壊してもいい壁と壊すとマズい壁は覚えておけよ
「いいぞゴーシ、離せ」
ドシュッ、ドォン!!
私が扱う弓の音とは明らかに違う、重い音が響く。
矢の行先に顔を向ければ、分厚そうな石壁に思いっきり風穴があき、パラパラと欠片が崩れ落ちているのが目に入った。遅れて、壁の上に積もっていた雪がどさりと下に落ちる。
「やっべえ…」
「何という…」
「ランチャーロケットかな…」
衝撃の余波で新雪が粉塵のように舞っているという非現実的な光景に、私達は無事語彙を失った。
「なんだこの弓…!」
「ゴーシ兄さますごいです!! 僕じゃ、ちからが足りなかったのに…」
「イリヤもすぐできるようになるだろ。がんばり屋だからな。てかこれ、自分で石なげるよりつよいんだ。すげーなあ」
ゴーシが大きな弓を空に掲げ、眩しそうに見上げる。
ただ石を投げるだけで普通の矢もかくやという威力が出るのはサカシータ一族っ子あるあるで、それもまた非常識ではある。しかし強弓ならばさらにその何倍もの破壊力を引き出せるようだ。第二の『歩く火薬庫』爆誕の予感である。ちなみに歩く火薬庫とは、他国で普及しているザコルの二つ名だ。
「これなら熊だろうが何だろうがほぼ一撃で仕留められる。肉が派手に飛び散るので狩猟目的には使えんがな」
「えっ、かりには使えないの」
「見てみろ、あの穴を」
ゴーシとイリヤは石壁に開いた大きな風穴に目を向ける。
「? あの穴、ダメなんですか?」
「…そっか、あれじゃあ食べるとこなくなっちゃうんだ」
「そういうことだ」
ゴーシは、威力が強すぎて的になった相手が弾け飛んでしまうことをイリヤに説明した。意味が解ると「ひぇ…」と少年は悲鳴を漏らしたものの、コクコクと頷いた。
「危険なので子供だけでは使わせられんが、この邸の中でならいくらでも使うがいい」
さっきから弓と矢の素材が気になって仕方ないのだが……まあ、後で訊いてみよう。
「ジーロ様、あの石壁は…」
ララが恐る恐るジーロに訊ねる。
「はは、細かいことは気にするな。あの壁の向こうはどうせ敷地内、人がいないのも確認済みだ。いいか甥達よ。壊してもいい壁と壊すとマズい壁は覚えておけよ。今壊した壁はいいが、あっちの見張り台の付いている方の壁はマズい。外を歩く人間に当たるかもしれんし、ネズミに通り道を与えることにもなりかねんのでな」
『おぼえました!』
「よし、お前達は実に聞き分けも行儀もいい。愚弟とは大違いだ」
わしわし。ジーロは満足げにゴーシとイリヤの頭を撫でた。
「ジーロ…。君だって決して行儀がいい方じゃあないんだけど…?」
ぬっ。どこかからオーレンが現れた。
「おお父上ではないか。今日はどこにいたのだ」
「邸にいたさ」
「そうか。あまり秘密が多いと味方しかねるぞ父上」
ジーロは甥達に向けた笑顔のまま釘を刺す。
「まさかまさか、秘密だなんて」
「そうかそうか、どうだかなあ」
ジーロの目が全く笑ってない。寛容そうな彼でもあんな顔するんだな…。
「おじいさま、みおくりにきてくれたんですね!」
おじいさま推しの少年が顔を輝かせる。
「そうだよ、また遊びに来てほしいからね。リコはどうしたんだい、ゴーシ」
「リコはもう馬車に乗ってます。ほしりんごもらったからって」
「あ、ゴーシくんの分もあるからね。これどうぞ」
「よっしゃあ! おれりんごだいすきー!」
受け取った紙袋を高く掲げ、少年が跳び回る。干し林檎にこんなに喜んでくれる小学生男子。ほっこり。
「ありがとうございますミカ様。あんなにお世話になったのにお土産まで。あ、カクニというお肉料理も美味しすぎて死ぬかと」
「ふふっ、ルルさんと同じこと言ってる」
待ってちょうだい! と遠くから声がする。ザラミーアだ。
「ああ、よかった、間に合ったわ…」
淑女らしくなく息を切らせた彼女に、夫が寄り添う。
「ザラ。どうしたんだい、君は」
「コリーが代わってくれたのよ。ミカが卵料理を作ってくれたからって…」
「卵料理で? 本当に?」
オーレンとザラミーアの視線が私に集まった。
「えっと、角煮と出し巻き卵もどきを作りました。それだけですよ」
ふう、とザラミーアが息を整える。
「ミカへのお礼は改めるとして。ゴーシさん。せっかく遊びにきてくれたというのに、あまりお話しできなくって私は寂しいのよ。またすぐに来てちょうだい、待っているわ」
「はい、おばあさま。ザコルおじさまがしゅくだいを出してくれたので、できたら見せにきます」
「まあ、宿題ですって? コリーがそんな教師のようなことを?」
「はい! ザコルおじさまが使ってた教本をかしてくれて、おてほんをたくさん書いてくれたんです。せいじょさまが、おれのためにそうしろって、紙もたくさんよういしてくれたんだって」
「そう、ミカが…」
またお前か、という目で見ないでほしい。教えたそうにしていたのはお宅の息子さんです。
「ザコルおじさまがね、よみかきけいさんはさっさとししゅーとくして、ほーこくしょや、あんごうかいどくのれんしゅうを始めようって言ってたんです。サイテーゲンのそようで、ブジンのたしなみなんだって!」
難しい言葉に惹かれるお年頃なゴーシだ。
そういえば以前、ザコルが報告書作成や暗号解読を最低限の素養だと言っていた。武人の嗜みの範疇だとも…。
「あんごーかいどく? なにそれ、カッコいいです!」
「だろ!? おれ、ぜったいすぐによみかきできるようになる! でんせつのこーさくいんがつかうあんごー、めっちゃ気になる…!」
「いいなあいいなあ、僕も先生に教えてもらいたい!」
「教えてもらえよ、先にならっといていいぜ。すぐ追いつくからな!」
暗号解読ならば商会女子の一人に天才っぽい子がいるのだが…ここで口に出すのはやめておこう。
天才と言えばシータイの町長様も暗号作成のスペシャリストだ。というかザコルが工作員寄りに育ったのはお世話係だったマージの影響が強いのでは…。
「暗号…。まあ、目標があるというのはいいことね。あの子の教本は半分以上マージが持ち出した記憶があるのだけれど、返してもらったのかしら」
ザラミーアは再び私の方を伺う。
「はい。私が読みたいと言ったらお譲りくださいました。私もまだまだこの国の言葉や歴史を勉強中の身なので、ありがたかったです」
「せいじょさまが読みたかったの? おれがかりちゃってだいじょうぶ?」
「うん大丈夫。ザコルの教科書は手元にあった分とこの邸にあった分も含めて全部読み終わったし写しも作ったから。あ、もし宿題が早く終わっちゃったら教科書を片っ端から写本するのもおすすめだよ」
「しゃほん?」
「本を最初から最後まで全部他の紙に写すってこと。本を返してからも見返せるし、単純に書く練習にもなるからね。紙が足りなくなったらあげるから言って」
「うん、いっぱいもらったからたぶんだいじょうぶ…」
ゴーシは曖昧に頷いた。
「出たよ、姐さんの写本原理主義」
「原理主義て」
そんな過激な手段を勧めたつもりはない。手間はかかるが、コピー機のないこの世界ではむしろオーソドックスな手法ではなかろうか。
「片っ端から写本、ミカあなた、どこにそんな暇が…」
「隙間時間ですよ」
ザラミーアは説明を求めるようにうちの騎士達の方に視線を移した。
「新しいエコの取り組みだそうです、ザラミーア様」
「うちの姫は仕事か勉強してねえと死ぬタイプの種族っす、ザラミーア様」
ふう、とザラミーアが息を整え、そして遠くを見た。
「もっと訳がわからなくなったわ…」
混乱させてしまったようだ。
「そんなに難しいことではありません、ザラミーア様。言葉通り、用事と用事の間に発生するちょっとした時間のことですよ。お宅の息子さんも隙間時間に羊っぽいものを大量に作ったり省略語を開発したりしてます。ソロバンも目を離した隙にほぼ習得してて、私がやっていた教本の叩き台作りも手伝ってくれました。おかげでほとんど終わってるんですよ、凄いでしょう?」
個人的な勉強に時間を割けたのも、ザコルが私の仕事を横取り……いや、どんどん手伝ってくれたおかげである。
「あなた達って本当に似たもの同士なのねえ…。いいかしらゴーシさん。あの二人を基準にしては後で無理がたたるかもしれませんからね、ほどほどに、自分のペースで頑張ってちょうだい」
「はい、おばあさま。おれ、がんばります!」
かくして、双子姉妹とその子供達を送り出し、サカシータ子爵邸は少しだけ静かになった。
つづく




