人間、自分より怒っている人を見ると冷静になるものね
「アタマおかしいヤツをかいしんさせてから、じっくりこうかいさせるって、せいじょさまの国のやり方ですか!」
ちゃぷん、ゴーシの持ったマグでホットミルクが大きく揺れて跳ねた。
「…んん、まあそうかな。アタマおかしい人に常識説いても無駄だからね」
日本の法律では犯人に精神異常が疑われる場合、まず精神鑑定を行なって、結果によっては無罪や不起訴になることもあるみたいな話をするのはやめておいた。あれは子供心に何たる理不尽かと思った覚えがある。大人になってさえ、被害者の立場を思えば理解し難い制度の一つである。
「アタマおかしいヤツにジョーシキといてもムダ…!! すげー、なんかカッケー」
ゴーシは完全に溜飲を下げた様子ではしゃいでいる。難しい言葉を使いたいお年頃らしい。
「ゴーシ兄さま、わるい父さまはね、ゆきだまのまとにするんだよ!」
厠から戻ってきたイリヤが得意げに話す。
「イリヤさまの父さまも、わるいヤツなの?」
「うん、たぶん。母さまや、まじゅうの子たちが、やせてよわくなっちゃったのは、父さまのせいだったんだ…」
イリヤはイアンを父として盲信するのはやめたらしい。
ミリナは父親の悪口など息子に言わなさそうだが、これだけ色んな大人と接して話を聞いていれば自ずと認識は変わってくるだろう。
「先生がね、父さまの目はフシアナだからおいしゃさまに見てもらうんだって!」
「あー、それがなおったら『じっくりこうかい』させるってことか。なるほど、いきじごくだな。さすがだぜ」
相手を敢えて殺さず生き地獄を見せてやるの刑、は少年の心を完全に掴んだ様子だ。
「あのね、ゴーシ兄さま。僕のこと、イリヤってよんでくれますか? さま、ってつけないでほしいんです」
「え、でも」
ゴーシは自分の母親の方を伺った。母親は首を横に振る。
「ダメよ。イリヤ様はご長男夫妻様のきちんとしたお生まれなの。平民のあたしが一人で産んだあんたとは違うのよ」
「ララ様。私の実家は既に没落して爵位を失っております。本来ならば離縁されてもおかしくなかったというのに、サカシータ家のご厚意で名を置かせていただいているだけの身なのです」
「ミリナ様、ですが」
「息子であるイリヤには、イーリア様やザコル様のように『公平』な視点を持ってほしいと考えております。ここでは私達は新参者。皆様に礼節を尽くし、受け入れていただけるよう努めていくのが公平、そして道理というもの。ゴーシ様」
「へっ」
急に敬称をつけて呼ばれ、飛び上がるゴーシ。
彼が自分を子爵令孫だと正式に認識したのは、子爵邸に呼ばれたというつい三ヶ月前のことだろう。まだ市井で暮らしているようだし、様付けなどされたことも数えるほどしかないはずだ。
「よろしければ、私の息子を、あなた様の従弟として認めていただけますでしょうか」
「は、はは、はい。じゃあ…よろしく、イリヤ」
「はい! 兄さま」
喜色満面でお返事したイリヤに、ゴーシの表情も和らぐ。
「やっべ、弟ってすげーかわいい」
「兄さまもかわいいです!」
「へへ、男どーしだろ」
「くふふっ」
メチャクチャかわいいな男子…。
タイタを見たら彼の顔も溶けていた。珍しい。
「姐さん、顔、顔。タイさんもやべーけど」
「だって、だって……!」
エビーに突っ込まれたが顔を立て直すことはもはや不可能だった。
ザラミーア系統のゴーシと、イーリア系統のイリヤのコンビ。歳は逆になるが、ザコルとロットが幼くて仲が良かったらこんな感じでじゃれ合ったんだろうか。ちなみにサゴシはずっと部屋の隅で軟体化している。
「んんー…」
「リコ」
やっと昼寝から起き出したリコが、母親のルルの膝でぐずり出した。
「リコ様もホットミルク飲みます? 今ちょうどいい温度すよ」
「ありがとうございます、騎士様」
ちょっと席を外していた間に話でもしたのか、エビーがルル達を気にかけるようになっている。流石は陽の住人だ。
「みんな、いいかな」
今まで気配を消していたオーレンが注目を集めた。
「ええと、一方的な謝罪に誠意は宿らないとか、謝罪はただの意思表明だとか極端な事を言う子が二人もいて謝りづらいんだけどね。僕は今から一言謝りたいと思う。ちなみに僕は、礼儀としての謝罪はあるべきだと考えています。免罪符とは思っていないよ」
コホン、前置きをしたオーレンは姿勢を正した。
「我が息子、イアンとザハリが君達に多大なる迷惑や苦労を強いたこと、大変申し訳なかった。彼らの所業は、親である僕らにも責任がある。これ以上君達が苦労することのないように、僕らにできることは精一杯させてもらうつもりだ。ザコルも言ってくれたけれど、必要なものがあれば必ず相談してほしい。僕らに、贖罪の機会を与えると思ってね」
にこ。オーレンの笑顔にはみんながホッとした表情になる。私の作り笑顔と違って…。
「先日ミリナさんには打診したところだけど、ララさんとルルさんにも僕らとの養子縁組を提案したい。もちろん強制ではないよ。返事の如何に関わらず、ゴーシとリコの庇護は僕の名において約束する。僕はぜひ君達の子息として系譜に載せたいと考えているけれど、子供達を名目上の他の誰かの養子としたいのならば相談に乗ろう」
ララとルルは顔を見合わせた。
「あの、領主様。母親は、あたし達だけじゃありません。それに…」
「ええ、姉の言う通りです。大変ありがたいお申し出ですが…」
「もちろん全員に同じ話をするさ。もし会ったら話してしまってもいい。君達もゆっくり考えてくれ」
ザハリの子とその母親はあと一体何人いるんだろう…。
確かザハリは『やっと男の双子が産まれた』とか言っていた気がする。少なくとも母親はあと一人以上、子供は二人以上はいるということだ。
「ゴーシ、リコ」
「は、はい」
「あぃ…」
オーレンの呼びかけにゴーシが姿勢を正す。リコは目をこすりながら返事した。
「今度、君達ともお出かけしたいんだけど、どうかな」
「えっ」
「今日はね、馴染みの武器屋に行ったんだよ。ゴーシにもぜひいい物を選んでもらおう」
「ぶき…!」
ゴーシの顔に明らかな期待が灯る。
「リコにはまだ早いかもしれないけれど、ザラミーアが張り切って服や玩具を選ぶよ。屋台でお菓子や串物も食べようね」
「おかし…!」
リコの顔も期待に満ちた。
「まあ、あなた、今日は随分と積極的ね。いつもは街に出たって完全に気配を消しているのに」
「孫とのお出かけがあんなに楽しいって知らなかったんだよ! 今日は混ぜてくれてありがとう、ザラミーア」
ニコニコするオーレンに、ザラミーアは苦笑した。
「もうしょうがないですわねえ…。ララ、ルル。後で日程の相談に乗ってちょうだい。あなた達にも何か贈りたいから、付き添ってくれると嬉しいわ」
『は、はい。奥様』
ララとルルは双子らしく同じセリフをどもりながら言った。
ゴーシ達に別れを告げ、帰路につく。辺りはすっかり夕方だ。
行きはオーレンの馬に乗ったイリヤだが、流石に疲れが見えたので馬ゾリの方に乗せた。彼は座席でミリナにもたれかかると、すぐにすうすうと寝息を立て始めた。
ザコルは軟体化したサゴシの代わりに御者席に乗っている。ちなみにサゴシは荷台である。
「私、不謹慎に思われるかもしれないけれど、ミカが怒っていてくれて、少しだけ安心したのよ」
ポツリとザラミーアがそんなセリフをこぼす。
「…すみません、子供相手に大人げないことを」
「いいのよ、ゴーシもあなたの怒りに触れて納得できた。人間、自分より怒っている人を見ると冷静になるものね」
そうかもしれない。怒りを預けたり共有できる存在は、少しだけ心を軽くする。
ザラミーアは隣に座った私の手にそっと自分の手を重ねた。
「ザハリが、ごめんなさいね。ミカ」
ザラミーアが謝ることではない、と否定しようとして、やめた。
謝罪はただの意思表明だが、相手との関係を続けるための『懇願』でもある。彼女は私とのつながりを大事にするために、息子の代わりに謝罪の言葉を紡いでくれたのだ。
「受け入れます、ザラミーア様」
「…………ありがとう、ミカ」
ミリナが黙ったまま、自分の膝を枕にするイリヤを撫でる。何を思っているか判らないが、彼女も考えることが多い日だっただろう。
「それにしても安心しました」
「あら、何にかしら」
「オーレン様がゴーシくん達をお出かけに誘ってくれて。ゴーシくん、イリヤくんにちょっとだけ嫉妬しちゃったかな、と思っていたので」
「まあ、そんな…」
ミリナが驚いたように顔を上げる。
「ミカ様、私達がいない間に何があったかお聞かせくださいますか」
「ええ、でも、何もなかったんですけどね」
私は、リコを連れたゴーシが気配をあらわにした時のことをかいつまんで説明した。
「ゴーシくんって感情はまだうまく制御できないけれど、やっちゃいけないことはしっかり理解してて、我慢もできる子ですよね。だから、本当に何もなかったんですよ。周りの大人は一瞬緊張してましたけど」
ゴーシの実力はまだ知らないが、彼もサカシータ一族だし、根はやんちゃそうな子だった。もしも我を忘れて暴れるようなことがあれば、押さえるのには苦労したことだろう。
しかし、彼はそんな大人達の心配をよそに自分の中でその衝動を完結してみせた。イリヤがいきなり土下座をかましたせいで呆気に取られたせいも多分にあるだろうが…。
「英雄の称号を持ったザコルやオーレン様のことをカッコいいって、キラキラした顔で言ってましたよね。ゴーシくんも、お祖父様とお出かけしてみたかったんだろうなって思っていたんです」
ゴーシはさぞ嬉しかったことだろう。憧れの祖父オーレンが自ら声をかけて誘ってくれたのだから。
「ふふ、オーレンはただ自分が孫にチヤホヤしてもらいたいだけよ」
「お孫さんに慕われるのもご人徳あってのことじゃないですか」
「イリヤさんとゴーシが特別に素直でいい子なのよ。きっと親の教育の賜物ね…。我が家の息子達とは大違いだわ」
はあー、とザラミーアが溜め息をつく。
「まあお義母様ったら。ご子息様はご立派な方ばかりですわ。…夫は、ともかくとして」
ミリナの意外なセリフに私とザラミーアは目を見開く。
「あっ、もっ、申し訳ありません! 身の程知らずなことを」
頬を押さえたミリナに、ザラミーアがブンブンと首を横に振った。
「いい、いいのよ、あなたはもっと文句を言ってちょうだい! あなた以上に立派な子息なんてうちにはいないんだから!」
「言い過ぎですわお義母様」
イーリアもそうだが、ザラミーアもお嫁さんを大事にしていてすごくいいお姑さんだな、とほっこりする。嫁姑ってこう、もっとギスギスしたものかと思っていたのだが、世界は思っているよりもずっと美しいらしい。
つづく




