予算を使い切らないといけないからです
「ミカ様、こちらお渡ししておきます」
走り込みや投擲の練習も一通り終わった後、みんなで男性陣の手合わせや雪合戦、ミリナお姉さんの魔獣レッスンを見学していると、ティスが大きく膨れた布袋を差し出してきた。
「あっ、もしや毛糸!? やっぱり持って来てくれたんだ! ありがとうティス!」
「まだまだあります。残りはお部屋に運んでいただきました」
「そうなんだ」
どうしてこの一袋だけ今くれたんだろう…と不思議に思いつつ受け取ってすぐに気がつく。中身が全部毛糸玉にしては少々重い。私はわざとらしく開けてある袋の口から中を覗いた。木枠が見えた。
私は少し前にティスとした約束を思い出した。そうだ、これは…………
「納得するまでに少々時間がかかってしまいまして」
「つまり」
「納得の『毛糸』でございます。どうぞご査収くださいませ」
「はい。確かに受け取りました」
にやり、と笑うと、ティスもにやりと笑う。
「素晴らしい質の『毛糸』でしたよミカ様」
中身を先に見たらしいルーシもにやりとする。
「そっか、また羊作りが捗っちゃうなあ」
そう言えば、ティスとルーシが声を上げて笑った。この二人は編み物委託販売担当でもある。
「ミカ様、その羊っぽいものの件についてご相談があります」
「あ、大量生産でもしたい?」
「ええ、その通りです。今も大量に生産はしていただいてはおりますが、まだまだ需要に追いついていないのが現状です。もしご許可をいただけるなら、シータイ町民や避難民の皆様にも作っていただいてはどうかと考えておりまして」
「いいじゃん作れば。私の許可なんかいらないよ」
「そっ、そんな訳にはいきません! こればかりはちゃんとしないとダメです! 既に莫大な利益になってるんですから!」
「別にいいじゃん。今も売り上げは全額水害支援に充ててるんだし、アレがみんなの生活の足しになるっていうならそれでも」
「ですからアレは儲かりすぎるんです! マージ町長様からも今後の利益はミカ様とザコル様のご資産に回すよう、話をつけてきてほしいと頼まれてるんですから! 民の皆さんに作ってもらうにしても何割か上納してもらって」
「まあまあ。あんなの流行り物だもん、どうせ今しか売れないよ。細かく決めても手間増やすだけだって」
今は欲しいと思ってくれている人も、手に入れば満足して二個目は買わないだろう。
あの羊っぽいのを大量にもらって喜んでくれるのなんて天使イリヤくらいだ。ヌマの町長令嬢マリモなんて一日で飽きてたし。
「そんなことありません! ほら、この帳簿見てください、もう少し真剣に考えていただいて…」
ルーシとティスが資料を持ち必死になって説明している。
パッと見た感じ想定内といった金額が並んでいるのだが何の問題があるんだろう。そりゃ、手作りの編みぐるみ販売で叩き出せるような売り上げ額ではないが、単に販売量が多いだけだ。ザコルという高速編み物マシンがいるからこそ実現できた額であり、これを普通の人がちまちまと作ったとしても『莫大な儲け』にはとても至るまい。
だったらマージンなど取らない方がいい。需要はあっても見返りの少ない仕事なんて、お世話になったシータイの人々や避難民の人達にはさせられない。
ああ、この女子二人はもしや、アレのパチモンが出ることでも心配しているんだろうか。なるほど、だから版権契約を結ぼうと厚意で言ってくれているのだ。ありがたいことだが、あんな適当なデザインのものに本物も偽物もない。規制するのも難しそうだし、正直言ってそんなことに労力を割いてほしくない。
「馬車一杯分は貯まってるから、シータイで借りた荷馬車ごと連れて帰ってね。御者が足りなければ穴熊さんの誰かに頼むし」
ルーシとティスが顔を見合わせる。
「馬車一杯、またそんな量を」
「まだこちらに到着してそう日も経ってないのに、一体いつ」
「道中も作ってたんだよ。荷馬車には毛糸もかなり載せてたからね。ザコルと私だけじゃなくて、エビーもタイタも、なんとミリナ様にもご協力いただいたんだよ。昨日の夜なんてね、ザコルが精神統一でもしたかったみたいでまた山のようにできちゃってね。タイミングばっちりだよ。あーほんと、街でも仕入れといて良かったなあ」
「街で仕入れた? 毛糸をですか!? ちょっ、持ち出しの費用はこちらに回してくださいませ!」
「そんなのいいよ、ネギより安かったし。それに、毛糸はシータイの編み物夫人の皆さんや同志の皆さんにもかなり持ち出させてるじゃない、そっちの補填が先だよ」
「うちのリーダー達はただ猟犬様に課金したいだけなので放っておいてください!! シータイの皆さんは自分が編んだものの売り上げはちゃんと受け取ってくださってますよ!」
「あんなにお世話になったんだもの、隙間時間にした内職代くらい寄付したっていいでしょ? ザコル達もミリナ様もそのつもりで作業してくれてるし」
「寄付金はもう間に合ってますとのお言葉です!!」
「はいはい、余ったら放牧場の整備にでも使ってくださいって言っといて。うちの人がボコボコにしたんだから」
あ、遠くでザコルがすっ転んだ。ああ、そういえば『うちの人』って言われると照れちゃうんだった。ふふ。
「ああどうして…!」
「お金を受け取っていただくだけのことが、どうしてこんなに難しいの…!」
ルーシとティスが頭を抱えた。
「大変そうねえ…」
執務メイド達が同情したようにこちらを眺めている。
「予想通りですよ」
うんうん。ピッタとユーカとカモミは揃って頷いている。
「まあまあ。どうせそのうち飽きられて売れなくなるから。今のうちに、細かいこと考えずにジャンジャン作って儲けるだけ儲けちゃって。ルーシとティスには特別ボーナスくれるようにってマージお姉様にお手紙書くから。あと流行作ったジョーさんにも」
「もう! そんなご配慮は私達でなくご自分になさってください!!」
「上げ膳据え膳待遇の私にボーナスなんかいらないって。それに、こっちはこっちで渡された予算使い切らなくちゃならないんだよ。予算使い切らないと怒られるってどんなお役所仕事だろうね、元職場とは大違い」
金は食ったら食っただけ怒られるのが世の常だというのに。
いつかテイラーに出資してもらった分を稼いで返そうと息巻いていた時期もあったのだが、私に充てられた公共事業予算並みの『小遣い』額を聞いて私は悟った。あれは私個人がどうとかいうより、滞在先に落とすために用意された金なのだ。手土産かお持たせ、もしくは通行料みたいなもの。行きは非常事態であまり使えなかった上、水害支援のために追加金がきてしまったので半分は返還したが、もう半分くらいは責任を持って落として帰らなければならない。
そもそも、いくら羊っぽいものが何万個か売れたところで、富のテイラー伯、セオドアに借りたものを返すほどの額にはならないだろう。だったらそれも滞在先に落としてきた方が領として恩も売れそうだし、ザコルの故郷も潤う。手を動かして稼いだ金だというのも素晴らしい。それで林檎の苗木の一本でも買ってもらえたら御の字だ。
そういえば、街で小遣い稼ぎをしているという子達を雇うのもアリかもしれない。羊っぽいのはシータイで作ってもらうので、それ以外で何か生産してもらうというのはどうだろう。『小遣い』を元手に短期で商売をするのだ。
もしもそれで利益が出てしまったらまたどこかに寄付でもしておけばいい。利益が出なくとも地域貢献が主目的なので全く問題はない。こんな気楽な起業があっていいんだろうか。
「内職といえば造花作りかなあ…ふふっ」
「ミカ様?」
自分の発想の貧困さには思わず笑う。
しかしここは雪国、冬は特に娯楽が少ない。氷と枯葉のアートもウケていたことだし、案外喜んでもらえるかもしれない。布のハギレなんかを使って作ればエコにもなる。今度ゴーシに会ったら友達を紹介してくれないか訊いてみよう。彼はもうすぐ九歳だと言っていたし、学び舎に通っているはずだ。
「そーだ、ミリューが帰ってき次第、シリルくんに文句言いに行かなきゃいけないんだった。ついでに山の民が崇めてるっていう謎の像みたいなやつも確認して、ハギレも売ってもらおう。よし」
「ミカ様?」
私は立ち上がる。ミリューがいつ帰ってくるか判らない以上、その前にできるだけのことをしておかなければ。昨日は穴熊の活用アイデアも資料にまとめたし、オーレンのアポも取っておかないと。忙しくなりそうだ。
「いざ行かん」
「待て」
「ぐえ」
襟首を掴まれた。
「猟犬様! よかった止めにきてくださって!」
なぜか女子達がホッと胸を撫で下ろす。
「また何を始める気ですか」
ザコルが私の襟首を掴んだまま問う。
「どこかにハギレが余ってないか聞いて来ようかと思いまして」
「ハギレ?」
「造花の試作をします」
「造…花? 花を模したものということですか」
「はい。街で小遣い稼ぎしたい子を集めて雇って生産させます」
「なぜそんなことを」
「予算を使い切らないといけないからです」
「作らせてどうするんですか」
「売ります」
「利益が出るではないですか」
「あはは、大したもんじゃないしどうせ売れないですよ。陳列がてらどっかに飾っておけば目の保養くらいにはなるでしょうけど」
「そんなことは判らないでしょう、あなたの『大したことない』の基準ほど当てにならないものはないんだ!」
「ザコルには言われたくないです」
彼の基準では、普通の人は通らない樹海や峠を含む道程も、プロの登山家しか挑まないような岩山越えも『大したことない』『あなたならいける』だ。確かに今の私ならいけるかもしれないが、それが決して一般的でないことは理解している。
とはいえ素人が手作りした造花などどう考えても売れるわけがない。手間を考えたらそう安売りもできないが、高ければもっと売れなくなる。しかし作り手には私が充分な報酬をあげればいい。
「うんうん、やっぱり造花くらいが売れなさそうで丁度いいですね! 赤字ばっちこい! そうだ、今朝話した洗濯メイドちゃんに聞いてみようかな。廃棄予定のシーツとかあるといいんだけど。あ、そろそろソロバン塾の時間ですね。昨日はお休みしちゃったから…あ、ねえねえ、ソロバンっていう計算機があるんだけど、みんなも見てく?」
私は同志村女子達に声をかける。
「ソロバン、ですか?」
「そう、サカシータ子爵様がご考案なさったものでね。ご本人は忙しいから私が代わりに使い方教えてるんだ。あれがあれば、帳簿付けが格段に早く楽になるよ」
「えっ、そんな素晴らしいものがあるんですか!?」
商人のお嬢さん方が食いついた。
「あれこそ普及させたらめちゃくちゃ利益になるよ。教本とセットで全国に売り出そう。サカシータ領の新たな財源になること間違いなし!」
オーレンが職人に作らせたというソロバンは、珠のなめらかさ、均一さ、弾きやすさ、どれを取っても非常にいい出来だった。もしあれがバズったとしても、あのレベルのパチモンがすぐに出回るとは考えにくい。
よし、オーレンに頼んですぐにでも追加発注してもらおう。できれば一枚噛ませてもらって、体よく出資もさせてもらおう。
「執務メイドさん、事後になって申し訳ないのですが、この子達を邸の中に案内していいかどうか確認していただけませんか」
「承知いたしました。奥様も呼んでまいります」
ザッ。執務メイド達は揃って一礼し、速やかに邸の中に戻って行った。
そしてザコルには、はああ…と溜め息をつかれた。
つづく




