ちょっとエッチなんだよね
どこかぐったりした様子のザコルを伴って脱衣所を出ると、廊下の柱の影に忍者がいた。
「あのー…」
「あらサゴちゃん」
「俺への当てつけですか? 別に取りませんよ?」
「うん。あげないよ」
にこぉ、と笑うとサゴシが後ずさった。
むほふぉふふぉふふう…と、嗤いとも唸りともつかぬ不気味な声がするので周りを見渡したら、別の柱の影に少女がいた。
「あ、やば。供給しちゃった」
「あいつほんと何なんですか? お二人がイチャつくたびに様子がおかしくなるんですけど」
イチャついてなくとも彼女の様子は大体おかしい。
「えっと、あの子もタイちゃんと一緒で応援してくれてるだけ、といえばそれだけなんだけど。タイちゃんと違ってちょっとエッチなんだよね」
「エッチ? ああ、別に嫉妬してるとかじゃないんですね。へえ、エッチなんだ」
「そう、エッチなんだよ」
「ふーん、エッチ」
「うん、エッチ」
「あの、その言葉の連呼はやめてくだ」
「なんだ、エッチかよ。うわ、そそる」
サゴシが口元を誤魔化すように手で覆う。何となくペータの軽蔑しきった顔が浮かんだ。
そういえばペータと全然喋ってない。あの子の方は大丈夫だろうか。
「…あの、別に恋愛は禁止しないけど、節度は守ってね。彼女まだ若いし、お預かりした子でもあるんだから」
メリーはまだ十五かそこらの正真正銘の少女である。対してサゴシはおそらく二十歳前後。日本であれば中学生と大学生、某セーラー服の戦士とそのカレピの年齢差。ロマンスにミラクルが起きないとただの事案だ。
「あんなガキの体にキョーミはないです。あっちも俺なんか眼中にねーだろし、てか俺くらい余裕で殺れそうだし、干渉も効かねーし……って」
サゴシは何かに気づいたかのように、顔から手を外す。
「…ふはっ、マジか、いいじゃんあの子。俺の言いなりになったり壊れたりしないんだ。いいな、すげーいい…」
ニマァァァ。
ぞわ…。サゴシの歪んだ笑顔に言いしれぬ悪寒を覚える。今なら分かる。これ、闇の力がダダ漏れてるんだ。
闇の力とは、色気や情欲の類と直結でもしているんだろうか。尋問を派手にかましてきた時のザコルの気配ともやはり似ている。
「ああ、サカシータ領いいな…。俺がめっちゃ生きやすい」
「さっきはやりにくいと言っていませんでしたかサゴシ」
「やりやす過ぎても生きづらくないですか猟犬殿」
「…なるほど。それは解る気がします」
私の水温の魔法はやろうと思えば半径二十メートルくらいに存在するナマモノ、つまり人を含む生物を無差別に殺せてしまう危険なものだ。それを知ってもあからさまに怖がる味方はいないが、四六時中一緒にいる人には多少の緊張を強いても仕方がないと思っている。
だというのに、むしろ自分に対する自衛の手段があるなんて素晴らしいと、心の底から言ってくれるのは他ならぬうちの彼氏、一部の渡り人を除けば異世界人類最強のザコルである。最強生物の心境は常に複雑なのだ。
「せっかく僕がやりにくい状況だというのに、相手に自衛する気がひとつもない時はどうしたらいいと思いますか」
「それは別に、素直に貰っときゃいいんじゃないですか」
「何をですか。僕は節度を守りたいんです」
「それアンタが言います…? てか姫様はさっきまでずーっと節度守ってましたけど? それに比べてアンタはどうなんですか? 小っちゃい頃から襲われまくってきたんですよね? そういうの誰よりよく分かってんじゃないんですか?」
「うぐう…! 全員返り討ちにしてきたからむしろ全然分からないんです!! 別にいいじゃないですか好きに触ったって!!」
「はあ、いいんじゃないですか。だったら別に姫様が好きに『補給』してはいけない理由もないですよね」
「うぐううううう」
忍者が私に代わって鈍い彼氏を論破する、の段。
「まあまあ。別に触られて文句なんかひとつもないからいいんだよ。もっと触ってほしいし」
「そういう発言をやめろと言ってるんだ!!」
おーい、と気の抜けた掛け声がして振り返る。
「なぁーにまた訳のわかんねえ痴話喧嘩してんすかあ」
「痴話喧嘩じゃない!!」
我らがツッコミ隊長エビーだった。
「お、サゴシもいる。なんか喋ってんの久しぶりじゃね」
「エビっちじゃーん」
ぐ、ぐ、パシーン。彼らは拳を突き合わせてハイタッチを決めた。
「仲良しだね」
「エビっちはズッ友です」
おどけたように、しかしそう言い切るサゴシに思わず笑みがこぼれる。
人の感情に干渉できて、やりやす過ぎて生きづらく、自らを危険で迫害の対象だとも自認する彼が、そう言える相手は貴重なはずだ。
エビーを含む幼馴染組はみんな平民出身だ。能力的には優れている者ばかりだろうが、全員が全員、魔力が高くて『干渉』しづらい相手なんてことはあり得ないだろう。
「みんな、サゴちゃんが楽しそうだと嬉しそうにしてるもんね。よきかなよきかな」
エビーは最初からザコルに怯んでいなかった。性分もあると思っていたが、普段からこんなチートキャラと交流があったのでは、物理最強くらいの触れ込みは怯む理由にさえならなかったのかもしれない。
「で、この兄貴は何をまた拗らせてんの」
「俺に色目使い過ぎて姫様にオシオキされてんの」
「ぶはっ、またサゴシの手とかさわさわしたんすか。大概にしとけよ浮気野郎」
「救命措置です!!」
蹲っていたザコルがガバッと身を起こして叫ぶ。
「救命措置ぃ…? ま、いーや。ここ目立つし移動してくださいよ。どっかに同志とか潜んでそうだし」
「言えてる」
ここは廊下、公共スペースだ。どこにサカシータ邸『日報』担当の目があるか分からない。あっちも玄人中の玄人だし油断大敵である。
移動しがてら、あちこちの浴室の湯船と足し湯の樽を湯で満たした後。
その日の晩御飯は、珍しくテイラー勢のみで囲む食卓だった。
私、ザコル、エビー、タイタ、サゴシの五人である。
「で、何の話してたんすか」
「エッチな話してた」
「エッチかよ。何で俺を待たねえんすか」
「迎えに来ると思ってなかったから」
「ほぉーん…。で、聞きましょうかエッチな話」
「ああもう!! エッチエッチとうるさいんですよ!! いい加減にやめてくださいその単語は!!」
ザコルが久しぶりにセーフティゾーンの後ろから文句を叫ぶ。
そのセーフティゾーンもといタイタも珍しく眉を寄せている。
「ミカ殿。お二人の仲がよろしいのは大変に素晴らしいことですが、卑猥な表現はお慎みください」
エッチと言っているだけで具体的な話は何もしていないのに怒られた。
「イイコちゃんのご子息サマ方はこれだからよう。いいすか、エッチは浪漫、そして文化なんすよ。姉貴は流石よく解ってんぜ」
「そーですよ、女の子からエッチって言葉聴くだけでなんか心洗われません? ますよね?」
「………………」
私に便乗して調子づいているエビーとサゴシに対し、タイタが黙ったままニコォ…と笑った。いかん、あれは本気でイラついている。
「はいはい、やめやめ。私が悪かったって。さっきの話ね、ちゃんとするから」
私は険悪になりかけた空気を適当に手で払い、セーフティゾーンに逃げていたザコルを手招きで呼び戻した。
つづく




