泣くな。泣きたいのはこっちだ
「さあ、そろそろミカ様を休ませて差し上げましょう」
というミリナの一声に、男達はピタッと雑談をやめた。と同時に、ピッタ達同志村女子とメイド数人が駆け寄ってきた。
「ミカ様…!!」
「聖女様、ご体調は」
「ふへ、大丈夫です。心配かけてごめん」
未だ涙目の女性達に、ミカは弛緩したように笑ってみせる。
「イリヤはこちらにいらっしゃい」
「いやです。ずっとにぎってます。ミカさま、おげんきじゃないもの!」
「ありがとねイリヤくん。魔力はもう足りてるはずなんだ、でも、なんだろ、普通に疲れたみたい」
ミカはそう言って、僕の頭にもたれかかった。僕は、彼女を縦抱きから横抱きに直す。
「おそろしいほど集中なさっているように見えましたもの。きっと消耗されたのでしょう」
メイド達はいたわしげにミカの顔色をのぞき込む。そしてミカに付き添う者と、部屋の準備をする者の二手に分かれた。後者は邸の方へと走り出す。
「ミカ様、今日はソロバン塾にいらっしゃらなくていいですから。私達しっかり自習しておきますので」
「ぜひお部屋でゆっくりなさってください。羊っぽいものも編まなくていいですから」
「お風呂も結構ですから絶対に沸かさないでくださいね!」
「書き物も読書も禁止ですよ!」
ミカの生態をよく知る女子達は矢継ぎ早に言い募った。ミカが渋面になる。
「ええー、そんな、暇になっちゃうよー」
「暇でいいんです! 退屈なら猟犬様と老後の話でもなさってください! お好きでしょう!?」
「老後の話……?」
ピッタ達の提案にメイド達がいぶかしげな顔をする。
女性達はぐいぐいと僕の背を押す。大型の魔獣達が道を開け、そして静かに伏せのような体勢をとった。
◆ ◆ ◆
「さあ皆さん、女王様の最初の命令ですよ! お願いしますミリナ様!」
ミカがそう叫ぶと、ミリナ、新しく僕らの姉となった人が頷く。
「やっ、灼き払えぇっ!!」
緊張からか少々裏返った声に、ミカはクスリと笑い、そして両手を目の前に差し出した。
その手の平からあふれ出すのは微小な氷の粒子。鋭く差し込んだ朝の陽光に反射し、まるで星屑のように煌めく。直後、彼女は天高く光の柱を打ち立てた。
わっ、と人々の歓声が上がるも、彼女はそれには全く気づいていないかのように「あんなもんか」とつぶやいた。どうやら、魔法が届く限界の距離を測っていたらしい。彼女はサッと横に視線を走らせ、魔獣達のいる範囲を見定め「ヨシ」とまたつぶやいた。
上に掲げていた手を少し斜めの角度に調整し、ゆっくりと彼女が回りだす。光の柱の先端は螺旋を描いて徐々に下に下にと移動する。視界はあっという間に光の粒でいっぱいになった。
グウゥ、と足元にいるゲンブが鳴く。彼が一度覚悟した死は、この光がきっと『無かったこと』にしてくれるだろう。
「なんて、あたたかいの……」
よかったわね、よかったわね、と、ミリナが死にかけた魔獣達のために泣く。
「でけえ……! これ、ヌマの町で作った細氷のドームと比べもんになんねえ大きさだぞ。大丈夫かよ、姐さん」
エビーが魔法の規模に慄いている。かたわらにいたタイタも表情を厳しくした。
「ミイ殿、どうかミカ殿の様子を見守ってくださいませんか、かの方はきっと無茶をなさります。不甲斐ないことですが、我々では正確にご体調を測れないのです」
ミイ!
タイタの言葉にミイが返事をする。僕もミカに視線を戻す。
「ミカ、くれぐれも無理はしないように。僕の言葉が解らなくなったらすぐにでもやめてください」
「まだ、まだ、もっと」
「ミカ、聴いていますか」
「足りない、足りない…!」
駄目だ、集中しきっている。弓を引く時と同じだ。この状態のミカには誰が何を言っても言葉が届かない。ミカのただならぬ様子に、ミリナも気づいた。
「ミカ様、根を詰めすぎないでください。あなたが倒れては元も子もありません」
「絶対に助ける」
「聴いておられますか?」
「誰も死なせない」
「ミカ様ったら!」
またたきさえ忘れたように、ミカの視線は空中に固定されたまま。もはや誰の顔も映さない。
上から下までを光の粒子で埋め尽くし、それで止まるかと思いきや、ほんのわずかな隙間を狙って再び魔法を放出し始めた。
細氷の密度は視界不良を起こすほどにまで高まり、目を開けているのもやっとというほどの眩しさだ。気温はぐんと下がり、人々の吐く息さえもが即、氷の結晶となって宙を舞う。
もはや奇跡どころではない、異様とさえ言える光景に、ただ細氷に感動していただけの人々も動揺し始める。
「ミカさん、ミカさん、もういい、いくら君でもこれ以上は」
「だめ。まだ気配が揺らいでる。大丈夫、絶対に助けるからね」
無意識なのか、父の言葉に敬語も忘れて答える。その顔は必死なのに笑顔だ。死にかけた者達を安心させようとしているのか。
グウグウ!
ゲンブがミカの方に向かって吠え始めた。
「ザコル! 玄武はもう大丈夫だ。おそらく他の魔獣達も危機は脱した。ミカさんを止めてくれ!」
父も叫ぶ。
「ミカ、ミカ」
肩を揺するが声は届かない。僕だけでなく、他の人間も立場を問わずミカに声を投げ始めた。
「ミカ様、ミカ様ったら」
「ミカ殿、おやめください、どうか…!!」
「ミカさま! おじいさまがもういいよって言ってます!」
「ホッタ殿! どうしてやめない!?」
「ミカ! どうしちゃったのよ、止めていいのよ!?」
『ミカ様!!』『聖女様!!』
ミイ、ミイミイ!!
「ミイちゃんが! ミイちゃんが止めろって言ってます!! マジに限界だ!!」
エビーが叫ぶ。ドシャッ、ミカが雪上に膝をつく。ぐわん、と一瞬、その姿が揺らいだように見えた。
「いや、いや…っ、先輩、消えないでっ、だめえええええ!!」
「カズ!」
乱心したナカタを六兄が抱く。
「ミカ、ミカ」
「まだ、だめ、生きて、今度こそ、全〜〜〜〜〜…!」
「ミカ、ミカ!!」
僕は、魔法を放出しているミカの手を思い切り掴んだ。
じゅっ、まるで熱した杭を直接掴んだかのような感覚。手の平に激痛が走る。
「……っ!」
かろうじて声は出さなかった。空気を凍らせる魔法にいきなり手を割り込ませたせいだ。凍傷になるかもしれないが今はどうでもいい。
「〜〜〜〜〜〜〜〜、〜〜…」
ミカが発する言葉が理解できない。魔力切れ寸前だ。だが、やっと止まった、止めた、止められた…!
魔獣達がミカに向かって一斉に吠えたてている。彼らも彼女を止めたかったのだろう。
「〜〜〜、〜〜〜〜〜〜?」
ミカはそんな魔獣達を不思議そうな顔で見ている。
「ミカ、こっちを向け、顔を上げろ!」
「〜〜、ザコル〜〜〜〜〜んむっ、んむっ!? んーむーむぅー!!」
…………ぷはっ。
「ふぇっ、何するんですかぁ…!」
涙目のミカに脱力しそうになる。泣くな。泣きたいのはこっちだ。
「…っ、このクソ姫が!! 昏倒するまで続けるつもりか!? 自分が膝をついているのに気づいていないのか!!」
「えっ、あ、本当だ、いつから座ってたんだろう」
ミカは、よいしょ、と緊張感のかけらもない掛け声で立ち上がろうとし、そしてふらりと姿勢を崩した。
「はれ…?」
倒れる前に抱き止め、横抱きにする。思わず睨みつけると、また不思議そうな顔をした。
「一瞬、言葉も解らなくなっていたでしょう」
「あっ、えっと……はい、すいません。魔力分けてくれてありがとうございます」
やっと自分が魔力を枯渇させかけた事実を認識したらしい。呑気なことだ。
僕は潤みかけた瞳をまばたきで誤魔化し、頭上を見上げた。こちらを心配そうに覗き込む目と目が合った。
「ミリュー、お前もミカに魔力をやれるか?」
キュルル…。
馴染みの魔獣はどこか申し訳なさそうに鳴いた。
「ミリュー、王宮を水没させてきたの!? 無理しないで!」
キュルルッ!!
「ひぇ、すいません!」
叱られたらしい。
ミリューはまるで仕方のない娘でも見るかのような瞳で小さく鳴き、ミカに魔力を分ける素振りをした。
つづく




