シャトルランでもしよっか
翌朝、吹雪というほどの風はなくなったものの、スッキリと晴れるでもなく、日が昇っても薄暗いままだった。
ちらちらと細かな雪も舞い続けている。樹々はもはや樹氷というにふさわしい出で立ちになり、窓の外はいかにも厳冬という風景だ。
訓練場の方もすごい雪だと聞いたので、今朝も道場にお邪魔している。同志村女子達は自室で体操するそうだ。一緒に体操したかったが、ここはオーレンの聖域なので仕方ない。
「シャトルランでもしよっか」
「しゃとるらん?」
「音源どうしよっかな…まあ、歌えばいいか。今からドレミファソラシド、って歌うから、最後のドまでに道場の端から端まで走るの。あっちまで行ったらドシラソファミレド、って歌うから、今度はこっちの端まで戻ってきて。と、それをずっと繰り返す。最初はゆっくり歌うけど、だんだん早くしていくんだよ」
「おもしろそうです!」
「なんそれ、俺もやっていいすか」
まずは私が歌う役に徹して、イリヤとエビーを走らせてみる。
最初は慣例通りゆーっくり歌ったが、それだけで小学生とチャラ男にはウケた。
「おっそ!! 余裕だろこれ!」
「あははは、おそすぎますミカさま! もうついちゃったよ」
「だんだん早くするからね、ちゃんとぴったり到着してよー」
『はぁーい』
シャトルランは持久力テストのいち手法だが、イリヤなら速度の調整とか、他に気を配りながら走るとか、そういう訓練にもなる気がする。
「ドレミファソラシド」
ぱん。リズムを取りやすくするために手拍子を挟んでみた。
「ドシラソファミレド」
ぱん。うん、この方が走る方も切り替えやすくていい気がする。
「はあっ、やべ間に合わね…っ」
「僕のかちだね、エビー!!」
「はあ、はあ…、くっそー、イリ坊には敵わねえなあ…」
予想通りだがエビーが先に脱落した。私はもう一段階歌の速度を上げる。イリヤはまだまだ食らいついてくる。
「ドレミファソラシド…ッ、ドシ…ッ、はあ、はあ、ごめ…っ、もうこれ以上速く歌えない…っ」
イリヤの限界よりも私の喉の方が先に限界を迎えた。
「あはっ、はあ、すごい、ふつうにはしるよりつかれました!」
イリヤが笑顔のままその場にごろりと転がる。…まだ余裕ありそうだな。
「はあー…、あ、イリヤくん何回走った? 往復は二回と数えて」
「それならば四百と五回です、ミカ殿」
タイタがすかさず答えてくれる。
「すご……」
確か、よく走れる人で百何十回とかそんな感じじゃなかったか。ペース配分が私の適当な歌準拠なので何とも言えないが。
「何今の、未来のトレーニング方法かい? 変わってて面白いね!」
今朝はまだ姿を見せていなかったオーレンがどこからか出てきてはしゃいでいる。
「おはようございますオーレン様。これ、学校の体力テストでやるんですよ。持久力を測る目的で」
「へええ、何回走れたかって記録を取るわけだ。見てたけどいいね、ただ走るよりも負荷が高そうだし、身体の使い方も上手くなりそうだ。僕もやりたい。歌ってよミカさん」
「ミカの喉が回復してからですよ父上。僕もやります」
「君は壁を抜かないようにしてくれよ」
「抜きません。もう子供ではないんですから」
父子の会話も一見穏やかだ。
「ねえねえ、騎士のエビー君、昨日は君ら全員で僕に文句つけに来ようとしてたって本当…?」
おどおど。
「あ、はい。でも、俺らは別に文句があったわけじゃ」
「ひええ…! 若い子に囲まれて責められたら泣いちゃうよ僕」
ぴえん。
「責めませんって。大体、俺ら束んなったって子爵様に敵うわけないじゃないすか」
「それでも怖いんだよ僕ぁ! 一歩間違ったら嫌がらせだよ!」
うわーん。
「ええ嫌がらせですよ父上。叱られたのでやめただけです。ミカに感謝してほしいですね」
また避けようとしただろう、とばかりにザコルがオーレンを睨む。
「きょ、今日はちょっと寝坊したんだよ」
ごにょごにょ。
「ほう? 歳のせいで早く起きてしまうくせにですか」
「はいはい、やめやめ。すぐ圧迫面接しようとするんだから。オーレン様、喉治ったのでシャトルラン始めましょう」
「ミカ殿、俺も参加してよろしいですか」
「もちろんだよタイタ。憧れのサカシータ当主様と猟犬殿に挟まれての出場だねえ」
「ふぉ、た、確かに! 走る前から心拍が…!」
「あはは、緊張させてごめん、深呼吸深呼吸、ひっひっふー」
「ひっひっふー」
「それ、出産の時にする呼吸法じゃないかい…?」
再び、シャトルランの説明をして選手達を位置につかせる。
オーレン、ザコル、タイタと、体躯が重量級の三人が同時に走ったため、道場の中がものすごい振動と風圧に見舞われることにになった。
「床が抜けるかとハラハラいたしました」
隅の方で魔獣達の運動に付き合っていたミリナがホッと胸を撫で下ろしている。
「あ、ミリナさん。今日はゴーシ達が邸に来るよ」
オーレンがそんな彼女に声をかける。
「まあ。ララ様達もご一緒ですか」
「多分ね。ザラミーアが用意してると思うから声かけてみて」
「ゴーシ兄さまがくるの!? ここでいっしょにあそんでもいいですかおじいさま!」
「ゴーシはね、今日は本を借りに来るんだ」
「ほんですか。おべんきょうするんですか?」
「そうだよ、彼はイリヤより歳上だけれど、今度初めて学び舎に行くからね。なるべく勉強を進めておきたいんだって」
はて、ゴーシはまだ学び舎に通っていなかったのか。彼に小遣い稼ぎをしたい友達を紹介してもらおうという算段だったのに。まあ、人事はザラミーアが任せてほしいと言ってくれたのでそう心配はしていないが。
「イリヤは文字を書けるかい?」
「はい、まだじょうずには書けないですけれど、母さまといっしょにれんしゅうしてます」
「そっか、偉いね。ミリナさん、ちょっと」
「はいお義父様」
オーレンがミリナに手招きして、少し離れたところで話を始めた。
つづく




