まされてたのって、別にイジメじゃなかったんだ…」

 複数の貴族が集結していた子爵邸に一人で乗り込んだと聞いててっきり…。

「ミカは僕が暗部でイジメに遭っていたと思っていたんですか。そんな事は決して」

「イジメか。最初の頃はあったろ、上層部の奴がお前を手篭めにし」

「黙れ。お前だって似たような目で見られていたくせに!」

「へっ、俺ら二人で何十人も不能にしてやったな。懐かしいぜ」


 何十人も不能に…。

 昔はヤンチャしたなみたいなノリで語る武勇伝ではない。


 ザコルが本当にコマに匹敵する美少年だったというなら二人揃って襲われるのも解るが、何十人とは流石に治安が悪すぎではないだろうか。


「ああ、それでいちいち尋問相手を…」

 エビーが笑うのをやめて微妙な顔になった。

 あー気になるー暗部の壁になりたかったなあー、と大きめに呟いたら、タイタが無言で首がもげそうなくらいに頷いた。彼は彼で、コマとザコルのやりとりを一言一句聞き漏らすまいと黙って聴き入っているようだ。


「ともかく俺様がいなきゃお前なんて今もただの野生児だ。王子はその裏表のなさを妙に気に入ってたようだがな、この野犬を側近に据えようなんざ酔狂なこった」

「僕だって自分にできない事くらい解っている。血筋の事が無くても絶対に御免だ。それに、自分が気に入らない人間に僕の寝込みを襲うよう仕向けたり、何度も肉壁だとのたまって僕を盾代わりにしたのは忘れてないからな!」

 不能にされた人数が何十人にも上った原因が、他ならぬコマの差金である可能性が浮上してきた。

「お前を襲わせときゃ罰する理由から始末までできて一石二鳥だろが。肉の壁を肉壁と呼んで何が悪い。矢が当たっても貫通しねえ肉が他にあるか」

「お陰でこっちは何年も不眠だ! 僕だって矢が当たれば出血くらいはする!」

「野犬のくせに細けえ事言ってんじゃねえ」

 そっか、矢が当たっても出血くらいで済むんだ…。

 暗部でイジめられてはいなかったようだが、教育係からは散々な扱いを受けたらしい。しかも不眠気味だというのは知っていたが、まさかそんな理由からだったとは。

 よしよし、手を伸ばしてザコルの頭を撫でる。

「………………」

 ザコルが無言でこちらを見下ろした。あれ、目が据わってる…。

「滅茶苦茶にしてやりたい…」

 どうしてだろう、労ったつもりだったのに変なスイッチを押したようだ。

「ということでね。今日はこの林檎を滅茶苦茶にしていこうかと思います」

「今のスルーすか。てか、林檎を滅茶苦茶に? どういう事すか」


 手桶の水で手をゆすぎ、目の前の不揃いで傷のある林檎の山に手をかける。

 昨日の約束通り、動ける患者は林檎の収穫を手伝い、売り物にならない林檎を大量に貰ってきてくれたようだ。


「まあまあ、皆さんはその辺に座って休んでいてください」

 そう言って座ったのはコマだけだった。

「俺、林檎の皮剥きなら得意すよ」

「ほんと、じゃあお願いしようかな」

 エビーは手桶で手をゆすいでナイフを取った。ザコルとタイタは立って見守るようだ。

「パン屋の息子は林檎も剥けるんだね」

「この時期はアップルパイの注文が入るんで、家族総出で仕込みするんすよ」

「へえー! テイラー帰ったら絶対エビーんちのパン屋さん行く。絶対連れてってね」

「へへ、絶対に来てくださいよ」


 エビーは話しながらもスルスルと手際よく林檎を剥いていく。

 私はそれを受け取ってカットし、種やヘタの部分を取り除く。


「とりあえず試しにこの五個分でやってみようかな。ありがとう、エビー」

 鍋には、細かく銀杏切りにした林檎が五個分。傷んだ部分を取り除いたりもしたので、思ったより少なくなったが試作には丁度いいだろう。


 まず、林檎に全て凍れと念じる。霜がついたのを確認して、今度は温まれと念じた。

 じゅわ…と、あっという間に嵩が減り、ヘラで押すとあっさりと形が崩れた。


「おお、一発でうまくいった」

「凄え。ちゃんと『滅茶苦茶』になりましたね。昨日試食したやつはただの焼き林檎みたいだったのに。何で先に凍らせたのかと思いましたけど、一度凍ってからだと煮えやすいって事か、初めて知ったぜ」

「私の世界では、冷蔵冷凍の技術が発達してるんだよ。それを利用した調理方法も色々あってね、魔法じゃなくて科学、機械の力だけど」

「機械で魔法みたいな事できるようになるんすか。そりゃ、想像つかねえや」

「一度凍らせると細胞…いや、野菜や果物を構成する仕組みみたいなものが壊れるから、煮込んだ時に火が通りやすくなるんだよ。さあ、このままだとペクチンが足りないから傷のない種をちょっと入れて、もう少し加熱して水分飛ばし…あつっ」

 林檎の熱い汁が飛んできた。

「ミカ、顔に飛びましたか」

「大丈夫、注意してやります」

 ドロドロのものを強火で沸騰させると、気泡が破裂する勢いで汁が飛び散る。カレーやトマト煮込みなどでもよくある現象だ。

 ヘラで混ぜて温度を調整しながら魔法をかけ、飛び散らせないようにする。氷結の精度にはまだ及ばないが、加熱の方も少しはコントロールができるようになってきたように思う。


「よーし、ジャムらしくなってきたね」

 スプーンに少し取って味見してみる。

「意外と甘いかも、さっぱりめというか、優しい味って感じ」

 もし足すとしたら砂糖か蜂蜜だが…。

 砂糖が貴重なこの世界では蜂蜜も充分高級品だ。使わなくても美味しいなら別に入れなくてもいいだろう。

「このままもう一度凍らせてシャーベットにしてもいいかな。タイタ、そこの小さい器取って」

「はい、ミカ殿」

 手のひらサイズのガラスの器を受け取り、林檎ジャムをスプーンで取ってふんわり凍らせながら器に盛る。


「コマさん、とりあえず試作第一号です。甘みは物足りないかもしれないですが、食べてみますか」

「ふん、氷菓子か、贅沢じゃねえか」


 コマがひと匙すくって口に運ぶ。美少女っぽい人がソファにちょこんと座って嬉しそうにシャーベット食べてるの可愛いすぎか…?

 頭では男性だと解ってはいるのだが、あまりの可愛らしさにすぐ忘れそうになる。


「ん、悪くねえ。確かに甘さは控えめだが、俺みたいな大人にはこれで十分だ」

「そんなカップケーキみたいな見た目して…。ありがとうございます。皆も食べてみようか」


 鍋に残ったジャムを同じように凍らせながら器に盛り、それぞれに手渡す。

「んんー!? 何すかこれ、シャーベット? って言いました? 林檎しか使ってねえのに! 冷てえ、うめえ!」

「ふふ、きっと林檎しか使ってないからこそだね。確かにこれは贅沢だよ」

 私も口にひと匙含む。

 じゅわ、と舌の上で林檎の果汁が溶け出した。

「氷菓子は昔、高位貴族の茶会で口にした事があります。俺には甘みが強すぎて正直苦手でしたが…。これは後引く美味しさですね。すっきりとしているのに、林檎の香りが濃厚に感じられます」

「さっすが中央貴族仕込み。食レポも完璧だねタイタ。ザコルはどうです」

「タイタの後に振るのはやめてください。美味しいですよ、欲を言えば蜂蜜をかけたいですが」

 そういえば、ベリーミルクフラッペを飲んだ時も喜んでいた気がする。意外に甘党なのか。

 ふむ。

「ね、今度買い物する機会があったら、蜂蜜か砂糖か甜菜糖か、何でもいいから甘いものたくさん買いましょう。あまーいジャムでもクッキーでも何でも作ってあげます」

 ふ、とザコルが僅かに口角を上げた。

「そうですか、楽しみにしていましょう」

「ふへへえー」

「あなたのその緩み切った気持ちの悪い笑い方も久しぶりですね」

「ひっど。何そのコメント酷すぎないですか。もういい。次、次!」

 せっかく可愛いと思ったのに。

 私は手元に残ったシャーベットをかきこんで立ち上がった。



 次、と言ったものの、ジャムを作ってみる以外には特に考えてなかった。

 加熱を加減して、食感を変えてみるとかでもいいけど…。


 林檎ジャム…。林檎ジャム、林檎ジャム、あ、そうだ。


「バターでも入れてみる? 無塩バターがあれば」

「え、林檎ジャムにバター…? 別々に塗るとかじゃなくてすか」

「私の世界で以前流行ったんだよ、りんごバターっていうのが。お土産でもらったのが美味しかったなと思って」

 普通に混ぜたらできるんだろうか…。まあ、混ぜてみれば分かるだろう。

「バターならば厨房にあるでしょう。何せ乳製品だけはたくさんありますので」

「分けていただいてきます」

 タイタが部屋を出ていく。


 その間に私とエビーは再び林檎を剥いてカットする。

 カットしているはずなのに林檎が減っていると思ったら、元暗部二人にどんどんつまみ食いされていた。


「ちょ、元暗部コンビは何やってんすか」

 エビーが呆れたように二人を睨む。

「食える時に食う。潜伏時の基本だな」

 コマはしれっとした顔でのたまった。

「潜伏ったってここじゃ基本的に上げ膳据え膳でしょうが。猟犬殿の客人みたいなもんだろあんた」

 コマがエビーの制止など聞く訳もなく、ヒョイパクヒョイパクと次々に林檎を口に放り込んでいく。

「猟犬殿は…」

「腹が減りました」

 ザコルのシンプルな返答に、エビーは「幼児かよ…」とガクッと肩を落とした。

 以前は一日、二日食べなくても平気ですなんて言っていたのに。食べる事に意欲が出たようで何よりだ。

「じゃあ、頑張ってたくさん剥かないとね。二人とも、お夕飯もちゃんと食べてくださいよ」

「姐さんは甘やかしすぎっすよマジで」

「だって二人とも可愛いじゃない。何か林檎もぐもぐ食べちゃって」

 何となく小動物でも見ている気分になる。一人はムキムキマッチョだけど。

「くそ、俺も勝手に食べてやっかんな。…ん、生でも普通にうめえわ。これでアップルパイ作ったら絶品だろなあ」


 エビーは林檎を頬張ってお喋りしつつも手元は全く止まらず林檎を剥き続けている。

 体が勝手に動く程の数を剥いた事があるんだろう。という事はやはりエビーの実家のパン屋は繁盛店だ。必ず行かねばなるまい。


「私も一切れ。…うん、酸味も甘味もしっかりあって美味しい林檎だね、ビタミンが体に染み渡るわー」

「びたみん、とは何ですか」

「不足すると脚気になったり、壊血病になったりする栄養素ですよ。林檎に含まれてるようなビタミンCが不足して罹るのは壊血病の方かな。船乗りがよくなるやつです。原因は新鮮な野菜や果物不足によるものですね」


 中世っぽい異世界に転生した話では、よく知識チートで出てくるネタだ。何ヶ月も長期航海していると食事が保存食ばかりになって、ビタミンC不足に陥り壊血病を発病してしまうのだ。

 治療なら新鮮な柑橘類が一番だろうが、ザワークラウトや林檎酒などを毎日摂取しても予防もできる。


「林檎酒をよく飲む地方の船乗りは、壊血病になりにくかったらしいですよ。それから、林檎は加熱してもビタミンが失われにくいとかどこかで読んだ気も…」

「…なるほど。あまり理解できている自信はありませんが、新鮮な野菜が不足する冬の間の栄養源として、その林檎ジャムは有効だという事ですね」

「そうですね、皆が毎日食べられるくらいの量を作らないと意味はないかもしれませんが。脚気の方は、この地方は生乳があるのできっと大丈夫でしょう」


 しばらくしてタイタと、バターをボウルに入れて持参した料理人…いや、料理長だったらしい…とメイドのメリーがやってきた。りんごバターと聞いて興味が湧いたようだ。

 分量は分からないので味見しつつ、まだ温かい林檎ジャムに新鮮なバターを混ぜ込んでいく。何となく思い出の味に近づいたかという所で氷水を鍋に当てて適度に冷やして仕上げる。

 皆に試食してもらったら、バッチリ高評価をもらう事ができた。


 夕飯のパンにりんごバターを添えてもらい、患者に配ってもらう。食後に林檎のシャーベットを配りに行ったらまた大騒ぎになりかけたので、今日は部屋からは出ないよう釘を刺しながら回った。

 彼らはりんごバターやシャーベットの感想はもちろん、今朝ザコルが水満タンの樽を軽々持ち上げていた話でも盛り上がっていた。完全に気配を絶っていたザコルも引っ張り出されて各部屋でもみくちゃにされ、ついにキレたザコルがお前達余力があるなら明日から走り込みでもしろと言って威圧を放っていた。


 自分達が夕飯にありついたのはその後。同じ時間帯に夕飯を摂っていた使用人の皆にも同じようにりんごバターとシャーベットを振る舞って感想を聞き、次に作る時に改善した方がいいことがあればと、バターの配合などと共にメモに残した。


「ミカさんてほんと真面目っつうか、律儀すよねー。レシピまでしっかり書いちゃって」

「もしも地産のもので何か開発する事になったら、ヒントにでもしてもらえるかもしれないでしょ。文字に残しておけばきっと誰かに届くよ」


 フジの里で読んだ、かつて召喚された日本人が遺したメモのように。

 まあ、りんごバターのレシピとは重みが違うが。


「きっとマージお姉様も残しているだろうけど、私の視点でも今回の水害について記録を残した方がいいかなって思っているよ」

「もっと落ち着いてからでもいいでしょう」

「いえ、記憶が曖昧にならないうちに書いておかないと。せっかく紙も買ってきて貰いましたからね、少しずつ書き起こしていきます。アメリアに手紙も書かなければいけませんし」

「あまり夜更かしはしないように。あなたが寝るまで僕も寝ませんからね」

「ふふ、それ私のセリフでしたね。時間をかけないようにします」



 りんごバターはいつの間にか戻ってきていたらしいイーリアと、その側近の皆さん、そしてマージにも振る舞われたようで、食後に呼ばれた執務室では大いに賛辞をもらった。

 シャーベットはその場で振る舞うつもりでジャムを持参したので、目の前でふんわりと凍らせて器に盛ると、イーリアもマージも目を輝かせて喜んでくれた。

「甘味に慣れた方には物足りないかもしれませんが、よく加熱したので口当たりは良くなったかと」

「こんな辺境では甘味などそうそう口にできるものではない。蜂蜜か、粗糖ならば少しは手に入ろうが…。しかし、これはそんなものを入れずとも充分に美味だ。林檎だけでここまで洗練された味になるとは」

「この町の林檎が美味しいんですよ。よく熟れていましたし、香りも強いですね」

 わたしは真っ赤なりんごですー、ってね。

「林檎の歌ですか」

 隣に座ったザコルが私の独り言を拾って言った。

「りんごの独り言を歌った曲ですね」

「ぜひ歌って聴かせてくれないか。私も聴きたい」

 お酒も入ってないのに恥ずかしいが、他ならぬイーリアの頼みだ。

 祖母が付き合いで顔を出していた、地域の童謡クラブで歌った事のある古い歌。

「ふむ、郷愁を誘う歌だな。寒い北の国とは、まさにこの地にぴったりではないか」

「旅に出た林檎も、きっと同じ空を見て故郷を想うのですわね」

 マージがふっとザコルに目線をやった気がした。



 イーリアは私の希望通り、私の地図を用いながら、もし王弟が軍などを差し向けた場合どこから攻めてくる可能性が高いかという話をしてくれた。


 もし王都から出発してサカシータ領に攻め入るとなると、正攻法ならばテイラー領から見て西方で、王都とは北方に隣接している王領から北上してジーク領に入り、モナ領を経由してこの町、シータイから入るか、王領から西北に面したサギラ侯爵領に入って下流の町から入るかだ。


 テイラーもジークもモナも、表立って王弟との確執は無いが、現王家とはそれなりにうまくやっていた。よって、国王夫妻を追い出して王宮を占拠している逆賊同然の王弟を歓待などする理由がない。というか無闇に歓待などすれば逆賊に数えられる可能性だってある。

 サカシータに関しては政治不干渉の姿勢を貫いているので、現王家にしろ王弟にしろ、どちらかに肩入れするという事自体がそもそもない。

 この四領は、領主同士の関係も良好だ。私の辺境行きを陰ながら支援してくれたのはそうした背景がある。


 サギラ侯爵については、テイラー伯爵やサカシータ子爵と関係がいいとは言えないようだが、彼の場合、王弟の方とも関係がいいとは言えないらしい。コマ情報によれば、彼らは王立学院の元同級生で、当時女性関係か何かで大揉めした事があるとか。


 街道などは存在しないが、サカシータ領とは低い山と森を挟んで西側に接しているルナ男爵領は、サカシータとサギラとモナとジークという四領に囲まれる小さな領だ。サギラ侯爵と縁戚関係にあるようで、実質的にサギラ侯爵領の属領である。


 イーリアが語るには、王弟はまずこの領に辿り着く以前に、近隣領を通過するだけで難儀するだろう、との事だった。


「あの侯が王弟に与するとは考えにくいが……もし侵攻の可能性が少しでもあるとすれば、ウチとは頑なに交流を持たないサギラ侯爵領側からになるかもしれない。あちらは下流の町と街道がつながっている。そういう意味でもつけ入り易いと考えるだろう」


 下流の町は今回の水害ダメージが一番酷かった場所だ。防衛どころか、復旧もまだできていないだろう。


「あの、下流の支援をしてくれている同志はサギラ侯爵領で貿易を担っている商家の方でしたよね。彼らは大丈夫なんでしょうか」

 もしサギラ侯爵がサカシータ子爵にいい感情を抱いていないようであれば、何かしら商売に差し障りが出る可能性はある。

「タイタ、どう?」

「ご心配には及びません。猟犬ネットワークで既に王都の動き等は把握しているでしょうし、彼らは一流の商人でもありますから。ありとあらゆる手を使って『上手く』やり過ごしてくれるでしょう」


 まだ会った事はないが、そこは秘密結社猟犬クラブの古参会員だ。こちらが考えるよりずっとしたたかなのかもしれない。


「あの無駄に元気な患者達は数日もしないうちに下流に帰るでしょう。大きな借りのできた同志や氷姫を守るためなら、たとえどんな軍勢が来ようとも砦を死守しますよ」

 ザコルもそのようにフォローした。


「下流に何らかの攻撃があって兵力を傾けた場合に、警戒すべきはルナ男爵領との領界にある森からの侵入者だ。大軍は無理でも、羽虫のように湧く者どもの全ては防ぎきれない。小さな虫とて集まれば厄介だ。他所の軟弱共が雪上でうちの兵に敵うとは思えんが、もてなしの準備はしておかねばな」

 イーリアがゆっくりと長い脚を組み直してニヤリとする。

 そうか、そろそろ雪が積もり始める季節なのか。

「もし王弟殿下からの遣いを名乗るのであれば、まずは、氷姫を拐ったらしい僕との話し合いが先になるでしょう。家畜が人語を解せばの話ですが」

 ザコルも腕を組んでニヤリとする。この母子のニヤリ顔は心臓に悪い。


「タイタ殿」

「…はっ、サカシータ子爵夫人様」

 さっきのニヤリ顔に半分意識を持っていかれていたらしいタイタが、イーリアからの呼びかけに飛び上がる。

「猟犬ネットワークとやらは、どれほどの速度を持って情報をやり取りしている?」

「ここから王都までならば、通常三日か四日で文を届けられるかと。全国各地に会員がおりますので、同じ速さで拡散もできます」

「三日とは…! 素晴らしい。会員はほとんどが一般人なのだろう、その練度を保てる秘訣が知りたいな」

「皆、ザコル殿を熱くお慕いしているだけです。熱意だけでなく規律を作り、全ての会員に徹底させております。それくらいの事はできませんと、玄人たる猟犬殿のお力になるなど夢のまた夢でしょうから」

 ニヤリ。タイタの表情が変わり、規律の番人『執行人』が顔を出す。


 そうだ、思い出したくない事を思い出した…。思い出したからには報告するしかない。


「イーリア様、ご報告が遅れましたが、この秘密結社、明日の朝刊一面を乗っ取るようです。何やら私達の事を面白おかしく書いてくれたようで…」

「ほう?」

 イーリアが眉を上げる。

「えっ、朝刊を乗っ取る!? それ初耳なんすけど!?」

 エビーがソファーの後ろから乗り出す。そういえばエビーには話してなかったかもしれない。

「ごめんね、話してなくて。私も今朝ドーシャさんから聞かされたんだけどさ…」

 今朝聞いた事を順を追って説明していく。どんな風に書かれるのか想像がつかなくて怖い。

 オリヴァーを始めテイラー側がバックについているのならそう悪いようにはならないだろうが…。


「ようやく動きを見せたかよ、テイラーは」

 コマがフンと鼻を鳴らす。

「なるほど。まだまだ同志らを甘く見ていたようだな。それほど大胆な計画をよくぞ今日まで隠し通した事だ。明日は下流での作業を早めに切り上げてここに戻ってくるとしよう」

 イーリアが側近に目配せする。

 私は頭を抱えた。

「ああああああー…もう恥ずかしくてどこへも行けないよおおおー…!!」

「では尚更アカイシの山奥で暮らしましょう」

「あんなに標高の高い雪山で一冬潜伏するなんてのは流石に早すぎますよおおー…」

「あなたなら食料とちょっとした風よけの小屋と寝具さえあれば何とかなるのでは。魔法で室温管理くらいできそうですし」


 …………雪がたくさんあるのなら水には困らないだろうし、それを沸かせば室温も上がるし、風呂や清拭や調理さえもできる。なるほど魔法さえあればいけてしまうかもしれない。


「ミカさん、そうかも、みたいな顔しないでください。何毒されてんすか」

 だんだんと毒されているのはエビーもそうだと思うのだが黙っておく。

「あ、それから、ドーシャさん達が朝晩定期でオリヴァー宛に報告出してるらしいんだけど、エビーは知ってた?」

「ああ、そっちは聞いてます。俺からの報告もあれば一緒に届けますってピッタちゃんが声かけてくれてたんで」

「へえ」

 いつの間にピッタと仲良くなったんだこのチャラ男は…。

 とりあえず新聞の件は置いといて。


「イーリア様。私も一度、下流の方へお手伝いに行けたらと思うのですが。私なら、食器や飲水の煮沸や、お風呂や清拭用の湯を用意するのも燃料に頼らず力になれますから。薪も不足しているのでは?」

 イーリアが頷く。

「その通りだ。蓄えを流された家が多いからな。冬越えには到底足りない。今日は同志や山の民が協力して近隣の林を伐採し、薪の確保に尽力してくれていた。ミカが力になってくれるのならば願ってもない事だ」

 今日は山の民の男性達を見かけないと思ったら、下流まで出張していたのか…。

「では三日後でどうだろうか。貴殿を迎えるのなら多少の準備も必要だ」

 特別な出迎えなどは要らないが、イーリアの言う準備とは警備などの話だろう。

「分かりました。明々後日ですね」

 朝の鍛錬は早めに切り上げさせてもらう方向で調整しよう。


「大量に湯沸かしが必要な作業については三日後までなるべく待つよう伝えておく。この町で世話になった者達も、再び聖女に会えるとなれば喜ぶだろう」

「泊まりなんて基本的に無理ですよね。夜にはこちらへ戻るとなると時間がありませんから、効率よく作業させていただかなくてはいけません。下流の状況を詳しくお聞かせください」

「私は明日も下流へ行く。現地の民の話を聞いてからでもいいだろうか」

「はい。よろしくお願いいたします」

「お願いするのはこちらなのだがな。何から何まですまない、ミカ」

 お互いに頭を下げ合う。


「いえ、あくまでもお世話になっているのはこちらですから。調査や検証の事もありますし。もう一つ質問をよろしいでしょうかイーリア様」

「ああもちろん」

「今、サカシータ子爵様はどちらにいらっしゃいますか。それから中田も。子爵邸でしょうか?」

 気になりつつも聞きそびれていた。

 以前のイーリアの口ぶりからして二人とも近辺にいる事はないのだろうが…。


「ああ、オーレンはロット、騎士団長でもある六男とアカイシ山脈の国境守りに徹しているはずだ。私とその他の兄弟が災害対応に駆り出されているからな。子爵邸はザラミーアに任せてある。恐らくだが、カズは歩兵の一人としてロットに同行しているだろう」


 現騎士団長は六男なのか。

 ザコルの話から察するに、ツルギ山の土砂崩れには次男のジーロが向かったはずなので、その他の兄弟達、六男ロットを除いた、四男ザッシュと九男ザハリが下流で災害支援をしているという事になる。


「下流に行けば双子の弟さんに会え…あ、違う違う。そうじゃなくて。やはりそうなのですね、この水害の件が落ち着かないと子爵様にはお会いできそうにないと。あと中田にも」

 欲望がダダ漏れてしまう所だった。危ない。ふう。

「欲望がダダ漏れてますよ、ミカさん」

「バレた」

 ザコルは弟とはあまり似ていないと言うが、並べばきっと似ている所もあるに違いない。ふふ、ふふふ。

「何を興奮しているんです」

 ザコルが眉を寄せた。

 紹介して回ろうなどと言っていたくせに、私が楽しみにしているのは気に入らないのか。

「下流にいるのはザッシュとザハリで、二人ともザラミーアの子だ。ザコルとも面立ちは近い。性分は、どちらかと言えばザッシュの方がザコルに近いかもな」

 ふへへー! 似てるんだってー!!

「顔から全部の感情漏れ出てますよミカさん」

 おお、いかんいかん。イーリアの前だ。気を引き締めねば。

「うちの息子らに会うのをそうまで楽しみにしてくれているのか。ふふ、あいつらも喜ぶだろう」

 イーリアはそんなだらしない顔にも呆れる事なく微笑んでくれた。女神か。

「喜ばす必要などありません。挨拶だけしたら即撤収ですよ」

「何言ってるんですか、まだそんな事言ってるんですか?」


 昨夜言っていたような、他の兄弟が会った事もない私に群がるなどというのはザコルの被害妄想というか、思い込みだろう。


 険しい顔をするザコルと、それをニマニマと眺めるイーリア。

 よく分からないが、実際に会えば分かるだろうとそれ以上突っ込むのはやめた。



つづく

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