よほど自分が『悪』だという自覚があるようですね
「効きすぎ、だなあ…」
オーレンが独りごちる。
彼の目線の先には、頭を抱えて蹲る長男の姿があった。
「どういうことなのです、オーレン。この陣はせいぜい力を抑えて口を軽くするくらいの効果しかなかった、そのはずでしょう?」
「そうだねザラ、君の高い尋問技術と合わせて初めて高い成果を得られるようなものだった、そう、僕もそう思っていたよ」
イアンの独白は、誰が何を問いかけるまでもなく、彼自身に溜まった澱みをすべて吐き出し切るまで止まらなかった。
抱えていたコンプレックス、妻子への八つ当たりというか虐待、監視役だったらしい三男サンドへの恨み節、かつてザコルも粛清に関わった旧ホムセン一派や現王弟派との癒着、唆されて加担した悪事などなど。
特に、圧倒的な求心力を誇る父母や自分にない能力を持つ弟達への劣等感や被害者意識は凄まじく、それらは全て故郷や家族への憎しみと、王都の社交界への執着に替わっていったことが、改めて彼の口から語られることになった。
「ふん、あの兄はよほど自分が『悪』だという自覚があるようですね。心置きなく手を下せるというもの」
「やめてちょうだいコリー、この子がいるのよ。ああ、父親のあんな姿を見せることになるなんて…! やっぱり連れてくるべきじゃなかったのだわ。ごめんなさい、ごめんなさいミリナさん…!」
ザラミーアはイリヤを庇うようにザコルとの間に立って顔を覆う。イリヤは変わらず黙ったまま、独房の方を見つめていた。
「悪か、そうだなあ…。不適切に聞こえるかもしれないが、俺には、兄上……イアンの気持ちが少しだけ解る。俺達は長子、次子でありながら母方の血を濃く継いでしまった、つまりサカシータ一族としては半端者なのだ。女帝……母には厳しく育てられ、期待に応えようと努力もしたつもりだが、その後にあっさりと弟達に期待が移るのを目の当たりにし、自分はもはやこの地に不要なのだと、であればここを出て自由に生きてやろうと……いや。それでも、人を虐げていい理由にはなるまいな。あれはきっと、我が儘で欲しがりな子供のまま大人になってしまったのだろう。何も欲しがらなかったお前とは正反対だ、ザコル」
「僕はただ、何が欲しいのか自分でもよく分かっていなかっただけです。精神の未熟さというか、脆弱さはあれと大差ないと思いますよ」
「…そうだなあ、俺達兄弟はどいつもこいつも心が弱い」
ジーロは自分の足元に視線を移す。自身の生き方をも省みるかのように。
「うぁ、ぁああ、あああ、あああああ…!」
イアンが頭を抱えたまま呻き出した。顔は涙と洟でどろどろだ。
「これ以上は、精神が保たないかもしれない」
「えっ」
オーレンの言葉に振り向いたのはミリナだった。
「ザコルもサゴシくんも、よほど純度の高い力を注いでくれたようだね。この陣は、ここまでの効果を発揮できる代物だったのか…」
「サゴシ、そろそろ」
「もうやめてますけど」
ザコルの声かけにサゴシが軽い調子で答えた。
サゴシ自身は石板の前の椅子に悠々とくつろいだ様子で座っているが、後ろにいたペータとメリーは土の床に座り込んでいる。少し前からサゴシが一人で動かしていたらしい。
ああああああ!! とイアンが一層叫ぶ。とても苦しみから解放されたようには見えない。
「やめたのに、止まらない…? どうして…まさか、本当に限界が」
この陣を使い慣れたザラミーアが呆然とした表情になる。
「お義父様!! 夫を、イアン様をあの牢から出して差し上げてくださいませ! ここには暴れても止められる方が何人もおられますわ、どうか」
ミリナはオーレンに掴みかかった。
「ミリナさん、でも」
オーレンが困った顔をし、ザコルがミリナの肩を叩く。
「姉上、今更慈悲などかけてやる必要などありません。そろそろお部屋にお戻りください。後は僕が」
「ダメ、ダメよ、ザコル様が手をかけるだなんて! あなたのお兄様でしょう!」
「今後はあれに代わり、あなたが長子となるのです。大事な姉と甥に害をなした者を、僕らは決して許しはしません」
「ああ、ザコルの言う通りだ。姉上よ、イリヤを連れて地上に戻るといい。謝罪は改めて」
「いいえ……いいえ!」
ミリナは勢いよく首を横に振った。そして牢の前に駆け寄り、背後を守るように手を広げた。
「謝罪なんて要りません! 私にだって夫と向き合わなかった罪があるのです! お母様や弟君方に対抗心をお持ちなのは知っていました。それでも、彼は鍛錬をやめなかったし、描く魔法陣は素晴らしく美しかった! あれには相当な努力と研鑽があったはずで」
「それが何だと言うのですか、過去にどんな努力をしたとしても悪は悪ですよ」
「違うわ、分かっていただけていなかったのよ、尊敬しているって、もっと口に出せばよかったの。こんなにご自分を責めていただなんて知らなかったのよ…!」
「姉上は一体何を言っているのだ、この兄が自分を責めるものか、まさに自分本位の権化のような人間だぞ」
「私もそう思っていたんです! でも違った。こんな状態になって漏らした本音が『懺悔』なのですよ! ザコル様のおっしゃる通り、この人は悪を悪と自覚しているんです。いつから、どこからかは知らないけれど、もう後戻りできなかったのだわ…! こうなる前に、手を引いて差し上げるべきだったのよ!!」
ミリナの頬を涙が伝う。彼女は牢の方を振り返り、格子に手をかけた。
「イアン様、イアン様、解りますか、私です、ミリナです」
返事はない。ああ、うああ、と唸り声だけが響いている。
「どうか、お気を強く持ってくださいませ。あなたは立派な人です!」
「うぁ、うう、っさい、うっ、さい」
「今出して差し上げますからね、もう何も話さなくて」
「…っうるっさい、うるさいうるさい五月蝿い!! 誰だ…っお前、ミリナ!? どうしてここに、王都にいたはずじゃ」
「ああ、イアン様!! よかった、私、あなたに会いに来たのです!」
「私に、だと?」
はあ、はあ、とイアンは息を乱してはいるが、目にほんの少しの理性が戻った。そして顔を歪ませる。
「…はっ、どうせお前も私を嘲笑いに来たんだろう、せいせいしたと、ザマを見ろと、そう言いに来たんだろう!」
「違います! 私、あなたのことを何も分かっていなかったんです。私達は夫婦ですわ、愛がなくとも縁あって家族になったのです。苦しみを半分、分けてくださいませ。本当はどうしたかったのか、聞かせてくださいませ!」
「お前は馬鹿なのか? 他ならぬ、私に殺されかけたのだぞ。魔獣のリーダー格であったミリューを王都から遠ざけているうちに、今度こそ息の根を止めろと屋敷の者に命じた」
イアンは王宮で浮いていたオースト国第二王子サーマルを連れ、空を飛べる水竜型の魔獣、ミリューに乗ってサカシータ領シータイにやってきた。
イアンは王弟からは王子と氷姫、つまりサーマルと私を交換してこいと命じられていたらしい。自分の味方にならない英雄『深緑の猟犬』に王族誘拐の罪を着せて貶め、話題の渡り人を手に入れるためだ。
ただイアンはサーマルを置き去りはしたものの、氷姫のことはあっさり諦めて逃げようとしていた。恐らく、私を連れ去るとザコルが本気で追ってくると判断したためだろう。そのことからも、王弟に何がなんでも忠義を誓っている、という感じには見えなかった。
イアンがミリューに乗ってはるばる辺境までやって来た一番の目的は、自分よりも魔獣の心を掴むミリナを亡き者にし、主導権を再び自分のものにすること。彼から見て仲間意識が高く力も強いミリューは、ミリナを殺す上で脅威になると判断したのだろう。
…ただし、実際のところは、ミリューがイアンをザコルに処分させにきたようなものだった。
ミリューを始めとした戦闘向きの魔獣のほとんどはザコルと共に他国での戦争幇助に駆り出されたことのある、いわば『戦友』であり、イアンがザコルに勝てないことをミリューはよく分かっていた。
ミリューはイアンをザコルに押し付け、そして戦力になりそうなコマを連れてすぐに王都へと戻った。そして三男サンドや他の魔獣達の協力もあったのだろう、見事ミリナとその息子を救出し、再びシータイを訪れた。ミリナをザコルに引き合わせ、新しい伴侶としての『主人』に迎えさせるためだ。それは他ならぬミリナが拒否したので一旦話は無くなったが…。
「ふふ、随分と回りくどいことをなさると思っていたのですよ。私を殺したいのならば他にいくらでも方法があったでしょうに、食事を少しずつ減らすだなんて、時間もかかって抜け道も多そうなことを命じていましたわよね。おかげで食べられる木の実や野草には少しだけ詳しくなりました。イリヤがサンド様に聞いてたくさん集めてきてくれるんですもの」
にこ、何でもないようにミリナが微笑む。
「…解ったような口をきくな」
ぷい、イアンは妻から視線を逸らした。
つづく
お待たせしました。
よかった、まだ日付変わってませんよね、ギリギリセーフ!
明日は七草粥の日ですね。まあ何も用意してないんですが。
フリーズドライの七草買っておけばよかったなあ…。




