教育に悪い!
「おおザラミーア。そなたは変わらず麗しいな! 天上から舞い降りたる女神の如しだ」
まるでオペラでも歌うようにそうのたまい、大袈裟な仕草で跪いてみせた男にザラミーアは眉を寄せた。
「コリー、この者は誰……あら? あなた、もしかして」
「思い出していただけただろうか。いつでもあなたを想う男の一人だ」
「まあまあまあ、見違えたわ! 素敵じゃないの、全くどこの貴公子かと思ったでしょう」
「我が女神たる夫人にご挨拶を」
ジーロはザラミーアの手を恭しく取り、軽く口付ける。ザラミーアがふふっと嬉しそうに微笑う。
「少々語彙が貧困ではないですか、兄様」
「何だと」
「ああ、すみません。これくらいが普通でしたね。タイタの挨拶を見慣れてしまうとつい」
「タイタ? そこのテイラー騎士か。見るからにいい挨拶をしそうだ。ちょっとやってみてくれ」
「は、ザラミーア様にご挨拶申し上げればよろしいので」
「まあ。タイタさんまで」
タイタが流れるような所作で跪き、ザラミーアの手を取ろうとする。
「ちょっとちょっとちょっと、うちの妻に何をしてるんだ!」
「あらオーレン」
ザラミーアに続いて部屋に入ってきたオーレンが彼女を自分の背に引っ込ませた。
「ていうかタイタ君はともかく、君誰!? どこの子息!?」
「何だ、父上にザラミーアの夫という自覚があったのか。意外だな」
「父上? …えっ、まさか、ジーロ!? 来てたのかい!? というか何だいその格好、随分とシュッとしちゃって」
「腕のいい散髪師と髪結師がいてな。この服はどこから出てきたものか知らんが」
ジーロは少々派手な、というか貴族の正装らしい格好をしていた。ザコルに壁ごと吹っ飛ばされる前は、簡素な部屋着を着ていた気がするのだが。
「それ、あなたの服よジーロさん。ミリナさんの婚儀の時に着てもらおうと仕立てていたの。結局袖を通してくれなかったけれど、あなたのお部屋にずっと吊ってあったはずよ。きっと他に無かったのでしょうね」
もとより冬にしか寄り付かない次男の服は、部屋着と正装の一着ずつしか用意されていないらしい。スウェットとスーツしか持ってない無精なサラリーマンスタイルか。
「ザラミーアが俺のために用意した晴れ着か。なるほど、ついにこの日が来たようだ。俺からはドレスを贈ろう。父上など捨てて俺の嫁になってくれ」
ジーロは胸に左手を当て、恭しく右手を差し出す。もちろん愛しの女性に向けて。
「ちょっとジーロ、冗談が過ぎ」
「ふふっ。お気持ちは嬉しいけれど、私もオーレンも、リア様のものなのよ」
こてん、ザラミーアが首を傾げながら微笑む。もう、歳上とか彼氏のお母さんとかそういうの全部忘れるくらいにかわいいな…。
ザラミーアの仕草はシータイの町長、マージと通じるものがある。マージは元孤児でイーリアとザラミーアに拾われ育てられたと話していた。育ての親の影響を受けるのは自然なことだろう。
「ふむ、どちらも母のものか。では不在のうちに攫ってしまうとしよう。父上はいらんが」
「いらんってひどいよ!! というかザラは僕の奥さんなんだけど!? そりゃあリアのものでもあるけど…っ!」
「だったら今すぐにでもザラミーアの夫として彼女を口説き、引き留めればよかろう。俺とて彼女の意思に反してまで連れ出そうなどとは思っていない。しかし俺とザラミーアは血の繋がりもないただの男と女。夫を捨ててくれさえすれば、法的にも倫理的にも何の障害もなくなる。どうする父上」
「どうするってなんだよ!! 僕がそんな口説き文句なんか言えるわけないって分かって言ってるんだろ!?」
「いかにも。そっちが隙だらけなのが悪い」
「もう!! ザコル、君もジーロに何か言ってやってよ! 相手は君の母親だよ!?」
「僕は母上が幸せなら誰が伴侶でも構いません」
「コリーったら母の幸せを願ってくれていたのね嬉しいわ」
「うわああん、ミカさんミカさん助けてよお!」
味方のあてがなくなったオーレンが泣きついてきた。
「うちの息子達はどうして僕に優しくしてくれないの!?」
しくしく。
オーレン様が律儀に反応なさるからじゃないでしょうか、という言葉はすんでのところで飲み込む。
「そうですねえ、困りましたねえ」
「あんないい男に迫られたら本気で捨てられちゃうよお!」
「ふ…っ」
この人は何だかんだで息子が大好きなんだな、と和んで笑いそうになりつつ…。ザラミーアがこっちを見ている。期待には応えねばなるまい。
「では、ジーロ様のおっしゃる通り、ザラミーア様に懇願なさったらいかがでしょう。口説き文句なら一緒に考えますよ」
「本当に!? で、でも僕、恥ずかしくて言えないかも…」
「今手本を見せますからね、こういうのは恥ずかしがらない方がカッコいいんですよ」
そうかなあ、分かってるんだけど、でも…と自信なさげに頷くオーレン。私はザラミーアの前に跪いた。
「ああ、お美しい方、どうか微笑んでください。その榛色の大きな瞳、熟れた果実のような唇、甘露のような声、僕はすっかりあなたという宝石に魅入られてしまった。身の程知らずは重々承知の上、しかし、どうしようもなく焦がれて仕方ないのです。その微笑みが僕だけのものであったなら、他に何もいらないのにと…!」
まあ…とザラミーアがどこか楽しそうに声を漏らす。
「あなたの夫となれる者は世界一の幸せ者だ。寝ても覚めてもその煌めきを独り占めできるだなんて、この世のどんな贅沢よりも価値がある。もし、その白魚のような手を僕だけに預けてくれたなら、必ずや永遠の愛と幸せをあなたに捧げ」
「まってまってまっっっって!! 演技とはいえそんなに迫ったら僕が実践する前にザラミーアが君に落ちちゃうだろ!?」
「む、あと少しだったのに」
「確信犯!? ザコル!! 君はどうして止めないんだ!! 君はこのミカさんが」
ザコルはフン、と鼻を鳴らす。
「どうせ女は全員ミカの嫁です。しかしミカに何人侍ろうとも、僕の気持ちが薄まることはありません」
『ぐぶぶぶう』
背後で変な声がする。
「何と、潔いなザコル。設定かと思いきや割に真剣なのか。先程はままごとのような言い方をして悪かった」
「ほじくり返さないでいただけますか。どうせ僕はこのミカしか愛したことがないですよ」
『ぐぶぶぶぶぶぶうう』
変な声が増した上に、ずしゃあ、と三人ほど床に崩れ落ちた音がする。多分ララとルルとタイタだ。
「ふぇ…」
私もまともに声が出なくなった。
「何ですか、ミカも初めてなのでしょう。よろしくお願いしますね」
「ふえぇぇ、きょっ、教育に悪い!」
「あ」
私をナチュラルに抱き寄せようとした人が後ろを振り返る。
私もつられて見れば、床に崩れ落ちた母親を起こそうとする少年と目が合った。
「あ、おかまいなくです」
へらりと少年は笑う。意外にマセてるな…。
イリヤはエビーの後ろに隠れているらしく、エビーが代わりにへらりと笑った。
つづく




