不貞の証拠
浴室で丁寧に洗い上げられ、髪を梳られ、洗い立ての山の民スカートといつものニットを着る。また素敵なワンピースを勧められそうになったが、イーリアと会談した後はテントに戻って寝る予定なのだ。そんなオシャレ着では動きづらくてかなわない。
私の後にはザコルがさっと入浴に入ってすぐに出てきた。さすが自衛隊かという早さである。
その後はエビーがタイタをなんとか叩き起こして浴室へと連れていった。
先に出たザコルと共に別室で待つコマの元に案内され、腰を落ち着けると、先程のメイドちゃんがワゴンを押して食事を持ってきてくれた。
「ザコル様。ミカ様。お嬢様。お食事をお持ちいたしました」
「だから俺はお嬢様じゃねえっての」
「えっ」
メイドちゃんは新しい客人が男性だとは聞いていなかったのだろう。見た目に反する口調と低い声に驚いたようだ。
「俺はその猟犬の元仕事仲間だ。男だからな。周りに言っとけよ」
「しょ、承知いたしました…」
メイドちゃんはコマに非礼を詫び、一礼した。
「…ミカ様、どうしましょう、私、女としての自信が一欠片も無くなりそうです…」
メイドちゃんは給仕をしながらそっと呟いた。
「私もだよー。ライフはゼロだよー。でも、これだけ可愛かったら引き立て役のモブでも悔いなしかな。あ、メイドちゃんはとっても可愛いから自信持って。コマちゃんにも負けてないからね」
「誰がコマちゃんだ。俺は男だっつってんだろ、警戒しやがれボケカス」
警戒しなきゃいけない人はそんな事言わないもん。
「コマ様はミカ様とも仲がよろしいのですね。分かりました。変な気を起こさぬよう患者達には言い含めますので」
「よろしくね。多分、危ない目に遭うのは患者さんだから」
元暗部だし、きっとコマも強いはずだ。牢ではザコルの投擲攻撃を難なく避けていた。
「ふふ。きっとそうなのでしょうね。患者達はミカ様が部屋を回ってくださったのが相当嬉しかったようです。塞ぎ込んでいた者もいたのに、みんな笑顔になって。本当にありがとうございました」
メイドちゃんがまた頭を下げる。彼女は本当に親身になってお世話しているようだ。
…どちらかと言えば、メイドちゃんに変な気を起こす者の方が多そうだし心配になってきた。
その後、すぐにエビーとタイタも入浴を終えてやってきて食卓に加わった。メイドちゃんが丁寧なお辞儀と共に退室してゆく。
「この四人にコマさんが入って一緒に食事してるの不思議ですね。改めまして、また会えて嬉しいですよコマさん」
「俺は全く嬉しかねえ。一日半もあそこにいたんだぞ。遅すぎだろお前ら」
「コマさんが捕まってるとは思わなかったもので…」
勝手に領境を超えて捕まったのはコマなので八つ当たりしないでほしい。
「何もなければもっと早く見に行ってたんですけどね。午前中マージ様が綺麗なワンピースを貸してくださって、町を回ってくれと…」
浴槽の話をしに行っただけだったのに。どうしてああなった。
「ミカ、僕は、その」
「あ、ザコル、気にしないでください。ちゃんと嬉しかったですからね」
不意打ちでも茶番でも何でも気持ちは嬉しい。出会ってまだ一年にも満たない私に、家族になろうと言ってくれた。
「……いえ。ありがとうございます、ミカ」
「お礼を言うのは私の方でしょう。私に、ここで守られていていい理由をくれたんですから」
あやふやだった立ち位置に名前をつけ、仮でもこの領の関係者にしてくれた。
そうでなければ王弟だかラースラ教だかの相手をする義理なんて、この領の人達には本来無いはずなのだから。理由はそれだけじゃないかもしれないが、きっとこのためにも急いでくれたのだろう。
「違う、そうじゃ…」
「何言ってんすかミカさんが必要なのはこの唐変木の方っしょ。…ってえ!! 何しやがる変態! そ、それに今更、理由なんてなくても町の人達は死守してくれますって。何てったって聖女様なんですしー」
エビーはザコルに足を踏まれたらしく、テーブル下の足に手を伸ばしている。
「聖女、は正直勘弁して欲しいんだけどな。エビーに政変の話ってしたかな?」
「してもらってねえすよ。でも、動きがあったんでしょう。心配要りませんからねテイラーの事は。セオドア様は、元よりそのつもりでここにミカさんをやったんです」
渡り人を王都から遠ざけ、奪いにくくするつもりで、か。
私にどれ程の価値があるというのだろう。その辺りももう少しはっきりさせたい。
「おい金髪、テイラーはどう動くつもりだ」
コマがエビーを横目に言う。
「さあてね。俺は氷姫の心身を守れとしか言われてねえんで。コマさんもそうじゃないんすか。俺らみたいなもんにゃお偉方のご意向なんて関係ないすよ。言われたもんを必死で護るだけです」
「ケッ、てめえみてえな若造に説かれなくてもんなこた解ってんだよ」
コマは目の前のスープにパンをドボンと浸け、乱暴に噛みちぎった。
「あの……皆さん、少し、俺の話をしてもよろしいでしょうか」
タイタがスプーンを置き、居住まいを正すようにして言った。
「何だ赤毛。ジークに移籍する気になったか」
「そ、そうではありません。カニタ殿の話です」
エビーと私が同時に顔を上げる。
「カニタさんの事、私も気になってたよ。話して、タイタ」
「はい。ありがとうございます」
タイタが律儀に頭を下げる。
「あ、あの、カニタ殿は、前々から俺の仕事を管理したり、色々と面倒をよく見てくれていました。俺をチッカに残す際にも指示をくれて…。そう、ザコル殿とミカ殿の様子を記録して個人的に報告するようにと、それから、二人は当然同室に泊まるからそのようにはからえと。たとえエビーに反対されても、二人のご意向を尊重しろと」
「え…。記録ってカニタさんの指示? それにタイタ、私達が推しカプだから同室を勧めてた訳じゃなかったの?」
「もちろんそのような気持ちはありました。その上、カニタ殿がそう言うのならば間違いはないのだろうと思い、勝手に納得していたのです。それから、カニタ殿は、ミカ殿が神に選ばれし者だとも言っていました。俺は、単にそれが猟犬殿が選んだ相手だという解釈をしていたのですが」
思わずエビーの方を見ると、エビーもまたこちらを見た。そしてタイタへと向き直る。
「タイさん、そんでカニさんに何か報告ってしました?」
「一度だけ。チッカのホテルから一度だけ手紙を出した。あの時は、その、あの件には触れず、ただお二人には並々ならぬ絆があるようだと。お互いを必要とし、幸せを願っているようだと書いた。不安を打ち消すように抱きしめ合う光景も美しかったと。それきりだ」
まさか、王弟の言う不貞の証拠っていうのは…。
「その手紙は翌朝すぐにカニタ殿が指定したジーク領の宿宛に送り、その後俺はミカ殿に反省文と旅の計画書を提出した。その後は知っての通りだ。ミカ殿やお前にも諭されたし、俺は記録をやめた。一言一句覚えていれば、手紙にせずともそのうち報告する機会もあるだろうと思って」
「これは、やられましたかね…」
エビーが渋い顔で言った。
「や、やはり、あの指示はおかしかったでしょうか! 申し訳ありませんミカ殿! この俺の察しが悪いばかりに…! この処分は如何様にもなさってください!!」
タイタが席を立ち、勢いよく頭を下げた。
「待って、タイタは大した事してないよね? それに、私が頭ごなしにタイタを叱っちゃったからだよね…。もっと話を聞けばよかった。思えば私がパズータで君を責めた時、何か言いたそうだったじゃない。でも私が捲し立てたから…」
「そ、そんな事は断じてありません! 俺が、カニタ殿を引き合いに出すのは卑怯かと考えて逡巡していただけの事です。それに俺が、カニタ殿の指示を正しく理解できていなかったのかもしれないとも思っていたので…」
タイタはそこで一息つき、迷ったように目線を彷徨わせた。
「あ、あの、カニタ殿からもよく、お前は空気の読めない、言われたことしかできない、人を苛つかせる天才だと言われていました。俺もその通りなのだろうと思っていて…。ミカ殿に叱っていただいた後、色々と考えたのですが答えは出ず、とりあえずはミカ殿とエビーの言う通りにしようと切り替えました。何よりご本人のおっしゃる通りにした方がいいだろうと」
「………………ふーん」
「ミカ。鎮めてください。僕が吊し上げますから」
「どうぞザコル殿!!」
タイタが自首よろしく、両手を揃えてザコルに差し出す。
「君じゃありません。カニタをです。他に、カニタにされた仕打ちはありますか」
「い、いえ、仕打ちという程の事は」
「では、カニタにされて困った事はありますか」
「困った、事は…」
タイタは一瞬逡巡する。が、観念したように口を再び開いた。
「さ、酒を、無理に飲まされるのには少々。飲めないのは騎士失格だと言われるのはもっともなのですが、任務に支障をきたしますので。それから剣を棄てられたり、酒瓶で打たれたりするのも…。せっかく上から支給いただいた物だというのに申し訳なく、また、痕が残るとオリヴァー様を心配させますので…」
「付き合いの期間は」
「俺が、オリヴァー様のお相手をし始めた頃からですので、四年と少しの付き合いです。カニタ殿はさらにその一年程前に、他領で不遇な目にあってテイラーに移籍してきたと聞いています。自身が人付き合いで苦労したからこそ、そのノウハウをお前に教えてやると声をかけてくれまして…」
ザコルが、はあ、と溜め息をつくと、タイタはまるで叱責を待つかように表情をぎゅっと引き締めた。
「なるほど。不思議ですね、自分がされてもどうとも思わなかったような事が、こんなに腹立たしく思う日が来るなんて」
「は……」
タイタがザコルの言葉にキョトンとする。
「おい、この赤毛を四年も無駄遣いしてやがったカニタとかいう輩、今どうしてんだ」
コマはエビーに訊ねた。
「チッカで合流した後、ザコル殿とミカさんの無事と、こまごまとした報告を持ってテイラーに向かったはずすよ。ミカさんからアメリアお嬢様に宛てた手紙も預かって…」
エビーが言葉を切り、こちらをチラッと見る。
「……どーしよ」
「ミカさん、やっぱ、何かやべえ事書きました?」
「魔法を使わないと体調崩すみたいだって書いちゃったよ。あと、ザコルへの愚痴も少し…」
「愚痴?」
「あ、いや、愚痴って言っても大した事じゃないよ。ほら、彼、耳がいいでしょ」
「ああ、その件すか。それくらいなら別に…」
…本当はそれだけではなかった。
あくまでホノルやアメリアが楽しく読んでくれればという前提で、旅の詳細を面白おかしく綴ってしまった。
隣室で生活音が筒抜けだったというのはもちろん、山小屋で清拭していたら薄いカーテンの向こうに普通にいて私の独り言に普通に返事してきたんだよ信じられる? とか、馬上でされたこととか…少し、だけ…。
脳内で言い訳をしていても仕方ないのだが、もちろん愚痴ばかり書いていたわけではない。山や森で見た美しい景色や、親切にしてくれた人々、美味しかった食べ物など、そういう話題の合間合間にちらっと触れたくらいだ。言われて嬉しかった言葉なんかは、むしろ気恥ずかしくて書けなかった。
ザコルがサーラ様達に叱られてはいけないので、魔力に関する報告とは別にし、二重封筒にして『アメリアへ』と記した。
カニタがよからぬ目的で開封していたら、二重封筒など何も意味をなさないだろうが…。
「………………」
ああ、ザコルが遠い目をしている…。独り言にしたつもりはないが、察してしまったんだろう。
「終わったな、猟犬。ああ、俺は犬が姫を泣かしてただの、耳食んでただのなんて報告はマンジ様にもしてねえからな」
「耳を、食んでた…?」
コマの言葉に、エビーがザコルを凝視した。ザコルはその視線から逃げるようにあらぬ方向に身体ごと背けた。
「さ、最近は食んでいません。馬にもしばらく乗っていませんし」
「そういう問題じゃねえんだよこっち向きやがれこのド変態が!!」
エビーがザコルに掴みかかる。
「てめえよくもその素行で同室だけは避けねばとかキリッとした顔で言ってやがったなあ!?」
「ぼ、僕は少なくとも、人目のある場所での同室宿泊や不貞らしき行動は避けるべきだと言いたかっただけで…」
ザコルがかたくなに主張していたのは王弟対策だったのか…?
それならそうと『後々面倒な事になるから同室は避けてる』とでも言ってくれれば…んん、まあ、言ってたか。ザコルの言い方が自分を貶めてるように聴こえて、私が勝手に突っかかっただけだ…。
ザコルはエビーの殴ったり蹴ったりを全く動かずに受け止めていた。どうやら反省しているものらしい。
「はあ…。まだカニさんがクロって確定したわけじゃねえすけど…ミカさん直筆の愚痴じゃあな…」
「まあ別に何だっていいだろ。どうせ不貞の証拠なんざ無くてもでっち上げるつもりだっただろうしな」
はん、とコマが投げやりに言う。もしや、私やザコルへのフォローのつもりだろうか。やさしい…。
「あ、あの、俺の書いた手紙もその、ふ、不貞の証拠に…どうか処分の程を…」
タイタはまだ縮こまっていた。
「あのね、タイタ。カニタさんの言動は確かにおかしい。でも、タイタを責める理由にはならないよ。タイタが書いたっていう手紙も、聞く限りじゃそんなに問題があるとは思えないもん。実際にカニタが王弟と繋がっていたとすれば、墓穴掘ったのはどう考えても私でしょ」
あの手紙を書いた時は魔力酔いが解消した直後でテンションもおかしかったしな…。言い訳だが。
「悪いのはこのクッソ不貞野郎だろ!」
エビーがトドメとばかりにザコルの足を踏みつけた。
まあとりあえず、だ。目の前で縮こまった青年をストレスから解放してやらねばならない。
「タイタ、おいで」
タイタが黙って私の前で跪く。せっかくお風呂に入ったのにタイタの額には冷や汗が浮かんでいた。
「手を出して」
おずおずと出された彼の手を両手で包む。剣ダコのしっかりついた頼もしい手だ。
「まずは、正直に話してくれてありがとう。それから、気づいてあげられなくてごめんなさい」
「そ、そんな、またどうしてあなた様が謝るのですか!」
「ううん、タイタを教育してるのは誰かって思った時点で、私には違和感があったんだよ。もしかしてあの反省文なんかも日常的に強要されてたのかな」
「それは…」
「本当に、もっと話を聞けばよかった。カニタさんは恐らく、跡取りであるオリヴァーの側付きに選ばれたタイタに嫉妬したんだね。その後も、私の護衛隊に選ばれて一緒になってしまって辛かったよね…。この数ヶ月間、カニタさんとはずっと二人で行動してたでしょ?」
「は、はい、そうですね、ここの所、俺の仕事はほとんどカニタ殿が管理していたので。…そう、反省文も夜を徹して書くのが相手への礼儀だと…。しかし辛いなどとは。氷姫様の護衛隊に選ばれたのは、俺にとって大変な栄誉でありましたから」
タイタの目に嘘はなかった。
彼としては、本気でカニタからの仕打ちを些細な問題だと思っていたのかもしれない。
「タイタのその真っ直ぐで綺麗な心に、私はいつも救われているよ」
カニタの言動に違和感を覚えつつも、それでもまだはっきりカニタを糾弾しない。元来の純粋さや、仲間を邪険にできない育ちの良さといった長所も、きっとあだとなったのだろう。
そんな子につけ込んで、自分の劣等感のはけ口にするなんて。
「許さない。パワハラ、職場いじめ、撲滅すべし。シロでもクロでも、可愛いタイタの使用料はきっちり請求してあげるからね」
「あ、あの、請求、とは」
「ふふ」
私はにっこりと笑い、タイタの手を撫でた。
「ヒュン…」
妙な事を呟くエビーの方に向き直る。
「エビーは今までタイタとそれ程関わりが無かったようだけど、孤立してた?」
「え、あ、はい。そうすね。話そうとするとすぐカニさんが入ってくるんで…。ただ世話好きなんだと思っちゃってたんすけど…。すいません、タイさん。俺も気付けなくて」
タイタは首を横に振った。
「何故お前まで謝る。エビーはずっと俺に態度を変えずにいてくれただろう。俺を避ける者も多かったのに…。それに、カニタ殿が俺に指導や助言をくれている事は、ハコネ団長や伯爵家の皆様もご存じない事だ。お前が知らなくとも無理はない」
「ふうん…指導に助言ね」
大雑把そうなハコネはともかく、あの隙の無さそうな伯爵家の方々にも悟らせないなんて余程巧妙に隠していたようだ。こうしてタイタをカニタから何日も引き離すような機会が無ければ、この先もずっと隠されたままだったかもしれない。
「分かりました。僕がどうにかしておきます。ですからミカ、そんなに怒らないでください」
復活したらしいザコルがキリッとした顔で言った。
「王弟派の誰が何をカニタに吹き込んだか知りませんが、もし本当ならカニタも王弟も跡形もなく消してあげましょう、僕が」
「…ああ、初めて頷きそうになっちゃった。ダメダメ」
ザコルが不満そうに眉をしかめた。
「ミカ、あのような者共に慈悲など」
「いえ、慈悲なんかじゃないです。消すなんて生ぬるいじゃないですか。そうだ、まずはオリヴァーに相談しましょう」
タイタの顔色が明らかにサーッと悪くなった。
「い、い、いけません! オリヴァー様にご相談などしたらカニタ殿がどんな目に遭うか…!! せめて人道的な処置をミカ殿がお考えくださいませんか、お願いします…!!」
彼はまたもや頭を下げる。
「ふうん、何だ、オリヴァーに知られたらマズいとはタイタも思ってたんだね? そうだよねえ。じゃあ尚更教えてあげなきゃ」
「た、大した事ではありませんから!! 何卒お慈悲を…!!」
「おい、テイラーの跡取りはまだ十になったかどうかのガキのはずだろ、何をそんなに…」
コマが私と青ざめるタイタを交互に見やる。
「テイラーの愛は重いらしいんですよ。まあ、オリヴァーがどんな手段を選ぶかは分かりませんが。タイタはオリヴァーのお気に入りですからね。知ればタダでは済まないでしょ。でも心配要らないよタイタ。エビーとしっかり内容を考えて手紙を書くから。ね、エビー」
「ええ、もちろんすよ」
「た、頼むぞエビー、カニタ殿に罪がなければどうか穏便に…」
「見くびってもらっちゃ困りますよお。俺はタイさんの味方すからね」
あ、悪い顔してる。これはエビーも怒ってるな。
洗いざらい、何なら盛りに盛って書いてやるとしよう。
「それから、本当にごめんなさいザコル」
「いいですか、僕にこれ以上謝らないでください」
「ううん、私が手紙に余計な事なんて書いたばっかりに…。お詫びと言っては何ですが、少しなら耳食んでもいいですよ」
「………………」
「何黙ってんだすぐ断りやがれ変態!」
エビーがゲシっとザコルの胴に蹴りを入れた。
◇ ◇ ◇
食事を終え、五人で町長の執務室へと向かう。
私のモチベーションはすこぶる高い。
王弟とやらは間接的とはいえ、タイタを利用しようとした可能性が高いのだ。
許すまじ王弟。私達の可愛いタイタを悩ませた罪は重い。愚痴手紙の事は一旦棚に置く事にした。
扉をノックすると、中からイーリアの側近の一人である屈強な男性が開けてくれた。イーリアは今朝と同じように、一人掛けのソファに優雅に脚を組んで座っていた。側にはマージが立って控えている。
「義母上、参りました」
「お待たせして申し訳ありませんイーリア様、マージ様。お時間をいただきありがとうございます」
「ああ、待ち侘びたとも、礼を言いたくてな。ミカ、先程のフラッペとやら大変美味だった。ぜひまた相伴に預かりたいものだ」
「もちろんです。材料さえあればいつでもお作りします」
「そうか。ではまず養蜂家の育成と規模の拡大に力を入れる事にしよう。甘味は正義だ」
ふふ、と私と顔を見合わせて笑う。
イーリアの目線は、扉近くで頭を下げたまま動かないコマへと移る。
「義母上、こちらはコマという者です。元暗部の同僚で、今はジーク伯の使いとしてここにいます」
「そうか、そなたが。サカシータ子爵が第一夫人、イーリア・サカシータだ。愚息が随分と世話になったようだな。一度礼をしたいと思っていた。どうか面を上げてくれないか」
イーリアが立ち上がって歩み寄り、手を差し出す。
コマは頭を上げないまま口を開いた。
「…コマと申します、子爵夫人様。俺は本来、尊いお方の前に出ていいような出自の者じゃありません。どうかそのお綺麗な手は引っ込めてくださいませんか。汚れますんで」
「恩人に出自など問わん主義だ。それにミカから聞いている。この愚息を愛してくれていたと」
は? とコマが思わず顔を上げ、エビーが吹き出し、タイタが驚いた顔で皆の顔を見回した。
「誤解です、義母上」
ザコルが渋面で否定する。
「まあ、なんてお美しい方なの。ザコル様も隅に置けませんわねえ」
顔を上げたコマを見て、マージが感嘆の声を上げる。
「だから誤解だと言ったでしょうマージ。こいつは男ですし、僕を愛して? なんかいませんよ。というかミカ、どうしてコマが僕を愛しているなどと、ミカ、聞いていますか!」
「……ふふっ、ふふふうっ…」
「何を笑っているんです!」
「私はコマさんのっ、セ、セリフにっ…どこか愛を感じるって、言っただけで……っふふふっ」
「おや、そうだったかな」
イーリアがしれっとした顔で言う。
「義母上…。人を揶揄うのも大概にしてください」
「ふ、相変わらず冗談の通じん奴だな。コマ殿、失礼した。貴殿に感謝したい旨は本当だ。それにしても美しい。男性に言うのは気がひけるが、こんなにも可愛らしい方だったとは。叶うならば我が側にと望みたいほどだ」
コマは綺麗な顔を歪める。
「いくら見てくれが珍しくたって、元はドブから生まれた汚ねえ孤児です。今回は深緑の猟犬殿宛にジーク伯からの伝言を預かっただけで、こんな場に出るつもりは無かった。すぐに失礼しますんで」
「はは、そのドブとはさぞかし美しいドブだったのだろう。では、申し訳ないが言い方を変えさせていただこう。私の話に付き合え、コマとやら。さすればある程度の自由は認めてやろう」
「……承知しました、子爵夫人様」
舌打ちが聴こえた気がするが、気のせいと思っておこう。
コマがザコルにもたらした情報に関しては、ザコルからイーリアへ報告する形で全員の耳に入る事になった。
王弟が不穏な動きを見せておりいつ何が起きてもおかしくはないというのは、誰しもが念頭に置いていた事らしい。特に混乱する者もなく、ザコルが淡々と語るのを皆で聴いた。
「渡り人の奪還を口上とするか。公的にはまだミカの存在は告知もされていない状況のはずだが? 何を我が物顔で…」
不貞の証拠云々の辺りはスルーしてくれた。コマが言ったように、どうせでっち上げだとでも思っているのかもしれない。
「ミカ。あなたが渡り人だという事は、イーリア様から内々に知らされておりました。黙っていてごめんなさいね…」
マージが申し訳なさそうに頭を下げる。そういえばまだマージには直接打ち明けていなかったっけ。
「いいえ、お気になさらないでください。町長様としては必要な事でしたでしょうし。陰ながらご配慮いただいた事も色々とあったでしょう、ご面倒をおかけしてこちらこそ申し訳ありません」
私もマージに頭を下げる。
「それに、私個人としては隠そうと思っている訳ではありません。ラースラ教に居場所を知られないためというのと、王家とテイラーの関係維持のために黙っていただけですし…。あの、渡り人ゆえの知識不足で申し訳ないのですが、この機会に気になっていた事を質問させていただいてもいいでしょうか」
「もちろん」
イーリアが頷く。
「第二王子殿下のお話はよく聞きますし、私も一度お会いしています。ですが、王太子である第一王子殿下は今どうしていらっしゃるのでしょうか。これまで誰の話題にも上った事がなく、また貴族年鑑にもお名前と生年月日くらいしか載っておらず、それ以上知ることは叶いませんでした。絵姿も一応つけられておりましたが、これまた絶妙に特徴を掴まない感じの仕上がりで」
年齢は確か二十五、もしくは二十六歳のはずだ。私と同い年だなと思った記憶がある。
雑な仕上がりの絵姿からは、金髪碧眼である事しか伝わってこなかった。既婚か未婚かも記載が無い。無いという事は未婚なのかもしれないが、不思議な事に第二王子や他の未婚者には未婚とはっきり記載がある。しかし王太子だから記載の仕方が違うのかもしれないと勝手に納得していた。というか、あまり現王族に興味が無かった。
王宮へ呼ばれる事があればその時にでも聞こうと思って後回しにしていたが、さっさと誰かに聞いてしまえばよかったと今更ながらに思う。
ちなみに年鑑に記載が少ないのはサカシータ家も同様だが、下級貴族ならばそんなもののようだ。詳しくは道中ザコルに訊くつもりでいた。
「ミカは貴族年鑑を読み込んでいるのか? 意外に社交へ積極的なのだな」
「いえ、この国の現況が判る書物の一つとして読んでいただけで、積極的に多数の方と社交したいなどとは全く」
むしろ貴族年鑑は真面目に読み込んでいない。おおよそのプロフィールと領地の場所などが分かれば充分だったからだ。
正直な所、渡り人なんて珍獣扱いだろうし、舞踏会やら社交デビューやらも必要が無ければ遠慮したい。とはいえアメリアと踊るのは楽しみだし、テイラー家の顔を立てるための最低限の社交にはきちんと準備をして臨むつもりである。
「ミカは貴族年鑑のみならず、あのテイラー邸の膨大な蔵書を読破する勢いでしたからね。主がこっそりミカのために買い足していましたよ。ミカに希望を聞くと遠慮するだろうからと、僕やホノルによく読む分野を調べさせていました。あまりに冊数が多いので傾向を割り出すのが大変でしたよ」
「そうだったんですか。確かに増えたなとは思っていました。特に地理関係が…。よく欲しいものが分かりましたね」
テイラー邸の蔵書は、歴史や物語、宗教関連、貴族生活にまつわる実用書が多かった。ザコルは膨大、と表現したが、日本の図書館などに比べれば蔵書の数はそう多くはない。ただしこの世界では一冊がとんでもなく高価だそうなので、あの蔵書数でもテイラー家の財力を推し量るに充分な数だったはずだ。
私は取り急ぎ、この国の現在、その全容のみたいなものを把握しておきたかったので、新聞や地理、気候風土、特産などに関する本から優先的に読んでいた。
「ミカさん、あの書き込みのヤバい地図、見せてあげてくださいよ」
エビーが口を挟む。
「あれを? いいの? テイラーの蔵書を元に作ったものだよ」
「ええ、見たとこ本当にヤバい事は書かれてませんでしたから」
確かに、例えばフジの里の存在はどこにも載っていなくて、後から書き加える事もしていない。他にもまだ、本に載っていないような隠れ里や隠れ施設が各地にあるのかもしれない。
私は鞄から例の自作地図を取り出してローテーブルに広げた。
実は一枚に収まりきらず二十枚近くあり、全部はローテーブルに広げ切れなかった。私の鞄は、この地図とタイタの反省文のせいで保険の営業鞄かという程に重い。
「これは…」
「これをミカがお一人で?」
イーリアとマージが驚いたようにテーブルを覗き込んだ。
「はい。手書きで写しましたので、正確でない部分も多々あるかと…。あくまでも自分用に作ったものですので」
「凄まじい情報量だな。これは何冊分の本を元にした?」
イーリアが一枚一枚を手に取り、中身を確かめていく。あまり字が綺麗ではないのでよく見ないでほしい。
「まずは大きな地図原本と、主に参考にしたのは五冊、それ以外には…ええと…」
「ミカが読み込んでいた地理や風土に関する本は、地方の伝承や見聞録なども合わせると二百冊以上に上ります」
ザコルが代わりに答えた。私の世話係兼護衛はそんな事まで把握しているのか。
「そんなに…! ミカはまだこちらに来て一年も経っていないだろう。それに、会話と文字を読む事に関しては渡り人特有の翻訳能力で問題ないとはテイラー伯からも聞いていたが、真にこちらの言葉を理解していた訳ではないのだろう? どうして文字、いや正確な文章を書けている。何かカラクリが?」
「いえ、カラクリなどはありません。おっしゃる通り、こちらに来て最初は読めても書けはしませんでしたから」
そう、既に書かれたものを読んだり、人の話を聴いたりするのは強制的に日本語に翻訳されて頭に入ってくるし、自分から話せば勝手に翻訳されて相手に聴こえる仕組みではあるのだが、自分で文字を書いて文章を生み出す事だけはできなかったのだ。翻訳チートの落とし穴である。
「しかし読んで意味が理解できるのですから、書く方は読みながら写本でも何でもすれば自然に身につきます」
「自然にか…。ふ、簡単に言ってくれる」
いや、簡単だ。単語や文を見れば意味が解るのであれば、いちいち辞書で引く必要もない。書き取りだけ頑張ればいいので、それはもうサクサクと身についた。翻訳チート万歳だ。
「ミカはこちらに来て一週間の時点で、既に五十冊以上の本を読了していました。それだけでもおかしいとは思いましたが、それから半年以上、毎晩遅くまで大量の本を読み漁り、屋敷中の紙という紙を消費して学習していました。ホノルが紙で部屋が埋もれそうだとこぼしていたでしょう。それは『自然に』身についたなどとはいいません」
ザコルが半目でこちらを見る。
「だって暇でしたし、読書は私の実益兼ねた趣味みたいなものですし…」
「暇つぶしや趣味と呼べる域はとうに超えています。王太子が十数年かけて学ぶような量ですよ」
それは、王太子を育てられるレベルの蔵書を誇るテイラー伯爵家がおかしいのでは…?
ふと周りを見ると、イーリアは相変わらず興味深そうな顔でこちらを見ており、マージは苦笑気味だ。
コホン。わざとらしく咳をしてみる。
「…あの、私の活字中毒の話はいいんです。第一王子殿下のお話です」
『………………』
誰も言葉を発さない。もしかして訊いちゃいけない話題だったろうか。
「ミカ、すまないな、私も彼がどこで何をしているかは知らないんだ。我が家もそれほど参加しているわけではないが、国内の貴族が集まる王家主催のパーティなどでも見かけた事が無い。毎度体調不良だとか、諸国外遊中だとか、様々な理由をつけては欠席なさるのだ」
イーリアが眉を下げて言った。
「……あの偏屈王子なら、まだ王都に潜伏してやがるぞ。多分な」
後ろに控えていたコマが口を開いた。皆の注目が集まる。
「偏屈王子?」
「俺が言うのも何だがかなり変な奴だ。暗部の管理は奴の担当だった。俺らの元上司って訳だ」
第一王子殿下が、元上司?
「いや、そこの猟犬サマはまだ籍残してっからまだ上司だな。奴から何か連絡ねーのか?」
「殿下を奴と呼ぶな。一応は王太子だぞ」
私の隣に座っていたザコルが眉を寄せる。
「ああ、一応な。本人もたまに忘れてやがるようだが」
忘れてるんだ…。
「殿下ご自身からの連絡は無い。上層部のまとめ役を命じた者からは任務概要の報告を受けていたが…。お前の話が本当ならば、偽の報告である可能性が高いのだろう。殿下も本当に王都に留まられているかどうか」
「いんや、あいつは絶対にあそこから離れねえ。今頃地下にでも潜って悠々自適の生活でも送ってんじゃねえか」
「まあ…そうだな、あの方が地下の蒐集物を放ってどこかに行くとは考えづらいが…」
「蒐集物?」
一向に話が見えない。第一王子は偏屈で地下が好きで何かを集めているらしい事しか。
「ミカ、一応僕はかの方とは仕事上の関わりがありました。コマの言う通り、少々変わったお方で、貴族家が所有する古い書物や骨董品を買い取ったり、諸国や地方を外遊しては古い物をかき集め、地下に膨大な蒐集物倉庫を作って何かの研究に没頭するようなお方です」
本当に仕事上の関わりだけなんだろうか。コマの口ぶりでは、この二人と王子は仲が良かったようにも聞こえるのだが。
「仲が良かったわけでは……」
「お前はしつこく誘われてたろ、側近に」
「側近? よく分かりませんが、栄転的な感じですか? 」
「栄転などではありません。確かに過去、王太子側近として務めるようお声がけをいただいたこともありますが、その都度サカシータの者は政治に関わる要職には就かない旨をご説明しお断りしています。というか、僕がサカシータの者でなくたってそんなものは絶対にお断りだというのに、何度も何度も」
ザコルが心底うんざりという顔で言った。
「王子様のお付きとして煌びやかな格好でパーティとかに参加するザコルかぁ…」
あ、もっと嫌そうな顔。煌びやかな格好も式典も苦手なんだろうな。
「そいつ、褒章授与の式典も地味いぃーな貸衣装で出たんだぜ。王太子サマが服貸すって言ってんのに」
「殿下と僕じゃ体格が違いすぎるだろう。余計に浮くだけだ」
二人共楽しそうだな…。もや…。ちょっとだけ嫉妬心が湧いてきた。
イーリアはといえば、まるで微笑ましいものを見るかのようにコマとザコルのやりとりを眺めている。
人見知り気質な息子が仲の良いお友達連れてきたんだもんね。そりゃ嬉しいですよね。
「……とりあえず、ザコルとコマさんにとっては悪いお方じゃないって事ですね。王位にはあまり興味がない方なんですか?」
「興味がねえとまでは言えねえな。大人数のパーティなんかに出ることは稀だが、本人曰く、王太子としての職務は最低限果たしてたらしいぞ。視察の護衛は俺らもたまに請けてたな、侍女の格好でよ」
コマがニヤリとしてザコルを見る。ザコリーナちゃんは侍女もしていたのかあ。
「その話はやめろ。王としての資質はともかく、あの第二王子殿下に比べれば遥かにマシなお方です。マシなだけですが」
大丈夫かこの国は。
今まで出会ったお貴族様達は皆ちゃんとしてたのに。王族は本当にどうした。
「あの、失礼な事を言うようですが、国王陛下はまともなんですよね、ちゃんと国は回っていた、んですよね?」
イーリアは微笑んだまま口を開かない。ザコルは真顔。マージもコマも、エビーとタイタも黙っている。
また訊いちゃいけないことを訊いたんだろうか…。
「国は、王妃殿下と、現在宰相を務めるシュライバー侯爵と中央貴族が中心となって何とか回していました。八年前の粛清によってホムセン侯爵とその一派が没落してしまいましたからね。常に人手不足で激務だったようです」
ブラック王宮…。そこへ王弟の乱か。
発狂する人が少ないように祈ろう。
「外交は陛下の叔父にあたるカリー公爵とそのご子息が手分けして行っていました。国王陛下は何と言いますか、ご自分のペースを大事になさる方ですので…。王妃殿下はそんな陛下の尻をぬぐ…いえ、陰日向にとフォローなさっていました」
何となくマージを見た。にっこりと微笑まれてしまった。
国王はドーランの同類か。
「あの、逆に王弟殿下が治世へのやる気に満ちた有能な方という可能性は」
『ないな』
イーリアとコマの声がハモった。バッサリ…。
「あの方は過激派筆頭です。ご自身の主導で近隣に戦争を仕掛けたいらしく、僕を担ぎ上げようとしていました。それが失敗したので、僕を貶める方向に切り替えたようですね。三年前に公爵領で起きた原住民と隣国マサランのいざこざに関しても王弟殿下による手引きが疑われていました。結局証拠は得られず終いでしたが」
王弟は隣国と繋がっている可能性があるという事だ。国内の王弟派はどれだけいるんだろうか。
「隣国と言えば、あのニタギの毒ですかね。南国で採れるんでしたよね」
「その件に関しては今から報告したいと思います」
ザコルはまた淡々と、今日判ったラースラ教徒のお香と薬の話、私やエビーを見た町医者の反応の話、今朝の尋問で判明している近隣に潜伏する教徒の数などを語った。時折エビーやコマが捕捉する。
魔封じの香が及ぼす健康被害については、見張りの交代時間を早めるなどの対策も必要だろう。現状一番影響が大きいのは私だが、長いこと吸っていると普通の人でも体を蝕むと教徒自身が話している。
「ミカ、それで体調は。完全に落ち着いたのか?」
「ええ、イーリア様。もう頭痛や吐き気などもありませんし、魔法も問題なく発動します。湯船四杯分の湯沸かしと患者三十余人分のフラッペ作りでかなり発散もできましたし。今は爽快な気分です」
明日はついに避難民入浴イベントの試運転だ。魔法をバンバン使えるのが楽しみでならない。体調に直結するせいか、段々とクセになってきている気がする。
「そろそろ町医者もやってくる頃だろう。私からはもう検証はするなと言ったが、町医者のシシは貴重な能力者だ。この機会でしか判らぬ事はしっかり確認するといい」
「ありがとうございます」
町医者先生はシシ先生といったんだ。聞きそびれていたので判って良かった。
「義母上、町医者から父への伝言を預かっています。ご覧になりますか」
「いや、私から直接シシに訊こう。しばらくはこの屋敷で寝泊まりするつもりだ。ミカ、私に訊きたい事があれば遠慮せずに来い」
「はい、重ね重ねありがとうございます。これから王弟殿下がどう動かれる可能性があるのか、ご見解を詳しく訊きたいと思っていました」
「分かった。では明日の夕食後、再びここに。時間はまだある。王弟が何か大きな動きをするとしても、大所帯では移動だけで二週間は掛かるだろう。王弟自身は奪ったばかりの王都を離れるのは難しいだろうしな。こちらからも探りを入れる故、新しい情報を掴み次第共有することとしよう」
そう言うとイーリアは立ち上がった。町医者の診察には同席しないつもりらしい。
ザコルも自分自身の魔力の変化については触れていない。もっとはっきりしてから報告するつもりなのか、ここでは報告すべきでないと考えているのか。
まだまだ知らない事、判らない事だらけだ。私に知らせなくてもいいと周りが判断するのであれば、その判断を尊重するつもりではあるが。
イーリアやコマはもちろん、ザコルも、エビーやタイタも。まだそれぞれ話していない事があるのだろう。
イーリアはまだ時間があると言った。あとどれだけそれぞれの話を聞き出せるか。
自分の立場を見極めつつ、タイミングと訊き方は見誤らないようにしなければならない。
つづく




