らしくないよ
午後からはまたザラミーアの執務を手伝い、夕食前には邸内全ての浴室で風呂を沸かし、何なら夕食後にも沸かし直しに行き、下級の使用人や騎士達でも遠慮なく入れるように取り計らってもらった。
浴室と一口に言っても浴槽を備えていないただの水浴び場みたいな所もあったのだが、穴熊達が気を利かせてくれたらしく、今日は全ての水浴び場に木箱の浴槽と差し湯用の樽が備え付けられていた。
「流石は穴熊さん、略してさす穴。しごできのしごはや」
「しごはや…? 穴熊はともかく、ミカは仕事をしすぎではないですか。まだ子爵邸について三日目なのですが?」
「そうですか? 全然ですよ。シータイの方が行動範囲も広かったですし、ダンスも料理もしてませんし。あ。明日は編み物しましょうよ。隙間時間に」
「隙間時間…。もしや、仕事と仕事の合間に短時間の作業を挟むということですか」
「はい。そんな感じです」
「ミカ殿、それも『エコ』に基づく取り組みでしょうか」
「エコ、まあ、そうかな」
「なるほど。確かにエコの極みのような考え方ですね」
私が知らない間に『エコ』は環境保全活動ではなく『効率的・合理的』という意味で使われるようになっていた。日本でも人や場面によってそういった使い方をしなくもないので指摘はしないが。
ふふっ、このまま『エコ』という概念が異世界で独自の進化を遂げたら面白いな。後世の言語学者が頭を抱えることだろう。
「合間はフツーに休憩しろよ。てか、ニホン人て働き続けねーと死ぬ民族なんすか?」
「そうじゃないけど、羊っぽいものはできるだけ作り貯めしておいた方がいい気がするんだもん」
「まあ、その内誰か取りに来そうすけどお…」
取りに来るだけでなく、毛糸の追加まで届きそうな予感がする。皆も多分、私やザコルのことを働き続けないと死ぬタイプの民族だと思っているので、届けてくれるとしたら百パーセント善意だ。
うぉう。
穴熊の声に振り返る。す、と封筒を一枚差し出された。
「? 何ですかこれ」
…ボソボソ。
(ザッシュ様がお書きになったものだ)
「手紙? 分かりました。部屋で読みますね、ありがとうございます」
私が封筒を受け取ると、今日の連絡係である穴熊三号はススーッと目に見えない場所まで下がった。彼は近くに控えているが姿は見せたくない派らしい。
「せんせーっ、ミカさまーっ、エビーっ、タイターっ」
「イリヤ」
廊下を走ってきたイリヤをザコルが受け止めて抱き上げる。
「イリヤ。廊下は走ってはいけません。なぜならぶつかった時に壁や人が壊れるからです」
壁や人が壊れる…。確かにその通りだが身も蓋もない。
「そっか、そうでした。気をつけます」
「よろしい」
イリヤは大人の機嫌を伺い、気配を殺して空気のように振る舞う癖があったが、サカシータ領に入ってからは少しずつ奔放な振る舞いが増えている気がする。
それはそれで躾も必要になるだろうが、大人からの脅しや押し付けではなく、彼自身が考えて納得した上で行動を抑制できるようになるなら、きっとその方が何倍もいいだろう。
「はは、イリヤは元気だなあ」
「また現れましたね父上」
「その敵を見るような目はやめて!?」
イリヤは不思議そうな顔でザコルとオーレンを見比べた。
「先生とおじいさま、てき、だけど、なかよしですか」
「そうだよイリヤくん。仲良しだから、喧嘩するってこともあるんだよ」
「…そっかあ。だから、ロットおじさまはさいしょ『てき』をしたんだ」
「あ、うん。そうかな」
ロットは当初、完全に私とザコルを敵視していたが、それを言うとまた余計な解釈を生みそうなので私は曖昧に返事をした。
「イリヤ、今日は誰と風呂に入ったのですか」
ザコルもイリヤの前で教育に悪いと判断したか、それ以上オーレンに突っかかるのはやめた。
「おじいさまといっしょに入りました! おゆがね、ザバーンってゆぶねのはんぶんくらいになっちゃった!」
「ふ、それはエコではありませんね」
「くふふっ、でもね、ミカさまがたいりょーにおゆをつくってくれてたから、こまりませんでした!」
「良かったですね」
「かわいいなあ…」
オーレンは楽しそうな孫にまた顔が溶けている。二人とも楽しかったようで何よりだ。
「ミカさん。今度から雪かきで出た雪は、樽やたらいに入れて浴室に運ぶよう言っとくよ」
「ありがとうございますオーレン様。皆さんの負担にならない範囲で構いませんので」
「それで温かい風呂に入れるっていうんなら、みんな喜んで運ぶさ。こちらこそありがとう」
「いえいえ。私も魔力過多にならずに済んで助かっています」
「そうだ」
ぽん、オーレンが思いついたように拳を叩く。
「君の能力についても話をしなきゃいけないね。どこかで時間を取ろうか」
「はい、ぜひ。オーレン様のご都合に合わせさせていただきますので、よろしくお願いいたします」
イリヤはザコルの腕からオーレンの腕へと移動した。二人はキャッキャとはしゃぎながら廊下を通り過ぎていった。
私達もそれぞれ交代で入浴を済ませ、影の三人や穴熊達にも入浴を勧め、そして充てがわれた寝室へと戻った。
「さて」
寝巻きに着替えた私は、ザッシュからだという封筒にペーパーナイフを入れ、中の文面を確認した。
「……………………」
「ミカ?」
手紙の内容を聞いてはこないものの、眉間の皺を揉み始めた私を見てザコルが心配そうにする。
「エビー」
ほーい、と返事があり、続き部屋に通じる内扉からヒョコッとエビーが顔を出した。
「至急、オーレン様に面会の許可を取ってきて」
「え、これからすか」
時刻が遅いことは重々承知している。
エビーは察してくれたのかそれ以上追求せず「了解っす」と言って部屋を出ていった。
「ミカ殿。お取り込み中に申し訳ありません。少々お耳を借りたいことがございます」
エビーを待っている間、今度はタイタが内扉から顔を出した。
「いいよ、何かな」
私は重い気持ちを飲み込み、努めて明るい顔で返事をした。
「この邸におりますサカシータ騎士の中に、同志の者がおりまして」
『え』
私とザコルは同時に腰を浮かした。
「一度挨拶に来たいと俺宛に先触れがあったのですが、対処してもよろしいでしょうか」
そう言ってタイタは一枚のカードを私に見せた。扉の下の隙間から差し入れられていたらしい。
「もちろんいいよ、会ってあげて。そっか、同志の中には子爵邸の門を叩いた猛者がいるんだったね」
そういえば以前、そんな話をタイタがちらっとしていたような気がする。
「はい。こちらには現在二人いるようです。あと五人ほど、北の城門を警邏する部隊に所属していると報告がありました」
「つまり、このサカシータ領で現役騎士やってる同志が七人もいるってこと?」
「左様でございます」
「それは……凄いね」
これがどこか平和な領の騎士団であればそんなこともあるかと思うだろう。だがここは紛れもなく国境最前線、完全実力主義の脳筋の里だ。他領からやってきてのしあがるのは並大抵のことではない。
しかも深緑の猟犬ファンの集いの一員ならば、ファン心を出して一度くらいシータイを覗きに来ていてもおかしくないというのに、これまでにそんな気配など全く微塵もなかった。高い職務意識ゆえなのか、推しに認知されたくないがゆえなのか。同志の一員であると打ち明ければ、イーリアあたりが融通を利かせてくれただろうに…。
私達が入城して三日目という満を持しての先触れにも、何となく同志らしい『奥ゆかしさ』が感じられる。
「タイタ。この子爵邸に入ってから、件の二人を見かけましたか」
「いいえ。しかし、サカシータ領で勤務している者に関してはテイラー領で開催される集いにも顔を出すことがありません。数年前の会員証発行の際に顔を確認してはおりますが、鍛錬によって風貌が変わっていれば俺にも見分けがつかない可能性があります」
タイタはその類稀な記憶力によって、ファンの集い会員の名前と顔を全て覚えている。
「そうですか。子爵邸付きに採用されるほどの実力者であれば、潜まれたら僕にも感知できないかもしれませんね。会えるのを楽しみにしていると伝えてください」
「ええ、きっとご満足いただけるでしょう。彼らこそは我ら集いの星でありますから!」
タイタはドン、と誇らしげに自分の胸をたたいた。
どうやら秘密結社の最高戦力がこの邸内に潜伏していることがこんなタイミングで発覚した。
トントン。エビーが戻ってきた。無事に許可は取れたようなので、私は寝巻きから再度着替えをし、エビーとタイタには待機を命じてザコルとともに部屋を出た。
「穴熊さん」
うぉう。
本日の連絡係、穴熊三号が進行方向の階段の影から出てきた。
「さっき受け取ったザッシュ様の手紙に関して、オーレン様と相談することがあります。ついてきてくれますか」
…ボソボソ。
(我はあまりオースト語の発語が得意ではない。先日代表した者を呼んでいいだろうか)
「穴熊一号さんですね、いいですよ」
三号はその場で一号にオーレンの執務室へ来るように交信した。
穴熊一号は三号から聞いた通り、オーレンの執務室の前で私達を出迎えてくれた。
「さあ、行きましょうか」
私達は彼らを代表し、扉をノックした。
「なるほど」
オーレンが渋面を作る。今度こそは顔文字顔ではなく、真剣な顔である。
「すみません……」
「いや、君が謝ることじゃないさ、あれからザッシュとは話していないんだろう?」
「はい。タイミングが合わず」
正確には、穴熊を挟んでの交信をしていない、だ。
こちらから交信しようとすればあちらが何かの会議中だったり、あちらから交信が来たかと思えばこちらは衆目のある鍛錬中だったりと、ことごとく間が悪かった。
「で、これは何だい。ザッシュはもっと真面目で頭の固い方だと思ってたんだけど?」
ザコルがサイドテーブルに投げられたザッシュの手紙を手に取る。長文で結構な枚数があった。
「……見事に他責と言い訳まがいのことばかり書かれていますね」
「らしくないよ」
はあー、とオーレンが溜め息をつく。反対に、ザコルはふっと笑った。
「何だい君も。らしくないね」
「いえ」
くくっ、と噛み殺すように笑うザコルに、私とオーレンは顔を見合わせた。
つづく




