元気そうだな
ははははははは!
そんな狂気的な笑い声が聴こえて、ドガッ、ドガッ、と鈍い打突音が響いてくる。
「こんな、土壁ごときがッ、どうして私の邪魔をする!? どいつもこいつも…ッ」
大分ヤケになっているようだ。それにかなりやつれ、消耗もしている。自分を見つめるたくさんの瞳に気づいているのかいないのか。
「あの中ではね、自分の思う力の半分も出せないんだよ。五感や判断力も鈍る。そういう場所なんだ。自白剤の効かないうちの一族向けのお仕置き部屋って感じかな」
「ほう、この通路が描くものに関係するのか」
「うん。ジーロもザコルから聞いた?」
「いや、イリヤが気づいた。これは『絵』であると」
「へえ、イリヤが」
「イリヤは、父親やサンド兄様が描く魔法陣に興味があったそうですよ。いつか、自分も描いてみたかったのだと」
ザコルはイリヤの方を伺った。イリヤは、母親を心配して取り乱した時とは別人のように、また、七歳にしてはひどく落ち着いた様子で、騒がしい独房を見つめていた。
そんな孫の様子を、オーレンが哀しいような、そして申し訳ないような顔で見つめる。
「ザコル達のおかげで完全な形で始動できて、時間も充分経った。これまで随分と手こずったみたいだけれど、今なら何でも喋ってくれるんじゃないかなあ…」
ミイ!
白いリスがイリヤの肩で跳ねる。
「猟犬殿ー、いるなら手伝ってくださいよー。かわいい俺が倒れてもいいんですかー」
迷路の中心と思われる場所にサゴシがいた。ペータとメリーもいる。三人は、それぞれ石板のようなものの前にある椅子に腰掛けていた。
…何だろう、どう見ても合体ロボかナントカ戦艦のコクピットでモニターの前に座る人々にしか見えない。
「サゴシ、協力に感謝します」
「お礼はいいんで手伝ってくださいって。三人がかりでも厳しいんですよコレ」
「そろそろ息の根を…いえ、終わらせてもいいかなと思いまして。そうしたら、こんな装置はもう動かす必要もないですし」
ちら、ザコルは私を伺う。反対する意思があるかどうか確認したいようだ。わたしは目線でイリヤとミリナを指し示した。
イアンに関して、処遇に口出しする権利を私は持ち合わせていない。正直、ちょっと馬鹿にされた以上のことは何もされていないからだ。元執事長や男性使用人の方はまだ口を出せるくらいのことをされたが、彼らのことは心底どうでもいいのでザコルに任せる気でいる。
「ごめんなさいね、サゴシさん。領外の方にこんなことをお願いするなんて…」
どこにいるのかと思ったザラミーアは、サゴシと影二人のまわりを心配そうにうろうろとしていた。
「ぜーんぜんいいんですよザラミーア様! お美しいあなたのためならいくらでも吸われてやりましょう!」
「いつもなら私と数人でも何とか使えるのよ、今回はなぜかうまくいかなくって」
「テイラーでも『変わった』魔法士を抱えてるんだねえ。君、行く場がなくなったらぜひうちにおいでよ」
「えっ本当…」
「この魔法陣を動かすだけのために、有望な影を引き抜こうとするのはやめていただけますか、父上」
穴熊がオーレンの袖を引く。
「ぁるじ。もぅ、げんかぃ」
「またそんなこと言って、この陣は何百年も動いてきたんだよ。それに、吸ったものは稼働に使われているだろう、どうして溜まっているだなんて」
「げんかぃ、りゆぅ、わからなぃ。でもげんかぃ」
「じゃあ、どうメンテナンスすればいいんだい」
「わからなぃ」
私は気配を消したまま、ミイのしっぽをちょいちょいと引っ張った。
「久しいが、元気そうだな」
先陣を切り、ジーロが独房に近づいて挨拶をする。イアンは初めて誰かいたことに気づいたかのように壁を蹴るのをやめ、太い格子越しに来訪者の顔を見た。
「……誰だ、お前」
「おお、かわいい弟の顔も忘れてしまったとは。嘆かわしいなあ、兄上殿よ」
「まさかお前、ジーロか!? お前、この田舎が嫌で出奔したんじゃなかったのか!」
「はて、兄上殿は俺が帰ってきているのも知らなかったのか。三年で戻ってきてずっとツルギ山の番をして」
「何だその田舎にそぐわん格好は! まさかお前、私に成り代わって爵位と王宮魔法陣技師を!?」
「いや」
「そんなことはさせんぞ! 私が、どんな苦労をして王都の社交界を渡り歩いてきたか。田舎領主の位だって爵位は爵位だ、私の経歴を飾るにこそふさわしい!」
イアンは自分とジーロを隔てる格子を掴み、ガタガタと揺らす。その形相はおよそ理性をたたえた人間の顔ではなかった。
イアンはある意味で話の通じない相手ではある。それは価値観が違うという意味であって、前に会った時は会話のキャッチボールくらいできていた。今は人の話も最後まで聴けないようだし、随分と直情的というか、まるで捕らわれた野生動物のごとしだ。これも『装置』によって判断力が鈍っている弊害なのか。
「…うーむ、兄上殿は我が家の当主の座をアクセサリーか何かだと勘違いしておられるようだなあ。あれを継いだらば決してこの地から逃げられんぞ。王都の社交界とやらを満喫する暇もなくなるだろう。それから、この服は兄上殿の婚儀のためにザラミーアが仕立てたものだ。他に着るものがないので着ているだけで、今更貴族らしくなろうなどとは考えていないさ。まあ、魔法陣技師くらいならできなくもないと思うが…」
「やはり私の地位を狙っているのだな!? お前のようないい加減な奴に王宮勤めなどできるものか! 私ならばもっと上を狙えるんだ、高位の貴族令嬢との縁談も来ている。そうしたら、もっと、もっと…!」
ジーロが首を傾げる。
「はて、縁談とな。俺の記憶が間違っているのか? このヒラヒラした服は着なかったと思うが、俺は一応兄上殿の婚儀に参加した気がするのだが。王宮騎士団長のご息女をお迎えしたのではなかったか」
「ああ、そのようなこともあったな。王弟殿下にも勧められて仕方なく娶ってやったが、すぐに没落して何の価値もない小娘に成り下がった。子供を孕んだから生かしてやっていたが、産んだのは忌々しい、あの母にそっくりの金髪碧眼の赤ん坊だった!」
「兄う」
「あの母親に唯一価値があるとすれば、あの高位貴族らしい髪と瞳の色くらいだというのに! 受け継いだのがどうして私ではない!? しかも力ばかりは大嫌いな弟達のように無駄に強く、これができた、あれができたとこの私相手に自慢をするのだ。なんと恥知らずな!」
ジーロが何か言おうとしているが、一言発する前にイアンが自分の言葉をかぶせてしまう。
「あの女、餓鬼の躾すらもまともにできないくせに、子供に本や剣を買えだの、もっと食事の量を増やせだの、図々しい口ばかりきいてくる。所詮『使用済み』のくせに! 屋敷に置いておくと五月蝿いので王宮に連れていって雑務や魔獣の世話をさせてやることにした。王宮は平民の使用人を連れて行けんのでな、我ながらいい考えだ!」
はははは! と狂ったように高笑いするイアン。
「あの女を遠ざけて隠しておけば餓鬼も大人しくするようになったしなあ」
「で、魔獣も彼女を慕うようになったのか?」
ジーロの言葉に、イアンが大きく顔を歪める。
「ああそうだ忌々しい! アイツら、私が喚んでやったのに、いつの間にかあの女の言うことしか聞かなくなっていた! 餓鬼も、魔獣どもも、あの女を人質に取らないとこちらを見向きもしない! しかもますます力をつけている! ああ忌々しい! うまくいかないのは何もかもあれがいるせいだ! 食事を抜かせてもしぶとく生きている! お前らとあれの主人は私だぞを何度も何度も言い聴かせて」
イアンの独白は、暗い牢の澱みと共鳴するかのように、ぐわんぐわんと響き渡る。
耳を押さえたい衝動と戦いながら、私は頭にかぶった深緑色のマントをギュッと握り込んだ。
つづく




