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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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良かった、蹲っていなくて

 イーリアが退出すると、マージも町医者を出迎えてくると言って退出した。

 イーリアは今日、患者が移って空いた三階の部屋に泊まるようだ。町長夫婦の寝室も空いたようなので、マージも今日はゆっくり寝られる事だろう。


 水害から四日目。


「早すぎじゃないでしょうか」

 コソコソ。

「何がです」

「重傷患者の回復スピードが、です。まだ四日目ですよ」

 コソコソ。

「サカシータの者は鍛え方が違いますからね、そんなものでは?」

「そう…。そんなものですか」


 二階や一階の集団部屋にいる患者も妙に元気そうだった。横になっていた者もフラッペを飲むなり体を起こして…いや、深く考えるのはやめよう。憶測は良くない。


 この分ならば、私が思っているよりずっと早く避難民達は下流の町に戻っていくのかもしれない。それは何よりだが、水害によって失われた家屋、食料、薪などの蓄えが心配だ。

 同志達による支援だって一冬越せる程の物を賄うのは厳しいだろう。食器類も煮沸消毒しなければならないし…。

 そうだ。

「私、一度下流の町に行きたいです」

「黙っていると思ったら、何ですか藪から棒に」

「ふふふ、いつまでも独り言を拾われる私ではないんですよ」

 いつもザコルに独り言をいちいち拾われている私だが、さっきから意識して独り言として声に出さないようにしてみた。成功だ。

「独り言が聴こえないと不安になるんですが…」

 何で不安になるんだ。普通は聴こえないものをコミュニケーションの要にしないでほしい。

「これから冬になるでしょう。薪や食料の蓄えがないでしょうから、せめて食器類の煮沸消毒などを手伝いたいなと思っただけです。お風呂もね。思ったより早く避難民達が家に帰りそうですし、川の水かさもそろそろ落ち着いたでしょうし、下流にいるというサギラ侯爵領から来た同志にも挨拶してあげてほしいし、それに…」 

「なるほど。下流にいる僕の兄弟達に会いたいと?」

「いえ、まだ何も言っていませんが? もちろんご厄介になるのですから、機会があればご挨拶はしたいですけど…」

 こういうのは最高責任者、すなわちサカシータ子爵が優先ではないのか。

「では、なるべく早く全員に牽せ…いえ、大事な人だと紹介して回りましょう」

「はあ?」

 この人は一体何を言ってるんだろう。

 どういうつもりか知らないが、親戚に挨拶回りなんかしたらますます後戻りしづらくなるじゃないか。あ、護衛対象として大事な人って意味…?

「僕はもうずっと気が気でないんです。うかうかしていると義母だけでなく他の兄弟にまで群がられそうで…」

「本当に何言ってるんですか、まだ会ってもないのに…しかもこんな変な女に群がるだとかご兄弟に失礼ですよ」


 何となく居た堪れなくなって立ち上がり、さっきからずっと黙って話を聴いているタイタの後ろに駆け込む。


「ど、どうされましたかミカ殿。どうして俺の後ろに…」

「セーフティゾーン!!」

「あ、俺の場所すよそこは」


 ああ、この大きな背中の陰、安心するなあ…。

 不確定な未来に対して過度な期待や勘違いはしたくない。これは今必要なだけの措置。そう自分に言い聞かせる。

 そう思いながら顔を覆って熱が冷めるのを待っていたら、後ろから脇に手を入れられてヒョイと持ち上げられた。

「ぅひゃっ!?」

 不意に脇を触られたのでびっくりして声が出た。

「ソファに戻りましょう」

 脇を掴まれたまま平行移動する。

 馬に乗せられる時と違ってずっと掴まれているので、くすぐったさに耐えられず身を捩りまくる。

「やめっ、ふあっ、んんっ、んーっ!」

「暴れないでください」

 変な声が出そうになって思わず口を閉じたものの、完全には声を殺せなかった。

「おいこらご無体はやめやがれください変態、触ってますよ、胸」

 …ドサ。

 急に降ろされる。そのまま床に座り込み、私は再び顔を覆う。

 しばらく気まずい沈黙が流れた。


「……ええと…そんなつもりでは」

 ザコルが何とか言い訳めいた言葉を搾り出す。


 そりゃそうだ。どうせそんなつもりになるほど存在感のある胸じゃない。

「もう、嫌。どうするの、この後、シシ先生にどうやってアレの経緯説明するの。この顔で?」

「顔がどうかしましたか」

 正面を覗き込もうとするザコルの顔を真正面からべちんっと思いっきり叩いた。

「ちょっとお手洗い!」

「僕がついて」

「ついてこないで!」

 私は扉に向かって走り、勢いよく廊下に飛び出した。


 ◇ ◇ ◇


「ミカがキレた…」

 顔を叩かれた上、ついてくるなとまで言われてしまった。


「あ、あの、ミカ殿を追った方がいいでしょうか」

 タイタが扉の方を何度も見つつ、僕やエビーの顔色を伺っている。

 フン、とコマが代わりに反応する。

「この屋敷に曲者なんか出てみろ、即刻袋叩きだ。それに、あの女は変だがバカじゃねえ。監視も要らねえと思うがな」

 コマはエビーとタイタを横目に睨んだ。

「い、いえ、俺は監視などというつもりは」

「タイさんは純粋に心配してるだけすよ。でも、コマさんの言う通り、屋敷の中ならそこまで張り付いてなくたって安全っしょ。ミカさんもたまには一人になりたいでしょうしね」

「確かに。女性の身で、四六時中護衛につかれていては落ち着く間もない」

 エビーの言葉に、タイタが納得したように頷く。

 なるほど、そういうものか。…もしや、僕は鬱陶しがられているのだろうか?


「あーあ、せっかく照れちゃって可愛かったのにー。変態兄貴のせいでどっか行っちゃったじゃないすか」

「照れて…?」

 本当に? というか何に?

 兄弟に紹介すると言ったことか、それとも脇を触ったことか。今までのことを思えば、どちらも大したことじゃない。


 大体、またも僕を蹂躙したのはミカだ。

 ミカの方は、アレに関しては全くの平常心だ。動揺している理由さえ魔力が混ざったとかそんな事ばかりで、いっそ腹立たしい気持ちすら湧く。

 それに、タイタの後ろに隠れるなんて。僕よりもタイタの側の方が安心するとでも言わんばかりだ。


 ミカはこの旅で、僕と普通に会話ができる『お友達』とやらが現れるたびに喜んでいる。不快ではないがその度に釈然としないものを感じる。ミカの方こそ他人に易々と気を許さないくせに。僕やホノルが数ヶ月かけ毎日顔を出してやっと勝ち得たものを、たった数日行動を共にしただけでこいつらは…。


 …気に入らない。腹立たしい。もう誰とも関わらなくていい。二人旅に戻りたい。


「拗らせてそうな顔してますけどお…。またアカイシ山脈のどっかに連れ去ろうとすんのはやめてくださいよ」

「分かっています。エビー、僕に稽古をつけてもらいたかったんですよね。明日が楽しみです」

「俺に八つ当たりしようとすんな。全く、ミカさんもコレの何がいいんだか…」

「僕だってよく分かりませんよ。あの変な女、僕の事は恐らく一目惚れだって言うんです。訳が解りません」

「なんと…!」

 タイタはなぜか嬉しそうにする。エビーは完全に疑いの目だ。

「ほぉーん、一目惚れねえ…。それってあの、髪ボサボサで服がダボついてて愛想の欠片もなくて何なら感じ悪いくらいだったあんたにすか?」

「そこまで言いますか…。いえ、自分でもそう言われた方がまだ納得できます。ミカいわく初対面の女性に憚ることのない怪訝な顔とやらが、どうして正直な人だなんて評価になるのか…」

「そりゃまた斬新な解釈すね、てか惚気すか」

「惚気ではなく単純な疑問です。あの時、僕は心底ミカの事を変な女だとしか思っていませんでしたので」



 拘束されているというのに妙に落ち着いていて、

 自らの境遇を何とも思わず、

 それどころか楽しんでさえいるようで、

 しかし人の世話になり続けるわけにはいかないと、

 いつかは自立するか、役に立たねば帰るべきかなどとも言い、

 しかしただただ前を向き、

 この世界の事を早く理解しようと寝る間も惜しんで本を読み漁る。


 楽観的なようで卑屈であり、自棄なようで健気でもある、そんな、変わった女だ。


 座敷牢に収用されるきっかけを作った使用人の事は許すようにと、また、これ以上の待遇も不要だと寛大な事を言い、魔法能力を調べたいとこちらが言えば二つ返事で頷き、毎日毎日、手探り状態でもめげる事なく試し続けてくれた。

 僕は側で見守る事しかできなかったが、たまにこちらを見て所在なさげに笑うのが不思議だった。何か恥ずかしい事でもあったんだろうか。



 僕の事を妙なあだ名で呼んでいた。シショーだ。

 先生という意味らしいが、何故僕の事をあだ名で呼ぶのか、何度理由を聞いてもはぐらかされた。ハリウッド? がどうとか言っていたな。どうせ碌でもない意味に違いないと…。


「そうだ、初めはあの意味の分からないあだ名で壁を作っていたくせに。何が一目惚れだ」

「あだ名って、シショーって呼ばれてた事すか? あれ、照れてただけっしょ」

「は? 照れて…? あれも…?」

 エビーが事もなげに放った言葉が理解できず、思わず反復してしまう。

「そりゃそうでしょうよ。あんただけすよ、ずっとあだ名で呼ばれてたのは。名前で呼ぶのが気恥ずかしかったんでしょ。解ってないすねえー」

「は? 照れて…? あれが…?」


 ふへ、とだらしなく笑うミカの顔が思い浮かぶ。

 思わず頭を抱えた。


 どうして、どうして僕は解っていないんだ…!



「そんなミカさんがさ、タイさんの事をタイちゃんとか呼んで連れ回すようになったから、俺はてっきり」

「まさか。俺の事はせいぜい幼子のように思っていらしたのだろう。それくらい俺は無知蒙昧で…」

「あのね、俺はタイさんの事、無知だとかそんな風に思ってませんけど? そりゃ、最初は酷い事言っちまったけどさ。教養あっから色んな事知ってっし、俺とは全然違う形でミカさんに頼りにされてるじゃないすか。俺にはダンスなんて教えられねえすよ」

「いや、そんな」

「それに、記憶力が凄えってのも知りませんでした。剣の腕だって団長に次ぐくらい強くて……ああ、そーだ、タイさんならカニさんに腕っぷしで負ける事ねーじゃん! 何で言いなりになってたんすか!?」

「それは…親切で言ってくれているのなら無碍にしては悪いかと…」

「仲間だからって百パー善意なわけじゃないすからね? もー、今度から人付き合いに困ったら俺に相談してくださいよね。…ああ、でも、そんな事言う資格ねえかな。俺ね、タイさんを焚き付けてミカさんの気を惹かせようとしたんすよ。この変態クソ唐変木しか選択肢がねえのもあんまりだと思って」

「は…何だと? 俺を焚き付けて…? ああ、そうだったのか…。それで俺にその気はないかと訊いたんだな。それはいけない。俺を当て馬になど解釈違いにも程がある!」

「へへ、ミカさんにもタイさんがそう言うだろうって怒られちゃいましたよ。本当に、勝手な事してすみませんでした」

「俺は壁だ。このお二人の幸せをただただ見届ける事こそ俺の本望。いいか、今後一切、お二人の間に何者をも入れようとするな」

「はいはい。ガチ勢すもんね、タイちゃんは」



「二人ともうるさい。僕の思考の邪魔をするな」


 さっきからガチ勢だのタイちゃんだのと……タイちゃん?

「そうか、君にも『あだ名』があるのか、タイタ」

 ヒュ、タイタが笑顔のまま息を飲む。

 相変わらず、殺気を向けると嬉しそうにするのは何なんだ。


「そういや、俺はコマちゃんだったか。やけに気に入られて困ってんだ」

「俺は最近さすエビって呼ばれてますね。頼りになる流石エビーなんで」

 コマとエビーがニヤついている。

「黙れ。これ以上煽るな」

「ほーう、俺様からありがてえ助言をもらわなくていいのか」

「何だ」

「あの女、ついてくんなって言っても、迎えに行かねえとヘソ曲げるタイプだぞ」

「へえーそうなんすか。いやあ勉強になります。流石は年の功! さすコマっすね」

「うるせえ若造。そんでな、あの女が部屋の外であの赤面のまま蹲っててみろ。屋敷の連中に殺されるのはお前らだ」

「猟犬殿」

「はい。迎えに行きます」

 エビーに急かされるまでもなくすぐに立ち上がり、僕は廊下に出てミカの気配を追った。


 ◇ ◇ ◇


「こんな所でお一人で何をしてらっしゃるの、ミカ」

「こんばんは、ミカ様。体調はいかがですかな」

「マージお姉様、シシ先生。こんばんは。体調はすっかり良くなりました。夜遅くにありがとうございます」


 一階のお手洗いに行った後、町医者を連れたマージと廊下で鉢合わせた。夜になってしまうと時刻が分かりづらくなるが、今はおそらく夜の十時か十時半くらいだと思う。随分と遅くなってしまった。


「今はお手洗いをお借りしていました。一人にもなりたかったので、皆には部屋に残ってもらったんです。今日は色々あって少し混乱していましたから」

 マージがハッと表情を曇らせる。

「わたくしもあなたを混乱させた一人ね…。お疲れでしょう」

「何をおっしゃるんですか。お姉様がくださったのは幸せな混乱でしたよ。あんな素敵なワンピースを着て花びらのシャワーを浴びた事、きっと一生忘れません!」

 マージが泣きそうな笑顔になる。その顔を見ていたら気持ちも落ち着いてきた。

「ありがとうミカ。でも、大丈夫かしら、もう少し休憩なさっては? ほら、先生が林檎を持ってきてくださったのよ。今剥かせるわ」

 そう言ってマージは手にかけたカゴを見せる。町医者のシシも笑顔で頷いた。

「患者の一人が持ってきてくれましてな。今日の採りたてだそうですよ」

「よく熟れて美味しそうですね。休憩は充分ですので、良かったらその林檎は皆でいただきましょう。私が剥いてもいいですか。あ、メイドちゃん」

 近くを通りかかったメイドちゃんに果物ナイフと器、あればカッティングボードを執務室に届けてくれるよう頼む。

「それから温かい紅茶も届けてちょうだい。茶葉はまだあったわよね」

「はい奥様。とっておきのを出しますね」

 メイドが早足で調理場に向かっていく。そういえば彼女は朝から働き通しではないか。


「あの子は朝から晩まで働いているんですか? 休憩は…」

「メリーは昼食の配膳の後、三時間ほどは休憩させていますわ。あの子、休めと言っても休まないの。今日はちゃんと寝てくれるといいのだけれど」

「マージお姉様もですよ。なるべく早く終わらせますから」

「あなたの方こそよ、ミカ。一昨日はわたくしの代わりに起きていてくれましたし、昨日も寝たのは遅かったでしょう」

「昨日は昼過ぎに仮眠を取りましたよ」


 ととと、と小さな音で階段を降りてくる人がいる。忍者か?

「ミカ」

 忍者だ。


「あら、あなたの番犬様ね。心配されているわよ」

 ザコルは階段から私達を見つけると、早足でこちらにやってきた。

「良かった、蹲っていなくて…」

「うずくまる?」

「何でもありません。町医者、いえ、シシ。今日はありがとうございます。執務室へ行くのでしょう」

「はい」

「行きましょう」

 ザコルが迷ったように腕を上げ下げしていたので、私はその腕を取り、軽く撫でた。

 さっきは叩いてごめんね、という気持ちを込めて。



「ミカさん、良かった…」

 執務室に入ると、エビーとタイタが明らかに安心したようにホッと息を吐いた。

「さっきから何なの。私が屋敷の外へでも行くと思ってたの?」

「いや、そんなことは思ってませんけど…」

「急に飛び出して行かれたので心配しましたよ」


 うちの護衛達は相変わらず過保護だ。私が勝手にいっぱいいっぱいになって勝手にクールダウンしに行っただけなのに。でも、迎えに来てくれたのは嬉しかったな。我ながら現金なものだ。


「あれ、コマさんは?」

「これ以上余計な事知るとこの領から出られなくなるとか言ってどっか行っちゃいました。あ、屋敷のどこかにはいるそうです」

「そう、今更かと思ったんだけど…でもまあ、そうだね」


 コマに言っていない事といえば治癒能力だが、それについてはシシに対してもはっきり明かすつもりはない。魔力の流れなどを診てもらうに留めればいいと思っている。


「ミカ、ザコル様。わたくしも外しますわ。コマという方は賢明な方ね。先生、林檎を一ついただきますわ」

「ええどうぞ、奥様。いえ、もう町長様でしたな。慣れなくていけない。ドーラン様はまだ戻らないようですね」

「そうなのよ、下流の町で民の力になっているそうですわ。帰ってきたら労って差し上げなければ」

「全く奥様はドーラン様に甘すぎます。少しは叱ってやらないと彼のためになりません」

「ええ、解ってはいるのですよ。でもねえ…。わたくしに町長の席を取られてしまったのよ。可哀想でしょう?」

 頬に手を当てて溜息をつくマージは、まるで慈悲深い聖母のようだ。…何というか、根深いものを感じる。


 マージが退出すると、入れ替わりでメイドのメリーが温かい紅茶のポットとカップ、果物ナイフと器とカッティングボード、そしてフォークを人数分届けてくれた。彼女はシシとザコルと私の分の紅茶を給仕すると、一礼して退出していった。

 シシは一人掛けソファに座り、私とザコルが向かいの二人掛けソファに座る。エビーとタイタは私達の後ろに立つ。ずっと立たせっぱなしで申し訳なくなるが、本来護衛とはこういうものらしい。


「先生、今日はありがとうございます。何度もお呼びだてして申し訳ありません」

「いいえミカ様。お気になさらないでください。医者としての職務ですので。それに今日は珍しいものを何度も見せていただいて、年甲斐もなくワクワクと…おっと、不謹慎でしたな。ご不安だったでしょう」

「いえ…」

「ミカが一人で悲観的になっているだけですよ。さっさと終わらせましょう」

 私の言葉は遮られ、ザコルがシシを挑むように見据える。


「さて、僕の今の状態はどうなっていますか」

 もう夜なので、部屋にはランプと暖炉しか灯りになるものがない。とても明るいとはいえないが、シシは目を凝らすようにザコルを見た。

「そう、ですね。先程見た時の渦のような混ざり方はしていません。逆に、少し青が落ち着いたようだ。昼間に見た深緑色に戻っているかと。どうして…」

「なるほど。では、ミカ」

 ちょいちょい、とザコルが自分の口元を指差す。

「ここで? ここでしろって事ですか?」

「逆にどこでするんです。今しなければ判らないでしょう。大体、今更です」


 今更、そうかも知れないが、ほぼ初対面みたいな人の前で軽々しくそんな行為ができると思っているのだろうか。

 何となく助けを求めるようにシシに視線を戻すと、彼は何かを察したように立ち上がった。

「何をなさるつもりかは分かりませんが、私はあちらを向いていましょう」

 そう言ってソファの横に立って後方の壁の方に体を向けた。

 私はそんなシシの背中を見て、今度は後ろの護衛二人に視線を彷徨わせた。

「えっと……」

「今更すけど、俺らも後ろ向きましょうか」

「そうだな」

 護衛二人もくるりと向きを変える。

 抵抗はあるが、これ以上シシを待たせるわけにもいかない。


 ザコルの頬に両手を当てると、少しビクっと強張った。…いや、どうしてしろと言った側が身構えているんだ。

 そっと口を重ねて三秒数える。魔力の動きを見るだけだ。多分これくらいでいい。

「先生」

 シシがこちらを向く。護衛二人も向きを変えた。

「…なるほど。青が、増えましたな」

「具体的に、どの辺りにでしょう?」

「体全体に、じんわりと広がるように」

 興味深いものを見たというように、シシは顎に手をやり、目を見開いて口を綻ばせている。

「ですって。ザコル、ザコル?」

「は、しまった、聴いていませんでした。何ですって」

「もう、しっかりしてくださいよ…。だから、青が、体全体にじんわり広がるように増えたんだそうです」

「そうですか。では」

 ザコルが私の顎をぐいっと持ち上げる。

「何する…っんむう!? んん!! んー!!」

 突然口を塞がれてパニックになる。ジタバタするも全く剥がれない。

 そのまま数秒して離され、ぷはあ、と息を大きく吸い込む。

「何するんですか!!」

「どうなりました、シシ」

「移動しました…青が…ミカ様に…。還った、ようですね」

「何するんですかぁ…」

 顔が紅潮する。涙も浮かんできた。

「ご無体はやめやがれってんだろこのクソ変態、泣いてんぞ」

 エビーが思わずといった様子でザコルの後頭部を叩こうとし、ザコルはそれをサッと避けた。

「目の前でしなければ肝心の動きが判らないでしょう。恥ずかしがっている場合ではありません」

「自分だってさっき心神喪失しかけたくせに! ミカさんが可哀想でしょうが!」


 私はスス、とソファの端に移動し、ザコルから距離を取る。

「ミカ、あの」

「話しかけないでください」

 ローテーブルに置かれたカゴから林檎を一つと果物ナイフを手に取り、皮をスルスルと剥き始める。

「手慣れておいでですねミカ殿。ナイフの扱いがお上手だ」

 タイタが感心したように手元を覗く。その穏やかな声に心の棘が少しだけ凪いだ。

「いいナイフだよ、よく手入れしてあるね」


 カッティングボードの上でスパ、スパ、と実を切り分け、芯を切り取って器に乗せる。一切れを手に取って念じると凍った。


「先生。これ、どう見えますか」

「ほう、林檎を凍らせたのですか。…きらきらと、新雪のような粒子が纏わりついているように見えますな」

「昼間、私が作った氷にも同じような粒子が見えていましたか」

「そうです。お気づきでしたか」

「あの氷、どうしましたか」

「まず私と、看護師達で一つずついただきました。不思議な事に、皆の魔力が少し活性化したんですよ。しかし、魔力の色が変わるなどという事はありませんでした。あの程度の変化であれば、元気が出て、風邪や怪我の治りが少し早まるくらいでしょう。特に副作用もなさそうでしたので、発熱している患者に届けさせました。喜ばれたそうです」

 私は、はああと詰めていた息を吐いた。

「良かった…。さっきここの患者さんに氷入りの飲み物を配ったら妙に元気になったから…。魔力のおかしい人を量産してたらどうしようかと。検証してくださったんですね、ありがとうございました」

「なに、氷を与え慣れているなと思ったのですよ。今まで問題無かったのでしょう」

「そうです。テイラーでは毎日のように人に振舞っていましたから…」

「それはそれは。どなたも精がついた事でしょうな」

 はは、と笑うシシの様子に安堵する。

 氷にまで強い治癒効果なんかがあったらどうしようかと思った。栄養ドリンクくらいの効果はありそうだが…。つくづく自分の軽率さが嫌になる。


「では先生、これはどうでしょう」

 器に乗った林檎数切れに対し、今度は温まれと念じる。ジュウウ…と形がしんなりとし、コンポート状になった。こうなるだろうと予測はしていたが、思いの外うまくいった。

「美味しそうすね」

 エビーが皿を覗き込む。シシを見ると、口を綻ばせたまま、コクリと頷いた。

「食べてみる?」

「やった」

 フォークと器を渡す。エビーは一切れ刺して、はふはふとしながら食べた。

「んー、美味いすね。パンに合いそうっす。もう少し甘さがほしいとこっすけど」

「ああ、魔力が緩やかに活性化していますな。劇的ではありませんが、氷と同じくらいの効果がありそうですよ」

「それが何よりです。ありがとうございます。嬉しい、これで皆に遠慮なく振る舞えます」

 劇的な変化などいらない。何となく元気になったくらいでいい。

 入浴支援もきっといい結果になるだろう。


「ミカ様」

 シシが私の顔を覗き込むように呼びかけた。

「何でしょう……やっぱりダメそうですか?」

「いいえ、氷などの事ではありません。その、目尻に」

 目元に手をやる。そうだ、さっき涙がにじんで。やっぱり、涙にも、何か……。


「ミカ、せめて最後まで聞いてから判断してください」

「そう、そうですね…。もしかしなくても涙ですか、先生」

「恐らく。先程の氷やコンポートについていたような光の粒子が、目尻にも見えます」

 シシは、その光の粒子とやらの性質が何か気づいているのだろう。私が手をかけた氷や湯には、弱くとも風邪や怪我の治りを早くする作用があるのだ。それは、まんま治癒効果に他ならない。

 迂闊に披露してしまった事は悔やまれるが、それは昼間、彼の前で氷を作ってみせた時点で手遅れだ。治癒能力について明かす予定はなかったが、もう腹を括るしかないのかもしれない。

 イーリアもこの機会を活かすように言ってくれた。であれば、目の前の医者はきっと信用できる。いや、信用するしかない。


「ザコル。もう一度、私を泣かせてくれませんか」

「また無茶を言いますね…」

 先程無茶をして私を泣かせたのはそっちだろうに。

「…ではミカ、シショーと呼んでくれませんか」

「いや、私は泣かせてって……それに、そう呼ばれるのは嫌なんじゃないですか?」

「あだ名で呼ぶ事で、ミカが僕に壁を作っていると思っていたから嫌だったんです。あれは、あの妙なあだ名は、あなたなりの親愛の示し方だったんですね」


 そう言われればそうかもしれない。あだ名で呼ぶのはむしろ遠慮のない関係だからこそと考えていたし、それに、ザコルと直接呼ぶのも何となく気恥ずかしくて師匠と呼んでいた。ザコルに誤解させていたのを知った時はショックだった。


「どうにも信じられなかったのですが、ミカは、本当に最初から心を寄せてくれていたんですね。僕の何が良かったのか全く解りませんが」

「どうしてそんな事言うんですか。私の方こそ解りませんよ、どうしてザコルは私に…」


 求婚なんてしたんですか。

 こんな、口づけの度に魔力が移ろうような、気持ちの悪い、変な女に。


「ミカこそどうしてそんな変な事を言うんですか。あなたが変なのは今更です。変な要素が一つや二つ増えたくらいで、僕が今更どうこう思う訳ないでしょう」

 ……いや、変だ変だと言い過ぎではないだろうか。

「僕も普通じゃありません。毒も効かないし、体が強すぎて余程の事がない限り死ぬ事もできません。この領で囲まれたら少々危ういかもしれませんが…。正直、あなたの魔力が混ざった? くらいでどうにかなるとは思えません」

 その妙な自信は一体何なんだ。私の心配は無駄だと言いたいのか。

「いいですか、いちいち思い詰めないでください。気楽にしてろと言ったでしょう」

「だ、だって、取り返しのつかない事になったら、もう、私、また、また……壊したら…!」


 側にいてくれる存在を失う事があったら。また一人になったら。きっと今度こそ立ち直れない。自分の形を保つ自信がない。

 この世界を憎んでしまうかもしれない。


「頑強さには自信があると言いましたよね。僕は離れも消えもしない。あなたの一切を引き受けるのはこの僕だ。僕を信用しろ、ミカ」


 強引だ。何の根拠もない自信だ。

 それでも、ザコルには覚悟がある。私の能力ごと引き受けて、側にいてくれようと…。


 涙があふれてくる。凍らせて手に持ったままだった林檎の一欠片にぱたぱたと涙が落ちる。

 その林檎をヒョイ、と取り上げられた。

「あ」

「やっと泣きましたね」

 ザコルは無造作にその林檎をかじって咀嚼した。

「どうです、シシ」

「そうですなあ、まず、魔力の色が変わることはなさそうですな。ミカ様の涙は、先程の新雪のような光の粒子が、氷や煮詰めた林檎の比でない高い密度になって見えます。ザコル様は今、その粒子が全身に駆けて魔力が劇的に活性化した状態です」

「そうですか」

 そしてその半分かじった林檎を、後ろにいたエビーがザコルの手から取り上げた。エビーはそれを迷いなくポンと口に放り込んだ。

「え、あ、ああ、エビー!?」

 思わず立ち上がってエビーの方を振り返る。


 ムシャムシャ、ごくん。


「シシ」

 ザコルが冷静な声で問う。シシはエビーの身体全体を見て、そして右肩を指した。

「今、身体に巡った粒子がそこに集中しました」

 エビーが右肩の辺りをさすっている。今朝方、ザコルに強く掴まれた場所だ。

「分かりました。シシ、おおかた予測はついているでしょうが、この力の性質については他言無用です」

「もちろんです。希少な能力を持つとお互い苦労しますなあ、ミカ様」

「え、ええ、そうですね先生。ちょっとエビー!! どうして……っ」

 エビーの顔色や右肩の辺りに視線を彷徨わせる。

 シシは魔力の色は変わっていないと言っていたが、どうしても不安が拭えない。

「んー、美味かったすよ。ちょっとしょっぱかったすけど。これでもう悩まないでくれますよね」

「そうだけど、そうじゃなくて! 良かった…違う良くない、そうじゃなくて…そうじゃ……っ…」

「ミカさん、落ち着いてください。俺は大丈夫すよ」

「ミカ様は、副作用のようなものを心配しておられるのですかな。それでしたら、特に問題はないように見受けられますよ」

「ね、やっぱり悪いものなんかじゃなかったでしょ」

 エビーとシシが笑顔で私を宥めようとする。それでも私の気は収まらなかった。大丈夫だと聞いてなお、怒りに似た気持ちを抑えられない。感情がグチャグチャだ。

 エビーが私に自分を軽んじるなと言ったんじゃないか。危機感を持てと。これじゃああべこべだ。


「ミカ殿、俺の後ろにお隠れになりますか」

 その一言に、荒れかけた気持ちが一瞬だけ掬い取られる。

 タイタはいつもの微笑みを引っ込め、真剣な顔で私を覗き込んでいた。

「……ううん、ありがとうタイタ。今は、大丈夫」

 涙を無理矢理ぬぐってシシに向き直る。


「先生、お見苦しい所をお見せして申し訳ありません。今回先生に教えていただいた事実で、この所の不安がかなり解消されました。ご協力に感謝いたします」

「いいえ。先程も申しましたが職務ですから。ご自身のためにも秘匿はなさった方がいいだろうが、この力自体が害となるような事はないでしょう。経口による魔力の…仮に受け渡しとしましょうか、については…お二人で話し合われ、もう少し検証を重ねた方がよろしいかと思いますがね。またいつでも診療所をお訪ねになってください」

「はい、ありがとうございます」

「シシ、僕からも感謝を」

「ザコル様、オーレン様への伝言もどうぞお忘れなく。彼のお方の見解もお聞きになるべきだ」

「はい。分かっています」

「ミカ様のお心をきちんとフォローなさってあげてください。我が町の聖女様を泣かせたとあっては一大事ですからな」

 シシは、ぬるくなった紅茶をあおると席を立った。そして一礼し、扉の向こうへと去った。


 ◇ ◇ ◇


 シシを見送った後、私は席を離れ、フラフラと移動し、タイタの後ろで蹲った。


「ザコル殿。先程から少し乱暴なのではありませんか」

 タイタがザコルに物申す。私は顔を上げた。

「ごっ、ごめん、タイタ、いいの、まだ感情が整理できてないだけで、ちゃんと解ってるから…」

「タイさん、ミカさんがあんまり思い詰めるから、ザコル殿は荒療治しただけすよ。誰がミカさんの涙に触れても危険は無いって、ミカさんの前で証明してやるために」

「そのためならばミカ殿をこのように酷く泣かせていいと、お前は思っているのだな、エビー」

「いや、そんなことは……っ」

 タイタの圧に当てられてエビーが口を噤む。

 私は慌てて立ち上がった。

「タイタ、タイタ、もう大丈夫、解ってるから。取り乱してごめんね、私が弱いばっかりに…」

「何故謝るのですか。ミカ殿は今度こそ何も悪くありません!」

 タイタは私を背中に庇ったまま声を荒らげる。

「……タイタの言う通り、ミカは悪くありません。ですが、僕はこれが最善だと思いました。シシの能力も、確実に証明されましたし」

 ザコルはこちらを向くことなく、静かに言葉を紡ぐ。


 シシはエビーを見て確かに『右肩』を指した。ザコルの小指を指した時と、同じように。


「ザコル殿…!」

「いいの、解ってます。怒ってくれてありがとう、タイタ」

「ミカ殿…」

 タイタの背中をポンポンと軽く叩くと、タイタも臨戦体制を解いてくれた。

 私はソファに戻り、ザコルが差し出してきたハンカチで顔を拭い、メリーが淹れてくれた紅茶を啜った。ぬるくなってしまったが、メリーがとっておきだと言っていた茶葉だ。香りと渋みのバランスが良く、泣いたせいで傷んだ喉をすっきりとさせてくれた。



 シシが告げてくれた結果はどれも深刻なものでは無かった。

 特に治癒能力に関しては副作用もなさそうだと言われ、正直ホッとはしている。


 氷や熱湯には多少の治癒効果が付与されているようだが、劇的な変化はもたらさない程度。

 そして、涙はにはやはり高い治癒効果が見込まれ、口にした者の怪我を集中的に治す効果があるが、どちらも私の魔力が混ざったり色を変えたりするような副作用はもたらさない。


 経口による魔力の受け渡しについては、状況を見る限り、私からすれば私の魔力がザコルに移り、ザコルからすればその魔力が私に還元される仕組みのようだ。充電池のようだな、と思った。


 安全性については不明だが、もしも私が魔力切れなどを起こして動けなくなった場合、普段からザコルに魔力を渡しておけば、必要に応じて魔力を返してもらう事も可能かもしれない。魔力切れを起こして動けなくなるという事象が本当に起きればの話だし、現状としては謎が多い以上、軽々しく電池扱いするのは控えた方がいいだろうが。


 そもそも、シシの能力が確実なものにしろ、彼の見解が正しいとは完全には証明はできないのだ。彼にしかない能力である以上『彼の言う事を信じるなら』という前提が全てにくっついてしまう。

 サカシータ子爵であるオーレンの見解とやらがどのようなものになるかは分からないが、もしオーレンがシシのように人の力を鑑定するような能力を持っているのならば、必ず話を聞いた方がいいだろう。シシの見解と照らし合わせれば、より正確な事実が判るはずだ。




 紅茶を飲みながら思考を整理していくと、感情の昂りが収まってくる。

 目の前のカゴから林檎を取り出す。スルスルと剥いて切り分ける。カゴにはまだ三つほど林檎が入っていた。それらを全て剥いて切り分ける。カッティングボードの上に並べて置くと、ザコルが摘んで食べ始めた。気紛らわしに林檎を剥いている私を急かすでもなく、黙って付き合ってくれているようだった。


 器には、コンポートにしたもののまだ口をつけていないものが数切れ残されていた。私は使っていないフォークを手に取り、それを一切れ食べてみた。さっぱりとして甘く、ジューシーだ。

「ミカ、別に無理に許そうとしなくてもいいんですよ」

 ザコルが林檎を咀嚼しつつ、静かな口調で言った。

「許すも何もないです。元はと言えば、ちょくちょく取り乱して心配かけている私が悪いんですし…。でも、ザコル、エビー。もう、あんな風には…」

 トントン、扉がノックされる。

「俺だ。話は終わったか」

 コマだ。

 タイタが私に確認をし、扉を開けにいく。


「おー、姫さん。また盛大に泣き散らかしてんな」

 軽い調子のその言葉に、私は口角を上げる。

「もう、泣きすぎて脳みそまで溶けそうですよ」

「そーかそーか。またその唐変木にご無体されちまったのか」

「まあ、そうですね」

 ザコルを見やると、プイッとそっぽを向かれた

「あと、そこの金髪君にもご無体されました」

「お、俺は何も…っ…や、違えよ! 姐さんが自分は毒物みたいで危険だとか言って俺らを避けようとすんのが悪いんすからね!? そんなはず絶対に無えってのに…」

「毒物…。ミカ殿はご自身の事をそんな風におっしゃっていたのか…」

 タイタは心神喪失していたので、聞きそびれていた言葉だ。


 しかし、涙に関しては害を及ぼすものではないと言ってもらえたが、魔力の受け渡しに関しては話し合って検証を重ねろと釘を刺されてしまった。

 現状、ザコルの魔力は元々の黄緑色から深緑色になったままのようだし、まだ私の魔力がいくらかプールされている状態という事だろう。それから、それから…。


「元気出せよ、な。俺がザコリーナちゃんの話でもしてやっから」

「やめろ」

「姫さんは聴きたそうだが?」

 今し方全ての意識をザコリーナちゃんにゴッソリ持って行かれたのは本当である。

「…タイちゃん、二人でうっかり聴こっか。十六歳頃のザコルの逸話を聴かせてくれるそうだよ」

「そ、それは…!! し、心神喪失しないよう心せねばなりませんね!」

 タイタが目を輝かせて頷いた。

「やめろ、僕の沽券に関わる」

「いいじゃないですか、私が過去に興味持つのは構わないんでしょ。師匠」

「そういう言い方もやめてください」

「師匠って呼んでほしかったんですよね師匠」

「むぐう」


 懐かしいな、師匠って呼んでた頃。

 魔法の事も何も分からなくて、ただ闇雲に試したり本を読み漁ったりしていた。練兵場のベンチに座ってザコルと色んな話をした。あれからまだ一年も経っていないなんて。もうずっと一緒にいたような気さえするのに。


 こうして意見を違えていても、彼を信じる気持ちは変わらない。

 彼も、正しい。そう私が納得すれば済むことだ。

 僕を信用しろ。ええ、言われなくとも。


「解ってますから、大丈夫です」

「ですから……っ」

「ですから何ですか?」

「……っ」

 ザコルは言葉を詰まらせたまま、何かを言おうとしてはやめ、言おうとしてはやめている。挙動不審だ。

「ふふっ」

「何を笑っているんです! ぼ、僕を許そうとするな!」

 だったら謝ろうとなんてしなければいいのに。私はそんな言葉を喉の奥にしまい込む。


 ◇ ◇ ◇


 夜更けの道を、私達は連れ立って歩く。

 かくして、私の人生で一番濃かったであろう四日間が終わりに近づいている。


 水害に遭い、濁流を目の前にし、山の民や町の人と怒涛の夜を過ごし、イーリアやマージに出会い、同志がやって来て、治癒能力が発覚し、邪教に狙われ、曲者を捕縛し、熱湯が沸かせるようになり、求婚され、コマが現れ、さらに魔法に関する新しい事実が発覚し…。そろそろ本気で知恵熱を起こしそうだ。


 コマは今夜どうするのかと思っていたが、私達について来て同志村に身を寄せるつもりのようだ。

「同志からの借り物なのに何なんですが、私達のテント、五人で寝るには少々狭いですよ、大丈夫ですか、寝られます?」

「さっき町長から、お前らとなるべく行動を共にしろと釘を刺された。監視下にいろってことだろ。だから心配される筋合いはねえ。勝手にさせてもらうぞ」

「それは別にいいんですけど…」

「それよか、同志ってのは何なんだ。町中に入ってからずっとついて来やがる気配も同志とやらか?」

「え、ついて来てます?」

 ザコルの方を見ると頷いた。

「はい。今日もずっとギリギリの距離から見られ続けていましたよ。あの、明日、一緒に訓練するんですよね?」


 さわさわさわ、さわさわさわ

 お馴染みの葉擦れの音だ。


「ずっとって、マジかよ…」

 エビーが眉を寄せる。

「大丈夫です。僕が目配せしたら、町外れの方にはついてこないでくれましたので」

 馬小屋風の牢の前で繰り広げていたことに関しては見られていないらしい。最強工作員が言うからにはきっとそうなんだろう。

「いや、これ、結構コミュニケーション取れてません…?」

 ザコルは直接お礼が言いたいようだが、もう既に会話できているとも言えないだろうか。

「タイタ、見られてるのに気づいてた?」

「いえ、たまに気配はするなと思っていましたが…。あれの存在に気づくのみならず意思疎通まで図っていたとは。流石は猟犬殿です」

 タイタは満足そうに頷いた。


「そんであいつらは何だ。この領の隠密部隊か何かか?」

「いえ、この領の人達じゃないです。深緑の猟犬ファンの集いメンバーですよ。タイタの呼びかけに応じて、水害があった翌日には支援部隊を組んで駆けつけてくれたんです。タイタが創始者で、結構な規模の組織みたいなんですよ」

「いいえ、違います。創始者で会長はオリヴァー様です。俺はお手伝いしているだけで」

「そのオリヴァーを猟犬沼に落としたのはタイタでしょ。それにメンバーの顔と名前、全員覚えてるって言ってたよね」

 実質この集いを運営しているのはタイタなのだろう。

 もちろんオリヴァーの意向を汲みつつだろうが。

「赤毛、お前すげえな。親父を捕らえにきた刺客を崇めてんのもイカれてやがるが、その刺客のために妙な組織まで作って陰から操ってんのか。やっぱお前は暗部で取るべきだったな、俺の判断ミスだ」

 コマはよほどタイタを気に入ったらしい。

 彼はどう見ても軽々しく自分のミスだなどと言うタイプではない。

「まさかミスなどと。ただ俺が未熟だったというだけでしょう。それに、暗部に入れなかった事は残念ですが、あの時コマ殿が止めてくれたからこそ今の自分があると思っています。結果的に今、猟犬殿の同僚となる事もでき、氷姫様の護衛に選ばれるという栄誉をも賜りました。ファンの一人として、お二人のお力になれた事、これ以上の幸運があるでしょうか、いや、ない!」

 反語だ。

「簡単に靡かねえとこも気に入ったぜ。マジでテイラーから出るような事があればジークに来いよ。退屈しなさそうだ」

 コマはタイタを見上げて笑った。




 門で守衛のモリヤに挨拶し、同志村にたどり着くと、ピッタが出迎えてくれた。


「皆様おかえりなさいませ…め、め、めめめ女神が…増えた…!?」

 ピッタはコマを見て雷でも受けたように震え、硬直した。


「コマさん、この子は同志の一人が連れてきた部下の子です。ピッタ、この女神はコマさん」

「女神じゃねえ、俺は男だ。訳あってこいつらと行動を共にする事になっちまった。世話はいらねえが、こいつらのテントで寝起きさせてもらうぜ。よろしくな」

「男神…!? そんな馬鹿な、そんな事があっていいんですか、こんなにも美しいのに…!?」

 気持ちは分かる。正直、コマの可愛さ美しさは、見てくれが珍しいとかいうレベルを超えている。


「ピッタ、先に寝ていて良かったのに。それに今日女性の部下さん達にお湯を用意するはずだったのに、間に合わなくてごめんなさい。明日必ず用意するから、都合のいい時間帯があれば教えてほしいです」

「いいえ滅相も……あっ…! そ、それでしたら…。明日、もし可能であれば浴槽の試運転の際、女性スタッフを同行させてもよろしいでしょうか。女風呂の湯足しなどは女性スタッフがいた方が安心でしょうし、使い勝手などでアイデアも出るかもしれません」

「なるほど。使い勝手を試すために入ってもらうんだね。いいね、そうしようか。流石ピッタ。さすピタだよ。それから、もしパンツスタイルの動きやすい服があれば貸して欲しいんだけれど…。私が着られるサイズで、余分があれば」

「承知しました。後でテントに届けますね。それからザコル様、ありがとうございます。明日はリーダー達と鍛錬を一緒にしていただけるとか」

 ピッタはザコルに丁寧なお辞儀をした。

「一緒に鍛錬をするというのはエビーの案です。彼らも喜んでくれるといいのですが」

「それはもう喜ぶに決まってます! そっ、それで、わっ、私も御用聞きがてら見学してもいいでしょうか…! もちろんお邪魔にならないよう端っこにおりますので!」

「もちろん構いません」

「ピッタ、良かったら近くで見てってよ。そうだ、私と一緒に柔軟なんかもしない?」

「な、なんと…!! 勿体なきお言葉!! 心頭滅却にて臨みます!!」

 まるでドーシャと同じような事を言う。

 ドーシャとピッタは兄妹なのだそうだ。確かに顔立ちもどことなく似ている気がする。


「思った以上の規模の支援部隊だな…。俺は門の反対側から入ったからな、気づかなかった」

 門外に広がる同志村キャンプを見回し、コマが感心したように言った。

「おい、ねーちゃん」

「わっ私でしょうか!?」

 ピッタが裏返った声で返事をする。

「俺は、他領から来た工作員だ。一応滞在の許可はもらってるが、あまり重要な事は俺の目に晒すなよ」

「工作員、しょ、承知しました…。しかし私達はあくまで平民の素人集団ですので、そうそう重要な物証などの持ち合わせはありませんが…」

「あの同志とかいう輩どもはどう見ても素人集団じゃねえだろ。それにこの規模だ。お前ら背後に貴族もいんだろが」

 コマは何を言いたいんだろう。

 ザコルがスッと私の耳元に顔を寄せた。

「コマは、王弟派の貴族や、王弟の手が及びやすい下級貴族が支援していた場合を危惧しています。この支援はあくまで個人的な厚意によるものでしょうが、王弟にサカシータ領の支援をしたと知られれば、その貴族が王弟によって処分される可能性もありますから」

「な、なるほど…優しいですね…」

 お願いだから急に耳元に囁かないでほしい。心臓が飛び出るかと思った。馬上でかなり慣れたと思ったのにな…。

「コマ殿、お知りになりたいのであれば、俺から今回の支援に関わっている貴族メンバーをお教えしましょう」

 タイタが進み出て言った。

「はあ? いいのか、派閥ってもんがあんだろ」

「構いません。我々はどこの派閥に属しているという以前に、猟犬派の犬なのです。かの方は猟犬殿を貶めました。猟犬の敵は我らの敵です。それぞれの立場を最大限に利用して追い詰める事でしょう」

 ニコォ…、とタイタが不敵に笑う。

「赤毛お前…。国賊一歩手前の発言だって解ってんのか? …まあいい。もらえる情報はもらっとく」

「承知いたしました。では後ほど」

 タイタは丁寧な一礼をコマに返した。猟犬派の筆頭はコマを猟犬の味方と判断したようだ。

「僕には教えてくれないのに…」

 推しに認知されたくないとかで、支援者の一部しか明かしてもらっていない猟犬本人が不満そうな顔をしている。


「ほらほら、今日はもうさっさと寝ましょう。寝ないとマジで倒れますよミカさん」

 エビーが私達の背を押す。

「明日ちゃんと起こしてね。猟犬ブートキャンプ参加したいから」

「はいはい。置いていったりしませんから。タイさん達も寝ますよ! 話は明日!」

「あ、先に行ってくださいますか。私はコマ様の寝袋を取りに行ってから参りますので」

 ピッタがシュタッと手を上げて言った。

「別に構わねえぞねーちゃん」

「ダメです! この地方の冷え込みを舐めては! 神を凍えさせたとあっては罰が降りますので!」

 そう言うとピッタはどこかのテントに向かって走り去って行った。


「何で俺が神になってんだよ…」

「面白いでしょうコマさん。同志村、あんなのがたくさんいます」

「そうか…。お前の周りはイカれた奴ばっかりか、猟犬」

「お前にだけは言われたくない」


 エビーにグイグイと押されてテントに着くと、ピッタが寝袋を抱えてダッシュで戻ってきた。



つづく


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