きっといいことがありますよ
「そんでな、あっちの塔は今使われてねえんだ」
「そうなのですか。僕がいた頃はよく見張りが登っていましたが」
「階段が崩れちまったんですよ。修繕が追っついてねえんでさ」
「あの木は切ってしまったんですか」
「はい、去年雷が落ちて燃えまして。結構な騒ぎになりました」
邸の敷地内の探検には、サカシータ騎士団の中から二人、案内としてついてきてくれることになった。ザコルがいた十年前と比べると変わったところもあるようだ。
邸に常駐する部隊の年齢層は十代から四十代。使用人の女性と所帯を持っている人も多いのだという。そのあたりはテイラー邸とも共通している。
「都会から来た騎士なんざもっとなよっちいかと思ってたが、あんたらなかなかの根性者じゃねえか」
壮年の騎士、名はビットといった、がタイタとエビーをねぎらう。
「身に余るお言葉です。ザコル殿に鍛え直していただいたのですよ」
「俺なんかこっち来た時ゃ完全に雑魚扱いでしたよお。ちったあマシになりましたかねえ」
「タイタもエビーも、随分と成長しました」
「あ、ありがとうございます!」
「へへっ、兄貴に褒められたら調子に乗っちまうよ」
エビタイの二人がくすぐったそうに頭を掻く。
「今日は驚いたぜ、旦那様を日の当たる場所でじっくり見たなんざ、いつぶりか」
「きっといいことがありますよ、ビット隊長!」
「だな。朝から鍛錬しててラッキーだったぜ」
オーレンを見かけるといいことがあるのか…。妖精か何かなんだろうか。
「しっかし、明日こそは聖女様に一球当ててえなあ!」
「ふふ、私は逃げ専ですので簡単には当たりませんよ」
「素晴らしい身のこなしでしたね、あの影との手合わせもレベルが高く驚きました。あの、突然発生した濃い霧のようなものは魔法ですか?」
そう訊いてくる若い方の騎士は私に鍛錬用の短剣を貸してくれた青年で、名はオオノだ。何となく育ちの良さを感じる。どこかの町の町長令息とかだろうか。
「そうですよ、雪に魔法を強めにかけて一瞬で蒸気に変えたんです。単純に雪を投げたくらいじゃ驚いてくれないかなーと思いまして」
「なるほど」
「ミカ、あれは目くらましとして非常に有効ですよ。ぜひ技として練り上げましょう」
「やった、師匠のお墨付きですね。明日は投擲の稽古もつけてくださいよ」
「もちろんです」
俺も俺も、とエビタイも乗ってくる。
「ザコル様、聖女様」
「何ですか、オオノ」
「な、名を覚えていただき光栄です! 私オオノは、カリューが町長、シモノの次子でございまして」
「えっ、シモノ町長の?」
どこの町長令息かと思ったら、なんとカリューの町長令息だった。オオノは長身でガタイもいいが、シモノはそう大柄な印象がなかったので気づけなかった。
「そうだったのですか、カリューの…。では、君も大変でしたね」
「いえ、私は水害の数日後に許可をもらって帰郷しましたが、その頃には既に隣領の商人やシータイからの支援が行き渡っておりましたので、せいぜい瓦礫の片付けや城壁の再建を手伝うくらいしか役に立てませんでした」
「君には騎士としての職務もある。それで充分かと思いますよ」
ザコルの言葉に、上司らしいビットも頷いてみせる。
…ちなみに、その隣領の商人というのがサギラ侯爵本人とその息子だったことを、目の前の青年はまだ知らない。
オオノは、ビシ、と姿勢を正し、胸に拳を当てた。
「ザコル様、聖女ミカ様。お二人のご尽力のおかげで、カリューは死者を誰一人出すことなく済んだと聞いております。父からも、兄や弟からも、お二人に会うことがあれば必ず礼を尽くし、できうる限りお力になるようにと言われております。しかしそれ以上に、私自身がカリューで産まれた者として、どうしても直接お礼を申し上げたかったのです。故郷を救ってくださいましたこと、誠に、誠にありがとうございました…!!」
彼は深々と頭を下げる。
…兄や弟? シモノの息子はもう二人いたのか。カリューでも会った記憶はないが……いや、そういえば。
涙を使った治癒を怪我人に施した日、周到に人払いをかけたカリューの町長屋敷に、最低限の人手として残された男性使用人が二人いた。実はあの二人は使用人などではなく、町長の息子達だったのだろうか。
記憶を辿ってみれば、二人ともオオノと歳や背格好が近かった気がする。予想の通りなら、後から色々と揉み消すのには最善の人選だったということだ。
「あっ、もちろんタイタ殿にエビー殿も! シータイに避難したうちの町民達を夜通し手当てしてくださったそうで」
ペコペコ、オオノはテイラー騎士二人にも頭を下げた。
「臨時救護所を開設なさったのはミカ殿ですから。我々はお手伝い申し上げただけに過ぎません。そんな我々も、皆様が無事回復なさったことを喜んでいるのですよ」
「へへっ、ほんとほんと。シータイで手当した人らだけじゃなくて、カリューでも死者ゼロだって聞いた時なんか、俺ら頑張って良かったよなって、ザコルの兄貴マジパネエーって、みんなして泣いたんすよ」
タイタとエビーは揃って笑顔を見せる。
「僕もミカに言われてカリューに行っただけです」
「そりゃ私も言ってはみましたけど、まさか全員救ってくれるとは思いませんでしたよ。ほんっと驚いたし…。ふふっ、エビーなんか誰よりも泣いて喜んでたもんねえ」
「いやミカさんに言われたくねーわ。あん時だって、姐さんが泣くからみんなつられて泣いちまったんだぞ、避難民も同志村メンバーも全員大号泣だったろうが。あ、やべ、思い出したらまた泣けてきた」
「ふへ、そうだね。色んな事あったもんね…」
エビーがぐいっと親指で目尻をぬぐう。感動屋は相変わらずだ。私もか。
「…っ。皆様は、カリューの民のために、涙するほどまで、力を尽くしてくださったのですね……」
オオノは感極まった顔で再び頭を下げた。俯いたまま目元をゴシゴシと拭う彼の背中を、ビットが優しく叩く。
「おーいっ、せんせーっ! みてくださーい」
「イリヤ。よく登り切りましたね」
イリヤは地上十メートルくらいの木のてっぺんまで登り切っていた。枝がユッサユッサと揺れて雪がボタボタ落ちてきている。
「げ」
「わあ、高」
「んな呑気なこと言ってる高さかよ! イリヤ様ぁ! 危ねえすよお!!」
「はは、あのイリヤ坊ちゃんもサカシータ一族だ。あんな高さから落ちたくらいじゃ」
ビットがそう言うが早いか、イリヤがぴょんと空中に身を投げ出した。
「飛び…っ!?」
「イリヤ様!!」
「大丈夫です。彼なら」
受け取ろうと前に出かけたエビーとタイタをザコルが止める。
ひゅうう…………ズボッ。
「…あれぇ?」
イリヤは見事な着地を決めたものの、勢い余って雪に腰まで突き刺さってしまった。
とはいえ無事そうな姿にエビーとタイタはほーっと息を吐く。
「はまっちゃったぁ」
「ふはっ」
情けない顔をする甥を見てザコルが小さく吹き出し、脇を持って雪から引き上げてやる。
「一昨日積もったばかりですから、そうなると思いました」
「おもしろかったです!」
「そうですか。よかったです」
ザコルは抱き上げたイリヤの頭をいーこいーこと撫でた。
「…………ザコル坊ちゃんも、笑うようになったんですね?」
目を瞠っているのはビットだ。彼はザコルがこの邸を出る前からここで騎士をしていたのだろう。
「笑うくらいはしますよ」
何でもないような顔で言ったザコルに、ビットはううーん、と腕を組んだ。
「姐さんに散々笑かされてるもんな」
「ミカが面白いのがいけないんです。何度呼吸困難にさせられたことか」
「ミカ殿はザコル殿の心を動かす天才であられますからね」
流石にザコルが爆笑しているところまでは想像できなかったのか、ビットは「ほんとかよ」と呟きつつ、次の場所を案内し始めた。
つづく




