あんな坊っちゃまが九人もいたのですよ
「本当に大丈夫ですか、ミカ」
「もうだいじょぶです。ていうか心配しすぎですよ」
私に自己治癒能力があることを誰より理解しているだろうに、全くうちの彼氏は過保護だ。
「いやあ、肩外れてなくてよかったぜ…」
「皆様の手前、気を配れずに申し上げられず申し訳ありません」
「いいの、大ごとにされても困るからだいじょぶ。ほら三人とも、私はいいからあの二人追いかけて」
「わ、もういねえし!」
反省したのも束の間、いち早く部屋を飛び出し、壁をぶち抜きそうな勢いで走っていった少年達を追って護衛達が走り出した。
子供とは、一人一人だといい子というか、大人のペースに合わせようと気を遣ってもくれるが、仲間を得て二人以上になると途端に本来のテンションを発揮してしまう生き物らしい。シータイで幼児軍団と遊ぶようになってから知ったことである。
「あ、そうだ。ローリさん、カルダさんっています?」
「はっ、ここに!」
「え、どこ、ああ天井か」
彼らは廊下の天井に貼り付いていた。非常にデジャヴな光景だ。
「申し訳ないんですが、先回りして彼ら挟み撃ちにしてくれません? どこか破壊する前に押さえてほしいです」
『御意!!』
彼らはシャカシャカと虫のような動きで窓から外に出ていった。建物の外側を伝って回り込むようだ。
どの同志にも言えることだが、あの重量級のマッチョボディで天井や壁にくっついて自在に移動できるのは本当にすごい。
「ミイ、あなたも行ってちょうだい、イリヤを止めて」
ミリナが肩に乗っていたミイに命じる。ミイはふわりと消えた。そしてミリナはガバッと頭を下げた。
「申し訳ありませんミカ様、後できつく言っておきますので!!」
「申し訳ありません聖女様!!」
ララも一緒になって頭を下げる。土下座せん勢いだ。
「私は本当に大丈夫ですから。二人とも会えたのがよっぽど嬉しいんですねえ。今日のところはあまり叱らないでやってくださいよ」
「それではダメなんです! 子供というか男子はその場ですぐに叱らないと忘れてしまうんです!!」
「ミリナ様の言う通りです! うちなんかその場で何十回言ったって忘れるんですから!!」
ミリナとララの必死な形相には私は頷くしかなかった。育児とは思った以上に過酷なものらしい。
「にいにまってえ!!」
「あああリコ待っ」
シュッ、私の足元を何か小さな生き物が通り過ぎる。と、同時にべしゃ、と誰かが背後で転んだ。
「まあまあルル様! お怪我は」
「だ、だいじょぶです! リコを誰か…!」
「私が追いかけます」
「えっミカ様待っ」
私は床を蹴る。彼女になら私でもなんとか追いつける。
イリヤはあれでもランニングは手加減して走っていたんだな、と妙なところに感心してしまった。
「はーく、せじょしゃ!」
「ふふっ、せじょしゃ。かわ…」
早く聖女様、とちゃんと言えないリコに和む。
「私が歌わないと始められないからだいじょぶだよ。あと、ミカでいいよ」
「みか?」
「そう。リコ、私はミカっていうんだよ」
「ミカ、はーくいこ! ミーカ!」
「うんうん、分かった分かった」
「もっ、ももっ、申し訳…っ、ざいませんっ、聖女様、い、いつでも降ろしていただいて結構ですので!!」
ダッシュで追いついた母親のルルが息を切らしながらペコペコと頭を下げる。
「いいえ、一度肩車というものをしてみたくって。イリヤくん達はもう大きいから私の背丈じゃ無理あるし…。落とさないように気をつけますね」
「落としてもこの子なら大丈夫ですから!」
いや、だいじょうぶくはないだろう、いかにサカシータ一族とはいえまだ二歳だ。
親をハラハラさせるのも忍びないと思って降ろそうとしたが、リコは私の頭にしがみついて意地でも降りなかった。
「ほほ、坊っちゃま達のヤンチャに振り回されるのは何十年ぶりかしら」
「リコ様も二歳とは思えない足の速さねえ。女の子は初めてだけれど、流石は主家のお血筋だわ」
ベテラン執務メイド達も追いついた。息が切れていないばかりか、どこかほっこり顔である。
「はっ、はあ、もう、皆さんお早いんですから。あっ、ミカ様達いらっしゃいましたよ!」
続いて追いついたピッタが後ろを振り返る。
「よ、よかったわ。手を引いてくれてありがとう、同志村の皆さん。執務メイドの皆さんも」
「ここからはゆっくり参りましょうミリナ様」
「ええ、あああっ」
ミリナが何かをハッと見て声を上げ、顔色を悪くする。
「ん? ああ。あの柱ですか」
「きゃーっ、あれもしかしてうちの子が!?」
ミリナと一緒に来たララも悲鳴を上げる。
そこに、ハイホーハイホーとばかりに、修繕用の道具と資材を持参した穴熊達が数人並んでやってきた。
彼らは慣れた様子で、角がえぐれた柱の表面を綺麗に均し始めた。
「ももっもももっ申し訳ございません穴熊の皆様!!」
「へぃき」
ぐふぉっ、ぐふぉっ。
おや、彼らミリナ相手にも普通に返事をした。しかも楽しそうだ。
「ご機嫌ですねえ」
「なつかし」
「むかし、まぃにち」
ぐふぉっ、ぐふぉっ。
「ほほ、そうね懐かしい光景だわ」
ベテラン執務メイドもそんな穴熊達の修繕の様子ににっこりだ。
「べべ、弁償とか」
「大丈夫じゃないですか、何かみんな楽しそうですし」
「ででででも私この間外の塀も壊していて」
「大丈夫ですって、前回も今回もザコルと私が鍛錬に誘ったせいじゃないですか。お母さん達に請求なんかいきませんって」
見たところ修繕の資材も石とモルタルくらいだ。修繕費が発生するとしたら材料費より人件費の方が高くつくだろうが、穴熊は騎士団所属で固定給っぽいのでいらないと言われそうな気がする。もし材料費がかかるというなら私の小遣いから出して貰えばいい。
「ミリナ様、ララ様。こんな角がえぐれたくらい損壊のうちにも入りませんよ。穴熊の言う通り、昔は毎日のように床や壁が抜けて風通しのいいことになっていましたもの」
「あんな坊っちゃまが九人もいたのですよ、ここには」
ベテラン執務メイドが慄くお母さん達を宥める。
「きゅ、九人…」
「ゴーシが九人…」
ミリナとララ、そして横で聞いていたルルの口から「ひえぇ…」と小さな悲鳴が漏れた。
「あら、何の話をしているの」
優雅に歩くご婦人が私達に追いつく。
「ザラミーアお義母様!」
『奥様!』
また頭を下げようとする母親達を手先の動きだけで制し、彼女は私の方に視線を振った。
「ごきげんよう、ザラミーア様。そこの柱の話をしていました」
「ごきげんよう、ミカ。穴熊の、精が出るわね」
ぐふぉっ。
「他には」
「なぃ」
「まあ。随分とお行儀がいいわね。あの勢いでは壁の一つや二つはと思っていたのに。ご褒美を用意しなくては」
ザラミーアは口実を得たとばかりに口元をほころばせる。
「奥様、そういう甘やかし方は坊っちゃま方のためになりませんと、昔から何度も申し上げておりますでしょう」
「あらいいじゃないの、あの子達は孫で私はおばあちゃんなのだから。躾をするのは娘達の役目よ」
ザラミーアは執務メイドの諫言を躱し、くるりとミリナとララとルルに向き直る。
「三人とも、子供達を外で育てるのには苦労したでしょう。この邸なら少しくらい壊れても平気よ、古い建物ですからね、定期的に手を入れる口実ができて丁度いいくらいなの」
最近は壊す子がいなくなったせいで随分と手入れできてなかったわね、とザラミーアは笑う。穴熊達も同調するようにぐふぉっと笑った。
「サカシータ一族に生まれてしまったのだから仕方ないわ、ちょっとやそっとのことを気にしていては身がもたないでしょう。ララもルルも、いつでもこの邸に居を移していいのよ。安心なさって。子供達に何かを強いたりもしないわ。既にいい子に育っているもの、これからもあなた達が思うように育ててくれればいいのよ。ね、ミカ」
にっこりと笑うザラミーアに、なぜ私に同意を求めるのかと思いつつも頷いてみせる。
…あ、私は『証人』か。口約束では、ララとルルが抱く『子供を取り上げられる恐れ』を払拭できない。他家の縁者である私も聴いてましたよという事実が大事なのだ。多分。
「あのお二人もリコ様も、まだまだお手がかかるお年頃です。どうぞ、私達にもお手伝いさせてくださいませね」
「イリヤ様の方は、シータイの町長や屋敷のメイド長からもしっかり申し送りされておりますからね。安心してお預けになってくださいませ」
「あ、ありがとう、ございます…」
ザラミーアとメイド達の言葉に、母親達は涙ぐみつつ頷く。
「ミカ、ミーカ、はーくいこ! かーちゃも! ばーちゃも! いこー!」
リコが私の頭上で叫ぶ。みんな、何となく弛緩したように笑った。
つづく




