きっとそれが親心ですね
ミカに充てがわれた寝室の前に立つと、まだノックもしていないのに中から「どうぞー」という小さな声が聴こえた。
ガチャ、エビー達にも僕が戻ってきたのが判るよう、敢えて音を立ててドアを開ける。
「特に気配を晒した覚えはないのですが」
僕が言うのも何だが、彼女は一体何を目指しているんだろう。僕の気配を自在に察知できる者など、記憶の限りでは父かコマくらいしか知らない。
そんなコマではないが、もしもこのミカがただの平民の女であれば、僕だって暗部やテイラー家に勧誘、推薦したと思う。
「何でかは分からないんですが、気配が無くてもザコルが来たとかいるとかは判るんですよねえ。対ザコル限定で魔力感知機能でも搭載された、とか?」
「魔力感知、ですか。なるほど。僕はあなたの魔力を預かっていますから、ある意味眷属のようなものだ。あり得なくもない」
「ふふっ、眷属ですか。最近その言葉やたらに使ってますけど、そんな吸血鬼みたいなシステムは実際にはないんでしょう?」
「きゅうけつき? …よく分かりませんが、眷属という言葉を使い始めたのはミカでは?」
「そうでした。あの子達が厨二病みたいなことばっかり言うもんだから…」
「ちゅうに病? 何の病ですか」
「あ、いえ。本当の病気とかじゃないですよ。そういうノリっていうか、例えみたいなものです」
眷属というのは、神の力を借り受けた配下やしもべを指す言葉だ。ミカはサゴシを始めとした自分の影に『闇の眷属』などというあだ名をつけている。闇を神格化するとはまた斬新な発想だ。
「魔力感知の話に戻してもいいですか。ミカは僕の魔力を嗅ぎ分けているんですか?」
「あ、いえ。嗅ぎ分けるとかまでは。本当に魔力を探知してるかどうかも判らないですし、ただ不思議とザコルが近づくと判る、ってだけですよ」
「そうですか。シシやコマのような能力に目覚めたのかと思いました」
「まさか。人が持ってる魔力の色や匂いなんかを見極めるなんてことはできないです。明らかにダダ漏れてるならまだしも」
……まだしも?
「ダダ漏れている、とはどんな状態ですか」
「ダダ漏れ事案例ですか……あ、例えば、ザコルが尋問後に発してるあの謎のお色気オーラは『チャーム』によるものだったんですよね。あと、サゴちゃんからは劣情丸出しの、いわゆる闇オーラ? とか、タイちゃんのは浄化オーラって言うんでしょうか。二人ともよくダダ漏れてますよね」
「………………」
「感情が高ぶった時に、じわ、って何かの気が立ちのぼるあの謎現象、以前は全て殺気や威圧の類だと思ってたんですよ。でも、言われてみると人によって全然感じが違うな、って。あ。そういえば貴族の人が使うあの謎の圧も、もしかしたら魔力に由来するものなんですかね。どう思います?」
「なるほど。コマがあなたを魔獣扱いするのも頷ける」
「なんで!」
しっかり魔力の質を嗅ぎ分けているじゃないか。僕にはせいぜいその圧が強いか弱いかくらいしか判らない。
サゴシが僕相手に『干渉』しようとしてきた時はそれがどんなものか直感的に気づけたが、それはきっと僕が彼の『お仲間』だったからだろう。
「で、ザコルはどうして雪まみれなんですか。ほら、暖炉の前に座って」
ミカはベッドから降りると、サイドに置かれていた椅子を暖炉の前に運んだ。僕は雪にまみれたマントを外し、素直にその椅子に座る。
「イライラしたので、雪浴みに行っていました」
「ああ、タイちゃんがよく水浴みだ雪浴みだって言うからですか?」
「そうです。タイタが浄化浄化と言うのにも、理由があったのだなと思いまして」
「だからってこんな吹雪の中を…。言ってくれればお湯を沸かしてあげたのに。ほらもう、髪に雪がこびりついてますよ」
ミカは僕の髪をパタパタとはたいて雪を落とし、手拭いで拭き始めた。
「それに、私で中和したらいいでしょ。せっかく仕組みが分かったんですし」
「ですが、毎回あなたを受け皿にするなんて」
はた、と僕は思い至った。
「……今、唐突に、ミカが僕に魔力を貯めさせることに抵抗した気持ちを理解しました」
「そうですか。私は頼ってもらえない側の気持ちを唐突に理解したところです」
振り返ると、ミカが何とも言えない顔で僕を見つめていた。
僕は、僕がミカの魔力を身に受けたことを、ミカ自身が後悔しているように言うのがどうしても許せなかったことを思い出した。
僕は椅子を降りて、暖炉の前のラグの上に直に腰を下ろした。手を広げれば、ミカは心得たように僕の膝の中に入ってくる。僕は、そんな彼女の柔らかい体を背中から抱き締めた。
「後々どんな影響があるか判らないうちはあまり多用したくない、のは山々ですが」
「同じこと考えるもんですねえ。私なんてどうせ『化け物』並の魔力量なんですから、少々多少、闇を吸収したってきっと大したことないですよ」
「そんなことは判らない」
「でしょ?」
「…………ですね」
頷くしかない。
あの時のミカの気持ちは、後日ミカが言葉を尽くして説明してくれた。だというのに、僕は真に理解できたわけではなかったようだ。
「いくらザコルが頑強さには自信があると言ったって、魔力、つまり身体の内側からの変化が後々どんな風に影響するかなんて、誰にも判らないじゃないですか」
全くその通りだ。どうして僕はそんなトンチンカンなことを言ってミカを納得させられると思ったんだろう。
「ですけど、頼ってもらえないっていうのも、こんなに寂しいものだったんですね」
ミカが、僕に身体を擦りつけるように身じろぎする。僕はほんの少しだけ腕に力を込めた。
「…他ならぬ僕がミカの魔力を保持しているという事実は、僕に自信をくれたんです。あなたが僕を、想ってくれた証のようにも感じていました」
素直な言葉がこぼれ落ちる。そうだ。僕もあの時確かに、寂しい、と思った。
「あの時は、解ってあげられなくてごめんなさい」
「いえ、僕の方こそ」
ミカは腕の中で小さく首を横に振る。
「…私も、あなたの力になれることに、誇りを持ちたい」
誇り。
短くまとめられた言葉が心の奥に落ちて染みる。
頼ることを甘えだと思ってしまう性分はお互い様なのだろう。しかし、そんな相手に甘えてもらえることは、心の糧にもなると知った。
糧を与え合うことは、僕らの関係に許された特別な権利だ。
「ありがとう、ミカ」
「こちらこそです、ザコル」
◇ ◇ ◇
「どうでしたか」
詮索にならない聞き方はこれで合っているのかと迷いつつ、私は話を振った。
「つまらない理由でした」
「つまらない?」
棘の抜け切らない言い方だ。あまり、いい結果にならなかったんだろうか。
「結局のところ父は、不運な民が惑わされることや、領外の人間に迷惑をかけることなどはどうでもよかったみたいです。ただ、息子可愛さに隠し通すことを選んだだけで」
「息子可愛さに」
「要約するとそうなります」
息子、可愛さに…。自分で言うんだ。かわ…。
「あ、えと、ザコルはそれで納得できました?」
「全く納得できません。…が、理解はしました」
「そうですか」
良かったですねなどとは言えないが、とりあえずオーレンの愛は伝わったらしい。
「闇の力をそれと知って使うことは、我が国では禁術に相当します」
「まあ、精神感応系ですもんね。野放しは普通に危ないと思いますよ」
虐げるのは良くないが、本人のためにも一定の管理は必要だと思う。
「父は、僕が迫害対象になることを恐れたようでした」
まあ、そうかなと思ってはいた。
サゴシは苦労していたようだった。今この瞬間にも、メイヤー教によって闇を持って生まれた子供が追い回され、淘汰されているかもしれない。
ガサ、ザコルは自分の懐から封筒を一つ取り出して中の便箋を広げた。
「ピッタが預かってきた手紙には、シュウ兄様からの手紙もありました」
「え、手紙? どうして」
穴熊からは毎日テイラー一行の動向を報告してもらっている。あちらも私達の動向を穴熊に聞いているだろう。それなのにわざわざ手紙で報せてくるなんて。
「義母の側近が『真の傾国はザラミーア様の血にある。お気をつけを』と、旅立つシュウ兄様に伝えたそうです。その場にいた穴熊には共有するなと命じ、ピッタに手紙を託したと書かれています。…どうして、父も兄も他領の工作員に迷惑をかけるんでしょうか」
「ピッタのご主人様が身内みたいなものだからじゃないですか?」
「それはそうですが、それでもです。彼女は暗号解析が専門なんです。運び屋の真似事をさせるなんて」
「影武者の真似事は上手そうですよ」
「そこはまあ…、流石はピッタと言う他ないですね」
「ふふっ、気に入られてますねえ彼女」
ザッシュもモナ男爵の部下だからというより、ピッタ個人を信用して託したのだろう。
ザコルはつらつらと、オーレンから聞いたことを私に話した。
「父によれば、この力が日常生活に影響するほど強く現れたのは兄弟の中でも僕ら双子のみなのだそうです。しかも、僕の方が少し、強いそうで」
私の髪に頬を擦り寄せる人の頭を、手を伸ばしていーこいーことする。
イライラ、納得できない、と行動に如実に現れている。不謹慎だが愛おしい。
「ザコルの方が強い、ですか。じゃあ、ザハリ様視点では、自分の双子の兄だけはちっとも操れない、みたいな状況があったかもしれないですね」
「魔力の高い者には効きづらい、というサゴシの見解を踏まえるならば、親兄弟は全員効きづらかったのではないかと思いますが」
加護やら強さやらを鑑みて、サカシータ一族は総じて魔力は高い方だろう。イーリアとザラミーアも隣国のとはいえ貴族出身。貴族は魔力が強いという法則通りならばだが。
「効きづらい、のであって、全く効かないわけではないんでしょう。ザラミーア様の闇の力の強さがいかほどか知りませんが、少なくともあなたには『干渉』できなかったのでは」
ふむ、とザコルは頷く。
「まあ、そうかもしれないですね。ちなみに、ザハリも自分の力のことは知らないはず、だそうです。少なくとも親達からは何も明かしていないと」
「うーん、じゃあ、ますます双子が闇の力を持ってるなんて軽々しく言えなかったでしょうね」
「なぜですか。明かさないことで余計に問題が拡がったとも言えるんですよ」
「そうかもしれませんが…。まず、もしも双子にそういった力があると知っていた上で野放しにした挙句、ザハリ様が闇の力を無意識に悪用したと広まれば、彼を庇い、面倒を見ていたイーリア様に民の怒りの矛先が向くでしょう。そればかりか同じく面倒を見ていたザッシュ様、同じ力を持つザコルまで悪く言われてしまうかもしれない」
ザコルが気にしそうなので言わないが、かつて襲おうとして返り討ちに遭った人々が奮起する可能性も大いにある。
「ですが」
「例えば、ゴーシくん達の存在を知った時点で彼の能力を周りに明かすか、行動を制限するという道もあったかもしれませんね。ですが、彼には過激なファンがいます。彼をどうにかすることによってファンが問題を起こす可能性も高まる。それに、明かすとなれば必ずゴーシくん達、子の立場も危うくなります。犯してもない罪を、血筋、いえ、生まれ持った力のせいで裁かれかねません」
む。ザコルが黙る。
「加えて、ザコルは正しいです。あなたに明かすのはより慎重にしないといけなかった。あなたは、例え自分の立場が悪くなろうが敵が増えようが、善良な他人に迷惑をかけることをよしとしない人です。それは、奥底にある闇の力を無意識下でも制御できるだけの、強い精神力にもつながってるんでしょうけど…」
「…融通が効かない、と言いたいのですね」
「決して悪には染まらないと、表現したのはザハリ様でしたね」
一番近くで彼を見つめてきたであろう、双子の片割れ。怠惰で要領の良かった弟から見て、勤勉で不器用な兄は理解すればするほどに理想の存在だったのだろう。
そして、ザコルは兄として『可愛い弟』を許し続けたし、誰のことも責めなかった。その正しさは、正しくあれなかった弟を余計に追い詰めたのかもしれない、と少しだけ思う。
「あまり、シュウ兄様のことを言えないですね」
ザコルはザッシュのことを大真面目で頭が固い、と揶揄する。
「でも、ザコルなりに好きに生きてきたんですよね。あなたが抑圧されていると感じないのなら、それでいいんじゃないですか」
「ゴーシに抑圧を強いるところでした」
「きっとそれが親心ですね」
「なるほど」
ザコルは相変わらず正しく合理的だが、最近は私に影響されて不良になりつつある気もする。今日もオーレンの話を聞いて、納得できないまでも一旦持ち帰ってくるくらいの柔軟性を見せている。
私は彼の腕の中で向きを変え、大分温まった彼の胴に手を回して抱きついた。
彼は考え込みながら、何となく手慰みのような感じで私の頭をいーこいーこと撫でた。
つづく




