面白いのか、では仕方ないな
「呼び出してすまないね、ミカさん」
オーレンは執務机の椅子から私にそう声をかけた。
ここは彼の執務室だ。そこまで広くはない室内には、既にソファに座って待機している人がいた。
「いいえ、元はといえば私がお時間をいただく予定でしたから。穴熊一号さんと、それにジーロ様も呼ばれていたんですね」
私も彼らの向かいの二人掛けソファに腰を降ろす。当然のようにザコルが隣に座り、騎士二人は背後に立った。
「そこの父に同席しろと言われてな、もしマズい話があるなら退席するから言ってくれ」
「いえ、オーレン様のご判断に任せます」
私のマズい話といえば治癒能力に関することだが、既にイーリアやザッシュ、ロットも知っていることだ。オーレンがジーロを信頼できると思うのなら明かしていい。
「潔いな。俺とは会ったばかりだぞ」
「そんなこと言ったら、誰も彼も『会ったばかり』です。私にとっては」
「それはそうだろうが…。召喚されてまだ一年も経っていないそうだな。味方を増やしたいにしても、もう少し慎重になった方がいいと俺は思うが…」
ジーロは手元に広げていた新聞をローテーブルの上に置いた。
「そこの野生児とうっかり将来を誓ってしまったらしいじゃないか。しかも神官の前で。本当に大丈夫か?」
「それは全く大丈夫です」
「ははっ、潔いなあ」
ジーロは大らかに笑い、膝を叩いた。
「僕はマズいと思えば止めますよ。まだジーロ兄様を完全に信用しきれません」
ザコルが釘を刺す。ジーロは気を悪くした様子もなく鷹揚に頷いた。
「ああ、その方がいい。俺も自分がいい加減だという自覚があるのでな。変なものも持ち込んでしまったことだし」
ローテーブルの上には小箱があった。ジーロが蓋を取ると、土くれのような香と薬包が姿を現す。
「あ、これまさか魔封じの香とニタギの毒すか!」
「これをジーロ様が? 道理でザコル殿が尋問を…!」
反応したテイラー騎士二人を、私はどうどうと手振りで制す。
「山中で黒いローブを着込んだ者から流行りのものだと言われて渡されたのだ。高貴な女性の部屋で焚けと。薬はオマケらしい。軽い媚薬のようなものだと下卑た顔で説明された」
ジーロの正直すぎる説明に、はああ、とオーレンが溜め息をつく。
「そんな話、女の子の前でしなくていいんだよ。大体、君は曲者とそれ以外の区別もつかないのかい? ジーロ」
「怪しいものだということは判っていたさ。だから持ち帰って調べることにした。黒ローブははっきりとは言わなかったが、俺をこの家の次男だと認識していたようだった。あの風貌の俺をだ。よく調べているなとも思ったからな」
ジーロは肩に乗ったおさげの毛先を指でくるりともてあそぶ。ボサボサだった髪は、何度も梳かれたおかげでいくばくか艶を取り戻していた。
「曲者にも色々いてな、タチの悪いのは人の好い顔をして山の民の若いのを唆そうとする。血と土地に縛られた若者が何に惹かれるのかをよく理解しているのだ。こうした薬物で釣ろうとすることもままある。俺も番犬だ。下界からもたらされる穢れは、聖域には決して持ち込ませない」
飄々とした彼から凄みのような圧が放たれる。ピリッと場を引き締めるかのようなこの圧、タイタのそれと似ている気がした。
このジーロは、ツルギの山神を祀る山の民達を俗世から護るために配置された番犬の一人であるらしかった。もちろん彼が単独でツルギ山全域をまかなっているわけではなく、彼の配下として小隊がつけられている。正式な部隊名はサカシータ騎士団第一歩兵隊、ジーロはその隊長であると改めて名乗った。
「ちなみに、第七歩兵隊の隊長はそこの穴熊の彼だよ」
オーレンが指し示すと、うぉう、と彼は返事をした。
「穴熊一号さん、隊長さんだったんですね」
「そぅ」
「じゃあ、ザッシュ様の肩書きって…」
「あいつ、シュウには肩書きなどない。当主候補という以外にはな」
そう答えたのはジーロだ。
「そうだったんですか…」
その当主候補、しかも筆頭っぽかった人の家出を幇助してしまった身としては何も言えない。オーレンはそんな私の思いを見透かしたようにまた溜め息をついた。
「ジーロの言う通り、僕はザッシュを当主に据えるつもりでいた。妻達も反対してなかったしね。なのに、賛成していたはずのリアが、何のつもりでミカさんの手駒としてザッシュと穴熊をつけちゃったのかはよく判らないんだけど…」
「はあ? 手駒? シュウと穴熊を? おい散髪師、知っていて受け入れたのか」
まさかの散髪師呼ばわりである。まあ、聖女と呼ばれるよりはマシか。
「ジーロ、彼女は」
フォローしようとするオーレンに私は首を振ってみせる。
「無責任、と思われても仕方のないことですが、手駒にと紹介された時点でザッシュ様のことは四番目のご子息で、鎚が得物という以上のことはほとんど知りませんでした」
そういえば、あの鎚はロットに渡して出て行ったらしい。まあ、土木用だったしな。道中で武器の調達を行うつもりなんだろうか。
「最初は土木関係というか、私の知識をもとに防災に関わる施設でも作らせたいのかと思ってました。ザッシュお兄様はトンネルと噴水とレンガやタイルの話しかしてなかったですし、私も砂防ダムと薪ボイラーの話ばかりしていた気がしますし」
「サボウダムとマキボイラー…一体何だそれは」
「川の上流に作る土石流を防止する施設と、大量の湯を沸かす装置のことだよ。僕は知ってても仕組みはよく知らないけどね。本当、君は物知りな子だ。ザッシュ達が懐くわけだよ」
ボソボソ…。
懐いたとは心外な、我らは認めたのだ、と穴熊が文句を言っている。
オーレン達が反応しないので穴熊独自の言語だ。独り言のつもりだろうか。
「一応、在領子息の中でもザッシュ様にだけ貴族令嬢との見合い話があったらしいことは後から知りまして、そこから彼が後継候補であることは何となく察していました。私と関わらせるのも実績作りを兼ねた育成カリキュラムの一環か、もしくは逆に、私への目付代わりなのかと。あとは、女見知りの克服ですかね。こっちは正直オマケだと思ってました」
「そして、見事女見知りを克服したザッシュは王女様について王都に行っちゃったわけなんだけど…」
はああああ、オーレンが眉間を揉む。
「王女? シュウが捧げられた姫というのはこの散髪師のことではないのか。というかどこの王女だ、我が国には王子しかいなかったろう」
「それが実は隠し子がいましてね、うちの妹なんですが」
「妹? ますますどういうことだ、姉妹で喚ばれてきたとでも?」
「妹さんっていうのはね、テイラー伯爵家の長女として育てられたアメリア様のことだよ。彼女もしばらくシータイにいたんだ。その新聞の通り、このミカさんとザコルがジーク領で失踪した後に向こうの騎士団長と一緒に捜索に出て、行方を知ってここまで追いかけて来たそうだ。道中、大量の物資をかき集めながらね」
「それはまた豪胆な王女様だな…。テイラーの女はそういう気風なのか?」
「さあ、私はにわか縁者ですから」
テイラー家につけられた護衛兼従者でありお目付け役でもあるエビーの方を振り返ったら、ヤレヤレとばかりに首を横に振られた。そんな行動力のある婦女子は私とアメリアくらいだとか言いたいんだろう。
「アメリア様からは支援金としてかなりの額もご寄付いただいたし、さらにはテイラーから追加で小麦もどっさり送られてきて、おかげでシータイとカリューには充分な物資が行き届いた。水害後に起こりうる感染症や栄養不足、燃料の問題もそこのミカさんがしっかり対策してくれたし、テイラーの子息が会長をやっているというザコルのファンの集いの働きも大きい。もうテイラー家には末代まで頭が上がらないよ」
そんなテイラー家も謎が多い家である。闇の申し子サゴシ然り、守りの系譜なる者達然り、ばあや然り、そのばあやが作ったという第三騎士団なるエセ近衛団然りだ。
「はあ、それで王女様のご機嫌伺いで見栄えのする大男を売ったのか?」
「人聞きの悪いこと言わないでくれる!?」
ジーロの身も蓋もない言い方にオーレンが目を剥いた。
「ジーロ様。うちのかわいいアメリアはそんな図々しい真似できる子じゃないですよ。あの子がザッシュ様に一目惚れしちゃったのは事実ですけど、王女として立つと決めたからにはその想いを断ち切って去ろうとしてたんです。そしたらなんと! ザッシュお兄様がね、ついて行きたいって!」
ねーっ、と目の前の穴熊に笑いかけると、彼もうぉううぉうと同意してくれた。
ジーロはそんな穴熊隊長をジト目で睨む。
「おい穴熊の、絆されすぎではないか? お前ら、俺ともほとんど喋らないくせに」
「ひめ、ぉもしろぃ、ぉんな」
「面白いのか、では仕方ないな」
面白いから仕方ないで済ませないでよ! とプンスカするオーレンをジーロは「分かった分かった」と適当にいなした。
つづく




