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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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独り言

今回はずーっとザコル視点です。

「変態殿、このままだとマジにあの二人盗られますよ。どうするんすか」

 エビーが僕の肩を叩いた。


「エビー。君はそのもつれた足を何とかしてから言ってください。あの二人は僕の用意したメニューもコマの手合わせもどちらもこなしてあの余裕ですよ。コマとの関わりによって、あの二人が良い方向に成長できるのなら文句はありません」

 コマが僕の側に移動してきた。

「金髪の言う事も半分当たってんぞ。俺の暇つぶし半分、お前への嫌がらせ半分だからな。あの二人は鍛え甲斐があっていい。なかなか楽しませてくれる」

「コマ、ミカとタイタが喜んでいるならと口出ししていないが、本気でテイラーから抜こうと言うなら相手になるぞ」

「へっ、あの二人が自発的に抜けたいと言い出したらお前に止められんのか? あまり雑に扱ってると痛い目見んぞ」

「雑に扱った覚えはない」

 そもそも、ミカもタイタも自発的に僕のファンとやらになったんだろう。


「コマさんてコミュ力高えすよねー。さっきも女子の心ガッツリ掴んでましたし。俺にもなんか教えてくださいよ」

「金髪、お前はマジにそのもつれた足何とかしてから言え。根性据わったら遊んでやる」

「くそー、言われなくても頑張りますよぉ。旅で体鈍ってただけですし? でもね、俺の真価は気配りのさすエビっすからね! ミカさんの心身サポー…」

「はん。お前、それも俺に勝てたつもりでいんのか?」

「むぐ…っ」

 エビーは図星なのか口をつぐんだ。


 確かに、コマの言動によってミカの機嫌が持ち直したのは一回や二回ではない。心身のサポートという点では、エビーよりずっと的確な気がする。…僕はエビー以下だ。


「お前らがガキすぎんだよ。なんで俺様が保育してやんなきゃなんねぇんだボケが」

 コマのこのやたらに人の面倒を見たがる癖は昔からだ。ある種『対価』のつもりかもしれないが。


 僕に対しては、酒場でしつこく絡んできて暗部に勧誘した上、女装させたり、男を引っ掛けるように指示したりと散々だった。対価どころか一つも割に合っていない。僕の嫌そうな顔を見て楽しそうにしている所なんかはミカとも共通している。


 しかし、ミカはコマと違って僕が本当に嫌がる事はしない。

 それどころか、傷つける事を必要以上に恐れてすらいる。僕みたいなのを相手にどうしてそこまで思い詰めるのかと、心配を通り越して苛立ちを感じることすらあった。まるで、弱く頼りないと言われているようで……


「おい犬、後で姫ご所望のお前への特別サービスがある。楽しみにしとけよ」

「は?」

 何の事だ。ミカがサービスを所望…?

「俺様は親切だからな」


 ミカはピッタ達とこれから避難民入浴の試運転をする件で話している。他の女性スタッフ達とも仲が深まったようで、皆で同じ髪型にしてはしゃいでいる。


 そろそろ行くよー。とミカが周りに声をかけ始めた。僕は背後に転がっている同志達を振り向く。

「今日は初日ですから、これくらいにしておきましょうか」

「りょ、猟犬様! 鬼軍曹モードでお願いします!!」

 ドーシャが首だけを何とか持ち上げて言った。よく分からないが、遠慮はするなと言う事か。

「まだ余裕があるようだな。時間があるならこの後走り込みでもしろ。明日は他の武器も用意して適性をみる。いい結果が出せるようせいぜい仕上げておけ」

『はっ』

 全員、エビーより余程根性がある。鍛え甲斐がありそうだ。つい口角が持ち上がる。

「いい返事だ。期待している」

 そう伝えたら何人かがとどめを刺されたかのように気を失った。何故………


「今の顔はずるいわー」

「お、俺も心神喪失一歩手前でした…!」

 いつの間にか僕の顔が見える位置に移動していたミカとタイタが仲良く胸を押さえていた。本当に一体何なんだ。


 気を失った同志達をテントまで運ぶべきかと思案していたら、彼らの部下達が荷車を引いてやってきて、僕達に一礼すると、あっという間に回収して村へと戻って行った。




 ミカを中心に、僕達護衛三人、コマ、女性スタッフ一同が連れ立って門の方向へと移動する。

 ミカのエスコートをする気でいたら、ミカはピッタの横にさっさと並んでしまった。試運転の件をずっと話している。手持ち無沙汰だが仕方ない。最近はずっとミカが腕にくっついていたからか、ミカの背中を見ながら歩くのに違和感がある。

 コマは女性達から美容に関する事で質問責めに遭っていた。


「猟犬殿、何かミカさん怒ってません? さっき迎えに行った時、何言ったんすか」

「過去に、ミカが心神喪失した言葉から選んで…。それから人前で触るなと言われたので、我慢する必要があるのかと」

「はあ…。宥めに行ったんじゃないんすか。それがどうしてセクハラ宣言につながるんすかねこの変態は」

 エビーが目を眇めた。

「何がセクハラだ。そういう仲だと周知したのだから別に」

「ミカさんがやめてほしいって言ってんでしょうが。暴走ばっかしてっとまた返り討ちに遭わされますよ」


 返り討ち…。ミカの返り討ちと言えばあの蹂躙行為だが、ミカからしてくることはもう当分ないだろう。魔力が混ざったとあの必死に言い募る顔や、怯えた顔。エビーではないが、僕の頭の隅にもこびりついている。

 昨夜も随分と取り乱していた。シシから問題だと言われたわけでも、僕やエビーがどうかなったわけでもないのに考え過ぎだ。

 ミカの魔力が自分の身体に入り込んでいるとしても、僕は不快になんて決して思わないのに。



 門へ着くと、モリヤが出迎えた。


「ミカ様、坊ちゃん。それに皆さん方。おはようございます。何やら面白そうな事をしておいででしたなあ」

 モリヤは相変わらず僕の事を坊ちゃんと呼ぶ。正直気恥ずかしいのだが、表には出さない。

「モリヤさんおはようございます。今日からしばらく明朝に鍛錬しようかと。同志達も一緒なんですよ」

 ミカがにこやかに答える。

「それは参加自由でございますか?」

 モリヤが僕を見るので頷いた。

「ええ。良かったらモリヤも参加してくれませんか。ぜひ僕に稽古を」

 胸に手を当てて頭を下げる。元騎士団長の教えが請えるとしたら今がチャンスだ。

「この老いぼれが坊ちゃんに敵うとは思えませんがね。だが、いいでしょう。この剣もたまには振ってやらないと機嫌を損ねる」


 つい二日前にその剣で曲者を吹き飛ばしていた気もするが、あんなのは振った内に入らないのだろう。

 横を見ると、タイタが拳を握って目を輝かせている。ミカも興味を隠しきれない様子で僕とモリヤを見ている。

 可愛らしいな。



 門を過ぎると、慌ただしく行き交う町の者達が見えてくる。水害支援のために止めていた牛乳や林檎の出荷を再開するらしい。町民達は久しぶりの仕事に意気込んでいるようだ。

 そういえば、ミカは昨日よく眠れたのだろうか。寝袋では決して寝心地がいいとは言えないだろう。昨夜も頻繁にゴソゴソと寝返りを打っている音がしていた。疲れが溜まっているのでなければいいが。


 急にミカが振り向き、僕の隣にまで下がってきて並んだ。

「何ですか、ミカ、打ち合わせはもういいんですか」

「はい。後は町長屋敷で続きをします」

 ミカはそう言って僕の左腕に軽く手を回した。同時に右腕にも手を回される感触がして、振り返るとコマだった。

「な、お前…」

 町民の目がこちらを向く。コマはわざとらしく右腕に巻き付くようにして身体を寄せる。

「おい、コマ」

 振り解こうとしても、軽い動きでは振り払えない。力づくでやればできない事もないが、しかし…

「ザコル様」

 出荷のための荷積みをしていた町民の一人がにこやかに話しかけてくる。

「コマ様とおっしゃるんですかい、このお嬢さんは」

 ピリ、緊張が走る。これは斥候だ。

「え、ええ…僕の元…」

「ザコル」

 この声はミカじゃない。女声に聴こえるが、これは声色を変えたコマの声だ。


「初めまして。コマと申しますわ。ザコルとは昔からの付き合いで。今日は町を案内してもらう予定なんですの。ね?」


 コマが上目遣いで僕を見上げる。…くそっ、やってくれたな。

「ミカ様、このお嬢さんはミカ様もご存知の方ですかい?」

「あ…はい…。でも、私がコマさんの事を知ったのは、つい最近なんです。二人は、とっても仲良しで…」

 ミカはキュッと僕の服の生地を掴みつつ、目を伏せて言いづらそうにした。

「なるほど」

「誤解です。コマは男性で…」

「男性? このとびきり可愛らしいお嬢さんがですかい。流石に無理のある言い訳じゃねえですか、ザコル様」


 ぶわっ…。


 場の空気が圧縮したような感覚があった。

 肌寒い季節だというのに、背中を汗が伝う。後ろでエビーがタイタにひっついた気配がする。

 ジリジリと町民達がこちらに距離を詰めてくる。この人数では絶対に逃れられない。かつて、サイカ国の山中で練度の高い特殊部隊に囲まれた時の事を思い出した。


「ふっ…」

 吹き出す声が聴こえる。


「ふふ、ふふふ、凄い殺気…っ、もう本当にすっごい!」

「何だ、もうやめんのか?」

「だって、町の皆に悪いんですもん」

「つまんねえな、あと少しでこの犬がボコボコにされるとこだったのによ」


 ミカが笑い出し、コマと親しげに会話を始めた事で周囲の殺気が霧散する。


「何だあ、ミカ様、人が悪いなあ。こりゃ茶番ですかい」

「そのお嬢さんは結局どなたなんです」

 ミカが僕の腕を離れ、町民達に頭を下げた。

「朝からごめんなさい。あのね、この人はザコル様の元同僚でコマさん。本当に男性ですよ。可愛いでしょう」

「はあ!? 本当に、本当に男性なんですかぁ…!? どこからどう見ても綺麗なお嬢さんにしか見えませんよ! ミカ様も騙されてんじゃねえのか」

 町民達がざわめく。確かにこの容貌で男だと言われたとて、すぐには納得できないだろう。

「はん、俺はマジで男だっつの」

「これだけ可愛かったら男でも女でも関係ないかもしれないですけどねえ」

「へっ、やめろ気色悪ぃ。今は他領の所属だが、子爵夫人サマにも滞在許可はいただいてっからな。しばらく厄介になるぜ」

「ふふ、こんな堂々とした工作員います?」

「この町でコソコソしようもんなら即リンチだろ。つくづくバケモンだらけだよ、この里は」


 同志村の女性スタッフ達も出てきて、コマは本当に大人の男性で、タイタよりも強いんだなどと言って回る。コマはあっという間に町民に囲まれた。


「コマさんは可愛いですけどお触り厳禁ですからね!」

「いかがわしい言い方すんじゃねえ」

 ミカとコマの掛け合いに町民達が笑う。


「ミカ。これが僕へのサービスですか」

 あ、とミカがこちらを振り返る。今、僕の事を忘れていたな。後で覚えていろよ。




 ミカはコマを連れて集会所や臨時救護所などへも行き、同じように紹介した。

 コマはどうしても外見が目立つので、堂々と町を歩いても町民に怪しまれないようにと配慮しているつもりなのだろう。コマも特に異を唱えずに紹介されていた。


 確かに、ミカが先に紹介する方が僕が紹介するよりも警戒されにくいだろう。僕がこいつは男だなんて言って紹介しても、信じてもらえない可能性は非常に高い。


 ミカは最終的にコマを診療所まで送り、中にいる町医者のシシに一声をかけた。

 出てきたシシはコマを見て一瞬言葉を失った。僕は心神喪失状態だったのであまり覚えてはいないが、昨日もシシはコマの姿を見ているのではないだろうか。今更、何を驚いているのだろう。


「町医者、さっきリュウとかいう銀髪に会ったぞ。手伝えって脅しといたからな」

「あ、ああ…。それは可哀想に。怖がっていたろう」

 シシは同情したように眉を下げた。僕も彼には同情する。…色々な意味で。

「町医者、お前にも言っとくぞ。俺に気遣いは無用だ。道具だとでも思って接しろ。それ以上でもそれ以下でもねえ」

「…ふむ。分かった。では、力になってもらおう。早速だが、昨日の話の続きをしようじゃないか」

「そうこなくちゃな」


 コマを置いて診療所の外に出ると、大柄な銀髪の青年が白衣を着込み、背を縮こめて道の端に立っていた。

「リュウ先生…」

 ミカが呟くように名を呼んだ。


 彼はついさっき同志村へ引き揚げたはずなのに、もう着替えまで済ませてここに来たらしい。彼は今日のメニューを完遂できなかった一人だが、筋力はともかく体力はなかなかのもののようだ。

 ミカによれば、水害から二日目の診察と処置はこの彼が看護師と共に担ったとの事。医者というのも、きっと体力がものを言う職なのだろう。


「リュウ。医者としてこの町で力になってくれた君に感謝を。厄介な事を頼んですまないが、どうかよろしく頼みます」

 自然に感謝が口をついて出る。僕は胸に手を当てて彼に頭を下げた。彼はしばらく戸惑ったように不審な動きをしていたが、意を決したように口を開いた。


「りょ、猟犬、さま。ぼぼぼ僕は、あなたに、ず、ずっとあこ、あこあこが、れて、まわりの、めめ目を、おそおそれないいあなあなたをもももく、ひょう、に、して、きききました。ぼぼ、僕が、なななんんとかああっ医者をっつづけっ、られってるのはっ、あなたが、いた、からで、す。あり、ありが、とう、ございままましたっ」


 そう言ってリュウは勢いよく頭を下げた。そのまま診療所に駆け込もうとする。

「待ってください。リュウ」

 思わず彼の行手を遮ってしまった。

「え、ああ、あの…」

「あ、あの、驚かせてすみません。ええと、僕も、同じように、周りの目にいい思い出がありません。恐れがないわけではない。辛うじて、仕留めようと思えば全員仕留められると思う事で耐えていただけで」

「……何すかその、暴力は全てを解決するみたいな」

 エビーがボソッと呟く。

「そうですね。暴力、いえ物理は全てを解決します。…いやっ、そういう事を言いたいんじゃなく。僕も弱いながらも何とか生きてきたような人間の一人です。しかし君が医者を続けて多くの人の力になってきた事は、決して僕のおかげなんかじゃない。君が、恐れを制し、目の前の仕事に向き合える強い人間だったというだけだ」


 リュウはギュッと白衣の前を握った。

「ぼぼぼくは…でも、でもすすすぐ、逃げたく…なななって…今も、ここに…ああ、すみ、すみませ…」


 そうして彼は頭を抱えるようにして背を丸め、小さくなってしまった。

 前いた場所を逃げ出してきたと、そんな事を気にしているのだろうか。


「そうか……それでは、こう言い変えましょう。ここを行き先に選んでくれてありがとうございます、リュウ。君が再び発つその日まで、この町を、あの薬の件を、どうぞよろしくお願いします」


 リュウは顔を上げ、以前の僕のように無造作に伸ばした銀髪の間から赤茶の瞳をこちらに向けた。

「は、は、はい…こち、らこそ…」

「よし、やっとまた一人お礼が言えました。全く、僕だって人と話すのは怖いんですからね。君達は僕の事を人を人とも思わない兵器か何かのように言うが」

「変態人見知り最終兵器っすもんね」

「うるさいですエビー。リュウ、明日も放牧場で会いましょう。こっちも逃がしませんからね」

 タイタに目配せをすると、ニコリと笑った。リュウが小さく飛び上がったようだが、彼は小さな声でよろしくお願いしますと言って今度こそ診療所へと駆け込んでいった。




 診療所を離れて歩いていると、ミカが僕の髪に手を伸ばしてきて撫でた。

「何ですか」

「偉いな、と思って」

「ひ、人前ですよ、やめてください」

 僕にだって、同志村のよく知らないスタッフの前で撫でられて恥ずかしく思うくらいの情緒はある。

「ねえ、わざと言ってるんですか?」

「何がです」

「人前でー、とか。まあいいですけど」

 そう言ってミカは手を引っ込めた。


 町長屋敷が見えてくる。

 玄関に着くとすぐに庭に通される。りんご箱職人と同志の部下代表カファ、それと数人の男性部下が既に準備を始めていた。今日は山の民達の姿はない。


「ザコル様、ミカ。おはようございます」

「マージお姉様! おはようございます。今日もお綺麗ですね!」

 マージも見に来ていたらしい。ミカが嬉しげに駆け寄った。僕も軽く会釈をする。

「今日試運転をするのでしょう。朝から使用人達が張り切って井戸水を汲んでいたのよ。ほら、あの樽の山を見てちょうだい」

 マージの指す先には、様々な大きさの樽がしっかり蓋を閉められて積まれていた。

「そんな、ありがとうございます。今日は私達で汲むつもりだったのに…」

「あら、ミカやその護衛方にそんな事させられるわけないでしょう。あなたは主役。聖女で魔法士様なんですからね」

 マージがクスクスと笑う。

「マージ、義母はどうしましたか」

「イーリア様は一旦下流を確認なさると言って、朝早くにお出かけになりました。夕方までにはお戻りになる予定ですわ」

「そうですか」


 下流の方はどうなっただろう。ついにミカが行きたいと言い出した。

 安全性も含めて、今夜義母に確認する事にしよう。


 一緒に来た女性スタッフが準備に加わり、男湯、女湯のテントをそれぞれ設営していく。

 かなりの大きさだ。どうやら、中で浴場と脱衣所の二室に分かれているらしい。

 テントにはスリットが入れられ、体を洗う用の水路と、湯船にかけられた水路が顔を出している。テント外から足し湯ができるように想定しているそうだ。テントの中はすのこを敷き詰めて裸足でも歩けるように工夫されている。


「さて、とりあえず湯船にお湯張ってみようか? 私が屋敷のお風呂で沸かした時は、湯船の三分の一まで水を入れて、魔法で熱湯にしてから水を足して調整したんだけど」

 設営を終え、ミカがカファとピッタ相手に相談している。

「そうですね、とりあえず、最初はその方法で一度張ってみましょう。まずは女湯の湯船で試してみましょうか」


 屋敷の使用人と同志村のスタッフ、りんご箱職人、そして僕ら護衛三人が手分けして樽を転がしてテントの近くまで運び、手桶を使い、数人がかりで樽から湯船に水を移していく。容量が大きいので、一般人にはかなりの重労働だろう。


「あー、大変ですねこれは。本番はお兄…じゃなかった、それぞれのリーダー達にお願いしましょうよ。無駄に筋肉ですし」

「そうね、そうしましょう。私達も筋肉に声をかけておくわ」

「今こそ使うべきね、あの筋肉は」


 女性スタッフ達は、リーダー、もとい同志メンバーを汲み上げ要員として使う気のようだ。彼らはあれで、部下達からは頼りにされているらしい。


「ごめんね、私が無茶を言い出したばかりに大変な仕事させちゃって…」

「ミカ様! ミカ様は手桶なんて持たなくていいんです! 町長様とあちらでお待ちください!」

「でもほら、私も無駄に鍛えてる感じの人だよ。筋肉筋肉」

「いいですから! ほら、あと少しで三分の一まで溜まります!」

 ミカは女性達に手桶を取り上げられたものの、それでも落ち着かないのか皆の周りをうろうろしている。


「よっし、こんなもんっしょ。ミカさーん、お願いしまーす」

「出番だ! わーい! 皆ありがとう!」

 エビーの呼びかけに、ミカは飛び出すようにして湯船に駆け寄り、サッと水面に手をかざす。


 …ジュ、ボコッ

『わっ』


 かなりの水量だというのに一瞬で泡が吹き出て、人々を驚かせた。泡と同時に沸いた湯気はテントの中を一気に満たし、急激に視界が悪くなる。

「っぷ、蒸される!」

 カファがテントのスリットを開き、湯気を逃した。

 視界が開けたところでピッタが湯船を覗き込む。手を入れてみようとしたので「火傷するって」とエビーが止めた。湯気の量だけでも、湯そのものの熱さは容易に想像がつく。


「わー…本当にお湯になったんですね…魔法って凄い、不思議!」

「ミカ様はやっぱり特別なお方なのね!」

「ああ、まさに奇跡だ! …だが、これは本当に本当の熱湯だな。木の湯船じゃすぐ傷んじまうかもしれねえぞ」

「次は水を先にした方がまだ木材への負担が軽くなるでしょうか…」


 皆が次々と湯船を覗き込み、興奮した様子で一気に話し出した。

「さあ、ここに水を足す作業が残ってますよ。頑張りましょう!」

 カファが呼びかけると、おー! とそれぞれが手桶を持つ手を挙げた。…あの手桶であと三分の二か、時間がかかりそうだ。

「あの、いいですか。少し退いていてください」


 僕は一旦テントの外に出て、運んであった大きめの樽の蓋を外すと、そのまま持ち上げた。

「わあ!?」

 僕を追ってきていたミカが大声を出した。周りも驚いたように道を開ける。

 僕は樽から水を直接湯船に流し込んだ。湯船の中のお湯が大きく波打った。


「すみません、最初からこうしていれば早かったですね」

「………………」


 誰も声を発しない。周りを見たら皆が驚いた表情のまま固まっている。何だ、僕は何か、おかしい事をしただろうか…。


 次の瞬間、静寂を破ってりんご箱職人の男性達が勝鬨のような声を上げた。

「うおお、ザコル様どういう馬鹿力してやがんだ、流石はサカシータ一族だあ!」

「いんや、同じ一族でも、一人で満タンの大樽軽々持ち上げるようなお方は初めて見たぞ!」

「大人しそうな顔してよう、やっぱ英雄になる奴ぁ違えな!」

「ちょっと、まだ水は足りていませんよ」

 胴上げせんばかりの勢いで囲まれかけたので、サッと躱し、テントの外からもう一つ樽を持ってくる。

 ザーコール! ザーコール! と囃す声が聞こえて目線を上げると、二階から見物していたらしい怪我人達が窓から落ちん勢いで叫んでいた。何だ、樽一つ持ったくらいで何をそんなに騒いでいるのか…。

「大人気っすねえ」

「はは、全くだ」

 エビーとタイタは笑っている。


 兎にも角にも湯船は満ちた。ミカが手を差し入れて温度を測る。

「いい湯加減。ねえ、同志村女性陣、順番に入ってみない? 着替え持ってきたよね」

「そんな、私達が一番をいただくわけには…」

「先約だからね。マージ様、この子達に約束してあったんです。使い心地を彼女らに調べてもらってもいいでしょうか」

「ええ、ええ。もちろんですわ」

「これから男湯の方にもお湯を張って、ここにいる皆さんが全員入れるようにしましょう。足し湯も試運転が必要ですから。ささ、入って入って。今、水路にもお湯を張っちゃうから」

 ミカはそう言って女性スタッフ達の背中を押した。


「ザコル、すみませんがお願いできますか」

「はい。水路に注げばいいんでしょう」

 僕は既に蓋を開けていた樽を持ち上げ、ミカの指示通りの量だけ水を流し込む。

 彼女は水路の注ぎ口から魔法をかけ、再び「お願いします」と言って離れた。なので僕ももう一度樽から水を足した。

 樽を地面に置くと、ミカがススッと僕の傍らにやってきて、腕の筋肉を検分するようにペタペタと触った。

「ザコル、すごいですね。あの大きさの樽で満タンって二百キロ以上あるんじゃ…。流石は戦闘民族サカシータ人」

 またそれか。いくつ変なあだ名をつけるつもりなんだ。

「ほら、彼女達が中で着替え出しますよ」

 僕が腕を引くと、ミカは意外だとでもいうように僕を見上げた。

「ちゃんと離れてくれるつもりでいたんですね。偉いです」

「えらい…」


 ミカは、旅の中で僕にトイレや入浴の音を聴かれていたのをずっと根に持っている。僕としては人の生活音などもはや聴き慣れているので、例えミカの立てた音だとしても最早どうとも思わない。

 しかしミカは、というか女性はそれが気になるらしい…ので、特に女性が立てる水音に関しては、フリだけでも聴かないようにしようと思っている。


 …実際は、こんなテントの幕一枚隔てたくらいでは、庭の端に寄ったとしてもほとんど聴こえてしまうのだが。それを口に出さない方がいいくらいのことは、僕も学んだ。



「気持ちよかったぁ…!」

「町長様、石鹸までお借りさせていただいて、ありがとうございます」

 女性スタッフ達が頬を紅潮させながらテントの外に出てくる。

「どう、どう? 使い心地は?」

 ミカが駆け寄って感想を訊く。

「私、あんなに大きな湯船のお風呂に入るのなんて初めてでした! 本当に気持ちよくって」

「木のいい香りがして癒されました! 皆で入るのは少し恥ずかしかったけれど、楽しかったわ!」

 女性達に木の香りを褒められて、りんご箱職人が嬉しそうにしている。

「他に何かねえか、まだ木材はある。何でも作ってやるぞ」

「そうですね、身体を洗う手桶はもう少し小ぶりで、持ち手でもあると便利かもしれません。今あるものでは大きすぎて、非力な人だと片手では使いにくいかも…。それと、何度も石鹸がすのこの間に落ちかけましたので、石鹸受けも」

「湯船に入るための踏み台と、できれば手すりも欲しいわね。あれじゃ、背の低い人や足腰の悪い人には辛いわ」

「なるほどな、踏み台にはこれ使え、りんご箱」

「手すりもすぐ作れるぞ、竹があったろ、持ってこい」

「湯船は軋まなかったか。しっかりめに作ったつもりだが、あの湯量じゃかなりの重さのはずだ」

「ええ、軋むという事はなかったです。若干水漏れはありましたけれど、すぐに全て流れ出るという程では…」

「水漏れぇ? どこだ」

「はい、こちらです」

 女性の一人がテントの布をめくる。

「あー…ここの継ぎ目のとこか。水の重みで急にはじけちまうかもしれねえからな、後で補強しとく」

 職人達が声を掛け合って材料を持ちに行ったり、男湯の湯船を先に補強したりと駆け回る。


 ……………………。


 ふとした瞬間に訪れる、不思議な感覚。僕はこんな所で、一体何をしているんだろう。

 生まれた領の小さな町で、今までほとんど関わる機会も無かったような立場の人々と、何故か風呂を作って騒いでいる。

 傍らには、これまた僕のどうしようもない人生で関わるとは到底思えなかった、明るく、博識で、少し変な…………


 どうしてこの人は、僕で『いいに決まっている』などと、迷いもなく言ってくれるんだろう。

 彼女は間違いなく、僕に心寄せてくれているはずだ。

 それなのに、どこか気を遣っているような遠慮を感じるのは、どうしてなんだろう。


「ザコル、ザコル、男湯にもお水入れてください。ザコルばっかりに任せて申し訳ないんですけど、あの樽を持ち上げる所、もう一度見たいんです!」

 僕の些細な悩みなどよそに、ミカは興奮したように樽を指差す。

「おい、エビー、俺達も挑戦してみないか。流石に一人では無理かもしれないが、二人なら何とか持ち上がるのでは」

「ええー…絶対手とか傷めますよお…。あっちの小さい樽にしません?」

「いいや、あの大きさの樽だ、一度一人で持ち上がるか試してみる」

 タイタがエビーを引っ張っていって、樽に抱きついて持ち上げようと四苦八苦している。

「お、お、騎士の兄ちゃんすげえ、ちっとだけ持ち上がったぞ、おいおいおい、そーっと降ろせよ、足挟むなよ」

「俺らもやろうぜ」

 りんご箱職人に、カファや屋敷の従僕達まで加わって、男性達がこぞって樽に抱きつき始めた。


「ザコルチャレンジだね。いいなあ、私もやる」

「ミカはやめてください、本当に手を傷めますよ」

「あっちの小さい樽でやりますから!」

「あ、もう、男湯に水を入れるんじゃなかったんですか!」


 樽の山の方に駆け出したミカを捕まえようと、僕は早足で彼女を追った。



 昼時までに、何とかりんご職人と準備に関わった使用人の全員風呂にありつくことができた。試運転は上々の結果だったと言えるだろう。

 屋敷の使用人が庭の一角にラグを広げ、人々にサンドイッチを配っている。


「しまったなあ、水抜き作るのを忘れたぞ。どうやって水を換えるんだ」

「下の方に、外から四角く穴を開けてしまってはどうでしょう。後で引戸みたいな栓を内側に作って、こう、紐か棒をつけて、上から引っ張れば開けられるようにしましょう。板が水の重みで貼り付くと思うので、そう水漏れもしないんじゃないかと思うんですが」

「なるほどな、頭いいなあお前」

 りんご箱職人とカファがサンドイッチを頬張りつつ、和やかに話している。


「ミカ、疲れていませんか」

「え、うん、大丈夫ですよ。お腹空いてたから美味しいですね」

 庭の木を見上げていたミカがこちらを見て笑顔で言った。

「ミカさん、昼食後は休憩にしましょうよ。あんまり寝てないでしょ。テントで昼寝でもしたらどうすか」

「そうだね、みんなも疲れてるだろうし…。そういえばあの人達、尋問しなくていいんですか?」

「必要ではありますが…。ミカの体調の方が優先です。またにおいがつくと落とさないといけませんし」


 あの香のにおいをつけたままミカに近づくのは抵抗がある。服に移った程度なら平気だとは言っていたが、害があると判っているものに少しでも近づけさせたくない。


「それから、コマが同席したがると思います。あいつなら強力な自白剤も持っているはずですし、件の解析にも役立つかもしれません。また改めて予定を立てましょう。とりあえず、今日は少しでも体を休めてください。夜は義母と話すんでしょう」

「ふふ、イーリア様の前で船を漕ぐわけにいきませんもんね」

 ミカは持ったままだったサンドイッチを口に入れると、咀嚼して飲み込んだ。そして立ち上がる。


「皆さん、今日はありがとうございました。この後、水抜きをして軽く掃除したら解散しましょう。明日の午前中、妊婦さんや小さい子のいる母親、それから年配の方、子供達を優先的にお風呂に入れて、問題点があれば修正していきたいと思っているんですが、どうでしょう」

 ミカはカファの方を見て言った。カファは頷く。

「いいと思います。人数的にも無理が無さそうですし。湯足しなどに必要な人員は同志村でも配置しますが、町民の皆さんにも声をかけさせてもらっていいでしょうか。町長様」

「ええ、構わないわ。わたくしの方で集めておきましょうか。今日と同じ時間に集合させればいいわよね、ミカ」

「はい。お願いします。入ってもらう人には私が後で声をかけておきますね」

「ミカ様、私達がピックアップして報せておきますよ! この後、集会所や救護所のシフトに入りますし」

 ピッタが手を挙げて言う。女性スタッフ達も頷いた。

「そう? ありがとう! じゃあ、私はお昼寝でもしよっかなぁー。んーっ」

 伸びをしてみせるミカの様子に皆が笑う。

「皆もちゃんと休んでね。って、毎度深夜に同志村に帰ってる私が言う事じゃないけど…」

 ミカが申し訳なさそうに首をもたげると、ピッタが慌てて首を横に振ってみせた。

「いいえ、いいえ、お気になさらないでください。詳しくは知りませんが、お忙しいのはミカ様のせいじゃないんでしょう。夜の冷え込みが強くなってきましたから、今夜は湯たんぽをお持ちしますね」

「何から何まで本当にありがとう。ピッタがいてくれて良かった」

 ミカが感極まったような笑みでピッタの手を取る。

 ピッタが固まった。


「ずるいわよ、ピッタさんばかり。私も何か差し入れを…そうだ、毛布をお持ちします! 寝袋の中に敷くと温かいですよ!」

「何よ、私だって我慢していたのに! ええと、ええとー…そうだ! ミカ様は裁縫をなさると聞きました。うちの商会で扱っている刺繍糸のサンプルセットを貰ってくださいませんか。明日は刺繍でもなさってゆっくりされては」

「自分用に持ってきた砂糖菓子がありますからぜひ!」

 何故か女性達がミカに何かを貢ごうと競い始めた。

 ミカが慌てて首を横に振る。

「そんなに気を遣わなくていいよ、私は可愛い皆を愛でられるだけで満足なんだから。ね、明日も一緒に体操しようよ。だから、今日はみんな早く休んでね」

 ミカは笑顔のまま、女性スタッフ達の手に順番に触れていく。…なるほど、これが『ファンサ』か。

 女性スタッフ達はミカ様こそが可愛いだとか口々に言って身悶えていた。



「そうそうそう、毛糸だよ毛糸。それから編み棒と、そうだ、便箋ももうなくなっちゃったんだった。町の商店って開いてるんですかねえ」

 町長屋敷を後にし、少し歩いた所でミカが思い出したように言った。

「休むつもりあるんすか、ミカさん」

 エビーが目を眇める。

「いつでも空いた時間にできるようにしておきたいだけだから。調達だけして今日の午後は休むよ。ね、お願い」


 大人しく休む気はなさそうだ。手芸や書き物だってそれなりに神経を使うのに。きっちり監視して、場合によっては寝かしつけなければ…。


「ミカ殿、俺が代わりに調達してきましょう。コマ殿の帽子用の毛糸と、番手に合った編み棒、それから便箋ですね。筆記用具などはいかがいたしますか」

「タイタ、やっぱり編み物に詳しいね。糸の番手や編み棒の種類も分かるんだ」

「昔、母が凝っていましたので」

「そうなんだね、うちも祖母が上手だったんだよ。毎年秋頃になると一緒に毛糸選びに行ったなあ…」

 僕は、捕縛用の網などは編んだことはあるが、羊毛を使った編み物なんて詳しくない。タイタ相手に思い出を語るミカの横顔は、明るく穏やかで……いかにも楽しそうだった。


「そうそう、筆記用具ね。確かに、いつまでもあのちびた鉛筆で手紙書いてるわけに行かないもんね。ザコル、この世界に万年筆はありますか」

 不意にミカが僕を振り返った。

「え、ええ、ありますよ。この町ではあまり品揃えは期待できないと思いますが」

「じゃあタイタ、一番安い万年筆と替えのインクもお願い。アメリアに手紙を書かないといけないから」

「承知いたしました」

 僕は、ミカ用の財布からいくらか出してタイタに預ける。タイタは小走りで町の中心地の方へと去っていった。今日は開いている店もいくらかあるだろう。


「今日もいい天気。もう雨は降らないんでしょうか」

「次に降るとしたら雪になるかもしれません」

「そっかぁ。雪。楽しみです」

 僕は思わず眉を寄せてミカの方を見た。

「楽しみだなんて。あんなのは邪魔なだけですよ。機動力が落ちます」

「ふふ、私の育った地域は雪自体が珍しくて、少し降るだけでもみんな大興奮だったんです。でも、雪国の人は雪なんてって必ず言いますよね。ザコルもやっぱり、雪国の人なんですね」


 雪国か。ミカの国では、不便な山間の辺境にもそんな『あだ名』をつけているんだな。


「俺も楽しみすよ。テイラーもあんまり降りませんし。あ、ミカさん、俺らも春まで一緒にいますからね」

「君は帰ってもいいですよ。僕とタイタがいれば充分です」

「ちょーっとぉ! 朝から俺に冷たすぎじゃないすか! 散々俺にフォローされてるくせに!」

「ふん、冗談だ」

 護衛としては少し頼りなく感じるが、確かに彼には散々世話になっている。ミカにも必要な存在だろう。

「あれ、あれあれあれ〜? これすか、ツンデレってやつは」

「そう。解ってきたねエビー。暗部はツンデレが標準装備なんだよきっと」

 ツンデレ、ミカがたまに使っている言葉だ。何か妙に腹が立つな。

「調子に乗るなよエビー。ミカも、朝の仕打ちは忘れていませんからね」

「ごめんなさい…。ちょっと苦々しい顔が見たかったんですよねえ」

「反省していないでしょう」

「ふふ、ふふふふ。本当に殺されそうでした。ふふ…っ、あははは」

「笑い事じゃありませんから!」


 ミカは分かっていない。この町の者達が本気を出したらどうなるか。絶対に分かっていない。



 同志村のテントに戻ると、ミカは少し一人で仮眠すると言って奥の方に入って行った。

「俺は見回りがてら散歩でもしてきますわ」

 エビーはテントの外に出て行った。


 聞き耳を立てているつもりはないが、ミカがまだ寝ていない事は音で判る。しばらくして寝袋には入ったようだが、ゴソゴソと寝返りを繰り返している。


 三十分くらいそうしていただろうか。ミカが寝返りをやめ、身を起こした気配がした。

「ザコル」

「何ですか、開けますよ」

 奥に通じる内幕をめくる。ミカは膝を立ててホノルが編んだストールを抱え込み、顔を伏せていた。

「眠れないんですか」

 ミカは顔を伏せたまま頷いた。

「昨日の事が頭を巡っちゃって…」

 昨日の、どの件だろうか。出来事が多すぎて特定できない。

「頭が疲れているのなら尚更少しでも寝た方がいいと思いますが……寝られないのなら仕方ありません」


 僕はミカの近くに寄り、傍らで背を向けて座った。

 何となく、ミカは僕に顔を見せたくないのだろうと思ったのだ。ミカは僕の背中に頭を傾けてきた。


「マント、町長屋敷に預けたままですね」

「ああ、そうだ。後で回収します」


 …ザコルは何だかんだで、あれ以来人前でベタベタしないでいてくれた。えらい。


 僕はハッとして振り向きかけた。

「独り言、再開したんですか」

 独り言。今の所、僕だけが聴き取れているミカのごくごく小さな呟き。


「再開っていうか、意識すれば呟かなくても済むってだけですよ」

「何か、心境の変化でも?」

 僕は、なるべく冷静に返した。動揺を悟られないように。


「そんな大層なものじゃないですよ。子供っぽい当てつけっていうか…。いや、だってね、私が人前で触らないでって言っても聞いてくれないくせに、私には人前で褒めたり撫でたりするのはやめろって言うんですよ。何のギャグかと思いました。だから、もう意地でも褒めてやるもんかって。独り言だとうっかり可愛いとかカッコいいとか漏らしそうなので全停止してました」


 …独り言が聴こえないと不安になると言っていた。当てつけにしてもやりすぎだったかな。


「意味不明ですが、あなたからの仕打ちの中では可愛い方ですね。周りから責められる事はないですし。しかしその実、僕に一番効くやり方ではないでしょうか」

 …根に持ってる。

「町民をけしかけるのに比べたら実害は少ないですが」

 …根に持ってる。

「コマと随分仲良しですね。僕は最近知ったんですが?」

 …根に持ってる。

「僕が鬼軍曹モードとやらになったり、樽を持ち上げたのには異様に興奮していましたね」

 …あれはずるい。

「何がですか、あなたの『いいに決まってる』とする理由はちっとも理解できないんですよ。全く、変態はどちらだ」

 すり、とミカが僕の背中に頭を擦り付ける。そして僕の胴体に手を回して抱きついた。

「しばらくこうしていていいですか、ザコル」

「…はい」


 本当は困る。

 こうしてミカから抱きつかれると、何か内から込み上げるものを持て余して、居た堪れなくなるから。


「あったかいです。筋肉が多いからですかね」

「違います。あなたがひっついているからですよ」


 胴体に回ったミカの手を握ってみる。やはり、自分から触れる時にはさほど緊張しない。どうして、ミカから触れられるとこうも落ち着かなくなるんだろう。


「ほら、ミカの手も温かいじゃないですか」

「恥ずかしくなっちゃうからやめてください」

「何が恥ずかしいんですか。そっちこそ、大胆なことを言った自覚はあるんですか? 僕が、ミカの恋人だなんて…」

 その瞬間、ミカの手がじわりと汗ばむ。これは、照れたのか…。僕はその手を持ち上げて指先に口をつける。

「口以外の場所ならしてもいいんですよね」

「え、わっ」


 体を後ろ側にひねり、さらに片手を握ったまま自分の前に引き込むと、ミカの上半身が膝上に乗った。ミカの目尻と頬は赤く染まり、涙の跡もあった。

 そんな彼女は僕の顔を見て、目を丸くして息をのんだ。


「また、何を思い詰めているか知りませんが、寝れば少しは気分も変わるでしょう。寝かしつけてあげます」

「は、え、ひゃ」

 目尻、頬、首筋と順に口をつける。

 首筋をしばらく食んでやって、耳に舌を這わせたら、悶えたのち静かになった。他愛もない。


 ミカを寝袋に差し入れてやり、前を閉じる。唇に触れる程度の口づけを落とし、僕は自分の赤くなった顔を冷ますべく、彼女から離れてテントの内幕を閉じた。




 タイタが大きな布袋と紙袋を抱えてテントにやってきたのは、それから二時間程経ってからだった。


 話し声でミカを起こさないよう、テントの外で出迎える。

「随分と時間がかかりましたね。店は開いていなかったんですか」

「いえ、店は開いていたのですが、毛糸だけ、必要な量が店に無く…。手芸屋のご主人に羊を飼っている畜産家を紹介していただきまして、原毛から希望の太さに紡いでいただきました」

 そう言ってタイタは背に担いだ布袋から毛糸玉を取り出してみせた。随分と大きな布袋だが、中身は全て毛糸なのだろうか。

「僕は毛糸にそれほど詳しいわけではありませんが、よくその量をこの時間で用意できたものですね」

「ミカ殿がご所望だと申しましたら、ご近所からたくさんのご婦人が紡ぎ車を持って集結なさいまして…。はは、これでは帽子が何十個とできてしまいますね。ザコル殿、申し訳ありません、文房具類にはきちんとお支払いできたのですが、毛糸と編み棒については代金を受け取っていただけませんでした」

 タイタはそう言って余った金を返してきた。

「編み棒は古いですが、ご婦人の一人がよく使い込んだものを何組か譲っていただきました。その方が馴染みやすいかと。きっとミカ殿も喜んでくださる」


 タイタは指示通りの事しかできない、ミカですらもそう言っていたが、今の様子を見る限りとてもそうとは思えない。

 素直で純粋なのは確かだ。相手に言われた事を真摯に守ろうとし、そのために自分の考えや気持ちなども封じてきたんだろう。その封印を、僕やミカに言われた事で少しずつ解いているようだ。

 同志の間では、規律を破ると訪れる『執行人』などと呼ばれ恐れられているのだという。大方、オリヴァー様に容赦するなとでも命じられて、どんなに小さな規律違反も情を挟む事なく、等しく忠実に裁いているんだろう。


 まもなくしてエビーも戻ってきた。汗だくだ。

「散歩に行ったのでは?」

「…こんな汗だくじゃあバレバレすよねえ。もー…あのメニュー、鬼畜すぎません? 騎士団の特別訓練でもあそこまでしねえすよ」

「おさらいしていたんですね。見直しましたよ」

「言い訳ばっかしてんのもダセェすからね。次こそは完遂してみせますんで!」


 鍛錬などは程々に要領よくするタイプかと思っていたのだが、意外なことに彼は闘志を燃やしていた。


「素晴らしい心掛けです。完遂はもちろん、タイタから一本取るのも目標にしましょう」

「ええー…タイさんにぃ…? いっ、いえ、やります、やりますよ!」

「はは、俺も負けないぞエビー。お互い全力を尽くそう」

 タイタはテイラーの騎士達の中でも相当やれる方だ。エビーが本当に一本取れるのはまだまだ先になるだろう。


「ミカさん、どうすか。ちゃんと休んでます?」

「眠れないようでしたので寝かしつけました。…泣いていたようです」

「ほらー、ザコル殿がセクハラ宣言なんてするから」

 エビーが茶化す。ミカにも何のギャグだとまで言われてしまった。

「ミカは、昨日の事が頭を巡っていると言っていました」

「昨日…って、どの件すかね」

「さあ、僕もはっきりとは分からないのですが」

「色々あり過ぎましたもんねえ…。例えば、ミカさんが曲者相手に魔法使おうとしたりとかさ」

「そうですね。あれは魔力の状態に引っ張られたとはいえ、気に病んでいてもおかしくないかもしれません」


「あ、あの!」

 珍しくタイタが挙手した。


「ミカ殿は敵と判断した相手に容赦をなさる方ではありません。俺は、そういう事ではないと、お、思うのですが…」

「では、どういう事でしょうか」

「い、い、いえ、やはり俺の見解などきっと的外れです。お忘れください」

「何です。僕の意見だっていつもミカに的外れのように扱われていますよ」

 僕が的外れな事を言ったとしても、ミカは自分の気持ちや見解を自ら説明してくれる事が多い。僕達が今まで大きくすれ違わなくて済んでいるのは、きっとミカのおかげだ。


「あんたのはね、的外れなんじゃなくて極端なんすよ。ミカさんを何ヶ月も山に潜伏できるようにしようとかさあ」

「ミカならきっと達成できます」

「はは、そうですね。ミカ殿ならば、私にできるものならいい、とおっしゃって淡々と努力なさいそうです」

「確かに」

 いかにもミカが言いそうな事だ。ミカはいかに僕が極端とされるような事を言っても、その判断を信じて出来る限りの努力をしてくれる。あの向上心というか根性というか、そういった面は本当に素晴らしい。


「僕はミカのような弟子を持てて誇らしいです」

「弟子かよ…。二つ名は深緑の氷姫てとこすか」

「氷姫では、魔法士としての側面しか見ていないようではないですか。ミカの真の価値を思えば魔法なんてオマケにすぎません。なのでつけるとしたら……深緑の雌犬ですね!」

 エビーががく、と肩を落とした。

「どんな悪口だよこのエロ犬、センス無さすぎだろ」

「俺は、深緑の女戦士がいいと思います!」

「深緑の山女はどうでしょう」

「深緑の女山賊じゃねえすか、へへっ」

「それなら深緑の山姥でも…」

「あのー…」

 ミカの二つ名をどうするかという議論をしていたら、ミカ本人がそろりとテントから顔を出した。


「ミカ殿。おはようございます」

「おはよう。あの、変な二つ名つけるのやめてくれません? ザコルは特に考えるのも禁止でお願いします。妖怪扱いされるのは流石の私もちょっと」

「考えるのも禁止とは酷いではないですか。僕はあなたのシショーですよ」

「師匠だからって人を山姥呼ばわりはどうですかね。氷姫だの聖女だのの方が恥ずかしいけどまだマシです」


 山女や山姥の何が悪いんだ。女性の身で山で自活できるだけの知識と体力を持ち合わせた存在なのだから尊敬すべきだろう。大体、僕の事は変態だの魔王だのエロ犬だなどと呼ぶくせに…。

 他にも色んなあだ名をつけられていた気がするが、多すぎてすぐには思い出せない。


「タイタ、その大きな布袋、もしかして全部毛糸?」

「そうです! 畜産家のご夫婦が呼びかけましたら、すぐに近所のご婦人方が紡ぎ車を持って集結されまして…」

 タイタが先程の説明をミカにもする。

「後でお礼言わなきゃだねえ…。この編み棒も、艶があってすごくいい品だね。羊毛の脂がしっかり染み込んでて滑りも抜群。ありがとうタイタ」


 …母親が編み物に凝っていたというだけあって目の付け所が違う。

 …タイタの事だ、きっとその工程を全て見て覚えているのだろう。案外やらせたら上手に編むかもしれない。


 ミカがタイタに編み物をさせようとしている。ミカの独り言は文語調というか独特な堅い言い回しだ。本好きだからなのか。


「これだけ毛糸があったらコマさんの帽子が何十個も作れちゃうよ。一個でいいって言われてるのに」

「俺にも何か作ってくださいよぉ。手編みのマフラーとか!」

「マフラーだと戦うのに邪魔じゃない? …あ、紳士用の短いのを作ればいいのか。誰かに見本を見せてもらおう」

 図々しい従者だ。どうしてミカも作る気でいるんだ。

「ミカ、エビーにあなたの手作り品など勿体無いです」

 エビーを見るとヘラヘラと笑っている。また僕を煽っているつもりか。

「ふふ、怒らないで。ザコルにも作ってあげますね。コマさんとお揃いの色になりますけど」

「僕とコマがお揃いですか。コマの事をまだきちんと把握していない領民が見たら、問答無用で囲まれるでしょう。申し訳ありませんが、その毛糸を使った小物は遠慮します」

「そうですか」

 シュンとさせてしまった。完全に厚意で言ってくれていたのだろうが、命には代えられない。罪悪感に胸がチクと痛む。


「気分はどうですか、もう一度僕を補給しますか」

 誤魔化そうという気はないが、僕はそう言って手を広げた。

「ええ? 人目は…」

 ミカが戸惑ったようにキョロキョロとする。

「この二人の目は人目のうちに入りませんので」

「どういう理屈してんすか」

「はい。俺は壁です。目などついておりませんのでお二人はご自由になさってください」

 タイタが目を瞑って直立不動になる。エビーは呆れたように睨んだが、渋々後ろを向いた。


 ミカがいつまで経っても飛び込んでこないので、僕は足を一歩出して近づいた。ミカはなおも思案した後、恐る恐る僕の胸に体を寄せてきた。

 勢いよく抱き締めると、ぐえ、とミカが潰れた蛙のような声を出した。



つづく

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