東洋の計算機
邸の敷地を塀に沿ってぐるりと一周回ったところで、昼食の準備ができたと使用人の一人が呼びにきた。
案内された食堂では既にザラミーアとミリナが待っていた。ミリナは身体が冷えた様子だったので、探検には誘わず、邸の中で待っていてもらったのだ。
「母さま、ザラおばあさま!」
「皆様。イリヤを預かってくださり、ありがとうございます」
ミリナが私達に一礼する。
「いいえー。楽しかったね、イリヤくん」
「はいミカさま! ねえ母さま、ビットとオオノがあんないしてくれたんです」
「ビットとオオノはうちの騎士よ、ミリナさん」
「そうなのですね。明日またお礼申し上げないと」
「いいのよ。あなたもイリヤさんも、彼らにとっては主家の一員ですもの。遠慮なく用事を申しつけてかまわないわ」
「は、はい、お義母様」
一応貴族家出身であるはずのミリナだが、実家の男爵家はあまり使用人を雇わない主義だったそうで、人を使うことに慣れていない様子だ。
「あの、ザラミーアお義母様。午後からでも何かお手伝いできることはございませんか」
食事の席で、ミリナがそう申し出た。
「一応、読み書き計算、手芸、家事などは一通りできますし……あっ、床板の修繕なんかも得意ですのよ! ミリュー達が何度も床を踏み抜くので慣れてしまって」
「……まさか、その床板の修繕を一人でやらされていたなんてことは」
「? はい、魔獣達が物を壊すのは、世話係の管理不足だと……えっと……イアン、様が」
「……そう。報告しておくわ」
イアンの罪状を増やしてしまったかとミリナが縮こまる。問い詰めればまだまだ出てきそうだ。
「とりあえず、あなたに大工仕事を頼むことはありません」
「そうですか…」
残念そうなミリナにザラミーアはくすりと妖艶に笑う。
「では、執務室にいらしてはどうかしら。秋の収穫高や領外から得た売上げ、冬支度にかかった費用などを冬の間にまとめてしまわなければならないの。今年はシータイとカリューに関する支出と収入の項目が膨大ですから、手伝ってくださるととっても助かるわ」
「ええ、もちろんお手伝いしますわ!」
パッ、ミリナの顔が明るくなる。私もはいはいはい! と挙手する。
「計算なら私もお手伝いしたいです!」
「あら、いいのかしら」
「はい! 働かざるもの食うべからずですから!」
あと、シータイの支出と収入の項目が多いのは半分以上私達のせいだ。責任は取らねばなるまい。
「ミカ」
隣に座っていたザコルがちょいちょいと私の袖を引く。
「お下がりなさいコリー。ではお二人、食後に執務室へご案内いたしますわ」
にーっこり。ザラミーアは極上の微笑みを披露した。
かりかりかり、ペン先が紙を削る音。
ザラミーアの執務室では、執務を手伝うメイド数人が机を並べ、報告書を見ながら何事か帳面に書き付けている。
「できました!」
「まあ、お早いわ」
私がチェック済みの表を差し出せば、ベテランの執務メイドがニコニコと受け取った。
「ここと、ここの合計が違うと思います。恐らくここの数字がおかしいんです、あとこの表なんですが、さっきも全く同じ数値の並びを見た気がするんですが」
「あら、少々お待ちを……やだ、本当だわ。どうして」
「数値は同じですが表題が違うので、どちらかが間違いなんじゃないでしょうか」
「こちらは羊、こちらは山羊の頭数の推移ね。清書の段階で取り違えたのかしら……。確認させましょう。誰か、手紙を」
若い執務メイドが帳面をどかし、便箋を取り出す。
「ミカ。こちらの帳簿も見てくださらない? 間違いがないか確かめていただきたいの」
「はい。ただいま」
私は計算済みのものを再計算し、間違いがないかチェックする作業を任されていた。ミリナの方はザラミーアの横でガッツリ帳簿作成を任されている。ノルマも多いし大変そうだ。
それにしてもここの執務室は女性ばかりだ。昔は男性の文官がいたらしいのだが、イーリアがザラミーアの周りに男を置きたがらなかったらしい。もう一度言うが、オーレンがではなく、イーリアがである。
「オーレンもリア様もあまり邸に帰らないので、自然と執務のほとんどが私の担当になったのですよ」
「そうなんですね」
「冬場はオーレンもいくらか手伝ってくれますけれど、この部屋は女性率が高いだとか言って近づかないものですから。今も別室で仕事をしているわ」
トントン。ノックの音がして、廊下に控えさせられていたザコルが顔を出す。
「ミカ。父上が何か珍妙な物を持ってきましたが無視していいです」
「珍妙じゃないよっ! ミカさんに見せたいんだ、無視させないで!」
噂をすればオーレンだ。いつもはこの部屋のある廊下でさえ避けて通らないらしく、そんな当主の登場に執務メイド達が顔を見合わせた。
私はザラミーアに断って廊下に出る。
「ミカさん。見てよこれ」
じゃら、聞き覚えのある音に目を瞠る。
「あーっ、それ!!」
「ふっふっふ、職人に言って作らせたんだよ」
ドヤァ。
オーレンが持っていたのはソロバンだった。竹を削って作られたオーソドックスなものだ。
「ザラミーア達は使ってくれなかったけど…」
「えーっ、もったいない!! それがあればずっと楽になるのに!」
「そうだろう? でも、僕の教え方が下手だったみたいで」
トホホ。
「これ、お借りしていいんですか?」
「君は使えるんだね。カズさんは使い方をよく分かってないみたいだったけど」
「ふっふっふ、私はおばあちゃん子なんですよ。みっちり仕込まれたに決まってるじゃないですか!」
もちろんそんなことは決まっていないのだが、ソロバンを受け取れば子供の頃の記憶が甦る。
小学校時代、不登校の間は祖母が私の勉強を見てくれていた。と言っても、祖母は祖母の知っていることだけを教えてくれた。ソロバンは祖母が教えてくれたものの一つだ。祖母が教えきれない分は、教科書や本屋で買った参考書をもとに勉強した。
「それ、何すか」
「これはね、東洋の計算機だよ」
私はエビーに向かって某女海賊の真似をして格好つけ、ソロバンを手に意気揚々と執務室に戻った。
その後の帳簿チェックが捗りまくったのは言うまでもない。
「今日は随分と進みましたねえ奥様」
「ええ、ミリナさんとミカのおかげよ」
「本当に! お二人ともとっても優秀でいらっしゃいますわ」
夕方、ミリナとともに執務メンバーに「また明日」と約束し、部屋を辞した。
「姐さんて、外堀を埋めにいく天才すよねえ」
「えっ、外堀?」
エビーがどこか呆れたように私を見下ろす。
「ミリナ様もそー思いません?」
「そうねえ…。あまり優秀なのも考えもの、ということですわね」
ミリナがおっとりと首を傾げる。
「ミリナ様まで。優秀ってただのお世辞でしょう? ミリナ様と違って私は雑用しかしてませんし」
ザコルが首を横に振る。
「帳簿の再計算、最終確認は雑用などではありません。むしろ一番計算のできる者が担うべき作業です。まんまと試されましたね」
「ええ、そんな……」
一応、今日は複雑な計算式を含む帳簿などはなかった。単純計算のチェックくらいであれば、義務教育を経た日本人なら簿記の知識がなくともできる人は多い。
が、そんな事実はザラミーアが知ったことではないはずだ。だというのに、敢えて私にそんな重要な役割を振ったのか。万が一、私が確認した箇所が間違いだらけだったらどうするつもりなのか。
むう。私は手に持ったソロバンをチャカチャカと鳴らす。
「心配要りません。いくら掘を埋められたとて僕らが選択を誤らなければいいだけです。その東洋の計算機? とやら、僕にも使い方を教えてくれませんか」
「いいですよ。ふふっ、さっきは珍妙とか言ってたくせに」
「そんなに役立つものだとは知らなかったので」
プイ。お父さんに反抗したいお年頃らしい。かわ…。
「わっ、私にも教えてくださいませ、ミカ様」
「もちろんですミリナ様。これがあればかなり計算が楽になりますよ」
私達は、歩いていた廊下の窓から中庭を見下ろした。
視線に気づいたタイタが顔を上げて一礼する。執務の間、タイタから剣の型を習っていたイリヤも顔を上げ、握りしめていた木剣ごと腕をブンブンと振った。
翌日。快晴。
早朝の鍛錬に人が増えていた、デジャヴ。
「まあ、皆様は昨日の」
「なぜ、執務メイドの皆さんが…」
「ミカ様が行われているという体操が、美しくドレスを着るために考案されたものだと聞きまして」
「気にならずにおられましょうか!」
参加動機もシータイにいた女性達と似たり寄ったりだ。
「ミカ様も効果を実感なさっておられますか!?」
「ええと。スタイルアップ…したかは判りかねますが、肩の凝りなどには効いたと思います」
肩の凝りは『疲労』と見なされているのか、実は自己治癒能力さんが発動してくれない症状の一つである。
「それは素晴らしいわ! 私達、毎日帳簿とにらめっこですから本当に身体の凝りが酷いのです。効率を上げるためには訓練の参加はやむなしでしょうね!」
「ええ、これは仕事よ! 調理メイドや洗濯メイド達に何か言われたらそう言いなさいね、あなたたち」
ベテランの一人にそう言われ、はい! といいお返事をする若い執務メイド達。調理や洗濯を担うメイドはこの時間、忙しく持ち場で働いているのだろう。そういえば、洗濯部屋の場所は判っている。シータイにいた時のように、水をお湯にしてあげたら喜ばれるはずだ。明日から寄ろう。
昨夜は積雪はなかったようなので、雪踏みはせず、まず体操から始めることにした。
つづく




