めっちゃ大好きだったじゃねーすか
「よーい、はじめッ!」
エビーの号令とともに、私はソロバンを立てて珠をジャッと揃える。
隣では計算に長けた執務メイドの一人と、アーユル商会の帳簿係ピッタが目の前の紙に書かれた数字を暗算で足し始めた。
チャチャチャチャチャ。
カリカリカリカリカリ。
珠を弾く音とペンが紙を削る音が重なる。
「できました!」
『速い!!』
おおーっと歓声が上がる。
私からかなり遅れて執務メイドとピッタが計算を終える。三人揃って結果を照らし合わせれば、示した答えはぴったり同じ数だった。
「ひぇぇ、すごい、ミカ様って計算も神のようにお出来になるんですね!?」
「違うよー。このソロバンのおかげ」
チャカチャカ。私はソロバンを振って鳴らしてみせる。
「素晴らしいわミカ。その珍妙な楽器はそう使うものだったのね」
ザラミーアはソロバンをマラカスか何かだと思っていたようだ。
というか先日も彼女の前でこれを使って計算していたはずなのだが、もしや、BGMを奏でているとでも思われていたんだろうか。
「ミカ様、本当にそのソロバンというのを使って、同じ計算を…!?」
「うん。これはね、法則に従って珠を弾けば間違いなく計算ができるという代物なんだよ」
「すごい、すごいわ、ぜひ欲しいと言いたいところですが、その、難しいんでしょうか…」
「私の国ではね、同じようなものをイリヤくんくらいの歳の子達が塾で習ってるよ」
オーレンが日本からの転生者とは言えないので、ソロバンに似たものが日本にもあったくらいの設定でやらせてもらっている。
「慣れるまで練習は必要になるけど、みんななら仕組みさえ分かればきっとできるようになると思う」
「私もイリヤも、既に一桁ずつならば弾けるようになりましたわ。昨日も寝る前に練習したのよね」
「はい! 母さまといっしょに『ふくしゅう』してます!」
「まあ偉いわ、お勉強も頑張っているのねイリヤさん」
ザラミーアがイリヤをいーこいーことする。
「お嬢様方、私どもにも仕組みは理解できております。ぜひ、商会での導入を検討していただけませんか」
「我らが主、オーレン様が私達の業務が楽になるようにと、こだわって作ってくださったものなのです」
執務メイド達も売り込みに積極的だ。今日は若い子だけでなく、ベテランのお姉さん達も同席してくれている。
「お話の通りならば素晴らしい発明だと思います。カモミ、外にいる会頭を呼びましょう」
「ええ」
ユーカとカモミが頷きあう。
「うちも呼びます!」
ルーシも手を上げた。
実は、セージを始めとした何人かの同志もこの邸を訪ねて来ているのだ。久々にまみえる猟犬様が眩しすぎて藪から出てこなかったが。
「では僕が呼びましょうか」
ザコルが懐から辺境エリア統括者マネジ謹製の笛を取り出す。
眩しすぎる猟犬様の呼びかけで果たして集まるのかと思ったが、外に向かって鳴らした笛の音に、三十秒も経たずして彼らは窓にビタリと貼り付いた。
「おおおおお、素晴らしい計算の速さだ! 事務に革命が、革命が起きますぞ!」
「目にも止まらぬミカ様の手技! 私もぜひ会得したい!」
私が再びしてみせた実演に、同志達がやいのやいのと盛り上がっている。こんな光景も久しぶりだ。
今日来ていたのはアロマ商会セージと、ダットン商会ワット、カンポー商会カンゾー、ロミ商会マハロの四人だった。
アロマ商会は手芸用品の国内最大手、ダットン商会は散髪バサミから貴族のアクセサリーまで幅広く扱う日用品店である。カンポー商会は確か印刷関係、ロミ商会は…何だっけ。
「いっぱしの影さながらの動きだったわね…。ここ、三階よ?」
「本当にどういう集まりなのかしら。ローリの説明じゃ何度聞いても理解しきれないのよ」
「カルダもすぐ興奮するから何を言っているのかさっぱりで」
「どうして商人なんてしているのかしら。どこかの間者も兼ねてるの?」
執務メイド達がざわざわしている。
「あ、私はモナの間者というか工作員です! 他の構成員は今いませんが」
ピッタが手を挙げる。
「えっ、公表してるのピッタ」
「はい。うちの主が訪ねて来て堂々と呼びつけるのでバレました」
文句がありそうな顔をしている。
「まあ。モナの。リキヤ様の部下ということね。そんなの間者とは言わないわ」
「よくいらしたわね、モナ男爵家の方々はお元気?」
ザラミーアと執務メイド達はモナの工作員を歓待し始めた。
「リキヤ兄様は、うちの兄弟の一人のようにこの子爵邸を出入りしていましたから」
「身内みたいなもの、ってことですね」
ザコルが補足してくれるので頷く。
リキヤといえば、現モナ男爵であり、ザコルのことを『ザコっち』と呼んでいるチャラいお兄さんである。会ったことはないが、ピッタによるとうちのチャラ男エビーと気が合いそうとのこと。
「つーかドン・セージ殿、俺の影武者役はどーしたんすか」
「心配ご無用ですぞ。エビー殿の影武者は今二十人程おりますゆえ」
「ぶは、んなバカな」
今、シータイではみんながみんな私達の仮装をしているらしい。
一番人気は深緑マントのザコルと深緑スカーフの私らしいが、自分の髪色や体格を生かしてエビーやタイタの仮装をする人もいるようだ。そのためにわざわざ赤毛に染めた人もいるとか。
「こないだ、誰が一番なりきれたかを投票で決めたんです。コマ様と辺境エリア統括者様は別格すぎるので、それ以下で順位をつけようって話になって」
仮装コンテストが開催されている…。みんな楽しんでるな。
「ミカ様の仮装一位はなんと! ここにいるピッタさん!!」
ジャンジャジャーン、とばかりに他の女子がピッタに手をヒラヒラと振ってみせる。かわいい。
「ピッタまで参加してるの? 狙われたら危ないじゃない」
「大丈夫です! もう工作員ってバレましたから! 襲われたら遠慮容赦なく対処します! ふっふっふ、この私がミカ様の観察で人様に遅れを取るわけがありません!!」
「すごい自信だね!」
「素晴らしいですねピッタ。僕も見たかったです」
他領の工作員大好きなザコルが目をキラキラさせている。
「でもやっぱり、白熱したのはタイタ様よね…」
「タイタさま?」
ユーカが漏らした言葉に、タイタの肩に乗って遊んでいたイリヤが首を傾げる。
「俺の仮装にどうして白熱など」
「隠れタイ様ファンの熱量がすごいんです。リュウ先生も毎日ダメ出しされてるし、赤毛に染めさせられた衛士の彼も、厳しすぎる演技指導についていけないって漏らしていました」
赤毛に染めたのではなく染めさせられたのか…。それにしてもタイ様って何だ、韓流スターか?
「俺の、隠れファン…?」
「ちょっとお、俺のファンはいねーの!」
「ファン、ではないんですが、エビー様の格好をしていると子供達に絡まれるって、野次三人衆の方々が」
「ぶはっ、あの三人、俺の仮装してんのかよ! 都会野郎とか言って散々バカにしてたくせに!」
「ふふっ、野次三人衆の野次は愛だからね」
「へへっ、そーでしたねえ」
エビーと私はザコルの方を眺める。
「僕は、彼らに好かれた覚えはないのですが」
「何言ってんすか、めっちゃ大好きだったじゃねーすか」
「だいすき…?」
ザコルの顔に疑問符が浮かんでいる。かわ…。
「そういえば、山の民の皆さんって何してるか知ってる?」
黙って出てきたのでラーマあたりがもっと騒ぐかと思っていたのだが、まだそんな情報は耳に入ってきていない。
「山の民の男性陣は二日前にカリューから戻ってきましたよ」
と、ピッタが教えてくれる。流石は現役工作員、目端がきく。
「吹雪や雪崩の対応に追われていたようですね」
「えっ、雪崩?」
「ええ、アカイシの方で薪確保のために伐採した箇所で起きたらしいんです。住居などはないエリアですし、人的被害はなかったそうですが、北の城壁に併設された小屋が一つ飲み込まれたようで」
「そうなんだ、やっぱり急な伐採はよくないんだね」
伐採による雪崩の危険性はラーマ自身も口にしていたことだ。万が一起きても被害の少ない場所を選んで切り出していたようなので、想定の範囲でもあるだろう。
「ラーマさんよりもシシ先生の方が騒いでましたよ。主治医は私だって町長屋敷に怒鳴り込んでました」
「ええ…」
ピッタはシシがどこの間諜か知らないことになっているが、同業の雰囲気くらいは感じ取っているのかもしれない。
というか、シシは一応、王都の方で何かが起きて状況が変わることは把握していたんじゃないのか。私には、戦が起きるわけではないから大丈夫だとか言っていたのに。
「ああ、いつも通り過ごせって言ってたね。あれは、くれぐれもあそこを動いてくれるなって意味だったのか」
「へへっ、今更何に困ってんだろーな、あのタヌキオヤジ。一時は自分が出てくつもりだったくせに」
大方、シータイよりもサカシータの奥に進む許可が得られないんだろう。彼はあくまでも領民ではなく客人である。一応医師として地域に貢献もしているのに、信用度においてこの隠密まがいの同志達以下と判断されているのは気の毒といえば気の毒である。
「そんなわけで、こちらシシ先生から押し付けられたお手紙でございます」
「僕が目を通します」
ピッタが差し出した手紙は、ザコルがサッと受け取った。
つづく




