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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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タレコミ

 見張りの衛士は無事にマージの許可を得られたらしく、コマの釈放のために牢の中へと入っていった。


 町医者が私と心神喪失状態のザコルを交互に見やる。明らかに戸惑っている。

「ザコル様はどうされたので…。体調不良はミカ様ではありませんでしたかな」

「先生、来てくださってありがとうございます。ザコルさんはちょっと色々ありまして…気にしないでください…」

「しかし、魔力が…」

「…魔力?」

 聞きたいような、聞きたくないような…。

「ザコル様の魔力ですが、今日の昼は深緑色に見えていたのです」

「ふかみどり…っ」

 深緑色と聞き、つい吹き出しそうになって何とか堪える。まさか魔力まで深緑色に見えるだなんて。

「しかし、元は明るい黄緑色だったと記憶しています。今は、青と深緑が激しく渦のように混ざり合っているかのようで…。こんな見え方は本当に本当に初めてだ…」

「え……」

 青、は町医者の彼いわく私の魔力の色である。

 思わず絶句し、縋るような気持ちでエビーの方に目線をやると、渋い顔をしていた。

「あー…。先生、すいません。とりあえずザコル殿の件は後で聞かせてください。取り急ぎ、さっきここであった事を説明させてもらってもいいすか」

「あ、ああ」

 町医者は戸惑いつつも耳を傾けてくれた。


 エビーは動揺している私に代わり、先程の私の体調不良の概要と、その原因として考えられるお香の事、そしてそのお香に対して自分を実験台に軽い検証を行いたい旨をサクサク説明した。

「まず、今のミカさんの魔力の状態を診てもらってもいいすか」

「ミカ様は、そうですな、普段に比べ、内に抑え込まれるように濃く縮んでいるように見えます。昼間見た時は体から溢れんばかりの輝きでしたから」

「あの、これでも大分体調は回復したんです。僅かに頭痛が残る程度で」

「ミカ様は魔法を使わないと馬酔いのような症状が出るとの事でしたか。その症状と似通っていたとか」

「そうです。それにさっきは一時的に魔法が使えなくなりましたし、外に出てからもしばらくは微妙な温度変化くらいしか起こせませんでした。深呼吸してしばらく休んだら戻ってきましたが…」


 手に持ったままだった水筒から、少し地面に水を垂らす。念じると水溜りはパシっと凍りつき、さらに念じるとジュッと一瞬で蒸発した。完全復活だ。


「なるほど、それは気になりますな…。それで、まずはこの護衛の彼、エビー殿を診ればいいのですな」

 町医者はエビーに向き直り全身をくまなく見た。まもなく日が落ちる。暗くなる前に終わらせないと結果が判らなくなるかもしれない。

「よし、行ってきますね」

 エビーが牢の扉を開け、中に入る。そしてすれ違うようにして見張りの衛士とコマが現れた。

 町医者はその二人を見てギョッとした。

「魔力が…細い線のようだ。君達はどこか悪いところや痛むところはないんですか」

 町医者が衛士とコマに駆け寄ろうとする。私はそれを止めた。

「先生、この二人は牢に長くいたせいで、かなりにおいが染み付いています。においが原因とは確定していませんが、先生のお力に何かがあっては患者さん達に申し開きができません」

 ぐ、と町医者が足を止める。エビーが予め忠告してくれて助かった。

 この稀有な力をあてにしているであろう患者の事もあるが、この検証だって町医者頼みだ。ザコルもおかしいことになってるみたいだし…それは多分私のせいなんだけど。


「コマさん、見張りの君。深呼吸をしてしばらく休んでください。あのお香のにおい…のせいかはまだ判りませんが、人の持つ魔力に何らかの影響を及ぼす何かが牢の中にあるようです」

「あー、それでさっき姫さん急いで出てったんか。俺は魔法なんざ使えねえし、何ともねえぞ。臭くて鼻はイカれそうだったがな。まあ多少毒に耐性もあるが…」

「私は…実は昨日からずっと頭痛が…。ですがそれだけです。私も魔法は使えません」

 コマと見張りの衛士はそれぞれ自分の状態を語った。


「君は普段門の方に勤めている子でしょう。魔法を使える程じゃないにしろ、人より魔力が多い子だったと記憶している。それがこんなに…」

 町医者は心配そうに、年若い衛士のつま先から頭のてっぺんまでくまなく見ていた。


 魔力のいろかたち。

 それが町医者にしか見えない以上、実際どんな風になっているのかは分からないが、人にはそれぞれ固有の色をした魔力があって、それが全身を覆うように存在しているのが通常の状態であるらしい。

 現状として私の魔力はまだ内に凝縮したようになっており、一日以上同じ空間に居続けたコマと見張り君に至っては、細い線のようになるまでギュッと抑え込まれている状態だとか。

 違う房にいて直接接触していないコマにもその傾向が見られるということは、少なくとも同じ空間にいる事が影響を受ける条件だという事になる。

 今の所お香が一番怪しいが、例えば音とか、お香を隠れ蓑にした無臭のガスなどである可能性もある。


「ミカ殿、町医者殿は魔力…? を、直接ご覧になる事ができるのでしょうか…」

「あ、ごめん、説明してなかったよね。エビーにもさっき話したんだけど…」

 小声で訊いてきたタイタにも町医者の能力について簡単に説明する。一通り話し終えてハッとした。

「先生、勝手に話して申し訳ありません。配慮が足りておりませんでした。護衛二人には町外の人間に言わないよう徹底させますので」

「お気遣いありがとうございますミカ様。エビー殿とタイタ殿には救護所の件でお世話になっておりますから。どうして知られて困るなどと申せましょうか」

 町医者は笑って許してくれた。

「コマさんもこの先生の能力の事は黙っていてほしいです。私、裁縫や編み物も得意ですよ。帽子やほっかむりが欲しければ縫うか編むかしてあげます」

「そりゃあいい、姫の手作りか。そこの阿呆犬に噛みつかれそうだぜ」

 コマは正気を失ったザコルをチラリと横目に見た。

「…ああー。確かに。じゃあどうします、ご希望は? 後はせいぜいお小遣いを渡すくらいしか…」

「お前から金なんざ受け取るわけねーだろが。俺は薬師だ。商売敵になりそうな優秀な医者の話なんて頼まれたってしねえよ」

 コマは腕を組んで馬小屋風の木の壁にもたれかかる。目を瞑り、これ以上の交渉は無用だと態度で示す。

「いい人…」

「いい人じゃねえっつうの。だが、そうだな。帽子くらいならもらってやってもいい。どっかに落としてきちまったからな」

 片目を開けてニヤッとする。正直ウィンクして微笑んでるだけの美少女にしか見えない。

 明るい場所に出てきた事で、コマの髪色が艶のあるダークブラウンで、瞳は輝かんばかりのエメラルドグリーンだという事が判明した。

 いい歳の男性だろうに信じられない可愛らしさだ。

「そう、じゃあ編みます。そうですね、緩めのニット帽とか。そのゆるふわヘアが全部入った方がいいですよね。色は…」

「目立たねえ色なら何でもいい」

「タイタ、八年前にコマさんがかぶってた帽子の色と形は覚えてる?」

「はい。暗めのキャメル色でした。恐らく染めてはおらず、原毛の色のまま紡いだ毛糸を編んだ素朴なものだったかと。かなり目深にかぶられておりましたので、目元に芯でも入れて浮かせておられていたのではないでしょうか。大きさはこの程度で、編み方は…」

 予想以上に詳しく説明してくれた。というか毛糸や編み物にやたら詳しいな…。

「よく覚えてんなお前…そういう能力者か? ますます惜しい事したぜ」

 コマがジロジロをタイタを観察している。

 確か、この町には羊を育てている畜産家もいたはずだ。後で毛糸を売ってもらおう。



 エビーが出てきたのは、牢屋に入ってから二十分くら経った頃だった。先程皆で入った時の滞在時間もそれくらいだったと思う。

 町医者はエビーを見るなり顔色を変えた。

「こんなにか、この短時間で…。君も不調は無いのかね」

「ええ、大丈夫すよ。自覚症状はありません」

 エビーの魔力もしっかり内に抑え込まれた状態になっていたようだ。エビーがすー、はー、と深呼吸をしてみせると、町医者はその様子を見て「確かに、少し回復してきてはいる」と安堵の息を漏らした。


 私が借りたままだった上着を返すと、エビーはそれを格好つけてバッと肩にかけた。

「へっへっへ、みんな、俺を褒めてください」

「ああ、よくやったなエビー。やはりあのにおいは辛かったか?」

 タイタが律儀に褒め、手持ちの水筒を差し出してやっている。

「代わりに行ってくれてありがとうねエビー。また撫でればいいの?」

「それはやめましょう姐さん。今度こそどうなるか分かったもんじゃねえんで」

 サッと手で制された。同感だ。申し出てはみたものの、私もあの手段はしばらく取りたくない。

「実は、時間稼ぎのついでだったんすけどね、俺はお前らの味方だって唆して話を聞き出してきましたよ。そしたらねえ、これもらいました!」

 じゃじゃん! とばかりに、エビーは薄紙に包まれた少量の粉を懐から出した。

「え、何それ、薬包紙? というか、奥にいた見張り君はどうしたの」

「手前に呼び出してちょーっと耳打ちして、一撃加えたフリで倒れててもらいました。一瞬ですけど、鍵を開けて猿轡まで取ってやったらあいつら大興奮で色々喋ってくれましたよお」

 はっはっはーと快活に笑うエビー。

「やっぱり、あの香に秘密があるらしいっす。でもね、奴らによれば、この薬を摂取すればあのお香の影響? 頭痛? は治る上、さらに気持ち良ーくなれるらしいんすよ。下手な酒よりも飛べるんだと」

「それって、麻薬みたいなものって事?」

「貸せ」

 いつの間に移動したのか、コマがエビーの手から薬包をスッと取り上げる。

「あっ、何すんすかコマさん」

 コマがその薬包を慎重に開け、スンとにおいを嗅ぐ、そして小指に少しつけて舐めた。

「……これは、興奮作用や幻覚作用が副作用にある毒の一種だな。南方の森に自生しているニタギの根から採れるもんだろう。町医者、今どう視えてる」

「これは…! 少しだが君の抑え込まれた魔力が解放されているように見える。ニタギの毒に魔力を解放、いや活性化するかのような作用があったとは…! 興味深い。君は薬師と言ったか、ああ、同志村の彼もここにいれば有意義な議論ができたのに…!」

 町医者がコマの様子を見て目を輝かせている。そうだ、例の天才医師も自分で調薬する人だった。


「あのお香は、ある獣を大人しくさせるための道具だそうすよ。獣とやらは魔法が使えるようなんすけどね、その魔法を封じる効果があるとか言ってました。魔封じの香、って呼ばれてて人間の魔法士にも効果があるとか…。普通の人でも長く嗅いでいると徐々に体を蝕む危険な代物だそうですが、なんと! この薬と合わせて使うと内に溜まったモノを解放する快感? だか何だかを味わえるんだそうすよ。それが病みつきだとかなんとか」


 エビーがペラペラと澱みなく報告するのを、コマと町医者が真剣な表情で聴いている。

「なるほど、予め魔力を抑え込む事によってより効果を強く感じられる仕組み、ということか」

「ロクでもねえな。そんな事してたら倍の速さでオツムがイカれんぞ。おい金髪のお前、香の方はあるのか」

「これっす。女の一人が隠し持ってました。焚く前のもんです」

「気が利くじゃねーか」


 お香と麻薬の相乗効果について初対面の医師と薬師が大盛り上がりしている。

 町医者にはにおいを嗅がないように言ったはずだが、うっかり焚く前の香を直接手に取ろうとしてコマに叱られている。うーん、やっぱコマさんていい人だよな…。

「エビー、よくこんな短時間でそこまで聞き出せたね。凄いよ」

 そう言うと、エビーは盛り上がる医療従事者コンビを邪魔しないようにか、小声で返してきた。

「俺が、あいつらを雇ったっていう悪いお貴族様が送り込んだ工作員なんだって適当に言ったらなんと信じたんすよね。チョロすぎっつーか、薬のせいで頭がイカれてんのかもしれねーすけど…。今夜お前らの代わりにあの女を拐ってやる、この香が効く相手なんだろう、だが俺もこの香は頭痛がして苦手だ、みたいな事を言ったら、色々説明してくれてこの薬を分けてくれました。ていうかよく今まで隠し持ててましたよね、ここはサカシータ領だってのに」


 エビーは例の襲撃してきた最初の四人の尋問に同席していたものの、狂気二人の活躍がめざまし過ぎてほぼ参加していなかった。私がつけた刀傷を手当てし、水を飲ませるなどの世話をしたのもエビーだ。向かいの檻にいた四人がそれを証言した事で、新顔の二人がエビーの嘘をあっさり信じたようだった。


「何があるか分からないすよねえ、俺、全然活躍できてなくて良かったっす」

「うん、何て言ったらいいか解らないけど…。とりあえずお手柄だよエビー! ヘイ!」

「そうだな、流石だなエビー。ヘイ?」

 片手を挙げて待つ私に倣い、タイタも何となく片手を挙げた。エビーが両手を挙げ、

「ヘーイ!!」

 と勢いよくダブルハイタッチを私達相手に決めた。


 ◇ ◇ ◇


 その後、見張りの彼らは二人揃って違う衛士と交代した。エビーの手引きであるみたいな匂わせまでして。もちろん全くそんな事実はない。一人は体調も悪かったようだし丁度いいだろう。エビーはまだ彼ら教徒の中では味方の一人という事になっている。再び猿轡をされて牢に鍵をかけられたものの、エビーの活躍を信じ切り、気味の悪い笑いも絶好調、だそうだ。


 町医者には先に診療所へと帰ってもらい、今夜、町長屋敷を尋ねてくれるよう頼んだ。ザコルのことも診察してもらわないといけない。


 私達はコマを交え、人けのない道を通って町長屋敷へと向かっている。

 辺りはすっかり薄暗い。西の空は濃い橙色と紺青がグラデーションを描いている。今夜もまた遅くなるかもしれない旨を同志村へ連絡しなければならないが、それは屋敷の使用人にお願いする事にしよう。


「そんで、この阿呆犬はいつまで呆けてんだ」

 コマが未だに私に手を引かれているザコルを見上げて言った。


「ねえエビー、前に礼拝堂で心神喪失した後ってどうやって起きたのかなこの人」

「うーん、あ、そうだ。一度目は俺が寝ちまったミカさんを運ぼうとしたら執念で起きました。二度目は…そうそう、タイさんとミカさんが二人で出かけてますけど帰ってきませんよーって耳元で囁いたらガバって起きて走り出して…」

 そうだったのか。エビーが起こしてくれて良かった。あの時はもう間に合わないかと思ったし…。


「俺が一人で護衛についたのがザコル殿の気に障ったのか、それは申し訳のない事をした」

「タイタは悪くないよ。私に命じられてついて来ただけだし。むしろ巻き込んで…」

 ごめん、とまた謝罪を口にしようとして飲み込む。危ない危ない。


「ザコル殿さあ、タイさんだけじゃなく義母のイーリア様やピッタちゃんにすら嫉妬してますよ。さっきはミカさんが俺をうっかり撫でたりなんかしたもんだから、ミカさん抱いたままアカイシ山脈に行こうとして…そんで、色々あって心神喪失状態に…」

 コマがうへぇ、と既視感のある表情になる。

 あの時は口元しか見えていなかったが、その口の曲がり具合はあの時と同じだった。

「相変わらず拗らせてやがんな。姫さん、マジでこいつと婚約すんのか。前も言ったが、この先ずーっと面倒だぞ」

「前も言いましたけど、この拗らせすぎて面倒な所も愛しいんじゃないですか。まあ、婚約云々は私にもよく分かりませんが。不意打ちみたいなものでしたし…」

「フン、姫さんならどうとでもあしらえたろ」

「買い被り過ぎですよ。自分の鈍さに自分でも呆れてる所です。もうびっくりするくらい流されてるんです。それに、嫌じゃないから振るのも難しいっていうかぁ」

 きゅるるーん。わざとらしくポーズを取る。私はアホで流されてるだけなので何も分かりませーん。

「ケッ、詮索なんかしねえってんだこの物好きが」

「やだなあ、物好きだなんて。嫌じゃないのは本当ですし、ザコルはこれ以上ない素敵な人ですよ。でも私は…もしかしたら、こっちの人と結ばれちゃいけない感じの存在じゃないかって……あ、コマさん、魔法士じゃなくても誰もが魔力を持ってるって事、知ってました?」


 コマは町医者の魔力を見る能力や魔封じの香とらの存在に関して、違和感なく受け入れていたように思う。一般の人が知らないだけで、医療従事者の間では誰もが魔力を持つというのは常識なのだろうか。

 ザコルを見た町医者の、魔力が濃くなっている、二つの魔力が渦のように混ざっている、という言葉がぐるぐると頭を回っている。

 その言を信じるとして、単純に考えれば、私からザコルに魔力が移っているという事ではないか。条件はきっと、いや間違いなく経口、つまりキスだ。

 今回は唾液を無理矢理飲ませるようなことはしなかった。ただ唇を合わせるだけで、元から備わった魔力に変化を及ぼしているという事だ。それが後々どういう結果に繋がるのか、私には全く判らない。


「言っとくが、俺は町医者がこの阿呆を診て何を言ったのかまでは聞いてねえぞ。だが、魔法士じゃねえ奴にも魔力があって、それが生命力のような役割を果たしてるらしいのは知っている。それを前提とした治療薬や治療方法も存在するからな。現代では廃れてるが」


 私はコマの方を思い切り振り向いた。

「コマさんそれ本当ですか、その治療方法とやらを知ってるんですか!?」

「急に何だ、落ち着け。廃れてるって言っただろ。俺も古い薬学書の中の記述を見ただけでそう詳しくはねえ。あの町医者の方が詳しいだろ、何せ魔力が視えるんだからな。そんな奴ぁなかなかいねえ」

「その薬学書ってどこにありますか!? 私、私、この人を治さないと、も、もう、どうしていいか」

「落ち着けって」


 もし経口以外で魔力に干渉する方法があるのなら、魔力が混ざった状態であるザコルを元に戻す事だってできるかもしれない。

 そもそも、魔力を抑制するお香の存在があるのだから、魔力の状態を正常に戻す薬が存在してもおかしくはないはずだ。

 だったら…。


「治せるのなら何でもしますから。大体、この心神喪失状態だって、実は魔力の異常とかなんじゃ……!? も、もう、取り返しのつかない事になってたら…ど、どうしたら、いいの…っ」

「ミカさん! 落ち着いて、大丈夫、大丈夫すよ、町医者先生が何とかしてくれますって」

「ザコル殿も頑強さには自信があるとおっしゃっていました! きっと大丈夫です!」

 エビーとタイタが寄ってきて口々に宥めようとしてくれる。私だって、大丈夫だと思いたい。


 先程までは悩んでも仕方ないからとなるべく考えないようにしていたのに、治療方法があるかもしれないと聞いて、完全に頭がそれ一色になった。


「でも、でも…っ、どうしてもっ、うぇっ…、は…っ…」

 また息が吸えなくなってきた。吸っているはずなのに苦しいし、頬を涙が伝う。吐き気まで催してきた。

「ミカ殿! 過呼吸ですね! 息を吐けば大丈夫です! ほら、ひっひっふうー」

 それは出産の時の呼吸法では…。ちょっとだけ冷静になった。

「は、はぁ、息を、はか、なきゃ」

「おいおい、どんだけ思い詰めてんだよ…。ほら姫さん、もっと息吐け、落ち着け、な?」

「ほらほら、すいません、少し口塞ぎますよ」

 エビーが私の過呼吸を止めるために口元を軽く塞ごうと、ハンカチを持った手をこちらに近づけようとする。

 その瞬間。

「ミカ」

 急に手を引かれて向きを変えられた思ったら、ぎゅうと強く抱き締められた。

「ぐう……!!」

 あまりの締め付けに息が止まる。と、思ったら急に剥がされ、勢いよく口で口を塞がれた。

「うむ、む、むう…!」

 例によって頭をガッチリ掴まれて離れられない。

 がく…。

 抵抗虚しく脱力すると、やっと解放してくれた。

「何をまた過呼吸になっているんです。しかも勝手に泣かないでください」

 腰砕けになった私を据わった目が見下ろす。

「う、うえぇ…っ、うええええぇぇー…」

「余計に泣いた…」

 ザコルは自力で立てない私を抱き上げ、縦抱きのような体勢にして背中をポンポンと叩いた。


「全く、今度は何を思い詰めているんだか。魔法を使えば気が晴れますかね。町長屋敷に戻ったらさっさと風呂でも沸かしてください」

「何言ってんのぉ…私がぁ…どんなに心配してぇ…えぐぅっ…」

「分かりましたから。僕の肩を鼻水まみれにしないでください」


 鼻を啜って顔をあげたら、コマがうへぇ、という顔をしていたし、エビーも同じような顔をしていた。

 タイタはニコニコとして、ザコル殿が目覚められて良かったですね、と言った。


 ◇ ◇ ◇


「だから魔力が混ざってるって先生が…!」

「僕がミカごときの魔力に侵されたからってどうなるって言うんです。見くびらないでほしいですね」

「その妙な自信は何なんですか!」


 町医者に言われた事を説明しようとするが、気持ちが昂ぶっているせいかうまく伝わらない。危機感のないザコルにイライラして、ついキツい言葉を投げつけてしまう。

 …それさえも彼に抱き上げられたまま進んでいるような状態では、全く格好がついていない。


「大体、自覚症状が無いからって今後どうなるか判らないんですよ。もう口にはしないでください。私もしませんから。舐めるのも禁止です」

 涙を、とは大声で言えず、目元を指してそう言ったら、ザコルが私の涙まみれの頬をべろんと舐めた。

「な、な、な……!! 何て事するんですか!?」

「もう今更です。どうして僕が我慢しなければならないんだ」

「もう、もう、もう!! 降ろして!! ザコルの馬鹿!!」


 ザコルの頭やら顔やらを半ば本気でバシバシと叩いたが、ザコルはどこ吹く風だ。

「エビー、僕が瞑想していた間の事を詳しく話してください。町医者は正確には何と言っていましたか」

 何事も無いような顔でエビーに話を振る。思い切りジタバタしてみたが降ろしてくれる様子もない。

「ああ、俺らの存在、覚えててくれて何よりっすよ…。ふーん、瞑想すか。随分長かったすねえ」

 エビーが隣を歩きながらザコルにジトリとした目線を向ける。

「ええ、瞑想です。たまには瞑想でもして心を落ち着けないと、また山に足が向きそうですので」

「セクハラの件については謝りますけど! 何ですぐに山とか森に突っ込みたがるんすか!?」

「人里に比べたら、森や山の方が遥かに安全で心穏やかに過ごせます」

 野生動物なのかな…。


 コマはタイタの方に寄っていって関係のない話をしている。

 タイタが八年前のあの時は…と切り出すと適当にあしらい、簡単な心理テストのような問答を始めた。どうやら本気で目をつけられたようだ。ジーク領に引き抜かれないように釘を刺すべきだろうか。スカウトを受けるも受けないもタイタの人生なので、下手に口出しするのは気が引けるが。


 エビーは、町医者がザコルと私、それにコマを見てそれぞれに何を言ったか、さらに牢に入った自分の魔力の変化についても細かく丁寧に報告した。嘘をついて薬とお香の実物を手に入れた事も話し、聞き出した効能についても解りやすく説明する。

「よくぞそこまで進展させられましたね。エビー」

「お褒めに預かり光栄すよお」

 まるで先生みたいな調子で褒めるザコルに、エビーも嬉しそうに胸を張った。


「奴らの言う事が真実かどうかは、コマや町医者がすぐに証明してくれるでしょう。…なるほど、薬漬けにして信者を囲っていたのか。ニタギの毒とはまた珍しい物を」

 ザコルも知っている毒物らしい。裏稼業の間では有名なブツなんだろうか。

「手に入りにくい物なんですか?」

「南方の暖かい地域でしか手に入らない植物です。栽培も難しいと聞いた事があります。そうだな、コマ。……おい、コマ」

 コマが面倒くさそうな顔で振り返る。

「ああ、ニタギな。この国じゃ、カリー公爵領の端で採れるかどうかってとこだ。その向こうの隣国まで行った方が入手は確実だな」

「隣国、マサラン国か。そういえばお前、情報とは何だ」

「後にしろ変態。俺は今この逸材を試すのに忙しい」

 コマはシッシッと、ザコルに向かって手を振る。

 ザコルは眉を寄せた。

「タイタを毒そうとするな。彼はれっきとしたテイラーの騎士だぞ」

「お前が言うか。イカれた尋問野郎に仕立てようとしてたんだろが。赤毛のお前、俺についてこい。そのくだらねえ常識や倫理に捉われない合理的な思考、高い攻撃性、類い稀な記憶力。なまじ捻くれてないのもいいな。諜報の相棒として打ってつけだ。すぐにでもジークへ移籍しろ」

「ちょっとコマさん、タイタは人の気持ちに多少疎いかもしれませんけど、味方にはとっても優しい子ですし、遠回しに残忍みたいな言い方しないでくださいよ」

 常識や倫理が無いとか攻撃性が高いとか。可愛いタイタに何て事言うんだ。


 よし決めた、この子は渡してなるものか。


「ミカ殿、大丈夫ですよ。コマ殿はきっと俺という人間を誤解なさっているんでしょう。しかしコマ殿、お気持ちは嬉しいのですが、俺は大恩あるテイラー伯爵様よりミカ殿の護衛を任された身です。この任務を最後までやり遂げる事こそ本懐ですので」

 タイタが胸に手を当て、コマに一礼した。


「その任務さえ終わればいいんだな。いいだろう、俺が早めに終わらせてやる」

 ニヤ、とコマが笑う。

「コマ、任務が終わってもタイタはやらないぞ。僕が責任を持って育てる」

「ダメです。私が面倒見るんです。同じ推し仲間の私が面倒見た方が絶対いいに決まってます」

「お前らみたいにネジの飛んだ奴らがこいつを活かしきれるかよ。ここは俺様に任せときゃいいんだ」

 ゴゴゴゴゴゴゴ……

 ザコルと私とコマで睨み合いになる。ここは譲れない。


「あ、あの、皆さん、どうして俺なんかを…」

 タイタが狼狽えている。彼は動揺すると腰が引け、両手が宙に彷徨うので判りやすい。

 そんなタイタにザコルがスッと手を差し出す。私とコマもすぐさま手を出した。


「タイタ、君は僕のファンでしょう。僕がいいですよね。尋問は奥深いですよ、あらゆる手管を教えてあげます」

「タイちゃん、私についてくれば大丈夫だよ。立派な社畜…じゃなかった、真っ当な社会人にしてあげるからね」

「赤毛、俺ならお前の能力を最大限に引き出してやれるぞ。裏の世界で名を知らぬ者がいねえまでにしてやろう」

「タイさんは俺のセーフティゾーンなんで。これまで通り俺がフォローするんで狂気の皆さんは手出し無用っす」


 エビーまで手を出してきた。


『さあ、誰にする?』


「な、な、何がどうしてこんな事に!? お、俺みたいな者に、どうして皆そのような…っ」

 全員から手を差し出され、ラブコールを送られたタイタが悲鳴を上げた。

 ザコルが私を抱いたまま跳び、その背後を取る。

「タイタ、図らずも僕の気持ちが解ったようですね。でも君は僕のファンだと言いました。今更誰にもやらない」

 耳元にそう囁かれ、タイタは膝から崩れ落ちた。


 ◇ ◇ ◇


「あーあー。可哀想に。猟犬殿がトドメ刺すからー」

 タイタを担いだザコルをエビーが揶揄う。

 当初ザコルは私を抱いたままタイタの事も抱えようとしたが、タイタの身体が大きいので私かタイタどちらかを引き摺る羽目になり、仕方なく私を降ろしてタイタを肩に担いだ。

 そろそろ町の中心部に着く。明かりも近づいてきた。


「私はここで何を思うのが正解なんだろうか」

「ここはタイさんに嫉妬するとこじゃないすか?」

「自分の気持ちがよく解らなくなってきた…お花畑失格だわ」

「嫌味すか…?」


 さっきはこれ以上頬を舐められる前に離れようとジタバタもがいていたが、いざ降ろされてしまうと寂しい気もしてくる。流石はお花畑、我ながら勝手なものだ。

「でもまあ、私は危険ですからね。ちょっと離れています」

 護衛上困らない程度にそっと皆から距離を置こうとしたら、ザコルとエビーが同時に私のコートの生地を掴んだ。

 二人の男性に両脇を固められた上に怖い顔で見下ろされ、少しだけ身が竦む。


「あ、あの、ザコルは何となく解るけど…エビーまでどうしたの。別に遠くに行こうとしたわけじゃないよ。ほら、色々と毒物くっつけて歩いてるようなものかもしれないしさ、あまり触れないようにした方がいいと思っただけで」


 さっき号泣したせいであちこちに涙が付着している。もしこれが誰かの手に触れて口にでも入ったら、魔力のおかしい人が増えてしまうかもしれない。魔力が混ざったか移った原因として一番怪しいのは経口だが、涙だってまだまだ警戒すべきだ。毒の効かないザコルはともかく、涙の治癒効果に対し、一般人が何の副作用も負わないとも言い切れない。

 想定しない事が続いている以上、あらゆる可能性を考えてリスクヘッジを取るべきなのだ。

「……俺がヘコむんで。距離取ろうとしないでくださいよ」

「エビー…」

 いつかの私のセリフだ。だからそれは精神的な距離の事であって、物理的な距離の話ではないのに。

「エビー。ミカは僕が捕まえていますから、離れていて結構ですよ」

「ミカさんの心身のサポートはセオドア様から直々に命じられてる事なんで!」

 負けじと言い返すエビーに、ザコルが小さく舌打ちする。


「ミカさん。さっきから自分の存在が毒みたいな言い方すんのやめてくださいよ。まだ解らない事が多いかもしれませんけど、その力、絶対、絶対に悪いものなんかじゃないはずです。ほら、ザコル殿だってどっからどう見たって元気すよ。だからもう、あんな風に思い詰めんでくださいよ、お願いですから…!」


 彼が片手に持ったランプの光が、どこか焦燥に駆られたような顔を浮かび上がらせる。


「…だから、勝手に悩んで離れようとすんなよな、馬鹿姉貴」


 職務などとは割り切れない、温度のあるその言葉がじわりと視界を歪ませる。

「エビー…ありがとう…でも…」

「ほら、泣かんでくださいよ。さっきから泣きすぎて顔がひっでえ事になってますよ。においも完全に取れてませんし、もう一度風呂に入った方がいいすよ、姐さん」

「うん、うん…そうだね。屋敷のお風呂何度も借りて申し訳ないけど…。戻ったら皆でお風呂に入ろうね」

 私は泣きながら何とか笑って顔を上げた。

「もういいでしょう、離れ…」

「俺様が先だからな。約束忘れんじゃねえぞ姫さん」


 コマがエビーを押しのけて私の隣にずいっと並び、会話に入ってくる。

 ザコルが私の肩を持ってサッと引いた。エビーが護衛らしく剣の柄に手をやろうとするので、そっちは軽く首を振って制した。


「はいもちろん、約束通りコマさんが一番風呂ですよ。帽子の方はこれから毛糸買って編む事になりますから、今日のところはこの山の民の頭巾でも貸しておきましょうか」

 私は肩掛け鞄から山の民の長老が選んでくれた頭巾を取り出してコマに渡す。

 コマもかぶってはくれたものの、目元まで隠すにはどうにも向かない形だった。これでは、単に山の民風の美少女、っぽいのが爆誕しただけだ。

「いや、かぶったって俺が可愛いだけだろコレ」

「あははは、滅茶苦茶似合ってますよ。ねえ、今度一緒に山の民の民族衣装、お揃いで着ません?」

「ふん、俺様の引き立て役にでもなりてえのか」

「望む所です。全力で引き立ててやりますよ」

「ほんっとお前、変な女だよな」

 コマとお喋りを楽しんでいたら、ザコルが私と無理矢理位置を入れ替え、コマと私の間に入った。

「何だ阿呆犬。美少女両脇に侍らせて町中をパレードしてえのか?」

「ミカから離れろ下衆め」

 ヒュウ…と冷たい風が吹き抜ける。


「美少女…って、コマさん、私の年齢知ってます…?」

「いや。見たとこ若く見えるが、実はこの阿呆と大差ねえだろ」

「よく判りましたね。私ってこちらの人にはどうにも若く見えるみたいで、行く先々でザコルが変態扱いされるんですよ」

「奇遇だな、俺も若え女にしか見られねえよ。それをこうしてだな」


 コマは私にザコルの前に行って胸にひっつくよう指示し、コマ自身はザコルの空いた腕にしがみつく。コマは人と触れ合うのが苦手そうだと勝手に思っていたのだが、よく知っている人なら平気なんだろうか。


「よし、金髪、前から見てみろ」

「俺にはエビーって名前があるんすけど……ブッ」

 文句を言いながら前に回ったエビーが吹き出した。

「ははははは!! 何だこのクソ野郎は! いたいけな女の子二人も侍らせて! これは町の人に殺されますよお」

 ザコルが腕を振ってコマを振り解こうとしている。

「おい、離れろ、この町はミカの味方だらけだ。僕が本気で殺られかねない。お前もだぞ」

「そうだろうな。俺もまさか領境越えただけで捕まるとは思ってなかった。この領はバケモンの巣窟か?」

「分かっているなら早く離れろ。死にたいのか!」

 コマは腕を離す様子がない。


「ねえ、エビー」

 後ろ向きで口笛を吹きながら歩くエビーに声をかける。

「町長屋敷に先触れ出してきてくれない? いきなりコマさんを連れてったら混乱すると思う。タイタもこんなだし」

 タイタは相変わらずザコルの肩に担がれたままだ。

「へへっ、そうすね。色んな意味で混乱する事必至すね。分かりました。コマさん、ミカさんの事お願いしますよ」

 エビーは頷き、持っていたランプをコマに渡した。

「おいおい、俺を信用しすぎじゃねえのか。大体てめえさっきは…」

「ミカさんから散々いい人だって聴かされてるんで。ほんじゃ、行ってきます」

 エビーはくるっと向きを変えて闇の中を駆けていく。

 もうすっかり夜だ。同志村の女性達にお湯を配るという約束は、今日はもう守れないかもしれない。



 エビーの背中が見えなくなると、コマがスッとザコルの腕を離した。

「あんがとな、姫さん」

「いいえー」

 コマの様子を見ていて、何となくザコルと内緒話したいんだろうと思い、エビーを先に行かせたが正解だったようだ。

「私も耳塞いでましょうか? 離れると怒られますから」

「あんたは別にいい。勘繰らせる方が後々面倒な事になりそうだしな。黙って聴いてろ」

「さっさと話せ、コマ」

 ザコルが低い声で言う。


「クーデターだ。例によって王弟がはっちゃけてやがる。王は公爵領に逃れたと。王弟側はお前を貴重な渡り人を私欲のために拐った逆賊だと触れ回っている。不貞の証拠もあると。渡り人の保護を口実にお前を罰し、この地の主導権を握りたいようだ」

 コマは声を落とし、淡々と言葉を並べていく。

「現王からの信頼が厚かったテイラーは今の所動きがない。どう動くつもりかも分からねえ。奥様方の茶会も中止になったようだしな。まあ、ジークも今んとこ様子見中だ。オンジ様とマンジ様からお前に伝言だ。氷を守れ、と」


 ランプの光がコマの美しい横顔を照らしている。

 氷、とはきっと氷姫の事だろう。

 コマは、私が渡り人、すなわち氷姫だと知らない事になっていたと先程言っていた。だが、私はコマに氷結魔法を隠してはいないので察してはいたはずだ。


「氷か。言われなくとも守る。忘れているようだが、僕もテイラーの犬だぞ」

「俺らはそう考えてねえ。お前はお前だからな。いざとなったら手段は選ぶな、ザコル」


 コマがザコルの名を呼んだ。短い付き合いだが、コマが人を本名で呼ぶところは初めて聴いた。

 ザコルに対しても、猟犬とか、犬とか、阿呆犬とか、唐変木とか、変態とか……

 どれもロクな呼び方じゃない。


「僕はテイラーにつくと決めている。それにミカの家でもある。手段について僕一人で判断する事は避けたい。あの二人には話すぞ」

 どうやら、もう独断で森や山に突っ込むのはやめてくれたらしい。良かった、次はどうやって止めようかと思っていたのだ。

「俺が命じられたのはお前への伝言のみだ。てめえで判断しろ」

「お前はどうする」

「俺はここに残る。俺もここに来て知ったが、三日前の水害でかなりダメージ食らったらしいな。じきに王都にも伝わるだろう。機を得たりと馬鹿共がここに押し寄せるかもしれねえ。いざとなったら俺が囮になる」

 誰の、と訊くまでもない。コマは私を逃すために自身が囮になると言っている。

 …えっ、この絶世の美少女みたいな人が私なんぞの代わりに? 即バレでは?

「王弟と邪教の間に繋がりがあるかどうかもはっきりしてねえしな。こっちも調べさせてもらうぞ」

「その許可を出すのは僕じゃない。義母…子爵夫人だ」

「そこは子爵本人じゃねーのかよ。この領も謎が多すぎんだよ」

 それはそう。子爵夫人というかまるで女王だ。うんうん。

「その言葉そっくり返すぞ。僕からもお前に訊きたい事が山程ある」

 それはそう。どうしてこんなに可愛いのかと山程訊きたい。うんうん。

「赤毛をくれるんなら何でも答えてやるぞ」

「タイタはテイラーの騎士だと何度言えば分かる」

 それもそう。タイタはうちの子だ。うんうん。

 というかこのまま脱線するつもりだろうか。

 そうはいかないぜ。


「ヘイyo! 高貴な姫の出番ですか?」

「てめえは黙ってろっつっただろ変な女が!」

「ミカはもう……はあ」


 コマだけでなくザコルにまで溜息を吐かれた。めげない。

「さっきから気の抜けるような独り言を連発していたかと思えば…」

「やっぱり聴こえてましたか独り言」

 聴かせていたようなものだが、改めてザコルの耳の良さに感心する。

「話の邪魔してすみません。でも、『氷』の市場価値くらいは先に訊いておきたくて。この要所、サカシータ領に手を出す口実にされるのは解りましたけど、捕まった後は何に使用される予定なんですか。それによって、当氷としても逃げたり戦ったりするモチベーションが変わってくると言いますか…。というか、どうしてジーク伯爵様方は、そうまでして氷を守ろうとしてくださるんですかねえ?」


 ガッツリ交流しているテイラーやサカシータはまだしも、たまたま会ってこちらが一方的に世話になっただけのジーク領のツートップが、わざわざ密使を送ってまで氷姫を守れと念を押す意味が分からない。

 オンジ・マンジの兄弟は私の何を知っているんだろう。イェル様達の前や、フジの里でもそれほど重大な事は話していないはずなのに。


 氷結以外に熱湯を沸かせるようになった事は今日から一部に告知しているが、自己治癒能力や涙などによる治癒効果についてはごく僅かな人間しか知らず、テイラーにだって報告できていない。

 王弟派を含む多くの貴族には現状、氷姫はただ氷が作れるだけの存在、と認識されているはずなのだ。兵器としては使いにくく、しかも世間知らずで、この世界のどこにも身寄りがない女。そんな女を王弟が囲ったからといって、ジーク領に住む彼らが自分達の不利益に繋げて考えるだろうか?


 ラースラ教に関しても、彼らは私を魔獣の伴侶にしたいらしいが、この国に来て日の浅い異世界人の女が密かに生贄にされた所で、関係者以外は痛くも痒くもないはず。彼らが囲う魔獣自体が、国を揺るがすような脅威だというなら話は別かもしれないが。


「ミカ、渡り人というのはあなたが思っている以上に神聖視されているんですよ。新しい王が囲えば箔がつく程度には。目的のために早く求心力を得たいのならば、手っ取り早い駒になる」

「プロパガンダ的に使用されるわけですか…。で、不貞の証拠? とやらもあるんですよね。身に覚えがありませんけど」

「全くですね」

「お前ら本気で言ってんのか?」

 コマが呆れ切った顔で言う。

「少なくとも、人目のある場所で何か過ぎた行いをした事はないんですよ」

 今日はちょっと町中を腕組んでパレードしちゃったけど…。

 この婚約騒動? でさえも、まだモナ領より向こうには伝わっていないはずだ。

「俺の目は人目じゃねえのか」

「まあ、そういう証拠とやらがあると仮定して。そんな傷物疑惑の年増のスキャンダルなんて誰も喜びませんて」

「ミカ。自分をそんな風に言わないでくれませんか。僕が悲しみます」

 ザコルが空いた手で私の耳のあたりを撫でる。

「ん…ごめんなさい」

 くすぐったい。

「お前ら俺を無視すんな」

「あなたの利用価値など、それこそ無限にあります。それにあのゴミ、いや第二王子殿下が氷姫はそれはもう素晴らしい女性だと方々に説いて回っているそうなので。その姫を救いに行くと言えば、それだけで英雄のように呼ぶ人間もいるでしょう」

 トンチキ王子か。まだめげてなかったのか。もっと嫌われるくらいまで釘を刺しておけばよかった。

「そのトンチキ…いや、第二王子殿下は現在どうしてるんですか?」

「トンチキは王弟についた。王弟には子がないからな。王太子に指名するとでも言われてんだろ。いいか、俺を無視すんな!」

 トンチキ王子を頑張って操っていたのは王弟だったか…。

「大方、救い出した麗しの氷姫に豪華なドレス着せて妃にでもすんじゃねえの。未婚の王子はアレだが、王弟は既婚のおっさんだからな。年増でも傷物でも、お慈悲で側妃に迎えてやるとでも言うつもりだろ」

 妃かあ…。思わず自分の服をギュッと掴んだら、ザコルがまた髪を撫でてくれた。


「まあ俺も、氷を守れ、の意味は詳しくは聞かされてねえ。ただ、あのお方らがそう言うんなら俺は死守する」

「死守するのは僕の役目だ」

「うるせえ。頼りになる俺様が協力してやるっつってんだ。感謝しやがれ!」

 コマもしばらく私の身辺を見張ってくれるって事なのかな…。囮までさせるのは心苦しいのだが。


「テイラーの動きは分からないんですよね、セオドア様やサーラ様、アメリアやオリヴァーがどうしてるかとか…」

「知らねえな。だがテイラー邸の警備は厳しい事で有名だ。そうそう危ねえ目には遭わねえだろうよ」

 由緒正しい守りの系譜がいるというテイラー邸。でも…。

「アメリアが、第二王子殿下に目をつけられていたから…。あの、ザコル」

「僕はあなたの側にいます。主はそうしろとおっしゃった」

 ザコルをテイラーへ帰した方がいいかも、と一瞬考えたが却下されてしまった。

「王都には兄が二人います。滅多な事は止めてくれるはずです」

 そのお兄さん方は危ない目に遭っていないのだろうか。

「兄達の心配は不要です。王都の騎士風情にどうにかできる存在でもありませんし」

 戦闘民族サカシータ人だもんね…。

 そのお兄様達は、色々と疑惑をかけられている弟の擁護はしてくれないのだろうか、と思ったが、それは独り言に出ないよう固く口を閉じた。ご家族のことに突っ込みすぎるのは良くない。


 移動に一週間もかかるような場所から心配しても仕方ないかもしれないが、それでもテイラー家の事は心配だ。

 心配と言えば、もう一人いる。


「そういえば中田はどうなんですか。私の知ってる中田かどうか分かりませんが、中田は守られているんですか?」

 渡り人が神聖視されるというのであれば、中田(仮)だって狙われる可能性があるだろう。王弟のお相手が務まるかどうかは置いといても。

「それは義母に訊かないと分かりません。どちらにしても僕はミカしか守りません」

 中田(仮)、強く生きろよ。


「ナカタってのは、例の新人兵士ってヤツか。まだ接触してねえんだな。姫さんの知り合いの可能性があんのか」

 コマも中田出現の情報は握っているようだ。

「名前と、独特な武術を使う、という条件だけを見れば、かつての仕事仲間に該当しそうな人がいるというだけです。人違いの可能性も充分ありますが、少なくとも同郷ではあるでしょうから、確認するためにここまで来たんですよ」

「俺もそいつを確認したい。子爵夫人に渡りをつけてくれるよう頼め、犬」

 コマがどこかはしゃいだように言った。そんなに中田に会ってみたいのか。スカウトでもするんだろうか。

「自分で直接言えばいいだろう。今から連れて行くんだからな」

「はあ? 俺みたいなもんが子爵夫人サマの御前に出られるわけないだろが。正真正銘のドブネズミだぞ」

 コマは前に孤児出身だったような事を言っていた気がする。あのイーリアがそんな事を気にするとも思えないが。

「イーリア様はきっとコマさんを歓迎してくれますよ。ザコルの良いお友達だって話しておきましたから」

「てめ…っ、何だって周りに俺を売り込んでやがんだ! 少しは警戒しろ阿呆女が!」

「阿呆女とは何ですか。イーリア様、ザコルに関係を築けた人がいて良かったって喜んでましたよ」

 はあああ、とコマが深い溜息を吐く。

「……猟犬よう、こいつ神経がどっかイカれてんじゃねえのか。これから戦争すんだぞ? 他領の工作員に気ぃ許しすぎだろ。子爵夫人はまともな感性持ってんだろうな」

「義母は軍師だ。お前が役に立つ駒なら無碍に扱う事はない」

「……俺、今日はこのまま野宿し…」

 ザコルがガッとコマの腰に手を回した。

 そのまま小脇に抱えると、引き摺りながらスタスタと歩き出した。



つづく

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