どうか、自信をお持ちになってください
その後私とザコルは双子姉妹を連れ、彼女達が元いた部屋、つまりリコが昼寝をしている部屋へと送っていった。
「随分と打ち解けた、ご様子ですわねえ…」
ミリナはソファでぐっすりと眠るリコの隣で編み物をしていた。彼女はザコルとの距離感に気をつけろと姉妹に助言したらしい。だというのに、見るからに仲良くなった私達の様子を見て微妙な顔をしている。
「義姉上、彼女達は僕の同志なんです」
「ミリナ様、全然、ぜんっぜん正妻の余裕でした!」
「羽虫は羽虫らしく火に入って焼かれていればよかったんです!」
ミリナから見れば義弟か未来の義妹とも呼べる彼らは、やや興奮気味に義姉へと仔細を報告した。
「同志? 正妻? 羽虫? ミカ様、ララ様ルル様とどんな話を…?」
仔細と呼ぶには断片的すぎる情報の雨あられだった。顔が疑問符だらけになったミリナは、助けを求めるように私の方を見た。
「えっと、細かいことは気にするなと」
「細かいことですって? こればかりは、決してそうは思いませんよ、私…」
ミリナにしては珍しく、咎めるような視線を私に向けた。そんな彼女の肩でリス型魔獣のミイがくるりと一回転する。
「ほら、義姉上もこうおっしゃっていますし、やはり僕は謎服に着替えた方がいいのでは?」
「謎服? まさかあの作業着ですか? それはお義母様方がお怒りになりそうな…」
「ですが、僕がザハリに似ているのがよくないのでしょう。弟はいつも身綺麗にしていましたから。不審者は不審者らしい格好をすればいいんです」
「ですからザコル様が不審者に成り下がる必要はありませんと!!」
「そうですよ!! ミカ様の隣に相応しい格好のままお二人セットでいていただければそれで!!」
「いいえ僕は不審者に戻りたいんです! ミカもその方がいいでしょう!?」
「私は別にどっちでも」
「皆様一体何の話をなさっているの? ほらほら、落ち着いてちょうだい。リコ様が起きてしまうわ」
どうどう、ミリナお姉さんが騒ぐ義弟妹達を宥める。
「あの、思ってたんですが、ミリナ様のお立場であれば、ゴーシくんやリコちゃんに様付けしなくてもいいのでは? その方がむしろ『公平』かと思いますが」
「そうかしら? でも私、まだ正式に手続きを経たわけではないですし、イリヤの手前、示しをつけた方が」
ここにも大真面目な人がいる。というか真面目しかいないのかここには。
「義姉上は長兄の妻という立場だとしても僕らの姉というお立場に変わりないので、義理の甥姪に敬称はいらないと思います」
「ミリナ様、私達が強要することではないのですが、子供達は呼び捨てくらいの方が打ち解けやすいかと」
義弟妹が真面目な義姉を真面目に説得し始めた。
「それはそう、かもしれないわね…。子供達の居心地を悪くしては、元も子もないものね」
『ええその通りです!』
義弟妹達は説得が通じたかと表情を明るくする。
「ミリナ様、私達双子のことも呼び捨てで呼んでくださいませんか、それこそ正式ではありませんが、義理の妹のように思ってくださるのならなおさら」
「あ、じゃあ私も私も! ミカって呼んでほしいです!」
「では僕もザコルと」
「ちょ、ちょっと待ってくださいな、流石にそれは」
ミイミイミイ!
ママの下僕増えた!
「ほら、ミイも下僕が増えたって喜んでますよ」
「げっ、下僕!? ミイったらまたそんなことを! いいかしら、どなたも私が敬意を払うべき方々なのよ、勘違いしてはいけないわ」
めっ。
ミイ…。
ミイは渋々だが仕方ない、と引き下がった。
すごい、やっぱりミリナの言うことならちゃんと聞くんだ。私のお願いも聞いてくれなくはないが、彼自身の意見を変えるとか、そういう対応はしてくれない。
「ああ、ミリナ様も控えめなのに気高くって本当に素敵!」
「ですよね? 私もミリナ様大好きなんですよ!」
「ミカ様の言う通りですね、いい人しかいないんですかここには」
「本当にそうなんですよ、ご領主方には執政者としての思惑もあるかと思いますけど、それを抜きにしてもみーんな誠実でいい人じゃないですか! ララ様ルル様もいい人だし!!」
「やだ、この後に及んでミカ様まで私達に敬称つけないでくださいよ!」
「だってミリナお姉様が敬称つけて呼んでるのに私が抜け駆けするわけにいかないでしょ。私、ミリナ様の配下なんで」
「配下!? ミカ様ったらまだそんなことを」
ミイミイミイ!!
ミカがママに従うのは当然!!
「ミイは黙っててちょうだい、何を言ってるか何となく解るわ」
ふーるふる。私はやや大袈裟な仕草で首を横に振ってみせた。
「仕方ないですよミリナ様。魔獣達がここにいてくれるのは私達にミリナ様を遇させるためであって、それ以上でもそれ以下でもありません。王宮に行っちゃった大型の子達が一斉にことを起こしたら、ここだって一瞬で更地ですよ。まさに最強、なのに謙虚、しかも慈悲深く、そして気高い。ミリナ様こそ我らが敬愛すべき最終兵器なんです!!」
「最終兵器!? 私が!?」
「この楚々としたご淑女が、最終兵器!!」
「ザコル様のことではなかったのね!!」
「僕はただの不審者です!!」
「ミリナお姉様ばんざーい!!」
ばんざーい! ばんざーい! ミイミイミーイ!
「騒ぐのはおやめなさいと言っているでしょう! リコ様が」
うううん、と、ミリナの膝に頭を乗せて寝ていたリコが身じろぎする。そしてぱち、と目を開いた。
『あ』
いい大人達と魔獣がピタ、と動きを止める。
「んん、ねむたいぃ…!」
リコはぐずぐずとミリナの腿に顔をこすりつける。
「そうね、まだ寝足りないわよね。いいのよ、まだ寝ていてちょうだい。…リコ」
ミリナが毛布を掛け直してトントンとリコの背中を叩くと、リコは再び静かになった。
「すみません…」
母親であるルルが冷静になったらしく小声で謝った。ミリナは無言で頷いてみせたのち、小声で続きを始める。
「いいかしら。私の配下だの、私を最終兵器だのとおっしゃるのはおやめになって。ここにいるのは体力も剣の腕も鈍ったただのおばさんなのよ。分かるでしょう?」
むう。
「ミリナ様はおばさんじゃないもん…」
「ミカ様はふてくされないで。そんな顔なさったって可愛らしいだけよ」
ミリナを持ち上げる作戦は難航中だ。
彼女にはこれからどんどん配下が増える予定だというのに。容易く振るえる強大な力を持ちながら、誰かの言いなりになっているようでは困るのだ。何より配下の皆さんが不満を爆発させかねない。しかもオーレン達が彼女を当主に祀りあげようと画策している疑惑もある。
とにかく、自信と確固たる意志がないとやっていけなくなる状況がすぐ目の前に迫っている。
「義姉上にも解っていただけますか、この膨れっ面の魅力が」
「ザコル様は前にもまして天ね…いえ、無邪気になられましたわね…」
むう。今度はザコルが膨れっ面になった。
日に日に無邪気な天然ちゃんになっていく英雄、深緑の猟犬殿だ。
「みんな真面目すぎるんですよ。ミリナ様はこの人を見習ってもっと調子に乗ってください」
「ミカ様は私をどうなさいたいの」
ほう、とミリナが溜め息をつく。リコの背中をトントンしながら。
「ミリナ様は調子に乗るくらいで丁度いいんです。体力や剣の勘もすぐ戻りますよ。私が近くで魔力ダダ漏れさせてますからね」
私から漏れ出した魔力を浴びることで、体力や疲労回復力が向上することはシータイにてほぼ実証されている。若干一名、闇の申し子サゴシを除いてだが。
「それでもまだまだ、鍛錬を始めたばかりのミカ様の足元にも及ばないわ。調子に乗るような段階ではないと自分でもよく判っているのです」
「そうでしょうか。義姉上の剣筋はブランクがあっても美しかった。流石はかのカーマ卿の御息女だ。今度ムツ工房に寄る機会があればぜひ細剣を土産に」
ちょいちょい。
「ザコル様、また武器を贈ろうとしてますよ」
「あ」
ララの指摘にザコルが我に帰る。
「…コホン。義姉上はご自分の評価が低すぎるのです。ミカも卑下する癖がありましたし、今も謙虚なことを言いますが、この女はこれでも正しく自分の影響力を理解しています。こうなれとは申しませんが、力を持ったまま誰かに進路の判断を委ねるのは危険です。どうぞ、ご自覚を」
パチパチパチ、気付けば私はザコルに拍手を贈っていた。
この女とか、何か引っかかるところはあるが、私が言いたかったことをしっかり明言してくれた。流石はうちの師匠である。
「…そんなことを言われても難しいのですよ。私、ずっと意見らしい意見なんて、持って生きてこなかったから」
「そうでしょうか。あなたは家のため、イリヤのため、魔獣達のため、工夫や手間を惜しまずに生きてこられたはずだ。そこにあなたの意志が全く存在しなかったわけはない。魔獣達は、あなたの意志にこそ従うとはっきり示しているではないですか。誰かに命じられたことをそのまま伝えたところで、彼らは納得しませんよ」
パチパチパチ、気付けばいつの間に私の肩に移ったのか、ミイがザコルに拍手を贈っていた。
手がちっちゃすぎて、パチパチというかチチチチみたいな音が耳元でする。
「ザコル様は、存外情熱的でいらっしゃいますのね」
ミリナはまた咎める視線を投げかける。私の前でこれ以上女を褒めるなと、何か失言でもする前に止めてくれるつもりらしい。
「いいえ。僕にそんなつもりがないことは、あなたやミカも含め、誰もがよく知っている。アメリアお嬢様やエビーに言わせれば、僕は随分と分かりやすいそうなので」
パチパチパチ、気付けばララとルルまで小さく拍手していた。
大きく見開かれた瞳に『正妻』と書いてある。
分かりやすい、のは私も多分そうだ。お互いにそう認識する以前から勝手に推しカプ認定されていたくらいだしな、全国規模で。
…私は目の前のララルル、やけに堂々としているザコル、そして過去の言動を思い出して非常にいたたまれなくなった。うううう。
「僕はただ武人の一人としてあなたを尊敬申し上げているにすぎません。ご存知の通り、僕はあなたが育てた魔獣達の『戦友』だ。彼らの強さや戦場での洗練された振る舞いの裏に、あなたの献身があったことを今まさに実感しているのです。あなたは、僕らが長姉と仰ぐに相応しい人格者であり、高い能力を有した人だ。僕は、ミカがあなたを尊重するからと同じようにしているだけではない、と申し上げておきます。姉上」
合理を愛するザコルのまっすぐな褒め言葉に、ミリナは黙ったまま、眩しいものでも見るように目元を歪めた。
彼は今、確かにミリナを『姉上』と呼んだ。義姉上ではなく姉上と。そう私の翻訳能力は訳した。彼女へのエールでもあり、これより、彼女を完全なる血族と同じく扱うという意思表示でもあるだろうか。
ザコルは私の肩に乗ったミイの方に顔を向ける。
「ミイ。僕ではこの方の伴侶に相応しくない。姉上はお強く、そしてお前達もついている。最初から僕の庇護など要らないんだ。今は心身ともに消耗しておられるが、必ず回復なさる。だから話し合え。ミカは必ず協力してくれる」
ミイ…。
「…? 話し合えとおっしゃいましたか? ミイ、何か話があるのかしら」
「ミリナ様、また後で他の魔獣達を交えて話しましょう。私からも一つ、個人的なお願いがあるのです」
「個人的なお願いですって? それはもちろんお力になりますわ。私達母子は、ミカ様のお世話になりすぎていますから」
「お世話しすぎた覚えはありませんよ。私が必要と思うからそうしているだけです。いずれ、ミリナ様にいていただかなくてはにっちもさっちもいかなくなる日が来ます。その日までに必ず、心身ともに万全の状態になっていただきたいのです」
ミリナの瞳にスッと光が宿る。
「私に、できることがあるのですね?」
「もちろん、ミリナ様にしかできないことです。だから堂々となさってください。強者は隙を見せてはいけないのです。私からのお願いだって無条件にのむ必要はありません。話を聴いた上で、必ず、ミリナ様ご自身がご判断なさってください」
ミリナは光を灯した瞳をまた揺らした。
「大丈夫、他ならぬあなたの意見です。誰しもが耳を傾け、尊重しますから。どうか、自信をお持ちになってください、ミリナ様」
素直に頷けず曖昧な反応をするミリナの肩に、ミイが乗り移る。
そして勇気づけるように、その頬に身体をすり寄せた。
つづく




