彼女なりの騎士道精神
「そういえば姉上は騎士の家のご出身だったなあ…」
ジーロがしみじみとつぶやいた。
「何を今更。あのカーマ卿の御息女ですよ」
「それは知っているが、騎士を目指していたとまでは知らなかった」
「なぜ知らないのですか。 婚前、両家の顔合わせの席に帯剣したままやってきて、お父上に叱られていたのを見たでしょう?」
「見てない、見てないぞ俺は。なんだそのエピソードは!」
私も聞いていない。ザコルはきょとんとした顔をしたのち、ふむ、と頷いた。
「あれは王都で設けた席で、在領の子息は参加していなかったのでしたか。元々我が家としては断る理由のない縁談だったと思いますが、あのお姿には義母上も一目で姉上を気に入って『イアンよくやった』などと兄上を褒めておられたんですよ」
「それは珍しいな…。なんとなく、イアンが素直に喜んだとは思えんが」
カーマ男爵令嬢ミリナとの縁談は、イアンが王弟だか派閥の誰それだかに勧められて持ってきたもののようだった。
ザコルが王都に行ったのは十年前、イリヤが産まれたのが七年前。そこから察するに、彼らは結婚八周年か九周年ということになる。
「僕はそんなことよりも姉上が持っていた実用重視らしく無駄な装飾の一つもない細剣に釘付けでした。あのご令嬢はあれでどんな戦い方をするのだろうと気になって気になって仕方がなかった。先日、剣技はどなたに習われたのかと訊いたら、カーマ卿が直々に鍛えたという話ではないですか。ああ早く体調を万全になさらないかと僕は楽しみで楽しみで」
「……お前と俺では姉上に対する印象が全く違うということは解った」
急に饒舌になった弟にジーロは一歩引いた。
「異界娘はどうだ」
「異界娘て」
ミリナの印象か。実は、私もあまり掴みきれているわけではない。彼女こそ底が知れてないというか、まだまだ知らない顔がありそうなのだ。
「雑談の中で、乗り物に強いとおっしゃっていたことがあるんです。どうやら飛べるタイプの魔獣達の飛翔訓練にまで付き合っていたようで、どの子も、安定して飛べるようになるまではミリナ様が乗って訓練させたそうです」
「ほう…」
ミイミイミイ!
「はいはい、ちゃんと言うから。ミイが言うには、彼女は魔獣達が失敗しても絶対落ちないで笑っていて、みんなを安心させていたそうです。飛び始めで不安定な魔獣にも危険を顧みず乗ってやり、何が起きても振り落とされずに笑顔を絶やさない、それだけの身体能力と度胸をお持ちのお方なんでしょう。イリヤくんの精度の高すぎる投擲技術だって元はミリナ様のご指導によるものですし、何となく、私達が思うよりもずっと『お転婆』な方なんだろうな、と思ったことはあります」
「お転婆か。なるほど、最後の騎士のような振る舞いこそが彼女の素なのかもしれんな」
ふむふむ、とジーロは頷く。
「ミカさま。おてんば、ってなんですか?」
「元気とか、わんぱくと同じ意味だよ。ミリナ様も本当は戦うのがお好きだろうな、ってこと」
「でも、わるい父さまとはたたかいたくないみたいです…」
イリヤは、ミリナがイアンを必死に庇ったことがまだ納得できない様子だ。イリヤは父親に対して敵愾心を燃やし始めたところだったので尚更だ。
しかも、あの陣の影響もあってか、ミリナは途中からイリヤを気遣う余裕もなくしてしまっていた。いつもは常に自分を気にかけてくれる母親のそんな姿は、彼にとってショックだっただろう。
「ここからは私の想像だけど聞いてね。ミリナ様はご両親を早くに亡くされているでしょう。どんなに悪い人だったとしても『家族』を亡くすのがつらかったんじゃないかな。それか、会えなくなる前に、もっと話をしておきたいのかもしれない」
「あえなくなるまえに、はなしを…。母さまも、まともにはなしをさせていただきたいだけなのよって、言ってました」
「そうだね。後は、ミリナ様も落ち着いた頃に、イリヤくんからゆっくり訊いてあげて。きっとミリナ様は、君ともたくさん話がしたいはずだから」
「はい。わかりました」
ミリナは取り乱した際に、もう誰も死んじゃ嫌、と泣いていた。
ザコルは八年前の粛清で、カーマ元王宮騎士団長の懐刀を相当数手にかけたと言っていた。
ミリナによればカーマ男爵家はあまり使用人が多い方ではなく、ミリナの母親、つまり女主人はカーマ卿よりも先に亡くなっている。未婚のまま家にいたミリナが、父の部下達と顔も知らない関係だったとは考えづらい。
ミリナは語らないが、粛清の折には父親だけでなく、交流のあった部下達を一度に亡くし、少数雇っていた使用人達さえも解雇か連座で会えなくなった可能性がある。
それでも彼女は、粛清の先鋒となった暗部の幹部、ザコルやコマを恨んだり責めたりという発想を持たなかった。また、虐待がひどくなる一方の婚家からも決して逃げなかった。
そこにあるのは単なる慈愛や博愛、依存や諦観などではなく、彼女なりの騎士道精神、だったのかもしれない。
「ジーロ様。浄化を行う際、先ほどのように一気に光を放出するのは危険だと思います。まだどのくらいの魔力のキャパシティをお持ちかも判りません。澱みも今日一日で祓い切る必要はないと思いますから、少しずつをイメージしてもらって」
「あい分かった分かった。貴殿も割に過保護なのだなあ。イアンには随分と無慈悲な尋問をしようとしていたようなのに」
「私は真面目に言ってるんですよ。知り合いのお医者様も小さなつむじ風を起こせる魔法士で、それが発現した当時はうっかり使い切って」
「昏倒するという話だったな。だが止まれと言ったら止まったし、あれしきの瘴気くらいさっさと浄化してみせるさ。まあ、心配するな。ははは」
「ですからあの瘴気を一気に祓おうとしないでくださいって、聞いてますかもーっ」
ジーロはからからと笑うだけで真面目に聞いてくれなかった。
あの澱みに辿り着けば、埃とゴミしいかないはずの空間に、さっきとまるで様子の変わらない瘴気が渦巻いていた。
「あの『浄化』がこっちにも影響してるとかないんだ…」
先ほどジーロが発したあの光が逆流でもして、少しは減っていることを期待したのだが。
「ミカさま、ここですか? ここも、父さまのろうやとおなじになってるんですか?」
「イリヤくんには視えないか」
これが『決して視えない』のか『まだ視えない』のか…。
イリヤの特性はどうなっているんだろう。そこはイアンの尋問と同じく本来私が干渉すべき領域ではないので、積極的な詮索はできないが。
「この鬱陶しい瘴気め。さっきまでの俺と思うなよ目にもの見せてくれるわ! 消えろーッ!!」
カッ
「わああ待っ、サゴシ穴熊さんザコルも…っ、退避、退避してーッ!!」
私は慌てて闇系の人々の背を押し、ゴミだらけの袋小路に背を向けた。
その日、ジーロは昏倒し、夜になっても目を覚まさなかった。
つづく




